早起き、赤飯、新学期

あぁ、なんでこんな時間から電車に揺られているのか。
もう3年生なんだから、いい加減つらい朝は迎えずに優雅な通学がしたいものです。
まぁ、責任ある立場ですし、新入生まみれになる絶好のチャンスですし良いとしましょう。

え、春休み?
結局、やろうやろうとしていたことは中途半端になり、やらなきゃならない仕事はギリギリになり、関係各方面には迷惑ばかりかける始末です。
この間も、一気に10名前後の人間をキレさせました。その節は本当に申し訳ない。

まぁね、湯河原、新潟、長野、TDL、とりあえずいろんなトコ行けたので良し。
サークル、研究室、バイト先、不動岡、サミット人、いろんな人に会えたので良し。

迷いどころは時間割、早くみたぜ三田科目。
悩みどころは研究会、どーするどーなる教材研。
いろいろと手を伸ばせば、のばした分だけ行き詰まりがありますけど、
んなん、どーにかなんべ。どーにかすんべ。

とりあえず、いろいろあるけど09年度が始まりました。
お祝いですね、今朝の朝食は赤飯おにぎりです。


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最初の緊張、最後の開放

最初の一音を出すには、かなりの緊張が伴います。

そこにお客さんがいることが当然な場所だと、最近の僕は緊張を覚えないのですが、
どうしてもお客さんがいる所でない、公衆の面前だといささか恥ずかしさがあります。

でも一音を出してしまえば気持ちのいいもので、
最後には「まだやりたい」と思う開放感があるものです。
これは、音楽をやっている人だからこそ味わえるものです。

うん、路上でギター弾くのって、だから病み付きになる。
今夜久々に外に出たのですが、寒さよりも、開放的な気持ちに身を任せました。

備忘録:
・スピッツのチェリーは意外と簡単
・コブクロのエールは練習が必要
・斉藤和義のウェディングソングのスコアを用意した方が良い
・もう少しいろいろ名曲をやりたい

金曜日じゃなくても別にいいのです。
今後は、可能なら毎週木曜に1時間、やろうかしら。

まだあきらめてません、路上ミュージシャンがまちづくりの中核になれるのだとおもう。

成績を晒してみる

ほい、これが今学期の成績でした。
Bが多いです、来年も20万円もらえるのだろうか。

モデリング・シミュレーション技法  …B
プロジェクト英語B   …A
ドイツ語スキル(ラインデル) …B
ドイツ語スキル(太田)  …A
言語と教育       …A
研究会B(ラインデル)    …A
研究会B(太田)     …A
学校カリキュラム論   …B
進路指導論       …A
生活指導論       …A
道徳教育論       …B

ラインデルさんのスキルは、単語帳を出していないのが痛かった
井庭さんのモデシミュは、レポートを出せなかった回があったのが痛かった
学カリと道徳教育は、テスト科目なだけに順当な結果だったかと

ワンワン正田

本日のネタ

携帯電話とiPodを使った、

人文字「火」

人文字「ホ」

先輩おもしろすぎー!
こんな人と同じ学び舎不動岡で学べたことを幸せに思います。

今回はおそらく、前回の「犬」と「太」よりも笑えました。

八ヶ岳で学んだ技まとめ

レクリエーションはまだまだ素人のenshinoです。

昨年、藤沢市は湘南台青少年育成協力会という地域団体の代表さんに誘われ、
藤沢市所有の八ヶ岳野外研修施設にキャンプに行った訳です。
キャンプファイヤーする訳ですよ、レクする訳ですよ。
もともと人前で喋ってレクとか仕切るのは好きだったので、いろいろやりましたら、
そこに居た補助員さん「かっつん」に目をつけられました。

「君、素人じゃないな。」

そんな縁から、八ヶ岳レクリエーション協会会長のかっつん主催の元、
野外研修施設の野外体験活動指導補助員研修に行ってまいりました。
長ったらしい名前ですがようはバイトで、
今年5、6月にこの研修施設にやってくる藤沢市の小中学生のキャンプのお手伝いをします。
お金は、交通費と宿泊実費はかかりましたが、
なによりスキルが身に付いたことと、おもしろい人達にあえたことが最高でした。

かっつん、やぎさん、ホセ、みゆきさん、
ホルヘ、ひろちん、ひろちんの奥さん、かえでちゃん、おざわさん、
マッチ、あじめ、ベジさん、あぐり、トシ、じんじん、ロン、
いどちゃん、ゆきちゃん、ベンゾー、上田組のみんな、(多分これで全員か)
ほんとうにお世話になりました。

あと、フランスに行くよーくんも、お疲れさんでした。誕生日おめでとう。

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キャンプだほい

こんな寒い冬に八ヶ岳まで行ってキャンプファイヤーっつうのもシュールですね。
むしろ雪のせいでキャンドルサービスになる可能性が大きいような。

レクレーション術を習いにちょっくら行ってきます。
明日の午前中までおそらく音信不通ですが、ご容赦ください。


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クラシックのゆうべ

今日、東フィルの公演振替でオペラシティ定演を見てきました。
チョンミョンフンのヴェルディ・レクイエムでした。

フォーレ・モーツァルトの3大レクイエムをこれで聴いたことになりますが、
ヴェルディのは殺傷能力が高く、鎮魂歌とは思えない血なまぐささがありました。
特に有名な「怒りの日」の下りはなんと3回も出てきて、
うとうとしてた自分をいきなりがつんと起こしてくれました。
裏拍でバスドラム(大太鼓)が4発鳴るのですが、この4発が衝撃的で、
すらっとした女性奏者が、日頃の憂さを思い切りはらすがごとく「ドン」と打つ姿に、
思わずにやけてしまいました。

ところで、今年のGWのラ・フォル・ジュルネはバッハなのですが、
いよいよ有料公演プログラムが公開され、今年も1〜2万円を消費する予定です。
公演内容未定プログラムがあり、またあまり知らないバッハ作品ということで、
何を聞こうか迷っております。

というか、今年もまた東フィルの定期会員になってしまったので、
毎年クラシックにかけるお金が3〜4万円になります。
まぁ、それも自己投資ですし。

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バカバカしい地域活性化

テスト投稿がてら。。。。

立山連峰と記すべき所を立山連邦と間違い印刷をしてしまった切手。
もはや販売中止らしいです。
でも、この誤植を逆手に取った富山県高岡市の高岡商工会議所は、
なんと、「立山連邦王国」の建国を宣言。
マスコットキャラの利長くんをなんと大統領に選出し、
商工会議所のメンバーを閣僚として政府をつくってしまったそうです。

ちょっとまて、王国なのに大統領制ですか。
いやぁ、誤植を逆手に取るってのは何ともバカバカしいですね。

でも、このバカバカしさがあってこそ、クリエイティブなまちおこしができると思います。
例の、雪合戦国際大会のある新潟県魚沼市がその良い例です。

だって、国際雪合戦大会の入場行進で地元の文化会館の館長がその弟と一緒にテーマソングを歌うんですよ。
それに、雪合戦大会の国際公認ルールに「なお審判長への贈物はこれを歓迎する」ってんですよ。
しかも、コスプレがすごかったり、女性が居たりすると、そのチームの審査は甘くなるんですよ。

なんてバカバカしい。
でも、こんな時代、そんなバカバカしさがなければ、若い人は寄り付きませんよね。
結局、クリエイティブなアイディアってのは他にはないアイディアで、
そういうアイディアってのは概して奇異なものが多い訳です。

バカバカしいことを大まじめにやっている、地方の若手の皆さんは、
だれよりもバカ正直に地元のことを熱く考えている人達なんだと思います。

あまぞん

Amazonって、怖いくらい便利ですよね。

昨日の深夜、かねてから買おう買おうと思っていたプリンタを発注してしまいました。
ついでに靴も買いました。びっくりですよね、靴さえもAmazonで買える時代ですよ。

ほんとは外付けのハードディスクも欲しかったんですが、それは見送りました。だってきりがないから。またそのうち買えるから。

でも、カード情報も配送先住所も登録済みだから数クリックで買えちゃうし、発送元がAmazonだとすぐに発送しちゃう。明日には着くそうです。
怖いですね。消費欲に歯止めがかかりませんね。

ところで例のプリンタの件、受け渡し相手が決まる前に新品を買うというミラクル。
明日、珍しく全く予定がないので、明日受け渡しできる人にあげようかなって思い始めました。メールをください、コメントじゃなくて。

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【超長文】成人を迎えた自分を後で振り返るための備忘録

ハタチという節目は、僕にとってあまり大きな意味を持ち得なかったハズなんです。これと言って生活が変わるわけでない。よっぽど、卒業やら入学やらの節目の方が大切で、正直僕が大学入りたてに犯罪犯しちゃったとしても顔出し名前だしOKなんて考えるくらいです。だって、権利と義務が同時発生するだけで、その権利と義務の行使の機会なんて全うに生きてりゃそうそう現れねぇだろ。っつうのがこれまでの考えです。

けど、成人式をやってみて、そいつは違うんだなって思ったんですね。
その権利と義務の発生とやらは、実は相当の重みを持っていたという事ですね。これまでは、法の下で保護されていた立場。子どもという名の下に仕方ないと許された立場。そこから、自己の責任で動かなければ、つまり自分で全て処理しなきゃならない立場になったわけです。そんなこと、18歳の遠藤忍なら法律の文章を読んで理解し出来たはずです。ただ、なってみないと重みはわからないわけです。

見知らぬ人とかお偉いさんとか恩師たちとか、家族からまでも「おめでとう」と言われる。いったい何がおめでたいんだか。でも少し考えてみれば、それは大人への仲間入りとか、独り立ちのゴーサインとか、期待の現れとか、そんな意味なんですかね。成人式典はものの30分で終わりましたが、主催者側にしてみれば、あの式を挙行する本当の意味は、子どもからの決別と大人としての権利・義務の自覚を促すこと、早く言えば、ちゃんと税金納めろよ、というメッセージなのかもしれないですね。まぁ成人者の目的はそんなことでないことはみなさんご存じでしょうが。

かつてやけに大人びていた僕は、しきりに大人と同等の権利を持つことを欲していました。特に参政権、被選挙権ね。それが今、そうした大人の権利を持ち、そのかわり子どもという立場を捨てた。子どもの頃の僕は「よかったじゃん、これで選挙にも行けるよ、酒も飲めるよ」なーんて言うのかもしれませんが、実際はなんだか悲しいもんですね。子どもだったからこそ言えたこと、認めてきてもらえたこと、これからはそんなもの無い。さて自分はこれからどうやって成人した遠藤忍を確立していけばいいんでしょうか。

そういえば、子どもの頃から大人びていた、いやサラリーマンキャラ、ちがうおやじキャラだった僕ですが、その発端は家族(むしろ祖母)の影響だったにしろキャラを確立したのは僕自身でした。そんなこともあり、また髪もたいそういじらず、太りもせず痩せもせず、ただめがねがつけ加わっただけで忍は忍のままで忍として生活してきたら、数年ぶりに再会した多感な時期・中学生時代をともに過ごした仲間の全てから「おまえは変わらない」と言われました。そりゃそうでしょう。おやじキャラは自分で自覚してたんだし、今はそのキャラに年齢の方が近づいてるんですから。でもねぇ。中身はだいぶ変わってると思いますよ。親友の一人は、「何となく変かは感じる」と言ってくれますし。

それでも「変わらない」と言われることは、みんなにも自分にも安心感を与えるんじゃないかって勝手に考えています。5年ぶりに会う同級生は、ファッション・髪型・顔つき・体型だいぶ変化があります。それにそれぞれ当時とは明らかに異なるフィールドで人生を生きている。それでも、口癖に残るなつかしさ、動きに残るなつかしさ、口をついて出る話題、面影、そういう変わらない部分を見つけると、ホッとするんですよね。学年の仲間たちと会って、いい刺激といい安心感を得た気がします。本音を言えば、もっと静かな環境で、一人ひとりの今の進路とか、そんなまじめな話したかったけどKYだわな。

考えると、ハタチってのが特別な意味を持つのがよくわかる気がする。人生20年生きたんだから、そろそろ保護される立場じゃなくなっても生きていけるだろう、体の成長も成熟したし、知識や精神もしかり。そういう理屈でハタチっつうのが一つ。もう一つは、学校教育制度との兼ね合いですね。つまり、義務教育でみんなが同じレールを歩むのが15歳まで。中学校を卒業すると、自分の関心・学力・生活水準などのいろんなレベル・身の丈に合わせた選択肢を取っていく。そうして生活する中で、5年という区切りのいい年をきっかけに、一緒にレールを歩んできた仲
間たちと再会する。互いに懐かしさを共有して、今の近況を話し合って、元気をもらって。そういうことができるからハタチっていう節目に意味があるんですな。そりゃハシャいじゃうわ。式中にプラスチック製バットを振り回したり、開式の言葉を述べる僕に向かって「忍〜」と叫んだり、会場外で酒盛りしてゲロ吐いたり。わかるよ、そうしたくなる気持ち。うれしいもんね。

びっくりするようですが、僕はもう日本人の平均寿命の約1/4を生き抜いてしまいました。そのうち最初の5年間はろくに言葉も交わせなかったわけで、次の5年間は世の中がなんたるかなんて知りもせずに遊びふけってたわけで、その次の5年間でやっと社会を知り、他人とのつきあいを知り、未来を真剣に考えた。その後の5年は素早くすぎて今に至るわけです。怖えぇ。そんな平均寿命の1/4を、家族は暖かく心配してくれてたんですが、口の利けない5年間は何も示せず、遊びふけった5年は当たり前だと感じ、広い世界を知った5年は反発し、そして最近の5年は自分中心になった僕。今ハタチになって、僕は恥を覚えました。何を今更、なんて言い放つ技が身につきました。格好悪いですね。

私を産み落とした母はもうこの世には居らず、私を育てたのは祖母と父と父の再婚相手である今の母です。一緒に暮らす弟と妹とは血のつながりはありません。ま、そんなこといっさい関係はありませんが。ただ、産み落とした母はよくぞ俺を生んだと思い、その命を受けた祖母はよくぞ手塩にかけたと思い、悲しみを背負った父はよくぞ大きく育てたと思い、本来なら他人だった今の母はよくぞ自由に世話をしたと思います。この人たちの存在がなかったら、という問いかけを忘れたとき、僕は高慢にならざるを得ない。これは非常に自己中心的である自分への、自分からの警鐘です。

結局何が言いたかったんだって??
ハタチって節目も意味があるんだなって事がわかったって事ですよ。

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