もちつもたれつ (シークレット・ライター#05 – 作品16)

「自立とは、依存先を増やすこと」と言ったのは、東京大学の教授である熊谷晋一郎さん。よく、人は一人では生きていけないというけれど、一見すると一人で生きているように思える「自立」という言葉は、実のところ、自分一人だけで成り立っているものじゃないらしい。

大学時代に「学び」について学んでいたころ、「自律学習」という専門用語が「自立」じゃないことが気になって、とあるゲストスピーカーに「なぜだ」と聞いてみたことがある。その回答が明確だった。「Self controlできなければ、Self standingできないでしょ」と聞いて、そうか、依りかかりながら少しずつ立てるようになっていくんだ、ということに気づくことができた。自律には、助けが要る。

ソーシャルアパートメントで暮らすと、様々な住人のいろいろな面を見聞きする。交わしたり交わさなかったり、関わったり関わらなかったりしながら、くう・ねる・やすらぐを、いっしょに営んでいく。楽しさを共有できるのはもちろん、相対する人を知っていくことの愉しさを得ることができる。でも、その楽しさや愉しさの深まりは、自分のことを知られる、つまり生身の本音をさらけだすことにもつながりかねない。楽しさ・愉しさと、不安・おそれと、その絶妙なバランスの中で、僕らは生きている。

ここの人たちはきっと、そんな、しなやかだけどもろい部分を、多かれ少なかれ持っている。けれど、その確証を持ちにくくて、せっかく誰かとともにいるのに、依りかかりきれないままに、淋しさと寂しさを抱いてしまうことがある。いや、誰かとともにいるからこそ、しなやかでもろいバランスを崩すまいと、自分を出すことに躊躇してしまうのかもしれない。

彼女は、しかしそこに開き直って、しなやかだけどもろい部分を出していった。いや、出さざるをえなかったのだと思う。そうしてみることで、実は自分のもろさは自分だけしか持っていないと思っていたのが、そうでもないことに気づけたらしい。それは、自分とは違う住人との交わり・関わりによって、もたらされた。しかも国籍・人種・言語・文化の隔たりが大きい方が、むしろ近しく共感されたらしい。

自分の、しなやかだけどもろい部分を出した方が、実は他の誰かの、しなやかでもろい部分と響き合って、わかりあえることにつながるのだろう。具体的に手を差し伸べられないとしても、共鳴したという感覚があるだけで、安心できることがあるはずだ。それが、楽しさと愉しさを深めていくんだろう。

誰もが、誰かの全てを受け止めきれないし、受け止められる時もあれば受け止めて欲しいこともある。せっかく多くの人と交わし・関われる空間なのだから、自分のしなやかだけどもろい部分を、少しずつ出していきながら、ある時は相手に少しもたれ、またある時は相手を少しもち、もちつもたれつで生きていくことができたらいいんだと思う。だから、助けるし、だから助けられているんだろう。

そう気づかせてくれた仲間が、自立していく。僕もその仲間と「もちつもたれつ」だったんだろうな。


この作品は、遠藤が住まうソーシャルアパートメント「ネイバーズ東十条」において開催した文章展示企画である「シークレット・ライター」の第5回に寄稿した作品です。

「シークレット・ライター」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.52)

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