2023年12月に、こんな記事を書いた。
現在住んでいるソーシャルアパートメントで、”Share Our Culture!” をコンセプトにしたイベント・Higashi-Jujo Neigbors’ Culture Day 2023を開催した。いわゆる「大人の文化祭」なのだが、そのなかで「シークレット・ライター」という企画を行った。これが思った以上に大きな反響を得たので、どうやって思いついて、どうやって取り組んだか、記録に残しておきたい。 続きを読む
2023年12月に、こんな記事を書いた。
現在住んでいるソーシャルアパートメントで、”Share Our Culture!” をコンセプトにしたイベント・Higashi-Jujo Neigbors’ Culture Day 2023を開催した。いわゆる「大人の文化祭」なのだが、そのなかで「シークレット・ライター」という企画を行った。これが思った以上に大きな反響を得たので、どうやって思いついて、どうやって取り組んだか、記録に残しておきたい。 続きを読む
「ねーねー、〇〇たべたい」なんて一言を「えー」と言いながらも受け止めて、そこから、どうやってなにを作ろうかをひとしきり考える。冷蔵庫には何があったっけ。足りないものは、歩いてコンビニまで行くか、チャリでスーパーまで行くか、どうやって調達しようか。頭のなかをぐるぐると駆け巡っていく「ああしよう」「こうしよう」たちが、ついに一つのレシピに辿りつく。わたしは料理をし始めると自分の世界に入ってしまいがちで、だからあたまのなかに浮かんだ手順を進めようとすると全てを自分で取り組もうとしてしまう。そこに「ねぇ、いっしょにつくろうよ」と言ってくれるおねだりの主。あーしてこーして、というのをおねだりの主に伝えながら、出来上がった共同作業のお昼ごはん。破れが補修されたソファに座ってからの「いただきます」、一口目がそれぞれの口に運ばれた刹那、おねだり主から「めっちゃおいしい、最高じゃん」という言葉と満面の笑顔があふれる。それが、うれしい。
コーヒーがコンセプトのネイバーズ東十条には、それぞれのこだわりをもって暮らしている人が多い。コーヒーにもそれぞれこだわりが現れていて、エスプレッソマシンを使う人、サイフォンで淹れる人、フレンチプレスが好きな人、それぞれのスタイルで楽しんでいる。もちろん多くはドリップなんだけど、だからなのか、だれかがペーパーフィルターを買ってストックしてくれているのが、ありがたい。豆へのこだわりもひとそれぞれで、たとえばわたしは浅煎りが好きなんだけど、深煎りのずしんとした味がいいって人もいる。なかには豆の焙煎だってしちゃう人もいる。東十条には、ひとつぶ珈琲やマヤ珈琲焙煎所、神谷珈琲店といった豆を売るお店もあって、いろんな楽しみ方ができる。一人でじっくりコーヒーを淹れる時間は、コーヒーを飲むことと同じくらい、リラックスした時間になる。だけど、平日の昼下がり、ラウンジで仕事をしている人がいると、誰かが「コーヒーちょうだい」とおねだりしたり、はたまた「コーヒー飲む人?」とめぐんでくれたり、そういったコミュニケーションのきっかけが生まれる。コーヒー好きどうしの「ねぇ、それどこの豆?」「へぇ、そういう淹れ方するんだ」という会話もよく生まれている。コーヒー好きが退去をするときは、エスプレッソマシンの使い方講座が行われる。あなたとわたしの間にコーヒーがあるだけで、今日の一日を心地よく過ごすことができそうだ。
よるごはんを食べて、ラウンジに座っていると、ひとり、またひとりと集まって、長机に座っていく。首から上は、楽しい顔もあれば、疲れた顔もあって、それぞれの一日をそれぞれなりに生きてきたんだなということがよくわかる。「今日、何してたの?」という質問から始まることもあれば、「ねぇ聞いてよ」という声かけから始まることもある。みんな、具体的な何かはなくとも、何かを誰かに話したくて、誰かの何かを聞きたくて、それで集まってくる。日々のラウンジの会話そのものに、どれだけの「意味」があるかなんて、実はあんまり関係なくて、「話したい」と「聞きたい」の間にことばをおいて、その温もりを感じられさえすればいい。「めっちゃウケる」って笑ったり、「それはないわー」と怒ったり、「それはしんどいね」って悲しんだり。いや、そんなに感情が上がったり下がったりしなくたって、なんの変哲もない日常の、他愛もない会話を共有できる人がいるだけで、それでいいと思う。
たしかにネイバーズ東十条に住んでいると、それぞれの趣味を集めたら、その幅はとても広いものとなって、週末ごとにいろんな「おでかけ」が生じる。ごはん行こう、カフェ行こう、イベント行こう、展示会行こう、映画行こう、ライブ行こう、フェス行こう、スノボ行こう、キャンプ行こう。そうした、東十条を飛び出すおでかけは、非日常の楽しさの中で、わたしたちのつながりをもっと深くしてくれるし、思い出に深く刻まれる。だけど、そんな「トクベツ」を味わわなくても、「ちょっと行こうよ」といって、玄関を出て少し歩くだけでも、十分楽しいって思えることが多い。夜の外の雰囲気って、不思議な引力を持っていて、夏なら涼しさ・冬なら寒さを感じながら、少し暗い中を話しながら歩いていくと、しぜんとじっくり話せる気がする。コンビニに行くたった数分の距離だって、なんかワクワクしてしまう感じがある。いちばんいいのは、サミットのある通りのマンションの中庭。あそこ、夜になるとすごくいい照明が灯って、めっちゃ雰囲気いいんだよね。遊具の網みたいなところに座って、酔い覚ましをしながら話していると、すごく落ち着いた話ができる。そんな時間が好きだったりする。
だれかとともにすごすということは、特別なことなんかじゃなくて、むしろ日常の方にこそそんなシーンがたくさんつまっていて、日常の中にある温もりを感じることが、うれしさをわかちあえることが、だれかとともにすごすということの良さなんだと思う。
そういう暮らしができることの幸せ。狭い自室にとどまらないシェアの日々が、わたしは好きなんだ。
この作品は、遠藤が住まうソーシャルアパートメント「ネイバーズ東十条」において開催した文化祭「Higashi-Jujo Neigbors’ Culture Day 2023」内で開催した文章展示企画である「シークレット・ライター」に寄稿した作品です。
「ねぇ」
「なに?」
「最近さ、ラウンジも雰囲気変わったくない?」
「それなー」
「新しい人も増えたじゃん」
「やっぱさ、だいたいみんな更新のタイミングで、出ようかなってなるよね」
「オープニング組もほとんど出ちゃったし、やっぱ雰囲気変わるよね」
「なんか最初は、夜帰ってきて、2階が盛り上がってる音、ちょっとビビってたんよね。なんか、うちすごいとこ来ちゃったんかな、みたいな」
「わかる。ぜったい楽しいんだろうけど、なんだろ、気後れしちゃう感じっていうか、勇気いるよね」
「入ったころはさ、けっこうみんな夜ラウンジで飲んでて、しかも遅くまで。ほんとみんな元気だなって思ってて、みんな起きているから自分も起きてないといけないのかなとか思ってたかも」
「えー、それは考えすぎでしょ、寝たくなったら寝ればいいじゃんって思うけど。あ、でも、なんか楽しんでるところに入っていくのはちょっとしんどいかも」
「そっか、でもけっこうみんなウェルカムじゃない? なんか、思ったよりみんな優しいっていうか」
「いや、意地が悪い人はこんなとこ住めないでしょw」
「たしかにw でもたしかに、うちらが入った頃から、雰囲気変わったなーってのはあるよね」
「でしょ。だって夜も遅くまで飲んでいる人たち、減ったもん。前は平日だって2時くらいまで起きてた人いたけど、最近は平日だと12時すぎたらシーンってしてない?」
「いやいや、遅くまで飲んでる人はいるよ。でもだいたいおんなじ顔ぶれな気はする」
「でもさ、なんていうか、群れてはないよね。よくこの組み合わせ見るよなーとかはあるけど、でも特定の人とだけ一緒にいるとかなくて、みんなけっこうお互いに話したりご飯食べたりしてるじゃん」
「下、降りてくる人は、基本みんな話すの好きなんだよ。だからシェアハウス住むんじゃんね。寂しがり屋かガチの陽キャ。うちらはどっちかっつーと」
「寂しがり屋?w」
「絶対そうw でも別に苦手な人とかいないじゃん。みんな優しいし。だから群れないんじゃん?」
「じっくり話すとみんなめっちゃおもしろいんよね。おもしろいっていうか、興味深いっていうか。夜だとあんまり仕事の話とかなりにくいけど、昼にワーキングとかラウンジで仕事してると、真面目な一面とか見れるからそれもいいなーってなるよね」
「わかる。マッチングアプリがどうこうとかばっかり話してる人もさ、ちゃんと仕事とかキャリアとかの話聞くと、めっちゃ考えてて参考になったりすることあるよね」
「そうそう、だから新しい人たちも、もっと話したらいろいろ堀り甲斐ある気するんよね。だから、なんかさ、もっとみんな気軽にラウンジ降りてこられたらいいんだけどさ」
「いやーみんなはむずいって。別に関わりたいって思ってない人もいるだろうし」
「それはそうなんだけど、でも関わりたいって思っててもチャンス逃した人もいるくない?」
「あー、たしかに。長く住んでくると居心地よくなって、よく顔合わせる人と喋っちゃって、別に群れてるつもりないけど、グループできちゃうと入りにくく感じるんかな」
「だから言ったんじゃん、『楽しんでるところに入るのちょっとしんどい』って」
「長く居る人たちのほうが、新しい人が入りやすいような雰囲気つくるのが大事なんじゃね?」
「あとは、イベントとかごはん会とか、きっかけがあればだいぶありがたいんだろうねー」
「キャンプとかフェスとか行くのもそういうのがきっかけだもんね。うちは誘われるばっかだけど」
「おんなじー。誘ってもらうのはすごくありがたいよね。でもうち、逆に誘うの苦手なんだよね」
「あんま気にしないでいいんじゃん? 誰か誘ってみんなでどこか行きたかったら、ごはんのときに『〇〇行きたいんだけど』ってしれっと話してみたりすればいいし。みんなフッ軽だから、けっこう乗ってくれること多いしさ」
「でも、1対1とか、みんなどうしてんだろ。なにがきっかけでそうなったりするんだろうね。みんなネイバーズの中でってガッついてる感じもしないじゃん」
「それ、自分で言う?w」
「ほら、うちらは、あれじゃん、類は友を呼ぶ、みたいな?w」
この作品は、遠藤が住まうソーシャルアパートメント「ネイバーズ東十条」において開催した文化祭「Higashi-Jujo Neigbors’ Culture Day 2023」内で開催した文章展示企画である「シークレット・ライター」に寄稿した作品です。
2022年6月に、こんな記事を書いている。
それから1年半くらいが経った。
あんだけ「ソーシャルアパートメント、なじむのしんどい」と言っていた自分が、「大人の文化祭」なる企画を主導してしまうところまできたのが自分でもびっくりだ。
“Share Our Culture!” をコンセプトにしたイベント・Higashi-Jujo Neigbors’ Culture Day 2023を、11月23日(木・祝)に開催し、現住人はもちろん元住人や住人の友人を含む50人を動員し、有意義かつ楽しい時間を過ごすことができた。実質的に「実行委員長」になった自分が、何を考えて企画を組んでいったか、記録に残しておきたいと思う。
続きを読む「生きづらい」ということばが、さまざまなところで聞こえてくる世の中になった。それまでの世の中では顕在化しにくかった、あるいは、表出させづらかったさまざまな「生きづらい」を、世に放っても受け止めてもらえるようになったのかもしれない。あるいはそもそも、世の中に発するための方法が多くの人の手に渡ってきた、とも言えるかもしれない。
しかし、依然として「生きづらい」というのは、大きなもの・深いものと捉えられるように思えていて、そしてその「生きづらさ」に対してさまざまなラベリングがされるようになってきたが故に、そのラベリングにハマらないものは、かえって「生きづらい」というには及ばないようにも思える。きわめて個人的な、うっすらと感じる「生きづらさ」を発することが、かえって申し訳ない、と思うほどに。
しかし、いかにそれが、うっすらと感じる「ゆるやかな生きづらさ」であったとしても、自分にそうした感覚があることには違いなく、その「ゆるやかな生きづらさ」を、どうにかやりくりしながら、それでもなんとか生きている。共感してほしい、というよりも、自分はただ、そうした「ゆるやかな生きづらさ」を、受け止められる存在でありたいと思うが故に、ただここに、吐き出しておきたい。
そんなシリーズ。2本目は「交流会での初対面が苦手」という、「ゆるやかな生きづらさ」について。 続きを読む
2022年の3月から、株式会社ミライフの提供する、自分のキャリアと向き合うプログラム「ミライフ・キャリア・デザイン」(MCD)を受講していました。本日、その最終日を終えました。
Teach For Japanのフェロー期間中に抱いた新たな志にやぶれ、それをバネにして「えらんだミチをかたる」という生徒向けのキャリア教育プログラムを企画したくせに、とうの企画者がキャリア迷子に陥り、転職活動で迷走するという状況だった、年明けから年度末にかけての3ヶ月間。本当に自分がしたいことはなんなのかを見定めるため、藁をもすがる思いで飛び込んだ、仲間と共に自分自身について見つめた3ヶ月間。その最終日にあたり、自分の「理想未来」を宣言するプレゼンテーションを行いました。
5分間のプレゼンテーションを、完全に再現はしきれないものの、少し言葉を加えて、どんなプレゼンをしたかをご紹介します。先に言えるのは、開き直った結果、今までの自分の在り方の延長線上に、在りたいように在ればいい、ということに気づけた、ということです。
教師の職を離れて3ヶ月が経ちました。新しい環境で、新しい仕事についていますが、ときおり思い出すのは、学校での日々。その日々において、毎週欠かさず行っていたのが、学年通信を書く仕事でした。年間40号程度を発行し、毎号かるく2,000字程度を執筆してきたのですが、ネタさえあれば苦には思わず、楽しんで書いてきました。そのうちの一部は、このブログにも掲載しています。
さて、2021年の年末ごろから、私は、学年に所属していた私以外の5人の教員と、学年につきっきりになってくださった介護支援員さんと、そして年度末で定年退職をする学校長の、合計7名のインタビュー記事を作成しました。シリーズ名は「学年教員のえらんだミチ」。2021年度には、社会人と中学生の2on1キャリアセッション「えらんだミチをかたる」を実施していたので、この学習活動のタイトルにひっかけ、学年教員たちが、どうして現在の「えらんだミチ」に至ったのかを紐解いていきました。
先生方にあらためてじっくり話を聞き、その人を突き動かすものに迫った上で、私の目線で編集をするというプロセスは、とても豊かな時間だったと思い返します。残念ながらそれらの記事はここには掲載できませんが、今回は、ひとしきり全員の記事を書き終えたのちに、自分で自分のインタビュー記事を作成した、私に関する記事を掲載します。
毎回、印刷前レビューをしてくださっていた教頭には、「なんだか、遠藤先生のものが、いちばん『迷っている』感じがするね」と言われました。そう、その当時の私は、迷っていたんですね。でも、その「迷い」も、教員の一側面だったと、今では思います。 続きを読む
2019年の4月に出会い、そこから3年にわたって、学年団副担任・英語科教科担任として関わってきた45名の生徒の卒業を見届けて、早1ヶ月以上経ちました。彼らがすでに営みを始めている、それぞれがえらんだミチにおいて、より豊かに生きていけることを願ってやみません。
この45人との日々においては、メンタルブレイク寸前に至ったこともあったし、突然の休校に迫られたこともあったし、コンセプトのもとに集った生徒たちの自主性に感動したこともあったし、成長の尊さと、生身の思春期の人間に向き合うことのしんどさを、この3年間でだいぶ感じてきました。そんな45人の生徒たちの良さを、多くの同僚は口を揃えて「いたわり・やさしさ」と表現していました。
この記事は、この「いたわり・やさしさ」という良さに対して、あえて揺さぶりをかけることで、それでもやはり「いたわり・やさしさ」、いや、「おもんぱかり」を持って、それぞれの進路に進んでほしい、という私の願いから実践した、道徳の授業「『障害』を越えて – OriHimeパイロットたちの希望」に関する記録です。背景や経緯と、授業の進行を、それぞれ章立てしていますので、目次からご覧ください。
続きを読む明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、年頭のご挨拶も兼ねて、これまでと変わらない、今後の自分の在り様を表す Vision / Misson / Value について、その背景も含めて書き記しておきたいと思います。
というのも、2022年には、拠点やら仕事やらにおいて、変化が発生することが見通せている状態であり、そうなったときに、すくなくとも3年前に設定した自分の Vision / Mission / Value のうち、特にMissionが変わってきそうな気がしたのです。しかし少し考えてみて「いや、変わらないな」と気づきました。しかしながら、対外的なプレゼンで Vision / Mission / Value を出して話すことは多いものの、それがいったいどういう意味なのかを文面に起こしたものがないことに気づきました。そこで、改めて自分に言い聞かせる意味でも、年頭の目標設定のごとく執筆をしておこうと思います。
Vision
この生きづらい世の中で
勇気と気づきが
まだ見ぬ明日を切り拓く
Mission
学校と社会をなめらかに
Value
わたしとは違うあなたと
一緒にうまいことやって
誰かに役立つことをする
ただいま、飯塚。ただいま、我が家。
ここのところ東京に行きまくっていた。懲りずに受けた国家公務員経験者採用試験(係長級(事務))のために、10月初旬と11月初旬に、さらには試験通過後の某省の官庁訪問のために11月下旬に。すべて自費の交通費もバカにならないが、冬のボーナスで精算。
そこへきて、この週末にまた上京。大学時代からプロジェクトを共にした後輩ながら、気づけば飯塚の地で私より先に学校教員をしたTFJフェローの先輩。彼女のプロジェクトも引き継いだ部分があった、ということもあり、「いったい俺は何枠?」というところで列席した挙式と披露宴は、晴天に恵まれ、暖かい演出のもと、つつがなく行われた。めでたい。
そこへきて、土発日着にすればよかったものを、金夜発にしてしまい、そして徹底的に荷物を減らそうとした結果、昨年購入してそれから登場機会の少なかった革靴を履いて、その革靴で2泊3日を過ごした。
結果、足が痛い。 続きを読む