【長編】音楽のエッセー

明日は秋祭演奏です。
その告知は後でしますが、その前に。

演奏本番前はここのところ、物思いに耽ることが多くあります。
正直言うと、秋祭の実感がないままソーセージを焼いたりしていたのですが、
気がつけば明日は、活動上非常に重要で、またある程度集客見込みのあるステージに立つ訳です。

ここ最近指揮者のいう、常に見られている、ということを改めて思い返しました。
そう、ステージに乗るということは「entertain」するということですね。
これは、人を楽しませる、という動詞でして、これをする人がentertainerなのですが、
つまり明日は、自分が楽しむのではなく、人に楽しんでもらう演奏をすべきな訳です。

見られている意識=見ている人を楽しませようとする意気込み

パフォーマーでありエンターテイナーである我々演奏家は、
そのことを意識せねばならんのですね。
明日はがんばろう。

、、、という、このような境地に達したのもごく最近な訳であります。
PCをあさっていたら、AO入試の「自由スペース欄」(A42枚分)に直接印刷をした、
音楽に関するエッセーを発見して読み返しました。
だいぶ、そのとき考えていたことからはズレていないけれど、
でも考えるベクトルが少し先に伸びたような気がしました。

なので、今回はその、時系列順に出来事を並べて感想を付け加えただけの、
全く持って流れるような文章となってしまった、
あのAO入試で苦し紛れに書いた「音楽のエッセー」を掲載してみたいと思います。

—設問—
下のスペース(A4用紙2枚分)を自由に使ってあなた自身を表現して下さい―――――

—本文は以下—
音楽のエッセー

 このAO入試に向けての書類をまとめていく過程で、一度自分の生い立ちを振り返ってみた事があります。そして、遠藤忍がのっかっている人生という椅子には3つの脚がついている事が分りました。3本脚の椅子はどんな場所でも一番安定する椅子です。脚の数が増えればバランスの取り方が難しくなり、脚の数が減れば必ず倒れる。つまり、その3つの脚は遠藤忍が最低限安定するために重要な脚なのです。その3つの脚とは、政治、英語、そして音楽。政治は目標、英語は特技、音楽は趣味なわけですね。
 で、このAO入試の書類では主に、特技の英語を材料に目標の政治を語ってみました。かなり堅い文章になった事は間違いありません。でも、それだけでは椅子が崩れます。趣味の音楽も書かなければ、遠藤忍は椅子から落ちますね。それは嫌です。落ちたくありません。前置きが長くなりました。本文も長いですが。要は音楽の事をエッセーにして、この部分を含めた書類全体を通して、私遠藤忍の全体像を伺い知っていただきたいのです。

 私にとっての音楽との出会いは演歌に触れての事でした。幼い頃のカラオケの十八番は演歌。童謡ではなく、演歌。小学生になり、もちろんテレビではJ-Popを耳にするものの、音楽志向はどちらかと言えば古い志向でした。それがあるときターニングポイントを迎えます。洋楽との出会いです。小6の時の担任の影響でビートルズの「1」というCDを買いました。これが人生初のCD。クオリティの高いビートルズの曲は一発で私の頭に入ってきました。いまでも収録曲はほとんど口ずさめます。

 本格的にパフォーマーとして音楽を楽しみ始めたのは中学校から。吹奏楽部のテューバ奏者としての生活がスタートです。本当はサックス志望でしたが、テューバを吹くうちにいつしか低音の魅力にはまってしまっていました。コンクールや定期演奏会など、とにかく演奏する事が好きでした。仲間と楽しく演奏できる事に喜びを感じました。聴く音楽のジャンルは、中2でiPodを手にして以来一気に幅広くなりました。クラシックやJ-Pop、洋楽など、気になるCDがあればすぐにレンタルしてたくさん聴くようになりました。
 中学校当時の私の心で、音楽というものが深い意味を持ったイベントがあります。校内合唱コンクール。3年連続して指揮者としてクラスを引っ張っていきました。特に2年の時は、あれだけ合唱に対して消極的だったクラスが、練習するたびに徐々に一つになっていき、本番の時はものすごい一体感を味わい、皆で音楽することへの達成感と感動を味わいました。音楽で仲間の大切さを深く知るという経験はそれまで味わった事がありませんでした。

 高校に入ってから、音楽が私に与える意味はさらに変化していきました。1年生の10月にアコースティックギターを手にします。地元の友人が駅でストリートミュージシャンをしていて、彼らの演奏を見ているうちに自分も・・・と思うようになりました。自分がギターを演奏するようになって、ストリート出身のアーティストの曲を聴くようになります。高校に入って、いろいろな環境の変化や人間関係などに悩み、へこんでいる日々が多くなりました。そんな辛さを晴らしてくれたのが、友人のストリートライブでした。決して上手とは言えないけれど、アコギのサウンドと彼らの歌声を生で聞くことで心が癒されました。自宅に戻って自分もギターを手にして演奏することでさらに心を落ち着かせていました。日頃聞く音楽はいつしか、自分自身を癒すために聞いていました。歌詞の内容をじっくりと味わい、時に涙を流す事もありました。
 吹奏楽部員としての生活は高校に入っても続きました。最後の1年間の充実ぶりはものすごいものでした。金管8重奏のメンバーとしてアンサンブルコンテストに臨みましたが、最初のうちはなかなか思うようにいきませんでした。女子7人、男子1人のなかでの人間関係は、最初はしんどかった。けれど日を重ねるごとにどんどん仲間としての意識が芽生えました。2ヶ月くらい、ずっと8人で練習する日々が続きました。練習は辛かった、けれど熱い2ヶ月間でした。本番、大きな一体感を感じ、心から仲間と演奏できることの楽しさを感じました。結果は銅賞でしたが、その8人でまとまってやって来たことは、大きな想い出の一つです。
 部員一丸となって準備し練習に励んだ最後の春の定期演奏会。最高学年の一体感はこの頃から高まりました。予想を遥かに越えるお客様に来ていただき、感動していただきました。演奏者自身も、大きな達成感に打ちひしがれていました。
 いよいよ最後の夏のコンクールに向け練習がスタートします。しかし、我がテューバパートは他のパートよりも遅れをとりました。というか、私が下手だった訳です。合奏中やセクション練習中に音が合わなくて何度も怒られてはへこんでいました。毎日ものすごく辛かった。そんなときに大切な事に気づかせてくれたのがストリートをやっている友人たちでした。ものすごく楽しそうにストリートライブをする彼らを見て、「そうだ、音楽は楽しむものなんだ」と、気づいたのです。そしてふと、一緒に2年半部活を続けて来た仲間のことを考えた時、「もっと一緒に演奏したい、一緒に楽しみたい」と考えるようになりました。次の日、突如コンクール曲を吹くことが楽しくなったのです。気持ちを切り替えてから、パート内での音も合うようになりました。日々の練習は依然きつかったけれど、楽しくなりました。夏合宿では朝から晩まで練習漬けでした。それでも50人のメンバーとの一体感はさらに高まっていきました。本番、最高潮のテンションの中、ステージの上では大いなる一体感を感じました。仲間と一緒に同じ時間を共に出来る、それが何より嬉しかった。地区大会から県大会への出場が決まった瞬間、久々に涙が出ました。県大会では結果振るわなかったものの、仲間たちとここまでやり遂げられたという幸せを大いに感じることが出来ました。

 吹奏楽部を引退して、音楽について振り返ってみました。そこには必ず人がいました。私と一緒に音楽をした人がいました。私を慰める音楽を奏でてくれた人がいました。私が音楽を通して得たのは、音楽そのものよりも人でした。人が書いた詩に心動かされ、人が奏でた音に癒され、人とともに演奏することで感動を共有できた。音楽を一つの手段として人とのつながりを意識できたことで、自分にとっての音楽は大きな意味を持つようになりました。音楽を通して出会った人々に、心を豊かにしてもらいました。そのことが、僕にとって誇るべき音楽の成果です。
 「趣味の音楽」と冒頭で書きましたが、こうして振り返れば音楽は趣味の範囲で収まるものではないような気がします。ともすれば椅子の3つの脚のなかで遠藤忍の人間性を形作る最も重要な脚は音楽ではないかと思います。音楽を心から愛しています。これからも愛していきます。音楽に触れることで出会う人たちと、一緒に心を豊かにしていきたいと切に願っています。

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