ぼくらがかざるまち

なんか2年前のこの時期に、以下のような記事を書いていたらしく、掘り出してきたので掲示してみることにする。

こんばんは。
遠藤ことイルミネーション湘南台2008実行委員のしのびーです。

(中略)

でも、点灯はスタート。その日から湘南台の街を彩るイルミネーションが灯る、その第1日目です。
無事スタートを切って、湘南台の街を、きれいに飾るお手伝いができれば、と思っています。

ところで皆さんは、まちづくりにとって重要なキーパーソンって、誰だと思いますか?
街をつっていくのは、そこに住み、そこで商売をし、あるいはそこで学ぶ人々です。
その人たちが、日常生活を送る場所が街であり、日常生活を送る街をよりよくすることがまちづくりです。
その意味では、まちづくりにおいて重要なキーパーソンは、地域住民や商店の人々である、
と多くの人々はいうと思います。

あえて私は違った視点で考えています。
私が思う、まちづくりのキーパーソンは、「子どもたち」です。

「何を言う、実際に街のことを考えていろいろな行動を起こしているのは大人たちだぞ」と、
これを見ている人、とくに湘南台にかかわりのある方々はお叱りになるかもしれません。
それは否定しません。事実、湘南台では、たくさんの大人たちが、
自分のことのように湘南台のことを思い、さまざまな形で湘南台をよくする活動をしているのです。

私は何も、そういった活動が重要ではない、といっているわけではありません。
でも、子どもや若者は、街を活き活きとさせる力を持っていて、
そういった力がまちづくりにとって非常に重要である、といいたいのです。

私はもともと教育に興味を持っており、研究で中学生とよく交流を持ちます。
また、昨年度のイルミの企画や湘南台の友情キャンプへの参加を通じて小学生たちともかかわりを持ってきました。
それらの経験から思うことは、なにより子どもたちと接していると自分が元気をもらえるのです。
感情の表現が素直で、豊かで、何に値しても興味を持つ姿勢。
正直彼らの元気さは尋常ではなく、ついていくことができなくなるときもあります。
しかしながら、彼らのその素直さと接していると、自分の悩みなどを忘れるときがあります。

そしてある程度年齢が上がってくるにつれて、しだいに彼らは自分の住む街のことを考え出します。
湘南台の小学生や中学生も、自分の住む湘南台をよく見ています。
僕たち大学生でも気づかないような視点から、自分の住む街を見つめ、
どこがよいところか、どこを改善できるか、ということを真剣に考える力を持っています。

おそらくどんな大人も、子どもたちの真剣な姿・素直な笑顔を見ると、
下手なことはできないと思うし、自然と背筋が伸びる思いをすることがあると思います。
それは実は防犯の役目になるといえるのではないでしょうか。
何より、子どもたちと接することで得られる元気は、街全体に活力をくれると思うのです。

イルミネーション湘南台にいて、私は子どもたちが、そして子どもたちを通して大人たちが、
自分の住む街のことを真剣に考えることをしてほしい、と願っています。
子どもたちにとっては、もしかすれば湘南台は今後去っていく街かもしれない。
けれど、今自分が住んでいる街は魅力あふれる街であるということに気がついてほしい。
大人たちにとって、湘南台はただ自分の日々を過ごすだけの街なのかもしれない。
けれど、そこに将来住むであろう子どもたちに、いい魅力を残すことに力を注いでほしい。
だからこそ私は、イルミネーション湘南台の活動を、広く子どもたちに知ってもらい、
またイルミネーション湘南台の活動として、子どもたちと接する機会を多く持っているのかもしれません。

子どもたち目線の湘南台は、非常に魅力にあふれています。
それは日々私たちでも気づくことのできない魅力です。
まだ「街の魅力」に気づけないような子どもたちも、クリスマスの絵を描いてひとつの魅力を作り出してくれています。
現在、湘南台駅の地下に、幼稚園児の描いた「クリスマスデコレーション」が、
そして小学生の描いた「僕らの好きなこんな街」が掲示してあります。
そして、駅地下にお目見えした巨大ツリーには、子どもたちの願いが書かれたオーナメントが取り付けてあります。
彼らのつくったものから、湘南台の子どもたちが、どのような目線で何を感じているのかを見てください。
そして、11月30日日曜日の点灯式では、子どもたちが手作り楽器でてづくりの音楽会を開いてくれます。

イルミネーション湘南台が、街にイルミネーションをともし、それにあわせて子どもたちとイベントをつくりあげる。
それが、彼らにとっての、湘南台の魅力のひとつとなることを願っています。
そして、わたしたちのイベントに参加することで、

自分もまちづくりに参加している;街をかざっている

ということを意識してくれたら、僕はそれだけですごく幸せになるんだと思います。

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自分が民間就職を考える、かなり切実な理由

All全国教育フェスタというイベントに参画させてもらっています。まぁ、一般的就活生のみなさんからすれば、この11/26・27という、経団連倫理規定によって先延ばしになった就職活動一斉開始の数日前にいったい何たることをしているのだ、と思われるかもしれませんが、誘われちゃったんだもん、舟に乗っかったらやるっきゃない。そういうものです。このイベント、教育をテーマにしているのですが、特に教職コミュニティの形成が大きな目的になっています。私にとってはうってつけでしょうね。大学の教職コミュニティにも属さず、また関東の教職コミュニティの存在も知らなかった私ですからいい機会です。

さて、巷には多くの人が、私はマスター修了後に教員になると思っている方がたくさんいると思いますが、それは半分正解で半分間違っています。正確に言えば、マスター修了後、民間企業を経て、公立学校の教員になろうと【思っている】んです。これは私の中では志に近いものではありますが、十分可変性の高いことです。そしてこのビジョンは、教職を本気で目指す方々からしても、民間企業を本気で目指す方々からしても、「何あまったれたこと言ってんじゃボケェ」と思われるかもしれません。そりゃそうです。自認しております。

ただ、このキャリアのあり方は、必要だと思っています。まず、私にとって教育は、専門とする分野というよりも切り口であり、それを通して社会を見てくることを個々5年ほどやってきたという自認があり、それは社会において還元させることができ、もっといえば民間企業における営利活動において何らかの利益を生むだけの視座になっているという自負があります。考え方のスキームとしての教育という視点は、武器として持っておいて損はないと思っています。また、社会経験のある教員を見ていると、かなり面白い考え方をしている人たちが多く、そういう教員として教育の世界に関わっていくことにあこがれを抱いているからこそ、民間企業で力を試し・力を蓄えることは僕にとっては必要なステップなのです。ここで大事なのは、「将来教員になりたいので、その自己研鑽のために御社で働かせてください、お願いします!」ではなく「御社の事業において私が持っている視座を御社にとっての価値に変換することが可能だと思っています」というスタンスでいる、ということです。まぁこれも所詮、戯れ言であることは重々承知しています。社会の厳しさなど、知らない男です。

でもね。

そりゃ、志をかなえるならば、さっさと学校教員になりますわ。魅力的な学校教員になろうとするならば、最初から学校教員になっても、自分の信念と熱さを曲げない自信はありますわ。それでも、どうしても現実的に考えて、そうもいかない事情がある。それは、公立学校の生涯賃金に照らして、私が(いや、私の親が)かけてきた教育投資のバランスがあわない、ということです。

もっと単刀直入に言います。奨学金が大変なのですよ。

学生支援機構奨学金を学部時代から借り、大学院生になってからその額を増やしました。そうすると、学部時代の借りた金額と大学院時代の借りた金額は実はちょうど同じくらいになってしまいます。これによって、学部時代のほぼ倍の返還額が私には発生してしまうわけです。かつて学生支援機構が日本育英会であった時代には、教育公務員になることでその変換を免除されましたが、いまやそんな制度は消えてなくなり、どのような職種についても、まして仕事がなくても支払いをせねばなりません。

借りたものは返す、それは当たり前のことですし頑張って返したいと思います。なおかつ、それが後輩たちの奨学金の原資になることを考えれば止めるわけにはいきません。ならば、せっかく、日本のなかでもそれなりに優秀とされる人々が集まる大学で学ばせてもらっただけのある種のステータスを活かして、お金を稼げる職に就き、そしてしっかりと奨学金を返していく、これがまずは社会貢献の第一歩じゃないか、なんて考えるわけです。

何より、借金を抱えている、という事実が自分にとって怖いわけで、実際すでにして300万円の負債がかさんでおり、その倍ですから修了とともに600万円の負債を抱えることになるわけです。これは本当に怖いことで(いやなかにはそんなものすぐに返せるという人もいるかもしれませんが)、仕事がある状況ではない現在に、つまり定額の収入が見込めるわけではない現段階でこれだけの借金を抱えることの将来への不安感といったらたまったもんじゃありません。だから、働かせていただけるところならどこでもお世話になります、というスタンスになってしまうほどに定職に就きたい、あわゆくば斜陽でない産業の中で20年返済予定の半分で返済が済んでしまうくらいの稼ぎが必要になってくるわけです。

こういうことは大事だと思って書きました。きっと面接の時とかにはこんな話できやしないでしょう。でも、ここまで切実に考えてしまうほどに、学費と奨学金というものは重くのしかかります。

貸与奨学金は、未来の自分への投資だと捉えることができますが、その未来において、経済的に安定しかつ裕福でいられることを予測して自分に投資をするわけです。このときの予測の源泉は、はっきり言って大学のステータスと、その大学を出た卒業生たちの就職状況から予測する収入感覚です。この先攻投資に見合うだけの自分のキャリアを描くことができるか、という、ある種のビビりを感じながら、自分のキャリアと向き合わなければならない季節が、いよいよ幕を開けるわけです。こういう想いで就職を考える学生は、何も私だけではないはず。せめても、後に続く学生に、学生時分にこういうような不安感を味わう状況をつくり出さないことも、いわゆる「将来したいこと」の一つに入るんじゃないかと思うほどです。

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蹴りから始まるコミュニケーション

コミュニケーションのあり方っていろいろだと思う。

言語コミュニケーション教育を理念と実践のうえで研究をしていくのが私のSFCで追い続けているテーマであるが、言語コミュニケーションだけがすべてではない。ただ、コミュニケーションを専門としておきながら、言語コミュニケーションと非言語コミュニケーションの比率を忘れていた。そうだ、講義ノートを見返せば、7:93だった。

僕の持論は、義務教育の英語という教科の枠組みの中で、いかなる言語の使用においても基盤になる「普遍的コミュニケーション能力」を育む必要があり、その「普遍的コミュニケーション能力」とは、他者とかかわり合いを持とうとする態度、コミュニケーションに対する楽しさや難しさの認識、そしてその難しさを乗り越えてできるだけコンフリクトを起こさないための最低限度のワザだと思う。もちろん、性格が内気だったり人見知りだったりする人もいるけれど、そうした人でも一定レベルをクリアできるだけのワザがあってもいいはずだ。それを身につけてこそ、英語という教科枠組みが存在しうる価値だ、と。それが僕の研究です。

んでも、コミュニケーションのあり方っていろいろだと思う。

何が言いたかったのかというとですね、先日こんなことがあったわけです。10/8のことでした。

双葉町の子どもと遊ぼう #smiles_futaba だん。今日は、小学校高学年女子からメガネさんと呼ばれ続けながら、彼女たちのケリとパンチを受けまくるサンドバック状態。おかげで体が痛い。

もはやですね。今日、子どもたちと遊んでサンドバッグ状態に蹴られまくったことはですね、就職活動とか勉強会とかよりも僕にとって重要なことだったと思うのですよ。蹴られまくった末に「ストレス発散させてくれてありがとう」と一礼した少女は忘れられぬ。また行く。 #smiles_futaba

福島県双葉町は、福島第一原発を有する町。そこから避難してきた方々がいらっしゃるのが、旧騎西高校。そこでの子どもと遊ぶ活動・3度目の訪問です。その日、運動会などが実施されたり、いろんなプログラムが実施されていて、子どもがそもそも少ない避難所から更に子どもが少なくなっていました。それでも、女の子4人ほどがやってきて遊んでくれました。

しかしねぇ、その子ら”凶暴”なんだわ(笑)。あ、あくまで冗談として言っているのですよ。やっぱり、見知らぬ大人がたくさんいて、しかも男の人と接触するのもなかなか無いとなると、小学校高学年だったその子たちは、男の人に対して多少たりとも乱暴な言動をしてしまうのかなぁ、なんて思うわけですが。

とにかく、その子どもらが僕を蹴ってくる。どんどん蹴ってくる。痛い。膝をいためてめっちゃくちゃ痛がった演技をしたりして笑いながらキレるそぶりを見せると、なんだかそれが面白かったみたいでした。「男の子も蹴っ飛ばしてるよ」「そりゃ男子がかわいそうじゃないか」「いいんだもん」そんな会話から少しずつ打ち解けてきた感じでもあった遊びの活動。途中から、携帯ゲームを取り出して大人に対して挑戦してきたり、パソコンに熱中したり、などしていました。

物静かな女の子が一人。その子がどうやら折り紙が上手いらしく、「ねぇねぇ折り紙の折り方教えてくれよ」と言って、小鳥の折り方を教わったあたりから、物静かな女の子は実は物静かじゃなかったということが分かりはじめました。しかも、次に折りはじめた折り紙は途中で失敗し、「あ、折り方間違えちゃった、あれ?」みたいな感じになっていたわけで。その辺から、むしろその物静かな女の子も僕のことを蹴っ飛ばしてくる一味になりました。

他のメンバーの方が、ハロウィン仕様の折り紙工作を用意してきてくれました。画用紙のバッグに、パンプキンとこうもりの折り紙を貼る、というもの。僕もそれに参加し、パンプキンとコウモリを折りました。それを、最初に僕の膝を蹴った女の子が全部パクっていき、自分のものにして貼付けていきました。「え、俺のでいいの?」みたいな感じでしたが、快くもらってくれました。

僕はその日、メガネと呼ばれながら、ひたすら女の子たちのキックをうけまくりました。これ、普通なら度が過ぎるから、とブチギレるところですが、その日の僕は、その攻撃を上手くかわしながら、キックを受けまくりました。キックをよけながら、「ストレスたまってるんだねぇ」「子どももなかなか大変だよね、分かるよその気持ち」などとチャチャを入れつつ戯れていると、キックしながら女の子は爆笑し、そしてキックは更にエスカレートします。でもそれは、僕が本気で憎まれている状況では決して起きないことだなぁ、と後から振り返ると思います。その証拠に、キックをしながらいろんな話をしました。クラスの男子の話、学級担任があまり好きではないこと。僕は教員になりたい、という話をすると、じゃぁメガネが先生になってよ、と言われながらやっぱりキックを受ける。

もうすぐ店じまいの時、「今度いつ来るの?」という質問と「ストレス発散させてくれてどうもありがとう」という一礼。この時、僕はこういうのもアリなんだな、と思いました。避難した子どもはストレスを溜めているから思いっきり遊んだり乱暴になったりする、とよく言われますが、いや避難している子どもだろうが普通にその辺にいる子どもだろうが、少し年が若めの大人に攻撃しかけてくるのは普通だろう、と思います。別に僕は、色眼鏡をかけて見ていたから受け入れたのではありません。ただ、自分なりのスタンスで、子どもと接していただけです。もちろん、蹴っ飛ばされるのは痛いしいやだから、怒ることはできました。でも、それで萎縮させて関係を破綻させることを僕はおそれる。だから、通常の人と人との関係の中で、僕は彼女たちのキックを甘んじて受け、それに対して、彼女たちの力が抜けるような突っ込みを入れていった、ということなだけです。それが結果的に、メガネさんとして構ってもらえることにつながったのが僕にとってはすごく安心できる結果でした。

ことばだけがコミュニケーションじゃない。怒ったり褒めたりすること以外にも、信頼関係を気付く方法はいくらでもある。まさかキックでコミュニケーションが紡ぎだされるとは思わなかったけれど、それもまた一つの接し方だと思います。

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iPhone4Sを買ったので、Apple製品購入歴を振り返ってみた

スティーブ・ジョブズ氏は、もはや私にとっては教祖のような存在でした。だから、iPhone4Sが登場した後、しばらくTwitterのTLから離れていた私は、彼が死んだということさえも分からず、「R.I.P Steve Jobs」の意味すら全く把握していませんでした。まだ彼は若いと思っていたし、聞くところによれば4Sの発表の時に彼はソファに座ってバナナジュースを飲んでいたそうじゃないですか。でも、考えてみれば、ガンの手術を2度もやって、確かに年齢的にもまだまだだけれど、健康不安が会ったことを考えれば、相当無理していたのかな、と思います。

彼の製品をはじめて手にしたのは中学2年生。その時に買った白iBook12inchは、PowerPC G3 800MHz/30GB HDDながら、大学入学1年目まで持ちこたえてくれました。きっかけの一つは、素人が出てきてMacの魅力をとうとうと語るCM。もう一つは、職場体験で訪れた地元のISPで働くWebデザイナーさんが使っていたMacを見たからでした。Macを一度手にしてしまうと、その前に使っていた某デスクトップに比して驚くほど愛着を持ってしまいました。それから、Appleの虜です。iPodも、初代iPodをiBookと同時に手にしました。大学1年目後半で買い替えた2台目MacBookは、コーヒーを被り、1mの高さから落下してもなお、壊れること無く弟に引き継がれ、とうとう醤油を被っておシャカになりました。3台目MacBookとは、短いおつきあいだったものの、卒論という修羅場を共に歩んだ戦友です。それも今はLionを積んで弟・妹が使っています。ちなみに、弟はiPod nanoとiPod touchを所有し、妹もiPod nanoで音楽を聴きます。

どうしても離れられないMac。今年になってだいぶApple製品を買い込んでしまいました。まず、MacBookAirは、どうしても軽さの観点で必要と思い購入。現在のお供です。それから、研究に使うということでiPad2を購入。まだ研究用途での使用はしていませんが、かなりの便利さと手軽さなので、これは使い物になると思っています。ここまでで、すでに15万円近くは今年の間にApple製品に費やしているのですが、ついに今日、iPhone 4Sを一括購入で機種変しました。32GB Whiteなので、5万円程度。iPad2にはポイントを付与しなかったビックカメラですが、今回はお決まりの5%ポイント還元をちゃっかりいただくことができました。

一括で購入するのにも訳がありまして、単にポイントマターではなく、むしろ月々の支払いをおさえたいというのが正直なところです。前任のiPhone 3GS 32GB Whiteは、SoftBankのiPhone for everybodyキャンペーンより前に購入してしまったため、安いときで月々480円負担で買えたはずが、私はタイミングをミスってしまい、980円を実質割賦負担していたのです。これでは、月々の支払いが1万円になり、非常に苦しい。だから、次に買うときは割賦ではなく一括にしてしまおう、と思いました。今後は、月あたま多くても6000円程度で済むでしょう。

Appleの製品は、やはりなじむ。愛着を持ってしまう。周囲の人々が、iPhoneのガラス面に大きなビヒを入れてとんでもないことになっているのを横目に、私は2年間、非常に本体を大切に扱ってきました。2台目MacBookは、前述の通りコーヒーや落下や醤油を経験してきましたが、それでも新しく買い替えるという選択肢は極力とらずに修理で我慢しました。もっといえば、1台目iBookを5年間も使い続けたのは軌跡に近いと言えるでしょう。そこまでして自分が使い続けてきたのも、Appleの製品が、ハードもソフトも非常にシンプルで分かりやすく、そしてキレイだったことが原因でしょう。それをつくり出してきたのはジョブズ氏だ、とは私は言いません。むしろ、ジョブズ氏の考え方を共有したAppleのエンジニアたちが作り上げたものだと思います。しかしやはり、最終決定の段階にかならずジョブズ氏の存在があったこと、そして自社の製品を高らかに自信を持ってジョブズ氏が発表してきたこと、それがまさしくAppleの真骨頂であったように思います。彼のスタンス・スピリット・ポリシーは、少なくともここ10年で「i○○」を打ち出して以降、きっと社員に共有化されているに違いありません。でも、きっと彼の存在が無いAppleは、すこし違ったものに見えてくるんだろうなぁ、と思ってしまう自分がいます。

そんなことを思いながら、サクサク動いてくれるiPhone4Sにほれぼれしています。予約しておいてよかった。思ったより早く手に入りました。

最後に写真を一枚。すでにTwitterやFacebookで共有していますがコチラでも。行きつけの古河のカフェ「Ocha-Nova」のマスターはMacユーザーで、私はしょっちゅうそのカフェでMacを広げてWifiを拝借して作業をしています。ジョブズ氏逝去の訃報の翌日、そのカフェに行くと、マスターが聞いてきました。「iPhone4SってLionじゃないと使えないんですかね?」僕がMacユーザーであることを知っているマスターは、以前店のMacのメールの調子がおかしいということで僕に見るように頼んできたことがあります。そのため、店のMacのバージョンも知っていたのですが、多分Lionを搭載できるスペックではなく。でも、そもそもiPhone4S、iCloudを使わない分にはLionは不要なので、「多分大丈夫だと思いますよ」と回答。そして、いつも頼むフレーバーカフェラテをいつも通り注文すると、すてきなラテ・アートを描いてくださいました。信者の僕としては、とてもうれしい絵であったと共に、思いを馳せるときはいつもこれを見ようかな、と思うアートに感動を覚えました。マスター、iPhone4S手に入りましたよ。

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因果関係についての思い出

A→B

社会科学の研究において、Aが起きればBが起きるというモデルを特定し、それに併せた実験や観察を行うことは重要になる。KKVといわれる社会科学の教科書においては、「観察可能な含意」とやらが社会科学に置いては重要になるらしい。Aが起きればBはいつでも起きる、そういう知見はさまざまなことに応用できるだろうし、そもそもAならばBというパターンの発見は面白い。

そして、このA→Bのパターン発見は、くだらないものになればなるほど面白い。

最近の私の持論は、長距離通学が所以で発見したもの。「宇都宮線直通の湘南新宿ラインに新宿駅から乗った時に、鳩サブレの袋を持ったおばちゃんがいたら、その人は池袋駅で降りる」という仮説。これは、私の経験した数少ない事例においてはほとんど成功している。ついさっき、「おばちゃん」ではなく「二人の男性の若者」でこの状況に遭遇したが、これは成功しなかった。ちなみに今、赤羽を過ぎ大宮駅に向かっているが、未だに降りていない。

そういえば、と思い出してみると、実は小学校時代から、くだらない仮説を立ててはそれを論考していた。小学校3年生の頃の先生は、かならず児童に作文を書かせる宿題を出していた。かならずコメントを付して添削していたからすごい。ちなみにその先生は僕が小学校四年生の時に妊娠して担任を離れたが、その時に生まれた双子は今中学1年生だ。感慨深い。話がそれた。どんな因果関係を論考していたかというと、こんなのだ。

筑波山はダイダラボッチが座ったために男体山と女体山ができたが、出来上がった2つの山の頂上の高さが異なるのはなぜか。
なぜ東京駅より新宿駅の方が乗降客数が多いのか。

今考えれば、その論考は稚拙であっても、そもそもそんなことを論考していた自分がびっくりである。その頃から、小難しいことを考えるのが好きだったのかもしれない。また、前者の論題を見れば分かるが、僕は案外小さい頃から奇想天外なアイディアを持っていたのかもしれない。だいたい、筑波山にダイダラボッチが座ったなんてことは神話上の話なのに、それを作文の題材にしてしまうのだから自分でもビビる。

もうすこし、筑波山論考の話をしよう。今でも覚えている。小学校三年生の遠足は筑波山の山登りである。筑波山は西側に位置する男体山(標高871m)と東側に位置する女体山(標高877m)から形成されているが、こうなったのはだいだらぼっちが筑波山に腰を下ろしたからだというのを行きのバスの中で聞いた。ではなんで標高が異なるのだろうかと考えたわけだ。作文の冒頭では、もし腰を下ろしたときに中心で腰を下ろしたら絶対に標高は男体山と女体山で同じになるはずだと考えた。しかしそうではないとすると、考えられることは一つ、だいだらぼっちは山の中心に腰を下ろしたわけではない、ということだ。ではなぜ山の中心ではなく少しずらして腰を下ろしたか、それは「中央に座るとケツの穴が痛いから」だ。我ながら稚拙だ。

しかし、そのクオリティは別としても、こんなことを考えていた時期があったことに驚きだし、件の「湘南新宿ラインで鳩サブレの袋…」を現在でも仮説検証するあたり、僕自身は変わっていないのかな、なんて思ったりした。そんなわけで、もうすぐ久喜だが、若者たちはまだ降りない。

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Strength Finderをやってみた

ストレングスファインダーをご存知だろうか。って言っても、僕も今年に入るまでは知らなかった。ギャラップと言う会社だか機関だかしらんが、そこがうん百万人の人々にオープンクエスチョンのインタビューをしていったところ、良い成果を上げている人には特定のパターンがあることが分かったらしい。そして、34の「強み」の分類を作り上げた。そのギャラップによれば、人間は弱みを補強することではなく強みを伸ばすことによって成長し成果を上げていくと言う。34の「強み」の分類のなかで、自分はどの強みを持っているのかを知ることで、どこを伸ばせばいいのかが分かる、ということだ。

このストレングス・ファインダー、どこで知ったかと言うと、教職員熟議Saitamaの先生方がみんなやっていたわけで、第2回のときにkuniさんというクラス・ファシリテーターをお呼びした際の食事の席で知ったのだ。ストレングス・ファインダーに限らず、たとえばドラッガーの『マネジメント』や、センゲの『学習する組織』(←両方とも読んだことないけれど)は、どちらかというと教育畑ではなく経営畑の叡智のような気がする。しかし、先日出向いた「教室『学び合い』フォーラム」の夜の談義などで分かったこととしては、実はそういった企業体の組織論は、人づくりの観点で教育文脈にそぐうというのだ。なるほどだから先生方もやってるのね、と思ったわけで。

世は就職活動戦線厳しいと言われ続けて早4年…明日は我が身ながら一寸先は闇。自分の適性は何なのだろうか。仕事をする、自分に合う会社を探す、自分が働きたい会社に自分を合わせる、そんな時期になるのだろうか。どうして、「食っていく、そのための仕事」という【単純なはず】の構図のために苦心をせねばならないか、それはジョブハンティングが複雑だからなんでしょうが、そんな文句は言っていられないので、自分の適性を分析していかなければいけないんだろうな。ストレングス・ファインダーはその指標になると思ったので、やってみた。

結果から言おう。私の強みの優位5つは以下だ。

『コミュニケーション』『最上志向』『親密性』『戦略性』『ポジティブ』

まずはやり方から。どうすればストレングス・ファインダーが使えるか、というと、まずは本を買う。『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす』という本である。これを買って、まずは最初の3章を読んで、「強み」を伸ばすとはどう言うことか、才能とはどう言うものかの概念を知ったところで、本のカバーの裏面に記載されているIDを使ってStrength Finder SurveyをWebで受ける。

このサーベイ、1回に現れる選択肢は2つ。仮にAとBとしたとき、この2つの選択肢は一見すると対極にあるように見えるものと対極ではないように見えるものがある。回答者は20秒以内にAまたはBから当てはまるものを判断せねばならない。実際は、どちらでもない、どっちかといえばA(またはB)という選択肢もあるので5段階のスケールになっているが、しかしスケールとは言えないようにも思える。そんな訳で180くらいの質問にすべて答えきると、5つの優位な「強み」が現れるのだ。

そして僕の5つの強みが出た。その説明を書いておこう。

【コミュニケーション】
あなたは説明すること、描写すること、進行役を務めること、人前で話すこと、書くことが好きです。これにはあなたのコミュニケーションという資質がよく現れています。アイデアはアイデアに過ぎません。事実は、その時々に起こったことに過ぎません。あなたは、それに命を吹き込み、活力を与え、刺激的で生き生きとしたものにしなければならないと感じます。そこであなたは、「単なる事実」を「物語」に転換させて、それを上手に語ります。単なる「アイデア」を取り上げ、イメージと具体例と比喩を使って生き生きとさせます。あなたは、たいていの人は集中力が続く時間がとても短いと思っています。彼らは情報の洪水に見舞われていますが、情報はほとんど頭に残っていません。あなたはあなたが伝えたい情報を――それがアイデアであろうと、事実であろうと、製品の特性や特徴、何かの発見、あるいは教訓であろうと――人々の心に残したいと考えます。あなたは彼らの関心を自分に向けさせ、捉えて放さないようにしたいと思っています。あなたが、最適な言い方を探そうとするのはこのためです。あなたが、ドラマチックな言葉や力強い言葉の組み合わせを使おうとするのは、このためです。人々があなたの話を聴きたがるのはこのためです。あなたの言葉で描かれたイメージは彼らの興味をそそり、彼らの見方を刺激して行動へと啓発するのです。

【最上志向】
優秀であること、平均ではなく。これがあなたの基準です。平均以下の何かを平均より少し上に引き上げるには大変な努力を要し、あなたはそこに全く意味を見出しません。平均以上の何かを最高のものに高めるのも、同じように多大な努力を必要としますが、はるかに胸躍ります。自分自身のものか他の人のものかに関わらず、強みはあなたを魅了します。真珠を追い求めるダイバーのように、あなたは強みを示す明らかな徴候を探し求めます。生まれついての優秀さ、飲み込みの速さ、一気に上達した技能――これらがわずかでも見えることは、強みがあるかもしれないことを示す手がかりになります。そして一旦強みを発見すると、あなたはそれを伸ばし、磨きをかけ、優秀さへ高めずにはいられません。あなたは真珠を光り輝くまで磨くのです。このように、この自然に長所を見分ける力は、他の人から人を区別していると見られるかもしれません。あなたはあなたの強みを高く評価してくれる人たちと一緒に過ごすことを選びます。同じように、自分の強みを発見しそれを伸ばしてきたと思われる人たちに惹かれます。あなたは、あなたを型にはめて、弱点を克服させようとする人々を避ける傾向があります。あなたは自分の弱みを嘆きながら人生を送りたくありません。それよりも、持って生まれた天賦の才能を最大限に利用したいと考えます。その方が楽しく、実りも多いのです。そして意外なことに、その方がもっと大変なのです。

【親密性】
親密性という資質は、あなたの人間関係に対する姿勢を説明します。 簡単に言えば、親密性という資質によって、あなたは既に知っている人々とより深い関係を結ぶ方向に引き寄せられます。あなたは必ずしも未知の人たちと出会うことを避けているわけではありません――事実、知らない人と友人になるスリルを楽しむような他の資質を、あなたは持っているかもしれないのです――しかし、あなたは親しい友人のそばにいてこそ、大きな喜びと力を得るのです。あなたは親密であることに心地よさを感じます。一旦最初の関係ができあがると、あなたは積極的にその関係をさらに深めようとします。あなたは彼らの感情、目標、不安、夢を深く理解したいと思っています。そして、彼らにもあなたを深く理解してもらいたいと願っています。あなたは、このような親密さがある程度の危険性を含んでいることを知っています――あなたは利用されるかもしれないのです――しかし、あなたはその危険性を解かった上で受け入れます。あなたにとって人間関係は、それが本物である時のみ価値を持ちます。そして、それが本物であるかどうかを知る唯一の方法は、相手に身を委ねることです。互いの気持ちを共有すればする程、お互いの危険性も大きくなります。お互いの危険性が大きくなればなる程、自分たちの意思が本物であることを、よりはっきりと証明できるのです。これらが真の友情を築き上げるための一つひとつのステップであり、あなたはそのステップを喜んで進んで行きます。

【戦略性】
戦略性という資質によって、あなたはいろいろなものが乱雑にある中から、最終の目的に合った最善の道筋を発見することができます。これは学習できるスキルではありません。これは特異な考え方であり、物事に対する特殊な見方です。他の人には単に複雑さとしか見えない時でも、あなたにはこの資質によってパターンが見えます。これらを意識して、あなたはあらゆる選択肢のシナリオの最後まで想像し、常に「こうなったらどうなる? では、こうなったらどうなる?」と自問します。このような繰り返しによって、先を読むことができるのです。そして、あなたは起こる可能性のある障害の危険性を正確に予測することができます。それぞれの道筋の先にある状況が解かることで、あなたは道筋を選び始めます。行き止まりの道をあなたは切り捨てます。まともに抵抗を受ける道を排除します。混乱に巻き込まれる道を捨て去ります。そして、選ばれた道――すなわちあなたの戦略――にたどり着くまで、あなたは選択と切り捨てを繰り返します。そしてこの戦略を武器として先へ進みます。これが、あなたの戦略性という資質の役割です:問いかけ、選抜し、行動するのです。

【ポジティブ】
あなたは人をよく誉め、すぐに微笑みかけ、どんな状況においても常にポジティブな面を探します。あなたのことを陽気と言う人もいます。あなたのように楽天的になりたいと思う人もいます。しかし、いずれにしても、人々はあなたの周りにいたいと思います。あなたの熱意は人に伝染するので、あなたの近くにいると彼らには世界がより良いもののように見えてくるのです。あなたの活力と楽天性がないと、人は、自分の毎日は同じ事の繰り返しばかりで単調であるとか、最悪の場合、プレッシャーを重く感じてしまいます。あなたは、彼らの気持ちを明るくする方法を必ず見つけます。あなたはどんなプロジェクトにも情熱を吹き込みます。あなたはどんな進歩も祝福します。あなたはどんなことでも、よりエキサイティングで、より生き生きとしたものにする方法をたくさん考え出します。一部の懐疑的な人たちは、あなたの活発さを否定するかもしれませんが、あなたはめったにそれに引きずられることはありません。あなたの積極性がそれを許さないのです。あなたは、生きていることは素晴らしいという信念、仕事は楽しいものにできるという信念、どのような障害があろうと人は決してユーモアの精神を失ってはならないという信念から、どうしても逃れられないのです。

5つの資質のタイトルを見るだけでは、「嘘つけぇ、んなわけねぇだろうが」と思ったが、案外説明の文章を見ている限りはそうなのかもしれないな、と思った。問題は、この強み・資質を知った上で、それを活かせるようなフィールド、働き方をどうやって見つけていくか、だと思う。実は今日もとある企業の人事の方と会って、まだ自分の世界・世界観が狭いんだろうなってことを感じた。まだ、現在の自分が立脚しているものを、もっと明確にできるはずだ。

それを見つける夏にせねばならない。

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[新入生の皆様へ] メールの書き方に関するお願い

慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス 学部新入生のみなさま、 −*1

はじめまして。突然メールを差し上げ、大変失礼致します。
慶應義塾大学 大学院 政策・メディア研究科 修士課程
1年生の遠藤忍と申します。 −*2

改めまして、新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。
先日の総合政策・環境情報学の創造の補講に出席させていただいた折、
皆様の活発な発言と、熱心な聞く態度には心を打たれました。
ぜひ、皆様にとってのSFC生活が実り多いものになることを、
同じ新入生として期待しております。 −*3

ところで今回は、老婆心ながら、新入生の皆様に、
メールのひな形を提示したいと思い、このようにお送りさせていただきます。 −*4

−−−−−−−−−−−− −*5

私は、これまで、大学にて教員のサポート役(SA)をさせていただく機会が多く、
多くの学生の方から先生方へのメールをお預かりすることがありました。
特に、新入生を迎える時期には、件名や宛名、本文のないメールが見受けられ、
どのように返答をすれば良いかに思案することが多いのが現状です。
そうしたメールを受信するたびに、サポートさせていただいている先生が
溜息を漏らす姿を何度も見ております。

私自身、学内・学外とのメールのやり取りが多く、SFC5年目となる今では、
型にはまったメールの書き方が私自身の普通(あるいは常識)になっていますが、
多くの新入生の皆様は、携帯メールのほうがより親しみが大きく、
PCによるフォーマルなメールのやり取りに慣れていないのではないでしょうか。

そうしたやり取りは、例えばサークル活動やグループワークの実践の中で
真似をして身につけていくものだと考えております。
それでも、テンプレートになるものが見られなければ意味がないので、
おせっかいであることを重々承知の上、こうしてお送りさせていただきました。

−−−−−−−−−−−−

私が考える、メールを送る際のポイントとしては、 −*6

・メールは会話ではないからまとまった内容を送る
・件名でメールの内容が把握できるようにする
・送り手がどこの誰であるか、送る相手が誰なのかを明確にする
・相手が未知の人や目上の人に対しては失礼のないようにする

ということがあります。また、コツとして、

・メールの件名に、[タグ] をつけてあげる(例えば授業名など)
・メール本文の最初と最後で、内容の要約や相手への要求を示す
・返信の要、不要を明確に相手に伝える
・最後に署名欄をつける

などがあると思います。

−−−−−−−−−−

以上、長くなりましたが、私が考えるメールの書き方について、
僭越ながら述べさせていただきました。
もちろん、この他にもたくさんの先輩方がノウハウをお持ちと思いますので、
これをご覧の上級生の方々には、ぜひご教示いただければ幸いです。

何よりご理解いただきたいのは、新入生の皆様が今後、
例えば授業の問合せや課題提出などでメールを送る際に、
相手に失礼の無いように、そして相手に分かりやすいメールを
送っていただきたいということです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 −*7
風邪がはやっております。どうぞ、ご自愛ください。 −*8

遠藤 忍 −*9

http://enshino.biz/

※追伸
私のメールは基本的に長い文章となり、これは常に改善せねば
と思っております。
どうぞ、皆様はできるだけ簡潔な文面をお書きください。

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2つの会合から学んだことをまとめてみる

2月2日にはいろんなことがありまして、たとえばその前の日までだったレポートの提出期限を逃してしまい、先生に平謝りしたり、修士論文発表を二日連続で見て怖いなぁなんて思ったりしていました。その日はかなり忙しく、実は抱えている二つのプロジェクトに関するMTGがあったため、新宿に・大宮に、移動していった感じでした。どんなプロジェクトだったか、リリースはもう少し待ってくださいね。で、その二つの会合でいろんなことを学んだので書いておきます。 Continue reading

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志をたてよう。そして一歩前進する話

もう5年前だが,この時期に松下政経塾主催の立志論文コンテスト決戦大会に出場した。それから4年後の去年の決戦大会に呼んでいただき,それ以降OB会の幹事役を引き受けている。といっても,そこまで幹事らしい幹事ではないし,OB会組織もそこまで立派なものではないけれども。

さて,今年は今年の出場者のみなさんをOB会MLに迎え入れるために,また松下政経塾を訪れ,決戦大会を傍聴してきた。

いやぁ,年々,皆言うことがしっかりしてきたなぁ,と思うわけだ。今年の最優秀賞の高校生は新聞記者が夢だそうで。他にも,高齢者の英知を集めた図書館をつくりたい,スマートシティの可能性を経済学を通じて追求したい,デジタルネイティブ育成を通じて貧困をなくしたい,川のコンサルタントになってエコな環境をつくりたい,国際的な機関に所属してフィールドに出て行きたい,そういった志を,みなしっかり訴えていた。

いやぁ,5年前の僕は政治家だっていっていたのに,今は,ねぇ。どうなんだか,と思う。でも,一つ思ったことがある。それは,何になるかではなく,何をするか,何を成し遂げるか,なのじゃないかと。それこそが志なのではないか,と。何になりたいか,どの職業に就きたいか,という「キャリア」はあくまでも手段に過ぎない訳である。その点で,自分が教育に対して大きな興味を抱いていることは当時高校2年生だった自分と変化していない。ただ,その手段が変わっただけである。一本筋を通した志はもちろん必要だと思う。でも一方で,何がしたいかってのは変わっていくとも思う。その矛盾を解きほぐす答えが,何となく思いついた。それが,なにになりたいかは手段でしかない,という解釈である。

そんなことより,松下政経塾談義を一つ。

僕の好きな言葉は何だろう。そう思うことがある。小学生の頃,「人生葉脈」と言っていた。どんな生き方だってあるじゃん,ということだった。しかし,歳を重ねるうちに,なんだか気恥ずかしくなってきたのだ。

昨年夏に松下政経塾を訪れて,あることを思い出した。それは5年前の,私が出場した論文コンテストの本番前。松下政経塾の講堂のトイレに入った。その時,男性用小便器のところに「一歩前進」と書いてあった。当然意味は,一歩前に出て,液体がはねないようにしろ,ということだが,緊張に喘いでいた自分にとって,勇気が出る一言だった。

それ以降,SFCに入学して以降はほぼ毎年松下政経塾を訪れているが,その「一歩前進」を見るたびに,なにか初心に返るのである。なにせトイレだ。もっとも心が安心する瞬間に見る「一歩前進」は,心にしみいってくる。

はぁ。卒業論文もヤバい感じになってきている。だけれども,一歩前進しないといけないよなぁ。頑張ろう。

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何事もなく過ぎ行く21歳の夜

来週頭にある、Music Nightというイベントで、僭越ながらMCをさせていただくこととなり、そのリハーサルをやっていた。その後、英語インタラクティブ・フォーラムの研究のために、アンケートを印刷して封筒に封入していった。気付けば21:30で、いつもの月曜日と変わらぬ帰宅時間となった。日付を超えれても、家にはいない。

また、自分が生まれた日の0:00を、自宅外で過ごすことになる。20・21・22と、もう3度目だ。昨日、吹奏楽サークルのオーディション応募用の映像撮影を終えたが、それでも帰りが日付を超えるのは、いつもの通りの生活がいたについている証拠だ。

そういえば、そのサークルの同学年者から、コップと肩叩きをもらった。院生になる僕への誕生日プレゼントだった。コップには、油性ペンでの寄せ書き。本当にありがたい。

私には悪いくせがある。人の誕生日を覚えないことだ。だから、どうしても贈り物を送れない。代わりにいつも、贈り物をもらう方の立場が多い。非常に恐縮する。その点で、mixiは便利で、友人の誕生日が近いことを知らせてくれるのだが。ともかく、私は誕生日に対して、至極受身であることが多く、為手側になることは稀である。

同じことは、誕生日に家で過ごすことなく、親家族に育ててもらった感謝を言わないあたりにも通じる。結局自分は、世界の中心は自分であり、自分のために自分を生きているにすぎない、自己中心主義の塊みたいなもんなのだ。他人と丁寧につきあうことを忘れてしまっているようでもある。感情線が孤を描いていても、結局思いやれていないのは、21歳になっても相変わらずで、それで本当に迷惑をかけたことがあった。

21歳の夏、僕は、自分のことさえ顧みていればよい立場から脱却しなければならない責任を得た。しかしながら相変わらずなままで、相手を振り回したり悩ませたり怒らせたりしていた。それは、ことの段落で特に予期している相手以外にも同じことを言えるのだが、とくにその相手に対しては悔やまれるほどである。一方で、その相手の存在が故に、将来の人生のことを、余計に考えるようになった。自分は何をして稼ぎ、どのような家庭で過ごし、どう人生を設計して行くのか。それは単に、他者を顧みなければならない責任が起きたからではない。21歳という年齢が故でもある。

21歳は、人生のターニングポイントである。同じ21歳世代では、すでに社会にでている人が半分以上、そして僕の周囲では、大半が職探しに奔走し、21歳の夏から秋、冬、そして春と、多くの友人が、直近の未来の人生ステージの場所を探すために、はるか遠くまでに渡る人生の設計図づくりに頭を悩ませていた。そのムーブメントは、例外なく僕にもやってきて、僕は遠い未来に渡る自分のミッションとそのためのツールである職業の見通しを考えた。

結果、僕は一切の私企業・公的団体に対して、金銭を対価に仕事をするためのエントリーシートを提出することはなかった。出した答えは、大学院に進んでまだ学ぶことだった。しかし、その決定が早からず遅からず、そのせいで、周りが忙しく奔走する時期に、本当に何もしなかった。本当に、何も。そのせいか否か、21歳の後半は、後ろめたさと不安の連続だった。院生候補にもかかわらず、ろくに研究成果をあげる訳でもなく、勉強に勤しむ訳でもなく、何もしなかった。周りが奔走しているのに、自分はこれでいいのか。周りが奔走しているのなら、その分の働きをすべきなのに、何もしていないのはいいのか。そして、バカみたいに高い学費も、後ろめたさを助長する。そして、今年度になって、4年にもなって、かつてない無気力さを得た。かつての自分からすれば、腐敗が進んだ。

だからだろうか、21歳は、それまでに比べて少しは落ち着きを見せたものの、以前としていろいろなことに取り組んだと思う。吹奏楽サークルでは副代表だったし、地域活性化活動では企画担当もした。某SFCの未来をつくるプロジェクトでは、年が開けて、名ばかりながら代表代行を拝命した。とりあえず忙しくすることで、どうにか自分を保とうとする癖は、未だに治っていない。本当はもう少し失敗に学んで、集中力を持つことをしなければならないのに、好奇心を持つあたりはまだ子どもなのだ。

でも、もう子どもでないのだ。若くはないのだ。大学では、もう褒めてくれる先輩的な立場はいない。それどころか、後輩ばかりである。徐々に、「あなた若いのにしっかりしてるわね」と言われる年齢から離れだしている。僕が動機付を保ってきた要因である、年長者からの褒め言葉を、だんだんと失いつつある。でもなお、若さとか子ども性とかのなかで、大人に対してアクションを起こして行きたいという欲望は果たされていないらしい。だから、歳を取ることの現実を受け入れたくない。年齢は重なるけれど、僕は僕のまま。高校生だった自分、中学生だった自分、小学生だった自分から、今の自分を比べても、中身は変わっていない。レッテルが変わっただけだ。でも、あの頃憧れていた先輩たちとかお兄さんお姉さん世代とかと、同じ世代にたっているかといえば、まったく成れていない自分がいる。本当に僕は大人の階段にいるのだろうか。

みんなは、21歳の僕を、変わったというのだろうか。久々に会う人ならそう言うだろうが、でも級友なら変わらないと言うだろう。とかく、日々生活をともにする親は、変わらないままに、変化していてもその変化に無意識的だろう。考えてみれば、弟は中3、妹は中2、奴らはまだ僕のなかでは小学生だったのに、ふと気づいた時、年齢の高まりを感じたことがある。そんなことが、親や祖母にはあるのだろうか。そして、21まで育ってきた僕に、何を思うのだろうか。

死んだ母は、21の僕がこうなっていたことを、予測していただろうか。こうなったことを、喜ぶだろうか。そもそも産み親が亡くなっていることに対しては、実は無自覚だから、感謝のかの字も、悲しみのかの字もないのが正直な所なのだ。なんと薄情なのだろう。でも、いまふと考えた。22年前の今日のこの時間、天国の母親は、人生初めての陣痛に苦しみながら、東京・豊島区の病院にいたんだ。性への興味段階である思春期をある程度超えて、様々なことが実感として理解出来るようになったいま、22年前の母親の陣痛が、どのようなものだったかを考えると、妙にリアルである。

もうすぐ、誕生日当日だ。

もういい年齢だから、いままでみたいに、人から祝ってもらえたりプレゼントをもらえることに喜ぶだけの、気楽な一時を過ごすのはやめよう。

みんな、誕生日になると、周りの人に感謝しているという言葉を書き連ねる。当然のことだし素晴らしいことだけど、感謝をどう表し、それをどう還元すればいいか僕には完璧な答えがない。そりゃ、僕のこの人生と人格の形成過程では、たくさんの人と経験との出会いがあった訳だから、感謝は絶えないが、そうした所で還元するすべを知らない。それは、僕の周りの人が誕生日の時に全員におめでとうということであろうか、違うだろう。僕は、そうして考えながら、行動を取ることを放棄して、結局自分に収束して行くことになると思う。

でも、それだって重要だ。腹を痛めて産んだ結果としての存在であることをリアルに認識できるようになったからこそ、いままでに起きた事を思い出しながら、腹を痛めつけてまで生まれてきた意義があったのかを考えるのは必要なプロセスだと思う。そして、今後の生きる意義とは、生きるミッションとは何かを考えるのはもっと重要だ。

進路のターニングポイントにあって、生まれるということをリアルに感じながら、同時に子どもらしく、これから先の人生のミッションを考えながら、少しだけ他者に丁寧に感謝する。

これって、21歳最後の夜であっても、何事もない、いつもと変わらぬ夜にする、いつもの思考なのだろうと思う。やはり今夜は、何事もなくすぎていく、いつもの夜だ。

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教育の語る当事者として

ここ最近、やはり私のテーマは教育であるのだな、という自覚がものすごく強まっています。それも、参加する活動に現れているのかもしれません。
それと最近、教育という言葉のおこがましさを感じます。どちらかといえは、学ぶ、という方がしっくり来ます。学校は年長者が年少者に教える場所ではなく、学びをつくる場であって、教師は伴走者かつ仕掛け人、生徒こそ学ぶ主体なのだ、と。

教育の問題を語ることは、誰でもできます。なぜなら、自分にその経験が有るから。みな、義務教育課程は最低限修了していて、その課程での出来事を経験則として語ることは誰にでもできます。
それはそれで十分必要な視点です。しかし昨今の教育議論は、自分が教育の当時者性を失いつつある人が、さも熱く持論を展開することによって盛り上がりを見せる気がするのです。

ちがうでしょ、と。教育の問題は、テレビのなかで起きてるんじゃない。問題が起きているとすれば、それは現場で起きているんだ、と。しかも、果たして世の中に言われている問題とやらは本当に問題なのでしょうか。教師はそんなにダメなのか、近頃の若者や子どもがそんなに悪いのか。

教育を語る資格を持つのは、やはり当事者です。学びの場である学校に身を起きながら、そこで仕掛けづくりに奔走する教員と、現在進行系で学んでいる子どもたち(なかには、旧来の学校に適応出来ずに、新しいかたちの学校で過ごす教員と子どももいます)こそ、本当に教育を語る資格があるのだと思います。
だから僕は、現場に向き合っていない人、現場志向でない人の教育論議にはものすごく抵抗感を感じます。教育研究も、教育行政も、日々学びの場で繰り広げられる個々の営みを無視して行われるものじゃない。

だから僕は、教育に関連する活動に数多く従事するなかで、子どもたちと接することを志向したり、現場主義的な活動や研究を好んだりするのです。

今、「キッカケ生まれる、ナナメの関係」NPOカタリバの企画に参加するため電車にゆられています。高校生と話をして、彼らが何かキッカケを掴めれば、そのなかで僕も何かを学べれば。あくまで対等ちょっと上、発達の最近接領域として、現場の生徒たちをみて来たいと思います。

今度の6/25には、過去2回実施してきた#ANYONe_ELSEをまた実施します。正直、過去二回は教育談義に終止して、活動や研究の共有、という現場志向的な繋がりの形成がかなわなかった。今後は、よりそういったかたちを目指したいです。

来月には、大学をテーマとして、学生主導の熟議が行われます。文科省は、ネット上で教育従事者による熟議カケアイという政策創造エンジンを展開していますが、登録しているもののイマイチ気が乗らない。それは単にインターフェースの問題で、直接語り合う場づくりが必要なのでしょう。是非スタッフとして、当事者性の高い場の形成ができれば、と思います。名前だけ偉い方々から高尚な話を聞いても、それらに当事者性がかけたら、そんなん誰でも出来る議論だ、と腹を立てるでしょうから。

インタラクティブ・フォーラムという取り組みの事例研究も、準備が進んでいます。

今年の夏もあいかわらず、小学生と大学生と高校生と地域の大人とキャンプにでかけます。

明日、大学院試験ですが、私が目指すのは、ステキな教育従事者でして、大学院では、そのステキな教育従事者になるための専門性と当事者性を身につけたいと思っています。
僕には、どんな教育のかたち、学びのかたちが創れるのか。まだまだ精進が必要みたいです。

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【長編】音楽のエッセー

明日は秋祭演奏です。
その告知は後でしますが、その前に。

演奏本番前はここのところ、物思いに耽ることが多くあります。
正直言うと、秋祭の実感がないままソーセージを焼いたりしていたのですが、
気がつけば明日は、活動上非常に重要で、またある程度集客見込みのあるステージに立つ訳です。

ここ最近指揮者のいう、常に見られている、ということを改めて思い返しました。
そう、ステージに乗るということは「entertain」するということですね。
これは、人を楽しませる、という動詞でして、これをする人がentertainerなのですが、
つまり明日は、自分が楽しむのではなく、人に楽しんでもらう演奏をすべきな訳です。

見られている意識=見ている人を楽しませようとする意気込み

パフォーマーでありエンターテイナーである我々演奏家は、
そのことを意識せねばならんのですね。
明日はがんばろう。

、、、という、このような境地に達したのもごく最近な訳であります。
PCをあさっていたら、AO入試の「自由スペース欄」(A42枚分)に直接印刷をした、
音楽に関するエッセーを発見して読み返しました。
だいぶ、そのとき考えていたことからはズレていないけれど、
でも考えるベクトルが少し先に伸びたような気がしました。

なので、今回はその、時系列順に出来事を並べて感想を付け加えただけの、
全く持って流れるような文章となってしまった、
あのAO入試で苦し紛れに書いた「音楽のエッセー」を掲載してみたいと思います。

—設問—
下のスペース(A4用紙2枚分)を自由に使ってあなた自身を表現して下さい―――――

—本文は以下—
音楽のエッセー

 このAO入試に向けての書類をまとめていく過程で、一度自分の生い立ちを振り返ってみた事があります。そして、遠藤忍がのっかっている人生という椅子には3つの脚がついている事が分りました。3本脚の椅子はどんな場所でも一番安定する椅子です。脚の数が増えればバランスの取り方が難しくなり、脚の数が減れば必ず倒れる。つまり、その3つの脚は遠藤忍が最低限安定するために重要な脚なのです。その3つの脚とは、政治、英語、そして音楽。政治は目標、英語は特技、音楽は趣味なわけですね。
 で、このAO入試の書類では主に、特技の英語を材料に目標の政治を語ってみました。かなり堅い文章になった事は間違いありません。でも、それだけでは椅子が崩れます。趣味の音楽も書かなければ、遠藤忍は椅子から落ちますね。それは嫌です。落ちたくありません。前置きが長くなりました。本文も長いですが。要は音楽の事をエッセーにして、この部分を含めた書類全体を通して、私遠藤忍の全体像を伺い知っていただきたいのです。

 私にとっての音楽との出会いは演歌に触れての事でした。幼い頃のカラオケの十八番は演歌。童謡ではなく、演歌。小学生になり、もちろんテレビではJ-Popを耳にするものの、音楽志向はどちらかと言えば古い志向でした。それがあるときターニングポイントを迎えます。洋楽との出会いです。小6の時の担任の影響でビートルズの「1」というCDを買いました。これが人生初のCD。クオリティの高いビートルズの曲は一発で私の頭に入ってきました。いまでも収録曲はほとんど口ずさめます。

 本格的にパフォーマーとして音楽を楽しみ始めたのは中学校から。吹奏楽部のテューバ奏者としての生活がスタートです。本当はサックス志望でしたが、テューバを吹くうちにいつしか低音の魅力にはまってしまっていました。コンクールや定期演奏会など、とにかく演奏する事が好きでした。仲間と楽しく演奏できる事に喜びを感じました。聴く音楽のジャンルは、中2でiPodを手にして以来一気に幅広くなりました。クラシックやJ-Pop、洋楽など、気になるCDがあればすぐにレンタルしてたくさん聴くようになりました。
 中学校当時の私の心で、音楽というものが深い意味を持ったイベントがあります。校内合唱コンクール。3年連続して指揮者としてクラスを引っ張っていきました。特に2年の時は、あれだけ合唱に対して消極的だったクラスが、練習するたびに徐々に一つになっていき、本番の時はものすごい一体感を味わい、皆で音楽することへの達成感と感動を味わいました。音楽で仲間の大切さを深く知るという経験はそれまで味わった事がありませんでした。

 高校に入ってから、音楽が私に与える意味はさらに変化していきました。1年生の10月にアコースティックギターを手にします。地元の友人が駅でストリートミュージシャンをしていて、彼らの演奏を見ているうちに自分も・・・と思うようになりました。自分がギターを演奏するようになって、ストリート出身のアーティストの曲を聴くようになります。高校に入って、いろいろな環境の変化や人間関係などに悩み、へこんでいる日々が多くなりました。そんな辛さを晴らしてくれたのが、友人のストリートライブでした。決して上手とは言えないけれど、アコギのサウンドと彼らの歌声を生で聞くことで心が癒されました。自宅に戻って自分もギターを手にして演奏することでさらに心を落ち着かせていました。日頃聞く音楽はいつしか、自分自身を癒すために聞いていました。歌詞の内容をじっくりと味わい、時に涙を流す事もありました。
 吹奏楽部員としての生活は高校に入っても続きました。最後の1年間の充実ぶりはものすごいものでした。金管8重奏のメンバーとしてアンサンブルコンテストに臨みましたが、最初のうちはなかなか思うようにいきませんでした。女子7人、男子1人のなかでの人間関係は、最初はしんどかった。けれど日を重ねるごとにどんどん仲間としての意識が芽生えました。2ヶ月くらい、ずっと8人で練習する日々が続きました。練習は辛かった、けれど熱い2ヶ月間でした。本番、大きな一体感を感じ、心から仲間と演奏できることの楽しさを感じました。結果は銅賞でしたが、その8人でまとまってやって来たことは、大きな想い出の一つです。
 部員一丸となって準備し練習に励んだ最後の春の定期演奏会。最高学年の一体感はこの頃から高まりました。予想を遥かに越えるお客様に来ていただき、感動していただきました。演奏者自身も、大きな達成感に打ちひしがれていました。
 いよいよ最後の夏のコンクールに向け練習がスタートします。しかし、我がテューバパートは他のパートよりも遅れをとりました。というか、私が下手だった訳です。合奏中やセクション練習中に音が合わなくて何度も怒られてはへこんでいました。毎日ものすごく辛かった。そんなときに大切な事に気づかせてくれたのがストリートをやっている友人たちでした。ものすごく楽しそうにストリートライブをする彼らを見て、「そうだ、音楽は楽しむものなんだ」と、気づいたのです。そしてふと、一緒に2年半部活を続けて来た仲間のことを考えた時、「もっと一緒に演奏したい、一緒に楽しみたい」と考えるようになりました。次の日、突如コンクール曲を吹くことが楽しくなったのです。気持ちを切り替えてから、パート内での音も合うようになりました。日々の練習は依然きつかったけれど、楽しくなりました。夏合宿では朝から晩まで練習漬けでした。それでも50人のメンバーとの一体感はさらに高まっていきました。本番、最高潮のテンションの中、ステージの上では大いなる一体感を感じました。仲間と一緒に同じ時間を共に出来る、それが何より嬉しかった。地区大会から県大会への出場が決まった瞬間、久々に涙が出ました。県大会では結果振るわなかったものの、仲間たちとここまでやり遂げられたという幸せを大いに感じることが出来ました。

 吹奏楽部を引退して、音楽について振り返ってみました。そこには必ず人がいました。私と一緒に音楽をした人がいました。私を慰める音楽を奏でてくれた人がいました。私が音楽を通して得たのは、音楽そのものよりも人でした。人が書いた詩に心動かされ、人が奏でた音に癒され、人とともに演奏することで感動を共有できた。音楽を一つの手段として人とのつながりを意識できたことで、自分にとっての音楽は大きな意味を持つようになりました。音楽を通して出会った人々に、心を豊かにしてもらいました。そのことが、僕にとって誇るべき音楽の成果です。
 「趣味の音楽」と冒頭で書きましたが、こうして振り返れば音楽は趣味の範囲で収まるものではないような気がします。ともすれば椅子の3つの脚のなかで遠藤忍の人間性を形作る最も重要な脚は音楽ではないかと思います。音楽を心から愛しています。これからも愛していきます。音楽に触れることで出会う人たちと、一緒に心を豊かにしていきたいと切に願っています。

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(PC推奨)寝付けない夜の小説

その夜、僕は寝付けなかった。
その理由は分からないけど、なんとなしに寂しかったのは間違いないかもしれない。

夕方から上司に勧められた酒を飲み、いやそれほど多くはないが多動し始め、ついにうめき声を上げながら横になった。
ひー。ひぇー。
意識はある。申し訳ございません、と口が動く。ありがとうございます、と僕の声が聞こえる。

カラオケに行くらしいが諦めた。歌う欲求はいつでもあるのに。だが早く家に帰らないと荷造りができないし、そもそもこの酔いはそんなに早く引きそうもなかった。千葉県が好きな男の車に福島県の男と乗り、車の窓を開け首を出す。気持ちがいい。意外と意識ははっきりしているもんだ。それなのに・・・・・・。情けない。

家に帰ってひたすらソファで落ち着こうとする。だめだ、引かない。首に巻いた濡れタオルは酔い醒ましどころか首を締めつけ苦しくさせる。とりあえず口が粘っこい。麦茶を飲んでも胃の中のアルコール分が中和される気配がみられない。
テレビでは松山がでている。そう思うと中井がでている。全くもって内容は気にしていない。ただその日が日曜であることは、出演者から予想がついた。

電話をかける。はっきりした意識の割にぐらぐらする体を落ち着かせるためには、それくらいしか方法がなかったのかもしれない。別に用事なんてない。「ただ声が聞きたかっただけ」なんてコブクロの歌詞にしか出てこないような言葉が口をついて出てきた。盲目のマジックにかかるとこんな気分になるのか、と思いつつ、何気ない会話が成立していた。

青山テルマがシダックスでChoo Choo Trainを歌っている頃になってようやく、風呂に入る決心が付く。母親の洗濯仕事はまだ終わっていない。ちょっとたって湯船につくと、ホッとするような感情は何一つわき上がってこなかった。
プロのつけたワックスも、僕の髪の毛には勝てないらしく、ただべっとりと髪の毛についているだけ。シャンプー→シャンプー→石鹸→シャンプーという順に髪を洗う。全く環境への配慮がなされていない。こんだけやってそんなに実利がないのなら、別に髪の毛など気にする必要もないだろうが、それでもいじりたくなる。だって男の子だもん。

風呂から上がってパソコンをつける。2ヶ月ほったらかしにした研究会HPの体裁だけ完成させて、あとはSAに放り投げてしまった。でもデザインには自信がある。ブログというものも、やりようによっては日記意外の用途にも使える。
なにを着るか、本当に迷う。荷物は多くしたくない。とりあえず、本番は情熱的になろうと思ってタンクトップの色を赤にした。母親に、スラックスのボタンの縫いつけを頼むが、糸を通すのは僕の役目だ。とりあえず諸々用意はできた。充電の不足はないかしら。急いでカメラと携帯に飯を食わせる。満腹になったらこき使ってやろうと思った。

なんとなしに感じる寂しさはまだ癒えない。母親も寝た。パソコンとテレビがうなりを上げているなかで、まだ若干残る酔いと、そして小さくて無意味な寂しさと格闘せねばならない。mixiのトップページを何度も更新する。足跡ページを何度も更新する。コメントを付けた日記記事を何度も訪れる。そのうち、友人が僕の長編日記にコメントを付けた。まるで地平線のずっと先まで広がる広野のような、広い心でもって彼は僕にメッセージを投げかける。まったく、泣かせるような真似をしやがって。ふと、その友人に対する尊敬と心配が自分の中に存在していることに気づく。とりあえず、僕は背中で語れる人間にならねばならないらしい。

周囲から粕と呼ばれる人がインターネット世界から話しかける。あなたは粕ではない、と言ったら、謙遜しつつ伝説を残したことがあると言い出した。ほんの少しであるが、考えていることや境遇が似ている気がするがそれは定かではない。はっきりしたことは、僕が歌うか歌わないかということは、今日判明する、ということ。
さっき電話した人がインターネット世界から話しかける。至極まじめな話からチョコレートのような甘い話まで多岐にわたって、そのターンテイクは覚えていない。ただ、どちらも舞い上がっていたことには変わりなく、時間のたつのは早かった。とりあえず、相手には「楽しみ!」が多いようだ。よいことじゃないか。その「楽しみ!」が誰かと時間を共有できる楽しみであることに、おおかた間違いはなさそうである。

腹が減る。胃腸がひよっているからあたたかいものを食べよう。そして、夕方に茹でておいたキャベツを鍋にぶち込んでコンソメスープを作った。コンソメが2個だけだったので味が薄い。こしょうをかけすぎたら今度は辛い。仕方がないので辛いまま飲んだ。猫舌男には熱くてたまらない。熱いのは、画面越しに繰り返されるインターネット世界での会話も同様だったのかもしれない。
食べ終わりのタイミングで、夢の世界に行く宣言をしたのが、午前3:30。まぁ3時間寝れば何とかなる、という根拠のない不健康習慣をたてに、とりあえず布団に入った。

・・・・・・しかし、まったく眠気が起きない。

脳内iPodで演奏曲を再生して指を追うけど、逆に目が覚める。座布団をふたつに折って抱き枕にしても、抱く相手が人間じゃないから当然落ち着くわけがない。夢? んなもん見れるわけがない。目を閉じても開けても暗闇の中、意識はさらにはっきりしていく。
傍らにいてほしいと想う人が傍らにいてくれたときのことを考える。それでも眠れない。むしろまた寂しさを覚える。よく訳が分からん。飲んで酔って疲れて温かくなって床についたのに、寝れる要素がたくさんあっても寝れない。僕は不眠症ではないはずなのに。

仕方がない、布団ではなくソファで寝よう、と思ったときには、すでに杉崎美香の午前4時の名ゼリフはとっくに終わっている時間だった。それどころか、時刻は世間的には「おはよう日本」だったから驚く。いくらも眠れないじゃないか、これじゃ寝不足になる。と思いながら横になるけどやっぱり眠れない。
外が明るい。みのもんたも出てきた。えい、しょうがないから海辺のカフカを読むことにする。そうしたら物語は佳境に入った。2つの章を読んで、残りは後回しにしようと思った。もう細部は覚えていないけど、大枠で言うと、もうとにかく繋がりそうな感じが冷や冷やする。

日本全国の朝に向かってズームインする時間になって、もう諦めることにした。電車は7:30だけど、それより1本早い湘南新宿ラインで行こう。炊飯器が蒸気を上げる。飯ができたようだから、TKGにしようと思い立った。卵の量が多すぎて、全部かけると茶漬けのようになったため、あわてて米を足す。いつもの朝食よりも量の多い朝食になった。
ワックスを買ったからつけてみる。案の定うまく行かない。プロがやっても、ワックスの整髪力より僕の髪の毛質の方が勝つのだから、素人の僕がやっても歯が立たない。いいか、前髪を流してトップと後ろは毛束を作ろう。それでも毛束はできない。慣れないことはするべきではないのだろうか。

やることはたくさんあるから、文房具としてのパソコンは必需品である。けれど重い。家を出る2分前になって、おいていく決心をした。でもそれで良かったのだろうか。結局は通学時間を無駄にするだけになる。でも寝るからいいか、とも思った。
ところがだ。全く電車内で眠気がおそってこない。両隣の女性は首をうなだれていて、特に右側の女性は僕にもたれ掛かってくる。申し訳ないが物理的に重い。僕はカフカを手に取るがそれも集中できず、とりあえず携帯に向かって文筆を始めた。

そうして、寝付けないまま、まもなく池袋、というアナウンスが聞こえる。まったく、自分はなにをしていたのだろうか。そして、この寝付けない夜を通しておそってきた寂しさはなんなのだろうか。むしろこれは寂しさだったのだろうか。
予定では10時前に学校に着く。楽器吹くか。

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【長編】覚悟の問題

拙ブログのテーマは人生のアーカイブ。その時々に思っていることを記して、後々見返したときにあのときはあんなことを考えていたのか、ということを振り返るための場所です。ですから、明るいことも暗いことも、まじめなこともバカなことも書きます。今回も、そんなつもりで書きますから、読み飛ばしてもかまいません。

さて、話は我が楽団のことです。
愛しの指揮者軍団のうちの一人が、こんなことを漏らしておりました。

「俺、こんな状態でディズニー吹きたくない」

『世界のリーダー』という記事をみれば分かりますが、実は3日後に東京ディズニーランド・シアターオーリンズにて、我が楽団がステージ演奏をするわけです。3年越しのディズニー演奏ということで、張り切っています。

でも、張り切れていないという事実もあるわけです。
「俺、こんな状態でディズニー吹きたくない」
この言葉を聞いて、ハッとしました。また、録画の時のことが思い出されます。一奏者としての天命は、そして覚悟は。

今回私は、僭越ながらステージMCを共同で務めさせていただきます。キャンパスガイドはまるでジャングルクルーズのごとく、がモットーの私だけに、今回のMCは相当の晴れ舞台かつ栄誉であると思います。人の前で言葉を発するという事にかけてはプロ意識を持っていますから、そのつもりでおります。

って、そんなことはどうでもよく、翻って演奏はどうなのだ、という話です。正直言って、我々の演奏は徐々にではあれ格段にレベルを上げています。OLCの招待を、受けるべくして受けた、というのは団員なら誰もが認めるのではないでしょうか。それだけに今回は、ただ自分たちの自己満足のために演奏するのではないという事を肝に銘じるべきなのです。私たちは、その日「キャスト」になるのです。ゲストに夢と希望を与える、役者になるのです。

役者は、大げさ、というのが私のイメージです。MCを例に取れば、自分を、普段人としゃべるときとは違うモードに切り替え、声量、速度、語尾強調、抑揚を、これでもか、というほどまで大げさにやらないと伝わりません。それは高校時代にさんざんスピーチで鍛えたのでいささか自身はあります。

では、チュービストの自分は、音量、強調、抑揚をこれでもかと大げさにやって、楽譜(=MCでいう原稿)を完璧に再現して、音を届ける・伝えるということがでできるか、としたら、いまの自分にそれはできていません。昨日神奈川フィル定演に行って、チューバがよく見える席に行って改めて思いました、まだ自分は真の演奏者じゃない。結局は自分の満足する演奏でとどまっている。だから
「俺、こんな状態でディズニー吹きたくない」
に、ハッとしたのです。仮にそれが自分に向けられた言葉でないとしても。

いかんせん、人間は過度の自信を持ちすぎると傲慢になってしまいます。私にはその嫌いが相当強くあるようで、それがチュービストとして・キャストとしての覚悟を意図的に薄めているようです。幸いにして、周囲からは私の演奏を認めていただいているように思います。高校時代以上に「うまい」と褒められ、それはもう身に余るほどです。でも、勘違いをしていたのは、だからといって練習しなくていいということではないにもかかわらずそうしていたことです。それって誰の目にみてもマズいですよね。

9年目にして未だよくトチるし落ちるし、空気を読んだ音づくりができないし、早いパッセージでは指が絡まる。そうした技術面での問題点を、練習でカバーすることに対しておろそかさが出る。何より反省なのは、「いやぁ右半分覚えてませーん、えへへ」と公然とふざけた口調で発言する。そこには、各人の覚悟に対する想像力が欠如していることを、後になって気づきます。想像力を欠くことは、さながら罪にも思えるのです。

合宿中に垣間見た、団員のひたむきな姿には頭が上がりません。ここ最近印象に残るのは1年生の熱心ぶりと指揮者の覚悟と決意です。それがすべてではありませんが、ただ彼らは自分に足らぬ部分を自分で埋めようと必死です。その必死さが、すなわち覚悟の問題なのです。団の運営の核にいる者として、また団の演奏を下支えする楽器を担当するものとして、そうした必死さを裏切ってはいけないと思います。

「おまえは、話をすぐに覚悟とか責任とかいうアタマの問題に帰着させているけど、音楽は楽しむものだろ。」
とお考えの方、私は十二分に演奏を楽しんでいます。ただ楽しむだけが音楽ではないという事を自分に言い聞かせねばなりません。みんなで上るステージを盛り上げるのはみんなだし、また盛り上がるのもみんなです。みんなで楽しむという覚悟もまた、重要になってきますね。

もしこれを、我が愛しの団員のみなさまがお読みだとしたら、今一度、今回の演奏に向けた覚悟を考えてみてもらえないでしょうか。まだ残された時間のある中で、最高のパフォーマンスを届けるには、なにができるか。僕は僕なりにその答えを演奏で出せるように、あの録音音源を聞きながら、ひたすら指を動かす練習をしようと思います。

ディズニー演奏まで、あと3日。

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ネコのおもひで

まりえし
なおゆき
じゅんちゃん
ぬこ
えくすたしー
ねこ

どうやらこれらの名前は同一のネコのことを指しているようです。
部室棟のネコ。

ぼくは、そのネコを「なおゆき」と呼んでいました。
SFC公式サイトでネコの話が出ていたとき、梅垣先生の研究会の人がネコを保護して、
なおゆきと名付けていた、というエピソードが掲載されていて、
それから、とりあえず「なおゆき」と名付けました。

Dolceにも足を運んでいました。
部室に入ってきて、追い出すのに必至でしたが、
私とともに副部長をやっているMくんは、すくっと抱き上げて、
いつもなら出さないような高い声でネコを外に出してあげました。

実は僕、あまり動物が得意ではありません。
部室にネコが入ってきた時も、僕に飛びかかりそうになって、
男らしくなくビビってました。
ふとしたときにしっぽでも踏んじゃうんじゃないかって、ひやひやです。

でも、朝方や夕方に足を運ぶと、
なんだか優雅に歩いている姿を見かける訳です。
おまえはいいな、
なんて声をかけたり。

どんなに忙しい時でも、そいつがちょこんと座っていると、
目線をあわせて会話を試みました。
だいたいは、あくびとともに目をそらされました。

そんな経験をしたのは、僕だけではないはず。
ただでさえ忙しくて精神的に追いやられる人が多いであろうSFCで、
ネコの存在は確実に癒しだったはず。

…七夕祭の日に、死んだそうです。交通事故で。

マイケルが死んだ時のように、本当に死んだのかどうか、信じられません。

彼が好きな食べ物って何だったんだろう。
屍に捧げて、ありがとうとでも声をかけてこようかな。

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本番でこそ果たすべき本来の役割

ご無沙汰してます。ここ最近、いろいろと綻びがあって精神的安定が見られませんでした。収束に向かっています。

で、今日は本番でした。
本番が複数回あることは幸せですね。でもそのかわり、妙な緊張感があります。
もしお蔵入りになったとしても次の本番タイムがあるわけですが、むしろ1かいきりの本番の方が、潔さがあると思います。

正直、音声さんとしてのenshinoは、本当にGJなんだと思います。
恵まれた環境を最大限活かして、力量を持っている我が団体の最高のパフォーマンスをできる限りよい形で記録したい。
ディズニーリゾート・ミュージックフェスティバルプログラムという舞台に立てるなら、それに向けてできることは尽くしたい。
それが音声さんとしての役割だと思っていました。
事実、多地点録音は驚くほどの奏功ぶりです。各地点から聞こえる音はショボいとしか言いようがないのですが、それを総合したとき、自分の耳を疑うほどの音ができあがっていました。
正直言います。演奏の聞こえは、間違いなく成功です。

でも僕は音声さんである前に副部長でした。
聴かせる・魅せる音楽作品を集団でつくりあげるのが吹奏楽。その集団にあって、名ばかりでも「まとめ役」である自分には、音声さん以上に担わなければいけない役割があったはず。
「一緒にがんばろうね」というコミュニケーションを果たせたかといえば、全くできていなかった。
気持ちを鼓舞すること。気持ちをつなげること。
それが自分の役割だと気づいていながらできない自分が今日の反省。

そして僕は、副部長である前に一人の演奏者です。
一人の演奏者として尽くせる手を、僕は果たしていません。本分を果たさなかったのですね。
ちゃんと音づくりに参加すること、合奏に集中すること、音楽に没頭すること、冷静に楽譜に忠実に演奏すること。
きりがないほどの反省点、音声さんとして自分のエゴで動いていたことが悔やまれます。特に指揮者M氏には本当に頭が上がりません。僕の全部のパフォーマンスが、まだまだ出し切れていないようです。

みんながんばってます。
あまり練習に来られなかった人も、毎回のように参加している人も、そんな垣根なくがんばっています。
あぐらをかいている場合じゃないなと思いました。

別団体の長にいわれました。
しのぶは物事に本気になったことがあるか、と。
明日示せる本気は、楽器で示したいと思います。

明らかに、Dolceでの「しのぶちゃん」とは違う自分が、これをDolcerに向けて書いているのも不自然でしょうか。
とにかくいま、今日関わってくれた人すべてに感謝しながら、明日は本当の意味でできることをやろう、と思っているところです。

まさに、帰りの夕食で誰かが口に出した、Nobles Oblige。
明日呑む酒の味も、これ次第で変わるに違いないでしょう。

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enshinoProjectってなんだ

現在三田キャンパスでぬくぬくしております。
今日は教職課程センター実施の社会科実力テストでして、これに落っこちると教育実習にいけません。
…受かる気がしねぇ

それでなんとなくネットサーフィンしていたんですが、
私の知り合いで、自分のプロジェクトをWebでしっかり紹介している人がいて、
なんだか焦りを感じる訳でして。

でさぁ、enshinoProjectって実際なんなのかって話ですよ。
具体的になにかProjectをやっているのかと問われますが、
半分正解で半分不正解と言うか。

あのね、Projectという単語を聞いて皆さんは何を思い浮かべますかね。
おそらくSFC生だったら、
1.ある達成目標に向かって一人ないし複数人で起こす行動・作業またはその計画
という意味におけるProjectを思い浮かべるでしょう。
これはもちろん、enshinoProjectにおけるProjectに含意されています。

だけど、本当はそれだけじゃない。

あの、プロジェクターってあるじゃないですか、プレゼンで使うあのアッチッチになるやつですよ。
あれって、「投影機」ですよね。何らかの映像を目の前のスクリーンに投影して、
それを複数人で見ることによって共有する。
あれって、projecterですから、projectする物・人が原義ですよね、
そしてproは前という接頭辞であることを考え、
さらにCDプレーヤーなどの取り出しボタンがeject(e-ject)であることを考えれば
-jectには何かが出てくるという意味があるんだと思います。

で、ここまでの内容を整理すると、enshinoProjectにおけるProjectとは、
2.自分自身の抱いている思いや考えを前に出す・表出する行為
3.表出した・投影させた思いや考えを自分自身で客観的に評価する行為
4.表出させた思いや考えを他人と共有し、フィードバックを得るプロセス
という意味を含む物なのです。

はい、これで分かりましたか?
なぜmixi日記やブログのタイトルがenshinoProjectなのか。
2〜4の意味に照らし合わせれば、思ったことや考えたことをさらけ出すブログのタイトルとしては、
Projectというコトバがふさわしいということを。

でもね、本当は1の意味におけるProjectについてもっと書いていきたいんですが、
なんだかやる気が起きなくてね、ページデザインする時間がなくてね。ほんと。

ん?
なんでこんなことを書いている暇があるかって?
あのですね、これから受ける実力テストの対策でバイト先から借りてきた社会科のテキストが、
過去問に照らしてレベルが低くて萎えたのですよ。

飯食おう。

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八ヶ岳で学んだ技まとめ

レクリエーションはまだまだ素人のenshinoです。

昨年、藤沢市は湘南台青少年育成協力会という地域団体の代表さんに誘われ、
藤沢市所有の八ヶ岳野外研修施設にキャンプに行った訳です。
キャンプファイヤーする訳ですよ、レクする訳ですよ。
もともと人前で喋ってレクとか仕切るのは好きだったので、いろいろやりましたら、
そこに居た補助員さん「かっつん」に目をつけられました。

「君、素人じゃないな。」

そんな縁から、八ヶ岳レクリエーション協会会長のかっつん主催の元、
野外研修施設の野外体験活動指導補助員研修に行ってまいりました。
長ったらしい名前ですがようはバイトで、
今年5、6月にこの研修施設にやってくる藤沢市の小中学生のキャンプのお手伝いをします。
お金は、交通費と宿泊実費はかかりましたが、
なによりスキルが身に付いたことと、おもしろい人達にあえたことが最高でした。

かっつん、やぎさん、ホセ、みゆきさん、
ホルヘ、ひろちん、ひろちんの奥さん、かえでちゃん、おざわさん、
マッチ、あじめ、ベジさん、あぐり、トシ、じんじん、ロン、
いどちゃん、ゆきちゃん、ベンゾー、上田組のみんな、(多分これで全員か)
ほんとうにお世話になりました。

あと、フランスに行くよーくんも、お疲れさんでした。誕生日おめでとう。

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【超長文】成人を迎えた自分を後で振り返るための備忘録

ハタチという節目は、僕にとってあまり大きな意味を持ち得なかったハズなんです。これと言って生活が変わるわけでない。よっぽど、卒業やら入学やらの節目の方が大切で、正直僕が大学入りたてに犯罪犯しちゃったとしても顔出し名前だしOKなんて考えるくらいです。だって、権利と義務が同時発生するだけで、その権利と義務の行使の機会なんて全うに生きてりゃそうそう現れねぇだろ。っつうのがこれまでの考えです。

けど、成人式をやってみて、そいつは違うんだなって思ったんですね。
その権利と義務の発生とやらは、実は相当の重みを持っていたという事ですね。これまでは、法の下で保護されていた立場。子どもという名の下に仕方ないと許された立場。そこから、自己の責任で動かなければ、つまり自分で全て処理しなきゃならない立場になったわけです。そんなこと、18歳の遠藤忍なら法律の文章を読んで理解し出来たはずです。ただ、なってみないと重みはわからないわけです。

見知らぬ人とかお偉いさんとか恩師たちとか、家族からまでも「おめでとう」と言われる。いったい何がおめでたいんだか。でも少し考えてみれば、それは大人への仲間入りとか、独り立ちのゴーサインとか、期待の現れとか、そんな意味なんですかね。成人式典はものの30分で終わりましたが、主催者側にしてみれば、あの式を挙行する本当の意味は、子どもからの決別と大人としての権利・義務の自覚を促すこと、早く言えば、ちゃんと税金納めろよ、というメッセージなのかもしれないですね。まぁ成人者の目的はそんなことでないことはみなさんご存じでしょうが。

かつてやけに大人びていた僕は、しきりに大人と同等の権利を持つことを欲していました。特に参政権、被選挙権ね。それが今、そうした大人の権利を持ち、そのかわり子どもという立場を捨てた。子どもの頃の僕は「よかったじゃん、これで選挙にも行けるよ、酒も飲めるよ」なーんて言うのかもしれませんが、実際はなんだか悲しいもんですね。子どもだったからこそ言えたこと、認めてきてもらえたこと、これからはそんなもの無い。さて自分はこれからどうやって成人した遠藤忍を確立していけばいいんでしょうか。

そういえば、子どもの頃から大人びていた、いやサラリーマンキャラ、ちがうおやじキャラだった僕ですが、その発端は家族(むしろ祖母)の影響だったにしろキャラを確立したのは僕自身でした。そんなこともあり、また髪もたいそういじらず、太りもせず痩せもせず、ただめがねがつけ加わっただけで忍は忍のままで忍として生活してきたら、数年ぶりに再会した多感な時期・中学生時代をともに過ごした仲間の全てから「おまえは変わらない」と言われました。そりゃそうでしょう。おやじキャラは自分で自覚してたんだし、今はそのキャラに年齢の方が近づいてるんですから。でもねぇ。中身はだいぶ変わってると思いますよ。親友の一人は、「何となく変かは感じる」と言ってくれますし。

それでも「変わらない」と言われることは、みんなにも自分にも安心感を与えるんじゃないかって勝手に考えています。5年ぶりに会う同級生は、ファッション・髪型・顔つき・体型だいぶ変化があります。それにそれぞれ当時とは明らかに異なるフィールドで人生を生きている。それでも、口癖に残るなつかしさ、動きに残るなつかしさ、口をついて出る話題、面影、そういう変わらない部分を見つけると、ホッとするんですよね。学年の仲間たちと会って、いい刺激といい安心感を得た気がします。本音を言えば、もっと静かな環境で、一人ひとりの今の進路とか、そんなまじめな話したかったけどKYだわな。

考えると、ハタチってのが特別な意味を持つのがよくわかる気がする。人生20年生きたんだから、そろそろ保護される立場じゃなくなっても生きていけるだろう、体の成長も成熟したし、知識や精神もしかり。そういう理屈でハタチっつうのが一つ。もう一つは、学校教育制度との兼ね合いですね。つまり、義務教育でみんなが同じレールを歩むのが15歳まで。中学校を卒業すると、自分の関心・学力・生活水準などのいろんなレベル・身の丈に合わせた選択肢を取っていく。そうして生活する中で、5年という区切りのいい年をきっかけに、一緒にレールを歩んできた仲
間たちと再会する。互いに懐かしさを共有して、今の近況を話し合って、元気をもらって。そういうことができるからハタチっていう節目に意味があるんですな。そりゃハシャいじゃうわ。式中にプラスチック製バットを振り回したり、開式の言葉を述べる僕に向かって「忍〜」と叫んだり、会場外で酒盛りしてゲロ吐いたり。わかるよ、そうしたくなる気持ち。うれしいもんね。

びっくりするようですが、僕はもう日本人の平均寿命の約1/4を生き抜いてしまいました。そのうち最初の5年間はろくに言葉も交わせなかったわけで、次の5年間は世の中がなんたるかなんて知りもせずに遊びふけってたわけで、その次の5年間でやっと社会を知り、他人とのつきあいを知り、未来を真剣に考えた。その後の5年は素早くすぎて今に至るわけです。怖えぇ。そんな平均寿命の1/4を、家族は暖かく心配してくれてたんですが、口の利けない5年間は何も示せず、遊びふけった5年は当たり前だと感じ、広い世界を知った5年は反発し、そして最近の5年は自分中心になった僕。今ハタチになって、僕は恥を覚えました。何を今更、なんて言い放つ技が身につきました。格好悪いですね。

私を産み落とした母はもうこの世には居らず、私を育てたのは祖母と父と父の再婚相手である今の母です。一緒に暮らす弟と妹とは血のつながりはありません。ま、そんなこといっさい関係はありませんが。ただ、産み落とした母はよくぞ俺を生んだと思い、その命を受けた祖母はよくぞ手塩にかけたと思い、悲しみを背負った父はよくぞ大きく育てたと思い、本来なら他人だった今の母はよくぞ自由に世話をしたと思います。この人たちの存在がなかったら、という問いかけを忘れたとき、僕は高慢にならざるを得ない。これは非常に自己中心的である自分への、自分からの警鐘です。

結局何が言いたかったんだって??
ハタチって節目も意味があるんだなって事がわかったって事ですよ。

携帯からも、くだらなさをご一緒に
MobileDays -enshinoProject!-

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古都が気付かせてくれたこと

北陸回り京都の旅から帰ってすぐに、吹奏楽サークルの合宿に行ってしまったため、旅行中の感動をじっくり振り返ることを忘れていました。

今回の旅でも、またたくさんの写真を撮りました。
前回の只見線・会津のほうは、どちらかというと自然物を取ることが多かったのですが、今回はやはり、金沢・京都が大きな目的地だったので、人工の建築物を撮ることが多かったように思います。

特に、京都の社寺の山門やらお堂やらの写真は、もうタイトルが付けられないってくらい何度も被写体にしていました。
特に、東寺と仁和寺の五重塔の数がかなり多く、仕方がないので何枚か削っていいものを残す始末でした。旅行中は、なんでそんなに五重塔が好きなんだろうと、首を傾げるくらいでした。

京都で回った社寺は、朝の清水、東西本願寺、東寺、二条城、北野天満宮、龍安寺、仁和寺、平安神宮。特に「うつくしい!」と感動したのは、清水・東寺・仁和寺でした。それから、金沢でやはり美しさを感じたのは兼六園でした。
「美しさポイント」は何だったかと言えば、木々の緑と古い建築物がマッチしていたということ。それを感じることができたときに、自然と手にカメラを持っていたのです。

普段見ることができるはずの木々の緑でも、普段とは違った場所に来るとより美しく感じる。これは、この間の只見線の車内で、周囲に自然を感じながら想ったことです。そして、同じことを今回の社寺巡りでも考えた。しかし、明らかに違うことがあります。
それは、今回目にした『緑』は自然のものではなく、人工のものである、ということ。
東寺の庭に感動し、仁和寺の庭に感動し。それらの感動はすべて、庭と建物から感じる美が発端だった訳ですが、それらは全て人工物なんですね。只見線の旅の時は、田んぼは人工物だったし、おそらく山の一部は林業の木々が生えていたでしょうが、大半は自然の緑やら空やらに感動を・美を感じていた訳ですが、ほんとうの「自然」に負けない美しさが京都の社寺や兼六園にはあったのです。

そう考えれば、昔の日本人の美的センスというのはどれだけ高いものだったのだろうか、という思いに耽ってしまいます。庭と建物のデザインがぴったり調和して、そこに美意識を感じさせる点、日本の古い建築を担っていた人々は本当にすごいと思います。
そして、そうした建物の美的センスは、緑色を伴わなくとも、祇園や清水周辺の町家に綺麗に残っていて、それもまたすごいと思うんです。

そもそも日本古来の建築様式はびっくりするもので、良くこんなものを建てることができたな、と舌を巻くようなものが多い。造りが精巧で、木だけで作られているにもかかわらず保ちがいい。どうしてこんな建築物を建てられたのか、それを創造するだけでもゾクゾクします。
それに加えて、美のセンスを追求したデザインをもってくるあたり、日本ってすげぇなって思います。

きっと僕には、まだまだ知らない日本がある。いや、知らなきゃならない日本がある。
それは、日本が育んできた文化。外国語教育、とりわけ英語教育を研究しようとしている自分だからこそ、知らなきゃならないのは世界のことであり、またそれ以上に日本人アイデンティティーの各となりうる日本文化なのだろうと思います。

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