#人事ごった煮 宮古島交流会レポート: 「ソトのこと・ナカのこと」

11月30日と12月1日、1泊2日の弾丸で宮古島に行ってきた。以前にもブログに書いたことがある人事コミュニティの「人事ごった煮」の超交流会と称して、ごった煮の常連でもあった元人事・現グランピング施設COOの方、そしてまちづくりのデザインを行う企業の宮古島での事業責任者の方のご厚意で、宮古島に人事界隈の人々が集まる、という会に参加してきた。すこし真面目なインプットをして、あとは食卓を囲んだり、風呂を共にしたり、お酒を介したりしながら交流しましょう、という会だった。

本当は行くか迷った。飛行機代もかかるし、行っても滞在時間は短いし、部活動もお暇をもらわねばならないし。それでも、教員になったから余計になのか、いろんなコミュニティに触れつづけながら、それを広げていくことに価値があると思って、思い切って参加した。そしたら、思った以上にインプットが多かった。


空港のターミナルを外に出て、愛車であるDahonのViscを組み立てる。11月の最終日ということもあって、ある程度寒さもあるのかと思ったが、宮古空港のターミナルの外は半袖で十分だった。漕ぎ出して以降も、降り注ぐ日差しのおかげで上着がいらない。絶好のサイクリング日和にあって、ライドの目的でもあった、無料で渡れる日本最長の橋である伊良部大橋も、追い風と晴天のおかげでとても気持ちよく渡りきれた。

自転車が好きなのは、車では感じられないさまざまなことに考えを巡らせることができるから。たとえば、伊良部大橋を渡ってたどり着く伊良部島(ちなみにここの上り坂がしんどくて酸欠気味になった)を走ると、道端の花がハイビスカスだったりする。酸欠気味になったので腰を下ろしたときに近くを飛んでいたハチっぽい虫がよく見るそれと違う形だったりする。道の途中に看板があって、その島の学校が小中一貫校だということを知る。一番驚いたのはお墓の形状で、それはもう頑丈な造りになっていて、嵐の多さを感じた。

家の形や年季の入り方、すれ違ったり追い抜いたりする車、かわいい音のクラクションを鳴らしまくりながらスクーターで暴走行為まがいをする若者、聞こえる波の音、そしてどこまでも青さが続く海と空。そこから、島のことをなんとなく想像する。折りたたみ自転車で回ることの楽しみは、そういうところにあるのだ。それが自分にとってのリフレッシュになるらしい。


交流会は、そもそも集まった人たちで湧き上がる話をして関わり合いましょう、というものだから、さしてコンテンツなどなくても進んでいくし、逆にコンテンツがあったとしてもそのコンテンツに従って動くわけではなかろう。でも、今回のメインコンテンツだった1時間のセッションは、教員としての僕にとって、そう遠くない、いやそれどころか、とても近いテーマだった。

宮古島に移住してグランピング施設の事業を展開する人。宮古島でホテル事業を進める会社でその事業責任者をする人。今回、メインコンテンツを引き受けたその二人は、移住した先である宮古島のことを語るために、ある種「よそもの」である自分たちだけでなく、「なかのひと」をゲストとして迎えて話を進めてくれた。興味深いのは、その「なかのひと」である2人のゲストは、今でさえ宮古島を拠点にしているものの、一度島を出てから戻ってきた、Uターンの若者である、ということだ。

話されたことをざっくりまとめるとこんな感じだった。

  • 元は発着訓練所だった下地島空港の国際空港化に目をつけた各種デベロッパーが開発に乗り出しリゾートバブルに
  • クルーズ船を誘致する動きも相まって、年20万人ずつ程度で観光客が増加し今や100万人に
  • リゾート運営の人手は島の人だけでは足りないが、開発バブルのおかげで家賃が跳ね上がり、現地採用も内地採用も難しい状況に
  • 高校を卒業して大学に行こうとすると結局島を出る選択しかなく、そうでなくとも一昔前はマックすらなかったから島が飽きた・出たい、という思いも若者にはある
  • 島はこれから確実に少子高齢化の波、特に生産年齢人口の減少に苛まれていくことになる

観光という資源があるとか、島以外との主要な交通接点が飛行機しかないとか、そういう差異はあるけれど、このインプットを得て思ったのは、「ああ、今いるところも、状況は近いな」ということだった。


今、どちらかといえば地方・田舎に区分されるエリアで教員をしていて、この地域も、高齢者が増加する一方で子どもの数自体はさほど変化がなく、全体として人口が減少していて、つまり生産年齢人口の減少がいちばん顕著である、という課題に直面している。そこに突きつけられる現実は、(特に若者は)魅力的な仕事がなければその地域を出ていくことになる、ということだ。幸いにして、福岡市と北九州市の中間にある街であり、市内や隣の市にも大学があるから、街に留まっても高等教育を終えることができるが、少なくとも若者たちは、この街で過ごすことを「刺激的」とは思っていないんじゃないかと勝手に類推する。

中学校教員をしているなかで、最終的な進路決定の折には、「この街で生きていくか、この街を飛び出していくか」という選択をある程度意識してもらう必要があるんじゃないかと思っている。宮古島は、その選択をよりストリクトに求められる場所のように思えた。他方で、この「留まるか、飛び出すか」という話は、地方・田舎と括られる場所であれば確実に直面する話だと思っている。

働き方改革の流れや、IT技術の進歩によって、都心と地方を行き来する多拠点生活ができるようになってきたのは幸いなことで、情報という刺激を得ることと、その刺激をじっくり消化することと、その両方をバランスよく保ちながら、一度飛び出した人たちもいずれ戻ってくる、ということが容易になってきている。事実、セッションのゲスト2人は、一度島を出て外の刺激に触れたのちに、地元に還元したいという想いを持って戻ってきた人たちだ。

「ならば外の世界を見せればいいじゃないか」といって、地方においてあえて都心部の様々な仕事の在り様を見せるということ【だけ】がソリューションだとは到底思えない。セッションの議論にもあったのだが、様々な選択肢の可能性があることを見せることも重要であると同時に、戻ってきたときに魅力に感じられる仕事をこの街のなかでつくっていくことも大事なわけで。いいかえれば、外に出る魅力も、中に留まる魅力も、両方とも選択肢として提示できなければ、出る・留まるが判断できないんだと思う。

つい先日友人から聞いた話で、中学生くらいの発達段階では、時間軸の広がりを認知するよりも先に、空間軸の広がりを認知するほうが発達するそうだ。言い換えれば、未来のことを考えるのは難しくて、それよりも「いろんな仕事があるんだなぁ」を知る方が容易だという解釈ができる。加えてある調査では、コミュニティを広く持っている10代の方が未来志向が強いらしい。そんな話を聞いたあとで、宮古島という、出ることがある種前提にありながら、出た人に「戻りたい」という気持ちを強く持たせる様な場所での状況を知るにつけ、若者たちに示すべき「魅力」や「選択肢」は、ウチとソトの両方に持った方がいいんじゃないか、と思う。


ところで僕自身は、地元を離れて縁もゆかりもない土地で教員をしていて、その意思決定には思い切りが半分と、どこでも生きていけるという楽観が半分と、というのがあったのだが、とはいえこの地を自分が根ざす土地だと思うかというと、実はそうでもない。地元である茨城県古河市への執着は、割と強い。そのことは別の記事にも書いたことがあるが、その意味では自分にとって「ただいま」といえるような場所はいくつか存在している。

外から人を迎え入れる上で、いきなりの移住は難しい分、関係人口をどう増やしていくか、というのがセッションのキーワードになった時間があった。それで改めてそのワードをググってみると、総務省のサイトにこんな定義が載っていた。

移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域や地域の人々と多様に関わる人々のこと

だとすると、宮古島は「交流人口」がやってくることに関しては、他の地域に比してもとても恵まれていると言っても過言ではない。ならそこから「関係人口」というフェーズに移るためにはどうすればいいのか。

割と答えはシンプルな気がしていて、そのゴール像は、また来たときに「ただいま」と言ってもらえるかどうかだと思う。そしてそのために必要なことは、その地に住む「定住人口」にあたるローカルな人との、生身の接点だと思う。「宮古島が、ハワイと同じになっては意味がない。だから、宿泊施設に現地の人を採用しながら、宿泊施設を単なるリゾートにせず、ローカルとの結節点・ハブにするんだ」ということがセッションで話されていたが、まさしくその観点があるかどうかが、関係人口を増やすカギなんだろう。

「関係人口」に類される人々の、ローカルにとっての効果とは、思うに「外からの刺激」なんだと思う。もちろん、ちょくちょく来て消費をして経済を回すということへの期待もあると思うが、それ以上になかなか気づかれにくいメリットは、ウチにはないソトからの刺激が混ざり合うことで、その地がもっと強くなっていく、というところにあるんだと思う。なら逆に「関係人口」に類される人々にとっての、ローカルの効果というのはなんなのだろう。


その点でセッションで指摘されていたことが、「ローカルに存在する社会課題」だった。言われてみれば「確かに」と思う、目から鱗の指摘だった。つまり、ローカルで生活を営んで見ると、よく言われる社会的課題が、手触り感をもって見えてくる、ということだ。宮古島におけるそれは、たとえばそこいらじゅうの浜辺でしょっちゅうビーチクリーンをしているという現実、つまりそれだけゴミが多いという課題。で、このことは、私が今教員生活を営む地においても、よく言われる社会的課題が目の前の現実として横たわっているというのをよく感じる。

後から風呂で話になったのだが、手触り感を持って社会課題に触れるということは、都心部でバリバリにビジネスをしている人々にとって、とても良質なインプットになる、ということだ。没入しているビジネスパーソンほど、どうしても自分の仕事が社会の役に立っているという実感を持ちにくいのだと思う。でもその営みは、遠からず近からず、社会の課題を解きほぐしているはずで、その視点を持てるかどうかで、仕事への捉えかたも変わってくるはずだ。その観点で「地方」に関わることの意味を見いだせれば、人の行き来に限らない活性化というのが図れるんじゃないかとも思う。

僕はずっと、社会課題に対する関心が高い人間だったから、こんなことを考えるのかもしれない。でも、これからの世の中の流れを考えると、さまざまな「仕組み」「システム」が生み出してしまったひずみみたいなものが、「社会課題」というラベリングをまとってどんどん出てきて、それらから逃れることができない時代がすぐそこに来ていると思う。いや、もっといえば、「社会課題」みたいに大きな枠組みでひとくくりにはできない、いろんな人のいろんな困りごとがたくさんあって、それらに一つ一つ寄り添い・解きほぐしていくことが求められる時代に突入していると思う。

困りごとへの感度を養い、いっしょにどうにか乗り越えることを考え、そして行動していく。それは多分、地方と呼ばれる場所においては、「なかのひと」にも「よそもの」にも、両方に必要になってくることなんじゃないか、と思う。


なーんてあたりの話を、ぐるぐると考えた1泊2日になった。答えは出ない。でも、自分自身が「関係人口」の一人として、今いる場所で人が育つところに関わっている以上、避けては通れないことを考えるに至った時間を過ごすことができた。一つそこに加えるとすれば、そういう思考を巡らせる環境として、真っ白な砂浜と透明度の高い青い海の存在は、ずるいと思えるほどに最高の環境だったな、と思い返す。

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