4月16日と17日の2日間に渡って、石巻市に行ってきました。そこで感じたこと、考えたこと、分かったこと・分からなかったことを記したいと思います。これが、今後の私の、そして皆さんの「震災復興支援」に役立てば幸いです。そのためのログとして。
読む前にご留意いただきたいのは、このレポートは、たった1泊2日しかしていない大学生の見方で書かれたものです。ですから、これが現地のすべてではありません。しかし、現地に赴いた僕にとって、実質36時間程度の間に見聞きしたことは、今のところ僕の頭の中では「すべて」なのです。ですから、そうした書き方になっていることをご了解ください。
0.プロローグ 〜どうして行ったのか〜 ←いまここ
1.準備したこと、そして必要なこと
2.津波を受けた街を目の当たりにして
3.泥かきの体験と「ありがとう」
4.フットベースと下ネタ
5.石巻のボランティアセンター体制
6.被災地の通信の状況
7.「それどころじゃない」という事実
8.避難所を回ってみて
9.メッセージと勇気を届けること
10.エピローグ 〜何を得たのだろうか〜
あれからひと月経っても、まだ実感がわかなかった
3月11日。大学のキャンパスの2階にいた私は、その瞬間に起こった地震が、とてつもない物であることは察知できたものの、それが津波を伴い、大きな災害につながることを予測していませんでした。「想定外」という言葉で形容される津波によってもたらされた被害は、日々メディアによって報じられました。そこに街があったはずの場所が、すべてが崩れてしまっているその映像はショックでした。しかし、どうしても、それが本当に起こっていることのようには思えなかったのです。実感がわかなかった、不謹慎ながらも、あの津波の映像をテレビ越しに見ていた人は、やっぱり実感として受け入れることが出来なかったんじゃないでしょうか。
あの日以来、私は何かのたがが外れたかのように、「何かしなきゃ」という思いに駆られました。そして現に、多くのことを思いつき、それを「被災者支援」として行動に起こしてきました。でもふと考えると、それは本当に「支え」になっているのだろうか、と感じるわけです。どうしても、自分の自己満足でしかない、自分のもやもやを発散するかのようにしかなっていない。被災地にいる人達は、僕のやろうとしていることを本当に望んでいるのか。
やっぱり、現地に行かなきゃ分からないことが多い。だから行きたい、と思っていた折、NPO法人Educational Future Centerの長尾彰氏と中川綾氏が「週末、石巻に行く。同行したい人は?」という問いかけをしました。現地入りしたくても、期間と交通の問題でどうしても踏み出せなかった自分にとってはよいタイミングだったのです。私もついて行くことにしました。4月16日と17日の2日間、石巻で見てきたこと、してきたこと、感じたことを、少し経ってからなので、思い出せる限りまとめたいと思います。
「プロジェクト結」のために
今回の訪問は、「プロジェクト結(ゆい)」という官民共同コンソーシアムによる被災地支援案のトライアルとして行われました。なんじゃそりゃ、と思う方もいるかもしれませんね。少し説明します。ただ、私の説明よりも、企画書を読んだ方がよっぽど分かりやすいと思うので、長尾彰氏のブログに掲載されている企画書を参照してください。
まず、このプロジェクトにはどんな人がいるのか。官民共同コンソーシアムということで、文部科学省を事務局として、大手企業、NPO法人がまとまっています。特に中心的に関わっている人は、「熟議」とか「新しい公共」に携わっている、「ファシリテーター」と呼ばれる人達だと理解しています。特に、前段で書いた長尾氏や中川氏は、「民間ファシリテーター」として「熟議」に積極的に関わっている方々です。私も、「熟議恊働員」という文科省ボランティアをしております。
このプロジェクト、先ほど述べた、文科省とか「熟議」とか「ファシリテーター」とか、そういう方々が集まっている性質から、主に子どもたちに対する支援と地域コミュニティづくりに対する支援を目的としています。被災地の復興には、長期的な支援が必要になります。特に、ハードの面が整備されても、ソフトの面については長期的視野が行き届きにくくなる現状があるでしょう。「想定外」の大災害に直面した子どもたちの心については、特に長期的な支援が必要であり、また子どもたちを育てて行く環境については、一刻も早く復旧・復興をする必要があります。
プロジェクト結は、政府だけでなく、また企業だけでなく、はたまたNPOだけでなく、そうした組織体がチームを組んで、長期的に支援していく必要があるのだという思いから立ち上がったようです。それらのアクターが、自分たちの出せるリソースを出し、それらを最大限に活用して、子どもたちの学びと遊びの支援、そして被災地の皆さんに対して「元気が出る」地域イベントの支援をしていくことが、このプロジェクトの事業になります。
学びと遊びの支援は、特に放課後を想定しています。もちろん、学校のある時間帯にも支援の手が必要なのですが、学校における学びの支援は学校の先生を支え助けられるだけの支援があればいい。問題は、学校の手を離れた後の時間帯をどうするか、です。学童保育のようなシステムがあれば、子どもたちが遊んだり宿題をやったりする時間、親御さんは仕事や復興作業に当たれる。そうした、放課後における学びと遊びのための「みんなの場」を創りだし、そこに企業や学生から1週間程度のボランティアを派遣する、ということなのです。しかもそのボランティアは、現地入りする前に1日がかりで事前研修を行ったり、現地では午前中は復旧作業に従事したり、毎日のように振り返り活動をしたり、というようにする予定です。もちろん、人手だけでなく、場所の確保も必要で、復興の拠点となる公共施設をできるだけ子どもたちみんなのための場に出来るような働きかけをしていきます。
「元気が出る」地域イベントの支援は、「非日常」の支援と呼んでいます。地域のコミュニティや子どもたちの地域での友達関係を維持する効果のある地域イベント(お祭りなど)は、きっと「それどころじゃない」と中止されることが相次ぐかもしれません。しかるべきタイミングで、そうした「元気が出る」地域イベントを実施できるように、NPOや企業のノウハウやリソースを被災地にに投入します。たとえば、アスリートとともに運動会を実施する、など。
強みは、「ひと+もの」の連携です。名を連ねている企業のなかには、例えば学習教材を提供できたり、教材の印刷のための印刷機を提供できたり、スポーツ用具を提供できたり、と、単体でも十分な支援が行える企業がたくさんあります。しかし、そうした「もの」も、それを使ってコンテンツを提供できる「ひと」がいなければいけません。プロジェクト結は、単なる「もの」の支援だけでなく、「ひと」を出そうとする点が、違うのかな、と思っています。それに、官民が連携し、民のなかでも企業とNPOが連携することによって、被災地ニーズと支援側サプライのマッチングが図れます。
ただ、実際に、プロジェクトが考えていることが功を奏するのか、実際にはどうなるのか、非被災地である東京からは見えないことが多いのも当然のこと。今回の石巻入りは、実際に子どもたちと遊んでみたり、作業をしてみたり、話をしてみたりしながら、イメージを得たり今後のことを考えたりするために行われたわけです。
えんしのはなぜ行ったか
で、えんしのはなんでこのプロジェクトに同行したのか、という話です。そのまえに、なぜこのプロジェクトに乗っかったのかを話します。
震災を受けて、私はいくつかのプロジェクトに従事しました。その一つが、学生MLを作ってボランティア情報を流す「チーム3S」です。すぐにすっ飛んで行くStudentsの略称で、文科省が関係する関東地方での震災支援活動のボランティア確保のために作りました。このMLは、知り合いのみ招待可能にしているもので、実働実績は過去2件です。元々熟議恊働員だったこともあり、文科省関係者から「学生の動きはどうなんだ」という問合せを受けました。現に、Youth For 3.11という団体が中間斡旋をしており、また私の知り合いの応援団員を焚き付けて「大震災復興支援学生ネットワーク」という団体が出来たりしました。
そんな動きのなかで「学生にしか出来ないことは何だろう…」と考えました。むしろ、僕が「こうするべきじゃないか」「こんなことがしたい」と考えていたわけですが、それは教育支援・子どもたちの支援でした。NPOカタリバやNGOワールドヴィジョンなどは、いち早く教育支援目的の義援金を集め始めましたが、そうしたお金やモノの支援だけではなく、お兄さん・お姉さん的存在の人的支援が必要だと思ったのです。
2年前から、地元・古河市で、教育委員会主導の「放課後英語補習」を実施する英語指導サポーターを務めています。塾に行けないような生徒に対して、英語の基礎講座を実施する、というものです。これに従事していることもあり、そうした放課後補習のような、いわば寺子屋・塾のような支援の仕方があって、大学生はそうした面で活躍できるんじゃないか、と考えだしたのです。他にも、知り合いの教育研究者の助言では、夏休みには学校図書館整理という仕事も必要になるだろうと助言を得ていました。
いずれにせよ、子どもたちの生活を支える人的支援のリソースとして、大学生という存在は必要になるだろうと思っていたわけです。その折、この「プロジェクト結」の存在を知ったのです。これは、学生としてここに関わりながら、学生がボランティアとして出て行くチャンスを見出して行った方がいい。なにより、僕の知っている人達が多く関わっており、そして僕の考えていることに近しいことを実施している。そして大きなことも出来るかもしれない。そういう期待で、このプロジェクトに関わったのです。
そして、初めて参加した会合のなかで、石巻入りの計画が発表され、即座に名乗りました。そのあとも参加表明が続き、総勢18名が参加することになったのです。ちなみに、その場には他にも大学生が4人。教育再興連盟ROJEメンバーが2名、そして長尾彰氏の石巻訪問報告会に参加していた女子大生2名。女子大生2名は、石巻に同行することになりました。
私なりの今回のミッション
今回の目的は、すでに述べた通り、「プロジェクト結」のトライアルです。しかし、今回の石巻入りのなかで、私はいろいろなことを見たいと考えました。特に、prayforjapan.jpとの兼ね合いです。prayforjapan.jpというサイトで、私は翻訳プロジェクトのまとめ人をしており、これをSFCのフィールドワーク科目の一環として研究しています。このフィールドワーク活動を、今回の石巻入りでも行おうと思い、いくつかのミッションを立てました。今回の行程の、私のなかでのミッションは以下です。
- プロジェクト結のミッション
- 子どもたちと関わってみて、子どもたちの状況を見取る
- 保護者の方や先生方の話を聞いて、現地ニーズを知る
- ボランティアセンターの体制を知る
- ボランティアで活動している方々と知り合いになる
- えんしの個人のミッション
- 現地の通信状況を把握する
- 被災地にメッセージを送る、ということの可能性を考える
- 外国語による支援状況について知る
個人ミッションはすべて、prayforjapan.jpの翻訳プロジェクト、そしてフィールド研究テーマと関わっています。端的に言えば、ソーシャルメディアで集まった情報やメッセージはきちんと現地に伝わって、そして言語的マイノリティの人々をちゃんと支えられているのか、ということを知るミッションです。
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プロローグからしていきなり盛りだくさんですが、このような経緯と想定と思いで現地入りをしてきたわけです。このあと、10編に渡って、レポートを掲載していきます。
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