気がついたら、もう少しで23歳が終わる

そしてもうすぐ、年男になります。

22歳の終わりごろに、311という経験をしてから、23歳になってからの1年はプロジェクト結とprayforjapan.jpと就職活動を中心に回っていたように記憶しています。大学院生の1年目として、新しいステージに立った1年間だったと思います。

これらの、プロジェクトと就職活動の同時並行は、自分にとって様々な気づきを与えることになりました。自分がどういう行動をするのか、どういう傾向があるのか、そういうことを自分なりに理解しながら、一方で理想と現実のギャップに押しつぶされそうになっていることも多々ありました。

毎年毎年、歳は取ります。
ですが、毎年毎年成長しているかどうかを実感することはなかなかできません。

後から振り返った時に、この23歳の1年間が自分にとって大きな意味を持つ1年間だったことは気づくことになるんだと思います。しかし、23歳の終わりの日のこの時間が、あまりにもいつも通りに過ぎていくもんだから、はて今年1年なにがあったかなぁと感慨にも浸れません。

世間的にはいい大人の一員なはずです。ただ、大学に6年もいるもんで、まだまだ自分は若い(しかも子どもとして若い)と勘違いをしています。年齢的に社会人であってもよい自分は、しかし大人とは何かがまだまだ分かっていないな、というのが正直なところです。それは、プロジェクトに関わるということと、就職活動をすることと、その両方によって強く感じることができました。

ところで、23歳の1年間は、交友関係がひろがった1年間だったとも言えるかもしれません。311以後の日本のキーワードが絆だったように、これほどまで人間がなんらかの「絆」で結ばれているということを思い知るようになりました。思わぬところで人と人とのつながりの狭さを感じることも多くありました。それは、自分から外に出るということを積極的にやっていったことの裏返しなのかもしれません。

毎年のことですが、誕生日は自分が生を受けたことに感謝すると同時に、前年の誕生日から今年の誕生日までにお世話になった人に対して感謝の念を再認識する(と同時にその感謝の表現をちゃんと行動で示していない自分に対してガン萎えする)日だと思っていて、自分については決して祝われるような日ではないと思います。私は祝われるほどの人間ではありません。むしろ、たくさんの人がいるから生きている(あるいは生かされている)ことをこちらから感謝したいと思います。その感謝を示すべき人は、今年になってかなり増えました。

23歳の1年間、本当にたくさんの人にお世話になりました。
ありがとうございました。

父が病に倒れ、祖母は目の病にかかり、母は仕事に忙しく、弟はアルバイトをやめざるを得ない時期があり、妹はなんと総合体育大会地区予選前に指を骨折し、そして私は精神のバイオリズムを崩すことも多々ありました。私の家庭は波乱に満ちていますが、しかし喜ばしいことに、みんな図太く生きています。

残念ながら、来る24歳は厄年本番です。解釈のしようですが、平成24年は半分過ぎましたから厄年の苦行はあと半年とも言えますが、とはいえ何が起こるか分かりません。それでもとにかく図太く生きること、これだけは守っていきたいと思います。

24歳の遠藤忍も、どうぞよろしくおねがいします。

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