「いま、それぞれの居場所から」を終えて、これからを見つめる

2020年6月22日に、32歳を迎えました。ここまで、総じていきいきとした人生を送ることができたのは、関わった皆さんのおかげです。ありがとうございました。いまはそれから1週間経ったのですが、誕生日直前の週末、31歳最後の一大イベントとして実施してみた、オンラインインベント「いま、それぞれの居場所から」を振り返ってみたいと思います。

公称2時間、実態としては3時間ほどになるオンラインイベントを3本も主催し、しかも日曜の午前には登壇者として招いてもらった別のイベントにも3時間近く登壇していたので、12時間近くもPCの前に腰を下ろし、デスクライトの光を美人ライトがわりに浴びていたわけです。しかもだいたいのプレゼン資料は直前の急ごしらえでした。体力的には疲れていたはずですが、しかしその実、全然疲れなかったんです。

それは、これから書こうと思うようなことによる多幸感に包まれたからであり、それぞれのセッションを終えて感じたのは「豊かだ」という感覚でした。その「豊かさ」に包まれたという意味で、今年の誕生日は、おそらく今までの人生の中で一番、別に何の節目でもないにもかかわらず、とても幸せな時間を過ごすことができたと思っています。 続きを読む

学年通信への文筆 – 「お互いを分かり合い、信頼し合う方法 – #BlackLivesMatterから」

※タイトルに書いた学年通信への文筆そのものは、この記事の中段にあります。

この仕事をしていると、「腹立つ」と思うことが多い。

思春期においては、それはどうしようもないことなのだと分かっているが、「うざい」とか「きしょい」とか「だるい」とか言われるし、こちらが授業で説明をしていたりすると(こちらがそう捉えるところとしての)不規則発言で遮られるし、そのくせ話を聞いていなかったり学習活動に取り組もうとしなかったりするし、それでいて挙句「先生の授業はわかりにくい」とどストレートに言われる。

去年の最初はそういう反応にガチギレし、その後そうした反応に心を痛めつけられ、今では「腹立つわ〜、マジ今感情がコントロールできん」と言いながら相手をいびるという形でようやくコントロールを図れるまでにはなってきたが、それにしたって「腹立つ」という感情から離れられないので、まだまだ甘ちゃんだし、んにしたってこちらも一人の人間なので、そこまで聖人君主然とはできない。

本題からずれた。前述したような「腹立つ」はどこか、瞬時にどうにか治められる感情で、まぁ「小さいこと」なんだが、それはこの仕事になってから増えた気がする。他方、前職時代にときたま感じていたような、誰に対してという訳ではないが、構造上存在するような、とうてい一人の力ではどうにかできるものではない、理不尽ともいえる状況に対する、ふつふつとした怒りは、感じることは減った。

しかし今週、詳しくは言わないが、隣のクラスのある状況に出会した際に、具体的な誰かにではなく、しかしその空間に横たわる雰囲気と状況に対して、久々にふつふつとした怒りがこみ上げた。それは、信頼関係にまつわることであり、そしてともすれば、それはどうしても人々の心に蔓延ってしまう、差別を生みかねない無意識の心の動きにまつわることであった。もちろんその怒りの矛先の一つには、自分自身も含まれていて、つまり自分もそういった「無意識」を発動しかねない気もしていた。

そうして僕は、その怒りがこみ上げた日の午後の授業で、#BlackLivesMatterを引き合いに出し、生徒たちにこう突きつけた。「君たちの雰囲気に、こうしたことを起こしかねないものを感じた」と。いや、行きすぎた表現だったかもしれない。それでも、自分への戒めも多分に含みながら、人は分かり合えないこと、自分に危害を及ぼすと思しき相手を無意識に遠ざけ敵視しかねないこと、それでも、あるいはだからこそ、わかり合う努力を必要とすること、という話をした。あまり響いた感じはしなかった。

それで、以下の文章を学年通信に著した。このブログ記事に書いた通り、昨年度に期せずして最終号となってしまった学年通信に好き勝手なことを書いて以来、自分の中のたがが外れて、本当に好き勝手書いている。どうしても、学年の雰囲気を鑑みたときに、これを書きたかったし、片方のクラスしか#BLMの話をしなかったので、もう一つのクラスにも知ってもらいたくて、知識も浅はかながら書いた。教頭先生チェックは通過したし、学年主任からは「文才が素晴らしい」と言われたので、思ったより「好き勝手」とは思われなかったようだ。


お互いを分かり合い、信頼し合う方法 – #BlackLivesMatterから

6月23日(火)には、避難訓練がありました。不審者対応の避難訓練ですが、その背景には、今から19年前の6月に起きた、大阪教育大学附属池田小学校での事件があります。8人の小学生の命が奪われた事件を二度と繰り返さないように、学校をみなさんの「安心・安全な場」にするためにも、教職員のみならず、生徒の皆さんも自分の身の安全を確保することを心がけたいものです。

一方で同じ日は、沖縄慰霊の日でした。4人に1人が命を落としたといわれる、太平洋戦争の沖縄戦が終結した日。多くの命が失われることになった戦争を二度と繰り返さないためにも、生きたくても生きられなかった人々に思いをはせるのもまた、とても大切なことではないでしょうか。

学年通信の担当者は思うのです。どうすれば、お互いを憎しみ合うことなく、分かり合えるのだろうかと。しかし人はどうしても、自分が見知らぬ存在を「自分の身の安全をおびやかす」と思い込み、遠ざけたり敵意を向けたりする習性があるようです。担当者が観ていたアニメ「ソマリと森の神様」というファンタジーでも、異世界の種族が人間のことを「種族の見た目が違うだけでどうして残酷なことをするのか」と言うシーンがありました。これは現実世界にもあることで、私たちが持ってしまいかねない心の動きでもあります。

今、アメリカでは、#BlackLivesMatter という運動が起きています。警官によって黒人男性が命を落とすこととなった事件から起こったこの運動の背景には、アメリカに存在する人種差別問題があります。様々な見方・考え方がある問題ですが、相手に対する印象【だけ】で相手のことを判断してしまう、人間の特性が引き起こした事件だったとも言えます。では、私たちにできることは何なのでしょうか。サンリオのキャラクターたちが、「よりよい友人や味方になる」ためのヒントを教えてくれています。

 

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Friends are always there for one another. Here are some tips on how to be a better friend and ally 💕

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「話を聴く(LISTEN)」
「支える(SUPPORT)」
「学ぶ(LEARN)」
「質問する(ASK)」
「認める(ACKNOWLEDGE)」

思春期を過ごすみなさんの気持ちは、心の成長過程の半ばであることやホルモンバランスの関係から、安定しないことも多々あります。だからこそこの5つのヒントから、互いに分かり合うためにできることを考えてみませんか。


確かに、日々腹が立つことは以前に比べて多くなった。それはきっと、前職時代までの「オトナ」のコミュニケーション、言い換えれば、交わされる語彙が豊富であり、また何らかの「共通目的」を持ったコミュニケーションだったものが、現職においては「生身の」コミュニケーション、または語彙数が豊富でないが故の感情剥き出しのコミュニケーションになったことが原因だと分かっている。私はまだ未熟なのだが、やっぱり先達側であるこちらが、心を広く持たないとならない。

で、別に自分が何かを言われるのであれば100歩譲ってしょうがないし別にいい。けれど、自分はこと他人に対して、というか信頼をおいている仲間に対して、その存在が毀損されかねない状況になると、どうしても「ふつふつとした怒り」を感じかねないようだ。どうして、こうも分かり合えないのだろうか。どうして、こうも分かり合おうとしないのだろうか。その問いは、自分が「それでも最後には、人は分かり合える」とどこかで信じていて、それが叶わないことに対する失望でもあるのかもしれない。

僕自身は、平田オリザ氏の「わかりあえないことから」という本に修士論文執筆中に出会い、そもそも他者は自分とは完全に異なる存在である以上、完全にわかり合うことなんて無理だ、というところからコミュニケーション行為を紡いでいく、という彼の論旨に至極同意したので、「分かり合えない」ことを前提にしている。余談だが、平田オリザ氏の論は好きだったが、その後受講した青学WSD育成プログラムで平田氏のワークショップを受けた際、僕が勇気を出して挙手して発言したのを公開処刑が如く思いっきり否定された経験があり、心理的安全が毀損された思い出があるので「ふざけんな」と思っている節はある。

話がまた逸れた。僕は、たとえ「分かり合えない」ことが前提であったとしても、それは分かり合う余地がゼロな訳ではないと思っている。むしろ、互いにとってのイイカンジの落とし所は存在すると思っていて、それを互いに探り合うことこそがコミュニケーションだし、その落とし所の積み重ねこそが信頼関係だと思うのだ。それが、私のVision・Mission・ValueのValueにおいている

「わたし」とは違う「あなた」と
いっしょにうまいことやって
「だれか」に役立つことをする

という表現につながっている。

相対する「あなた」が、「わたし」と違う存在だからといって、
ラインを引いて分け隔てていいのだろうか。

どこかに分かり合える部分がないかと探っていくことは、
そんなに難しいことなのだろうか。

いや、難しいんだと思う。その意味では、学年通信に記載したアニメ「ソマリと森の神様」で柴田理恵さんが声優を務めたローザおばさんが言っていたストーリーのなかでの人間の描写は真理だし、やっぱり「分からん相手は敵」というのは元来備わった防衛本能な気がする。だからこそ、その「本能」を解きほぐし、「分かり合えない」ことを、そのままにせず、少しでも「分かり合う」ための方法を学んでもらうことが、私の教員としての役目の一つだと信じてやまない。

サンリオキャラたちが提示した5つのヒントは、こうして記事を書いている自分自身に対してもまた、つきつけられるべきものだと思っている。決して生徒たちの意志ではなく、ただ彼らの成長過程が道半ばであるということからくる、語彙の少なさや感情表現の未経験さ、そして接する人の事例の少なさが故に生じてしまう、こちらが「敵意」と感じてしまったり、あるいは「コントロールしたくなる」情況に対してこそ、学び・尋ね・聴き・認め・支えるということが必要となるのだ。

この仕事についていると、自分が言った言葉はだいたいブーメランである。自分自身が「できた人間」である必要を感じるが、しかしだいたいそうもいかないので、「人間そこまで、分かり合えないし、完璧にはなれない」ことを前提にしながら、相手にていねいに接していこうとする気持ちは忘れないようにしたい。そうした接し方こそ、「分かり合い信頼し合う」ためのヒントを相手に配ることにつながると信じて。

おもんぱかって、つきすすむ – 「この状況で」への葛藤

分散登校が始まる週になるまでもう少し。自宅のリラックスチェアに腰掛けて、仕事をするでもなくMacを膝に置き、ものかきに耽る。こんな心落ち着けられる土日を過ごしていていいのだろうかと思う部分がある。世間は大変なのに。

「世間は大変なのに」

正直、その感覚から離れてしまっている自己認知があって、後からそれに気づいて自分にげんなりする。それが、日に日に増す。慮りが足りていない自分自身への嫌悪と、だからといって何かができるわけでも何かをしているわけでもない自分自身への嫌悪と。

せめてこうして書き記すことで、碇をおろし、いまここを見つめ、結局灯をともせるように、すこし「ぐるぐる」としてみよう。 続きを読む

期せずして最後になった学年通信に「担当者が書きたいことを書くコーナー」を載せた

ご存じの通りの一件があり、期せずして今年度がもう終わってしまいました。今年度、初年度なこともあり学年通信の担当になり、毎号平均2000文字程度(ルビの文字含む)の文筆をしてきました。どこかで「担当者が書きたいことを書くコーナー」というのをやりたいと思っていて、3月にそれを書こうと思っていた矢先の、突然の休校。なので、期せずして最終号となった学年通信に、無理やり「担当者が書きたいことを書くコーナー」をつくりました。自己満足満載な文ですが、書いたものを見返してみると、自分がいかに、ことばや書くことにこだわってきたのかが思い起こされます。では、ちょっとご覧ください。 続きを読む

リーダーシップと、本気であるということ:2019年の学びの振り返りとして

教員になって1年目となった2019年がもうすぐ終わろうとしている。多くの人が振り返りをしているのだが、私は今日、今年を締めくくる記事として、赴任して2ヶ月となった5月にあった、体育会でのエピソードを紹介したい。これまでも、子どもたちと関わる活動を通じて自分自身学びや気づきを得てきたが、生徒たちと日々生活をすると、多くの学びを得ていると思う。そのなかでも、忘れられない・忘れたくないと思える、「リーダーシップ」にまつわる話なので、書き出しておこうと思う。 続きを読む

#人事ごった煮 宮古島交流会レポート: 「ソトのこと・ナカのこと」

11月30日と12月1日、1泊2日の弾丸で宮古島に行ってきた。以前にもブログに書いたことがある人事コミュニティの「人事ごった煮」の超交流会と称して、ごった煮の常連でもあった元人事・現グランピング施設COOの方、そしてまちづくりのデザインを行う企業の宮古島での事業責任者の方のご厚意で、宮古島に人事界隈の人々が集まる、という会に参加してきた。すこし真面目なインプットをして、あとは食卓を囲んだり、風呂を共にしたり、お酒を介したりしながら交流しましょう、という会だった。

本当は行くか迷った。飛行機代もかかるし、行っても滞在時間は短いし、部活動もお暇をもらわねばならないし。それでも、教員になったから余計になのか、いろんなコミュニティに触れつづけながら、それを広げていくことに価値があると思って、思い切って参加した。そしたら、思った以上にインプットが多かった。

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[ORF2019 Pitch原稿] SFC、サラリーマン、そして教員へ:半年間で見えていること

去る2019年11月23日、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)が毎年開催する研究発表イベント “Open Research Forum” (ORF) にて、12分間でプレゼンを行うPitch企画に参加してきました。「SFCスピリッツの邂逅」と題された枠において、今回のORF2019のテーマであるBeyond SDGsをちょっと踏まえながら、教員になってのこれまでで思っていることについてお話する機会をいださきました。

1ヶ月前にはプレゼン資料提出ということで、当然ながらそんなに前から話す内容がまとまるわけもなく、とりあえず資料を作ったあと、久々にプレゼン原稿を作成し、何人かに見てもらいました。具体性が見えにく、そもそも言いたいことが定まっていない、などのフィードバックをもらいましたが、どれも図星に思えたまま、本番を迎えました。用意したスライドを10分程度で喋り終えてしまい、「やばい、2分あまった」となって、慌ててアドリブ。ただそのアドリブが、聴衆にいちばん受け入れられたそうです。

当日の様子は後日動画化されますが、先立ってここで原稿と一部スライドをご紹介します。(※追記:2020年3月18日に動画が公開されたので、記事の最後に張り付けています)

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「暖かさ」をつくりだす存在になりたくて

ふと、文筆をしたくなった。テーマはなんでもよかったので他人から募集した。そしたら思った以上にいろんなお題をいただいた。それで、一本すでに書いたのだが、他に「暖かさ」とか「心地よさ」とか「なぜ日本の若者たちは、見えない将来の漠然とした不安を覚え、目の前のことに注視できずに日々を憂鬱に過ごすのか」とか「文科省が提案する教員の変形労働時間制について」とかのお題をいただき、その辺をぐるぐるさせた結果、ちょっとした弱音の文章ができあがった。

なお、前述のお題にもどストライクでは応えていないし、他に「エモい、とは?」とか「偶然と運命の違い」とか「今いる地域の実情」とか「先週ほっこりしたこと」とかのお題も残っているが、それはまた追って。 続きを読む

「帰る場所」を、つなぎとめるもの

ふと、文筆をしたくなった。テーマはなんでもよかったので他人から募集した。そしたら友人が「自分が生まれ育った家という場所について」というテーマをよこしてきた。彼の家は、台風19号の冠水被害を受けている。それで少し、考えを巡らして、1,500字程度に収めてみた。 続きを読む

講演録:「採用活動」から、就活を考える

先日、『職業講話「サラリーマンとしてはたらく」』を書き終えてFacebookにシェアした。幸い、「いいね」を多くいただいたけれども、実のところ、あれを読んだ人がどんな感想を持ったのかが知りたかったわけで、もうちょっとコメント欄で対話をしたかったというのが正直な所である。あの文章はある意味、ここまでの社会人生活の、一つの区切りとしての棚卸しになったわけで、私なりの考え方として世に問うてみたかったものだった。

んで、実はあの職業講話の3日後、今度は仕事として、とある大学のサブゼミで、本業の一環として大学3年生向けのワークショップをさせてもらう機会をいただいていた。マーケティング関係のゼミで、弊社が協賛するゼミ対抗のマーケティング大会の運営をしているゼミの3年生向けに、就職活動をテーマにした勉強会をする、ということになっていたのだ。

で、案の定いろいろ間に合ってなくて、例の職業講話を終えてから間髪入れずに資料を作り始め、結果的にスライドの完成は講演の20分前だった。しかもそのときは、金曜日に石巻で職業講話をしたあと仙台泊、土曜日は大阪に移動して、日曜日は大阪で仕事、後泊して月曜日の昼頃に移動して昼過ぎに講演、という、かなりハードスケジュールのなかでコンテンツを作った。

その割には、というか思った以上に、私自身の「人事としての固定観念」を整理したものになったので、今回もまた書き留めておこうと思う。 続きを読む