酔ったついでに。
何かというと、Twitterでセミナーや講演の実況するのは、非常に良い効果があるよ、というものです。前置きを挟んだ上で、その最たる3つを記載したいと思います。
私は大学時代から、Twitterで授業のノートを取っていました。もちろん全部ではないですが、当時、Twitterで教室名をハッシュタグとして授業のノートを取るというのが流行っていました。2010年ごろだったと思います。インターネットとかソーシャルメディアに明るい先生たちは、授業専用のハッシュタグをつくって学生につぶやかせ、そのつぶやきを授業スライドを映す画面のもう一方に垂れ流す、ということをやっていました。大教室の授業でもインタラクティブ性が生まれただけでなく、いろんな人のいろんな観点での「重要なところ」の集積は、学ぶ人の学びをより創出したと思います。
ただ一方で、大きな議論も呼びました。その授業を聞いている側はお金を払っているのに、タダで知を垂れ流すのか、と。あるいは、生業としてお金をもらって話している人の話をタダで垂れ流して良いのか、と。そりゃそうだな、とは思うものの、一方では、知は開かれたものであるが故に広がりを持つもので、こと高等教育機関においては、その知の広がりの方を優先しないとむしろイノベーションは起きないだろうと思うので、閉鎖的になるのはむしろ時代と逆行していると思っていました。また、その人の言葉をライブで一次受けしているしていることに価値があることを考えれば、つぶやき手の解釈を挟んだ知なんて、受け売りにしかならない、とも思っていました。
そんなわけで今となっては、きちんと講演者と主催者の双方の同意をとった上で、講演者や主催者に不利益がないようにする範囲で、きちんとハッシュタグをつけてつぶやいた上で、バンバンつぶやく、というのをしています。
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で、そういう実況中継、またはtsudaりとも言いますが、それをすることによって得られた3つの効用があります。
1.講演内容の自分の理解度がものすごく高まる
特に原稿化されていないような講演の場合、話の内容はざーっと過ぎていきます。それを聞き取り、おそらく重要と思われる部分を140字以内に切り取って、良い具合の意味のまとまりの所で切ってTweetする。この営みをすると、通常メモを取りながら聞くよりも、もっと多くの認知リソースを使う感覚を味わいます。今何の話をしていて、そのトピックから考えるとこの話は一般論か具体例か総括か、そしてそれらは掲載するべきなのかどうか、というのを常に考えながら聞くので、話の構造を理解するのが非常によくできるようになります。
一方でリスキーなのは、タイピングすること自体や、講演者が言ったことを転記することに集中力を使いすぎると、自分が感じた疑問や仮説をちゃんと留めておけないことです。なので私はそういうときのために、講演者や質問者の発言はかならず「」でくくり、自分の意見を述べるときは、平文で記載をするようにしています。それを織り交ぜることで、講演者が言ったことのログもさることながら、自分自身の考えたことのログも残すことができます。
そして最後にそのつぶやきたちを一読するわけです。質疑応答時間でもいいし、本当に事後でも良いし。Togetterを使ってまとめをすると、時系列に並べることもできます。それは、ノートへのメモも同じじゃないかと思うかも知れませんが、140字の制限のなかで書かれているつぶやきというまとまりは、認知的負荷をあまりかけない単位とも考えられます。長い文章のまとまりが一つ、ではなく、140字の意味の切れ目がいくつも存在する、という状況なので、私にとってはその方が後から読んだときに読みやすいのです。
このように、講演時も講演後も、その内容を自分が理解するという観点からすると、Twitterでの実況中継というのは、自分自身の理解を助けるという意味で非常に有用です。それは結局、他の人の理解を助けることにもつながるわけで、端的に言って「理解力」と「まとめる力」が高まります。
2.講演内容に関する議論や共感を呼ぶことができる
タイムラインに流れる講演内容のつぶやきは、140字のまとまりになって流れてくるからこそ、その数こそ多かれど、タイムラインを眺めている、リアルにその場にいない人からすれば、そんなに無理しなくても頭に入ってくるくらいのチャンクになっています。なので、「ふぁぼ」や「RT」はもちろん、ああ思う・こう思うという議論も呼び起こしやすくなります。
ここ最近、久々にそういう実況中継をやるなかでは、メンションでリプライをもらうことは少なくなりましたが、学生時代に授業のノートを取っていた頃は、単に講演者の発言をつぶやいていただけでも、かなりの頻度で軽い議論を交わす、ということをしていました。いわんや、「ふぁぼ」や「RT」は未だにけっこうもらいます。共感をするからこそ、そういった反応をしたり、あるいは逆に、違和感を感じるからこそそういった反応をするわけです。
リアルタイムにその講演を聴いていない人からの、そうした共感や議論というフィードバックは、生で聴いている側からしても非常に有益な情報です。周囲の人は、どこに関心を寄せるのか、何を面白いと思うのか。その反応の高さというのは、逆にその講演において重要であったことが何かを示すとも言えます。周囲に情報提供をするだけでなく、周囲の議論や共感すらも自分の理解に役立てることができる、というわけです。
これは講演者にとっても非常に有益なものであり、聴衆にとってのサシどころがなにかを知ることは、講演内容のチューニングを図る上でもかなり大事なファクターです。とくに、聴衆がすごくおとなしい講演においては、おそらく講演者は「熱心に聞いていた」とはいうものの、すごくやりづらさを感じているはずです。「熱心に聞いていた」ことが本当の理解につながったかどうか分からない、という点では、講演者に対してのフィードバックにもつながります。
3.フォロワーの広がりが新たな情報元につながる
大変ありがたいことに、別に自分の発言でない、他者の発言をただ横流ししているだけにしか過ぎない行為ながらも、フォロワーが増えます。特に、フォローしている人がRTなどをすると、どこからともなくフォロワーのフォロワーがやってきて、こいつは面白いことを言いそうだ、とフォローしてくれます。フォローまで至らなくても、もともとフォロワーではなかった人が、もともとフォロワーだった人がRTしたものを再びRTしたり「ふぁぼ」したりします。
ぜひ、そうして広がった新たな繋がりを、こちら側もちゃんと追っかけておきましょう。そうすると、新たな情報を得るチャンスが増えます。ある意味、情報と感情の垂れ流しである「タイムライン型」のSNSでは、いろんな情報が常に流れてきます。それをいかにキャッチしていくかが、新しい知を手に入れるための感覚を育てるキーだと思います。それを鍛えてくれるのは、有益な情報を垂れ流してくれる人です。Twitterでの実況中継によって、あなた自身もその「有益な情報を垂れ流してくれる人」になるわけです。他の人が垂れ流してくれる有益な情報への感謝は、まさしく有益な情報で応えるほうがいい。
同時に、少しこの観点とずれるかも知れませんが、有益な情報を垂れ流す上では、これは本当に有益か、そして流して良いかどうか、ということをちゃんと判断することが求められます。講演者や主催者に対して不利益を出したり、誰かを揶揄するようなものだったり、そういう発言は、かりに口頭で表出したとしても文面には残すべきではないし、それは有益な情報とはいえません。ただ、そうした判断も含めて「有益かどうか」を判断できる力は重要ですし、身につきます。それはとりもなおさず、自分が「垂れ流される情報」を見る側に回ったときに役立つ、情報の取捨選択のリテラシーとなるわけです。
と、3つの効用を記載したのですが、やはり忘れてはいけないのは、講演者と主催者へのリスペクトです。せっかくの貴重な知が、単にその空間だけに留まるのはもったいない、という認識を、講演者と主催者と共有できたときにこそ、実況中継がもたらす効用を享受できるわけです。だからこそ、繰り返しですが事前の確認と、ある種「空気を読んだ」実況を心がけるべきですし、自分自身の発言ではないと言うことをきちんと明示することが最低限のマナーです。それを理解した上で行う、この実況中継の技術は、皆さんの日々の仕事や勉学、生活において、劇的に有益な効果をもたらすことをお約束します。