自分を守り、誰かを助ける、だから英語を学ぶ – 突然の年度最終授業での語り

期せずして、私の教員生活1年目が終わってしまいました。もう少し、生徒たちと勉強をするはずだった3月。過去形をやって、手薄になってしまっていた復習をやって、学期を振り返る成績フィードバックと授業サーベイをやって、という脳内計画が一瞬で吹き飛びました。副担任である私もローテーションで実施するはずだった道徳、緒方貞子さんや中村哲さんが亡くなったのが今年度であることからあまり得意領域ではないものの国際貢献の話を扱おうと思っていましたが、それもすっ飛びました。様々な情緒的側面での惜しさがありつつも、それを差し置いてでも取られた措置には、子どもの安全を守るための必然性があったのだ、と思い込むしかないと腹を決めました。

そうして訪れた、突然の年度最終授業。この記事で書いた、私のいっときの悩み(または、メンタルブレイク寸前状態)のタネであったクラスで迎えたその授業で、当初は準備した通りにプリントを用いて過去形規則変化動詞の文法説明をしようと思っていたのですが、思わぬところから私のスイッチが入り、自分でも信じられないくらいに、いつもと違う空気感の中で、想いを語る時間を過ごしました。結果として20分しか授業時間が残らず、かなり駆け足で説明をしたものの、その語りの後の生徒たちの集中力は、これまでの授業の中でも奇跡だと思えるほど高いもので、この1年の諸々が全て報われるような、甘美な手応えのある時間でした。

突然の終わりと、立ちはだかる現状と、そして英語を学ぶ意義。その語りを、思い出せるだけ思い出しつつ、少し脚色して書き出したいと思います。今だけは、それに陶酔させて欲しいし、この自己満足の語りが、それでも誰かに火を灯すと信じて。 続きを読む

期せずして最後になった学年通信に「担当者が書きたいことを書くコーナー」を載せた

ご存じの通りの一件があり、期せずして今年度がもう終わってしまいました。今年度、初年度なこともあり学年通信の担当になり、毎号平均2000文字程度(ルビの文字含む)の文筆をしてきました。どこかで「担当者が書きたいことを書くコーナー」というのをやりたいと思っていて、3月にそれを書こうと思っていた矢先の、突然の休校。なので、期せずして最終号となった学年通信に、無理やり「担当者が書きたいことを書くコーナー」をつくりました。自己満足満載な文ですが、書いたものを見返してみると、自分がいかに、ことばや書くことにこだわってきたのかが思い起こされます。では、ちょっとご覧ください。 続きを読む