リーダーシップと、本気であるということ:2019年の学びの振り返りとして

教員になって1年目となった2019年がもうすぐ終わろうとしている。多くの人が振り返りをしているのだが、私は今日、今年を締めくくる記事として、赴任して2ヶ月となった5月にあった、体育会でのエピソードを紹介したい。これまでも、子どもたちと関わる活動を通じて自分自身学びや気づきを得てきたが、生徒たちと日々生活をすると、多くの学びを得ていると思う。そのなかでも、忘れられない・忘れたくないと思える、「リーダーシップ」にまつわる話なので、書き出しておこうと思う。


今年の体育会は、光化学オキシダント注意報が断続的に出されたことに影響を受け、いくつかの競技をカットして開催時間を短くする措置が取られた。私が密かにの楽しみにしていた、全員で踊る炭坑節は練習だけに留まった。練習中に「なんで遠藤先生は地元出身じゃないのにキレッキレに踊れるのか」と生徒がざわついただけに、本番が楽しみだったのに。本題から逸れた。これから書く話は、全競技のクライマックスでもある、男子組体操と女子創作ダンスの、2大演技競技のさなかに起きた、男子組体操にまつわる話だ。

でもここで、男子組体操というワードにひっかかって、その是非を問う議論が始まりだすとしたら、それは私の本意ではないし、ミスリードになる。確かに2019年は、「組体操」をめぐって世論が動いたし、競技の危険性もあって多くの学校が実施を止めるなか、今年度の体育会で我が校は組体操を実施している。そしてこれから書く話は、その組体操の演目にまつわる話で、それを美談として取り扱っている。だが、それをもって「だから組体操は必要だ」とかいうつもりは全くないし、そういう話だと勘違いされると困る。きっとこの読者は、あくまでも「組体操」は具体的事例であって、私が学んだと感じている本質的なことは組体操に限らず様々な場面で活きることだと気づいてくれると信じている。


本番当日、3年B組の5段ピラミッドはあがらなかった。

私の学校の体育会の男女別の最終演技については、男子組体操にせよ、女子創作ダンスにせよ、年度が切り替わる少し前から、次年度の中3のなかで組体操委員とダンス委員を選出し、どのような演目にするかを準備し、本格的な体育会練習に入ると、各委員たちは全体の指導にあたる。生徒会執行部を構成する、3役や専門委員会委員長たちも、この組体操委員やダンス委員を兼ねており、生徒たちのリーダーがリーダーシップをとって体育会を成功させようという雰囲気になっている。

むろん、保健体育委員長はその中でも中核を担っていて、組体操練習の前線に立ち、練習の開始時・終了時に、男子生徒全体を前にして、全体を勇気付けたり、はたまた鼓舞したりする言葉を言っていた。そもそもが、心優しく真面目で、それでいてお調子者キャラもある人間である。何より、責任感が強い男なだけに、「体育会を成功させよう、そのために安全に配慮しながらも組体操をやりきりたい」、そんな気概がいつも感じ取れていた。そして、演目の実施に必要な太鼓役である副会長、様々な場面で生徒たちの前に出て体育会の成功を同じく訴える生徒会長をはじめとする生徒会役員陣からも同様の気概を感じたし、その影響もあってか、中3の生徒たち約40名も、凛々しく振舞っていたように思う。

組体操の最後の演目はピラミッドだった。生徒会長のいる3年A組は、生徒たちの体格が平均的で差がなく、練習時点から成功をさせることができないまま本番を迎えた。一方の3年B組は保健体育委員長のクラスで、体格差がきちんと出ていることから、ピラミッドを形成するには理想的で、事実練習時点で成功させることができていた。

体育会当日、1年生と2年生が先にピラミッドをあげ、それらを崩したあとに3年生が本番を迎える。男性教員たちがサポートに入りがながら、両クラスとも気合いを入れて、3年生の本番に入った。1段目から順に組み上げていく。結果、3年A組は成功し、3年B組はあと少しのところであがる前に崩れてしまった。


成功しようと成功しまいと、演目は進んでいく。そのまま、全体集合をしたのちに、拍手喝采の中を男子たちは退場していく。男子全員が退場門の外側で一度集合し、組体操委員長でもある保健体育委員長から言葉がかけられる。しかし、退場時点からずっと泣いていた彼は、言葉を絞り出すにも精一杯だった。「組体操を成功させられず、申し訳ない」たしかそんなメッセージだったと記憶している。その強い責任感が故に、彼の涙は止まらなかった。

3年B組の男子たちは、終わってすぐは自分たちがピラミッドを成功させられなかったことに、不満そうな様子を示していたが、大きな悔しさからくる保健体育委員長の涙に導かれたように、沈痛な面持ちのまま自分たちの席に戻った。続く女子の創作ダンスを、3年A組は手拍子とともに盛り上げようとしていたが、致し方ないながら、その雰囲気をつくることは、B組にはできなかった。

入場門をはさんでB組とA組の席は分かれていて、ふとA組の席に方に行って女子のダンスの盛り上げを煽っていたとき、生徒会長がクラスメイトを一人つれて真剣な眼差しで私の元にやってきた。

「自分たちのピラミッドが成功して、B組が立たなかったのはかわいそうだ。どうにかしてもう一度チャンスをつくれないか」

答えに悩んだ。生徒たちの気持ちはよくわかる。あれだけの悔しさを露呈していれば、立たせたかったピラミッドを成功できなかったことは「かわいそうだ」というのは自分も同じ気持ちだった。しかし、流れは決められている。ただでさえ光化学オキシダント注意報のおかげで日程を短くしている。できるとも、できないとも回答できないなか、どうすればいいかわからなかった。別言すれば、私は判断から逃げた。

そうして、生徒会長ともう一人を連れて、生徒指導主事の先生の元に向かった。彼の判断と指示はとても的確で、私自身が「そう言えばよかったのか」と学んだほどだったが、とてもシンプルなものだった。

「体育の先生を通じて、校長先生の判断を仰ぎなさい」

当然この日の現場責任者はその体育の先生であり、また学校組織の意思決定の最終責任を持つのは校長である。考えればわかることだったが、それに気づけなかったのは私としては不甲斐ない。他方で、生徒指導主事の先生の一言は、一見組織人のセリフに聞こえるが、その後ろ側には生徒たちの気持ちへの慮りが感じられる。まるで、生徒会長たちの背中を押すような一言。そして彼ら2人は、トラックの外側を歩き、本部席に向かった。


保健体育委員長の彼は、B組の仲間に慰められつつも、女子のダンスの途中で席を離れ、本部席に向かいだした。彼にはまだ、全演目終了後の整理体操と保健体育委員長としての言葉を言うという役が残っている。気持ちの整理がついていないだろうが、最後まで責任を全うしようとしている姿には胸を打たれた。本部席に向かう彼に、私は声をかけた。「生徒会長たちが、B組のピラミッドをもう一度立たせられないかと直談判に行った」その瞬間、保健体育委員長の目は大粒の涙であふれていた。腕で涙をぬぐいながら、彼はトラックの外側を本部に向かって歩いて行った。

女子のダンスが終わり、体育の先生からアナウンス。「もう一度、B組のピラミッドを行います」 涙をぬぐいながら入場門に向かうB組のメンバーの姿からは、気合がみなぎっていることが感じられた。

本番当日、3年B組の5段ピラミッドは、最後には成功を収めた。


おそらく、このエピソードに関わった全ての人に、「リーダーシップ」というものがあった。自分たちで創り上げる体育会の成功というビジョンに向けて、全力を捧げてきたが故に、本気を出したが故に、こみ上げる悔しさを抑えることができなかったのだろうし、なんとかして成功して終えたいと思ったのだろう。それぞれの、本気の熱意と当事者意識が、それぞれの行動を呼び起こした。そこには、生徒と先生という、ともすれば対立構造すら生みかねない立場の違いすらも見られなかった。少なくとも、今年の組体操委員たちは、先輩たちの姿に憧れ、その伝統を引き継いで自分たちなりの演技を創り上げようと心に決め、そして本気を出してきたし、教員たちもその姿を見て、支えてきた。

今後、組体操がどうなるかはわからない。昨今の議論の流れから、無くなる可能性だってあるし、残る可能性だってある。ただどちらにせよ、来年を担う生徒たちにとっては試金石とも言えるだろう。残っても安全性へのチャレンジだし、無くなったら新たな演目へのチャレンジ。それもあってなのだが、つい先日から生徒会のサブ担当となったので、新任役員たちへのリーダーシップ研修で、この組体操にまつわるエピソードの話をした。

リーダーの仕事は、現状の課題と理想の状態との差分を取り組みで埋めること、それを本気で推し進めること。そのために、みんなが同じビジョンを共有することが大事。私は、この「リーダーシップ」のあり方を、図らずも生徒たちによって再認識させられた。


保健体育委員長は、ピラミッドを成功させた後の閉会式で、落ち着きをもたせつつも、しかし短時間のうちに生じた感情の波からくる熱を抑えきれない状態のまま、最後の挨拶を述べた。

「今回の体育会で、友達の大切さを学んだ。自分を支えてくれる友達の存在があって、成功させることができた」

彼を支えたのは、その実、彼自身の本気さであり、その本気さが人々を動かした。あらためて、その尊さを学ぶことができたこのエピソードは、間違いなく僕にとって2019年の最も大きい学びだった。

もう、大切なことに気づけている、この中3たちは、年が明ければ受験を迎える。どうか、自分の進路へと向かって、本気を出しきってほしい。そして、互いを支えあってほしい。

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