首里城

二千円札で有名な守礼門、琉球王朝の城であった首里城正殿、石灰岩を高く積み上げた城壁。
城とは言え、さすが中国の影響を受けた琉球王朝の城・首里城。
実はこの首里城自体は復元されたもの。
世界遺産は「首里城跡」らしいね。
ただ、流れるようにしか見なかったので、何となく城を後にしてしまった。
団体ではなく、やはり個人旅行したいな。

データフォルダが一杯だ、写真添付できねぇし。

沖縄行ってきます。

つうわけで、一気に更新しちゃいました。いつの間にやら200件越えました!

 明日から沖縄行きます。
 俺は社会に対してあまちゃんです、戦争知識もまだまだです。今の沖縄を見、過去の沖縄を知り、これからの自分がどのように戦争を考えるかの足がかりにしたいと思います。

 豪州デイズとexpoレポートを併合してTravelDaysを立ち上げました。旅先からモバイル投稿で随時日記を&帰ったら日記書きますね。

 では、いてきまーす!

「在日」を読んだが

先日、ある本を読破した。東大教授の姜尚中氏の自伝「在日」。
3ヶ月前に顧問に読むべしと手渡され、豪州に連れて行くも読めず、10月少し前くらいに読み始め一ヶ月かかってやっと読み切った。
その読みのスピードの遅さも重なっての事だが、内容をしっかりと把握することに苦戦を強いられた。

氏は朝鮮戦争勃発の年に熊本で生を受けた在日二世。戦後の日本、タダでさえ生活が苦しい時代において、在日韓国・朝鮮人は多くの苦難を抱えながら生きていた。もちろん氏も苦しい生活を強いられていたようである。両親はほぼ文盲に近く、特に母親は大きな苦労を抱えていたらしい。
「おじさん」とよんでいた人の存在や、多くの人との出会いのなかで成長した氏は早稲田大学の政経学部に入り、大学では韓文研に入り活動をしていった。その頃の朝鮮半島の情勢は僕には未だ理解できないようなめまぐるしさを帯びていた。そのなかで氏は様々な活動に参加していったのである。
氏はドイツへ留学していた時期があった。その当時にも様々なことが起こったらしく、特に日ソ関係などの問題に触れていた文章が目立った。留学先で出会った友との話も綴られていた。
帰国して上尾に住んだ氏は、外国人登録の指紋押印拒否を示し、市民グループらと活動を起こした。氏を支えた、ある牧師の話も紹介されていた。
その後氏はICU非常勤講師などをへて現在東京大学で政治経済の教授をしている。「在日」のパブリックコメンテーターとして様々な方面で活躍することへの考えや、湾岸戦争・イラク戦争、それをふまえた上での朝鮮半島・東北アジアの考えなどが記されていた。

覚えているだけの内容のあらましはこんなもんだ。
でも実際しっかり理解してはいない。既に述べたことではあるが、まず自分の本を読むことへの不慣れさが第一の原因であると言えよう。これは慣れようとすればどうにでもなる。
しかし問題は第二点目にある。本に登場する様々な事件のあらましや歴史的背景等の事柄に関して、自分は全くもって無知であるということだ。正直言えば、自分には朝鮮半島の歴史と言う知識が未だ備わっていない。漠然とあるのは以前日本が植民地支配を行っていたということ、拉致問題へのこと、「在日」差別への抵抗感、とこれくらいしか浮かんでこないのだ。持っている知識も濃霧の先の景色のようにぼやけていて、知っていることの時代の幅に大きな空白がある。
氏は巻末で、「在日として生きてきた一人の男が何を得、何を失ったかを書き記したかった」と言うようなことを書いていた。しっかりとではないが、氏の意図するところは多少理解できた気がする。でもそれでは不十分である。「在日の人って大変な思いをしてきたのか」「当時の世界はこんなにも動いていたのか」こんな驚きばかりが本を読むことで生まれてきた。氏はこのような考えを抱いてもらうために本を書いていたのではないと言うから、自分はハメられたというか、読みが浅はかだった。

昨今、靖国問題でまた日韓関係にひびが入りそうな心配が襲ってくる。六者協議もなかなか進展を見せず、拉致問題も未だ解決に至っていない。氏は本文で、今年(2005)に日朝の国交が回復することを願っていたようだ。現状では、自分はそれは達成されないのではないかと思ってやまない。現実は意外と厳しいのだ。特に日朝関係ではハードルとなる物が多く、さらに壁が厚いようだし。

とにかく朝鮮半島を理解するには過去に目線をおき、現在に目線おき、未来に目線をおくことが必要になってくるのではないか。その点では、自分自身全て達成しきれていないことがよくわかってくる。それが、「内容が難しい」につながっているのだろうと思う。
もっと学習をすることが必要のようだ。とにかく顧問に借りた本は返却して、新たに自分であの本を買おうかと考えている。

チャリティーコンサートに寄せて

こんばんわ、久々の記事になってしまいましたね。現在部活動は第12回チャリティーコンサートに向けて準備に追われています。部員日記にもその様子が書かれています。今回は自分が書いた記事に関連して自分のチャリコンへの考えを述べてみようと思います。SchoolDaysにしましたが、勇気の日やMusicDaysにも引っかかってきます。あくまでも個人の考えですので。長いので続きに書くことにします。

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手紙

アメリカ留学中のクラスメイトからメールが届いた。学校へはエア・メールも届いた。どうやら元気でやっているようだ。カンザスにいるのだが、ハリケーン被害は受けなかったらしい。ただニュース映像にはさすがに絶句したらしい。小さな町に住む彼、学校までは車で3分だそうだ。大変なことも多いけれど向こうの生活にしっかり適応して元気に過ごしているらしい。やっぱり、元気だってことを証明する”手紙”ってのはいいもんだなぁと思う。
最近、手紙の存在価値を意識するようになった。上手く言い表せないのだが、手紙をもらう行為にも手紙を書く・渡すという行為にも喜びを感じるようになった。色んな節目に手紙をもらう。それが初めて現れたのは部活のときだったかなと思う。先輩から卒業の折に手紙をもらった記憶がある。そのときは何一つお返しが出来なかったことを悔やんでいる。
高校に入って初めて部活で手紙をもらったのは先輩の引退式でのこと。経った一人しかいなかったチューバの三年生(当時)から手紙をもらった。帰りの電車で読んで、これからしっかり練習していこうという気になったことを覚えている。その後、アンサンブルコンテストのときにも本番当日にあるメンバーから手紙をもらった。そのときは本気でうれしかった。以前そのメンバーとはちょっとしたいざこざがあってそのアンサンブルで上手くやっていけるか不安だったからだ。それから久しく手紙をもらわなくなったが、今年の夏の引退式で先輩から手紙をもらった。その時僕は寄せ書き一枚しか用意していなかった、それも心残りだ。
実は以前まで、僕は手紙はもらう方専門だった。自分から手紙を書くことのうれしさを感じ始めたのはこの間のニッケ・ツアー。一人の子から手紙を早々にもらって、その返事を書こうと思い立ったのが最初。何時しか紙に自分の思いをしたためるのが楽しくなってきた。メッセージを宛てるというよりもブログを書く方に近い感覚だったようだ。結局メンバー全員と自分のバディーに長々と手紙を書いていた。同時に多くのメンバーから手紙をもらった。いまじゃそれは宝に近い。
一件無機質に見えてくるメールにも暖かみを感じるようになってきた。一時期、半日に1通程度にも関わらず2週間以上メールが続いたことがある。どうって事無い話だったが、それが続くようになると返信が待ち遠しくってたまらなかった。そして、送られてくる無機質な活字からも喜びを感じるようになっていた。面と向かってはあまり話せなかったからこそ深い話になっていくのがうれしかったのだ。
面と向かって言えないようなことでも、文字なら伝えることが出来る、それが手紙・メールの威力だ。ことに手紙は形として手に取れる物だからこそ、書く感動・受け取る感動という物が大きい。もちろん遠くにいる親友からのメールも感動は大きいのだが。大原則として、自分は口で伝えるコミュニケーションこそ一番だと考える。そんな俺でも、文字の暖かみに触れるとまるでその人自身の暖かみに触れるような気がするときもある。そういう意味でも、手紙という物には大きな魅力を感じる。
早いうちに彼にメールを返信しよう。いまのクラスの近況とか色んなことを書いて、また返事をもらおう。世話になったバディーに写真も送ろうと思う。提出物なんかそっちのけで、金管アンサンブルのメンバー一人一人に手紙を書こうか、本番近いし。
文字のコミュニケーションも捨てたもんじゃないね。

expoレポート:最終章

 こうしてなんとか愛知万博への旅も終わった。やはり万博に行くのに遊園地に行く感覚ではいけないと思う。そうするとがっかりする。
 ただ、各国各企業が将来の地球環境をどのように守っていくか、其の取り組みを十分学習できたと思う。
 これからは自分がどのように環境対策を考えるか、これにかかっているのではないか。ただ行って楽しむだけじゃ万博に行く意義と言うのは非常に薄っぺら鋳物になっていくだろう。自分が出来ることの提案、万博で得た物をこう考えていきたい。

 しかし、夜行は疲れるわ、朝帰りっつうのもつらいんだね。

expoレポート:番外編其の弐「注目、でも行けなかったパビリオン達」

 そう、せっかく注目しているパビリオンがあったのに行けなかった。そんなパビリオンを名前だけ挙げようと思う。
大韓民国パビリオン・カナダパビリオン・国際連合パビリオン・ドイツパビリオン・シンガポールパビリオン・トヨタグループ館・三井東芝館・日立グループ館・夢見る山・グローバルハウス・大地の塔・長久手愛知県館・瀬戸日本館・地球市民村

 1日じゃ行ける訳無いっつうの。

expoレポート:長久手日本館

 もう暗くなってきた。さすがにもう多くは回れないと判断し、最後は日本館に行くことにする。とにかく列は長かった。相当厳しかった。
 さて長久手日本館の特徴は何と言ってもその構造。竹で編まれたその構造は見る物をびっくりさせる。竹籠のなかは真っ暗で、昼間ならいい日陰になっただろうね。
 展示は4つのゾーンに分かれている。始めはパネルで世界の環境問題の映像を見る。次に動く歩道に乗りながら戦後60年の日本の生活環境の変化をその時代に登場したモノで見る。そして目玉、360°スクリーンでの映像体験。球体の内部に橋があり、そこに立つ。球体内部全てがスクリーンになっていて、そこに映像が映し出される。まるで自分たちが動いているかのような映像の迫力に驚く。最後は森林空間の中に数々のエコ・テクノロジーを展示したスペース。何より幾度となく噴射されるミストが森林浴気分を味あわせてくれる。
 締めが日本館でよかったと思うな。

expoレポート:アメリカ合衆国パビリオン

 やっぱりアメリカには行くべきだろう、と言っていってみた。さぞ人気かと思ったが30分ほどで入れてしまった。
 コンパニオンのお兄さんが入り口で言っていた。「みなさん、こちらがアメリカ館注目の展示、”金属探知機”です」何言ってんだ。セキュリティには厳しいようだ。
 さて、アメリカ館はベンジャミン・フランクリンという雷が電気であることを発見した科学者(であり、発明家・政治家・外交官)をホストとして映像を見せるもの。プレショーではフランクリンの生涯を紹介。メインショーでは、現在のアメリカのテクノロジーをフランクリンの生きていた頃と比較し、紹介する映像を見る。映像ショーの中では一番遊び要素がおおい物だった。こりゃ見るしかない。メインショーの後、実際にそのテクノロジーを見ることが出来る。ライト兄弟が初めて空を飛んだときの実験機のレプリカ(ちなみにそれ自体も飛ぶらしい)、火星探査機のレプリカ、燃料電池、そして何よりあの夢の二輪車「セグウェイ」の実機!これには驚いた。乗りたかったが乗せてもらえなかった。体の重心を前に傾ければ前に、後ろに傾ければ後ろに走る、それは本当だった。