休日としての休日

久々に休日らしい休日の過ごし方をした。

7時に一度起こされ、リビングから畳の部屋に移動してまた寝る。
1時に目が覚め、あわただしくシャワーを浴び出かけの準備をする。
1時半には電車に乗る。悶々といろいろなことを考えながら渋谷で下りる。

ダッシュで文化村まで走ったのであせダラダラ。
落ち着きのないまま、東フィルの定演の座席に着く。

今日は椿姫。ヴェルディの名作オペラを、コンサートスタイルで見る。
聴くも初めて、話の内容なんか全く知らないのに、原語で上演だった。イタリア語など分かりっこない。

話の筋。舞台はパリの社交界。
当時の社交界にはたくさんの娼婦がいて、男たちの貢ぎを得て文化的にかなり高い地位にあった。
そんな娼婦の一人ヴィオレッタの前に、青年アルフレッドが現れる。1年も前からヴィオレッタを愛していたというアルフレッド。
ヴィオレッタは、一度は軽く受け流す物の、体調を崩したヴィオレッタを気遣う姿や、「もうこんな(娼婦としての)生活はやめた方がよい」という語りかけ、愛を語る彼の心に動かされ、「この(椿の)花がしおれたら(=明日)会いに来てちょうだい」といった。
それから3ヶ月。幸せな田舎暮らしも苦しくなった。
お互いの生活を維持するためにヴィオレッタは自身の財産を売ろうとしたが、アルフレッドにバレる。
一方アルフレッドの父が彼女を訪ね、アルフレッドと分かれるよう説得。アルフレッドの妹が結婚するのに都合が悪いと、ヴィオレッタも状況を理解し、心苦しいながらもアルフレッドを愛するが故に別れを選択。
ところが、その気持ちを知らずにアルフレッドは怒りに狂い、夜会に出向いたヴィオレッタを追いかけパリに向かう。夜会では、別れると言った手前、彼女は新しい男を愛していると言ってアルフレッドを突き放す。
生活のために財産を売ろうとしたこと、別れると言ったこと、ヴィオレッタの行為に対し怒り狂ったアルフレッドは、賭けゲームで勝った金をヴィオレッタの前にたたきつける。このことに会場中から非難される。
数日後、前から患っていたヴィオレッタの病気が悪化。
これを聞きつけたアルフレッドは病床のヴィオレッタのもとに駆けつけ、すべての行動を反省し許しを請う。
二人の愛は再燃し、もう一度一緒に暮らそう、一緒に教会に行こうと言った瞬間、ヴィオレッタは力尽きる。

・・・これね、話の筋からして冷静に考えればつっこみどころが多いわけですよ。
娼婦と恋愛など成立するのか、とか
そんな甘ったるい言葉で女性の心は動くのか、とか
なんで親父が息子の恋愛沙汰に首を突っ込むのか、とか
文化的背景の差がもたらす疑問が多い。
それに、ヴェルディの作曲した音楽も、せりふの持つ意味の雰囲気とは違う感じに聞こえる(別れろ、といっているくせにメロディーが華やかだったり)。

でも、そんな疑問点を越えて、演奏が本当にすばらしかった。
名演。
チョンミョンフンが振っているだけで重みが増すのはなぜだろう。
コンサートスタイルオペラだけに、舞台装飾は一切なく、歌手も皆コンサートスタイルの衣装。
でも、歌手たちは迫真の演技をしていて、本当に彼らが物語の中の人のように思える。
泣くふり、抱き合うシーン、何かを受け取る場面、とにかく舞台には奏者と歌手と楽器しかないのに、世界に引き込まれた。

やっぱり、こうして二ヶ月に一度は生オケを見て、気持ちを休めるべきだと思う。いいもんだわ。
東フィルの主席トランペットの某F先生とは、今日は会えなかったが、前からずっと「バレエのゲネプロ見せるから連絡しろ」と言われている。彼女と一緒に見に来いなんて茶化される。
いければ是非行きたいものだわ。でもさすがにおひとり様はオケで十分。
新国立でバレエ見てオペラシティで食事、なんてすてきなコース。あるいはBunkamuraでジルベスターコンサートで年越しして明治神宮でお参り、なんてすてきなコース。
劇甘な「椿姫」の主人公2人もぶっ飛ぶようなデートなんて、しようとしてできるもんじゃないな、と。

でさ、結局言いたかったことは、愛って何なのさ、いったい。


携帯からも、くだらなさをご一緒に
enshinoProject

本番でこそ果たすべき本来の役割

ご無沙汰してます。ここ最近、いろいろと綻びがあって精神的安定が見られませんでした。収束に向かっています。

で、今日は本番でした。
本番が複数回あることは幸せですね。でもそのかわり、妙な緊張感があります。
もしお蔵入りになったとしても次の本番タイムがあるわけですが、むしろ1かいきりの本番の方が、潔さがあると思います。

正直、音声さんとしてのenshinoは、本当にGJなんだと思います。
恵まれた環境を最大限活かして、力量を持っている我が団体の最高のパフォーマンスをできる限りよい形で記録したい。
ディズニーリゾート・ミュージックフェスティバルプログラムという舞台に立てるなら、それに向けてできることは尽くしたい。
それが音声さんとしての役割だと思っていました。
事実、多地点録音は驚くほどの奏功ぶりです。各地点から聞こえる音はショボいとしか言いようがないのですが、それを総合したとき、自分の耳を疑うほどの音ができあがっていました。
正直言います。演奏の聞こえは、間違いなく成功です。

でも僕は音声さんである前に副部長でした。
聴かせる・魅せる音楽作品を集団でつくりあげるのが吹奏楽。その集団にあって、名ばかりでも「まとめ役」である自分には、音声さん以上に担わなければいけない役割があったはず。
「一緒にがんばろうね」というコミュニケーションを果たせたかといえば、全くできていなかった。
気持ちを鼓舞すること。気持ちをつなげること。
それが自分の役割だと気づいていながらできない自分が今日の反省。

そして僕は、副部長である前に一人の演奏者です。
一人の演奏者として尽くせる手を、僕は果たしていません。本分を果たさなかったのですね。
ちゃんと音づくりに参加すること、合奏に集中すること、音楽に没頭すること、冷静に楽譜に忠実に演奏すること。
きりがないほどの反省点、音声さんとして自分のエゴで動いていたことが悔やまれます。特に指揮者M氏には本当に頭が上がりません。僕の全部のパフォーマンスが、まだまだ出し切れていないようです。

みんながんばってます。
あまり練習に来られなかった人も、毎回のように参加している人も、そんな垣根なくがんばっています。
あぐらをかいている場合じゃないなと思いました。

別団体の長にいわれました。
しのぶは物事に本気になったことがあるか、と。
明日示せる本気は、楽器で示したいと思います。

明らかに、Dolceでの「しのぶちゃん」とは違う自分が、これをDolcerに向けて書いているのも不自然でしょうか。
とにかくいま、今日関わってくれた人すべてに感謝しながら、明日は本当の意味でできることをやろう、と思っているところです。

まさに、帰りの夕食で誰かが口に出した、Nobles Oblige。
明日呑む酒の味も、これ次第で変わるに違いないでしょう。