地上デジタルTVアンケ アナログ2011年終了 74%「わからない」

…6/15読売新聞朝刊より…
「ばんばんCM流せるTV局が告知不足とは、頭が悪いね。」
ある調査によれば、地上波デジタル放送を約8割の人間が知っていたという結果が出た。
しかし、アナログ放送の終了時期を知らなかった人は同じくらい居た訳だ。
正確に答えられた人は1割にも満たない。
約4000人を対象にしたこの調査では、地上波デジタルの受信機を持っているかどうかも聞いた。
普及率は約8%らしい。
そりゃそうだ、チューナーだけってのも気が引ける。

実は最近自宅に液晶テレビがついた。
BSデジタルの画面はものすごくきれいだ、地上はアナログは画面が荒い。
データ放送も面白い。
しかし、地上波デジタルは受信できない。
早く見たいっつうの。

ブログ集中更新日

見出し突っ込みが停滞中。
勇気の日に至っては前にオピニオンを書いたのはいつだっけ?

今日は集中的にブログの更新を行おうと思います。

近いうちに「@fudooka部員日記」の製作で身に付けた技術ででざいんを新しくしようかと考えています。

NoPlanで言葉を発することが多く、その結果立場を失いへこむことが多い。
それでも俺は文章を書く。
書くことが好きだから。

それでは一気に更新されるのをお待ちください。

吹奏楽部員必見

久方ぶりに映画のDVDを見た。
題名は「ブラス!」英語ではBrassed OFF と言うらしい。

中学校の吹奏楽部に入ったときに、顧問にビデオを渡されて見た。
そのときはまだ吹奏楽の何たるかを知らなかった。
だから「あんなビデオがあったっけ」と思っていただけだった。

部活における方向性を見失いかけている。
自分の失言もさることながら、自分の演奏に対する態度によってへこんでいる。
部活で自分にできることは何だろうか、果たして自分はみんなの役にたっているのだろうか。
そもそも自分は今の部活に何を求めているのか。
いろんなことが頭に浮かんで、悩んでしまった。

実は「第六」のレンタルビデオを探していたのだが、全く見つからない。
そんなときにふと目に入ったブラス!のDVD。
まさかDVDになるほど有名な作品とは思っても見なかった。
と同時に、「見たい」と強く思った。

境遇は近い物がある。
バンドをとったおかげでみな自分の大切な何かを失っていく。
それでも最終的には「音楽が大事」といって集まっていくのだ。
とにかく吹奏楽部の人間は見るべきだと思う。

劇中にちりばめられた金管バンドの演奏にもいやされた。
柔らかい響きを持ったその演奏は、本来自分が追い求めたいと思っていた音だったと思う。
最後の威風堂々や、アランフェス協奏曲は最高。
意識の上でも「さらに上を目指す」というものが身に付いたのかもしれない。
「吹奏楽が・音楽が大好きだ」ということを再認識した。
失っていた物が見えてきそうだ。

みんなと音楽を楽しみたい。
今は、純粋にそう思う。

Amazon.co.jpの「ブラス!」のページ。TSUTAYAに行けば普通においてあるはず。

パスポート取得

今日は学校を遅刻しました。早退は有れど遅刻は初めてだった気がします。
「朝遅刻したけど大丈夫?」とクラスメイトに心配されました。
大丈夫、体は問題有りません。きょうはパスポートの受け取りにいってきたのです。

朝日ニッケ英文エッセーコンテストの副賞であるオーストラリア研修に向けての取得です。
今まで海外に一度も行ったことがない自分、パスポートの取得は生まれて初めての経験になる訳です。

申請用紙は母親にとりにいってもらいました。記入は自分で。
2枚もらったうち1枚は書き始めそうそうに失敗を犯し、後がない状況になってしまいました。
写真は以前撮影した物を使用しました。相変わらず自分の顔のきもさに幻滅。
本籍とか、法定代理人とか、もうわからないことばかり。

パスポート発行手続きは、地元古河でもできます。
しかし週にたった一度しか開設されない出張所なので本当に不便です。
申請は母親に行ってもらいました。申請は代理を立てることができますが、受け取りは本人が行かなければなりません。

受け取りの際にはお金を支払います。
しかしそれは現金ではなく、「収入印紙」と「県収入証紙」を購入する必要が有るのです。
窓口の近くの酒屋さんで売っていたので便利でした。

「受け取り時に口頭で質問をする」と言われていたのでビビっていました。
が、それほど難しい物は聞かれませんでした。期待はずれ。
未成年が取得できるのは5年のパスポートのみ。でも色は5年の方が好きですね、紺だから赤よりまし。

これでまた一歩、海外に近づけました。早く夏にならねぇかなぁ。

空白の2週間

5/29から約2週間ほど、書き込みを全くしなかった時期が有りました。
テストが終わってからの2週間を駆け足で振り返ろうと思います。

30日月曜日
通常授業で、テスト返しでおわった。
31日火曜日
午後、学校祭開会式が行われ、学校祭が開幕。その後行われた団結式で体育祭でのダンスの練習。
1日水曜日
毎年恒例市中パレード。加須中央図書館前の神社から学校までを1.5時間かけて行進。その模様は新聞にも掲載。
2日木曜日
体育祭。午後から雨が降る。応援合戦でのダンスでは、女子の制服を着るはめに。部活の人間に見られたのがいたかった。
3日金曜日
文化祭前日。クラスではピザ屋をやることになっていた。店舗の内装がこっていたが、自分はほぼ事務仕事に頭を悩ました。
4日土曜日
文化祭1日目。ピザの販売予定数は一般公開終了ぎりぎりのところで完売。クラスメンバーの宣伝効果が大きかった。
5日日曜日
文化祭2日目。一般公開終了を2時間ほどのこして完売。ピザ大人気。終了後の後夜祭では声をからす。
6日月曜日
片付け。せっかくの内装をはがしていくのは悲しい限り。
7日火曜日
留学生のSくんとの想い出作りと称してクラス有志でディズニーランドへ。Sくんより自分の方が楽しんでしまった。スペースマウンテン4回。
8日水曜日
午後からの部活、その後夕方から打ち上げ。和食レストランでひつまぶしを食う。結構美味。その後はみなで花火。
9日木曜日〜
その後は普通の日々に変わりなし。

そんなもんでした。
文字にするとここまで短くなる日々も、本当は言葉では語り尽くせない楽しみが有った訳です。
もうちょっと書いてればよかった。

官庁ITシステム運用費 950億円削減可能

…6/14付読売新聞朝刊より…
「コスト削減のためのITシステムに過剰なコストをかけてどーする?!」

第三者機関の調査に寄る結果だそうだ。
社会保険庁のオンラインシステムはなんと520億円もの削減が可能だという。
財務省の関税などのシステムに至っては実績よりも多くの投資がなされた、つまり無意味な投資をし続けたわけだ。
これが企業ならばとっくに削減していたろうに。まったく行政は効率が悪すぎる。
950億円も削減できれば少しは国の借金の足しになるだろうに。

行政はいったい誰の金で動いているのか、よく考えてもらいたい。

国立大や文科省 セクハラ懲戒30人

…6/11付朝日新聞より…
「おまえらそれでも教育者か!?あ、その前に一人の人間だったか。」

この人数は過去最高らしい。今までの記録の二倍に匹敵する。
その中で免職処分は9人だけ。どうせならみんなやめさせろと言いたい。
相手が大学生であろうと、教育者は見本を見せる人間じゃなきゃ。
インテリ・エリートならもっと理性を持ててもいいだろうが。

コールセンターに無言電話を4000回

…6/10付読売新聞朝刊より…

「よっぽど暇な奴がいるもんだなぁ。もっと別のことはできないんかい。」

39歳の介護福祉士が逮捕されたらしい。ストレスが溜まっていたらしく、若い女性の声が聞きたかったらしい。
それにしても約半年で4000回はやりすぎ。携帯から掛けたらしいが、電話代は大丈夫だったのだろうか。

浪費癖

高校に入ってから浪費癖がつきました。
エレキを買ったのも理由の一つですが、知らぬ間に金が飛んでいくような感じです。
財布代わりの銀行口座も残高がこれだけ。
臨時収入の可能性がたたれたいま、節約こそ我が課題。

受け入れるという勇気

少し関係のない話になるでしょうが、書かせてください。

現代文の授業で、中島敦の『山月記』をやりました。
最近、その主人公の李徴と自分を照らし合わせるようになってきました。
本文に載っている李徴の性格がなんか自分に似ているような気がしてくるのです。
だからでしょうか、複数の文章が頭から離れなくなっています。

さて、人間には受け入れたくない事実という物があるはずです。
最愛の人をなくしたときは、その事実を受け入れることができない、いや受け入れたくなくなると思うのです。
事実と理想には大きな差があります。その差が大きければ大きいほど、人は受け入れることを拒みたくなるのではないでしょうか。
事実は嘘をつきません。曲がることはないはずです。まして自分の都合のいいように曲がることはないと思うのです。

山月記に「理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きていくのが、我々生きもののさだめだ。」(山月記より引用)という一節があります。
主人公の李徴はある日突然発狂しそのうちに虎になってしまいます。李徴はその理由など知る訳がありません。
いったいなぜだ?と考えてみても分からない。分からないなら受け入れるしかない。
彼の運命感に非常に共感できました。

事実は自分のいいようには曲がらない。
曲がらないから、事実が自分の理想や夢と反対の方向に向いたとき、とりうる選択肢は一つしかないのです。
受け入れるしかないのです。ではなぜ受け入れられないのだろうか。
僕の経験を持ってすれば、答えはこうなります。

「自分で描いてきた夢や理想はそう簡単には捨てられない」
想い出の品をなかなか捨てられないように、自分が作り出した思い入れのある物はなかなか破り捨てることはできないのです。
想い出はいい物ですが、いつまでもすがりついていてはいけません。
夢・理想を持つことはすばらしいことです。しかしそれが「どうにもならなくなったとき・あきらめるしか方法がない」というときは素直にあきらめるべきなのです。

「あきらめってネガティブなことだろ?enshinoが言う、勇気はもっとポジティブな物じゃないのか?」
書いている途中にそう思えてきました。しかし、あきらめることにも勇気は必要なのではないでしょうか。
夢破れ、現実を見、それを受け入れる。悪く言えば「あきらめた」となります。
しかしこれは新しいスタートになるのではないでしょうか。新しいことを始めることって勇気が必要なんですよね。
でも時に古い物が新たなスタートを阻むときがある。その古い物って、実は自分が作り上げてきた物だったりする。
自分がつくってきた物を手放すのは嫌なことです。しかし要をなさなくなった古い物を捨て新しい物をつくり始めるのも勇気ではないでしょうか。

奥山さんが他界されてから1か月経ちます。
実はまだそれを受け入れることはできません、まだ元気で奥多摩へツーリングしているような気がして。
遺族の方は忙しさが終わり、ようやく「死」を受け入れられる頃だと思います。
仮にもご遺族が、「貴宏の分まで生きたい」と思えるようになったとき。
それが新しいスタート、勇気の誕生でしょう。

また文が乱れてしまって申し訳ありません。
自分自身ちょっとした受け入れがたい事実を抱えてしまいました。そこで思いついた記事だったので。
しかしそれもちょっとしたこと。時間が勇気を少しずつ与えてくれ、何も思わなくなると思います。