教師の職を離れて3ヶ月が経ちました。新しい環境で、新しい仕事についていますが、ときおり思い出すのは、学校での日々。その日々において、毎週欠かさず行っていたのが、学年通信を書く仕事でした。年間40号程度を発行し、毎号かるく2,000字程度を執筆してきたのですが、ネタさえあれば苦には思わず、楽しんで書いてきました。そのうちの一部は、このブログにも掲載しています。
さて、2021年の年末ごろから、私は、学年に所属していた私以外の5人の教員と、学年につきっきりになってくださった介護支援員さんと、そして年度末で定年退職をする学校長の、合計7名のインタビュー記事を作成しました。シリーズ名は「学年教員のえらんだミチ」。2021年度には、社会人と中学生の2on1キャリアセッション「えらんだミチをかたる」を実施していたので、この学習活動のタイトルにひっかけ、学年教員たちが、どうして現在の「えらんだミチ」に至ったのかを紐解いていきました。
先生方にあらためてじっくり話を聞き、その人を突き動かすものに迫った上で、私の目線で編集をするというプロセスは、とても豊かな時間だったと思い返します。残念ながらそれらの記事はここには掲載できませんが、今回は、ひとしきり全員の記事を書き終えたのちに、自分で自分のインタビュー記事を作成した、私に関する記事を掲載します。
毎回、印刷前レビューをしてくださっていた教頭には、「なんだか、遠藤先生のものが、いちばん『迷っている』感じがするね」と言われました。そう、その当時の私は、迷っていたんですね。でも、その「迷い」も、教員の一側面だったと、今では思います。
生徒の皆さんには『えらんだミチをかたる』というプログラムを受けてもらっておきながら、実は自分自身の『えらんだミチ』のことは、特にこの先のことについては、ほんとうによくわからない、というのが正直なところです。
3年前に飯塚にやってきて、それまでと全く違う「学校の先生」という職業に飛び込んだ遠藤先生。しかし本人は、それまでやこれからのミチについて「よくわからない」と言っています。今年度の総合を主導した先生が、そう語る理由に迫ってみました。
学校が好きだった子どもなのは間違いありません。それが、自分の興味を、徐々に教育に向けてきた理由だと思います。
聞けば、小学校の低学年の頃はアナウンサー、それが高学年になると政治家・国会議員と自分の夢を語るようになっていた遠藤先生。そのどちらにも「話す」ということが共通しており、小学校時代は放送委員で校内イベントの司会をしたり、中学校時代は吹奏楽部の演奏会の司会をしたり、と、とにかく人前で話すということに喜びを感じていたようです。
小学校時代から英語を勉強していて、中学校では『英会話コンテスト』というのに参加します。ここで、自信がついたんです。それで、将来政治家になるんだったら国際的な活躍は外せない、と思い、外国語科のある高校に行ったんです。
男子10人・女子30人という環境の外国語科で3年間を過ごし、英語スピーチや英文エッセーコンテストなどで賞を受賞。その実績を糧に、大学の自己推薦入試を受けます。志願理由書や面接を通じて、「将来は政治家になりたい」という想いを伝え、その結果、受験勉強することなく、神奈川にあるその大学に進学することに。結局、大学院まで6年間通うことになります。
でも、大学に入って気づいたんです。自分がしたいのは、政治じゃない。社会に貢献できることをしたいんだ、と。
大学では、自分の興味にもとづいて、「研究」を行います。先生がテーマに選んだのは、中学時代にご自身が参加した、英会話コンテストでした。この取り組みを研究するにあたって、教員免許を取り始めたことが、学校の先生への想いを強くさせていきます。
でも、採用試験は受けず、民間企業に行きました。ビジネスに関心が持てなかった自分に、引け目を感じていたんですね。
「将来は学校の先生になりたいです」と言いながら就職活動を続け、幸運にもその気持ちを受け入れてくれた会社と出会うことができ、企業の商品開発や販売・広告の課題解決をする会社に入社。データ分析や、人事として社員を採用したり育成したりする仕事を経て、30歳の年に、謎の組織・Teach For Japanを通じて、学校の先生の世界に飛び込まれました。
周りの人には、学校の先生が『夢』だと認識されていました。でも自分としては、人生の『チェックポイント』みたいな目標だったんです。それでいざ、教員になってみたら、今度は新たな目標ができてしまいました。教育を、もっとよくしたい、って。
しかし、その目標に向かうべく挑んだ試験では、結果を出すことができなかった先生。手に入れたいと思ったものが手に入らなかった、初めての挫折を経験。そのとき、真っ先に浮かんだのは、同じ思いを生徒たちにさせたくない、ということでした。ただでさえ考えるのが難しい自分の今後の進路について、いっしょに考えてくれるオトナを用意する発想は、ここから来ているんですね。
思い返してみれば、口に出した夢をコロコロ途中で変える人生でした。結局それは、諦めてきた過去でもあった気がします。それでも自分が、大きく悔しいと思わずに済んでいたのは、偶然の出会いに身を任せながら、それぞれの場で楽しんできたからだと思います。
でも、自分としては残念なことに、優秀でありたい・目立つ存在でいたい、といった気持ちがいつも優先して、だからいつも、『まだ、ここじゃない、どこか』を望んでしまう。それで、よくわからなくなって、苦しくなることが多い。
でも、先日観たアニメで、あるセリフに勇気づけられました。『えらんだミチを、自分で正解にしていけばいいんだ』ってね。
もうおそらく増えることのない「学年通信文学」では、過去に以下のような記事を執筆してきました。
個人的には、「学年教員のえらんだミチ」の、他の先生のものも掲載したいところですが、それはそっと心の中に留めておきたいと思います。
そんなわけで以前に書いた文筆を再掲しただけの新記事。
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