新しい風が吹く、古くからの場所で – #宮古島大人の修学旅行 2022 のレポート

宮古島に、友と新しい出会いとを訪ねてきた。

人生で3回目になる宮古島の訪問、以前と今回のいずれも 三浦孝文 さんと 安部孝之 さんの呼びかけによる交流会への参加が主な目的だった。今までと違い、今回は「人事」という文脈から少し離れたビジネスパーソンたちによる集まりだったが、ただ離島に行って「ウェイ」となるのではなく、宮古島で何かのチャレンジに向かっている人との出会いを通じて、参加者たちが「関係人口」になっていくような仕掛けが用意されていた。私の過去の学びは、以下の記事からも読んでもらえる。

#人事ごった煮 宮古島交流会レポート: 「ソトのこと・ナカのこと」

宮古島での「 #人事ごった煮 」交流会の振り返り

そして、参加者の文脈を少し広げた今回、そのタイトルは「宮古島大人の修学旅行2022」となった。修学旅行は、その記憶に残るのは仲間と共に楽しく過ごした時間であるのが常なもので、「修学」の要素は案外記憶から遠のきやすい。しかし私は、生真面目さが故だろうか、「修学」の要素から何かを得たいと感じることが多い。さて、今回私は、何を感じたんだろうか。また帰りの飛行機の中で、考えを巡らせてみようと思う。


「マリンレジャーをしないのにこんなに宮古島を楽しむ人は珍しい」

宮古島本島から橋を渡って到達できる来間島にあるグランピング施設・RuGuの経営者である安部さんが、笑いながら私にそう言った。

RuGuでの1泊2日のステイを終えた11月6日の日曜日の夜。翌・7日も宮古島に滞在するメンバーと「後夜祭」と称した飲み会の後、この記事のように最近酒に苦手感を覚えている私は、その会ではアルコールを一滴も取らず、その代わり、借りたレンタカーで夜のドライブに出かけることにしていたため、安部さんをご自宅までお送りした。

平良から下地の方まで向かう道のりは、ナビを設定しなくてもなんとなく分かっていた。「ああ、この道は県の合同庁舎を通るから、ということは市役所の新庁舎を脇を通って、それで空港の反対側にぶつかりますね。滑走路沿いに行けば390号にぶつかるから、そしたら下地に向かえそうです」なんて話しながら、安部さんには「方向感覚が飛び抜けている」「ふつう来島3回目でこんなに道を覚えない」と言われた。一度来た道はだいたい覚えている、という特技が発揮された。

今回は、前2回と違って、折り畳み自転車を持ち込まなかった。しかし、2回の滞在を通じて、伊良部島や池間島へ出向く橋への道のりと橋渡りのしんどさ、中心市街地から来間島に至る位置関係と起伏の大変さといった、土地勘を掴むことができていた。今回はさらに、夜のドライブを通じて、島の東側の先にある東平安名崎にも至ったので、想定以上にこの島が大きいことに気づかされた。結果、借りたレンタカーのナビで、目的地設定をすることは全くなかった。

離島という、大きさが限定された場所だからかもしれないが、たった3回しか人生できていないはずなのに、土地勘を掴んでしまうのは、確かに珍しいかもしれない。でもそうなるのには理由がある。私はどこか、その土地において、どこに何が存在して、そこでの生活はどう育まれてきて、どう営まれていて、どこへ向かおうとしているのか、ということについての関心が異常に高いのかもしれない。


2年も間が空くと、島にも変化が訪れていて、間もなく開業するヒルトンは建物にロゴを冠しており、有名お笑い芸人が自分のお店を出店しており、地場系スーパーのサンエーは宮古空港付近にショッピングセンターを設置してそこに無印良品が上陸していた。そうそう、2年前の自転車ライドで「ほぉ、ここが合併後に市役所にあてがわれたのね」と思っていたのに、新しい市役所が落成していた。

青い空・碧い海・白い砂。多くの人が惹かれるそうした要素以上に、その土地に在るものや風景に関心を寄せる私は、どうやら「あれ、ここにこんなんありましたっけ?」という気づきを皮切りに、自分がこれまでに見てきたさまざまな土地を参照枠にした特異性と普遍性に目を向けるようになる。そうすると、案内をしてくれる安部さんの話が、楽しくて仕方なく感じられる。天候不順で物流が滞り、結果、マクドナルドが営業できなかった、という話には驚かされた。

雨予報だった滞在3日間は、結果、曇りこそすれ、雨に見舞われることはなかった。もっとも、日曜日の午前は予報とはことなり大いに晴れた。与那覇前浜、佐和田の浜、サンセットビーチと、訪れた浜には静かに波が打ち寄せ、その波を生み出す遠浅の海の色は深さの違いを感じさせるほどに異なる青みを発し、白い砂浜に映えていた。自転車で体力を削るというドM行為をしなかった分、青い空・碧い海・白い砂を、そのあるがままに、美しいととらえることができた滞在だった。それはまるで「なにもしない、をする」とも言えるかもしれない。

事実、何人かの参加者は「何もしない、をする」という表現を使っていた。それは、日々を都心で目まぐるしく過ごすビジネス戦士たちである今回の参加者による実感を伴った言葉であり、またその「何もしない、をする」ことによって余白を生み出し、それが日々をまた過ごしていくために大事な要素であることもわかっている。そしてこの「何もしない、をする」という言葉は、観光客・関係人口・移住者・宮古人という関係性について議論をしているときにも出てきた言葉だった。


だけど、ここには違和感がある。「何もしない、をする」場所である宮古島は、「何もない」場所ではなく、そしてそこに住まう人々は「何もしない」のではなく、何かしているのである。

福岡の田園風景の地を離れて半年経ち、東京駅から徒歩圏内となる大手町に勤める都市生活を再開しても、自分の頭の中には「地方と人材」というテーマはこびりついてしまっているようだ。前2回よろしく、今回も「地方と人材」ということを考える時間になったのは言うまでもない。なにせ今回も「島ゲスト」が登場し、パネルディスカッションが行われたからに他ならない。その一部始終はここにまとめておいたので見てもらえればと思っている。

今回の島ゲストは、島で学習塾運営の後に通信制高校立ち上げをおこなったGさん、高卒後に島を出て都内で大学社会人を過ごして最近UターンしたAさん、そして、移住してレンタルスペースを運営しているシンガーソングライターという3人。ちなみに学びの時間の後の食事会の席でそのシンガーソングライター・tomokaさんの歌声を聴いたが、ハンパない素晴らしさだった。で、その3人に共通していたのは、宮古島に流れる文脈とリズムに寄り添いながらも、新しいチャレンジをしようとしている、ということだった。

3人の島ゲストのうち前者2名は、どちらも宮古島出身の「みやこんちゅ」な訳だが、その2名は現在「宮古島冬まつり」というイベントの企画準備をしている。Gさんはイベントを主催する一般社団法人の代表理事、そして20代であるAさんは第3回となる今回の実行委員長となっている。そのイベントは前回で3000人動員、今回は5000人動員を目指しているらしい。その「冬まつり」のコンセプトは、観光的になかなか人が来ない冬の時期にこそ、島民が島の魅力を再発見し、島民自身が自分のやりたいと思うことにチャレンジしたいと思えるようになること、だそうだ。


地方における活性化と人材育成、と聞くと、私は必ずと言っていいほど、宮崎県小林市の「日々のうたごえプロジェクト」を思い出す。名作「田舎女子高生」の歌詞は、地方に住む若者のリアリティそのものだと思う。ちなみに私は、小林市を訪れたことはない。

いいとこなんてマジなんもねぇ。

というサビの歌詞が、最後の最後には

いいとこなんてまだ分かんねぇ。当たり前すぎてマジ気づかねぇ。

に変化する。

そう。地域の魅力と言われるものは得てして、若い人たちには気づかれない。

「何もしない、をする」ことを求めてきている人たちにとっての魅力は、(人工的/人為的なものが)「何もない」ことであり、「何もない」ことが旧来から在るものを際立たせると同時に、その際立った「在る」ものというのは、得てして都会の生活では得ることができないからこそ、観光客はそれを求めて宮古島を訪れる。そのうち魅力により吸引力を感じた人たちが、移住者として宮古島に辿り着く。

しかし、都心に集中する人工的/人為的なものに関していえば、田舎には当然「何もない」わけであり、当たり前として常に横たわっている「在る」ものは、具体的な事物だけでなく時間的な余白も含めて、当たり前どころか古臭さや不便さという印象を纏って忌み嫌われるものと化していく。結果、外の人間にとっての吸引力となるものごとは、中の人にとっては反発力となる。まるで磁石のようであり、それはいつだってどこだって同じことが起きる。

さらに言えば、宮古島に来る大半のリゾート観光客は、「何もしない、をする」ために来ているのであって、青い空・碧い海・白い砂と、それらを目の前にした時間の余白に惹かれてきているわけであって、島が育んだ歴史や、営まれる生活に目を向けようとする、いわゆる「地方の魅力」までは求めていないことが多い。つまり、島の生活や文脈を知りたがる私のようなオタク気質な楽しみ方をする方がむしろ稀であり、いわゆる「地域の魅力」に挙げられるような連綿と続く地域の資源は、大半のツーリストには届かないかもしれない。それほどに、青い空・碧い海・白い砂が、力を持ちすぎている。


パネルディスカッションで印象的だったのが、若者にたちになぜ地域の魅力を知ってもらうことが重要か、というロジックだった。曰く、「マジ何もねぇ」という意識のままにティーン時代を過ごし、高校を出て進学で都市部に行くと方言が通じずに劣等感を覚える、と。それを跳ね返すほど「自分の地元はいいところだ」と言えればいいものの、そう言い返せずに自己肯定感を失い、より都会化され、一仕事を終えた30代後半になってようやく戻ってくる、と。

だからこそ、方言が通じずバカにされた気分になっても、跳ね返せるほどの「魅力」を語れるようになっていたほうがいい、というものだった。実際、なぜ海ガメを見るツアーが観光資源として確立しているのか、地元の若者には「意味がわからない」らしい。加えて、歴史的な背景もあり、宮古島には謙遜の文化が根付いており、それも相まって、「どうせうちなんて」というマインドになりやすいようだ。

しかしここ数年で、状況は変わりつつあるらしい。というのも、Uターンする世代が思ったより若くなってきているそうだ。20代のうちにUターンする宮古人は、島外で出会った非宮古島出身者と一緒に何かをするために帰ってくる、というパターンが増えているらしい。また、SNSの発達によって情報の距離的格差が縮まる感覚があり、島外に出た若者に「ちょっと手伝ってよ」というハードルが下がっている様子があるみたいだ。「冬まつり」が行われるのも、その流れのなかにあるのだろう。

他の地方に比べて宮古島が特異である点があるとすれば、それは、あまりに強烈な「青い空・碧い海・白い砂」と、そこに流れる余白のある時間に魅せられた島外の人間が、宮古島を住むところに定め、そこで何かを興そうとしていることだ。事実、移住者によるリゾート的要素のビジネスは広がり続けているようで、その意味で言えば、宮古島は新しい風が起きやすい場所になっていると言える。情報や考えが、アップデートされていく場所とも言えるのかもしれない。

新しい風を起こせる場所としての宮古島、という捉え方、言い換えれば、チャレンジのプラットフォームとしての宮古島、というのは、大いにありうる考え方かもしれない。事実、観光が大きな産業となっている宮古島は、人の出入りが多い場所とも言えるわけで、つまりさまざまな人を受け止めるだけのポテンシャルがあるからこそ、新しいことが起きる可能性に満ち溢れていると思う。ただ、そこには何かの要素がないと、それぞれのクラスタの人々が、ただただそれぞれの望むところにおいて行き交うだけになり、何も起きずに終わりかねない。


単なる行き交いを、混ざり合いに変える。そのために必要なのは、案外昔から言われている「温故知新」かもしれない、と思い至った。

その土地には、その土地が紡いできた文脈がある。たとえば宮古島の場合、前々から立っていた予定よりも、目の前の状況のほうが優先されることがあるらしい。はたまた物事が動くときには、目的やロジックよりも「誰それさんの知人だから」というのが強く働きやすいそうだ。そうした、人の心が優先される在り方というのは、頭ごなしに「古臭い」としても無意味で、そうなった所以にあたたかい眼差しを向けることが大事だと思う。

幸い、宮古島は「知新」の面においては条件が整っていることは書いたとおりだ。ただ、その新しさを、その地に流れる文脈を無視して、まるで破壊するかの如く開発を行うのは、なんというか、暴力に他ならない。今回の島ゲストも、「宮古島は変化していく。しかしその変化が、大事にしてきたものを壊していく様を見るのが悲しい。変わっていくにせよ、その方向性はコントロールできるはずだ」と述べていた。島の人が、自分自身の手で新しいことをしようとしなくてもいい。ただ、新しいことをしようとする人の伴奏者となれるといいんだろう。

教職から離れ、福岡・飯塚からも離れ、半年が経った。しかし今年度、完全にリモートの状態にありながら、飯塚のとある中学校のキャリア教育プログラムのコーディネートに参画している。7クラスある中3の学年に対して、街をより良くしたいと思いながら活動をするさまざまなジャンルのゲストを13人当てがい、1大人に対して20人程度の生徒になるように、生徒の希望するジャンルの大人の話を聞けるような設計にして、「取材」と称して話を聞く。そこから得た情報をもとに、ポスターやエッセーを制作し、地域と自分自身の関わりにおいて、自分の進路を見出そうとする取り組みだ。

案外、街には、その街のどこかに魅力を感じ、より良くしようと関わっている人がいる。それは宮古島や飯塚に限った話ではなく、どこにおいても、だと思う。宮古島の場合、その人たちが、宮古人である場合もあれば、移住者である場合もある。そうした人々が、何を想って動き、その土地の何に寄り添っているのかを、できるだけ若いうちから感じることができれば、「何もない」のではなく「何か在る」と思えるようになるんじゃないだろうか。

チャレンジに取り組もうとしている人のストーリーが、人を引き寄せる磁力となり、そうしたチャレンジが起きているという事実自体が、新しいチャレンジ自体を引き寄せる磁力となり、結果として、地域がこれまで紡いできた「魅力」とよばれる文脈に立脚した、新たな「魅力」が生まれてくる。何かを壊すチャレンジではなく、積み重ねられたものの上に新たな息吹を被せるチャレンジ。そうした重なりが、新しい風となって、風通しを良くしていくようになったら。

そういえば、風はあたたかい方から吹いてくる。温故がむしろ、新しい風を吹かせるというのは、あながち理にかなっていないわけじゃなさそうだ。


そんなことを考えながら、風に乗った飛行機がもうすぐ羽田につきそうだ。明日になれば、障がい者雇用担当としての日々に戻ることになる。でも、ここまで考えてきたことは、実は自分の仕事に無関係ではないと気づくことができた。多様性のある場所を作っていくことのポイントは、新しさを取り入れていくことよりもむしろ、その場に流れる文脈に丁寧に耳を傾けることなのかもしれない。まだこのあたりの考えは生煮えな感じがあるから、またどこかで話せたら、と。

そのためにも、また宮古島に出向きたいなぁ。今度は、マリンレジャーの一つくらいはしようかしら。

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新しい風が吹く、古くからの場所で – #宮古島大人の修学旅行 2022 のレポート」への3件のフィードバック

  1. 宮古島へ行っていたのは、単なる遊びのためではありません。ん、まぁ、学びを楽しむのも含めて、僕にとっては遊びみたいなもんでもあるんですけどね。

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