ついに今年も終わるか。

ついに今年が終わってしまいますね。
友達との深夜の初詣の打ち合わせも済ませ、後は第九と紅白とボビ−とジルベスターを見るだけ。

今年はいろんなことがありました。
春に、推薦で高校入学を果たし、文化祭ではロミオ役で劇をやり、ジュリエット役の男とキス。
夏には外語合宿、部活合宿と10日以上家を空け、11月の校内スピーチコンテストでは第二位を獲得。
その間に3度もジェネジャンに出演。

これだけのことを経験することができるなんて、僕はなんて幸せ者なのでしょうか。

一方、世の中に目を向ければ、オリンピックをはじめ、日本人が大変活躍し、明るい話題をもたらしてくれたかと思えば、
イラク戦争は終結とも言えず、凶悪事件は後を絶たず、また、台風,地震の災害が絶えない、まさに「災」の年でした。

来年はどんな年になるか。なんて分かりませんが、とにかく来年も更に飛躍したいと思います。
今年一年お世話になった方すべてに、感謝。

自粛

スマトラ島沖地震が大きな被害を及ぼしているのはみなさんも知っての通り。本日のニュースでは、7万7千人もの人が亡くなったと報じています。テレビの速報ニュースでは、スリランカで新たに7人のの日本人死者がでたとのこと。
しかし僕にとってこの事態は海の向こうでのこととしかとれず、日本人死者が出たこと、そして、信じられないほど多くの人が犠牲になったことは、大変ショックであるものの、そこで気持ちが終わってしまいます。できることといえば、ドラえもん募金をするぐらいでしょうか。

今年は災害続きの一年でしたね。台風、地震、未だに苦しい避難生活を送っている方が大勢います。

さて、今日、紀宮様と黒田さんの結婚会見がありました。高松宮妃殿下がお亡くなりになられたこともあり延期となりました。その自粛に至った理由のうちの一つに、中越地震がありました。
そういえば、紅白で、ド派手衣装を着ることができないと、小林幸子さんが言ってました。結局着るのかどうか忘れてしまいましたが、僕はその考えには賛成とは言えません。このような災害が起きた時こそ、その被災者を励ますことが必要であると考えます。被災者の中には、毎年小林さんの衣装を楽しみにしている人も多いとか。紀宮様の結婚発表も、被災者を喜ばしたのではないかと考えます。

勝手にこんなこと言ってしまいました。ご両人のみならず、日本人全員が心を大きく痛めたのは確かですから。先日の命に関係する書き込みにおいて、僕自身の盲目的な事実の捉え方に関して、知り合いの方からコメントにておしかりを受けました。この書き込みもそんなものになってしまいました。

とにかく、今年一年間で災害に遭われ命を落とされたすべての人の冥福を祈る次第です。また、負傷者の方の回復、被災地の復興が一日も早く行われることを願います。

ジェネジャンを受けて

さて生と死ということを考えなかればいけませんね。

殺人と自殺に関して僕が思うことは、やはりコミュニケーションが必要であるなということ。しっかりとした人間関係を築くことが殺人や自殺を食い止めるのではないのでしょうか?放送でもペトロさんが、編集者に救われたといっていましたが、やはりそのような人のつながりというのは絶対に必要です。

殺人を犯した人に、殺すのはいけないって言っても、自殺したい人に、死ぬのはよくないって言っても、結局は聞き入れることができないそうです。なぜ殺しちゃいけないの?なぜ死んじゃいけないの?命がこれほどまで軽んじられるのはなぜなのでしょう。
人が死ぬということがどういうことだか解っていない子どもが多いそうです。小学校低学年の子どもたちの中には、人間は生き返れると思っている子どももいると聞き、僕はびっくりしました。要因はあげればきりがありません。

ただ一ついえること。
僕の先輩がメールで話してくださいました。「何事も経験が必要だよな」「人が死ぬ」というシーンを目の当たりにしていないのは問題があります。死をリアルなものとして感じられないのです。
現代の殺人は、憎しみが原因というわけでもなく、現代の自殺は、極度の鬱状態に陥るというわけでもない。というところから考えれば、やはり、人が死ぬことは重いこととは思えていないのでは?
つけ加えといっては何ですが、誕生することの重みを感じることも必要だと思うのです。

教育が必要だ。いつも僕は思います。それこそ、人間として生きるための教育こそ最重要なのです。その教育現場は、家庭。子どもにとって、一番身近な生活環境です。ここでのコミュニケーションの取り方こそ、殺人,自殺減少の第一歩ではないでしょうか。

さてジェネジャンででてきたテーマをたどって考えていくと、次の話は、死への責任。放送では、イラクで拘束された安田氏がでてきましたね。僕は彼を尊敬することができます。拘束された人に対して巻き起こった自己責任論。ただこれは僕は間違っていると思うのです。
彼らは自分の命がなくなるのを覚悟してまで、真実を伝えよう、現地の人を救おうと行動を起こしたのですよ。自己責任論を展開するあなた、あなたにはこんな決断できますか?彼らは、命がなくなる危険性があり、その始末は自分でするという覚悟の上で、現地に行っているわけで、無計画に行くわけなどありません。
宇梶さんがおっしゃっていました。「現地で苦しい思いをしている子どもにとっては、誰だか知らないおばちゃんに助けられたらそれはうれしいよ」と。

ここからは、誰かのために自分の命を犠牲にできますかというテーマに移りますが、現地に行った人たちは、「できる」と答えるのでしょうね。
僕にはできないと思います。そりゃ、とっても愛している人が危険な目にあって、僕が救わなければならなければいけないならば、悩んだ末決断するでしょう。しかし僕は見ず知らずの人に命を捧げられません。
でも命を捧げる以外にも、何か救いの手を差し伸べることができるはずです。人間は、それを考える脳みそを持っているのですよ。

中越地震の被災者の映像が放送されましたが、現地の方はやっぱり強いですよね。分かったことは、やっぱり人は生きたいんですよね。その生きたいと思うエネルギーってのは、大きいものだと感じました。

スマトラ島をはじめとする島を大きな津波が襲っています。現在までに2万人以上が命を失いました。でも、僕は少なくとも当事者ではなく、リアルにその出来事を感じられません。
言い訳のようですが、仕方のないことではないかと思います。ただそれではさみしいですよね。日本人にも行方不明者がいます。生きていてほしいと願うしかありません。

番組の最後に登場した奥山さんの本を読みました。奥山さんのサイトの日記を集めたものなのですが、はっきり言って、感動はできません。ただ、リアルです。
本人曰く、感動できるものは書くつもりはないようです。でもそのリアルさがすごく印象に残り、また、その中で生きてやろうとする奥山さんの姿勢、病床でもアクティブにする奥山さんの姿がかっこ良く思えたのです。

命は長さではなく、質である。最終的に奥山さんの言いたかったことはこういうことではないでしょうか。
ゴールを定めれば、そこまで頑張ることができる。ゴールの設定がだらけてしまえば、過程もだらける。
僕は、自殺したい人に言いたい。「命を絶つなら、後悔しないような生き方をしてからにしなさい」と。

ある程度死ぬことを覚悟することは必要です。死というものをリアルにとらえて、その上で、「自分は生きたい。そしてみんなに生きてほしい。」と思うことが、生きる上で必要ではないでしょうか。

命。
終わってしまったら、リセットも、再挑戦もできません。その中で自分は、後悔のない、自分にとって高品質な命を過ごしたい。

「人は死ぬんだ。」
「でも、生きたい。」
「そして、生きてほしい。」

ジェネジャンを受けての、僕の思いです。

ジェネジャンの反省

昨日放送されたジェネジャンをご覧いただいたかた、ありがとうございました。

結構期待していただいたと思います。僕自身が、「今回は以前より喋ってきた」といいましたが、喋っても質が悪かった。量より質なんですね。番組の特性上、やはり、タレントの方が発言が多いのです。自分の意見が出なかったのがつらい。

さて放送を見て思ったのは、「俺は落ち着きがない」。いつもふのかわさんが映るときに一緒に映りましたが、いつでも動きっぱなし。奥山さんの話のときも動いてばかりだったのです。馬鹿な俺。

相当凝縮されています。あの放送は。本当なら全編放送してほしいくらいです。

僕はジェネジャンにでるということには二つの利点があると思います。まず、自分が道徳的学習をすることができる。そして、僕がでるよと告知して、見た人が、そのテーマについて考えてくれる。どちらかといえば、後者の期待度が大きいのですが、あえばギャラの話か、芸能人の話で、そっちへ話が向かない。もっと自分の意見を持ってください。

僕が喋ったのに放送されなかったのも含め、明日の記事として、ブログります。

第九兼東京物色

ブログりたいときにブログろうと思いますので、今日は三連チャンブログり。

今日は東京都交響楽団の第九演奏会。年末となると、第九が各地で演奏され、僕も毎年聞いています。そもそも年末に第九、というのは日本特有のものなのです。年末に今年一年間を考え直すにはいい機会。除夜の鐘のようなものです。

今回は、六本木アークヒルズのサントリーホールで2時開演。まずその前に、学問の神様,湯島天神へ、その後、銀座の山野楽器へ。そしてアークヒルズ入り。そこで初めてSUBWAYサンドウィッチを食しました。

サントリーホールの特徴は、コンサートホールだけあって、舞台の後ろにも座席がある。というか、座席が舞台を囲んでいます。僕は、ホワイエ(=ロビー)から見て左側の舞台の脇にいました。この席の利点は、自分がオケに参加している気分に浸れる点。演奏前はもうわくわくです。
東京都交響楽団(以下、都響)の演奏会は、なんと大半の座席は、学生は半額。なので楽に席が買えます。その他にも、都響には女性が多いと言うことが、今まで生で見たオケは違う点でしょうか。

さて演奏が始まりました。
第一部は「ハムレット」のハイライト。何とも不思議な曲といいましょうか、眠気のせいか記憶が飛んでおります。でも、どことなく乗れる曲だったような気がします。
そしてお楽しみの第九の開始です。好きな曲は眠気が吹っ飛びますね。(爆)座席の場所が場所なので、ホルンの音がよーく聞こえました。自分から見て、一番手前の楽器群は打楽器なので、当然弦楽器の音は薄れてきます。特に管楽器が入るところは、弦楽器の音が消えます。とはいえ、第九においてホルンはおいしい所だらけ。つまり、聞き所はホルンに多い。

ここからは、楽章ごとに第九を語らせてください。
第一楽章は、何か、衝撃を与える曲です。問題提起とでも言いましょうか。
ホルンと弦楽器の不協和音で小さく始まり、徐々に大きくなり、冒頭の衝撃へつなげます。その冒頭の衝撃とやらの旋律が、繰り返し繰り返し演奏される。交響曲の基本ですね。
第二楽章は、二つの部分に分けられます。
一つ目は、八分音符3つがひとかたまりで、相当早く演奏されます。一楽章の冒頭の衝撃のリズムが、そのままに楽章のド頭に来るのです。ここで活躍するのがティンパニ。まるで雷のごとくドカーンとたたかれるその音も、曲をきびきびとさせます。二つ目の部分では、またホルンが活躍します。拍子の取り方が難しいメロディーをソロで演奏します。
第三楽章は、今までの二曲と打って変わってゆっくりと、柔らかく演奏されます。一年間あったことを思い出すにはこの楽章が最適。またもホルン。周りに全く音がない中で、2小節間、まさにソロを演奏します。弦楽器の美しい音が気分を高めてくれます。
そして第四楽章。いきなり大音量で管楽器がハイスピードで演奏。その後、チェロと、コントラバスがメロディーを吹き始めます。今までの楽章のメロディーがでてくるのですが、低音弦楽器がそのメロディーを「これは違う」と振り払います。
そして、最終的に自ら低弦が歓喜の歌のメロディーを演奏。徐々に高音に移り、そして全員合奏となります。トランペットの高音が気持ちいい。
そしてついにバリトンのソロで歓喜の歌が始まります。そして合唱が加わっていく。途中マーチの部分がでてくると、今度はテノールソロです。そしてあの有名な全合唱の歓喜のテーマが演奏。もう涙が出そうでした。その後、厳かな合唱が入ったかと思えば、テンポがあがり、合唱のソプラノがなんと10秒以上ののばし。そして最後のフィナーレに向かって徐々に大きくなっていくわけです。

語るといっては、十分語れていません。もうホント感動しました。CDより生です、生。

その後、渋谷のハンズ、有楽町のビックに寄って帰ったわけです。

ひとり行動は好きですが、今年は寂しさを感じました。
来年には彼女をつくって、一緒に感動を共有したいですね。(爆)

クリスマスの日に

ちまたはクリスマス一色です。ご存知でしょうが、今年も寂しいクリスマスです。

クリスマスはキリストの誕生日ということですが、そんなのおかまいなしに大部分の日本人はクリスマスを過ごすはずです。最近の若者には宗教心というものがあまりないため、そのようなことを考える感覚がないのでしょう。

ジョンレノンの有名な曲「Happy Christmas (War Is Over)」。繰り返し歌われる、「あなたが望めば、戦争は終わりだ」の歌詞。戦地イラクのクリスマスでは、ミサに向かうキリスト教徒が爆撃を受けたといいます。
日本が、クリスマスに酔っているさなか、命が失われていくのです。クリスマスは、キリストの誕生日。僕はクリスチャンではありませんが、命のことを、この良き日に考えてみるのも良いかなと思います。

ところで昨日僕が地元の駅前でストーリートミュージシャンの演奏を聴いていると、突然数名の子どもがミュージシャンのもとに駆け寄り、何をしだしたかと思えば、無償でクリスマスプレゼントの配布です。
僕もついでにもらいました。僕はポケモンのハンカチ。ミュージシャンのひとりは縄跳びをもらっていました。包装紙には、地元企業の名前が。何が起こったかはよくわかりませんでしたが、とにかく社会還元でしょうか。
そういえば昨日は数名の「おやじ」たちがサンタの格好をして、馬車を引いていました。夢を与えてくれました。

クリスマスが終わるまで、後10時間。まだ楽しめる。
すべての人に、Merry christmas!

忘年会

忘年会シーズンですね。(爆

実は今日も、中学生まで続けていたそろばんの後輩たちが忘年会に誘ってくれました。後輩のひとりの家が、餃子屋なので、そこでいろいろ食べました。飲み物も飲みました。酒は飲みませんでしたが、テンションで酔ってしまいました。

その後輩の弟がわんぱくな小学一年生。俺は彼の遊びの餌食に。「おじちゃん」と呼ぶ彼。「おじちゃん体弱いからやめてくれ。」と言ってしまった。墓穴を掘る一幕。

昨日、顧問の車に乗せてもらい、そこで少し話をしました。「お前は年下の人間から好かれるタイプじゃないのか?」確かに後輩に誘ってもらったわけだし、奴らと喋っていて楽しかったわけです。

実は27日に同窓会です。中学三年のクラスの奴らと。バーベキューだそうです。久しぶりにみんなに会える。
今年一年いろいろありました。テストで悪い点とって鬱になったっけ。先輩のこと部室に閉じ込めちゃったっけ。楽器倒しちゃったっけ。

年末も、楽しく終われば、それで良し。冬休みは楽しみます。

テスト結果報告

報告するといった以上は報告しなければなりませんね。総じて言えば、やっただけのことはできた。やっていないところはできなかったというところです。

各教科。
国語54点。 漢文で、ケアレスが目立ちました。
前日復習した古文助動詞は完璧だったのですが。現代文は、読書不足ですよね。

英語R86点。外語としては90を超えたかった。
もっと記憶すべきところが多かったのですが、そこができていなかったのが難点。

英語G54点。 過去最悪の結果でした。前日の勉強だけでは功を奏しませんね。

地理64点。 わかるわけありません。授業で扱っていないところが多く、
実力テストということもあって範囲が広く、勉強しづらかった。

数学82点。 いい点でした。前々日から問題集をやったおかげか?

化学86点。 詰めが甘い。100点なんて調子こいた記事をぶろぐった自分がにくい。

基本的に僕は点数を公開する主義です。自慢したいのではなく、自分が公開することで、相手のを見せてもらう権利を得るからです。でも今回は見せるもんでもなかった。
国公立なんていってられませんね。

悩みはぶつければすっきりする。

俺が悩む。まぁいつものことですが、とりあえず書いてすっきりしたい。

まずやっぱり気になる恋のこと。というのは、周りのみんなはいろんな恋をしています。それを見るとなんだか自分も恋がしたいと思うわけで。付き合うとかそういう次元のことをしたことはないので、高校生でいられる今こそそういうのがやってみたいのですが。
うちの学校には、それなりに可愛い人は多い。ことに吹奏楽部とあっては、女子がいっぱい。なんと、タメの部員は50人で男はそのうち5人のみ。でも、チャンスは巡らないというか、性格が性格だし、こんな変人を好きになってくれる人なんてこの世にいる方がおかしいとでも言いましょうか。少々自身に満ちた言い方ともとれる発言でした。
悩みは、好きな人ができない。「いいなぁ」は、「好き」のうちに入らないと、友は言います。僕の場合、押しが弱く、押しに弱い。気持ちは気持ちのままで終わる傾向にあります。俺やっぱだめらしいや。

もう一つは、大学のことなんですが。後でテストの報告はするつもりですが、今回はヤバかった。こんな俺ですが、志望は国公立です。無理がある。
外語では、数学I、A、II のみしか選択できず、僕の現在の志望校は、Bもとらなければ行けない。しかも僕は数学が苦手教科と来たからさぁ大変。
私立には行けない。それで政治家になりたいというと、さて僕はどこの学部に行けば良いのか解らないのが現状。何も考えず勉強に打ち込むべきなのでしょうか?

でもやっぱりその前に、恋がしたいなぁ。 と、誰もいないBlogに思いをぶつけてみる。

俳句にこる。

なぜか最近、人の名字の漢字を使って俳句をつくるのにこってしまいました。

先生の名前をもじったものでは、
村の田で 稲穂の実り 祈る日々
という傑作も生まれました。

今年の冬休みの課題の一つに、伊藤園「お〜いお茶」新俳句大賞への投稿作品をつくるというのがあります。

しっかりやらなきゃなりませんね。

追記:今日は、いろいろデザインが変わっていきます。