ともに、旅に出る (シークレット・ライター#05 – 作品17)

旅と旅行。どっちも同じ漢字を含んでいるのに、なにかイメージが違っているのはなぜだろう。英語に置き換えると、journeyとtripの違いといったところだろうか。調べてみれば、journeyは旅の 「過程」 に着目しているが、tripは 「目的」 に着目しているらしい。ふと、journeyがjournalという単語と同じ語源なのではと思って生成AIに聞いてみると、フランス語のjournée、つまり 「日々」 からきているらしい。

ソーシャルアパートメントでは、日々の暮らしを共にしているにもかかわらず、同居人たちと旅行に出かける人が多い。先日も車でキャンプフェスに出かけた一団を見たかと思えば、やれ万博だ、やれ韓国だ、宿泊を伴った遠出の話は枚挙にいとまがない。シンガポールに以前の同居人を訪ねた猛者もいる。そもそも同じ屋根の下に住んでいるので、毎日が宿泊みたいなもんだ。しかし、同居人どうしで旅行をするのは、非日常の目的を持って、その目的地での時間を楽しみたいからなのだろう。だけど実際は、旅行の目的よりも、道中で起きる些細な出来事や、一緒に時間を共にした仲間との会話の方が、印象に残っているということの方が多い。同じ日々を過ごしているどうしなのに、道中の方が、絆が深まる。

「しずかなワーケーション」というシリーズをやったことがある。ワイワイとした雰囲気のまま、テンション高く旅行をする楽しさもわかるが、独りでいる寂しさを噛み締めることも含めて一人旅を嗜む私としては、心地よい空気と澄んだ静寂が流れるなかで、しずかに時を過ごすような旅を、同居人とやってみたかった。そうして最初に選んだ高尾山の麓の宿泊施設では、夜に焚き火を囲んで語らいをした。2回目の千葉では古民家でめいめいに仕事をした。3回目の熱海では海を見下ろしてサウナに入った。4回目の鎌倉は早朝に叩き起こされて禅寺で坐禅を組んだ。日々と違う場所で過ごすということ以外、寝て起きて食べて働いて、というのは変わらないはずなのに、交わした会話が紡いだ関係性は、今までとは違う見方を伴って、参加者どうしに横たわった。新発見と再発見に出会う、さながら 「旅」 だった。

彼を初回に誘ったのは、ワーキングラウンジに常にいすくまっていた 「連続起業家」 のことが気になっていたからだ。いや、欠員が出たから、という理由もあったが、交わるにも交わりきれないように見えた彼を、もう少し知ってみたかったからだ。高尾山温泉に浸かりながら仕事の話を聞こうとすると、「語るには5時間かかる」と言われたが、いっそ語らせてみればよかったとすら思う。2回目のこと、あまりにも空腹だったのに調味料を買い忘れていたヘマに深夜になって気づいて、致し方なくもスープの出汁をウィンナーで取るという奇行に出た彼。うっすらと風味を感じたことは忘れられない。斜面に立つ古民家ヴィラで迎えた3回目は、彼の誕生日でもあったのだが、共にした仲間とケーキでお祝いをしたら、いままで祝われたことがないといって戸惑っていた彼。その頃にはこの家に馴染んでいた彼の日々のひょうきんさからも、はたまた 「連続起業家」 というペルソナのスマートさからも、そのどちらからも想像がつかない様子は、しかし彼の生い立ちを聞けば、どこか納得のいくものだった。

誰ひとりとして、行き先で何をするかが同じではなかった「しずかなワーケーション」は、しかし時間を共にしてみると、特に彼の、この家の日々では知りえなかった様子に偶然にも出会うことができた。それが 「旅」 というものなのだと思う。だから 「旅」 という言葉は、「人生」 にも使われる。彼はこの夏、自分の人生の大きな挑戦に向け、異国に旅立つ。その挑戦を、その道程を、心から応援したいと思えるのは、「ともに、旅に出る」ということをしてみて、彼のことをより深く知れたからだ。知らんけど。


この作品は、遠藤が住まうソーシャルアパートメント「ネイバーズ東十条」において開催した文章展示企画である「シークレット・ライター」の第5回に寄稿した作品です。

「シークレット・ライター」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.52)

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