コロナ禍の「農業ビジネス体験学習」のつくりかた【①総合学習のアジャイル開発】

2019年、公立中学校の講師として入職した1年目にチャレンジしたのは、Pepperを使ったロボットプログラミングを通じた課題解決学習だった。年度が明け学年が持ち上がり、職場体験学習を通じたキャリア教育を行う予定だった2020年、新型コロナウイルスの影響で中止となった職場体験の代替案として持ち上がったのが「農業体験」だった。

このシリーズ「コロナ禍の「農業ビジネス体験学習」のつくりかた」では、農作物の栽培体験と、顧客を起点にしたマーケティングプランづくりの、ハイブリッドによる体験学習を設計・実施した顛末を、5つのテーマに切り取ってお届けする。第1回の今回は、「総合学習のアジャイル開発」をテーマに、本来のカリキュラムデザインの王道ともいえる手順をまったく踏まないままに進んできた学習の全体像を、時系列で説明しながら、同時に「学習活動をアジャイルに開発する」ということについて触れていく。

┼─シリーズ記事・タイトル─┼
①総合学習のアジャイル開発
②活発な地域人材との連携術
│③ビジネスを学校に持ち込む│
│④発想をシンカする関わり方│
│⑤地域とキャリアのはざまで│
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episode.0 : 立ち消えた構想 – 「取材」としての職場体験

2020年3月。新型コロナウイルスの影響による全国一斉休校は、反対に教員たちの研修時間の確保にもつながった。私が勤務する学校は公立の小中一貫校で、2020年11月に「小中一貫全国サミット」という研究大会を控えていた。11月の学校公開に合わせ、2020年度は取り組みを図っていく必要がある。そのため、その前年にあたる2019年から、近隣の大学の先生をアドバイザーに迎え、「地域とともにある学校」をテーマに据えた発表を行うことが決まっていた。臨時休校がもたらした時間的余裕は、次年度の戦略を考えるための教員研修を可能にした。

Pepperの成功と失敗を踏まえ、せっかくだからもう一年プログラミング学習を担当したいと思ったが、そうは問屋が卸すはずもなく、2019年にPepperを開発した中学1年生たちを、そのまま学年持ち上がりで担当することが決まった。副担任という立場だからこそ、担任教師に負担をかけたくないという部分がありつつ、それ以上に、総合的な学習の時間のデザインに味を占めた部分があったので、新学年の体制が決まってすぐ「私が総合学習を学年で担当します」と手を挙げた。そこには意志だけでなく必然もあったと思う。なぜなら勤務校では、中2は「職場体験」の年だからである。

在京の、情報商材を取り扱う会社の人事だったという経歴がゆえに、仕事というのは目に見えるもの・説明が容易なものに限られるわけではないと想っていて、だからこそ事業所に出向いて3日程度の体験をしたくらいでは、仕事のリアルを見通すことは難しいと考えていた。また「やりたいことを探す」ということの末に迷いを抱える人を多く見てきたがゆえに、未来逆算型のキャリア形成にも違和感を持っていた。さらに言えば、なまじB2Bでの経験があった分、カウンタパートにも「うまみ」を出せるような仕掛けでないと意味がないと考えていた。

そこに横たわる、前述の「地域とともにある学校」というコンセプト。ならいっそ、自分のキャリアを考えるための職場体験というより、地域の魅力を知った上で、「この地を出て生きる・この地に留まって生きる」という選択を、前向きに図ることができるような「地域の魅力に出会う」職場体験に位置づけたい。そんな思いが巡った結果、湧き上がった構想としては、

  • 地域にある産業を発見し、その中から自分がかかりたいと思う事業所を決める
  • その事業者のもとに3日間の体験に出向き、そこで働く「人」に着目して「取材」をする
  • 「取材」してきた「人」の仕事に対する思いをポスターにまとめ、事業所にお返しする

というものだった。同僚には「これがしたいんですよね」といって、大阪阿倍野区の「文の里商店街」で行われたポスター総選挙の事例を出した。

4月の新体制発足後、この新しい職場体験の発想にワクワクを止められなかった私は、さほど時間が立たないうちにこの構想の頓挫に出くわす。福岡県の緊急事態宣言発令による休校延長、そして文科省の指針に基づいた、校長判断による「職場体験の中止」だった。終わった。


episode.1 : 全ては、校長の思いつきから始まった

勤務校の校長は、アイディアに溢れる人である。相応のリスクヘッジをとりながらも、面白いと思い至ったことについては、基本Goを出す。その点が私とバイブスが合う所以であり、そのおかげで、Pepperプログラミングも、急だが外部講師を招聘したり、全国出場校数校を巻き込んでYahoo!のLODGEで全国大会前日練習会を開催したり、ということができた。その校長による「職場体験中止」の判断。校長は「なんか学年で代替案を考えておいてください」と言っていたが、その指示の後のカジュアルな発言において「もうさ、畑でもやらせればいいじゃんか、校内の一部を畑にしてさ」と言った。間違ってはならないのは、このカジュアルな発言はその実、具体的指示である。

一応、予防線を張っておく。私は上述の事態において「校長のトップダウン」だとは思っていない。事実、私はそのアイディアに乗っかったし、乗っかって膨らました部分を、さも「私がやりました」のように発信する節もある。なにより、思いついてしまったらそのワクワクを止められなくなるというのは、私がいちばんよくわかっている。なので、校長の「思いつき」には、反発心など何一つ抱いていない。なにより、そうやって動いていくのが組織だと思う。

さてそこからの校長の動きは早かった。勤務校の校長は、さまざまな地域資源を取りつけたり、関係機関に連携する動きがすばやい。いちおう学校運営協議会を開催するコミュニティスクールであり、また地域交流センターを併設する学校だ。そりゃ、地域資源との距離感も近い。そのため「畑を開墾したい」という話を、地域で活動する団体に電話連絡していた。校内での開墾、地域の農業従事者に畑を借りる、といったさまざまな可能性を探り続けた結果、学校から徒歩5分の場所にある、里山のふもとにある空き家のお庭を借りることが決まってしまった。

これは、もう、逃れられない。

しかし私は「マジで農業かよ…」という気持ちが拭えないままだった。もう、なぜそのメンタルブロックがあったかは思い出せない。しかし、キャリアのありようの選択を広げるという意味では、オンラインで職業人と生徒を繋ぐような学習の可能性も捨象しきれないと思っていたところもあり、「ほんとに農業でいいのか」は思案し続けた。PTA会長にもヒアリングをし、この地域の主要産業は何かと問い、農業以外の可能性の活路を見出そうとした。結果、得られた返答は「ほんとうにこの地域には農業くらいしかないですね」だった。

もう、これでいくしかなかった。


episode.2 : ワクワクするけど没にした「会社活動」

しかし私の中で思い至ったのは、単なる栽培活動では面白みがない、ということだった。いや、栽培活動自体を否定したいわけではない。今となっては、作物を栽培すること自体にどれほどの大変さがあるのかを身にしみて知ったし、栽培活動を手数をかけて行うということから広がる学びだってあるということは認識している。しかしその時の自分は、すでに小学校のとき、なんなら幼稚園のころに栽培した経験を持つ「さつまいも」を育てたところで、それだけで学習を終えてしまっては意味がないと感じたのだ。

ところで、「農業じゃね」という話になったとき、これまた校長や管理職との雑談めいたはなしのなかで、栽培した作物をどうするかという話が浮上していた。まだそのときは、さつまいもを栽培するということは決定しきっておらず、大根をやろうか、はたまた複数の作物をやるか、などさまざまなアイディアが出ていたところだった。そのなかで出ていた話題が、

作った野菜は、まちづくりフェスティバルの振る舞い豚汁に使ってもらえばいいじゃん

というアイディアだった。

さすがに給食で使うにしても保健所の審査を通さなければならないし、というかそもそもそれだけの収穫量が担保できるかも怪しいし、かといって家に持ち帰ってもらうだけでは芸がない。自分たちが作った作物が、誰かの元に届くということは、学びの手触り感としては大事だ。加えて、その「まちづくりフェスティバル」は、毎年中学1年生がボランティアをしにいくということになっている、地域連携の体験活動の一つに位置付けられており、事実、担当している中学2年生は2020年1月にボランティア活動をしている。「俺たちが作った野菜を使って、フェスティバル、よろしくね!」と後輩に託す流れは、まあ美しい。

しかし、それが既定路線として進んでいくことに、さほどワクワクを感じなかった。そもそもが「職業体験」の代替である。それであれば、リアルな「職業」らしさを生じさせたかった。私にとっての「リアルな職業らしさ」とは、いいかえればビジネス、つまり顧客との「取引」が発生し、価値提供を「集団」「分業」で行なっていく、という要素。誰かに価値を提供するから、その対価を得ることができるんだ、ということを、職場体験では感じ取って欲しいと思っていた。その代替案として農業を体験するならば、いっそ農業で「ビジネスを興す」ことを体験してもらえばいい。

そうして思いついたのが、疑似農業法人活動だ。詳しくいうと、以下のような体制で進める。

  • 学年43人+学年教員で疑似農業法人を形成する。農作業は原則全員で行う。
  • 営業部、生産管理部、商品開発部、財務経理部、広報部を起き、それぞれに教師が顧問としてつく。
  • 代表取締役に校長を置いて、校長は疑似農業法人に対して、さつまいもの苗の購入資金を投資する。
  • CEOは置かないが、各部の代表者で構成する執行役会的な組織を起き、合議制による執行権を持たせる。
  • 生産管理部が作った生産計画に基づき、全員で生産活動を行いながら、各部の仕事を行う時間をつくる。

この体制自体は、妄想が広がるものだった。生産管理部と商品開発部のケンカ、あるいは営業部と財務経理部の売価での交渉。たとえ最終納品先が「まちづくりフェスティバル」の実行委員会だとしても、生産した商品を届けるだけでなく、その過程を最終消費者に対して見える化していくような仕掛けの設計は、まさしくビジネスそのもの。会社なんて作ったことがないのに、会社活動を思いつくなんて自分でも驚いたが、とてもワクワクした。

しかし、ある朝シャワーを浴びていて思った。

「これ、ワークしねぇな」


episode.3 : 竹プランとしての「ビジネスプランコンテスト」

5月には畑を耕さないといけないから、どう学習を進めるかをはやめに学年で決めて、校内の運営委員会に諮りたいですね、と学年主任に言われた4月末。考えてもなかなか企画書に手がつかないまま日々が過ぎる中で、会社活動をやりたいという妄想の一方、具体的にどのように進めるかについては、アイディアの着地を見なかった。そんななか、同僚教員と話す中で、「部門別に分けても、それぞれがどのような活動をしているかの共有が図れないと、プロジェクトとして成立しにくいかもしれない」というフィードバックをもらった。確かにそうだ。

と、ここで、自分なりの「企画立案術」を発動させる。それが、「松・竹・梅モデル」である。話は単純だ。進めようとしている施策について、松竹梅のバリエーションを用意する。考える順序は、松→梅→竹の順番がいい。なぜなら

  • プラン松:やりたいことをフルスペックで入れた場合のプラン
    (今回は「会社活動」)
  • プラン梅:確実に実現できるレベルのプラン、現状維持のもの
    (今回は「栽培活動のみ」)
  • プラン竹:松と梅の中間にあたる、必要な要素を入れたプラン
    (今回は「ビジネスプランコンテスト」)

という順序で考えることで、最終的に「竹」に落ち着けるということを示せるからだ。実際、同僚教員にはプラン松の「疑似農業法人体験」と、プラン竹の「ビジネスプランコンテスト」の両方を提示し、話し合ったうえで「面白いのは松だけど、実態としてできるのは竹」と落ち着けた。

後から考えて、このように「松竹梅」で考えたのはよかったと思う。自分でも「疑似農業法人がやりたい」と息巻いていて、そのことだけしか考えられていなかったのが、冷静さを取り戻すことができたからだ。竹プランをビジネスプランコンテストに据える上で、結局自分が「農業という職業体験」を通じて提示したかったのは、以下の3点だと気づいた。すなわち

  • ビジネスは自分でつくることができる
  • ビジネスは顧客に価値を届けることだ
  • この地域には隠れた魅力や機会がある

ということ。それに気づくうえでは、疑似農業法人体験はToo muchだったわけだが、それは「松竹梅」を並べてみて初めて気づいたことだった。

今回の学習においては、農業体験自体はどうやっても外せない要素としてかならず行われる。それも「自分の手で野菜を育てる」という、「自分でつくる」経験だが、作ったものを誰かに届けるという経験とセットで、初めてキャリア教育としての意味をなすと考えていた。その意味では、ビジネスプランコンテストを行うことだけでも、目的は充分達することができると思っていたし、むしろ「生産」と「販売」の両輪を手触り感とともに行える学習活動は稀有だと思っていた。そして、それを行えるという「勝算」もあった。なぜなら、実際の経験の有無は脇に置いておいて、私自身がマーケティング業界の出身者だったからである。


episode.4 : そうして、企画書が出来上がった

農業のビジネスプランをつくる。リアルな生産活動を行いながら、他方ではマーケティングを意識する。自分たちの発想を基点にしながらも、確実に「売れる」プランを考える。そんな学習活動においては、

  • 農業の基礎を理解して栽培活動をリアルに体験する
  • 中学生にもわかりやすい形でマーケティングを学ぶ
  • 農業の6次産業化事例からロールモデルを理解する

という要素が必要だと思った。1点目は、そもそも畑の開墾を依頼した地域で活動する団体が存在するし、技術の教員も栽培については指導領域にあたるから協力は得られる。で、問題は2点目と3点目だが、私の場合はこれがラッキーなことに、外部に潤沢なリソースを持つことができていた。

2点目の「マーケティングを学ぶ」という点。そもそもマーケティング業界にいたので一定の説明はできるが、それでもどう進めればいいかは具体が見えていなかった。そこで頼ったのが、Pepperプログラミングの授業でお世話になった、musubimeの青柳さんだ。2019年度は「Pepperの会話エンジン開発経験者」という接点からの協力依頼だったが、結局お願いしたことは「コンセプト開発」であって、それはさつまいものビジネスプランづくりにおいても知見を活かせそうだと思った。詳しくは3章に書くが、彼からは「バリュープロポジションキャンバス」という武器を教えてもらった。

3点目の、6次産業化のロールモデルだが、これには強力な存在がいた。校区に、「卵を生産する養鶏場に雛を卸す育雛事業」を営む事業者がいて、しかしこの事業者も結局卵を生産しちゃうので、高付加価値の卵を独自の販路で販売するという6次化を成し遂げた会社があった。そしてここにはかねてから職場体験でお世話になっていた。この話も3章で詳しく扱うが、この会社の社長に講演をしてもらえればいいじゃん、と思いつくまでに時間は掛からなかった。

そうしてできた企画書は、すんなりと運営委員会を通過する。そりゃそうだ。企画段階から管理職とのやりとりを続けながら進めてきたことである。一部を抜粋して掲載するので是非ご覧いただきたい。

この企画書の存在は非常にパワフルだった。教職員間で共通認識を図るということもさることながら、特に外部連携をする際に、この企画書を送るだけで、相手は「あーね」となってくれたので、話を進めるのが非常にスムーズだった。特に、件の育雛業者の社長に至っては、まず電話で「職場体験をしなくなったので講演をお願いしたい。メールで企画書を添付した」とお伝えしてメールを見てもらったところ、すぐに折り返しの電話がかかってきて「こんな企画書見たことがない。是非協力させてほしい」という反応をもらったほどだ。純粋にうれしかった。

そしてもう一つ、ポイントがある。この学習活動、なんと企画書に書いてあるスケジュール通りには、いっさい動いていないのである。


episode.5+ : アジャイルは、企画段階では終わらなかった

福岡県の緊急事態宣言が5月中旬に解かれ、ゴールデンウィークあたりに教員で畝作りをおこなった畑に苗を受ける時期が6月頭に決定した。いよいよ授業が滑り出す。いろいろバタバタしながらも、マーケティングに関するインプットや、農業6次産業化のロールモデル講演などを進めていく。その最中に、校長に呼ばれて、こんな提案を受けた。

イノシシに食べられるかもしれない。
対策をした方がいいので、里山の会に連絡した。

詳しくは2章で述べるが、そうして急遽、害獣対策の竹の柵の設置という、企画書にはない新たな体験活動が加わった。そしてそれとは別にこのようなことが議論された。

12月の修学旅行を10月に前倒しする。

そうして、収穫と最終プレゼンを終えてから取り組むはずだった修学旅行に関する取り組みが、栽培期間中に入れ込まれるという形になり、これまたスケジュール通りにならなくなった。その他にも、例年の「まちづくりフェスティバル」は中止になり納品先想定はくずれ、結局収穫してみたらそんなに多く生産ができておらず、他方マーケティング学習においては、最初のインプットの時期からプレゼン作りまでの間が空いてしまうなど、何一つスケジュール通りには進まなかった。

しかし、結局、収穫はできたし、プレゼン発表もできた。これを、行き当たりばったりと言わずしてなんというか、というところであろう。しかし、不確実な状況下において、アジリティを持って学習活動を成立させてきた、という説明もつくだろう。


conclusion? : カリキュラムのアジリティを担保したもの

ここまで、企画のそもそもの段階から企画書を完成させて学習を開始するところまでを中心に、時系列で起きてきたことをトリミングしてお伝えした。そしてお分かりの通り、ここまでのカリキュラムづくりは、ぶれない大きな目的から分解的に形成したものでは決してなく、思いつきの積み重ねを後からそれっぽく説明していくという方法によって行われた。そして、これは総合的な学習の時間のカリキュラムデザインにおいては、邪道であると思う。

詳しい文献にあたっていない(それこそ学習指導要領ですらざっとしか読んでいない)のだが、本来「総合的な学習の時間」は、学校全体のカリキュラムのコアをなすものとして、学校教育目標や、児童生徒ならびに地域の実態をふまえて、コアとなるコンセプト=目指す児童生徒像を規定し、教職員の共通理解を図った上で、発達段階を意識しながら、全体としての「ストーリー」を組んで設計していくことが求められる。しかも、事前に。

しかしどうだろう。今回形成していったものは、思いつきの積み重ねの割には、それなりに「ストーリー」が形成されているとも言えなくもない。あとから活動をどんどん継ぎ足しても、それなりに「よかったね」と成立できている。繰り返すがこれは邪道なのであまりお勧めできない。しかし、このコロナ禍においては、こうせざるを得なかったという実態があったし、同じようなハメになった学校もあったと思う。

では何が、学習活動の部分=Howにおいて、アジリティを持って開発することを担保したのだろうか。それは、ここまでの話をひっくり返すかもしれないが、ひとえに

コンセプト

だと思っている。それは、言語化した共通理解が図れていなかったにせよ、関与する全ての人たちの間で「なんとなく」共有されていた、何を目指してこれを行うのか、という目的=Whyだったと思う。つまり

  • 地域とともにある学校
  • ビジネスを自分で創る

という2点だった。前者は学校のお題目として、後者は私がこだわった点として、これがブレずに据えられていたことが、Howの部分が定まりを得なくても進んでいったことの要因だと思う。もう一つ加えると、Whatにあたる「農業」というテーマが、いくらでも広げようのあるもので、それでいて手触り感があるものだった、というのも起因している。そう考えると、校長の思いつきは決して気まぐれによるものではなく、むしろ「地域とともにある学校」というテーマと、「マジなんもねぇ」という地域の実態という文脈からくる合理的な思いつきであり、加えて「なんもねぇ」割に地域資源には溢れているということを認識しているが故に、農業に「勝算」があったが故の策略ともとれる。ちなみに、校長は校区出身だ。

アジャイルの対をなす概念であるウォーターフォールも、ましてアジャイル自体も、それが本来どういう意味なのか、私自身よくわかっていない。しかし、いいかどうかは別として、アジャイルというのは常に、仮説検証を繰り返しながら、エンドユーザーにとってより良いものを届けていこうとする姿勢だと思っている。その分、肥大化しやすいという点もあるように思うが、まったく今回の取り組みに適していた。

もちろん、ウォーターフォールを否定するわけではないし、いやむしろ、ナショナルカリキュラム=学習指導要領が定められている教科学習においては、ウォーターフォールの発想は大事だと思っている。アジャイルでやって行ったら、終わらせるべきことが終わらないままになるのはよろしくない。しかし、「探求的な学び」を標榜する「総合的学習の時間」は、本来王道とされるカリキュラムデザインはウォーターフォールっぽさを持ちつつも、実際の探求的な学びは本来アジャイルなものであるはずだ。とすると、邪道だと言った今回のアジャイル型のカリキュラム開発も、あながち間違いではない。

VUCAの時代、答えのない問いを追求し、想定外の未来を楽しむ。そんなワードを、教育界隈でも耳にする。この新型コロナウイルスの影響をモロに受けた2020年度は、誰もが「想定外」っぷりを経験した。そういった世界を生きていくこれからの世代の人々に求められるのは、まさしくアジリティなのだと思う。しかしそこで、流されたり迷ったりすることなく、柔軟ながらも芯を持つ「しなやかさ」を持つために必要なことはなんだろう。それがまさしく「コンセプト」なのだと思う。今回のカリキュラムは、その「コンセプト」を、いったりきたりしながら形成し、最終的に企画書に落とし込めたことがキーだったと思う。

musubimeの青柳さんに、一連の学習活動を終えた後、このようなフィードバックを頂いた。

遠藤さんは、生徒たちに、
人生のコンセプトメイキングをさせたいんだと思います。

この言葉がすとんと自分の中に入った気がする。なぜこれをするのか、ということを持ち、それを共有していれば、多少いろんなことがあっても、なんとかやっていける。そういうカリキュラムのあり方も、アリなんじゃないだろうか。


さて、すでに一本目にしてとんでもない字数に至っているが、次の記事においては、この記事のテーマになった「アジャイル」の根源ともなった、地域団体との連携について書いていこうと思う。

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