広報デイズ3:がちゃがちゃ打ち込み

前広報委員長からの激励、非常にうれしく思います。
あくまで、読み手側に立ったパンフ作りを、現委員長のもと、心がけるつもりです。
たまに相談に乗っていただければありがたい。

ところで今日は、部活はありませんでしたが、とりあえず、原稿の打ち込み作戦の話をしようかと思います。
以前も話した通り、構成会議の後、原稿の依頼に入り、その原稿を回収(取り立て?)て、それを打ち込みます。
今回は、僕のアイディア(勝手な妄想)により、テンプレートを使用する事になりました。
今までは、全員をコンピュータ室に呼び寄せ、ページ設定(サイズ、余白、フォントなど)を1ページごとに行っていたのですが、今回は、テンプレートをこちらが作成し、フォルダの中が混乱しないようにしました。
果たしてこのテンプレート作戦が成功するかは定かではありません。

さて、回収した原稿は、今回はワードパッドで打ち込みをしてもらいました。
あえて、ワード形式で保存しない事で、何が下書きで、何が本番レイアウトなのか分からなくなるのを防ぐためです。
まず、原稿通りに打ち込み、文字修飾を加えて、それをテンプレートからつくった本番レイアウトのファイルにコピペするわけです。

今回の打ち込みの作業は、早い段階で終わってしまいそうです。
てをけがして吹けない先輩ががーーーーっと、やってくださったおかげです。
パート紹介、三年生紹介に関しては、もう間もなく本番用のレイアウトを作成できる状態に来ています。
ですが、パートによってはこりすぎている所もあり、YesNo診断みたいな、イメージマップみたいな原稿を出されて、こちらは四苦八苦です。
そんな原稿ほど、生き甲斐を感じるのも確かです。

相変わらず文章はまとまらないのですが、広報の方ではファイル形式をまとめようと必死になっているenshinoです。
なるべくさっさと仕事を終えたい一心で頑張っています。

最高のパンフ作りに全力を注ぎます。

ただショック2

寝屋川の事件は本当に衝撃でした。
事件を犯した少年と僕は年がひとつしか違いません。
少年犯罪がまたしても起きてしまいました。

少年犯罪といえば、勇気の日の当初の目標は「少年犯罪をなくす」こと。
見て見ぬふりをせず、相談する、注意をする、そういうような勇気をみんなで持とう、というのが当初の理念でした。
現在、僕の中ではこの理念はさらに飛躍をしているのですが、根本的な部分は変わりありません。

今回の事件では学校の安全対策にばかり重点が置かれていますが、果たして原因はそれだけなのでしょうか?
やはり少年犯罪において重要なのは、その子供がなぜそういう事件を犯してしまったのかという事ではないでしょうか。

今回の犯人の少年は、不登校状態にあったといいます。
周りからは、いい子と言われていたそうです。
なぜあの子があんな事を。というのが周囲の人が口にする事だと思います。
僕の偏見かもしれませんが、何か自分をつくっている所があって、うっぷんがたまっていたのではないのでしょうか。

Yahooニュースの内容ですが、少年は中2から不登校になり、担任が家庭訪問をしても、その理由はつかめなかったとの事です。
実は母親もその理由を把握していなかったとの事。自分で抱え込んでいたのでしょう。
登校していた頃は、同級生によくいじられていたとの事ですが、同級生はその事を深刻には思っていなかったとの事です。
これがいじめられていたという発言の元だったのでしょう。

なぜ気づく事ができなかったのでしょうか。優しく声をかける勇気があってもよかったのだと思います。
同じく少年も、なぜ勇気をだしてやめてほしいという事が言えなかったのでしょうか。
このように、現在では、勇気を行使する機会が非常に少なくなっているせいで、いざというときに勇気が出せないわけです。

もっと勇気をだす機会を増やさなければいけません。
今日もまとまりませんが、少年犯罪の防止には、勇気という要素も必要だと思います。

広報デイズ2:はい、チーズ

今日は写真撮影について話します。

広報委員会はイラスト担当の美術班とパソコン担当のパソコン班の二つの組織があり、さらに写真撮影のデジカメ班がパソコン班に所属しています。
定期演奏会のパンフレットでは、三年生紹介、パート紹介、顧問や指揮者などの紹介用に写真を使います。
これらの写真を撮影するのがデジカメ班です。

時期が来ると、デジカメ班が召集され、委員長に撮影を命じられます。
とりあえず、どのパートを撮影するかの分担を決めないといけません。
人数バランスを考えないと、一人が多くの仕事を抱えることになります。

今年の目標のひとつに、新校舎のアピールがあります。
パート写真も、新校舎での撮影が基本です。
教室、廊下、ラウンジなどで撮影をしました。

一番気を使うことは、顔が映るかということ。
人数が多いと、全員の顔が写らない場合があります。
だから無駄なこだわりは排除しなければなりません。
かといって面白みのないものを撮ってはお客さんがよく思ってくれません。
そこのバランスをどうとるかも難しいところです。
とりあえず、何枚か撮影をして最終的にどれがいいかを見極めます。

また、三年生紹介の写真は、背景の切り取りをしなければならないので、撮影時は、単色の壁をバックに撮影する必要があります。
加えて、アップで撮らなければならないので、近づいて撮影しなければなりません。
恥ずかしいからといって、撮影を拒否された例もあります。

とは言うものの、それぞれのアイディアあふれるポーズを見ることは非常に面白いことでもあります。
写真撮影は楽しい仕事のひとつでもあります。

広報デイズ1:会議会議会議

懲りずにまたシリーズ化です。
今回のネタは部活ネタです。

僕の所属する吹奏楽部には演奏以外の活動の運営をする組織があります。
部費の管理の会計係、譜面の管理の譜面係、読んで字のごとく合奏準備係、演奏会などでの演出を企画する企画係、演奏会の告知とスポンサー担当のSCOP委員会、そして僕が所属するのが演奏会のチラシ、パンフレットの制作を担当する広報委員会です。

現在、4/30の定期演奏会に向けて、パンフレット作りを始めています。
このシリーズでは、様々ある仕事のうち毎回一つに注目して、その仕事内容と反省を記すだけのものです。
今後のパンフ作りの資料にするとともに、演奏以外の活動がどんな物かをお伝えしたいと思います。

さて今日は手短に。
パンフレットはただ曲目をのせても面白くはありません。
ごあいさつや、曲目紹介、パートや三年生の紹介などなど、様々なコンテンツを要します。
先輩方も工夫を凝らして、読んでいて面白い文面を考えていました。
一番最初の仕事はそのコンテンツをどのようにするかを会議する事から始まります。
正直、例年通りが一番見やすく、面白い構成なんです。先輩方に感謝。
さてその構成の会議が終わると、原稿の依頼に移ります。
パート、三年生紹介、挨拶関係の原稿を依頼しますが、生徒が書く原稿の回収率はあまり良くはなく。
そうなると分かっているので、広報委員は早めに依頼を出しちゃいます。
考える方も意外と大変で、練習時間を裂いてまでも面白さを追求します。

最高のパンフ作りに全力を注ぎます。

ただショック

先生を訪ねた少年。応対をした教師。
教師は刺されて死亡。少年は容疑を否認。
逮捕された少年は17歳。

家に帰ってこのニュースを聞いたとき、ただショックでした。

まだ詳しくは把握していませんが、早いうちに考えた事を勇気の方に書こうと思います。

Yahoo!ニュース - 大阪寝屋川中央小侵入事件

スペシャルオリンピックス

スポーツの場面では多くの感動が生まれます。
同時に、頑張っているアスリートたちの姿は、僕らに勇気を与えてくれます。
昨年のオリンピックでも、多くのアスリートが感動を与えてくれました。
夏の高校野球の応援に行きましたが、感動しました。
何もオリンピックばかりがスポーツ大会ではありませんが、オリンピックという大会自体に大きな意味があり、多くの選手が金メダルを目指し頑張っているからこそ人々は感動するのではないのでしょうか。

さてオリンピックといえばオリンピック開催後に行われるのが体に障害を持つ人の大会、パラリンピックが有名ですね。
昨年のアテネでも、日本人アスリートの活躍が目立ちました。
で、みなさんはスペシャルオリンピックスをご存知でしょうか。
とっくに知っていた方もいるでしょうが、知的発達障害を持つ人のために、トレーニングの場、成果を発揮する場である大会を年間を通して提供する国際的な活動のことです。
第3のオリンピックと言っても過言ではありません。

今月の26日から3月5日にかけて長野オリンピックの開場を利用してスペシャルオリンピックス冬季世界大会が開催されます。
今回開催される冬季世界大会が、初めてアジアで開催されるスペシャルオリンピックスになります。
約80か国から約2,500人のアスリートが参加予定うち、日本選手団は150人で、今回の日本選手団の人数は、過去最高になります。
今回は7つの競技が開催される予定です。

面白いのは、ディビジョニングという独自のルール。
予選・決勝の順で競技が行われるのは当たり前ですが、この予選は決勝に進出できる人を選ぶためのものではありません。
予選の結果をもとに、その結果が同程度の人を集めてその中で競技を行います。
つまり、予選でクラス分けを行い、決勝ではそのクラスの中で競い合うというシステムです。
さらに面白いのは、あくまで個人を尊重するということ。
そのため、国家間でのメダル数を競うという事はなく、表彰においても、国旗掲揚、国歌演奏もありません。
さらに、出場選手の全てに表彰があるというのです。

勇気をだして で注目したいのは大会のときに読み上げられる選手宣誓。
日本語バージョンを引用して掲載します。
わたくしたちは、精一杯力を出して勝利をめざします。
たとえ勝てなくても、がんばる勇気を与えてください。
きっと今回の大会では多くのアスリートたちが勇気を与えてくれる事でしょう。

スペシャルオリンピックス日本
2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会ー長野

リーダーというもの

最初の方は愚痴になっています。この記事で、さらに僕は立場を失うかもしれない。けれど、何かのきっかけを与える事は必要ですから、発言する勇気を行使します。

最近僕の所属するクラスの和に疑問を抱く事があります。どんなクラスであるかは、僕の姉妹ブログを見てもらえればわかるのですが、僕のクラスは卒業まではなれる事はありませんから、必然的に仲が良くていいはずです。
ですが最近は、クラスレクの企画段階の参加率が悪く、クラスメイトの中に、乗り気な人と、乗り気ではない人ができてしまうのです。
それも高校生という年代からくるものなのでしょうか。

僕が一番苦労していると思うのは、そのクラスをまとめる中央委員と呼ばれるまとめ役の人間。クラス全体にそのレクレーションの話を出すのはものすごく勇気のいる事だと思うのです。
なぜならば、さっき言ったように、企画段階では、全員に諮っても、手が挙がらない人がいるわけで。僕自身前期の中央委員をやっているだけあって、その気持ちはよくわかるのです。
まとまらないクラスをまとめる立場としては、不甲斐なさを感じているかもしれません。そこにあえて声をかける事はやはり勇気のいる事だと思うのです。

前にたって何かを進めるには、勇気がとてもいると思うのです。自分がやる!と手を上げる事を初めとして、人に何か指示を出したりする事など、すべての人がすんなりとできる事ではありません。
失敗したときの責任はすべて負わなければならない。恐怖と常に戦いながらやっていくのがリーダーという者だと思うのです。
大統領や、首相がいい例です。多くの人からたたかれても、自分を失わない強さは、人の役に立つ行動を起こしたいという勇気から起こるのではないのでしょうか。
リーダーに必要な物は素質ではない。心だ。勇気だ。
前に立つ事を好む僕は、このことを自分にいい聞かせたいと思います。

クルド人親子強制送還

4、5日前の話になってしまいますが、法務省入国管理局はトルコ国籍のクルド人のアハメット・カザンキランさんとその息子をを本国へ強制送還しました。

カザンキランさんはトルコ本国で政府に批判的デモに参加したものの、身の危険を感じ来日、その後家族らを呼び難民認定をしたものの認められず、裁判にかけ、一審は勝訴、二審は敗訴となった。彼ら家族は、渋谷の国際連合大学ビル前に座り込みをし、難民認定を求めた。カザンキランさんはその座り込みのときガソリンを体にまいて、焼身自殺を図り、難民認定を訴えた。

彼らには勇気がある。僕はそう思います。
「クルド人迫害を恐れて逃げたんじゃないか、勇気なんてあるものか」と一度は思いましたが、それは違う。難民認定されず、いつ強制送還されるか分からないのにも関わらず、座り込みを続けたその勇気は、計り知れないものがあると思うのです。

その勇気も無駄になったのです。
実は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が難民認定をしているのです。それがなぜ。なぜ強制送還なのでしょうか。
「日本政府の難民認定基準は高く、さらにクルド人に関してはもっと高い」と彼らの弁護団は語ります。
ぼくは何にも分かっていません。トルコとの国交が原因なのか、それともクルド人差別なのか、僕には背後にどういう関係があるかは知りません。
ただ、国連が難民と認めた外国人を日本が受け入れないとすれば、国連の意義が薄れたなと思わざるを得ません。
もっと国連は力を持つべきなのです。多くの国では、平和を叫ぶためには大変な勇気を必要とする国だってあるのに、それが比較的に容易にでき、さらに影響力をもつ国連が強くなければいけないと思うのです。

話がそれました。
実はカザンキランさんの二人の娘は埼玉の定時制高校に通っているそうです。
「どうしてこれほどひどい扱いをするのか。」娘は、強制送還の事実を、難民認定を求める会見の場で知り、こう語りました。
さらに娘の高校の教諭は、署名を6万人分集めたので、こう語りました。「6万人じゃだめなんですか、100万人ならいいんですか」と、泣きながら語りました。
署名活動にでた勇気は大きなものがあったのに、その勇気を日本政府は認めなかった。教諭はさらに、「この娘たちが日本を悪い目で見ないか」とも語りました。

強制送還された二人が、本国での迫害に負けず生きてほしいと思います。
ここでわめいても意味無いでしょうが、日本政府には、難民認定をすることを望みます。

参考文献:Yahoo!ニュース 社会ニュース – 1月18日(火)20時26分

被災地での勇気ー1.17に寄せて

3000人以上の命が失われた十年前の今日。
小学1年生の僕が、テレビで見た映像からでは、何が起こっているかはまったく理解できませんでした。NHKのアンケートによれば、街の復興は震災前の80%、心の復興は、50%だという声が多かったのでした。
また、いまだに地震への恐怖心は絶えず、「あの時ああしていればあの人は助かったのに」という自責の念に駆られる遺族も多いのが現状です。

多くのボランティアや、消防、警察、自衛隊の人々が、被災者を助けました。
何らかの被害にあうことも恐れずに、行動を起こしたすべての人の心には勇気があったはずです。
誰かを助けたい、みんなに生きていてほしい。この思いこそ、行動への原動力、「勇気」ではないかと思います。
助けられた人も、「生きたい」と願っていました。愛する人、住む家、すべてをなくし絶望のふちに立たされてもなお、「生きたい」と願い、この10年間を生き抜いてきたすべての人の心にも、勇気があったはずです。

その人々の勇気が人々を行動に移させ、ここ10年で阪神地区は復興を遂げてきました。兵庫出身の佐藤江梨子がテレビで、「直後は話したくはなかったけれど、今は話さなければならない」といっていました。あの痛ましい震災を後世に伝える勇気、阪神地区の皆さんならすでにお持ちのはず。

ラストに、阪神地区、そして、中越地震、スマトラ沖地震の被災地の復興を望みます。

悪よりまし

「良い行いをしようとする気持ち」現在の僕の勇気の捉え方です。
誰かのために何かをしたい。そこまではできないけれどせめて自分はまっすぐに生きたい。
そう思い、それを行動に移すことが勇気ある行動だと思います。

栃木の小山市で二人の子どもが誘拐、殺害、さらに川に捨てられるという事件があったとき、ぼくは、小山市のまちBBSを見ました。多くの人が、殺害された子どもの捜索の手伝いをすると意思表示。
地元民のみならず、県外からの参加もありました。ただ、「この偽善者が!」というような書き込みもありました。その書き込みへのレスに、僕は心が動きました。
「偽善者でも悪よりかはまし。」

本心からにしろ、偽善にしろ、善は善。見返りを期待してやったことにせよ、良いことをすることには間違いない。
と僕は思うのですが。
確かに偽善者はなんか卑しい感じがします。でもこのレスで考えが少し変わりました。何もしないでぼけっとしているのと、偽善でも行動を起こすことのどちらがいいか。僕は後者じゃないかと思います。だって少なくとも、誰かの役に立ちたいという心が見えるじゃないですか。

「偽善でも悪よりはまし。」
心が動いた一言でした。