ぼくたちは、世界を変えることができるか (シークレット・ライター#06 – 作品07)

「世界を変える」なんて、志を奮い立たせるような高らかな言葉に吸い寄せられて、「現場」と呼ばれる、だれかの営みがある場所に出向くと、結局はそこで自分の無力さを思い知ってしまう。

「世界を変える」なんて、自分にできるんだろうか。「世界を変える」って、なんなんだろうか。

あれはもう去年のことだったか。飄々とした様子で自分の半生を語り、そして季節が真反対になる大陸の国を訪れた経験を語った彼女は、間違いなく揺らぎの中にあった。それまでは想像の範疇だった「現場」を目の当たりにし、そこにある人々の営みのあたたかさに触れながらも、「現場」のようすは間違いなく衝撃だったはずで、そして「現場」をともにした仲間にも揺さぶられ。それまで自分がこうだろうと思っていた道筋すらも音を立てて崩れ、今を・これからを、どうしていこうかを迷っていた。
それでも彼女は、その揺らぎを、揺さぶりを、飄々と、そして前向きに語っていた。

「持続可能な小さな幸せ」という言葉が、映像の中に残っている。その「持続可能」こそ難しく、人々の今の営みにある心の豊かさと、開発がもたらす豊かさと、そこに葛藤をみていたような気もしたが、けれど「そこにある小さな幸せ」を大事にしたいという思い、その根底に流れる「ワクワクする方へ」という発想の灯は、確かに熱を帯びていた。結局、そのエネルギーで彼女は、初めての訪問から半年くらいしてまた彼の地を踏んだし、その後には会社を飛び出すことにもした。とんでもない決断だ。

私は、真面目に、でも本気で、世の中に役立つことを、世界がより良い方向に変わることを、したいと思ってきた。でもそれはなかなか周囲には受け入れられにくくて、「わかってもらえない」と思い込んでいた。自分の周りに広がる世界は、「私をわかってくれない」世界で、そこに線を引いていた。

だから私は彼女に聞いた。「真面目に生きてきたことと、周囲と、どう折り合いをつけたのか」と。

彼女の答えは、自分の捉え方を変える、ということだった。「世界の見方を変える」をしていた。

我が家の中でもハツラツと周りと関わり、酒を飲めばテンションをあげ、真面目に語れば真剣に聞き、常に明るい笑顔で彼女は過ごしていた。きっとあっただろうが、しかしそこに憂いは見えなかった。さながら秋に田んぼで輝く稲穂のような輝く黄色が似合うようだった。少なからず私たちはこの家で、彼女の姿を「かっこいい」と思い、彼女の姿に刺激を受けたに違いない。

約束された地位と安定を手放し、国境を越えて挑戦をする姿は、正直眩しい。でもきっと彼女にしてみれば、「挑戦」なんて大それたものではなく、ただ「ワクワクする方へ」と生きる世界を変えていくだけのことなのだろう。どうかこれからも、そうして「変わった世界の見方」を、教えて欲しい。

「世界を変える」なんて大それたことを言わなくても、自分が世界をどう見るかは変えられるんだな。


この作品は、遠藤が住まうソーシャルアパートメント「ネイバーズ東十条」において開催した文章展示企画である「シークレット・ライター」の第6回に寄稿した作品です。

「シークレット・ライター」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.52)

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