やっぱりオーストラリアは行っておきたかったパビリオンである。夜になるにつれて客が多くなってきてしまった。人気パビリオンの一つになっているようだ。午前中に行って正解。
パビリオンは3つのゾーンに構成されている。1つ目は小型スクリーンでオーストラリアの太古の生活から自然との共存方法のメッセージを表示。2つ目は多くのプラズマ画面を眺める場所。イーストコーストの珊瑚礁の映像を紹介している。熱帯魚の映像がいやしてくれる。3つ目はカモノハシの生態から環境を考えるゾーン。大きなカモノハシの模型には子供達がのぼって遊んでいた。
出口付近にはオーストラリア土産の店があった。既に買った物も目に入ってきたのであえて買う気にはならなかった。
「Essay」カテゴリーアーカイブ
expoレポート:マレーシアパビリオン
なぜマレーシアか。名古屋市パビリオン「大地の塔」の前からグローバルコモン6を見上げたときに最初に目に入った国名だから。
入ってみると熱帯林の生態を紹介するパビリオンであることが分かった。観光国としてのマレーシアを紹介するムービーもあった。
…そんなもんだったね。
expoレポート:フランスパビリオン
今回のレポートは行ったパビリオンごとにそのレポートを記そうと思う。
さて最初に「とりあえずどこか行こうか」と言うことで入ったのがフランス館。ここの目玉はキューブ上のスクリーンルームに映し出されるメッセージ・ムービー。将来的に自分たちは何をして自然を守るべきかと言うメッセージを過去の映像を交えながら上映している。
正直このパビリオンに入ったときはまだ、万博に遊園地要素を求めていたので、「つまらない」が感想であった。後から博物館要素で考えればおもしろい仕掛けを使って取り組みを紹介していたのではないかと思う。
ちなみに本当はドイツ館に入りたかったのだが、入場制限がかかっていたため、やむなくとなりのフランス館に入ってしまった。
expoレポート:番外編其の壱「“会う”の午後」
今回の旅は夜行での旅となる。東京出発が23:43。にもかかわらず12時には東京へ出発してしまった。せっかく東京に出るんだし、再会の小旅行をしようと思った。
文章が長くなりそうなので続きに載せようと思う。
expoレポート:イントロダクション
8/17から19早朝にかけて、お友達と旅行に出かけてきた。一番の目的はもちろん十数年ぶりに行われた万国博覧会「愛・地球博」に行くこと。これが一生に一度の万博になるかもしれない、このチャンスは逃せないと、貧乏旅行に出かけた。めちゃくちゃきつい旅行ではあったが、非常におもしろい体験をすることが出来た。ここにその旅行での出来事をexpoを中心にお伝えしようと思う。
出発前の独り言
エッセーを提出してから7ヶ月。
面接の合格通知をもらってから4ヶ月。
月日は早い物で、もう明日が出発だ。(出国はあさってだけどね。)
ついに朝日ニッケ英文エッセーコンテスト・オーストラリア研修が始まる。
しばらくブログ更新はお休みしていた。帰国後にでも再開しようかと思ったけど、出発を前にした今日だからこそ書きたいことがある。だから勝手な判断でメッセージを残すことにした。
思えばいろんな人にお世話になり、明日を迎えることになった。エッセーの題材の奥山さんを始めとするジェネジャン関係者の皆さんはもちろん、学校の先生方にもだいぶ支えていただいた。友達もちゃんと理解をしてくれ、祝福してくれた。NOVAで知り合った社会人の方にはおいしいイタリア料理までごちそうになった。もちろん、一番感謝すべきは親・家族の存在に他ならないと思う。
そう、多くの人々の理解と協力の下で、明日の出発を控える僕がいる。そういう人々への感謝の心なくしては、旅立つことなど出来るはずがない。今、心から叫びたい。「ありがとうございました」
しかし。
僕にはいま、たった一つだけの「未練」がある。今これを書いている自分の胸が何かもやっとしているのもそのせいなのだ。今の自分の思いや考えていることをどうしても伝えないことには出発できそうにもない。
忘れないうちに。
予習はテスト範囲までは終了しているはず。
「あ、奥山本2読まなきゃ。」
そして昨日、奥山貴宏さんの二作目の本である、32歳ガン漂流Evolutionをやっとのことで読破しました。
あまり本を読まない、さらに読む速度も遅い僕としては標準的なスピードでした。
本自体は全て奥山さんのサイトのweb日記の記事でした。
月が終わるごとにブログに書かれていたコラムが挟まれています。
日ごとに区切って読めるので、読みやすかったですね、僕としては。
前作より落ち着きのあるイメージがありました、本人もあとがきで同じようなことを言っています。
ただ確実に病状は悪化をし続け、より痛々しい内容が書かれていった気がします。
特に採血・抗がん剤点滴のときに看護師が何度もさし間違えては針を抜き差しするようなシーンは読んでいて想像がつく光景でした。
点滴ノイローゼにかかるなど、本当につらい治療がリアルに表現されています。
病室を供にした人・お世話になっていた人とのふれあいというか、交流のシーンも面白かったです。
いろんなキャラが登場しましたが、その中の数名がおなくなりになったという記事はショックでもありました。
病気が進行し、食欲がなくなっていく中で、奥山さんは主に日本食を中心に食事をとられていました。
出てくるグルメ記事はどれも食欲をそそりました。
そば・すしなどの、ロー・ファット・フードの記事が多く出ていました。
生活の中心である中野・荻窪方面のラーメン屋さんの記事も多く見られました。
あるラーメン屋さんの味の変貌も一冊の本で見ることができました、食ってみたい。
驚きなのは、病気が進行するからこそ生まれる行動力。
ツーリングに行ったという記事、体がつらくても仕事をしたという記事。
いったいどこにそれほどのエネルギーがあったのでしょうか、「やりたい」という意思ですかねぇ。
血の一滴になるまで文章を書き続けたい。
最後まで文章を書くことにこだわりを持っていた奥山さん。
自分の道は文章を書くことであると言っていました。
それはすごいエネルギーのいること出し、同時にエネルギーを与える物でもあると思います。
事実はリアルに書かれており、感動という物はほとんどない。
だけれど今回のガンエヴォは精神的な面が穏やかになっている気がしました。
そして今、僕はそれを読み終え、奥山さんの遺作(と言っては失礼ですが、便宜上。)の
「ヴァニシング・ポイント」(通称ヴァニポ)を読んでいます。
自伝小説ということですが、なんか日記と同じような文体の気がする(まだ最初の5ページくらいしか進んでいないので。)
ですが、まだ見ぬ先のページに期待を寄せつつ、電車で、学校で、読みたいと思います。
ガンエヴォの表紙を見たくないという友達がいました。
理由は、奥山さんがなくなったという事実があるから、悲しくなる。と。
でもそれは違う。それは、奥山さんが望んだことではないのです。
「みんなに忘れられたくないから本という形ある物を残す」という考えで文章を書いたの出から、読まれてなんぼです。
正直、まだ奥山さんがなくなったという事実が僕の中で現実味を帯びていません。
ですが、遠く空の彼方の奥山さんのために、文章を読みたいと思います。
全てが終わった気がする
ここ3日間は夢のように日々が過ぎました。
改めて、定演がこんなに楽しいと気づかされました。
僕にとって。パンフ関連は定演の山場でしたが、ここ数日は、演奏することが楽しくてしょうがなかったのです。
特に、音響のよい羽生のホールで吹けて、気持ちがよかったです。
ちゃんとした音をつくればあそこまで響きが出るものだと思えました。
僕の音で言えば、実力以上の響きができたのではないかと思います。
リハ中も非常に楽しかった。
ただ、吹き過ぎでバテバテになったのは確かです。
前日のリハはスムーズでしたね。中学生の頃は常に押していましたから、感動物の早さでした。
一転して昨日は忙しかった。
ロビー演奏の楽譜を忘れてきてしまい、記憶と勘でギター譜をつくりましたが、ぼろぼろでしたね。
当日に3部をやれなかったのは厳しい部分がありましたが、時間の関係で全てはやっていられませんでしたからね。
さて、本番を語りましょう。
グランドマーチですが、リハではあまり楽譜は見ませんでしたが、本番になると、かじりついていました。
そのくせ見失ってしまって突拍子もない音を出したのも事実。
民衆は自分のピッチが気になりました。いつものことですが、小さいところから徐々に大きくしていくときの音程が狂うんです。
でもあの曲は好きですから、楽しんで演奏できました。
なぜか知りませんが、パンチネルロの1Tuba部分を吹き終わった瞬間、体がなぜだか震え始めました。
緊張のせいでしょうか。
でも、チューバのメンバーが頑張ってくれ(特にO君のサウンドには感動)、個人的にも曲が好きなので、非常に楽しい本番になりました。
祝典へ来ると、パンチネルロの疲労が襲ってきました。
1楽章のBrass楽器の見せ場を入りはぐってしまい、それだけが悔やまれます。
2楽章は歌い込みすぎましたね。最後の最後まで最後の部分ができなかった3楽章。
あぁ、またリベンジしたいな。
ソーランは、一番出来が良かったかもしれませんね。
というのも、今回に限って、あまりミスが多くはなかったと思うのです。
徐々にできていった最終形態が今日の演奏だったと思います。
相変わらずEの音を外してしまったLOVE。
でもお客さんののりがよかったので非常に楽しんで歌うことができました。
A列車はソロ部で音を落とせたのかが心配です。
乗りすぎたのが災いし、失敗を犯してしまいました。
筒美の歌は、相変わらず自分の音程を定められずじまい。よっぽど歌が下手なんでしょうね。
東京ララバイとか、めちゃくちゃに乗っちゃいました。それでまた指を間違える始末。
早くやりたいとずっと思っていたキャッツ。エレキギターでの出演でした
まぁ予想通りの出来の悪さでした。アンプの音量が思いのほかでかくて、下手さを存分にアピールしました。
妥協した部分でさえもできていなかったという嫌な落ち。
でも、やりたての頃よりも成長はしていると確信しています。
アクアリウムで心配をしていたのはもっぱら音程のこと。
心配ばかりで何もできず、やっぱり会ってなかったのがまた悔しいと思います。
M.A.先輩のピアノに感動を覚えました。
小フーガは厳しかったです。あれだけ速い動きをするのは嫌な男なので。
最後、1オクターヴ下げなきゃいけないのを譜面通りにやってしまい、また失敗でした。
ハリーポッターはいい編曲がなされていて、好きな曲でした。
ただ、終楽章で、HiFが出てくるところがあったのですが、3回中1回外しました。
アンコールの飛翔は、いつやっても感動します。
でもチューバは音が低すぎて、何を吹いているのかわからなくなります。
マツケンでは、Y君の姿に笑いが起き、演奏どころではなかった気がします。
演奏が終わって、見送りをしているときに「終わったか」と思い始めました。
楽器運搬・完全撤収が残っていたため気を抜く訳には行きませんでしたので、感慨に浸るのは、だいぶ後になってからのことでした。
おもえば多くの人に迷惑をかけ、協力をいただきました。
パンフ関係は既に広報デイズで語っていますが、実は前日、当日と1年生全員と、OB・OGの皆さんにHOMのはさみ込みなどを手伝っていただきました。
お礼を言う機会を逃してしまったのが悔しいです。
ただ一ついえるのは、部員が多いことは、非常に助かると思いました。
1年生のみんなは、「やってください、お願いします」と言うと、すぐに行動に移してくれ、OB・OGの皆さんは、お願いをしなくても自主的に動いてくださいました。
優秀な方々に囲まれて、なんていい環境で部活ができるのだろうかと思ったほどでした。
演奏面でいえば、チューバと言ういわば大黒柱的存在の楽器を吹いていながら練習時間をあまり取らずに本番に臨み、その本番でもミスってしまったことをお詫びしたいと思います。
それほど経験もないくせに、出しゃばってやったギターも、メモリーのアルペジオでは思いっきりずれるし、しっかり演奏できていなかったことも悔やんでいます。
でもこの悔しさは、来年につなげなければいけない「課題」なのですね。
うれしいことに僕にはまだ1年の余裕があります。もう一度定演ができるのです。
だから、そのチャンスを棒に振らずに、来年もすばらしいものに仕上げたいと思います。
最後に。
僕を、不動岡高校吹奏楽部の仲間に入れてくれ、第35回定期演奏会という舞台で演奏をさせてくれ、
多くの面で協力をし支えてくれた全ての人に。
本当にありがとうございました。
追伸:学ランは、私の管理不十分のせいで、キャッツの衣装に混じっていました。
ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。
あなたはずっと生きている
ジェネジャンで出会い、ブログでも取り扱った作家(少し前までフリーラーター)の奥山貴宏さんが、17日20時01分亡くなられました。
奥山さんとの最初の出会いは2003年の12月でした。
2度目のジェネジャン出演時に共演しました。
収録も最後の方にさしかかったところで一言、「おれ、余命2年なんですよ」
まさかあれだけかっこいい服きてる人が余命2年なんて想像もつきませんでした。
でも、奥山さんの生と死の捉え方というのが非常にかっこ良く思えました。
「昔は牛丼特盛を食っていたけど今じゃ波で精一杯。でも食い終わったときはすごくうれしい。」
この言葉は今でも忘れません。
普通に生活していれば何となくやり過ごしてしまうことも、実は生きているからできることで、すごく幸せなんだと思ったのです。
奥山さんとの出会いは、確実に自分の生と死に関する考え方を変えてくれました。
1年後、再度ジェネジャンに出演したときも、奥山さんは登場しました。
僕にとっては衝撃でした。
なぜなら、収録後約2ヶ月で余命宣告を受けてから丸2年になることになっていたからです。
もう相当弱っていると勝手に思い込んでいましたが、そうでもありませんでした。
言葉は悪いかもしれませんでしたね、なぜそう思えたかと言えば、ジェネジャンに出てくるだけの気力があったと思えたからです。
確かに体は以前よりやせていて、本当に弱っている感じがしました。
「みんなに忘れられるのが怖い。だから本を書いた。紙文書なら残る。」
1度目の出演の時点で、既に1冊目の本「31歳ガン漂流」を出版していた奥山さん。
実は収録の3ヶ月後にその本の続編「32歳ガン漂流Evolution」を出版する予定になっていました。
本という形で、自分の生きた証を作る。僕も死ぬ前に何か証を作りたいと思うようになりました。
何より、再会の感動で、胸がいっぱいでした。
最後にがっちりと握手を交わしました
「いろいろがんばってるみたいだね、テレビみてるよ」
その言葉をかけてもらったのがうれしくて仕方ありませんでした。
再会したときの回はその年の年末に放送され、さらに3ヶ月後には再放送もなされました。
「前回一緒に出たenshino君や、○●君に会えたのがすごくうれしかった」
この言葉が本当にうれしかった。奥山さんに出会えて本当によかったと思えた瞬間でした。
以後僕は、奥山さんの公式HPやブログをみるようになりました。
たまにトラバや、コメントをして、メールなんかも送るようになりました。
もちろん本も読みました。
Web日記をそのまま本にしたやつなのですが、闘病記と言う気がいっさい持てない本でした。
ありのままの生活が書かれている、ただ違うのは、それががん患者としてのありのままの生活であるということ。
常に弱音は吐かない文章を書いていて、読んでいて飽きない文章でした。
抗がん剤治療に苦しめられながらも、体が持つ日はツーリングに出かけたり、カフェで仕事したり、残りの人生を楽しんでいる人の単なる日記として読めるものでした。
現在、続編を読んでいます。
続編では、メール投稿によるブログ記事も読めるため、リアルタイムに事が進んでいくのがよくわかります。
どうやら好きな食べ物は麺類だと最近になってわかり始めました。
再会後、僕は奥山さんにあるお願いをしました。
「冬休みの宿題で英作文を書きます、題材にしていいですか?」
問題はないということで番組の内容をもとに奥山さんとの出会いのことを英作文にしました。
今日は報告があります。
実は、その英作文が、朝日ニッケ英文エッセーコンテストの優秀作品に選ばれてしまったのです。
「よかったね、いいきっかけになれたみたいでうれしいよ」
一緒に喜んでくれました。
実際、受賞者は僕ですが、英作文の内容の95%は奥山さんなので、奥山さんとの出会い無しにはこんな賞を受賞してはいません。
奥山さんへの感謝の念は忘れることができません。
「死にたくないな、書店で会いたい、本屋でセットで買ってくれ」
いつもならシニカルな言葉を発する奥山さんが4/16にこの記事を書きました。
何だこりゃ。最初みたときはこうとしか思えず、放置。
いつの間にかコメントが200件を超えていて、ふとみてみれば、「ご冥福を・・・」の文字。
全く理解できませんでした。そして、今日、正式に発表がありました。
多くの人が、「悲しい」「涙が出た」とコメントしてましたが、僕にはそうは思えません。
むしろ死んでいるとも思えません。またブログに記事を書いてくれると思い込んでいます。
所詮そこまで心にとどまっていないんじゃないかと思う皆さん、それは違います。
奥山さんは、今までのがん患者のイメージとは全く違うイメージがあり、精神面も肉体面も生命力で満ちあふれていると見えたからです。
だから現実として受け止められないのです。
本当は、告別式に参加したかったのですが、真意がはっきりしなかったため参列できませんでした。
死ぬ前に、英作文を読んでほしかった。
これだけが悔やまれます。
でも、小説を出版し念願の「作家」になれたことは、喜ばしい限りです。
夢が叶った(発売日は4/14)後に亡くなった訳だから、本望でしょう
あれだけお世話になったのだから、そのご恩は返したかったし、もう一度会いたかった。
でも、もう日記の更新もみられなければブログの記事も読めなくなる。
寂しい。
それでも奥山さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
あまり臭いことを言うとおこられそうだなぁ。
ご冥福をお祈りします。とは言うものの、天国から何か突っ込みを入れられそうな気がします。
ただ今は、奥山さんとの出会いを大切にするものだと思っています。
奥山さん、本当にありがとう。
ゆっくり休んでください、しばらくしたら天国に会いにいきます。
敬意を表して、トラバします。
奥山さん追悼の記事でも奥山さんの文章をまねてみたかったので、不適切な言葉が含まれていた場合は、ご容赦ください。
最後の最後まで文がまとまらないで、申し訳ないです。
自粛
スマトラ島沖地震が大きな被害を及ぼしているのはみなさんも知っての通り。本日のニュースでは、7万7千人もの人が亡くなったと報じています。テレビの速報ニュースでは、スリランカで新たに7人のの日本人死者がでたとのこと。
しかし僕にとってこの事態は海の向こうでのこととしかとれず、日本人死者が出たこと、そして、信じられないほど多くの人が犠牲になったことは、大変ショックであるものの、そこで気持ちが終わってしまいます。できることといえば、ドラえもん募金をするぐらいでしょうか。
今年は災害続きの一年でしたね。台風、地震、未だに苦しい避難生活を送っている方が大勢います。
さて、今日、紀宮様と黒田さんの結婚会見がありました。高松宮妃殿下がお亡くなりになられたこともあり延期となりました。その自粛に至った理由のうちの一つに、中越地震がありました。
そういえば、紅白で、ド派手衣装を着ることができないと、小林幸子さんが言ってました。結局着るのかどうか忘れてしまいましたが、僕はその考えには賛成とは言えません。このような災害が起きた時こそ、その被災者を励ますことが必要であると考えます。被災者の中には、毎年小林さんの衣装を楽しみにしている人も多いとか。紀宮様の結婚発表も、被災者を喜ばしたのではないかと考えます。
勝手にこんなこと言ってしまいました。ご両人のみならず、日本人全員が心を大きく痛めたのは確かですから。先日の命に関係する書き込みにおいて、僕自身の盲目的な事実の捉え方に関して、知り合いの方からコメントにておしかりを受けました。この書き込みもそんなものになってしまいました。
とにかく、今年一年間で災害に遭われ命を落とされたすべての人の冥福を祈る次第です。また、負傷者の方の回復、被災地の復興が一日も早く行われることを願います。