ほんよみました:「春のソナタ 純愛・高校編」

 三田文学を買ったのはAmazon.co.jpにて。送料を無料にするために一緒に買ったのがこれ。

 初めての三田誠広作品は、中学国語で読んだ「いちご同盟 純愛・中学編」の抜粋。それで興味を持って、文庫本を読んで全て読みました。自殺願望のある主人公が同級生を通じて重病を持った少女に出会う。彼女を通じて主人公は愛と生きる事を学んでいくのです。
 あの作品を読んだ時は、確か振られた時でした。告白して、でもその後相手の女の子には一切口をきいてもらえなくなったって言う苦い想い出を経験してすぐの頃だったと思います。だから、こんな恋愛小説をよんで、それに憧れを持ちたかったのでしょうね。でもこれを読んで得たのは、恋愛というよりも、やはり生きる価値というものでした。

 最近「恋がしたい」なんて思うんです。現実逃避をしたがっているんでしょうか、心のよりどころがほしいんでしょうか、別に好きな人がいるわけでもないのに恋愛したいなしたいなと思う日々です。そんな日々にあってまた三田作品を手にしたわけで。
 主人公は高校生バイオリニスト。進路に、家庭に悩む彼。(奇しくも「いちご同盟」の主人公はピアニストでした。)そんな彼には幼なじみがいます。どうやら彼女は彼の事を好いているようで、彼もそのうちに彼女の事が気になっていくのですが・・・彼は音楽のつながりで、年が10歳近く離れた美しいピアニストと出会います。彼女の周りにはいつも彼女のファン(むしろ奴隷とも言える)の男たちがいました。
 主人公と美しいピアニストとの出会い、それによって彼の生活は確実に変わっていきます。その中で、彼は何かを学んでいくのでした。

 彼が学んだ何か、それは三田氏が伝えたかったメッセージそのものではないかと思うのです。僕は、愛ではないかなと思うのです。家庭、幼なじみ、美しいピアニスト、彼を取り巻く環境を最終的に彼は愛していくのだと思うのです。「純愛・高校編」と題名がありますが、この作品で描かれていたのは単なる恋愛ではないと思います。読み終わって、やはり切なさが残りました。伝えたかったメッセージは何なのか、また読み返したときに再び思いを馳せたいなと。

 あぁ、恋いしたい。

ほんよみました:「アパシー 三田文学」

 しばらく前に読み終わって、全然書評を書けませんでした。

 やっと手にした三田文学。特に文学少年でもない僕が三田文学など合うはずが無いけれども、900円払ってまでも読んでみたかった小説が載っていたから買った。25歳にしてその命を自ら立った青年が遺した、原稿用紙140枚分の文章。本人が慶大法学部卒との事もあり、ご遺族が三田文学に寄稿され、「25歳の遺稿」と銘打って巻頭小説として掲載された。

 始めは小説のように文章が進んでいった。しかし、毎日一章のペースなのだろうか、章が進むにつれて、日々の心境の変化というかリズムというか、そういったものが見えて来た。
 鬱にあって、その中で毎日のようにいろいろな事を考えている筆者。心境や考えの変化が文章に現れていて、それらが生々しいというかリアルというか。「遺書」に続けて、なぜ若者は死に至ってしまったのか、そこに至るまでのプロセスなり心境なり、「なぜそうなったのか」に思いを馳せると切なくなります。
 考えるという事、愛するという事、生きるという事、深く考えるきっかけを与えてくれました。何度も読み返して考えを深めねばと考えます。

 読んでみて下さい。それは、生きるためです。亡くなった作者はなぜ遺作を著したのか。そこには「生」へのメッセージが含まれていると考えるのです。生きるために読み返して考えを深めたい。生きるために皆さんにも読んでもらいたい作品です。

ほんよみました:「憲法九条を世界遺産に」

 最近、どーしょもないモブログばかりで、質が落ち始めてますね。すいません。書評書きたいと思います。
 前回の「遺書」に続いて読んだのが、太田光・中沢新一の両者の対談である「憲法九条を世界遺産に」です。両者ともお友達というかお知り合いというか、そんな二人を憲法論議の定義で分類すれば「護憲派」とでもいえるのでしょう。でも、世間一般にいる護憲派とは違う感じがします。
 なんというか、憲法を違った視点から見ることができたような気がします。世界遺産にしてしまおうという発想が僕には浮かびませんでしたし。100人村シリーズの著者である池田香代子氏の講演を聞いたときに、「憲法の英文は、We, Japanese で始まるから、憲法は日本人の宣言なのである」ということをおっしゃってまして、あぁ、そういう考え方なのかと感心しました。その考え方に近いものをこの本から見出しました。
 正直、憲法をどうするべきか僕にはわかりませんよ。でもね、解釈の上でわかりにくい条文は書き改めるべきだとはうすうす考えていたんです。そんでも基本スタンスは変えるべきではないという、漠然とした考えのままでいたことも確かでした。この本を読んで、池田氏の講演を思い出して、「これは自分の立場を考える前に憲法ってものを考え直してみたほうがいいかな」と思えました。
 大学に入ったら、個人プロジェクトとして憲法にアプローチしてみたいなと思います。俺独自の話し書き言葉で英文憲法和訳をしたり、もしくは過去のものから創憲を試みたりしてみたいなって。それをやる上でもう一度この本を手にしたいなと思います。

 んで、実は僕がこの本で関心を抱いたのはむしろそこではないんですよ。
 太田さんすげえやって思いましたね。本当に頭がいい人ってのはこの人かな、いや勉強しているからこそ・努力しているからこそ頭がいいんだなって思いましたよ。
 世間では結構批判食らってるそうですね、俺はもともと太田さん好きですが。でもあの人の言うことは、世間一般の、いわゆるマジョリティーの意見とは少し違う立場にあるんですよね。「太田総理…」の番組でも、掲げるマニフェストには正直「はぁ?」ですが、言っている事をよくよく考えてみれば、その根本の想いは共通というか、僕も持っている想いに似た想いから出発しているというか、そんな感じなんですわ。
 憲法論議そのものについてよりも、それを述べるために使われた思想やら文化・風俗やら、そんなもののほうが僕にとっては刺激的でしたね。宮沢賢治と思想の話が延々と続いていくのですが(僕はついていけていませんが)、なるほどそう繋がっていくのか、という発見が面白かったです。

 結構内容が抜けてきています。もともと予備知識もないまま、俺がついていけない対談を読んでしまったわけですが、考える機会を与えてくれたことには変わりません。また読み返したいものですな。

もしとちょこれーと


一日中殺人的記述模試五科七目

できなくてやるきうせてへこんで

教室には五人以下、疲労した一人以上

終ったら試験監督さんがチョコレートくれた

なめたら何だかあったかい気分になった

ほんよみました:「遺書〜5人の若者が遺した最期の言葉〜」

 雑誌「三田文学」の秋季号で、25歳の若さにして自ら命を絶った青年の小説が載っているとのことで、書店をかけずり回って探したものの、見つかりませんでした。

 そのうち、文庫コーナーでふとであったのがこの作品。タイトル「遺書」の2文字が大きなショックとともに僕の脳裏に焼き付いてしまったのです。あっ、という瞬間に手はその本に伸びていました。文庫本だから読みやすいだろうと、そのまま手に取ってレジに向かいました。

 別にブルーになっているわけではありません。ただ、読んでみたくなったんです。新聞生活をやっていた効果はあったようで、スラスラと読めました。文庫ですら5日近くかかっていた僕が、この本ばかりは2日で読めたのでした。

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