国際通り

県庁へ続く大きな繁華街。
三越を始めとした様々な店が並ぶ。

基本的に俺は土産物商店街っぽいのは嫌いである。
京都の新京極しかり、鎌倉の小町通りしかり。
これと言って買うものもなかった。
タコスの中身をご飯にかけた「タコライス」を喰らう。
まぁイケル。

ゆいレールに乗る。
乗務員を始め働いている人に女性が多いのを見受ける。

万座毛

恩納村の観光スポット。
万人がすわれるほどの芝生(毛)というのがその所以。
その断崖絶壁が見所ではあるが、名前の由来通りの広い芝生はなかなか美しい。
絶壁から下を見下ろす、落ちたら一発だろうなと思ってしまった。
自然の浸食ってすげえな。

エメラルドビーチ

海洋博公園のビーチ。
かりゆしビーチ同様、かなりのエメラルドグリーン色。
白化した珊瑚もちらほらあったり。

しかし風がひどい。いつしか雨も降ってきた。
リゾート体験日がなんだかつまらんものになったな。

美ら海水族館

名護市海洋博公園の目玉施設、美ら海水族館。
沖縄らしい海の生き物が目白押し。

何が凄いって、巨大水槽にジンベイザメが三頭。
その水槽には他にもたくさんの海洋生物がいる。
サメの餌付けショーも見れた。
立ち泳ぎをしながら小エビ類を食べるサメの姿は圧巻。
短いコースではあったがおもしろい施設ではあった。

かりゆしビーチ

恩納村、かりゆしリゾートホテル。
僕らが泊まるこの宿は、修学旅行にしては好待遇と思えるホテル。

そのプライベートビーチでマリンスポーツを楽しむはずだった。
しかし、悪天候・高波の影響で不可能に。
ビーチに行く。風が強すぎる、寒い、砂が足に当たって痛い。
海の水は黒潮のおかげで暖かい。
ビーチバレーをするも風でボールが飛ぶ。
大雨に振られて退散する。悲しいわ。

道の駅かでな

嘉手納基地の滑走路すぐ脇の道の駅。
でっかい滑走路がよく見える。
米軍機が何台か止まっている。

あれの一部は民間の土地なんだろうね。
あれの中にある施設は日本の思いやり予算での産物だろうね。
返還はいつになることやら。

糸数壕

沖縄の壕は元々鍾乳洞だ。
昔はコミュニティプレースだった。
それが戦時中は軍の要塞や、医療施設であった。
糸数壕は現存する中でも最大級の壕だ。
あんなにくらく危ない中で、ひめゆりをはじめとする人々が生活をしていたかと思うと、その悲惨さに痛みを覚えざるを得ない。

ひめゆりの塔

沖縄戦の最中、負傷兵の手当てを手伝った、沖縄第一女子高と高等師範女学校の学生と先生、計240名。
うち命をおとした200余名。
薄暗い壕の中で軍人の医療の世話、人間を忘れるほどの辛さ。
そして壕に鉄の嵐が吹き、多くは死に至った。
自決したものもあった。

第三外科壕は今でも残っており、そこにひめゆりの塔、さらに記念碑がある。
資料館には若くして命をおとしたひめゆり学徒隊の写真がほぼ全員分飾ってある。

俺と同年代でなくなった命を悼み、不戦の誓いをこめて、俺は花をたむけた。

平和祈念公園

摩浮仁の丘のたもと。
平和の礎、平和の火の広場、平和の鎖。
24万余の沖縄戦戦没者が明記されている平和の波を見ると、あまりの多さに言葉を失う。
資料館の展示はまさに悲惨さを物語る。

戦争はさせない、まさしく平和の鎖が示すがごとく。

戦争体験講話

女学徒隊のなかで生き残った方の話を聞く。
なかなか話がらない人がいるなか、また戦争への意識が薄まりつつあるなか、こう言う語りベさんの話は貴重だ。
話はリアルだった。
怪我をおう兵隊、女学生達。足や手を切断したり、内臓が飛び出ていたり。
まずは知ることが大切なんだと思う。
明日の平和観光のためになっただろう。

やさしさの心。語りベさんが俺らが求めてきたもの。
戦争しない、させない、勇気と解釈したい。