陸前高田市は箱根山。そこにある宿泊施設の「箱根山テラス」で行われた「箱根山学校」というワークショップに参加した。たぶん、ワークショップという言葉が最も適当とは思えないのだが、しかしその言葉以外に平たく説明することができない。ただ、何かを感じ、何かに気づくための、日常を離れた4日間であることは間違いない。
そんな箱根山学校での気づきの記録。6つ目は、プロジェクトの終わりに関する過去の自分の言い訳文。
昨日は講座の中で、「発展的解消」をどう行なっていくか、という話になった。この考えはとても大事な気がしていて、なぜなら割とこれまでの自分の経験上、自然消滅的に終わらせてしまった、あるいは関わりを薄めてしまったことが多々あったと思っているからだ。割にその全てが、自分としては後悔に満ちている。
たぶんその一番最初は、小学校の頃の朝の校庭のゴミ拾いだったと思う。はじめたきっかけはもはや思い出せないが、あの頃、遊具の近くで見つけた鬼ころしのパッケージはよく覚えている。何人かとともにスタートした活動も、やがては一人になったが、仲間を誘うことはしなかった。元来の友達少ない感は、ここにも表れているようである。そして、たしか小学校6年生になってからか、パッタリと終えてしまった。茨城県の善行賞の表彰をもらったにもかかわらず、である。
ああそうか、と、書いていて気づくのは、大方自己嫌悪する過去の「辞めた」「消した」エピソードは、仲間を集めることなく自分が抱えて終えている、というものなのかもしれない。それは、地域活動のイルミネーション湘南台しかり、プロジェクト結しかり、prayforjapan.jpしかり。これまた筋が良くないのは、きっぱりと「では、また」のひとことを言えていないということである。まぁそこへいくと、なんとも僕の自己嫌悪は極めて個人的で身勝手なものだろうかと、また気持ち悪さを覚えて仕方ない。
ただ一方で、いつかまたふらっと訪れた時に何かをまた始められるように、どこかでつながっていたいと思うのも事実で、そうしたさみしさみたいなものが、「では、また」と言うに言えない理由なのだと思う。そこはもう少し、きっぱりすることを、そろそろ齢30なのだし、覚えねばならないだろうなぁ、と思った。