ここ1、2週間で、受験の第2波がやってきました。
第1波は、指定校推薦組の校内選考、第2波は公募制推薦・自己推薦の試験ですな。
クラス内の友人も、多くが推薦試験にチャレンジしています。
面接やグループディスカッション練習にもたまに借り出されています。
遠距離の友人も先週末、遠路東北まで受験しに行ってきたようです。
志望理由書や面接の質問予想などをしました。受かっててほしいものです。
さて、まだまだがんばらないとですな。つべこべ考える暇があったら勉強しろといわれそうですな。
こんな事やってみたいです。おおざっぱなイメージだけ書いておきたいなと。あ、タイトルは全て仮称です。
全部のプロジェクトは、ブログと連動させてやっていきたいです。レポートを改めて編纂する必要を軽減させるために&やっている事を逐一知っていただくために。
enshino Acoustic Project「バックパッカーenshino」
単に、地元駅周辺で路上音楽活動をしたいなと考えているわけでして。ただやるだけではなく、フライヤーなども作り、ブログを中心に音楽活動を報告するなどしてみたいと思います。音楽は何かメッセージを伝えられる。音楽を通じて何ができるかを模索してみたいと思います。また、地元の路上音楽活動を盛り上げるためにブログを通じて色々やってみたいなって。
enshino 憲法プロジェクト
日本国憲法改正の論議が出ています。いったい自分はどの立場なのか。それを考えるために、憲法というものを良く読んでみたいと思います。現行憲法と、その英文、明治時代の民間からの憲法案や現在の各党の案を自分なりの目線で読み、enshinoの言葉で憲法を記して見たいなぁ、なんて。
enshino English Project「インタラクティブへの道」
地元・茨城県での中学生向けの英語アクティビティコンテスト「インタラクティブ・フォーラム」。英会話をして、個人の英語力と会話力を競うコンテストです。母校の中学でのインタラクティブ・フォーラム代表生徒の指導補助にボランティアとして参加し、その指導を通じて「会話・コミュニケーションを重視した」英語の学習・指導法を考え、同時に母校での受験英語補習などをボランティアで行い、教えるという事を体感したいなぁ、なんて考えてるわけですよ。
他にも、うどん食べ歩きとか、農業体験とか、インターンシップとか。
いやぁ、色々やるにはまず大学行く事ですかね。
三田文学を買ったのはAmazon.co.jpにて。送料を無料にするために一緒に買ったのがこれ。
初めての三田誠広作品は、中学国語で読んだ「いちご同盟 純愛・中学編」の抜粋。それで興味を持って、文庫本を読んで全て読みました。自殺願望のある主人公が同級生を通じて重病を持った少女に出会う。彼女を通じて主人公は愛と生きる事を学んでいくのです。
あの作品を読んだ時は、確か振られた時でした。告白して、でもその後相手の女の子には一切口をきいてもらえなくなったって言う苦い想い出を経験してすぐの頃だったと思います。だから、こんな恋愛小説をよんで、それに憧れを持ちたかったのでしょうね。でもこれを読んで得たのは、恋愛というよりも、やはり生きる価値というものでした。
最近「恋がしたい」なんて思うんです。現実逃避をしたがっているんでしょうか、心のよりどころがほしいんでしょうか、別に好きな人がいるわけでもないのに恋愛したいなしたいなと思う日々です。そんな日々にあってまた三田作品を手にしたわけで。
主人公は高校生バイオリニスト。進路に、家庭に悩む彼。(奇しくも「いちご同盟」の主人公はピアニストでした。)そんな彼には幼なじみがいます。どうやら彼女は彼の事を好いているようで、彼もそのうちに彼女の事が気になっていくのですが・・・彼は音楽のつながりで、年が10歳近く離れた美しいピアニストと出会います。彼女の周りにはいつも彼女のファン(むしろ奴隷とも言える)の男たちがいました。
主人公と美しいピアニストとの出会い、それによって彼の生活は確実に変わっていきます。その中で、彼は何かを学んでいくのでした。
彼が学んだ何か、それは三田氏が伝えたかったメッセージそのものではないかと思うのです。僕は、愛ではないかなと思うのです。家庭、幼なじみ、美しいピアニスト、彼を取り巻く環境を最終的に彼は愛していくのだと思うのです。「純愛・高校編」と題名がありますが、この作品で描かれていたのは単なる恋愛ではないと思います。読み終わって、やはり切なさが残りました。伝えたかったメッセージは何なのか、また読み返したときに再び思いを馳せたいなと。
あぁ、恋いしたい。
しばらく前に読み終わって、全然書評を書けませんでした。
やっと手にした三田文学。特に文学少年でもない僕が三田文学など合うはずが無いけれども、900円払ってまでも読んでみたかった小説が載っていたから買った。25歳にしてその命を自ら立った青年が遺した、原稿用紙140枚分の文章。本人が慶大法学部卒との事もあり、ご遺族が三田文学に寄稿され、「25歳の遺稿」と銘打って巻頭小説として掲載された。
始めは小説のように文章が進んでいった。しかし、毎日一章のペースなのだろうか、章が進むにつれて、日々の心境の変化というかリズムというか、そういったものが見えて来た。
鬱にあって、その中で毎日のようにいろいろな事を考えている筆者。心境や考えの変化が文章に現れていて、それらが生々しいというかリアルというか。「遺書」に続けて、なぜ若者は死に至ってしまったのか、そこに至るまでのプロセスなり心境なり、「なぜそうなったのか」に思いを馳せると切なくなります。
考えるという事、愛するという事、生きるという事、深く考えるきっかけを与えてくれました。何度も読み返して考えを深めねばと考えます。
読んでみて下さい。それは、生きるためです。亡くなった作者はなぜ遺作を著したのか。そこには「生」へのメッセージが含まれていると考えるのです。生きるために読み返して考えを深めたい。生きるために皆さんにも読んでもらいたい作品です。