今日は、私の弟が某県の私立高校の入試を受験した。
そんなさなか、私は湯島天神にようやく初詣。
タイミングが至極悪い。
おみくじをひいた。中吉であった。覚えているのは、出産「安し」。その短さが故。
関わりのある中学生に、合格鉛筆を買い、そして自分が代理で引いたおみくじを8つ持ち帰った(当然お金は納めました)。そのうち鉛筆一本とおみくじ一つは、帰宅してまだ起きている弟に渡した。弟のおみくじが小吉だった。どうしよう。。。
うれしいことがあった。
弟に、今日の問題ので気を聞いていた時のことである。英語は40問で構成されており、そのうち32問はできたという弟。少しして、「今日の英語の問題、感動したんだよ。かっこ良かったんだぜ」と言った。確かに、いい文章だった。感動できる文章だった。
ネタバレかもしれないが、ざっくりいうと、指の動かないピアニストが、生涯最後と心に決めたピアノコンサートを控えていたとき、ある子どもがピアノを弾いていた。彼の演奏に魅了され、本番前に一緒に連弾していたところ、少年はピアニストの指が動かないことに気付く。ピアニストは事情を説明するが、少年は「大丈夫。僕があなたの指になるよ」と一言。そしてピアニストと少年(彼はピアニストのコンサートを聴きにきていた)は一緒にステージにのぼる。すると、演奏するうちに、動かなかったはずのピアニストの指が動くようになった。演奏が終わって「私はこのコンサートを最後にピアノを演奏するのを辞めようと思っていた。けれど、この少年の不思議な力で、指が動くようになった。これからも【ピアノを演奏し続ける」と。
受験は、集中力と戦いである。いくら私立併願校とはいえ、緊張位するだろう。それでも僕は、関わりを持つ中学生には「問題を読みながら、その問題のこっけいさや面白さを感じたり、感動したりする余裕が必要だ」と述べてきた。弟は、事実、問題文の内容に感動したことをそれを僕に伝えられるだけ、余裕を持って問題文に接することができた訳である。そのことが、妙にうれしかった。
「大丈夫。僕があなたの指になるよ」は、設問中の選択肢であった。彼の感動ポイントはそこだったらしい。この選択肢こそ、この問題文の肝であるし、それが答えられるほどに、弟は英語を読解するだけの力があったことが、兄としてうれしい驚きだった。
さ、俺も頑張るか。