慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスは1990年に開学しました。問題発見・問題解決を掲げて、様々な領域の学問を取り扱う場所として設計され、そして藤沢の里山の中に産声をあげてから20年。様々な大学改革の取り組みに挑戦してきたなかで、新たな挑戦を打ち出しました。それが、未来創造塾です。滞在型の教育・研究施設をつくる、その狙いとしては、一つには海外からの研究者がスーツケース一つで研究をしにくることができる環境を設計するという研究のハブとしての機能、もう一つには共同生活を学生が送ることによってグローバル人材を育成しようとする教育施設としての機能を持たせる点にあるようです。計画では、もう建物は建っているはずでした。しかし、経済の浮き沈みは突然で、資金面からなかなか計画は進まない。現在では基金室のホームページが立ち上がって、塾員のみなさまにご支援をお願いしているところです。タイトルにある「望むこと」を最初に挙げるとすれば、「早く建ってくれ」です。
しかし、私には「早く建って」と思う以外にも「望むこと」があります。それは、「未来創造塾ハウスプロジェクト」の一員として動いてきた経験を持つ身として「望むこと」です。一言に集約するならそれは、「学生が、生きることと真剣に向き合う場所にしてほしい」ということです。
新しい施設が建つことで新しい制度が動き出すことに対して、自分も関わりたいという思いを持った大学2年生の頃に、友人に誘われる形で集められたのが「ハウスプロジェクト」のはじまりです。滞在型教育施設(いわば寮)に新入生を一定期間滞在させるときの「先輩」(別名「ハウス・リーダー」)の候補として、実際に建物が出来上がる前から、新入生どうしのつながりの形成のイベントを実験的に行っていこう、というプロジェクトでした。履修相談会やスポーツ大会、夕食会など、サークルでも研究会でもない、昔で言う「アドバイザリーグループ」のようなくくりでイベントを運営してきました。
その後、2010年の2月と3月に、「ハウス・リーダー」を育成する研修プログラムの「実験」が行われます。私と、仲間たちは、実験の参加者でしたが、そのくくりとは全く異なる「絆」のようなもので結ばれたような気がします。本城慎之介さん、今村久美さんといった方々とワークショップを共にしながら、徹底的に自分と向き合い、仲間と向き合いました。2泊3日の合宿を行った2週間後には1週間の泊まり込みも経験。涙を流すこともありました。自分自身が揺さぶられながら、自分という人間について見つめなおし、そして仲間たちとていねいに付き合いながら一つのものをつくりあげる試みをしました。
おそらくですが、滞在型教育施設ができれば、たとえばAPUのように、希望する学生がそこで共同生活を行うための場所になるだろうし、あるいは新入生が順繰りで宿泊プログラムを受講していく場所になるかもしれません。そしてそこには、「先輩」の存在は不可欠です。まず求められるのは、「命を守ること」にあると思います。それは面倒を見る居住者だけでなく、「先輩」本人も、です。決して事故や事件があってはいけない。物理的な人体の損傷だけでなく、精神的に追いつめられたり、文化的な生活が崩壊することのないようにしなければいけない。でなければ、良質な研究や活動、まして勉強はできないはずです。
そして、様々な活動に自分が接するとともに、授業やSA業務などを通じて様々な後輩たちと接点を持つなかで気づいたのは、良質な研究や活動、その足場となる勉強をするには、自分ときちんと向き合い、自分が持つ想いや熱意を正直に自覚すること、そしてそれを仲間とシェアしながら高めあっていくことが必要だということです。SFCは、様々なことが多岐に渡るからこそ、どうしても独りになってしまいやすい環境だと思います。だからこそ、自分と・仲間と真剣に向き合って、自分の考えや相手の考えをぶつけ、刺激を得る場が必要になると思います。もちろん、そうした刺激を毎日得ることはとても辛いことです。だから、時おり殻にこもることも必要で、しかし殻にこもって落ち着いたらすぐに戻って来れる場としての機能が必要だと思います。そうした、「向き合うこと」の行き来こそが、SFCで「生きる」ことだと思います。この点において、私は「グローバル人材」なんちゃらとか、求めません。それは高尚過ぎます。
ぶつかりあい、また落ち着ける。真剣に取り組み、また安息を得る。現在の残留のシステムにおいても、本気で学問をすることは可能ですが、物理的にも文化的にも健康とは言えません。滞在施設に大きなお風呂があるだけでも違いがあります。それに、親御さんが安心して子どもを学ばせる環境として宿泊施設は必要です。しかしそれ以上に、「自分と、相手と、丁寧に付き合う」ことを可能にすることこそ、「未来創造塾」の担うべき役割として期待するところです。