えんしのさんと私(以下げんさん)の出会いは、2022年11月。沖縄県・宮古島にあるRuGu Glamping Resortを経営する安部孝之さんや、人事界隈のイベントやコミュニティを運営されてきた三浦孝文さんの呼びかけで、大人の修学旅行に参加したことがキッカケでした。
宮古空港に着いた私を、皆が集まる会場まで車で迎えに来てくれたえんしのさん。事前やりとり(@facebookのイベントページ)でなんとなく顔と名前は知っていたものの、会うのは初めて。
会ったことがない人との待ち合わせって緊張するな〜と思いながら駐車場を歩いていると、車から降りて、手を振ってくれている人の影が。
開口一番、「オンラインだけじゃ、顔が分からなくて大変だったでしょう!」と言うえんしのさんに、この人はきっと、細やかな気遣いができる人なんだろうと、お人柄の良さを感じたものです。
その後、皆で夕食を囲んだ際、当時、工場人事や障害者雇用に関する課題に取り組んでいた私の話を真剣に聞いてくれ、喋る、喋る、喋る。その熱意に驚いたものでした。
今日は、そんなえんしのさんが、日々精力的に取り組まれている障害者雇用支援について、話を伺いました。少しでも興味を持たれた方は、ぜひ、ご清覧くださいませ。
この記事は、このブログ enshino.biz の所有者である遠藤忍が、自らの「とっちらかった思考を整理してもらいたい」と知人に呼びかけたことに端を発する企画『インタビューしていただく』の一環で書かれたものです。
著者紹介
宮元 ひかる(げんさん)
青森県出身。静岡で暮らしながら、福岡と東京の会社で広報・人事として働く。本名は宮元だが、宮本によく間違えられるので、ミライフ・キャリア・デザイン(4期生)で”げんさん”というあだ名を作ってみた。最近は、本名で呼ばれる機会が少ないので、ひかるさんと呼ばれるとちょっと嬉しい。
編集後記を先に 〜げんさんの視点から〜
私は、同い年の青年が「障害者雇用」というテーマに対し、こんなにも思考を巡らせていることに驚いた。
えんしのさんはよく喋る。ましてや今回のテーマは、えんしのさんが2年超考えてきた重要課題だ。それらを文字に起こすと、なんと、2万7千文字の超大作に!
私は殆ど「確かに」「なるほど」「うんうん」ばかりで、いかに、このテーマについく考えていなかったかを知った。冒頭、「障害者雇用からジョブの最適化や社員活躍の未来について考えていることを話したい」と切り出された時には、「何だか難しそうなテーマだな」という印象すら持ったものだ。
この無関心こそが、世の中で起きていることなのかもしれない。
私が通っていた小・中学校は、同じクラスに障害を持った友人がいて、特別支援学級で学びながら、一部、同じ授業を受けていた。給食や運動会、体育祭などを含め、学校生活を共にしていた。当時を振り返ると、障害を持った友人と過ごすことは決して特別なことではなく、自然なことだったように思う。
そんな友人に抱いていた印象といえば、絵を描くのが上手い、自分の好きな分野において記憶力がすごい(例えば、世界地図の内容を全て暗記して、それぞれの国の形を絵で描ける)、自分で創作した歌をずっと歌っているということだった。別の友人は頭文字Dが好きで、車の名前をたくさん覚えていたり、漫画に出てくるセリフを詳細に語ったりしていた。
バリアフリー施設がない学校に、肢体不自由のある友人が入学してきた時は、誰がその子をサポートするのか?(例えば、階段をゆっくり歩くその子を見守り、車椅子を運ぶ)など、クラスで色々と考えさせられ、議論する機会があった。しかし、特に大きな問題はなく、普通に学校生活を楽しみ、時に喧嘩しても仲直りするなど、他の友人と変わらない関係だった。高校生になれば、それぞれが自分の目指す道(進学・就職)を選択するので、自然な別れが来た。
しかし、学校生活と、社会は別世界だ。社会人になれば、多くの人に新たな役割が生まれ、様々な制約条件の中で生きることになる。大人になった私は、人事という職に就き、障害者雇用率制度の存在を知った。
従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員の障害者割合を「法定雇用率」以上にする義務があるというものだ。なぜ、こんな制度があるのだろう?と思って調べてみると、世の中的に、障害者雇用機会率が少ないことを知った。働きたい人の数に対し、受け入れ先がない状態ということだ。
特に、都会と地方では圧倒的な差があり、地方では20%以下の地域もあるのだ。これを知った時、小・中学校時代の障害者の友達の顔が浮かんだ。
あの頃の友人たちは、いきいきと働いているのだろうか?私の知り合いには、生まれつき片手が無いが、誰もが羨む大手企業で働き、誇らしげに仕事について語る人がいた。
過去、同じ職場で働いていた他部署の同僚は、聴覚障害があるが、いつもジェスチャーで会話してくれ、元気をくれる人だった。あの人たちは、やりたい仕事が出来ていたのだろうか?そもそも、障害の有無に関わらず、やりたい仕事が出来ている人なんて、世の中で一握りなのではないか?
人事として障害者雇用に取り組むと、綺麗に片付けられない色々な課題に向き合わざるをえない。例えば、会社のオフィスがバリアフリー対応でない場合、肢体不自由の方を採用するのはネガティブになってしまうし、任せたい仕事のことを考えると、どうしても軽度障害者の方が採用ニーズが高く、障害レベルに応じた就労マッチングが困難になったり、大手や有名企業の方が人気が高いために中小企業の障害者雇用は、より難易度を増していた。そもそも、組織課題を抱えていない企業は無い。
急な退職者が増えた、業務リソースが逼迫していて教育コストが避けないから、本音を言えば、新卒、外国人、障害者を採用出来る状況にないといった組織もある。会社の経営状況によっては、別の優先課題があるので、今は障害者雇用に取り組めないといった会社もある。
しかし、これらの課題を、中途採用や社内教育だけで解決するのは限界がある。つまり、これは、障害者雇用の現場だけで起きている問題ではない。
インタビュー冒頭でえんしのさんが言った「きっかけは障害者雇用だとしても、個に応じたジョブの最適化を図ることが、社員活躍、ひいては人材開発に繋がるのではないか?」という言葉が蘇る。
障害者雇用について考えたことがなくても、誰かがいきいきと働くためにはどうすれば良いか?と考えたことのある人は多いのではなかろうか?
この記事は、誰かのままならなさを支援したいと思ったことがある人に、読んでもらいたい。
インタビュー本編のノーカット書き起こし
障害者雇用って、何が課題なんですか?
えんしの 以下、地の文は、えんしのの発言
すみません。こんな休日にお呼び立てをして。
げんさん 以下、斜体・引用レイアウトは、げんさんの発言
とんでもないです。ノーカットということで緊張してますが、楽しみです。
ハードルを上げるわけじゃないんすけど、げんさんは一発目なんですよね。
※こちらのインタビューは、2024年3月17日に行われました
いやあ〜、緊張するな。事前準備は、したつもりではありますが。
ありがとうございます。どんなことになるかと私も緊張してますが、よろしくお願いします。
えんしのさんという呼び方で、インタビューさせて貰っていいですか?
どうぞ。
今日のテーマの確認ですが、えんしのさんが、障害者雇用に関してどのように捉えていて、どんな社会を作っていきたいか?ってことを深掘っていきたいなと。えんしのさんは、社会課題が存在するところで、人のお役に立ちたいという想いで動かれる方だと他のインタビュー記事で知ったのですが、初めて障害者雇用に取り組まれたとき、最初に感じた課題意識は、どんなことだったのでしょう?
え〜と。それが、一番とっ散らかってたかなと思います。
もう、何年ぐらい取り組んでいるんですか?
このポジションに就いて2年目です。2年目がもうすぐ終わるので、2年ぐらい考え続けてる。
では、着任して最初に感じた課題ってどんなものがありましたでしょうか?
何だったんだろうな。今のポジションに就く直前のときに、発達障害とか、見えない障害の人とどう生きるか?みたいなことへの関心が高まっていた時期だったんです。
教員の経験からもそうですが、世の中が寛容な世の中であるという風になってほしいと思ったとき、就労するってことに、どうやら、何らかの差し障りがあるらしいと。或いは、その受け入れをする側に、何らかの差し障りがあるらしいと。
これを解いていく。ほぐしていくってことが必要だよねってのが、何となくぼんやりと考えていたことだと思います。今もそう変わらないんだけど。
企業におけるインクルーシブってことについて、思うところがあったんだろうなと思ってます。当時は。
なるほど。そういった課題感というのは、障害者の方以外のアンコンシャスバイアス的な問題なのか、それ以外の、例えば、会社の方針的な問題なのか、どう思われていましたか?
企業の受け入れ側に、何らかの課題があるっていうのは、思っていたかもしれません。
何かしらの差し障りがある、ままならさがある障害者とラベルを付けられる人たちが、就労していく上での引っかかりがあるっていうような状態に対する不健全さみたいなものがあって。
当時、アンコンシャスバイアスとか、そこまでのワードの領域まで、多分、捉えていなかったと思います。今、言われてハッとしたぐらいですね。
どうすれば働きやすくなるのか?働くということに対する環境調整ができるのか?みたいな感じのことを考えてたのかな。
或いは、もっと認知を深めるとか、理解が深まるってことに対する関心が高かったような気がしますね。
企業(受け入れ側)が抱える課題って?
えんしの
僕は、2022年の5月に入職したんですが、その時点で、私自身の障害者雇用でやるべきジョブロールや、それに紐づくミッションも、明確に見えていたので、その背後にある社会課題みたいなところよりも、自社の取り組みや、そのジョブポジションに求められる職責の中でどういうようなことをしていくのかっていうことに対する考えをめぐらせることに時間をかけていたと思います。
一応、前段の話もしておきますが、うちの障害者雇用プログラムっていうのは、トータルの社員数に対する2.3%で算出される数の全員がそのプログラムに該当するわけじゃないんですけど、年当たりで、一定の人数の研修受け入れをして、その方々は就労経験が浅かったり、就労経験にブランクがある方を中心に雇って、お給料を支払いながら研修を受けていただく座組をやる研修型雇用というプログラムなんです。
これを動かしていってくださいと。そういう中で、どうすればそのプログラムがワークできるか?障害当事者っていう文脈から想起されるいろんなことに対して、その研修プログラムをどういうふうにあてがっていけばいいのか?みたいな感じのことを考える。
そういう、具体の社会課題みたいなものって、障害者雇用って大変だな〜ぐらいの感覚しかなくって。入職した当時は、まずはその職責上のプログラムをやっていくといったところに、頭が向いていた気がします。
げんさん
与えられたミッションきっかけで考え始めて、それに集中した感じですよね。
はい。それを2年もやっていると、なんというか、当事者意識なのか、社会課題に対して強く想うことが出てきたり、研修プログラム以外の取り組みで何かできることがあるんじゃないか?って感じるようになって。
入職してすぐ思ったのは、結局、ジョブそのものの機会を作り出さないことには、障害者雇用を2.3%〜(今年から)2.5%って呼ばれている数字ありきの制度において、雇ったこの人たちに、どう活躍してもらうんですか?ってことを考える上では、ジョブポストを作らなきゃ駄目だよねって思うようになって。
或いは仕事の機会を作らなきゃ駄目だよねっていう風に分かるようになってきて。
なるほど。その仕事の機会っていうのは、例えば、えんしのさんが実施されている研修プログラムを受けてもらって、それを実際に職場で実践できるポストを世の中に増やした方がいいみたいなイメージですかね?
えんしのさんの別の記事を拝見させていただいたんですけど、ビジネスマナーだったり、PCスキルのプログラムをやられていますよね。
そうです。もうちょっと具体的に言うと、そこで社会人として一般的な感じの研修をやったとて、弊社でご活躍いただかないと!って話があるわけです。
1年間のプログラムが終わった後に、うちから出てってもらってもいいし、魅力を感じているなら残っていただきたいと思っている。
ジョブ型でなくてメンバーシップ型的に雇ってる部分があるから、やっぱり働き口を作らないといけなくって。現場で受け入れていただく部門を開拓していくか、或いはビジネス部門に仕事ありませんか?って聞いたり。
なるほど。
それは、結局うちの自社の話だけではなくって。
これがおそらく、うっすらぼんやり考えていることの一歩なんですけど、結局、ジョブを、或いは違う同事業を、そこに紐づく仕事を細分化して、いろんな人の特性に合わせた粒度にしていくってことで、誰でもやれるようにする。
希望のレベル感に応じて、細分化した部分のどこからどこまでの幅を自分が持つか?みたいなのを選択できるようになった方がいい。別に、障害者雇用に限らず。
確かに。障害者雇用に限らずってのはそうですよね。
えんしの:就労支援の中で、うまくマッチングできないことって世の中に結構あって、それをもっとマッチングしやすくするには、ジョブを細分化したり、この人はここまで出来るから、このポジションをやってもらう機会をもっと増やした方がいいって言えるイメージ。それって結局、「健常者」も一緒じゃんみたいな。
うん。
別に障害者であろうがなかろうが、とにかく働く人全般、特にホワイトカラーの仕事って、結構まるっと全部やるみたいな感じがあるじゃないですか。
うんうん。
いや、そうじゃないでしょって話を思うようになってきたんです。ちょっと話が脇道にそれますけど。入ってすぐに、雇ったこの人たちが活躍してもらうポジションとかジョブをどう持ってくるか、作り出すかっていうようなことを考えるようになって。
それって、障害者雇用をやる上でめちゃくちゃ大事だし、それが中々なされてないってことが、まず分かった。世の中的に。
そうですね。私も障害者雇用はちょっとしか関わったことがないので、えんしのさんほど課題を深掘りできてないと思いますが、自社だけで解決できないこともあるなぁって思って。
えんしのさんは、いろんな取り組みをすることで気づいた感じなんですかね?
そうですね。もちろん、自社で解決できてる部分もあるけど、それ以外のところでも何かできそうなことがあるっていうのがちょっと見えたっていうのがここ2年ぐらい。
多分、ほぼ全ビジネスパーソンに、僕が言い放ちたいんだと思うんです。特に、経営層やマネジメント層に。あと、HRの人たちに。障害者雇用っていうのを一つのフックにして、戦略とジョブを見直すってことができるんじゃないんですか?って。
なるほど。
それって、言い換えると働き方改革になりませんか?って。
障害者雇用は、働き方改革につながるか?
げんさん
確かに。ゼネラリスト(メンバーシップ)かジョブ型か、どっちがいいの?みたいな議論ってよくあるじゃないですか。結構、会社でも好みがわかれるというか。事業に基づいた経営方針の選択の話かもしれないけど。
ジョブディスクリプションで採用するような欧米のようなやり方もあるけど、日本はそんな感じでもない気がするので。
えんしの
そうなんすよね。そういうところをやっていきたいイメージが何となくあるっていう感じなんですかね。
戦略とジョブを見直した方がいいってのは、ジョブは分かるんですが、戦略を見直すとは?
結局その会社がやりたいと思っていることが戦略なので。
その会社が出したいと思っているビジョンに対して、事業やビジネスが紐づいて、こういう方向に持ってきますよっていうようなことがあって、そこにジョブが紐づいてくると思ってますと。
さらにそのジョブの中にはプロセスがちゃんと分かれていると思っています。確かに、ここまでなら出来るけど、ここは頑張ってようやくできる、頑張ってもままならないって領域が、障害当事者にはあるわけです。
だけど、そんなもん、みんな一緒でしょ?って話だと思っていて。
別に、障害者のレベルがあろうとなかろうと、そのジョブおよびプロセスがある程度細分化されてると、ここまではできる、ここまでの部分はよろしくね、みたいな感じのことができるようになって、結果的に経営は効率が良くなるはずなんですよね。
うん、うん。
だから作り出す価値が何なのかとか、リリースできるプロセスはどこにあるのか?みたいなことを見直すという意味でも、障害者雇用に取り組むっていうのは、一定の理があるはずなんだなと思っていて。多分、障害者雇用を、「やらなきゃいけない大変なこと」のように扱う人が世の中に一定いるからこう思うんだろうなって、喋ってて思いました。
えんしのさんの記事やブログを見ると、「困ってる人や生きづらい人を救いたい気持ちが強い」って書いてあって。
そういうお人柄から、人助けの意識が生まれていると感じたんですが、一方で、障害者雇用や人間の多様性を考える上では「特別扱いしない」って視点は、すごく大事なのかなと思ってて。
どこに配慮して、どこは特別扱いしないで普通にするのか?みたいな観点ってあります?
はい、はい。そもそも理解がないと、そういう視点に気づかなくて何となくしか分からないから、障害者雇用は大変みたいな感じで終わると思うんですよね。
そうそう。例えば、車椅子の方から働きたい!と応募があった時に、うちのオフィスって、そもそもバリアフリー設計じゃないからトイレどうすんの?みたいなとこでディスカッション終了したりするんですよね。そういう、そもそもの基礎みたいなところで止まったりもあると思うんですが。
なんか、そういうところなのかなってのを思っていて。
「特別扱いしない」って、障害者をフックにするけど、別に健常者も一緒じゃない?っていうのはまさにそうだなって思っていて。
だとすると、配慮すべきポイントってどういうところがありますかね。
前提として一つ言うと、結構、僕は仕事上、誰かのケアをしちゃいがちな方です。
だから、私はどちらかというとビジネス職だって自分のことを思いたいけど、振る舞いは福祉職っぽいことをしてる気がしてるんですよ。
思った以上に、過剰に配慮しちゃってる側面が多分ありそうだなと思ってるんだけど。
一方で、「合理的配慮」って言葉を僕は結構大事にしてます。「合理的配慮」の話をする前に、前提として置いとかなきゃいけないのは、「給料もらってんだからか、貢献しろよ」って話。
はい、はい。確かに。
配慮はしても、特別扱いしない。「合理的配慮の視点」について
えんしの
払ってる分の給与に関してパフォーマンス出してねってことが、僕は多分、前提にあるんです。
あなたのパフォーマンスを出すってことのために必要になる障壁、差し障りがあるようであれば、それは取り除きましょうねって話だと思ってる。
障壁や、差し障りになるものをどういう風に取り除けますか?って話が「合理的配慮」だと思います。
一方で、この「合理的配慮」って言葉が、あまりよろしくなくて。
とあるセミナーに行ったときに、「叱る依存が止まらない」って本を書かれた臨床心理士やられてる村中直人さんって方がいらっしゃって、その方が発達障害とか、グレーゾーンにいる方とか、或いはダイバーシティとかその領域の専門家でいらっしゃるんですが、その方の講演で聞いたのが、「合理的配慮」って英語に訳すと”Reasonable Accomocation”で。
“Accomocation”って宿泊所みたいな意味合いがあるんですよね。要は「しつらえ」なんですよ。
だから、合理性のある「しつらえ」と言ったときに、例えばさっきの話に出た、「(車椅子が)この幅、通れない」って、それを通れるようにしましょうねってのが「しつらえ」なんですけど、それはどれくらい合理性があるかってことを判断していく。
げんさん
はいはい。
例えば机を動かすのに、300万円かかるとか、そんなことありえないですけど、300万円かかりますってなって、ちょっと考えようかみたいな話になるんだったら、そこを通らなくて済むようにしつらえを作ればいいよねって話。そこを通らなきゃならない設計にしないみたいな。
合理性のあるしつらえと手立てを使って、本人がパフォーマンスを発揮する上で何が必要になってくるのかを考えましょうっていうのが回答のベースにあると思ってるんです。
なるほど。
私と一緒に業務を進めているパートナーがいるんですが、一緒に考えていた「合理的配慮の要素」っていうのは、何かをやる時に、「私はこんな障害特性があるせいで、こういうことが起きます。なのでこうしてください。私も、これは頑張ります。」っていう話を、「こういうシチュエーションでは、障害特性が原因でこんなことが起きるから、こうしてください。私もこれは頑張ります。」の5点が揃う説明を求めます。
なるほど。特別扱いせずフェアに考えられるようになりますし、めちゃくちゃ大事だなコミュニケーションですね。
例えば、普通の会社員の方が、人事制度に不満を持っているとして、福利厚生を増やしてほしいとか権利主張があったと時に、それを増やしたところでパフォーマンス高まるんですか?ROIどう?みたいな話になりがちな感じと似ていると思っていて。
そう。合理的配慮を実質的に置くかどうかって話と、本人が正しいと感じるかどうかってのは、論点を別にしなきゃいけない話が、ごっちゃに言っちゃったなって感じがする。
確かに。そういう「感情」と「合理的配慮」ってところって、結構、意識的に区別しないとできない人多いんだろうなって思いました。相当意識しないと、結構できなそう。だって、人間だし。
結局、私が障害者雇用っていうのを、ダイバーシティマネジメントの観点から積極的に推進していくと、現場でのインクルージョンの方向になるなかで私がおもってることの一つは、「ままならないこと」って、みんな、いっぱいあるじゃないですか。別に障害者じゃなくても。
それこそ、最近、僕ん中で「インタビューをやってください」とばらまいたのも、たまたまHRの中で、3月8日の国際女性デーのときに、他社さんとジョイントで、うちの女性活用ボランティア部がイベントを打ったときの後に、ばあっと思考がぶん回っちゃったからお願いをしたんですよね。
例えば何かっていうと、妊娠の安定期に入らないと周りに告知しない問題とか。
はい、はい。私もいろんな感想を持ってます。
でしょう!
私は分かんないけど、あれなんて、本人がどう頑張ってもままならないのに、かつ、ビジネス上のリスクでもあるし、本人にとってのリスクでもあるわけなのにも関わらず、何で頑張らなきゃいけないんだ?みたいな。
そうですね。
そこに対して、みんなは「わかんない」みたいな感じになっちゃって、慮らない感じになってるのは、障害者雇用に対する会社の理解度くらい一緒だって、僕は思ったりするわけですよ。
きっかけは障害者雇用だけど、そこで感じる課題って、別に障害者っていうところを、別のものに置き換えたら、いろんなところであるなっていうのをよく思いますね。
確かに。それは、すごく思います。
全ては人間関係の問題と捉えることもできますが、感情と合理的配慮を分けるっていうところは、どんなシチュエーションでもすごい大事だなって思いましたね。
そうでしょ。僕の考えは、まだまだ普通じゃないっぽい気がしてて。
わかります。私はどちらかというと、えんしのさんのその考えには共感で、自分の場合、障害者雇用というところでないけど、別のところで、例えば、女性であること、人事として仕事している時に、いろんな状況で働きづらく感じている人がいるのを知った時に、どこまで配慮すべきか?ってことを考えつつ、いやいや、働いてるんだったらパフォーマンス求めるでしょっていう両方を感情と切り分けて考えることを意識します。
感情に寄り添わないと、「かわいそう」って一言で片付けられちゃうこともあって。
例えば、がん治療とか家族の介護をしながら働いている人がいたときに、過剰にケアする必要はないけど、配慮したコミュニケーションを意識すべきだなと思ったことがあって。でも、その価値観って、チームでバラバラだったりする。
他にも、その人が業務ミスを起こしたり、無断遅刻した時に、普通の人だったら注意されるけど、その人だけ気を遣われすぎて誰もフィードバックしないとか。
そういう特別扱いは不要かなと。
社会の大きな問題を、身近な問題に置き換えて考える。
げんさん
えんしのさんの課題意識は、職場のものと、広義な社会課題のものとあるのかなと思っているのですが、具体的に、社会課題を感じたシチュエーションってありますか?
えんしの
障害者雇用担当をしていると、「大変だね」と言われることが多いのですが、その背景に、なんとなく、障害当事者に対する関心の薄さを感じ取ってしまうんですよね。
あと、別に直接言われたことはないのですが、「障害者と働くのは大変」みたいな現場の空気感が、実は多くの会社にあるんじゃないかと思ったりして。
でも、そうよねって。気持ちはわからんでもないやって。
なるほど。みんな、基本は忙しくいろいろなミッションを抱えてる中で、正直、障害者雇用を解決することは優先しなくていいみたいな経営判断がある会社もあると思うんですよ。
ある意味、正直でしょうがないことだなって思ったし、共感できないことや分からないことは、そりゃあるよなって。
そういう分かち合えないこともあるからこそ、えんしのさんみたいに、「誰かにわかってほしい」みたいな人をケアする仕事が必要なのかなって。
一方で、本当にフラットにビジネス部門のビジネス成果を発揮するってなった時に、受け入れたメンバーがパフォーマンスするか?って考えたら、マイノリティが落ちる構造上の問題が残りますね。
一瞬、脇道にそれた話になりますけど、僕、お酒が苦手なんですよね。
1社目のときには、結構飲み会に行ってたから、1回2時間半の飲み会でビール1.5杯ぐらいって感じだったんだけど、飲まなくなってから全然お酒を受付けなくなっちゃって。
ふた口ぐらい飲んで、めちゃくちゃ気持ち悪くなった経験をしてから、酒を入れることをできるだけ避けてるんですけど。で、飲めないんですって言ったら微妙な空気になる感じとか。
確かに。
飲める側がどう思ってるかは、一旦脇に置いといて、私の認識からすると、酒が飲めることがコミュニケーションにおける一つの通行手形みたいなもんだって僕は捉えちゃうんですよね。周りがそんなこと気にしていようがしてまいが。
ほ〜。
僕はそう思ってしまう。
認知を抱えちゃうと、結局、飲むことが怖いとか、飲めなくなってしまうとか、私はここには関わらないみたいな感じの、負の認知スパイラルみたいなのを持つようになるっていうのを自分自身で経験したんですよ。
これを仮に、障害当事者に当てはめたときに、よくあるのが、発達障害の2次障害としての抑うつが生じるような人たちは、何らかの社会的不和を経験して、その不安について自分のせいではないか?みたいな感じの気持ちを持ってしまうって言ったところから、社会参画が図れなくなってしまう。
その社会の相互作用の中の不安みたいなことを、仕組みで乗り越えられるとか、お互いの相互理解で乗り越えられる。ところが、それが乗り越えられなかったときに、例えば、学びの機会に参加するということができないとか、働くという機会に参加することができないかってのが割とファーストキャリアの段階で起きちゃうと、結局そこからジョブの経験が積み上がっていかないんですね。
何となくの感覚なんですけど、その人の能力が発揮できるか特に仕事における能力が発揮できるかどうかって、経験が積まれてるかどうかっていうことに依存するじゃないですか。
はいはい。
そうすると、スタートダッシュの段階で経験が積めてない状態だったら、キャリア発達がされないから、例えば、同じ年齢の人でも、ジョブの経験が無い状態だと、そもそも期待できるパフォーマンスってのを発揮できるまでになっていないというか。
コンピテンシーというか、マインドセットは良いとしても、結局スキルセットとして、経験上できるっていうような部分がそもそも広がってないから、パフォーマンスを期待できないよねって話になる。
そう説明すると、そう考えるよねってのはわかるじゃないですか。
はいはい。
そこに構造上の問題があるなっていうことにも気がついて。
ちょっとテーマが違うかもしれないけど、引きこもりの方だったりとか、一度、鬱を経験された方って、結構、否定された過去とか、受け入れてもらえなかったとか、何度も何度も受け入れてもらえなかった経験が積み重なってトラウマになったりして、自分を守る上でも、自分の主張がしづらくなったり、世の中変わらないよね、みたいな諦めで、自分の能力が伸びていく機会を失うみたいなのがあるかなって思ったりしてるんですけど、そういうのと一緒で、いつ障害になったかとか、パターンによって個人差はあるとものの、自分はできるみたいな経験とか、ポジティブな経験が積み上がっていかないと、結局、なかなか社会で同じ土俵にいれないのかなって想像しますね。
そうそう。自己肯定感とか自己効力感みたいなことにおいても、コーディングやったことがない人をプログラマーとして雇うっていうことは、基本的に経験者採用のなかで、やったことない業務はできないって言ったときに、やったことがある機会習得に制限がかかっちゃう。
職業訓練校もそうですし、例えば勉強だったら、英語や数学も、結局積み上なので、挫折したのが中学生なら、それくらいまで戻ってやり直さないと能力が伸びないみたいな話もあると思っていて。
そういうのと同じで、研修で愚直にスキル経験を積んで、自分でも実践経験を積んで。
結果的に、自己肯定感も養われていくっていうのは、流れとしてあるのかなと思っていて。えんしのさんがやられてるプログラムみたいなのは、まさにそういうところをやっているのかなと思ってますが。
そうなんです。
それを作る上で、課題ってありますか?
いくつかあるんですけど。私が、自分の会社のビジネス全体に対する解像度が低いんです。
今の会社に新卒入社すると、ある程度、いわゆるキャリアラダーの中で、こういう仕事の仕方を相互にやってるよねってことが見えてくるけど、中途の僕は、1年経っても、なかなか全部掴みきれてないって思うことがあり。
現場経験を持っていないというのは、担当者としてのビハインドです。
なるほど。
それを何とか知的好奇心で、無理くり解釈で繋ぎ合わせるみたいな、どうにかしてる部分があるんですが。
仕事ができるってどういうこと?どんな支援が適切?
えんしの
チャレンジがあるとすれば、そもそもお仕事ができるってどういうことなんだっけ?っていうことに基づいて。どういうOff-JT的なトレーニングの実施を、OJT的な案件を結びつけるのか?っていうことについて、もうちょっと研究が必要そうだなと思ってます。
Off-JTとOJTの両方でどうやって能力開発していくか?って問いが僕ベースの考え方としてあって。お仕事っていうのは、理想があって現状があって、この間を結ぶ施策を打つっていうのが問題解決のモデルだと僕は思ってるんですよ。
その現状と理想を繋ぐものを、どんだけオペレーションに落とし込んで、ミスなく伝えて進めていくことができるか?って言ったことが仕事といったときに、この構造でもって企画業務を行うことは頭をぐるぐるさせるから、僕は「ぐるぐる系の仕事」と表現しています。
この「ぐるぐる系」に関しては、次のタームの方を採用するために、就労移行支援事業所さんで実際に雇ってる人たちに、通所されてる方向けの1年間の体験プログラムを作ってもらっています。
訓練生がインターンのプログラムを作るみたいな感じってよくあるし、よくある新入社員研修のグループワーク的な感じのことをやっているんですけど、企画系の人間は、オペレーティングな仕事をデザインするってことには乏しいと思っていて。ここら辺の研究が僕としてはまだ足りてないなと考えています。
そもそものお仕事ってものの構造をちゃんと見通した上で、職能開発を解っていかなきゃいけないなって。みんな駆使してる気がしますね。
げんさん
今の話って、新卒を育てるところと近しいのかなと思っていて。経験が少ない人の能力開発で、Can / Must はあるけど、Willが無い若者が増えているって話を聞いたことがあって。Willがっていきなりあるものじゃなくて、ある人は素晴らしいけれど、多くの人は、自分のできることや褒められた過去の経験とか、いろんなものが積み重なっていって育まれていくところなので、障害者の方のプログラムにおいて、Willが伸びていくのは、どんな感じかな?ってい興味があります。
面白い論点ですね。僕は二つ考えました。一つ目は、Canの解放だと思います。
別に、障害者雇用に限った話じゃなくて、新卒採用においてもCanの解放って、結構、キーワードだなと思っていて。その人にとって出来る!と思えることを伸ばしていった先にWillがあるよねっていう風にする方が、多分、居心地がいい。
確かに。できることで褒められて、周りからもすごいねって言われると、お互い嬉しいみたいですね。
うん。もうひとつが、高頻度の1on1だと思ってます。
なるほど?どういうテーマですかね。
私が一緒にやってるメンバーと言ってるのは、「最近どうですか」。とか、「何か話したいこがありますか」って聞いていって、今、パフォーマンスを発揮する上で困っているようなこと、発揮を阻害するような要素について、それを解きほぐすってことをやるアプローチが強いんですけど、それに対して話すことがなくなってきたときには、今後どうします?って話をしていく。
その中で、こんなジョブを決めましたけど、どうでしたか?とか、将来の見通しとして、こんな方向に行きたいなとかあります?ってことを聞きながら、決めたジョブを採用してみる。
採用したジョブに対する振り返りをして、どうだった?みたいな感じの話から、そこの修正を図っていくみたいなことをすると、Willが元々ある場合に、実体のキャンと離れている場合があるから、ここを近づけてあげましょうねっていうような話をする。
Willを適切なものではない方向に細分化してあったり、ラダーをあげるって方向に持ってくってこともできる。逆にWillがない場合には、Canとしてこういうことができたよねっていう積み重ねの中で、次は何してく?みたいな。
あとは、こういう機会があるけど、どう思う?みたいな感じのことを当ててくっていうようなことをする上でも、1on1は大事だと思ってる。それって別に障害者に限った話じゃないじゃんって思っていて。
ただ、障害当事者の場合は、特に頑張らないと守れないみたいなこともあったりして。
私もただでさえ生きづらいと思ってる状況だから、やっぱり、話を聞いていくってことが必要だと思うので、その頻度を高くするってことは、支援体制として大事だなと思っていて。
その回数を増やす、人数を増やす。できるだけいろんな人の目が入るような状態にするってことは、結構、効いたと思う。
なるほど。いろんな人と1on1してもらうってことですか。
少なくとも、今のところ我々はペア体制でやってるし、この体制に加えて、就労移行支援事業所が加わってるので、少なくとも、2者はいる状態ですね。
企画を考える思考ぐるぐる系、オペレーションを最適に回すくるくる系の仕事
げんさん
なるほど。セカンドオピニオン的な。もちろん、課題解決してくれる人ではないけれども、話す人が複数いるってのは、多様なディスカッションができそうな感じですよね。ジョブを細分化する話って、工場の仕事とちょっと似てるなと思っていて。工場の業務って、誰でもできるジョブになるまで細分化したものを徹底した時間管理でやっていくじゃ無いですか。機械やAIに頼る部分もあるかもしれないけど。
そういうオペレーションが最適化された仕事って、さっきのぐるぐる系?企画系?の仕事とは、逆だと思っていて。
ジョブが決まっているから、レベルを段階的に作ることができるけど、企画系のスキルを伸ばすステップは作りづらいのでは?と思うんです。
そういった、自分の意思を反映させる必要があるような、クリエイティビティを発揮する必要があるジョブを、障害を持った方がやりたいと言った場合、どのように任せますか?
えんしの
現場が抱えてるオペレーション上のちょっと気になるところとか、ふわっとしているところを切り出したいんだけど、プロセス自体は定まってるんだけど、そのうちのどこを切り出しますか?みたいな話とか、どの部分までだったらできますか?みたいな話って、結構、交渉が必要で。
そこで、ぐるぐる系かなと思ったときに、今、見えてるものをちゃんと並べた上で、情報整理して、うちだったらここまで出来ますって話をしますね。それって、ロジカルシンキングじゃないですか。
そうですね。
あと、相手のそもそもの期待値って何だっけ?みたいな話で、結局、さっきの理想→現状→理想とのギャップを小さく・・みたいな話じゃないですか。そういうフレームは、少なくとも、僕が担当している研修の中で、いくつか渡すようにしてます。
なるほど。トレーニングのトレーナーをやる、みたいなのも考える仕事かな?と思ったんですけど、そういうのに近い感じですか?
それはちょっと別かな。
いや、障害当事者が、障害当事者のチームのマネジメントをしたりとか、トレーニングするって意味ではあり得るな・・。
実際、既にそういうことをやってる現場はあって。重度知的や軽度知的の方の作業所みたいなイメージっで、元々古くから障害者雇用において、結構あったりするんですね。
例えば、ソニーの大分にある太陽の家ってところかな。
私はM-1が大好きなんですけど、M-1で使われてる”さんぱちマイク”ってのは、大分の工場で、障害当事者が作ってるんですよ。
ある一定の軽度知的とか重度知的の方に関しては、ある程度オペレーションが定まっているものでないと、認知負荷的にいろんなことができないって人はいるんですが、発達障害とか精神障害とか身体の障害の方々って、別に認知上の引っかかりがない状態なのに、なんでオペレーティングなことばっかりになっちゃうんですか?みたいな気がしていて。
キャリア発達をさせるって意味では、オペレーティブなくるくる系もそうだけど、企画のぐるぐる系もできるようになった方がいいよ、或いはくるくるオペレーティングな仕事をしながら、もっとこういうやり方をしたら良いんじゃないの?とか、改善の方向に持っていけることってした方がいいよねって思ったときに、それって武器があるはずだ!と僕は思っていて。
障害者だけじゃなくて、一度、光を失った方が、オペレーションでせっせとやって、どんどん経験や自信をつけたら、徐々に個性を取り戻すみたいなプロセスと近しいものがあるかなって。
目的って何だっけ、今どうなってんだっけ、何を超えたらいいんだっけ、どんなことをやればいいんだっけっていうようなことが整理されれば、みんな企画も出来ちゃうと思ってる人間なので。
そうですね。それは何かありそう。最初に、仕事をマッチングするってところが課題だっておっしゃってましたけど、そこに繋がってくるなと。
最初に雇用を作らないといけないって話をしましたが、障害者の方々に研修プログラムをやっても、働き先が足りないっていう話があります。実態としては、ジョブはあるけれどスキルが足りないから、もっと研修して障害者の方が出来ることを増やしていくっていうところが重要かなと。
障害者の方が、自分はここまで出来るってメタ認知がないからマッチングしないって問題もあるのではないでしょうか?障害者でなくても、一般的にそういうことってあると思ったので。
それは、おもしろい質問だな。
大前提として、別にデータを取ってるわけじゃないんですけど、感覚として、発達および精神の皆さんが市場に溢れてる感ってすごく強いです。
ポストに対して、求職者が多い状態なんだけど、ポストを作ったとて、どういう風に、そこでどんなジョブをしてもらうのか?ってことが、なかなか明確になりきれてないってケースも多くて。多くの会社さんがそうなので、言い換えると、何を任せたらいいかわかんないって感じのことが多そうだと思ってます。どこまで、何をお願いしたらいいかわかんないって。
スキルが見えないってのが、採用側というか、ビジネスサイドの言い分だと思うんですよ。でも、それって、やってみなきゃ分かんないじゃない?って話があると思ってて。そんときに、何なら任せられそうだね、どういう部分なら任せられるか?の切り出しがしきれてないと僕は思ってるんで。
転職市場なり、就活市場でフィットするジョブだとマッチングできないってことですね。
そうですね。既に何らかのオペレーションに従事してもらうってのがあれば良い方ですけど、それをやった後で、そのプロセスが本人にマッチするかどうか?ってのをやってもらえないと困る。
わかんないって状況があるとは思うんですけど、どう考えても、この特性を持ってる人にこのプロセスは無理でしょ!みたいなことってあるんですよ。
例えば、注意欠陥系の方、強いADHD特性がある方に対して、複数のソフトウェアが複数の画面をまたぐようなExcelの転記業務をやったら分かんなくなる。
そのときに、しょうがないよね、できないよねって止まるんですけど、待って!何とかしてできるようにするためのプロセスの見直しって発生するんじゃないの?みたいなところまで、議論が及ばないことが多い気がするんです。
そっち側の言い分としては、そこまでやるより、即戦力が欲しいとか色々あるんだと思うんですけど。
そうですね。結局、障害者だけじゃなく、同じことって転職市場や就活市場でよくあるんだろうなと思って。
障害者雇用で起きていることは、就活・転職市場でも起きていること
えんしの
やっぱそうっすよね。
履歴書とか見て、ある一定のスキルセットを持ってても落ちることってあるじゃないですか。でも、実際に転職してみると、何が成功パターンか分からないけど、自分だって履歴書を何回か書いて、受かって、ジョブについたときにその通りできるか?っていったら、絶対そうでない。
チューニングするじゃないですか。転職してチューニングするプロセスって、絶対みんなやるのに、それが面倒ってイメージがあるのかな。
もし、それをやるには、本気で、なぜ障害者雇用をやるのか?ってところを、企業側も考えないといけないんだろうな。
げんさん
その通りですね。
一般的な就活転職後、そういうコストすら、「時間がない」だったり、「手間がかかるから勝手に動いてほしい」みたいな理想論ってあるじゃないですか。
社会でどうやって自走するかみたいな。どこまで自助努力してもらって、どこまでサポートしていくのかってところを、解像度高くやってくってところが、えんしのさんが解決したいところに繋がっていくような。
そうそう。これができたら、転職後のアンマッチとかいろんな課題が解決できると思うんですよ。
僕の思い描いてることは、頭がとっ散らかった状態で言っている事実であり、結局、何のために障害者雇用をやるんですかっていうような話って、僕の脳の一つの核だと思ってんですけど。
ちょっと別の話をすると、何で新卒採用をやるか?って、めちゃくちゃ合理的な理由ってあんまり見つかったことはないんですよね。
高卒とか大卒とか、国民の三大義務として勤労が入ってるから働かねばならぬっていうようなところで、初めて就業する人に対して門戸を開けましょうねという話が一つの社会構造としてありつつ、ぶっちゃけ中途だけ雇ってる方が、短期的ビジネスが出来るよねって話の中で、新卒採用を行う理由として挙げられるのが、文化醸成とか人材の流動性であるとか蛸壺化の防止みたいなことを言われるじゃないですか。
それで、文化だなみたいな話があって、ビジネス戦略上、それが本当にストライクするんですか?って、あんまりしない気がしているなと。
そうなったときに、何のために障害者雇用をやるんですか?ってことは、同じように何らかの文脈の位置づけを、経営的にやっていく必要性が僕はありそうだなと思っています。
そこに何を置くんですか?っていうと、まず、大前提にある特定の障害特性を持っている人たちが、このジョブをやることに意義があるんだ。なので、戦略上不可欠であるっていうケースがあればもう、もう大賛成なわけですよ。
去年の24時間テレビのドラマを僕は見てないですけど、そこに出てた日本化学工業かな?ってチョークを作る会社さんはやってるのかな。
僕が実際に見たことがある事例で言うと、非常に香りの高い青海苔を養殖してる会社さんがあるんですが、それを最終的に取り上げて乾燥させる作業をやってる人が障害当事者。重度知的の方なんですけど、黙々とやってくれる。彼らはエッセンシャルな存在であると。
そうかと思えば、最近、僕としてもヒットが高いのは、SmartHRさんのアクセシビリティデザイナーさん。ブラインドおよび発達障害当事者を入れていると。なぜなら、SmartHRのサービスは、本当にいろんな方に使ってもらうから、誰1人として取りこぼさないようなサービスにする価値があるから、アクセシビリティデザイナーを置いているってのはすごく合理的と思いました。
でも、みんながこうなれないよね。
ビジネスの目的に即す理由が多くあるとは言えない状態の中における障害者採用を、どう位置づけるか?って、セオリーでいうと大方は、法定雇用率があるから、コンプラを守らなきゃいけないですよねって話があります。
もう一つよく言われるのが、ダイバーシティ。よく言われるけど、私からすると解像度が低いなと思ってて。
僕は、会社に多様な人がいるといいよね、ダイバーシティな環境の中では、何かいろんなものが生まれるよね、それが競争の源泉になるよねってよく言うんですけど、いやいや、多様性を担保したところで、大変なだけでしょって思う自分もいて。
こっから僕がいつも考えて言ってることなんですけど、なかなか世の中には伝わりきってない気がするんです。
私の今勤めてる会社って、アメリカの会社なのに、コアとなる行動規範の中で、一番目がお客様なんですよ。ビジネスの中で顧客を大事にするってことをうたっているのであれば、顧客は多様であるってことを大前提に置くべきだと僕は思ってます。
組織の中がダイバーシティであって、いろんな、ままならぬことを持ってる人たちのことを、そうだよねって言える寛容性を1人1人の社員が持っているということは、すなわち顧客の多様なニーズに対して応えていくってことができるような、寛容性に繋がるはずであると。
顧客のニーズにどんだけ応えられるかってのが、ビジネス上の競争の源泉になるんだとすると、だからダイバーシティ採用するんですって話に僕は繋がると思っていて。
大事なのはインクルージョンの感度を育てる方向で、インクルージョンの感度を持っていること自体が、ビジネスの売り上げに直結するって僕は思ってるんですね。
多分、この論調に、ダイバーシティに、マネジメントの話はいたってない気がする。
大体は安心安全なワークプレイスの話の方に収束することの方が多い気がしていて、ド直球のビジネスに繋がりますっていう方向にあんまり行ってない。
それは売り上げが数字でもって示されるから、いかんともしがたい部分はあるとは思うんですけどね。
確かに。働き方みたいな問題には、意見が集まりやすいってのはあるのかな?と思っていて、当事者の方たちが声を上げて言うっていうところが、事業の観点というより当事者自身の働きやすさみたいなのに声を上げやすいし、そこに共感する人も多いので、そういう議論になっちゃうんじゃないかなって思うことがあって。
ロジックのステップを、事業サイドの方から考えるよりも、働き方の環境の方から考える方が、少ないんだ。今言ってわかった。
今、聞きながらそうかもしれないと思って、自分自身も単語として聞いて考えても、いろんな人間の感情を聞いちゃうと、そっちに頭がいっちゃうみたいなのがあって。
事業の観点ってところで、多様性を持つっていうことが、すなわちユーザーに向けたアウトプットにまで直結するって議論までいかないなってすごく思った。
なんだろう。やっぱり、SmartHRさんが先進的だなって思ったのは、事業のアウトプットに直結している部分だったり、人間が感情で動いいちゃうところが大きいと思うので、それがちょっと多数決に流れちゃうってなると、合理的にビジネスをいろんな人とやっていくとか、障害を持った方とやっていくみたいなところの考えに至らないんだろうなってのが課題なんだろうなってすごく思いましたね。
率直に言ってもらって僕も思考が整理されました。確かにそれはチャレンジだ。説明文の説明のステップがやっぱり長い。それはわかりにくいわ。
一般的な就活とか転職市場においてもそうだと思うんですけど、自分の市場価値を高めていこうとか、自分のスキルセットを生かして、この会社で活躍していこうみたいな思考を持てるか持ててないかって、結構、市場価値の差が出るかなと思っていて。
それこそ、福利厚生とか自分の働き方とか、お給料に目がいってる人は、もう書類で落ちがちみたいなのが結構あると思うんですけど、人事やってると、そういうのが何かわかることが多い。
別に今は働き方を重視したいみたいなのは全然いいと思うものの、障害者の方でも、自分の市場価値みたいなのを、自分のスキルをメタ認知して、今の世の中で、どうやって価値発揮していくか?っていう観点でディスカッションできてるのかっていったら、そこまでのステップに誘導しないと難しいのかなと思ったり。
確かにそれはそうかも。そのゲームチェンジみたいなところっていうのも、僕としては観点としては持ってると思います。
たまたまその研修型雇用というプログラムの中にいるからって話なんですけど、実際に僕が主担当になってプログラムを始めるときに打ち立てたコンセプトが、貢献、継続、挑戦の3つでした。
これに基づく質問を面接の中でしたとき、なぜ働きたいですか?っていう風に言ったときの観点として、ちゃんと顧客志向を持てるか?であるとか、単なる自分の生活の安定の、更なるもう一歩っていったところの思考が取れているか?ってところを聞きつつ、就労移行支援事業所の皆さんにも面接で同席してもらいながらの観点で、必要ならそういうところですよっていうのを伝えていく。
面接のプロセスでやってみて、そもそも働かないことには生きていけないから、自分の身を守るエッセンシャルであるっていうようなこと自体は尊重されるべきなんだなってことに、確かに気がついたものの、だけど、もう一歩なんだよなって僕は思っちゃうから、働くってそれだけじゃないじゃんみたいな。
はいはい、確かに。
認めてやりつつ、成長支援しつつも、やっぱり社会にどういった価値を還元していくか?っていう観点は、公平に生きるという観点で、すごく重要なんだろうなと思っていて。
その観点がないと、ただでさえ、世の中に理解が薄いようなところで、ジョブマッチングっていうのが進みづらいのかもしれないなと
ある意味、素直に着実にステップを踏んで成長している方々が、素直にありのままに面接したら、落としちゃう場合もあるっていうのはあるのかなと思っていて。
障害者の方の面接だけじゃなくて、新卒でも、学生がありのままに面接したら落ちちゃうみたいな。
でも、就活支援して、ちょっと目線を変えてもらうだけでアウトプットって変わると思うので。
そういう就活支援じゃないですけど、テクニック論みたいな感じになっちゃうものの、視点を変えて市場価値ってもので自分を捉えてもらうみたいなのも、やっぱり重要なんだろうなっていうのはすごい思っていて。
キャリア支援ですね。障害の種別によりますけど、適切な自己認知を図るというようなことにも困難があるって方々がいるから、それをどれだけ支援者による対話だったりとか、認知行動療法みたいな感じのことを使ったりとかしながらすり合わせていくかっていうようなところも、いわゆる健常の人に比べたらハードルが高いチャレンジなんだろうなというふうに思うんですよ。
ただでさえ、難しいですもんね。サポートが絶対に必要。
えんしのさんの社会課題の意識と、やっていることがすごく繋がって、しっくりきたなって思いました。かわいそうな人たちではないっていうところとか。
障害は当事者が考えるものだが、同じような問題は誰にでも起こり得る
えんしの
そうそう。かわいそうな人たちではないどころの話じゃなく、吉藤オリィさんという、OriHimeを作られた開発者の方が言っていたこと等にもよるんですが、吉藤オリィさんが分身ロボットOriHimeを作って、社会との関わりを創出することで孤独をなくすってことを、ご本人のミッションとして持ちながら、特に外出困難な方向けの分身ロボットを作ってるって言ったところで、彼が本の中で書いていたのが、外出困難者は、先々、自分が寝たきりになるっていうことの先輩であると。
これをちょっと幅広く転用すると、いわゆる、うつ、双極性障害、統合失調症、或いは強迫性障害とか、いわゆる精神障害と呼ばれる領域の疾患を持ってる人たちっていうのは、誰しも、そうなり得る。
心と頭みたいなところってのが、僕もよく分かってないんだけど、心身の不調とか、気持ちの不調みたいなものってのは、明らかに脳の神経伝達物質の回路みたいなところに影響してしまうから、結局、薬の服用が必要だっていう病理的な方向に行くだけの話であって、誰もがそのリスクってあるじゃないすか。この世の中において。
げんさん
そうですね。
だから、障害当事者だけのものじゃねんだぞと。
今は味わってないかもしれないだけっていうところはありますよね。
障害って一言にくくってしまうけど、生きづらさを感じるシチュエーションって、多分、多かれ少なかれ、みんなにあって。
ちょっと体調を崩すと、加速するみたいなところはあるかなと思う。そのときに、自分が今まで何排除してきたことに、自分がなりうる可能性ってあるんだよって。そういうところはすごくありますよね。
いわゆる精神疾患系の精神障害に関しては、僕はそういうふうに捉えていて、一瞬、余談を挟みますけど、精神障害の保健福祉手帳と呼ばれる手帳が発給されてる人たちの中には、いわゆる鬱、双極性の気分障害、統合失調性、いわゆる精神疾患的なものっていうのと、発達障害でADHDやASDと呼ばれるもの、或いはごちゃまぜの人もいれば、事故によって脳機能を損傷することによる高次脳機能障害とか。全くもって対処の仕方が変わってくる、てんかんも含まれるんですよ。
全部扱い方が違うのに、全部を精神障害にされちゃうっていうのもあってか、場合分けしなきゃなって思うんですけど、特に発達障害なんて、本人に障害があるんじゃなくって、その本人が自己実現をしようとしたときに、社会の側に差し障りがあるから障害と呼ばれていることってあって。
それはすなわち、WAISって呼ばれる知能検査における凸凹が、結構激しくなる形で表記されますけど、あれの差分がでかいとか、そういうような程度の差の閾値の問題であって、いや、みんな誰も凸凹だからねみたいな。
確かに。それはめちゃくちゃありますね。多分昔からそういうところってあったけど、今ってネットとかSNSの発達もあって、いろんなパターンが見えてきたりするのもあって、良くも悪くも分類されて、区別されちゃった部分があるのかなと。
昔だったら、のびのび伸びてた人もいるんだろうなとか。逆もあったりする中で、病気とか障害とを区別してしまうことがもう、差別になっちゃうみたいな。
しかもくくられることで、本当はいろんなパターンがあるはずなのに、例えば生まれながらの障害と事故に遭った障害と、全然観点が違ったりもするし、自分が当事者になったり、家族が当事者だったりしないと、みんな考えるきっかけがないとは思うんですよね。
そういう世界の中で、なぜ障害者雇用をやるのか?とか、なぜ、あなたに障害者雇用を考えてほしいのか?みたいなシチュエーション。どういうbeを持たせるのがいいのかなって。
それは、超面白い問いだな。
えんしのさんは、仕事として機会があって、課題も明確になっていて、もうマッチングをどうするかってところまできてる。
そうすると、リテラシーのある人、リテラシーのない人、人事や現場の人たちに、どう考えてもらうか?ってことを考える必要があると思うんですけど、もっと大きな社会で言うと、問いがない人に、どう考えてもらって、一緒にわかっていくかっていうか。
なるほどね。
一般的に言えば、例えば、ヘラルボニーとかユニークですよね。障害当事者としての悩みを抱える双子の兄弟が、当事者が素晴らしいものとして世にブランディングしていこうって感じにしてる。
はいはい。
ああいうビジネスモデルから見える論調は、僕は、本当に希望の光だと思っているんです
何かっていうと、その人個人の能力を発揮させるっていうようなのは、どういうアプローチが取れるでしょうか?できることにフォーカスするって力点が結構強いと思ってるんすけど、僕は基本ネガティブなので、そっちというよりも、私のライフビジョンに書いてありますけど、もう基本的に世の中が生きづらいと思ってるんですよ。
みんな何か生きづらいじゃんみたいになったときに、それでも自己実現を図っていくとか、それでも一歩前に方進めてくっていうふうに言ったときに、できないをどう乗り越えられるか?
乗り越えられない、ままならないって言ったときに、どう分かち合って社会の中で生きていきますか?っていうこと。
支え合いでしょみたいな。
うんうん。
ある種、エクストリームな事例なだけなんだよっていうふうに僕は思ってるし、ままならなさってみんなあるよねって言ったときに、そこにどう自分自身として対処したり、周りの力を借りるようなことをしてったりしますか?っていうようなことが、問いが大きいけど、そんな感じかな。
いやいや。おっしゃる通りですね。いつ自分に障害者の方のことを考えるシチュエーションが来るのかわからないけど、障害者の方と出会うっていうのは特別なことじゃなくて普通にあるし、生きてればいろんな人に出会うから、その中の一つのシチュエーションでしかないと思うものの、目の前で困ってる人がいたときに、何らか困ってる人にどうやって対処するのっていう。
それって結構大事なことなんだろうなとは思って。
障害だけではないとは思うものの、忙しくても新卒は入社してきて、自分の部署に入って教育が必要だけど、ほっといてるみたいなのも近しいシチュエーションだと思っていて。
みんな自分の人生がある中で、どれだけ他人のことを考えられるかというか。決しておせっかいをするとか、そういうことではないんだけど、どう分かち合っていくか?っていうところが大事な観点なんだろうなっていうのは、話を聞いてすごく思いましたね。
特別視することではないなと思って。
そう、そう。特別視するようなラベルリングになっちゃってるからそういうふうに見えちゃうだけであって、程度の差なんだぜ、みたいな感じだなってところがあるなと僕は思ってます。
ある意味、障害者雇用っていうのが大問題というわけではなく、世の中で一つ見えてる課題。それは障害を持った方が問題ということではなく。
課題をどのように捉えるか。職場において一緒に価値発揮していくために、何が合理的配慮で、何が必要なのかっていうのを、やっぱりみんなが考えていくっていうところが今後の課題の解決策の一つなのかなってすごく思いました。
ざっくりはしてるんですけれども、なんか結局法定雇用率も、僕は消極的是認の立場にいて、なぜ消極的是認かっていうと、ぶっちゃけあんな制度はない方が理想なんだけど。
あの制度にたがわず、全てのオープンポジションに対して、障害の種別であるとか、成人であるとか、人種であるとか。
そういった、なんなら学歴であるとかっていうようなことに関しても、一切不問ですっていうふうに言ったとしても、さっき言った、候補者が積み上げてきた経験で採用するときに、その候補者が積み上げることができた経験を得られたかどうかっていうことには、障害当事者であるかどうかみたいなことの創造的な部分っていうのが影響しちゃうから、結局負けちゃうんすよね。
確かに。
現状の候補者に負けちゃうシーンの方が多い。マイナススタートになっちゃうというか。だからと言って、措置としてあの2.53%2.5%という数字を置くというようなことに関しては、あれがないと雇われない人がいるっていう、積極的格差是正措置だと思っているけれども、国がやることには何らかの意味は絶対あって、だけど、国がやるとちょっと嫌々やらねばならぬみたいな風潮がある。
それは、しょうがない部分があるとしても、そのゴール置かれたときに、どう捉えてどう動くか?っていうのは、みんなが選択できるところだと思うので。
結構、国の施策にブーブー言う人たちも多いですけど、国が置いてるゴールということは、何らかの課題があるわけで、それを掘り下げたときに、どうしたらもっと、多様な人たちと楽しく生き生きとパフォーマンス出していけるのかって。
別に、みんないろんな特性があるよねっていう話で、それをどれだけ受け入れられるかっていうところと、違うものって思っちゃうから、異質なものとして何なんだか怖い、なんだか難しい、で、止まっちゃうみたいなところが問題なんだろうなって思って。
思いを持った障害者雇用担当者自身は、本当にいろいろと動いているものの、やっぱり、なかなか理解されにくいっていう状況があると僕は思っているので、それは一つのHRマターであると、組織開発マターであるっていうところまで視座を上げなきゃでしょって。
HRのキャリアのゲートウェイとして障害者雇用をやった方がいいと僕は思ってるぐらいなので。もちろん、人によって向き不向きはあるけど。基本、人事が必要なことを全部やりますからね。
法律的な対応のところをやって、採用やって定着やって、みたいな。
本当に思いを持った人って、積極的に考えて動けたりすると思うんですけど。
熱い思いを持った人は、それはそれで、ちょっとあの人、熱すぎじゃない?みたいに思われたりとか、ちょっとビジネス観点が薄いんじゃない?みたいに、捉えられちゃうときもあると思うんですよ。
それって別に障害者の話だけじゃなくて、例えばメンタルヘルス対応とか。メンタルヘルスの担当の方って、パワハラで病んでしまった人たちの、最初の就職支援に熱い思いを持った方とかもいると思うけど、ちょっとうっとうしく感じられてしまうシチュエーションもあるかなと思って。両方の人を見たときに、何を優先すべきなんだろう?っていうところは、私はHR経験者として思うところがあったんですね。
それが、最初の方におっしゃっていた、感情と合理的配慮で分けるみたいなところと思うし、担当は意識すべきところだろうし、特別扱いしないことが肝になってくるのかなと思ったんですけど。
そういったところって、どういう注意が必要と思います?
別に熱くやること自体は悪いことではないと思うんですけれど、なんかちょっと見失ってない?みたいなことが、現場ではあるのかなって。
障害者雇用は、人事キャリアを積む人のゲートウェイになる?
げんさん
もっとみんなが熱く向き合うべきだよっていうように思うのか、実際の現場の温度感って?人事職のゲートウェイとしてやったらいいって言い切られるほどなので、今のHR界隈の人に、どういう形で取り組んでもらうのがいいのかなって。
えんしの
人事と現場マネジメントの両者の意見があると思ってるんですけど、その両者に言いたいこととしては、僕はやっぱり、経営戦略上のビジネスの成功といったところは絶対に外すべきではないと思ってますと。
HRパーソンに対して言えることがあるとすれば、僕は概念をしっかり知らないですけど、人的資本開発、人的資源経営っていうふうに言うんだったら、障害者雇用をやったらどうですかって思う。
人の能力を、人こそが経営資源であるっていうような観点に立ったときに、その人の能力は元々あるものを所与のものではなくって、開発されていくものですよねっていうようなことの前提に立つ、或いはその人に合わせてそのプロセスのオペレーションの最適化を図ったりとか、ジョブのアサインを適切化させていって、結果的にビジネススキルを伸ばしましょうねって発想で進めていくってのが一番の役割でしょ?という風になったときに、人1人を、どういうふうに生かすんですか?っていうようなことの根源的な問いに対して、障害者雇用に向き合うっていうようなことは考えをめぐらせなきゃいけないって思ってるんですよ。
それは経営に直結しませんか?って僕は思ってて。
それがHRに対してっていう話と、多くの現場のピープルマネージャーに対してっていう話で、あなたの役割って数字を上げることなんだけど、それはあなたが数字を上げるんじゃなくって、一緒にいるチームの皆さんに数字を上げてもらうことによって成果出すってことですよねと。
そもそもマネジメントって、本来、専門職であるべきだと思ってるけど、結局現場のプレーヤーが持ってるビジネス上の知見を、メンバーに対して教えながらビジネス成果を達成してきますよねって言ったときに、その人にどう気持ちよく働いてもらうか?とか、その人をどう伸ばしていくかってことをやることが、ピープルマネージャーの一丁目一番地だっていうことを考えたときに、ある種ままならなさを持ってる人たちと働くっていうようなことにおいて、その人たちにどう動いてもらうのかっていうことをできるようになると、あなたの成果が上がりますからね、これって経営に繋がりますよねって話だと思っていて。
これを、ぶらさないことだと思います。
確かに、育成コストがかからない方が楽だから、中途を入れたがるマネージャーがいたりするけど、何も出来ないまっさらな新卒を入れると、マネージャーの方が育つって話とかあるじゃないですか。
いかに、アルバイトの方や派遣さんも含め、いろんな力を集約して、やってくいくか?みたいな層の中に、障害者雇用もやっぱりあるんだろうなってすごく思いましたね。
結果的に組織開発にも繋がってくるし、人材開発にも繋がっていくんだろうなと思って、すごく一貫性があるんだなって思いました。
掘れば掘るほど、もっと聞けそうなことがあるんですが、そろそろお時間ですね。
そろそろ止めた方がいいと思います(笑)
(笑)障害者雇用で見えた課題って、結局、職場で起きる色々な課題とも繋がるところがあって、これを解決したら、他のところでも効くノウハウになったりするんだろうなって思いました。
色々と考えさせていただく時間になり、勉強になりました。ありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。