8/17から19早朝にかけて、お友達と旅行に出かけてきた。一番の目的はもちろん十数年ぶりに行われた万国博覧会「愛・地球博」に行くこと。これが一生に一度の万博になるかもしれない、このチャンスは逃せないと、貧乏旅行に出かけた。めちゃくちゃきつい旅行ではあったが、非常におもしろい体験をすることが出来た。ここにその旅行での出来事をexpoを中心にお伝えしようと思う。
「Essay」カテゴリーアーカイブ
出発前の独り言
エッセーを提出してから7ヶ月。
面接の合格通知をもらってから4ヶ月。
月日は早い物で、もう明日が出発だ。(出国はあさってだけどね。)
ついに朝日ニッケ英文エッセーコンテスト・オーストラリア研修が始まる。
しばらくブログ更新はお休みしていた。帰国後にでも再開しようかと思ったけど、出発を前にした今日だからこそ書きたいことがある。だから勝手な判断でメッセージを残すことにした。
思えばいろんな人にお世話になり、明日を迎えることになった。エッセーの題材の奥山さんを始めとするジェネジャン関係者の皆さんはもちろん、学校の先生方にもだいぶ支えていただいた。友達もちゃんと理解をしてくれ、祝福してくれた。NOVAで知り合った社会人の方にはおいしいイタリア料理までごちそうになった。もちろん、一番感謝すべきは親・家族の存在に他ならないと思う。
そう、多くの人々の理解と協力の下で、明日の出発を控える僕がいる。そういう人々への感謝の心なくしては、旅立つことなど出来るはずがない。今、心から叫びたい。「ありがとうございました」
しかし。
僕にはいま、たった一つだけの「未練」がある。今これを書いている自分の胸が何かもやっとしているのもそのせいなのだ。今の自分の思いや考えていることをどうしても伝えないことには出発できそうにもない。
忘れないうちに。
予習はテスト範囲までは終了しているはず。
「あ、奥山本2読まなきゃ。」
そして昨日、奥山貴宏さんの二作目の本である、32歳ガン漂流Evolutionをやっとのことで読破しました。
あまり本を読まない、さらに読む速度も遅い僕としては標準的なスピードでした。
本自体は全て奥山さんのサイトのweb日記の記事でした。
月が終わるごとにブログに書かれていたコラムが挟まれています。
日ごとに区切って読めるので、読みやすかったですね、僕としては。
前作より落ち着きのあるイメージがありました、本人もあとがきで同じようなことを言っています。
ただ確実に病状は悪化をし続け、より痛々しい内容が書かれていった気がします。
特に採血・抗がん剤点滴のときに看護師が何度もさし間違えては針を抜き差しするようなシーンは読んでいて想像がつく光景でした。
点滴ノイローゼにかかるなど、本当につらい治療がリアルに表現されています。
病室を供にした人・お世話になっていた人とのふれあいというか、交流のシーンも面白かったです。
いろんなキャラが登場しましたが、その中の数名がおなくなりになったという記事はショックでもありました。
病気が進行し、食欲がなくなっていく中で、奥山さんは主に日本食を中心に食事をとられていました。
出てくるグルメ記事はどれも食欲をそそりました。
そば・すしなどの、ロー・ファット・フードの記事が多く出ていました。
生活の中心である中野・荻窪方面のラーメン屋さんの記事も多く見られました。
あるラーメン屋さんの味の変貌も一冊の本で見ることができました、食ってみたい。
驚きなのは、病気が進行するからこそ生まれる行動力。
ツーリングに行ったという記事、体がつらくても仕事をしたという記事。
いったいどこにそれほどのエネルギーがあったのでしょうか、「やりたい」という意思ですかねぇ。
血の一滴になるまで文章を書き続けたい。
最後まで文章を書くことにこだわりを持っていた奥山さん。
自分の道は文章を書くことであると言っていました。
それはすごいエネルギーのいること出し、同時にエネルギーを与える物でもあると思います。
事実はリアルに書かれており、感動という物はほとんどない。
だけれど今回のガンエヴォは精神的な面が穏やかになっている気がしました。
そして今、僕はそれを読み終え、奥山さんの遺作(と言っては失礼ですが、便宜上。)の
「ヴァニシング・ポイント」(通称ヴァニポ)を読んでいます。
自伝小説ということですが、なんか日記と同じような文体の気がする(まだ最初の5ページくらいしか進んでいないので。)
ですが、まだ見ぬ先のページに期待を寄せつつ、電車で、学校で、読みたいと思います。
ガンエヴォの表紙を見たくないという友達がいました。
理由は、奥山さんがなくなったという事実があるから、悲しくなる。と。
でもそれは違う。それは、奥山さんが望んだことではないのです。
「みんなに忘れられたくないから本という形ある物を残す」という考えで文章を書いたの出から、読まれてなんぼです。
正直、まだ奥山さんがなくなったという事実が僕の中で現実味を帯びていません。
ですが、遠く空の彼方の奥山さんのために、文章を読みたいと思います。
全てが終わった気がする
ここ3日間は夢のように日々が過ぎました。
改めて、定演がこんなに楽しいと気づかされました。
僕にとって。パンフ関連は定演の山場でしたが、ここ数日は、演奏することが楽しくてしょうがなかったのです。
特に、音響のよい羽生のホールで吹けて、気持ちがよかったです。
ちゃんとした音をつくればあそこまで響きが出るものだと思えました。
僕の音で言えば、実力以上の響きができたのではないかと思います。
リハ中も非常に楽しかった。
ただ、吹き過ぎでバテバテになったのは確かです。
前日のリハはスムーズでしたね。中学生の頃は常に押していましたから、感動物の早さでした。
一転して昨日は忙しかった。
ロビー演奏の楽譜を忘れてきてしまい、記憶と勘でギター譜をつくりましたが、ぼろぼろでしたね。
当日に3部をやれなかったのは厳しい部分がありましたが、時間の関係で全てはやっていられませんでしたからね。
さて、本番を語りましょう。
グランドマーチですが、リハではあまり楽譜は見ませんでしたが、本番になると、かじりついていました。
そのくせ見失ってしまって突拍子もない音を出したのも事実。
民衆は自分のピッチが気になりました。いつものことですが、小さいところから徐々に大きくしていくときの音程が狂うんです。
でもあの曲は好きですから、楽しんで演奏できました。
なぜか知りませんが、パンチネルロの1Tuba部分を吹き終わった瞬間、体がなぜだか震え始めました。
緊張のせいでしょうか。
でも、チューバのメンバーが頑張ってくれ(特にO君のサウンドには感動)、個人的にも曲が好きなので、非常に楽しい本番になりました。
祝典へ来ると、パンチネルロの疲労が襲ってきました。
1楽章のBrass楽器の見せ場を入りはぐってしまい、それだけが悔やまれます。
2楽章は歌い込みすぎましたね。最後の最後まで最後の部分ができなかった3楽章。
あぁ、またリベンジしたいな。
ソーランは、一番出来が良かったかもしれませんね。
というのも、今回に限って、あまりミスが多くはなかったと思うのです。
徐々にできていった最終形態が今日の演奏だったと思います。
相変わらずEの音を外してしまったLOVE。
でもお客さんののりがよかったので非常に楽しんで歌うことができました。
A列車はソロ部で音を落とせたのかが心配です。
乗りすぎたのが災いし、失敗を犯してしまいました。
筒美の歌は、相変わらず自分の音程を定められずじまい。よっぽど歌が下手なんでしょうね。
東京ララバイとか、めちゃくちゃに乗っちゃいました。それでまた指を間違える始末。
早くやりたいとずっと思っていたキャッツ。エレキギターでの出演でした
まぁ予想通りの出来の悪さでした。アンプの音量が思いのほかでかくて、下手さを存分にアピールしました。
妥協した部分でさえもできていなかったという嫌な落ち。
でも、やりたての頃よりも成長はしていると確信しています。
アクアリウムで心配をしていたのはもっぱら音程のこと。
心配ばかりで何もできず、やっぱり会ってなかったのがまた悔しいと思います。
M.A.先輩のピアノに感動を覚えました。
小フーガは厳しかったです。あれだけ速い動きをするのは嫌な男なので。
最後、1オクターヴ下げなきゃいけないのを譜面通りにやってしまい、また失敗でした。
ハリーポッターはいい編曲がなされていて、好きな曲でした。
ただ、終楽章で、HiFが出てくるところがあったのですが、3回中1回外しました。
アンコールの飛翔は、いつやっても感動します。
でもチューバは音が低すぎて、何を吹いているのかわからなくなります。
マツケンでは、Y君の姿に笑いが起き、演奏どころではなかった気がします。
演奏が終わって、見送りをしているときに「終わったか」と思い始めました。
楽器運搬・完全撤収が残っていたため気を抜く訳には行きませんでしたので、感慨に浸るのは、だいぶ後になってからのことでした。
おもえば多くの人に迷惑をかけ、協力をいただきました。
パンフ関係は既に広報デイズで語っていますが、実は前日、当日と1年生全員と、OB・OGの皆さんにHOMのはさみ込みなどを手伝っていただきました。
お礼を言う機会を逃してしまったのが悔しいです。
ただ一ついえるのは、部員が多いことは、非常に助かると思いました。
1年生のみんなは、「やってください、お願いします」と言うと、すぐに行動に移してくれ、OB・OGの皆さんは、お願いをしなくても自主的に動いてくださいました。
優秀な方々に囲まれて、なんていい環境で部活ができるのだろうかと思ったほどでした。
演奏面でいえば、チューバと言ういわば大黒柱的存在の楽器を吹いていながら練習時間をあまり取らずに本番に臨み、その本番でもミスってしまったことをお詫びしたいと思います。
それほど経験もないくせに、出しゃばってやったギターも、メモリーのアルペジオでは思いっきりずれるし、しっかり演奏できていなかったことも悔やんでいます。
でもこの悔しさは、来年につなげなければいけない「課題」なのですね。
うれしいことに僕にはまだ1年の余裕があります。もう一度定演ができるのです。
だから、そのチャンスを棒に振らずに、来年もすばらしいものに仕上げたいと思います。
最後に。
僕を、不動岡高校吹奏楽部の仲間に入れてくれ、第35回定期演奏会という舞台で演奏をさせてくれ、
多くの面で協力をし支えてくれた全ての人に。
本当にありがとうございました。
追伸:学ランは、私の管理不十分のせいで、キャッツの衣装に混じっていました。
ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。
あなたはずっと生きている
ジェネジャンで出会い、ブログでも取り扱った作家(少し前までフリーラーター)の奥山貴宏さんが、17日20時01分亡くなられました。
奥山さんとの最初の出会いは2003年の12月でした。
2度目のジェネジャン出演時に共演しました。
収録も最後の方にさしかかったところで一言、「おれ、余命2年なんですよ」
まさかあれだけかっこいい服きてる人が余命2年なんて想像もつきませんでした。
でも、奥山さんの生と死の捉え方というのが非常にかっこ良く思えました。
「昔は牛丼特盛を食っていたけど今じゃ波で精一杯。でも食い終わったときはすごくうれしい。」
この言葉は今でも忘れません。
普通に生活していれば何となくやり過ごしてしまうことも、実は生きているからできることで、すごく幸せなんだと思ったのです。
奥山さんとの出会いは、確実に自分の生と死に関する考え方を変えてくれました。
1年後、再度ジェネジャンに出演したときも、奥山さんは登場しました。
僕にとっては衝撃でした。
なぜなら、収録後約2ヶ月で余命宣告を受けてから丸2年になることになっていたからです。
もう相当弱っていると勝手に思い込んでいましたが、そうでもありませんでした。
言葉は悪いかもしれませんでしたね、なぜそう思えたかと言えば、ジェネジャンに出てくるだけの気力があったと思えたからです。
確かに体は以前よりやせていて、本当に弱っている感じがしました。
「みんなに忘れられるのが怖い。だから本を書いた。紙文書なら残る。」
1度目の出演の時点で、既に1冊目の本「31歳ガン漂流」を出版していた奥山さん。
実は収録の3ヶ月後にその本の続編「32歳ガン漂流Evolution」を出版する予定になっていました。
本という形で、自分の生きた証を作る。僕も死ぬ前に何か証を作りたいと思うようになりました。
何より、再会の感動で、胸がいっぱいでした。
最後にがっちりと握手を交わしました
「いろいろがんばってるみたいだね、テレビみてるよ」
その言葉をかけてもらったのがうれしくて仕方ありませんでした。
再会したときの回はその年の年末に放送され、さらに3ヶ月後には再放送もなされました。
「前回一緒に出たenshino君や、○●君に会えたのがすごくうれしかった」
この言葉が本当にうれしかった。奥山さんに出会えて本当によかったと思えた瞬間でした。
以後僕は、奥山さんの公式HPやブログをみるようになりました。
たまにトラバや、コメントをして、メールなんかも送るようになりました。
もちろん本も読みました。
Web日記をそのまま本にしたやつなのですが、闘病記と言う気がいっさい持てない本でした。
ありのままの生活が書かれている、ただ違うのは、それががん患者としてのありのままの生活であるということ。
常に弱音は吐かない文章を書いていて、読んでいて飽きない文章でした。
抗がん剤治療に苦しめられながらも、体が持つ日はツーリングに出かけたり、カフェで仕事したり、残りの人生を楽しんでいる人の単なる日記として読めるものでした。
現在、続編を読んでいます。
続編では、メール投稿によるブログ記事も読めるため、リアルタイムに事が進んでいくのがよくわかります。
どうやら好きな食べ物は麺類だと最近になってわかり始めました。
再会後、僕は奥山さんにあるお願いをしました。
「冬休みの宿題で英作文を書きます、題材にしていいですか?」
問題はないということで番組の内容をもとに奥山さんとの出会いのことを英作文にしました。
今日は報告があります。
実は、その英作文が、朝日ニッケ英文エッセーコンテストの優秀作品に選ばれてしまったのです。
「よかったね、いいきっかけになれたみたいでうれしいよ」
一緒に喜んでくれました。
実際、受賞者は僕ですが、英作文の内容の95%は奥山さんなので、奥山さんとの出会い無しにはこんな賞を受賞してはいません。
奥山さんへの感謝の念は忘れることができません。
「死にたくないな、書店で会いたい、本屋でセットで買ってくれ」
いつもならシニカルな言葉を発する奥山さんが4/16にこの記事を書きました。
何だこりゃ。最初みたときはこうとしか思えず、放置。
いつの間にかコメントが200件を超えていて、ふとみてみれば、「ご冥福を・・・」の文字。
全く理解できませんでした。そして、今日、正式に発表がありました。
多くの人が、「悲しい」「涙が出た」とコメントしてましたが、僕にはそうは思えません。
むしろ死んでいるとも思えません。またブログに記事を書いてくれると思い込んでいます。
所詮そこまで心にとどまっていないんじゃないかと思う皆さん、それは違います。
奥山さんは、今までのがん患者のイメージとは全く違うイメージがあり、精神面も肉体面も生命力で満ちあふれていると見えたからです。
だから現実として受け止められないのです。
本当は、告別式に参加したかったのですが、真意がはっきりしなかったため参列できませんでした。
死ぬ前に、英作文を読んでほしかった。
これだけが悔やまれます。
でも、小説を出版し念願の「作家」になれたことは、喜ばしい限りです。
夢が叶った(発売日は4/14)後に亡くなった訳だから、本望でしょう
あれだけお世話になったのだから、そのご恩は返したかったし、もう一度会いたかった。
でも、もう日記の更新もみられなければブログの記事も読めなくなる。
寂しい。
それでも奥山さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
あまり臭いことを言うとおこられそうだなぁ。
ご冥福をお祈りします。とは言うものの、天国から何か突っ込みを入れられそうな気がします。
ただ今は、奥山さんとの出会いを大切にするものだと思っています。
奥山さん、本当にありがとう。
ゆっくり休んでください、しばらくしたら天国に会いにいきます。
敬意を表して、トラバします。
奥山さん追悼の記事でも奥山さんの文章をまねてみたかったので、不適切な言葉が含まれていた場合は、ご容赦ください。
最後の最後まで文がまとまらないで、申し訳ないです。
自粛
スマトラ島沖地震が大きな被害を及ぼしているのはみなさんも知っての通り。本日のニュースでは、7万7千人もの人が亡くなったと報じています。テレビの速報ニュースでは、スリランカで新たに7人のの日本人死者がでたとのこと。
しかし僕にとってこの事態は海の向こうでのこととしかとれず、日本人死者が出たこと、そして、信じられないほど多くの人が犠牲になったことは、大変ショックであるものの、そこで気持ちが終わってしまいます。できることといえば、ドラえもん募金をするぐらいでしょうか。
今年は災害続きの一年でしたね。台風、地震、未だに苦しい避難生活を送っている方が大勢います。
さて、今日、紀宮様と黒田さんの結婚会見がありました。高松宮妃殿下がお亡くなりになられたこともあり延期となりました。その自粛に至った理由のうちの一つに、中越地震がありました。
そういえば、紅白で、ド派手衣装を着ることができないと、小林幸子さんが言ってました。結局着るのかどうか忘れてしまいましたが、僕はその考えには賛成とは言えません。このような災害が起きた時こそ、その被災者を励ますことが必要であると考えます。被災者の中には、毎年小林さんの衣装を楽しみにしている人も多いとか。紀宮様の結婚発表も、被災者を喜ばしたのではないかと考えます。
勝手にこんなこと言ってしまいました。ご両人のみならず、日本人全員が心を大きく痛めたのは確かですから。先日の命に関係する書き込みにおいて、僕自身の盲目的な事実の捉え方に関して、知り合いの方からコメントにておしかりを受けました。この書き込みもそんなものになってしまいました。
とにかく、今年一年間で災害に遭われ命を落とされたすべての人の冥福を祈る次第です。また、負傷者の方の回復、被災地の復興が一日も早く行われることを願います。
ジェネジャンを受けて
さて生と死ということを考えなかればいけませんね。
殺人と自殺に関して僕が思うことは、やはりコミュニケーションが必要であるなということ。しっかりとした人間関係を築くことが殺人や自殺を食い止めるのではないのでしょうか?放送でもペトロさんが、編集者に救われたといっていましたが、やはりそのような人のつながりというのは絶対に必要です。
殺人を犯した人に、殺すのはいけないって言っても、自殺したい人に、死ぬのはよくないって言っても、結局は聞き入れることができないそうです。なぜ殺しちゃいけないの?なぜ死んじゃいけないの?命がこれほどまで軽んじられるのはなぜなのでしょう。
人が死ぬということがどういうことだか解っていない子どもが多いそうです。小学校低学年の子どもたちの中には、人間は生き返れると思っている子どももいると聞き、僕はびっくりしました。要因はあげればきりがありません。
ただ一ついえること。
僕の先輩がメールで話してくださいました。「何事も経験が必要だよな」「人が死ぬ」というシーンを目の当たりにしていないのは問題があります。死をリアルなものとして感じられないのです。
現代の殺人は、憎しみが原因というわけでもなく、現代の自殺は、極度の鬱状態に陥るというわけでもない。というところから考えれば、やはり、人が死ぬことは重いこととは思えていないのでは?
つけ加えといっては何ですが、誕生することの重みを感じることも必要だと思うのです。
教育が必要だ。いつも僕は思います。それこそ、人間として生きるための教育こそ最重要なのです。その教育現場は、家庭。子どもにとって、一番身近な生活環境です。ここでのコミュニケーションの取り方こそ、殺人,自殺減少の第一歩ではないでしょうか。
さてジェネジャンででてきたテーマをたどって考えていくと、次の話は、死への責任。放送では、イラクで拘束された安田氏がでてきましたね。僕は彼を尊敬することができます。拘束された人に対して巻き起こった自己責任論。ただこれは僕は間違っていると思うのです。
彼らは自分の命がなくなるのを覚悟してまで、真実を伝えよう、現地の人を救おうと行動を起こしたのですよ。自己責任論を展開するあなた、あなたにはこんな決断できますか?彼らは、命がなくなる危険性があり、その始末は自分でするという覚悟の上で、現地に行っているわけで、無計画に行くわけなどありません。
宇梶さんがおっしゃっていました。「現地で苦しい思いをしている子どもにとっては、誰だか知らないおばちゃんに助けられたらそれはうれしいよ」と。
ここからは、誰かのために自分の命を犠牲にできますかというテーマに移りますが、現地に行った人たちは、「できる」と答えるのでしょうね。
僕にはできないと思います。そりゃ、とっても愛している人が危険な目にあって、僕が救わなければならなければいけないならば、悩んだ末決断するでしょう。しかし僕は見ず知らずの人に命を捧げられません。
でも命を捧げる以外にも、何か救いの手を差し伸べることができるはずです。人間は、それを考える脳みそを持っているのですよ。
中越地震の被災者の映像が放送されましたが、現地の方はやっぱり強いですよね。分かったことは、やっぱり人は生きたいんですよね。その生きたいと思うエネルギーってのは、大きいものだと感じました。
スマトラ島をはじめとする島を大きな津波が襲っています。現在までに2万人以上が命を失いました。でも、僕は少なくとも当事者ではなく、リアルにその出来事を感じられません。
言い訳のようですが、仕方のないことではないかと思います。ただそれではさみしいですよね。日本人にも行方不明者がいます。生きていてほしいと願うしかありません。
番組の最後に登場した奥山さんの本を読みました。奥山さんのサイトの日記を集めたものなのですが、はっきり言って、感動はできません。ただ、リアルです。
本人曰く、感動できるものは書くつもりはないようです。でもそのリアルさがすごく印象に残り、また、その中で生きてやろうとする奥山さんの姿勢、病床でもアクティブにする奥山さんの姿がかっこ良く思えたのです。
命は長さではなく、質である。最終的に奥山さんの言いたかったことはこういうことではないでしょうか。
ゴールを定めれば、そこまで頑張ることができる。ゴールの設定がだらけてしまえば、過程もだらける。
僕は、自殺したい人に言いたい。「命を絶つなら、後悔しないような生き方をしてからにしなさい」と。
ある程度死ぬことを覚悟することは必要です。死というものをリアルにとらえて、その上で、「自分は生きたい。そしてみんなに生きてほしい。」と思うことが、生きる上で必要ではないでしょうか。
命。
終わってしまったら、リセットも、再挑戦もできません。その中で自分は、後悔のない、自分にとって高品質な命を過ごしたい。
「人は死ぬんだ。」
「でも、生きたい。」
「そして、生きてほしい。」
ジェネジャンを受けての、僕の思いです。
生きたい、生きてほしい
「ジェネーレーションジャングル」という番組をご存知ですか?関東では、4chで毎月最終土曜日の深夜12:50から二時間ばかり放送しています。実は自分で言うのもなんですが、僕はその番組の常連でして。昨日も学校早退して、テスト勉強をけってまでも収録に行きました。
テーマは「いのち」について。今僕らができることは何かということです。殺人はいけないのか。どうしたらなくせるのか。自殺はどうなのか、イラクでの人質事件のことにも触れました。
僕は、いろんな人の話を聴いて思ったのは、出会いはすばらしい、その上にあるコミュニケーションもすばらしい、その上にある「守ってあげたい」と思う愛もすばらしい。それらを多く経験することが、殺人、自殺を減らす糸口ではないかと。そして、それらは命あってのことなんだから、命はすばらしいなと。自分は生きたいという意志、殺人を、自殺をなくしたいという強い意志があれば、きっと少なくなるはずだ。と。
実は1年前にも同じテーマで出演し、そこで、ある方とお会いしました。奥山貴宏さんという方。実は去年の時点で余命はあと1年。若くして肺がんに苦しめられた方です。彼のサイトには、毎日のように日記が書かれています。実はその日記は出版されているのですが、まだ僕は読んでいない。
それでも奥山さんの話されたことは、僕の脳裏には焼きついていました。「いままで特盛牛丼食べていたのが、並しか食えなくなって、それでも全部食べたことが、幸せに思える。」すごくその話は感動したんです。それでも僕は、彼のことはその場限りになってしまっていた。
今年の夏休み前、ふと奥山さんのことを思い出して、彼のweb日記を読みました。脳転移の三文字。病は確実に進行するんだな。でも生きていてほしいと思いました。そして昨日の収録のお話しをもらったその日、サイトを見ました。更新がある。生きていらっしゃったことがうれしかった。
そして、昨日の収録。なんと、奥山さんが登場したのです。思わずえっと声が出てしまいました。本人としてはすごくつらいのでしょうが、僕から見ると、余命あと数ヶ月とは思えない感じでした。また会えたことがもう感動でした。
奥山さんの登場は、共演者たちに相当強烈な印象を与えたようで、みな、命についての考えを変えたようでした。「夏休みは期限があるから宿題をやろうとする。ある程度のゴールを定めて、その日まで生きていたい。」疲れでだいぶ記憶は飛んでいますが、そんなことを話されていました。「自分が生きていたことを忘れられるのが怖い。」彼はそういいましたが、僕がこうしてココに長ったらしくブログることで、少なくとも僕は忘れなし、収録でのあの強烈な出会いの感動で会場の人はみな忘れないと思います。
あなたの考える命とは何でしょうか。誰かこれを見てたら、奥山さんのサイトをご覧になってから、この答えを見つけて、コメントして下さい。
奥山さんのサイト:www.teknix.jp
さて放送日は、12/25(Sat.) 24:50〜 僕のことはどうでもいいから見るべし。
12/1にブログろうと思ったこと
12/1は、YahooJapanにも、Googleにも、レッド・リボンが飾られていました。そう、その日は世界エイズデー。あんまり人がいないうちに普段はクローズなことを話そうかと思います。
僕もお年頃です。それなりの性欲が出てくるほどです。そうして思うことがある。なぜ学校教育はここまで性について触れるのを拒むのか。周りでエロい話が起こり、それに加わって、そこから離れると、いつもこう思います。だから、エイズやほかの性病が蔓延するんだ。と。
この記事を近いうちにブログろうと思ってから、少し新たな知識がつきました。HIV(ヒト免疫不全ウィルス)に感染してもAIDS(後天性免疫不全症候群)がすぐに発症するわけではない。潜伏期間があるようです。これははじめて知ったこと。つまり、AIDSになるまえに、HIVに感染する。というプロセスのほうが正しいわけです。感染経路については前から知っていました。血液製剤、輸血(これらはまれなケースです。)、胎児へ直接、または母乳などの母子感染、でもやはり一番の原因は性交。人間の体液は、HIVウィルスにとって最高の環境だとか。
HIVは、リンパ球に感染して免疫不全を起こす。つまり、有害なウィルスを排除しようとする細胞の動きを止める、というか殺すわけですね。現代医学では完治は無理だそうです。しかし、薬で進行を抑えることならできるとか。思い当たる節があったとしたら、早めに診断するべきですよね。
年々発症率が増え、特に若年層に多いらしいのです。無知が故なのでしょうか。やはり僕は性交渉による感染が第一のように思えます。自分さえよければいい。そんな考えは甘い。男として、やはり男は正しくコンドームなどを着用すべきだ。どんなにがんばっても、人間の三大欲求:食欲、睡眠欲、性欲は抑えられません。だとしたら、もっと対処をすべき。差別的発言になるでしょうが、男性は女性を守ってあげる立場にあるはずです。特に恋人同士の場合は。
なんか長くなりましたね、いつも僕はNoPlanで行動に移すタイプです。でももし将来恋人を持って、それなりの関係に発展するのであれば、果たすべき責任はしっかり果たします。
権利を主張するのなら義務を果たせ。大声で叫びたいところです。
参考文献:Yahoo!ヘルスケア AIDS