ガンガン熟議しようぜー

熟議による新しい政策形成。

というと、堅苦しいですから、言い換えると「文句がある奴はとりあえず語りに来い。斜に構えた奴とか、不満のある奴とかとくに。」
ってことです。

教育に興味のある人、大学が楽しくてたまらない人、大学がつまらない人、大学のことを知りたい人、集合。

ちなみに何度も言う通り、Webサイト(一応仮サイト)のデザインをいじったり、パックマンロゴを作成したのは僕。褒めて。

=====================
リアル熟議「大学は、もういらない!?
〜私たちと大学はいかにあるべきか〜」
公式Web:http://real-jukugi.org/
======================

文部科学副大臣・鈴木寛氏が参加決定!あなたも「リアル熟議」に参加しませんか?

私たちは新しい政策形成の場である、「リアル熟議」を
慶應義塾大学日吉キャンパスにて、7月24日に開催いたします。

「私たちと大学はいかにあるべきか」をテーマに、
高校生、大学生、社会人、研究者、有識者、政治家などの大学に関わる
多様な立場・価値観・考えを持つ人たちが意見をぶつけあって、
議論し共に解決策を考える場を提供します。

「熟議」のプロセスによって、政治家や官僚だけが持っているとされていた専門知だけでなく、
問題の当事者が持っている経験知を付け加え、さらに自分の問題として捉えなおすことで、
4時間という短い時間で、より本質に迫る政策形成の実現を目指します!

リアルに会って話した私たちの言葉が「私たちと大学の問題」に解決策をもたらすかもしれない。
その可能性に溢れた「リアル熟議」・・・・・・是非、ふるってご参加ください!

【開催概要】
日時:
7月24日(土)13:00−17:00(開場:12:30)

会場:
慶應義塾大学日吉キャンパス 来往舎 シンポジウムスペース
※日吉駅(東急東横線、東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンライン)下車 徒歩1分

テーマ:
これからの大学?私たちと大学はいかにあるべきか。
? 大学入試制度のあり方に関して
?新卒主義のキャリア形成のあり方に関して
?社会人入学?学びなおすための大学のあり方に関して
?留学や大学の国際化のあり方に関して

ゲスト:
鈴木寛文部科学副大臣・参議院議員
金子郁容慶應義塾大学政策・メディア研究科教授、SFC研究所所長
※ 当日、ゲストも参加者のみなさんと一緒に議論します!

当日の流れ:
13:00 開会
13:10 全体の流れの説明・資料説明
13:30 グループ毎に分かれて熟議(前半)
14:30 休憩
14:45 グループ毎に分かれて熟議(後半)
16:00 グループ毎に発表
16:30 総括
17:00 閉会

主催:リアル熟議を実施する学生の会
共催:文部科学省、NPO法人カタリバ、慶應義塾大学金子研究会

参加申し込み:
以下、URLの参加フォーマットから必要項目を入力して下さい。
http://real-jukugi.org/apply/

教育を当事者性で考える

教育に関して、現場の当事者の議論こそ地に足の着いた教育論だ、という考えを最近持っている。だから教職課程に居るどころか、いまやミッションをかなえる職業ビジョンとして教員を目指すほどだ。

だけど、教員としての当事者性だけが全てではない。もっとも、学生や生徒児童も当事者なんだよな。。。

と、思いながら、私が属する高等教育のあり方について、考えなきゃいけないことが多いんだよな、とふと思っていたおり、友人から誘いを受けた。

「リアル熟議、やろう」

熟議とは、新しい政策形成の形として、文部科学省が主導して行われているものである。現在、熟議カケアイと称したWebサイト上で、教育の当事者たちが、教育に関する政策課題について議論している。

おれ「でもさ、Webって限界あるんだよね。僕も登録したけど、使ってないもの」
友人「じゃぁ、自分らでやるか」

となって、リアル熟議プロジェクトが動き出した。

僕にできることといえば、そうだな、Web広報かな、となって、仮サイトをつくったら思いのほかうまく出来上がって、熟議カケアイをはじめとする新しい公共を主導するSFCの某教授もびっくりしていたほどだった。軽く自慢できる作品だ。そして、多方面への告知により、100名定員で募集をかけて2週間以内で50人は集まった。びっくりした。

そんなリアル熟議「大学は、もういらない?」の告知は以下。

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リアル熟議「大学は、もういらない!?
〜私たちと大学はいかにあるべきか〜」
公式Web:http://real-jukugi.org/
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文部科学副大臣・鈴木寛氏が参加決定!あなたも「リアル熟議」に参加しませんか?

私たちは新しい政策形成の場である、「リアル熟議」を
慶應義塾大学日吉キャンパスにて、7月24日に開催いたします。

「私たちと大学はいかにあるべきか」をテーマに、
高校生、大学生、社会人、研究者、有識者、政治家などの大学に関わる
多様な立場・価値観・考えを持つ人たちが意見をぶつけあって、
議論し共に解決策を考える場を提供します。

「熟議」のプロセスによって、政治家や官僚だけが持っているとされていた専門知だけでなく、
問題の当事者が持っている経験知を付け加え、さらに自分の問題として捉えなおすことで、
4時間という短い時間で、より本質に迫る政策形成の実現を目指します!

リアルに会って話した私たちの言葉が「私たちと大学の問題」に解決策をもたらすかもしれない。
その可能性に溢れた「リアル熟議」・・・・・・是非、ふるってご参加ください!

【開催概要】
日時:
7月24日(土)13:00−17:00(開場:12:30)

会場:
慶應義塾大学日吉キャンパス 来往舎 シンポジウムスペース
※日吉駅(東急東横線、東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンライン)下車 徒歩1分

テーマ:
これからの大学?私たちと大学はいかにあるべきか。
? 大学入試制度のあり方に関して
?新卒主義のキャリア形成のあり方に関して
?社会人入学?学びなおすための大学のあり方に関して
?留学や大学の国際化のあり方に関して

ゲスト:
鈴木寛文部科学副大臣・参議院議員
金子郁容慶應義塾大学政策・メディア研究科教授、SFC研究所所長
※ 当日、ゲストも参加者のみなさんと一緒に議論します!

当日の流れ:
13:00 開会
13:10 全体の流れの説明・資料説明
13:30 グループ毎に分かれて熟議(前半)
14:30 休憩
14:45 グループ毎に分かれて熟議(後半)
16:00 グループ毎に発表
16:30 総括
17:00 閉会

主催:リアル熟議を実施する学生の会
共催:慶應義塾大学金子郁容研究会、文部科学省(予定)、NPO法人カタリバ

参加申し込み:
以下、URLの参加フォーマットから必要項目を入力して下さい。
http://real-jukugi.org/apply/
※先着100名

応募多数の場合は、参加者を抽選する場合もございます。あらかじめご了承ください。

まぁ、来てくださいな。

何事もなく過ぎ行く21歳の夜

来週頭にある、Music Nightというイベントで、僭越ながらMCをさせていただくこととなり、そのリハーサルをやっていた。その後、英語インタラクティブ・フォーラムの研究のために、アンケートを印刷して封筒に封入していった。気付けば21:30で、いつもの月曜日と変わらぬ帰宅時間となった。日付を超えれても、家にはいない。

また、自分が生まれた日の0:00を、自宅外で過ごすことになる。20・21・22と、もう3度目だ。昨日、吹奏楽サークルのオーディション応募用の映像撮影を終えたが、それでも帰りが日付を超えるのは、いつもの通りの生活がいたについている証拠だ。

そういえば、そのサークルの同学年者から、コップと肩叩きをもらった。院生になる僕への誕生日プレゼントだった。コップには、油性ペンでの寄せ書き。本当にありがたい。

私には悪いくせがある。人の誕生日を覚えないことだ。だから、どうしても贈り物を送れない。代わりにいつも、贈り物をもらう方の立場が多い。非常に恐縮する。その点で、mixiは便利で、友人の誕生日が近いことを知らせてくれるのだが。ともかく、私は誕生日に対して、至極受身であることが多く、為手側になることは稀である。

同じことは、誕生日に家で過ごすことなく、親家族に育ててもらった感謝を言わないあたりにも通じる。結局自分は、世界の中心は自分であり、自分のために自分を生きているにすぎない、自己中心主義の塊みたいなもんなのだ。他人と丁寧につきあうことを忘れてしまっているようでもある。感情線が孤を描いていても、結局思いやれていないのは、21歳になっても相変わらずで、それで本当に迷惑をかけたことがあった。

21歳の夏、僕は、自分のことさえ顧みていればよい立場から脱却しなければならない責任を得た。しかしながら相変わらずなままで、相手を振り回したり悩ませたり怒らせたりしていた。それは、ことの段落で特に予期している相手以外にも同じことを言えるのだが、とくにその相手に対しては悔やまれるほどである。一方で、その相手の存在が故に、将来の人生のことを、余計に考えるようになった。自分は何をして稼ぎ、どのような家庭で過ごし、どう人生を設計して行くのか。それは単に、他者を顧みなければならない責任が起きたからではない。21歳という年齢が故でもある。

21歳は、人生のターニングポイントである。同じ21歳世代では、すでに社会にでている人が半分以上、そして僕の周囲では、大半が職探しに奔走し、21歳の夏から秋、冬、そして春と、多くの友人が、直近の未来の人生ステージの場所を探すために、はるか遠くまでに渡る人生の設計図づくりに頭を悩ませていた。そのムーブメントは、例外なく僕にもやってきて、僕は遠い未来に渡る自分のミッションとそのためのツールである職業の見通しを考えた。

結果、僕は一切の私企業・公的団体に対して、金銭を対価に仕事をするためのエントリーシートを提出することはなかった。出した答えは、大学院に進んでまだ学ぶことだった。しかし、その決定が早からず遅からず、そのせいで、周りが忙しく奔走する時期に、本当に何もしなかった。本当に、何も。そのせいか否か、21歳の後半は、後ろめたさと不安の連続だった。院生候補にもかかわらず、ろくに研究成果をあげる訳でもなく、勉強に勤しむ訳でもなく、何もしなかった。周りが奔走しているのに、自分はこれでいいのか。周りが奔走しているのなら、その分の働きをすべきなのに、何もしていないのはいいのか。そして、バカみたいに高い学費も、後ろめたさを助長する。そして、今年度になって、4年にもなって、かつてない無気力さを得た。かつての自分からすれば、腐敗が進んだ。

だからだろうか、21歳は、それまでに比べて少しは落ち着きを見せたものの、以前としていろいろなことに取り組んだと思う。吹奏楽サークルでは副代表だったし、地域活性化活動では企画担当もした。某SFCの未来をつくるプロジェクトでは、年が開けて、名ばかりながら代表代行を拝命した。とりあえず忙しくすることで、どうにか自分を保とうとする癖は、未だに治っていない。本当はもう少し失敗に学んで、集中力を持つことをしなければならないのに、好奇心を持つあたりはまだ子どもなのだ。

でも、もう子どもでないのだ。若くはないのだ。大学では、もう褒めてくれる先輩的な立場はいない。それどころか、後輩ばかりである。徐々に、「あなた若いのにしっかりしてるわね」と言われる年齢から離れだしている。僕が動機付を保ってきた要因である、年長者からの褒め言葉を、だんだんと失いつつある。でもなお、若さとか子ども性とかのなかで、大人に対してアクションを起こして行きたいという欲望は果たされていないらしい。だから、歳を取ることの現実を受け入れたくない。年齢は重なるけれど、僕は僕のまま。高校生だった自分、中学生だった自分、小学生だった自分から、今の自分を比べても、中身は変わっていない。レッテルが変わっただけだ。でも、あの頃憧れていた先輩たちとかお兄さんお姉さん世代とかと、同じ世代にたっているかといえば、まったく成れていない自分がいる。本当に僕は大人の階段にいるのだろうか。

みんなは、21歳の僕を、変わったというのだろうか。久々に会う人ならそう言うだろうが、でも級友なら変わらないと言うだろう。とかく、日々生活をともにする親は、変わらないままに、変化していてもその変化に無意識的だろう。考えてみれば、弟は中3、妹は中2、奴らはまだ僕のなかでは小学生だったのに、ふと気づいた時、年齢の高まりを感じたことがある。そんなことが、親や祖母にはあるのだろうか。そして、21まで育ってきた僕に、何を思うのだろうか。

死んだ母は、21の僕がこうなっていたことを、予測していただろうか。こうなったことを、喜ぶだろうか。そもそも産み親が亡くなっていることに対しては、実は無自覚だから、感謝のかの字も、悲しみのかの字もないのが正直な所なのだ。なんと薄情なのだろう。でも、いまふと考えた。22年前の今日のこの時間、天国の母親は、人生初めての陣痛に苦しみながら、東京・豊島区の病院にいたんだ。性への興味段階である思春期をある程度超えて、様々なことが実感として理解出来るようになったいま、22年前の母親の陣痛が、どのようなものだったかを考えると、妙にリアルである。

もうすぐ、誕生日当日だ。

もういい年齢だから、いままでみたいに、人から祝ってもらえたりプレゼントをもらえることに喜ぶだけの、気楽な一時を過ごすのはやめよう。

みんな、誕生日になると、周りの人に感謝しているという言葉を書き連ねる。当然のことだし素晴らしいことだけど、感謝をどう表し、それをどう還元すればいいか僕には完璧な答えがない。そりゃ、僕のこの人生と人格の形成過程では、たくさんの人と経験との出会いがあった訳だから、感謝は絶えないが、そうした所で還元するすべを知らない。それは、僕の周りの人が誕生日の時に全員におめでとうということであろうか、違うだろう。僕は、そうして考えながら、行動を取ることを放棄して、結局自分に収束して行くことになると思う。

でも、それだって重要だ。腹を痛めて産んだ結果としての存在であることをリアルに認識できるようになったからこそ、いままでに起きた事を思い出しながら、腹を痛めつけてまで生まれてきた意義があったのかを考えるのは必要なプロセスだと思う。そして、今後の生きる意義とは、生きるミッションとは何かを考えるのはもっと重要だ。

進路のターニングポイントにあって、生まれるということをリアルに感じながら、同時に子どもらしく、これから先の人生のミッションを考えながら、少しだけ他者に丁寧に感謝する。

これって、21歳最後の夜であっても、何事もない、いつもと変わらぬ夜にする、いつもの思考なのだろうと思う。やはり今夜は、何事もなくすぎていく、いつもの夜だ。

教育の語る当事者として

ここ最近、やはり私のテーマは教育であるのだな、という自覚がものすごく強まっています。それも、参加する活動に現れているのかもしれません。
それと最近、教育という言葉のおこがましさを感じます。どちらかといえは、学ぶ、という方がしっくり来ます。学校は年長者が年少者に教える場所ではなく、学びをつくる場であって、教師は伴走者かつ仕掛け人、生徒こそ学ぶ主体なのだ、と。

教育の問題を語ることは、誰でもできます。なぜなら、自分にその経験が有るから。みな、義務教育課程は最低限修了していて、その課程での出来事を経験則として語ることは誰にでもできます。
それはそれで十分必要な視点です。しかし昨今の教育議論は、自分が教育の当時者性を失いつつある人が、さも熱く持論を展開することによって盛り上がりを見せる気がするのです。

ちがうでしょ、と。教育の問題は、テレビのなかで起きてるんじゃない。問題が起きているとすれば、それは現場で起きているんだ、と。しかも、果たして世の中に言われている問題とやらは本当に問題なのでしょうか。教師はそんなにダメなのか、近頃の若者や子どもがそんなに悪いのか。

教育を語る資格を持つのは、やはり当事者です。学びの場である学校に身を起きながら、そこで仕掛けづくりに奔走する教員と、現在進行系で学んでいる子どもたち(なかには、旧来の学校に適応出来ずに、新しいかたちの学校で過ごす教員と子どももいます)こそ、本当に教育を語る資格があるのだと思います。
だから僕は、現場に向き合っていない人、現場志向でない人の教育論議にはものすごく抵抗感を感じます。教育研究も、教育行政も、日々学びの場で繰り広げられる個々の営みを無視して行われるものじゃない。

だから僕は、教育に関連する活動に数多く従事するなかで、子どもたちと接することを志向したり、現場主義的な活動や研究を好んだりするのです。

今、「キッカケ生まれる、ナナメの関係」NPOカタリバの企画に参加するため電車にゆられています。高校生と話をして、彼らが何かキッカケを掴めれば、そのなかで僕も何かを学べれば。あくまで対等ちょっと上、発達の最近接領域として、現場の生徒たちをみて来たいと思います。

今度の6/25には、過去2回実施してきた#ANYONe_ELSEをまた実施します。正直、過去二回は教育談義に終止して、活動や研究の共有、という現場志向的な繋がりの形成がかなわなかった。今後は、よりそういったかたちを目指したいです。

来月には、大学をテーマとして、学生主導の熟議が行われます。文科省は、ネット上で教育従事者による熟議カケアイという政策創造エンジンを展開していますが、登録しているもののイマイチ気が乗らない。それは単にインターフェースの問題で、直接語り合う場づくりが必要なのでしょう。是非スタッフとして、当事者性の高い場の形成ができれば、と思います。名前だけ偉い方々から高尚な話を聞いても、それらに当事者性がかけたら、そんなん誰でも出来る議論だ、と腹を立てるでしょうから。

インタラクティブ・フォーラムという取り組みの事例研究も、準備が進んでいます。

今年の夏もあいかわらず、小学生と大学生と高校生と地域の大人とキャンプにでかけます。

明日、大学院試験ですが、私が目指すのは、ステキな教育従事者でして、大学院では、そのステキな教育従事者になるための専門性と当事者性を身につけたいと思っています。
僕には、どんな教育のかたち、学びのかたちが創れるのか。まだまだ精進が必要みたいです。

大学院入試研究計画書

少しくらい、ブログをツイッターだけにしないで、しかももっと活用していかなきゃな、と思う次第であります。

で、少し前から考えていたのが、「前に出す、共に動く、振り返る、後に残す」がこのブログのテーマであるProjectの意味する所ですので、せっかくだから自分のProjectとなるものをアーカイブ化するとともに、それを広く前に出してみようと思います。

そう、僕の書いてきたアカデミックペーパーの全てを、「前に出す、後に残す」のです。そのカテゴリが、『Papers』。

第一弾は、先般の大学院政策・メディア研究科入試の出願に際して添付した、研究計画書です。

ファイル:20100525_GAO-ResearchPlan

タイトルは「茨城県・英語インタラクティブフォーラムの評価分析 〜学校英語教育のあり方と、教育施策の分析手法の検討〜」。私が中学2年生と3年生の時に参加した英会話コンテスト「英語インタラクティブフォーラム」を事例研究の題材として扱います。その上で、この研究が目指すのは、日本の学校英語教育でなぜ英語を学ぶ必要があるのか、その意味の付与です。

私は常々、「日本人は日本に暮らす限り英語を必要としない。だから、英語という言語の言語知識を習得する必要は無い。英語学習の目的は、英語の言語知識ではなく、広く一般的な言語使用の方略、平たく言えば、どんな言語でも通用するコミュニケーション方略を身につけることだ」という主張をしています。ただ、その主張を主張でとどめず、説得力を持たせるために、この研究に取り組みます。

具体的な手法は、英語インタラクティブフォーラムの参加者と、その指導者を対象としたアンケート調査により、生徒の意欲態度の変化や、教師の指導実践の実態を明らかにするとともに、談話分析を用いて参加者の英会話の特性を調べます。

ここにアップロードすることをもって、院試にご協力いただいた皆さんへの、出願のご報告と代えさせていただきます。

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GWに何をしたか。2

忘れてました、GWリビュー。その2。

5/2:寝てばかり2

この日も寝てばかり。12時に起きた訳ですが、起きてからも何もしませんでした。と、いうか何をしたかもはや覚えていません。

5/3:BBQ

バーベキューしました。バイト先の仲間と、その先輩達と、埼玉県宮代町の「はらっパーク」という会場でのバーベキューです。朝7時半から古河を出発して行きましたが、8時半前には到着。本当に原っぱしか無い公園でした。

肉を買い出しに近くのスーパーに行って、野菜を眺めていると、近所のおばちゃんが話しかけてきました。「今日は野菜高いよ」日本も捨てたもんじゃないかもしれません、見ず知らずの男に話しかけるなんて。

久々にお会いした先輩方はお元気でした。購入したたくさんのお肉はおいしかったです。お酒もおいしかったです。ただ、炎天下の中で酒と肉を食べ過ぎ、消化不良を起こして気分が悪くなりました。しばらく寝てました。しばらく寝た後にクイズ企画をしました。楽しかったです。

その後、一度家に帰ってから、某先輩のお宅にお邪魔して、おいしいドイツワインをいただきながら、頭をフルに働かせて議論に議論を続けました。

そういえば、先輩方にお礼メールを送り忘れたままでした。送ろう送ろうと思いつつ機を逸するのは私の悪い癖。

5/4:モダンクラシック

熱狂の日6年目。今年も、東京国際フォーラムに行きました。ショパンの宇宙です。
熱狂の日音楽祭とは、ラ・フォル・ジュルネと申しまして、クラシックのフェスです。東京国際フォーラムの全てのホール会場がクラシックのコンサートでジャックされます。しかも3日間です。

12時から聞いたホールAの東京都交響楽団。都響だからか、チケットの売れ行きが良くなかったのですが、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲のソリスト・郷古さんが、なんと高校2年生。柳楽優弥似の、大人の男と少年の狭間にいるかっこよさの中で演奏される、若さとエロさの混じった名演でした。

15時頃からは、ネオ屋台村前のミュージックキオスクという野外演奏ステージ前に陣取って、本当はチケットをおさえて聞きたかった「モーショントリオ」のアコーディオン三重奏を聴きました。ショパンの楽曲をアコーディオン編曲演奏。手拍子が起こるほどの大盛り上がりに、30分間のステージながら相当興奮してしまいました。アンコールには「ゲーム音」を演奏。レベルアップの音や、ファイヤーボールを出す音、爆発音などが、アコーディオンから巧みに出ていて、それはまた熱狂しますわ。

20時からは、ゼスポール・ポルスキという民族楽器演奏集団。なんとそこで、昨年夏の介護等体験を一緒に行った慶応の先輩に遭遇。不思議な縁を感じながら、演奏を聴いていると、また民族音楽のリズム性に本当に躍動感を覚えました。マズルカなど、やはり躍りの音楽だから、心の響くのですね。それからそれから、初めてホーミーを聞きました。本当に、低音と高音が同時に聞こえて驚き。

とりあえず、あまり行数が埋まらなかったのですが、今回の熱狂の日は本当に良かった。一般発売までチケット発売に気がつかず、たまたま買った2公演(以前は6つも7つも、でした)が本当に当たりでした。

5/5:これから何かをしたいと思う

松下政経塾立志論文コンテストに出場したのは、初回大会の2006年。その後、2010年大会で5回目を迎えた大会にて、過去の論文コンテスト出場者が集合しました。enshinoは、その出場経験者のネットワークMLの管理者に。

そのメンバーから、「夏頃に、松下政経塾出身の方々にお会いできるような機会がほしい!」という提案があり、一時MLで議論となりました。ここは、一度作戦会議を開こう、ということになって、作戦会議を行いました。まぁ、ここでは多くは語りませんが、松下政経塾にたいして、私たちのネットワークについて今後定期的にアクションを起こせるようなネットワーク運営をするためのご提案をいくつか思いついた訳です。私含め3人の会議でしたが、有意義でした。

その後、突如暇になって、新宿で物書きをしていたら、サークルの後輩が渋谷で暇している情報をついったーで察知し、新宿に呼び寄せ話をしました。まぁ、そんなかんじ。

そんなこんなで過ぎて行った、GWは、例年に比べて普通だったような気がします。おわり。

GWに何をしたか。1

久々の深夜帰宅なので、目がさめている電車内はブログを書く時間にしましょうか。

さて、今年度最初の連休もすぎて、徐々にやることが増えてきました。この連休のうちに、大学院入試と卒業研究に関わる諸々の準備、具体的にいうと、研究計画書と研究報告書を執筆しあげる予定でしたが、んなことかなう訳がなかったです。

まぁ、これから忙しくすることにしておいて、その分休みを謳歌するのがよかったのかもしれませんね。

振り返ってみましよう。

4/29:メガネonメガネと、グラサン男

この日は、以前時をかける少女実写版を見た横浜ブルク13に出かけ、ジョニーデップ主演のアリスinワンダーランドを見ました。時かけの時に、上映トラブルがあったおかげで、次回無料券があったのですが、それを使って見ました。

3D作品は、見るのが大変です。アバターでもそうだったのですが、普通のメガネの上に3Dメガネを装着するので、疲れるんですね。

あと、あの作品、面白かったけれど展開が早かった。ジョニーデップはさすが奇人変人役がうまいけれど、あのポジションは主演クラスだったのでしょうか。むしろアリスこそ主演ですよね。それから、白の女王の唇と眉毛の黒々しさがやけに気になりました。

昼間に終わったので、中華街で食べ歩きをしたのですが、メインストリートの肉まん屋は、世界一とか世界チャンピオンとかで溢れていて、どれが本物の世界no.1なのか、ツッコミたくなりました。

そのあと、錦糸町に移動して、長い付き合いになるブログ仲間のDavy氏と食事にでかけました。ドレッシングで有名なピエトロでパスタ。おいしかったです。サラダバー取放題で、ペンネを大量に食べました。

その後、彼の家にも行きましたが、彼が大学二年目にして、今の大学に満足していて、自分のスタイルをもって大学生活を送っていることに、安堵しました。

彼は、そりゃ刺々しかった時期があったのですが、今はそうではない。彼にとって、刺々しさがなくなって丸くなったという私の評価は、寂しい評価だ、ということでしたが、彼が持つこだわりや自信や信念や見通しは、さらにブラッシュアップされていました。

一時は、正直彼が大学生活を充実させられるのか不安でしたが、その不安はおこがましいもので、結局enshino自身のスタンダードに適合しないのではという不安だったのです。彼は、私とは違う、そのなかで、非常に良くやっていました。刺激を受けました。

秋葉原まで送ってもらいました。今度また、遊びに行きたいと思います。

4/30:寝坊とノリ弁、意思決定と意識混乱

平日です。でも、三田キャンパスの3限からなので、ゆっくり起きられます。でも、ゆっくりすぎました。15分どの遅刻。

三田では、この時間帯には、地理学IIIという授業を受けています。通年科目です。授業中に良く寝る僕の割に、この授業はあまり眠くない。南北人口問題というテーマが面白いからでしょうね。

14:30の授業終わりまで、なんにも口にしていなかったので、腹が減りました。しかし、2時間後の16:30までに藤沢キャンパスに行かないと、5限の行政法の授業に間に合いません。困った私は、初めて、オリジン弁当でノリ弁を買いました。安いくせに、ガッツリ食えて、いいですね、あれ。白身フライにはまりました。今後はご用達ですね。

さて、移動の結果、間に合いませんでした。まぁいつものことです。授業の後は、サークルの総会でしたが、2時間の時間のなかで、議題が8つもある、そりゃ大変な総会でした。しかも、参加者は40名超なため、議事進行がうまく行く訳もありません。私は、どこでも先人を切って発言する者なので、私が妨げ用員の一人となったと言っても過言ではありません。結果、議事は後の方になって猛スピードで進みました。

みんな急いでいたんです。だって、その後は飲み会だから。飲み会、当然終電は逃しますよね。二次会コースの雰囲気で、食べたりない感じのなか、ビールとワインだけでだいぶ酔っ払いました。まぁ、いつものことです。一年生たちとたっぷり話せると思いましたが、そこまででもなかったのが心残りです。

その後は、自転車を押しながら、大学まで行き、ひとしきり荷物を研究室から出して、宿残留をしました。人のうちに行くと恐縮するし、かと言ってオールは眠れない。大学は、ある意味で僕を守ってくれる最高の宿なのです。とはいえ、少しは仕事をしようと思い、IT教材のメンテナンスをしていたあたりで眠りに着きました。

5/1:寝てばかり。

大学で起きて、二度寝して、9:00頃大学をでました。コメダコーヒーでモーニングが食べたくて、本当にそうしました。コーヒーだけ頼めば、半切れのトーストとゆで卵がついてきます。あとは、?100であんこのトッピング。甘い朝。

小田急線車内で、4月に入ってから買った『スプートニクの恋人』を読もうとするも爆睡。新宿から電車に乗って、とりあえず大宮で昼食を取るまでも爆睡。大宮では、いつものようにカニチャーハン屋でエビマヨチャーハンを食し、腹がいっぱいだったので地元古河まで爆睡。

帰って、夕食まで爆睡。風呂まで爆睡。風呂後にメッセンジャーで会話して、爆睡。そして翌日起きたのは、12時頃でした。

つづく。

ブログの再構成

実は、enshino.bizシリーズは、1.ブログる→2.enshino Days→3.enshino雑記帳→4.enshino Projectの4ステージで構成してきましたが、ここ最近は4thステージの記事しか掲載していませんでした。
この際、1〜3rdステージの文章を追加して整理しようと思いました。
その作業中です。たくさんカテゴリが増えましたが、ご注意を。

気を抜くとろくなことはない

また終電よりこんばんは。
帰りの電車は、大してできることも少ないから、できるだけ人生のログを残しておこうと思います。それがブログ。

さて、今朝は目覚まし代わりのアラームを何度も設定しておいたにもかかわらず、寝坊しました。まだそのときには「遅刻」レベルだったのですが、不運はまだ続きました。

赤羽駅で埼京線に乗り替え、池袋につくと、これから先電車が詰まっている、とのアナウンスがあり、これは途中で止まると思って山手線に乗り替えました。この判断が凶と出た。案外埼京線はスムーズに流れていた反面、山手線はえっちらおっちら行くものだから、結局快速急行に乗り遅れ、予定していた事柄に参加できず。

二限の教室にはキャンパスの一番端で、大半のみんなが降りるバス停の一つ先で降りる方が楽なので、そこで降りて教室に向かいました。ところが、教室変更で、反対側の一番端まで歩くハメになりました。

熱心に聞いていた三限の授業。ところが最後の最後の三分間だけ、目を閉じて考え事をするうちにうたた寝していたら、先生に注意されました。そりゃ一番前で寝たら目立つけど、95%は起きていたのに、その瞬間だけ切り取られるのは心外でした。

その後諸々あって、放課後のとあるミーティング中に、プロジェクトでクイズ企画をやるためにパワポの準備をしていました。ところが、途中でパソコンがフリーズして、作っていたデータが消えました。

とりあえず帰ろうと、バスに乗り、発車を待っていたのですがなかなか出ない。ふと腕時計をみると、すでに発車時刻を6分もすぎていました。案の定、終電です。

そしてその車内、バイト先でやるべき仕事をやりわすれていたことが発覚。これでもう、何ヶ月も連続して注意を受けています。

悪いことは立て続けに起こる。本当に、気が緩んでいるからだと思います。

進路の吉報を聞く

いつまでもついったーまとめばかりの記事では味気ないので、少しは時間をとって、割にじっくり言葉を紡ぐことをしようと思います。二日に一度は、そんなのが必要だろうな。

今日、突然携帯メールがなったら、友人が公共放送局の内定をとっていました。まぁ当然な感じ。そんで、久々にみた別の友人に近況を聞くと、某一流企業の内定をとっていました。また、もう内定者手続きに移っている人も。大変な人は大変なようですが、吉報を聞くことが多くなりました。

はて、自分は進路を着実に決めている人に比べて幾分足が遅い気がするなぁ。

よくしらべてなかったのが祟りましたが、2010年度実施の政策・メディア研究科の入試要項はすでに発売されていました。いかん、手に入れなければならぬ。どうやら、出願は5/25〜27くらいらしいので、早いところ研究計画書を書かないといけないのと、推薦書を頼まねばなりません。

数社はエントリーシートを書いてみよう、とあれだけ考えていながら、結局やらず仕舞い。TOEIC受けよう、ITパスポート受けよう、とあれだけ考えていながら、まだ。歩みがゆっくりすぎで、いささか集中が出来ていなかったようです。

そろそろ奮起する頃ですね。頑張ります。吉報を聞いて、僕の方は、焦りの力を見せつけないといけないようです。

あ、あと奨学金もね。