最近の「ゆるやかな生きづらさ」について:②交流会での初対面が苦手

「生きづらい」ということばが、さまざまなところで聞こえてくる世の中になった。それまでの世の中では顕在化しにくかった、あるいは、表出させづらかったさまざまな「生きづらい」を、世に放っても受け止めてもらえるようになったのかもしれない。あるいはそもそも、世の中に発するための方法が多くの人の手に渡ってきた、とも言えるかもしれない。

しかし、依然として「生きづらい」というのは、大きなもの・深いものと捉えられるように思えていて、そしてその「生きづらさ」に対してさまざまなラベリングがされるようになってきたが故に、そのラベリングにハマらないものは、かえって「生きづらい」というには及ばないようにも思える。きわめて個人的な、うっすらと感じる「生きづらさ」を発することが、かえって申し訳ない、と思うほどに。

しかし、いかにそれが、うっすらと感じる「ゆるやかな生きづらさ」であったとしても、自分にそうした感覚があることには違いなく、その「ゆるやかな生きづらさ」を、どうにかやりくりしながら、それでもなんとか生きている。共感してほしい、というよりも、自分はただ、そうした「ゆるやかな生きづらさ」を、受け止められる存在でありたいと思うが故に、ただここに、吐き出しておきたい。

そんなシリーズ。2本目は「交流会での初対面が苦手」という、「ゆるやかな生きづらさ」について。 続きを読む

2022.06.12 – 理想未来宣言:ミライフ・キャリア・デザインを終えて

2022年の3月から、株式会社ミライフの提供する、自分のキャリアと向き合うプログラム「ミライフ・キャリア・デザイン」(MCD)を受講していました。本日、その最終日を終えました。

Teach For Japanのフェロー期間中に抱いた新たな志にやぶれ、それをバネにして「えらんだミチをかたる」という生徒向けのキャリア教育プログラムを企画したくせに、とうの企画者がキャリア迷子に陥り、転職活動で迷走するという状況だった、年明けから年度末にかけての3ヶ月間。本当に自分がしたいことはなんなのかを見定めるため、藁をもすがる思いで飛び込んだ、仲間と共に自分自身について見つめた3ヶ月間。その最終日にあたり、自分の「理想未来」を宣言するプレゼンテーションを行いました。

5分間のプレゼンテーションを、完全に再現はしきれないものの、少し言葉を加えて、どんなプレゼンをしたかをご紹介します。先に言えるのは、開き直った結果、今までの自分の在り方の延長線上に、在りたいように在ればいい、ということに気づけた、ということです。

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学年通信文学「学年教員のえらんだミチ – ⑦遠藤忍先生」

教師の職を離れて3ヶ月が経ちました。新しい環境で、新しい仕事についていますが、ときおり思い出すのは、学校での日々。その日々において、毎週欠かさず行っていたのが、学年通信を書く仕事でした。年間40号程度を発行し、毎号かるく2,000字程度を執筆してきたのですが、ネタさえあれば苦には思わず、楽しんで書いてきました。そのうちの一部は、このブログにも掲載しています。

さて、2021年の年末ごろから、私は、学年に所属していた私以外の5人の教員と、学年につきっきりになってくださった介護支援員さんと、そして年度末で定年退職をする学校長の、合計7名のインタビュー記事を作成しました。シリーズ名は「学年教員のえらんだミチ」。2021年度には、社会人と中学生の2on1キャリアセッション「えらんだミチをかたる」を実施していたので、この学習活動のタイトルにひっかけ、学年教員たちが、どうして現在の「えらんだミチ」に至ったのかを紐解いていきました。

先生方にあらためてじっくり話を聞き、その人を突き動かすものに迫った上で、私の目線で編集をするというプロセスは、とても豊かな時間だったと思い返します。残念ながらそれらの記事はここには掲載できませんが、今回は、ひとしきり全員の記事を書き終えたのちに、自分で自分のインタビュー記事を作成した、私に関する記事を掲載します。

毎回、印刷前レビューをしてくださっていた教頭には、「なんだか、遠藤先生のものが、いちばん『迷っている』感じがするね」と言われました。そう、その当時の私は、迷っていたんですね。でも、その「迷い」も、教員の一側面だったと、今では思います。 続きを読む

OriHimeが教室に来た話 – 道徳「『障害』を越えて – OriHimeパイロットたちの希望」

2019年の4月に出会い、そこから3年にわたって、学年団副担任・英語科教科担任として関わってきた45名の生徒の卒業を見届けて、早1ヶ月以上経ちました。彼らがすでに営みを始めている、それぞれがえらんだミチにおいて、より豊かに生きていけることを願ってやみません。

この45人との日々においては、メンタルブレイク寸前に至ったこともあったし、突然の休校に迫られたこともあったし、コンセプトのもとに集った生徒たちの自主性に感動したこともあったし、成長の尊さと、生身の思春期の人間に向き合うことのしんどさを、この3年間でだいぶ感じてきました。そんな45人の生徒たちの良さを、多くの同僚は口を揃えて「いたわり・やさしさ」と表現していました。

この記事は、この「いたわり・やさしさ」という良さに対して、あえて揺さぶりをかけることで、それでもやはり「いたわり・やさしさ」、いや、「おもんぱかり」を持って、それぞれの進路に進んでほしい、という私の願いから実践した、道徳の授業「『障害』を越えて – OriHimeパイロットたちの希望」に関する記録です。背景や経緯と、授業の進行を、それぞれ章立てしていますので、目次からご覧ください。

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私の Vision / Mission / Value

明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、年頭のご挨拶も兼ねて、これまでと変わらない、今後の自分の在り様を表す Vision / Misson / Value について、その背景も含めて書き記しておきたいと思います。

というのも、2022年には、拠点やら仕事やらにおいて、変化が発生することが見通せている状態であり、そうなったときに、すくなくとも3年前に設定した自分の Vision / Mission / Value のうち、特にMissionが変わってきそうな気がしたのです。しかし少し考えてみて「いや、変わらないな」と気づきました。しかしながら、対外的なプレゼンで Vision / Mission / Value を出して話すことは多いものの、それがいったいどういう意味なのかを文面に起こしたものがないことに気づきました。そこで、改めて自分に言い聞かせる意味でも、年頭の目標設定のごとく執筆をしておこうと思います。

Vision
この生きづらい世の中で
勇気と気づきが
まだ見ぬ明日を切り拓く

Mission
学校と社会をなめらかに

Value
わたしとは違うあなたと
一緒にうまいことやって
誰かに役立つことをする

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なれない革靴で、足が痛い

ただいま、飯塚。ただいま、我が家。

ここのところ東京に行きまくっていた。懲りずに受けた国家公務員経験者採用試験(係長級(事務))のために、10月初旬と11月初旬に、さらには試験通過後の某省の官庁訪問のために11月下旬に。すべて自費の交通費もバカにならないが、冬のボーナスで精算。

そこへきて、この週末にまた上京。大学時代からプロジェクトを共にした後輩ながら、気づけば飯塚の地で私より先に学校教員をしたTFJフェローの先輩。彼女のプロジェクトも引き継いだ部分があった、ということもあり、「いったい俺は何枠?」というところで列席した挙式と披露宴は、晴天に恵まれ、暖かい演出のもと、つつがなく行われた。めでたい。

そこへきて、土発日着にすればよかったものを、金夜発にしてしまい、そして徹底的に荷物を減らそうとした結果、昨年購入してそれから登場機会の少なかった革靴を履いて、その革靴で2泊3日を過ごした。

結果、足が痛い。 続きを読む

“Try Something New” という生徒会コンセプトをめぐるいきさつ

生徒会顧問教師をしています。

マクロミル勤務時代は、人事として、現場のマネジメント課題に対して寄り添ったり、社員の成長を願いながら手立てを講じたりしてきましたが、その実、マネジメント職にあったことはありませんでした。チームメンバーをもって、成果達成のための仕事にあたる、という意味でのマネジメント業務についたのは、生徒会顧問としての職務が初めてでした。

2020年1月に発足した令和2年度執行部、そして2021年1月に発足した令和3年執行部の、2つの年度の担当をして、どちらの年度の執行部でも、期初に「年間コンセプト」を定めることにこだわりを持ってきました。つい先日、令和3年執行部・2学期の一大イベントである「文化発表会」を終えたのですが、今年の文化発表会に向けた取り組みは、この年間コンセプトを体現したと言っても過言ではない活動になりました。

タイトルにある “Try Something New” は、その令和3年執行部の生徒会コンセプトです。正式には

Try Something New
〜おそれない・みはなさない・あきらめない〜

という表記です。今回は、このコンセプトの出自と、そこにこだわった結果、起きたことについて、書いていきたいと思います。 続きを読む

学年通信文学「環境は人に意志を抱かせ、その意志が未来を切り拓く」

学年通信を担当しています。

かれこれ3年目。もう2年目の後半くらいからは、私が好き勝手にいろいろと書いてきています。過去にはこんな記事も書きました。

期せずして最後になった学年通信に「担当者が書きたいことを書くコーナー」を載せた

学年通信への文筆 – 「お互いを分かり合い、信頼し合う方法 – #BlackLivesMatterから」

学年通信文学「修学旅行で泣いた私」

そして、2学期のスタートに寄せて、そんなに長文を書かなくてもいいのに、筆が乗ってしまったのでついつい長い文を書いてしまいました。国語の長文問題を解かざるを得ない生徒たち向けの、読解トレーニングの一種だと自分に言い訳をして、いつも長く書いてしまいます。今回はその全文を、皆さんに共有しようと思います。 続きを読む

教員が「社会」に十分通用する4つのポイント – TFJフェローの修了論文として

Teach For Japanのフェローシッププログラムの2年間を終えた。

最低もう一年、2021年4月からを今いる福岡県飯塚市で、教員として過ごすことにした私にとって「終わり」という意識はこれっぽっちもない。けれど間違いなく、寄付者からの応援と、職員からのサポートと、同じフェローどうしの支えを受ける、という立場は終わりを迎えた。

日本全国から、教員免許の有無・社会人経験の有無に関わらず、教育への熱意を持つ人を集めて、地方自治体に常勤講師としてマッチングをするフェローシッププログラム。このプログラムの一つの意義は、2年間という限られた期間の中で、教育現場でもがきつつもチャレンジをする、その姿自体と、そこから見えてきたことを、世の中に発信することを通じて、教育という social agenda に光を当てることにあると思う。一人のフェローが起こせるソーシャルインパクトは小さくても、そのストーリーが誰かにとっての力となり、違った形でインパクトを生む、ということを信じるほかない。

3月27日にプログラム修了式を迎え、修了生としてプレゼンテーションをした。タイトルは「僕はこの仕事に向かない」にした。この話を職場の同僚に話したら、自虐がすぎると言われたが、私にとっては自虐というよりも自戒に近い。それほどに、私の2年間は「人としての足らずを知る」期間であり、自慢したいキラキラする実践にもチャレンジできたが、それ以上に教員という仕事の「しんどさ」と「とうとさ」を痛感するとともに、奇を衒ったものではない「ふつう」の実践を遂行するプロ性にこそ、他の職業に比しても誇れるスキルやコンピテンシーが詰まっていると感じた。

大学と院で外国語教育学を学び、教員免許も英語と社会を取得し、それでも民間企業に出てマーケティングと人事を務め、かたわらで教育系NPOの活動に従事し、なるべくしてなった教員という仕事。準備を重ねてもなお「太刀打ちできない」と感じるほどに、誇ってしかるべきこの仕事は、その実、学校外からは「やりがい」という情緒的側面で認識されるにとどまる気がしている。そして、いやむしろ、その情緒的側面での捉え方をしているのは、かくいう教員自身であり、いわゆるビジネス界との共通言語を持たないが故に、ある種不当に「社会に通用しない」と思い込まされているところがあると思う。

文科省が展開している #教師のバトン というプロジェクトが、スタート当初に阿鼻叫喚の様相を呈したように私の目には映ってしまった。思ったことは二つで、一つは、多くの教員が「そんなことよりこの大変さをなんとかしてくれ」という叫びを上げているんだなということ。もう一つは、しかしその叫びが自らの仕事に対する印象、あるいは魅力や価値そのものを下げるに至っているんじゃないか、ということだった。文科省もお気楽と性善説でこうしたプロジェクトをやればどうにかなるだなんて思っているとは考えられない。現場の状況をわかってもなお、スパゲッティ・イシューと化した学校教育の諸問題に対する、チャレンジの一つだろう。

私にできること。それは自らのミッションである「学校と社会をなめらかに」するために、いまや学校サイドにいる人間として、「社会」と呼ばれる側の共通言語を用いて、教員の魅力を語ることにある。勝手ながらにそう思っている。今回は4つのポイントでそれを語っていく。

  • 授業設計と事業企画のプロセスは似ている
  • 教員はピープルマネジメントのプロである
  • 教員の仕事は企画職としての機会だらけだ
  • 学校はマーケットと流行の縮図とも言える

まるで修了論文みたいなもんだと思って、いつもの長文はご容赦願いたい。まとめるのは無理だ。それほどまでに想いと誇りがある仕事であり、たとえ「僕はこの仕事に向かない」としても、「それでも果たすべき責任がある」といって、この仕事にとどまることを決意した、その覚悟が故の文字数である。 続きを読む

文部科学省職員になろうとしたけれど面接で落ちたので、考えた結果もう一年飯塚に残ることにしました

年末である。いろんなことが起きた2020年だった。振り返りの記事を書く人が多い中、今年の年末は家で過ごす人も多かろうから、そういう方にとっての暇つぶしくらいにはなるだろうと思い、私も1年の振り返りの記事を書くことにするのである。このブログは、自分が自分らしく自分を表現できる舞台である。関係各方面から怒られさえしなければ、恥ずかしみもなく、陰も陽もひけらかすのである。

といいつつ、去年この記事でやったように、1年のなかでのある一部分を取り出した内容を中心に展開する。本当にこの1年、いろんなことがあったわけだが、10月から11月にかけての、標題にあるような顛末が、ある意味今年のハイライトになってしまった。それくらい、私にとっては大きな出来事であった。

記事のタイトルも

「得たいと思ったものを得られなかった話」

とか

「キャリアの挫折を味わって、そしてその後について」

とか、バリエーションを用意できたのだが、どうせここから書いていく内容も、グジグジとグルグルするだけで長文になるしかないのだから、もっともストレートにメッセージを伝えられるタイトルにしておこうと思ったわけだ。一応、冒頭で珍しくサマリを書いておくと、以下の通りになる。

  1. この状況下にありながら、TFJフェロー2年目は成果を出しまくったと思う
  2. 自分の強みは「企画屋」としての振る舞いだと考え、国家公務員経験者採用を受けた
  3. 経験者採用試験の合格者名簿に搭載されたが、「即戦力として光るものが見えない」とのことで、官庁訪問終了となった
  4. いろいろ考えた結果、あと1年は飯塚に残ったほうがいいと思い、講師登録を出した
  5. 来年度にやりたいプロジェクトが頭に浮かんでいるが、その先のことは一切見えていない

では、つらつらと書き始めてみようと思う。(書き終えての追記だが、18,605文字になった) 続きを読む