せっかく新聞読んでるんだから、と始めた見出し突っ込みはここ何ヶ月更新を止めています。でもやっぱりブログは有益に使いたい。小論対策のブログ利用ってのもありではないかと。今年はもう三年生ですから、新聞を読んで抱く自分の考えをきちっと書き込んでいけるように。なので「ニュースの視点」としてだらだらと新聞要約をしていこうかと。
新年一発目はこれ。読売新聞朝刊1/12より。人口約3400人、その約40%が65歳以上の、長野県・小川村。合併も破談になり、村の収益も交付税のみのこの村がとった策とはいかに?
せっかく新聞読んでるんだから、と始めた見出し突っ込みはここ何ヶ月更新を止めています。でもやっぱりブログは有益に使いたい。小論対策のブログ利用ってのもありではないかと。今年はもう三年生ですから、新聞を読んで抱く自分の考えをきちっと書き込んでいけるように。なので「ニュースの視点」としてだらだらと新聞要約をしていこうかと。
新年一発目はこれ。読売新聞朝刊1/12より。人口約3400人、その約40%が65歳以上の、長野県・小川村。合併も破談になり、村の収益も交付税のみのこの村がとった策とはいかに?
今度取り上げるSくんは、不動岡に来ていた留学生。出身はオーストラリアでも、僕が行ったパースではないわけで。昨年4月から不動岡の2年外語の仲間として一緒に過ごして来た。その彼が、10日20時の便で国へ帰ってしまった。やっぱり寂しいな。もっと彼と色んな付き合いをしておくんだったなどと思ってしまう。
オーストラリアの自慢話は今でも絶えない。記憶は今でも鮮明に残っている。それに、あの仲間たちへの感謝は忘れていないし、今でも深い付き合いをさせてもらっている。本当に、俺は彼らを親友と呼べる。少なくとも俺はそう思わせてもらっている。
昨年末からホストスチューデント・Sくんが来日、横浜にある仲間の家に逆ホームステイをしていた。自分で金を貯めて自力で日本に遊びに来たと言う、脱帽。
おとといから1泊2日にわたって開催された、松下政経塾主催・第1回立志論文コンテスト決戦大会。全国から集まった中学生5名、高校生6名により、それぞれが抱く立志の発表が行われた発表会における審査の結果、高校の部・優秀賞をいただきました。お世話になった全てに感謝です。
午前4時前のenshinoです。
今さっき、今日から始まる松下政経塾立志論文コンテスト・決戦大会のスピーチ原稿が書き上がりました。
つらかったっす。なんでって、書いた論文はまるで「読書感想文」だったもんで、もっと立志に触れる部分を多くしようという思いで書いたんですが、何せ課題が漠然としてるように思えて、なかなか文章が思い浮かびませんでした。
結局また長くなっちゃいまして、まとまらない話になってます。規定時間は10分、でも制限ではないのでまだ救われました。
不安です、今度ばかりは自信がみなぎってきません。でもやるだけやってみようと思います。このために部活休むんだし、顧問にも担任にも校長先生にも見てもらった、その期待もあるし。
今回は、自分を見つめ直すチャンスを得られた、それだけで十分な気がします。でも、物欲はあるんだよな、俺やらしい奴だな。
じゃ、そろそろプリントアウトして寝ることにします。んで、政経塾内部のことなど明日の晩にでもまた更新することにします。
あけましておめでとうございます。昨年1年のブログ閲覧、誠にありがとうございます。本年も昨年同様、enshinoDaysをご覧下さい。
昨年1年間は本当に実り多い一年になりました。朝日ニッケの優秀賞受賞、さらには夏の豪州研修参加という大イベントがまず頭に浮かびます。学校生活では、何より思い出される文化祭と修学旅行。留学生を迎えての1年となりました。部活動では、とにかくアンコンの想い出が。結果は思う通りではなかった物のかけがえの無い日々が過ごせたことが懐かしいです。また、年明けに開催される西関東でのクラリネットの健闘を願っています。年が明けると、俺自身、「松下政経塾立志論文コンテスト・決戦大会」があります。そしてついに高校3年生になってしまう年でもあります。全ての面で飛躍の年になるようにしたいと思います。
昨年1年間、だいぶあっちゃこっちゃ行ったり来たりしたこのブログ。反乱起こしたりもしました(その当時はだいぶへこんでました)。それでもなんとか続けては来ました。いつも何やら記事は200件を越えてました。いつも長々とした文章ですが、読んでいただいてコチラも嬉しいです。だいぶ更新が止まっている企画も多く、なんとかせねばならないと考えています。今年は受験イヤー。ある程度両立をはかりつつ更新を続けていこうと考えています。これからも応援していただければ幸いです。できれば多くのコメントを下さいね。その方がやりがいがあるんで。
それでは、皆様の健康と成功を願って。良い1年をお過ごしください。
あまり本を読まない俺でも、奥山貴宏さんの本5作品は全部もってる。だけど今のところ生前最後の作品・ヴァニシングポイントには着手できていない。
修学旅行前日から、死後に発行された最終作「33歳ガン漂流 LAST EXIT」をよみはじめ、修学旅行から帰ってきた次の日に読破した。修学旅行中は、行きの飛行機と帰りにしか読んでいないので実質3日ほどで読んだことになる、俺の中では最短ではないだろうか。
LAST EXITは、奥山さんのWeb日記やブログ、コラムを載せたガン漂流シリーズ3作目。32歳ガン漂流Evolutionの最終日の次の日、つまり2005年1月から死ぬ前の日、4/16までの日記とブログ記事、コラム、そしてご両親の挨拶という形で綴られている。著者亡き後の発行であるから、著者自信による校正は全くなされておらず、誤字脱字のみの修正で、奥山さんが書いた記事は全てWeb日記・ブログから転載した物。
であるからして、俺は一度、Webでこれらの記事を読んでいることになる。しかし、改めて読み返すつもりで読んだ。シリーズがガン漂流・ガンエヴォ・LAST EXIT
と重なっていくうちに、徐々に奥山さん自身の病状の悪化が見て取れる。しかし奥山さん自身のとってきたスタンスは3作品全く変わりがないように思える。
ただ今回のLAST EXITが他の2作品と異なる点は、ご両親のご挨拶がある点だ。お父様、お母様による文章からは、奥山さんの人柄や闘病生活の大変さ、それを支えて苦労が伺える。何より、ご両親の、奥山さんへの愛情が感じられる。「貴宏へ」と題されたお母様のメッセージには心が打たれる。
死ぬ前日に残した記事、今読み返しても切なくなる。これを読んだとき、「いったい何を口にしてるんだろうか」と思っただけで、このメッセージが最後のメッセージになるなんて思いもしなかった。奥山さんの死を知ったのは、葬式の後だったっけ、本当にせつなかった。ご存知の通り、今年夏に参加した朝日ニッケ・オーストラリア研修に行けたのも奥山さんを題材にしたエッセーのおかげ。亡くなる前にお目にかかりたかったと今でも悔やんでいる。
しかし本当にガン漂流シリーズは闘病記と呼べるのだろうかと首を傾げてしまう。「頑張っていきよう」なんてのがほぼ無い。触れられているネタの半分は、病気とは関係ない。治療内容や、入院生活をシニカルに表現していて、主観的文章も客観的に見えてきてしまう(されど書かれている治療内容は忠実に書かれている)。僕の人生観を変えてくれたかのようなシリーズでもあった。
もし今俺ががんにかかったら。余命2年で切除不能なら。俺は奥山さんと同じように生きたい。俺は仕事ではなく、可能な限り学校に通いたいと思う。病院に入っての延命よりも、日々の生活を楽しんだ上で寿命を縮めるほうがいい。今の俺はそう思う。クゥオリティ・オブ・ライフは人それぞれ。俺は短い時間の中で多くのことをやりたい。「太く短く」と「細く長く」、退席が同じなら前者を選びたい。そう思わせてくれたのが奥山さんの存在だった。
天国の奥山さん、俺は今でもしっかりやってます。奥山さんのおかげで、色んなことを考えることができました。「忘れられたくないから、本を書く」と言った奥山さん、俺の記憶の中で奥山さんは生きています。奥山さんの書いた本は、確実に人々の記憶に奥山貴宏の名を刻んでいます。
なんて呼びかけてみて、シニカルな答えが返ってきても、俺はへこみません。
アメリカでの臓器移植が成功した神達彩花ちゃんのニュースを見ました。
それを見て思ったことを書きました。彼女のために俺は何もできませんでした。しかし、何か書き残しておきたいと思って。
決戦大会に出場が決まりました。
きっかけは新聞です。学年主任に「今日の読売に松下政経塾の論文コンテストのお知らせ載ってるよ」と言われ、興味を持ってHPを見てみることに。そんで、論文を書くことにした。
まず、課題図書である、「啓発録(橋本左内著)」を読み、そして論文制作に着手。締め切り前日に徹夜をして、締め切り当日の未明にメールで送った。
自分自身の立志を綴るのが課題、しかし課題図書の内容ばかりに触れすぎて、言いたいことを全て言うには2400字の字数制限では収まらなかった。
だから、文章好きな自分にとって、この論文は駄作に近いものだった。書き上げて、これは入選しないなと言う思いがあった。
しかし、決勝大会出場が決まってしまった。びっくりである。最初は嬉しかったし、周囲に自慢してばかり。
でも、決勝大会の課題が大変なことになった。論文の内容をもとに、自分の立志を10分でスピーチしなければならない。
このスピーチを、俺は未だに考えていない。困っているのは立志の部分だ。
政治家になるって言っても、漠然としているんだよね。
いったいどうやって話を進めていけばいいんだろうか、それが悩みどころだ。
年が明けるまでにはつくっておかなければいけない。というのも、決戦大会は1/8。
どうせやるなら勝ちにいきたい。でも、それ以前に、自分の夢への足がかりに、自分の夢を確固たる物にするためのチャンスにしたいと思う。
これからしばらく、自分の将来像と向き合っていきたいと思う。
誰か、相談にのって下さい。いま、どうしていいか分りませんので。