今年も、宮古島に行ってきました。というのを大々的に言うのが憚られる時期に差し掛かってきましたね。もちろん、感染対策は十分に講じながら過ごしたのは言うまでもありません。
昨年は1泊2日でしたが、今回は2泊3日することができ、少し余裕を持った過ごし方をすることができました。昨年に引き続き、折りたたみ自転車を持ち込んで島内を走り、昨年は伊良部大橋を、そして今年は来間大橋と池間大橋を渡ることができました。癒される場所なのに、自分の体を酷使するというのは、なんとも変態的だなと自分でも思いますし、さらに言えば、ライドは前回の宮古島以来の1年ぶりだったので、劇的な体力低下を感じました。
さて今、帰りの飛行機の中です。今回の来島も「 #人事ごった煮 」というコミュニティの交流会への参加がその理由です。そこで感じたことを書き連ねることで、ここのところしばらくサボっていた文筆の感覚を取り戻したいと思います。
感じることを研ぎ澄ますための時間
生真面目というか、遊びがないというか、そんな人生だったような気がしています。宮古島に来てもなお、自転車を持ち込んでただ橋を渡りに行くというのは、個人主義的だなとも思うし、なんかこう「交われない」という、世によく言われる「コミュ障」ぶりの発露だとも思います。「交流会」のような場になると、何を話していいのやら、もっといえば初対面の人とどう関わっていけばいいのやら、というのは、実は周囲からのイメージとは裏腹に、困り感を抱えるところでもあります。つまり、一般的に「楽しい」とされることを楽しむのは、苦手な人間だという自認があります。
今回の交流会は、念願のRuGuでの実施でした。トレーラーハウスを使ったグランピング宿泊施設。友人である安部さんからは、何度となくその話を聞いたり様子を見せてもらったり、なんなら彼には「いま、それぞれの居場所から」で話をしてもらったりしていたのですが、その実行ったことがなかったわけで。ようやくうかがえたその場所は、宮古島本島からも離れている来間島の、さらに集落からも離れている場所で、さまざまな「ノイズ」から遮断されたところに突如現れた空間でした。さすが、名前の由来が「龍宮」なだけあります。
ひとことでいえば「おしゃれ」でした。それだけに、どこかドギマギする部分があるのも事実でした。他の皆さんは15時に集合して、ライトニングトークを聴くコンテンツを消化した後の、今からバーベキューですよ、という時間に到着。知った顔が何人かいるのが安心でしたが、だからこそ、知った顔のところに安住しちゃう自分がいたのも確かでした。自己紹介を全体にする時間を持ってもらったので、「えんしのと話したい人がいるよ」と、友人が自分を連れ出してくれたことには、ぶっちゃけ感謝しかありません。
ミライフの佐藤さんが、夜にグループワークを用意してくれました。自分のキャリア・シナリオについて10分程度内省し、その内省の感想を一人7分ずつしゃべっていく、その喋りを聞いている間は他の3人は黙って聞いているだけ、という時間でした。ランプが灯すオレンジ色の明かりと、夜風のなかで行う、静寂の内省と人事職らしい各自の訥々とした語りは、とても尊い時間のように思えました。そこで改めて気づいたのは、実は自分が「未来を想像する」ということが、苦手というか、あるいは逃げているというか、そういうことでした。
何かに気づかなきゃ、何かの学びを持ち帰らなきゃ。交流会とか勉強会とかにくると、どうしてもそういうモードが自分を支配してしまうことが、私の場合多々あります。でも、周囲は必ずしもそうじゃなくて、ただ純粋に楽しんでいるという人もいて、そういう人を見るにつけ、「そうじゃないんだよな」という感覚に襲われることもありました。でもそれはどこか、自分の中にあるバイアスのようなものであって、それを解き放つような自己開示の時間を持つことができたことで、少しだけ楽になれた気がします。
自分が自転車を乗ることを好むのは、どこか自分に負荷をかけて頑張ることを楽しんでいるだけでなく、ライドをする中でさまざまなことを感じ、それについて考えを巡らせることができるからです。今回も、さとうきび畑の緑と、海の碧のきれいさは、いうまでもなく美しかったです。ただ目の前の景色を感じとるということは、日頃から様々なことを論理的に考えていく志向の強い、あるいは日頃から心を使って人と接することが求められる志向の強い、私のような人間にとっては、大事な時間なのかもしれません。今回私はそのことを、薄ら雲が徐々に消えていき、その間から星空が見えてくる、そんな夜の鑑賞時間を過ごすことで、気づくことができました。
「ひとが、いきいきと、いきる」ことに関わる仕事というのは、「考える」だけではどうしても、何かが足りない、という場面が多いと思います。相対する人の、あるいは、というか、それ以上に、相対する自分自身の、いろんな「ようす」を感じとれるようになるためには、「感じる」ということを研ぎ澄ますこと、それはいいかれれば、考えることを脇に置いておくことが、必要だったりするんじゃないかな、と。波のリズム、風のざわめき、星のメッセージ、生き物たちうたごえ。昨今、ワーケーションがもてはやされていますが、きっとその効果は、「ふだん」から解き放たれることで、感情を研ぎ澄ますところにこそ、あるんじゃないかと思いました。
「問いを立てる力」のために、「地域を知る」ための出会いを
詳しくはこの記事を読んでいただければと思いますが、昨年の宮古島の機会から、「地域とその担い手」ということが、自分の関心ごとになってきています。というかそれは、4年前から青春基地で高校生と関わっていたことから、地域とキャリア教育について考える機会がそもそも多かったし、地域と関わるということ自体については、小出国際雪合戦に行っていたあたりからうすらぼんやりとは考えていたわけです。結局「地域と関わる」ということについては、昨年の宮古島での刺激を糧に、総合学習での「農業ビジネス体験学習」に結実したわけですが、その話はまた追々。
「ここは、マジでなんもねぇ」というのが、若者が地元に抱く感覚として、マジョリティを占めるというは、今に始まった話ではありません。ですが、人口構成が変化している昨今においては、この感覚による流出というのは大きな課題であり、だからこそ「地域に触れ・関わり・発信する」というのは、教育文脈において重要であるというのはわかっています。わかっていてもなお、やっぱり「マジでなんもねぇ」という感覚を抱いてしまうことからはどうしても逃れられない。でも一方で、なんだかんだ言って地元が好き、という気持ちもある、どこか二律背反的なメンタリティであることは往々にしてある話だと思います。
今回のRuGuでのステイでとても興味深く感じたのが、ナイトジャングルツアーでした。ジャングルツアーでは、ガイドさんから、宮古島の地形の話(上が赤土、その次が珊瑚、下が泥岩という地層になっているため、雨水が栄養を含んだ状態で濾過されて海に流れていく)、絶滅危惧種や天然記念物に指定されている動物の話(ヤシガニは5年くらい前まではうじゃうじゃいたが、島の名物食材でもあるため乱獲されて数が減ってきた)、星空の特徴の話(周りに囲まれるものがないから360度星がよく見える)、海の危険性の話(人喰いザメがいて、食べていいか分別のつかないサメがよく泳いでいるから、自分も素潜り漁で食べられる寸前になった)といった話を聞くことができました。
とにかく詳しくて興味深い話を、暗闇を歩きながら聞いていたのですが、何が驚きかというと、そのガイドさんが、北海道出身で18歳で宮古島に移住してきて今は5年目という若者だったということです。つまり、地元の人ではない、ということです。土着の人ではない人が、その土地のことについてとても詳しくなっているという状態。もしかすると、実は地元の若者はここまでの知識を持っていないかもしれないという仮説すら浮かんできます。私はここに、この島の面白さと、そこでの人材育成の可能性を感じました。
「地域で情熱を持って動いている人と出会うことによって、知らなかったことを知るようになる。それが地域への愛着のポイントになる」。これは、勤務校の地域連携アドバイザーの方(近畿大学の准教授)の話ですが、NPO青春基地で高校生の探究学習をサポートしてきた経験や、全国高校生マイプロアワードの九州大会のファシリテーターを務めて、さらに勤務校で農業ビジネス体験学習をしてみて思ったことで、感覚的にも理解できることでした。まさしくその「地域で情熱を持って動いている人」が、実は土着の人ではなく、その「ヨソモノ」から、土着の若者が「ウチ」の知識を教えてもらう、という構造は、実に刺激的に思えます。
RuGuでスタッフをやっている方のお一人は、もともと宮古島出身で、一度東京に出てから戻ってきたという若者でした。彼と安部さんとの出会いは、宮古島を盛り上げようとする若者が集まった会合でのことだったそうです。僕自身が宮古島の魅力を教えてもらったのは、まさしくRuGuの安部さんであり、そして彼は別に宮古島の土着の人間でもないわけですが、そういう「ヨソモノ」によって感化された土着の人が、この新型コロナウイルスの状況下におけるRuGuの運営上のピンチを救う存在になったというのも、けっこう大きいことに思えます。
RuGuで過ごした翌日の夜に食事を共にした参加者さんと話になったのは、やっぱり関係人口の話でした。その時の話の文脈は、関係人口を増やした方が、人口そのものを増やすことよりも、税収の面でメリットがあるということ、そしてそこから派生して、関係人口をどう増やしていくかは、魅力に取り憑かれた「ヨソモノ」が、その魅力を語っていくことによってできる、という話でした。そこに一つエッセンスを加えるとすれば、関係人口の効果というのは、実は地域の人材育成=地域の中での活力形成にも及ぶ、ということが言えるのではないかと思いました。
RuGuでの夜更、とある参加者と話す中で、とても勇気がでる一言をもらいました。その方は、すでにいくつかの会社を経営し、また顧問業も行っていて、そして社会貢献活動にも取り組まれている方です。自分の考えを社会に向ける、ということについて、熱心に議論を交わしたのですが、そのなかで出てきた「社会人にとって必要なスキルとは、問いを立てる力である」という言葉に、勇気をもらった思いがしました。この本質的な言葉からは、私のミッションでもある「学校と社会をなめらかに」することができる可能性すら感じました。私が思うに、「問いを立てる力」は、そのベースに「知りたい」という動機の形成があると思っています。その育成は、自分の地域について知っていく、という営みで可能になると思いました。
今、那覇から福岡に向かう飛行機の中です。今朝起きた時に、目にしたネットのニュースに、経団連が学校教育界に対して「人材育成の気概を持て」という提言を出したというものがあり、強い憤りを覚えました(その後、ちゃんと原典に当たってみて、ちゃんと考えられた上での提言だと知って少し収まりました)。それは元人事として「そうおっしゃるからには、企業の競争力の源泉である人材に対して、人材開発・育成への投資を惜しまないということですよね、実態はどうなんですか。というか、働く人すべての幸福追求について、どうお考えなんですか」という面、そして学校教員として「そう提言するからには、口だけではなくきちんとリソースを提供してくれるんでしょうね。というか、学校は労働者育成工場じゃないんですよ、人がいきいきといきる、そのベースを作ってるんですよ、そのために日々努力している教員の努力をちゃんと見ていますか」という面の両方から感じたものでした。
しかしあらためて振り返ると、今回の宮古島では、その憤りに対して、しかし微かな希望を覚えることができる時間を過ごすことができました。人が、いきいきといきていくうえで、ぜひとも持っていて欲しい「問いを立てる力」を、「地域」という場所において、「教育」というプロセスにおいて、「ヨソモノ」や「ビジネス」といった存在が、育んでいける可能性がある。宮古島で感じたその可能性は、「宮古島だから」という特有性のものではないと思います。この気づきを持ち帰って、私の「いまここ」の日々に生かしていくことが、今回リスクを犯した上で訪問をしたことの、せめてもの責務のような気がしています。
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