【自問自答の】「何のため?」を考えると【茶番劇】

「行動している、その途中その最中に、何のためにこんなことをしたのか、無駄じゃ
ないか、と考える。」
『そんなことをしていると、いつのまにか、何のめに生きてきたのか、と考える。』

だったらなにも考えるな。

勉強も遊びも、こんなもんなんでしょうか。

残り少ない日々

ついにセンター前1ヶ月を過ぎ、学校はもう冬休み。
年明けて休みが明けても半日授業は続きます。

気づけば、もう残り少なく、やるべきことはたくさんあってもやれるだけの時間があるかどうだか。
いや、それは俺の気力しだいか、と思うと、いままでの自分は・・・と恥じてしまいます。

がむしゃらにやれるだけやるしかないのでしょう、ぶっ倒れるまでやりきるしかないのでしょう。

自分に問うて曰く「おまえにそれだけの覚悟はあるのか」と。

路上を通して

ここまでの縁を築けるなんて思わなかった。

あの時声をかけられなかったら、音楽の和のなかで感動できなかったかも知れない。

疲れのなかにあって、あの一体感の残像が目の前に迫る。

あの感動を、ファン生活三年間の集大成として迎えられたことを、心から歓びたい。

これからは、感動を与えたい。そして、この縁と和と繋がりを大事にしたい。

感謝しながら深夜を迎えた。

粘り勝ちするために

受験生への餅つき大会でした。
いつの間にか裏手の調理室で餅をちぎったり外へ運ぶような仕事ばかりでした。

そのおかげか、教職員限定お雑煮GETS!

画像がUPできないのは残念です。

マーラー シンフォニー1「巨人」

今聞いているんですが、機会があったら三楽章冒頭に耳をすませてみて下さい。

グー、チョキ、パーで×2
なにつくろう?×2
右手がグーで×2
左手がチョキで×2
カタツムリ〜♪×2

って聞こえっから、しかも短調で。

自責の念

ショックなことってある。「まさか」なことってある。

他人の事だけども他人事にはできない。
心配したし、期待したし、協力したし、それでも叶わない。
もう誰が悪いわけではないだろうけど、自責の念に駆られる。

0か1か、まさにデジタルな結果しか出ないから、それは揺るがすことができない。
信じていただけに、それが身を結ばなかったことが悔しい。
結局誰が悪いわけではないけれど、自責の念に駆られる。

そしてそれを通り越したとき、自分の至らなさに気づく。
それは自分の努力のなさであると気づく。
結局理由など追い求めず、すべきことをしなければならないのだと気づく。

やりたいこととやらなきゃならないことは相反する。
でも義務を負わなければ権利は主張できない。
だから結局、やれるだけやるしかないのだと思う。

これは他人事ではない、自分のことだと考える。
相手に言い聞かせてきたことも、自分ができていないことばかりだったと思う。
それだけに、自分がしっかりせねばと思う。

そしてそれができていない自分を見つめたとき、自責の念に駆られる。

政りじゃ

茨城県議選古河選挙区は3000票ほどの大差で自民県政クラブ側の勝利。自民党は残念ながらの敗北。

今までの議席が減って一人区になった選挙区だけに激戦でしたね。
とは言っても、選挙って実感は皆無でしたが。

僕のテンションは前の衆院選ほどではなかった。

日本の、これから

生放送の素人参加型討論番組

いやぁ、見ていて面白いですわ、こーゆー番組大好き。NHKだからこそ頑張って作っていって欲しい番組。

テーマはネット社会の安全。やはり継続して考え続けないとイケマセンネ。