【長編】覚悟の問題

拙ブログのテーマは人生のアーカイブ。その時々に思っていることを記して、後々見返したときにあのときはあんなことを考えていたのか、ということを振り返るための場所です。ですから、明るいことも暗いことも、まじめなこともバカなことも書きます。今回も、そんなつもりで書きますから、読み飛ばしてもかまいません。

さて、話は我が楽団のことです。
愛しの指揮者軍団のうちの一人が、こんなことを漏らしておりました。

「俺、こんな状態でディズニー吹きたくない」

『世界のリーダー』という記事をみれば分かりますが、実は3日後に東京ディズニーランド・シアターオーリンズにて、我が楽団がステージ演奏をするわけです。3年越しのディズニー演奏ということで、張り切っています。

でも、張り切れていないという事実もあるわけです。
「俺、こんな状態でディズニー吹きたくない」
この言葉を聞いて、ハッとしました。また、録画の時のことが思い出されます。一奏者としての天命は、そして覚悟は。

今回私は、僭越ながらステージMCを共同で務めさせていただきます。キャンパスガイドはまるでジャングルクルーズのごとく、がモットーの私だけに、今回のMCは相当の晴れ舞台かつ栄誉であると思います。人の前で言葉を発するという事にかけてはプロ意識を持っていますから、そのつもりでおります。

って、そんなことはどうでもよく、翻って演奏はどうなのだ、という話です。正直言って、我々の演奏は徐々にではあれ格段にレベルを上げています。OLCの招待を、受けるべくして受けた、というのは団員なら誰もが認めるのではないでしょうか。それだけに今回は、ただ自分たちの自己満足のために演奏するのではないという事を肝に銘じるべきなのです。私たちは、その日「キャスト」になるのです。ゲストに夢と希望を与える、役者になるのです。

役者は、大げさ、というのが私のイメージです。MCを例に取れば、自分を、普段人としゃべるときとは違うモードに切り替え、声量、速度、語尾強調、抑揚を、これでもか、というほどまで大げさにやらないと伝わりません。それは高校時代にさんざんスピーチで鍛えたのでいささか自身はあります。

では、チュービストの自分は、音量、強調、抑揚をこれでもかと大げさにやって、楽譜(=MCでいう原稿)を完璧に再現して、音を届ける・伝えるということがでできるか、としたら、いまの自分にそれはできていません。昨日神奈川フィル定演に行って、チューバがよく見える席に行って改めて思いました、まだ自分は真の演奏者じゃない。結局は自分の満足する演奏でとどまっている。だから
「俺、こんな状態でディズニー吹きたくない」
に、ハッとしたのです。仮にそれが自分に向けられた言葉でないとしても。

いかんせん、人間は過度の自信を持ちすぎると傲慢になってしまいます。私にはその嫌いが相当強くあるようで、それがチュービストとして・キャストとしての覚悟を意図的に薄めているようです。幸いにして、周囲からは私の演奏を認めていただいているように思います。高校時代以上に「うまい」と褒められ、それはもう身に余るほどです。でも、勘違いをしていたのは、だからといって練習しなくていいということではないにもかかわらずそうしていたことです。それって誰の目にみてもマズいですよね。

9年目にして未だよくトチるし落ちるし、空気を読んだ音づくりができないし、早いパッセージでは指が絡まる。そうした技術面での問題点を、練習でカバーすることに対しておろそかさが出る。何より反省なのは、「いやぁ右半分覚えてませーん、えへへ」と公然とふざけた口調で発言する。そこには、各人の覚悟に対する想像力が欠如していることを、後になって気づきます。想像力を欠くことは、さながら罪にも思えるのです。

合宿中に垣間見た、団員のひたむきな姿には頭が上がりません。ここ最近印象に残るのは1年生の熱心ぶりと指揮者の覚悟と決意です。それがすべてではありませんが、ただ彼らは自分に足らぬ部分を自分で埋めようと必死です。その必死さが、すなわち覚悟の問題なのです。団の運営の核にいる者として、また団の演奏を下支えする楽器を担当するものとして、そうした必死さを裏切ってはいけないと思います。

「おまえは、話をすぐに覚悟とか責任とかいうアタマの問題に帰着させているけど、音楽は楽しむものだろ。」
とお考えの方、私は十二分に演奏を楽しんでいます。ただ楽しむだけが音楽ではないという事を自分に言い聞かせねばなりません。みんなで上るステージを盛り上げるのはみんなだし、また盛り上がるのもみんなです。みんなで楽しむという覚悟もまた、重要になってきますね。

もしこれを、我が愛しの団員のみなさまがお読みだとしたら、今一度、今回の演奏に向けた覚悟を考えてみてもらえないでしょうか。まだ残された時間のある中で、最高のパフォーマンスを届けるには、なにができるか。僕は僕なりにその答えを演奏で出せるように、あの録音音源を聞きながら、ひたすら指を動かす練習をしようと思います。

ディズニー演奏まで、あと3日。

ネコのおもひで

まりえし
なおゆき
じゅんちゃん
ぬこ
えくすたしー
ねこ

どうやらこれらの名前は同一のネコのことを指しているようです。
部室棟のネコ。

ぼくは、そのネコを「なおゆき」と呼んでいました。
SFC公式サイトでネコの話が出ていたとき、梅垣先生の研究会の人がネコを保護して、
なおゆきと名付けていた、というエピソードが掲載されていて、
それから、とりあえず「なおゆき」と名付けました。

Dolceにも足を運んでいました。
部室に入ってきて、追い出すのに必至でしたが、
私とともに副部長をやっているMくんは、すくっと抱き上げて、
いつもなら出さないような高い声でネコを外に出してあげました。

実は僕、あまり動物が得意ではありません。
部室にネコが入ってきた時も、僕に飛びかかりそうになって、
男らしくなくビビってました。
ふとしたときにしっぽでも踏んじゃうんじゃないかって、ひやひやです。

でも、朝方や夕方に足を運ぶと、
なんだか優雅に歩いている姿を見かける訳です。
おまえはいいな、
なんて声をかけたり。

どんなに忙しい時でも、そいつがちょこんと座っていると、
目線をあわせて会話を試みました。
だいたいは、あくびとともに目をそらされました。

そんな経験をしたのは、僕だけではないはず。
ただでさえ忙しくて精神的に追いやられる人が多いであろうSFCで、
ネコの存在は確実に癒しだったはず。

…七夕祭の日に、死んだそうです。交通事故で。

マイケルが死んだ時のように、本当に死んだのかどうか、信じられません。

彼が好きな食べ物って何だったんだろう。
屍に捧げて、ありがとうとでも声をかけてこようかな。

本番でこそ果たすべき本来の役割

ご無沙汰してます。ここ最近、いろいろと綻びがあって精神的安定が見られませんでした。収束に向かっています。

で、今日は本番でした。
本番が複数回あることは幸せですね。でもそのかわり、妙な緊張感があります。
もしお蔵入りになったとしても次の本番タイムがあるわけですが、むしろ1かいきりの本番の方が、潔さがあると思います。

正直、音声さんとしてのenshinoは、本当にGJなんだと思います。
恵まれた環境を最大限活かして、力量を持っている我が団体の最高のパフォーマンスをできる限りよい形で記録したい。
ディズニーリゾート・ミュージックフェスティバルプログラムという舞台に立てるなら、それに向けてできることは尽くしたい。
それが音声さんとしての役割だと思っていました。
事実、多地点録音は驚くほどの奏功ぶりです。各地点から聞こえる音はショボいとしか言いようがないのですが、それを総合したとき、自分の耳を疑うほどの音ができあがっていました。
正直言います。演奏の聞こえは、間違いなく成功です。

でも僕は音声さんである前に副部長でした。
聴かせる・魅せる音楽作品を集団でつくりあげるのが吹奏楽。その集団にあって、名ばかりでも「まとめ役」である自分には、音声さん以上に担わなければいけない役割があったはず。
「一緒にがんばろうね」というコミュニケーションを果たせたかといえば、全くできていなかった。
気持ちを鼓舞すること。気持ちをつなげること。
それが自分の役割だと気づいていながらできない自分が今日の反省。

そして僕は、副部長である前に一人の演奏者です。
一人の演奏者として尽くせる手を、僕は果たしていません。本分を果たさなかったのですね。
ちゃんと音づくりに参加すること、合奏に集中すること、音楽に没頭すること、冷静に楽譜に忠実に演奏すること。
きりがないほどの反省点、音声さんとして自分のエゴで動いていたことが悔やまれます。特に指揮者M氏には本当に頭が上がりません。僕の全部のパフォーマンスが、まだまだ出し切れていないようです。

みんながんばってます。
あまり練習に来られなかった人も、毎回のように参加している人も、そんな垣根なくがんばっています。
あぐらをかいている場合じゃないなと思いました。

別団体の長にいわれました。
しのぶは物事に本気になったことがあるか、と。
明日示せる本気は、楽器で示したいと思います。

明らかに、Dolceでの「しのぶちゃん」とは違う自分が、これをDolcerに向けて書いているのも不自然でしょうか。
とにかくいま、今日関わってくれた人すべてに感謝しながら、明日は本当の意味でできることをやろう、と思っているところです。

まさに、帰りの夕食で誰かが口に出した、Nobles Oblige。
明日呑む酒の味も、これ次第で変わるに違いないでしょう。

enshinoProjectってなんだ

現在三田キャンパスでぬくぬくしております。
今日は教職課程センター実施の社会科実力テストでして、これに落っこちると教育実習にいけません。
…受かる気がしねぇ

それでなんとなくネットサーフィンしていたんですが、
私の知り合いで、自分のプロジェクトをWebでしっかり紹介している人がいて、
なんだか焦りを感じる訳でして。

でさぁ、enshinoProjectって実際なんなのかって話ですよ。
具体的になにかProjectをやっているのかと問われますが、
半分正解で半分不正解と言うか。

あのね、Projectという単語を聞いて皆さんは何を思い浮かべますかね。
おそらくSFC生だったら、
1.ある達成目標に向かって一人ないし複数人で起こす行動・作業またはその計画
という意味におけるProjectを思い浮かべるでしょう。
これはもちろん、enshinoProjectにおけるProjectに含意されています。

だけど、本当はそれだけじゃない。

あの、プロジェクターってあるじゃないですか、プレゼンで使うあのアッチッチになるやつですよ。
あれって、「投影機」ですよね。何らかの映像を目の前のスクリーンに投影して、
それを複数人で見ることによって共有する。
あれって、projecterですから、projectする物・人が原義ですよね、
そしてproは前という接頭辞であることを考え、
さらにCDプレーヤーなどの取り出しボタンがeject(e-ject)であることを考えれば
-jectには何かが出てくるという意味があるんだと思います。

で、ここまでの内容を整理すると、enshinoProjectにおけるProjectとは、
2.自分自身の抱いている思いや考えを前に出す・表出する行為
3.表出した・投影させた思いや考えを自分自身で客観的に評価する行為
4.表出させた思いや考えを他人と共有し、フィードバックを得るプロセス
という意味を含む物なのです。

はい、これで分かりましたか?
なぜmixi日記やブログのタイトルがenshinoProjectなのか。
2〜4の意味に照らし合わせれば、思ったことや考えたことをさらけ出すブログのタイトルとしては、
Projectというコトバがふさわしいということを。

でもね、本当は1の意味におけるProjectについてもっと書いていきたいんですが、
なんだかやる気が起きなくてね、ページデザインする時間がなくてね。ほんと。

ん?
なんでこんなことを書いている暇があるかって?
あのですね、これから受ける実力テストの対策でバイト先から借りてきた社会科のテキストが、
過去問に照らしてレベルが低くて萎えたのですよ。

飯食おう。

八ヶ岳で学んだ技まとめ

レクリエーションはまだまだ素人のenshinoです。

昨年、藤沢市は湘南台青少年育成協力会という地域団体の代表さんに誘われ、
藤沢市所有の八ヶ岳野外研修施設にキャンプに行った訳です。
キャンプファイヤーする訳ですよ、レクする訳ですよ。
もともと人前で喋ってレクとか仕切るのは好きだったので、いろいろやりましたら、
そこに居た補助員さん「かっつん」に目をつけられました。

「君、素人じゃないな。」

そんな縁から、八ヶ岳レクリエーション協会会長のかっつん主催の元、
野外研修施設の野外体験活動指導補助員研修に行ってまいりました。
長ったらしい名前ですがようはバイトで、
今年5、6月にこの研修施設にやってくる藤沢市の小中学生のキャンプのお手伝いをします。
お金は、交通費と宿泊実費はかかりましたが、
なによりスキルが身に付いたことと、おもしろい人達にあえたことが最高でした。

かっつん、やぎさん、ホセ、みゆきさん、
ホルヘ、ひろちん、ひろちんの奥さん、かえでちゃん、おざわさん、
マッチ、あじめ、ベジさん、あぐり、トシ、じんじん、ロン、
いどちゃん、ゆきちゃん、ベンゾー、上田組のみんな、(多分これで全員か)
ほんとうにお世話になりました。

あと、フランスに行くよーくんも、お疲れさんでした。誕生日おめでとう。

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【超長文】成人を迎えた自分を後で振り返るための備忘録

ハタチという節目は、僕にとってあまり大きな意味を持ち得なかったハズなんです。これと言って生活が変わるわけでない。よっぽど、卒業やら入学やらの節目の方が大切で、正直僕が大学入りたてに犯罪犯しちゃったとしても顔出し名前だしOKなんて考えるくらいです。だって、権利と義務が同時発生するだけで、その権利と義務の行使の機会なんて全うに生きてりゃそうそう現れねぇだろ。っつうのがこれまでの考えです。

けど、成人式をやってみて、そいつは違うんだなって思ったんですね。
その権利と義務の発生とやらは、実は相当の重みを持っていたという事ですね。これまでは、法の下で保護されていた立場。子どもという名の下に仕方ないと許された立場。そこから、自己の責任で動かなければ、つまり自分で全て処理しなきゃならない立場になったわけです。そんなこと、18歳の遠藤忍なら法律の文章を読んで理解し出来たはずです。ただ、なってみないと重みはわからないわけです。

見知らぬ人とかお偉いさんとか恩師たちとか、家族からまでも「おめでとう」と言われる。いったい何がおめでたいんだか。でも少し考えてみれば、それは大人への仲間入りとか、独り立ちのゴーサインとか、期待の現れとか、そんな意味なんですかね。成人式典はものの30分で終わりましたが、主催者側にしてみれば、あの式を挙行する本当の意味は、子どもからの決別と大人としての権利・義務の自覚を促すこと、早く言えば、ちゃんと税金納めろよ、というメッセージなのかもしれないですね。まぁ成人者の目的はそんなことでないことはみなさんご存じでしょうが。

かつてやけに大人びていた僕は、しきりに大人と同等の権利を持つことを欲していました。特に参政権、被選挙権ね。それが今、そうした大人の権利を持ち、そのかわり子どもという立場を捨てた。子どもの頃の僕は「よかったじゃん、これで選挙にも行けるよ、酒も飲めるよ」なーんて言うのかもしれませんが、実際はなんだか悲しいもんですね。子どもだったからこそ言えたこと、認めてきてもらえたこと、これからはそんなもの無い。さて自分はこれからどうやって成人した遠藤忍を確立していけばいいんでしょうか。

そういえば、子どもの頃から大人びていた、いやサラリーマンキャラ、ちがうおやじキャラだった僕ですが、その発端は家族(むしろ祖母)の影響だったにしろキャラを確立したのは僕自身でした。そんなこともあり、また髪もたいそういじらず、太りもせず痩せもせず、ただめがねがつけ加わっただけで忍は忍のままで忍として生活してきたら、数年ぶりに再会した多感な時期・中学生時代をともに過ごした仲間の全てから「おまえは変わらない」と言われました。そりゃそうでしょう。おやじキャラは自分で自覚してたんだし、今はそのキャラに年齢の方が近づいてるんですから。でもねぇ。中身はだいぶ変わってると思いますよ。親友の一人は、「何となく変かは感じる」と言ってくれますし。

それでも「変わらない」と言われることは、みんなにも自分にも安心感を与えるんじゃないかって勝手に考えています。5年ぶりに会う同級生は、ファッション・髪型・顔つき・体型だいぶ変化があります。それにそれぞれ当時とは明らかに異なるフィールドで人生を生きている。それでも、口癖に残るなつかしさ、動きに残るなつかしさ、口をついて出る話題、面影、そういう変わらない部分を見つけると、ホッとするんですよね。学年の仲間たちと会って、いい刺激といい安心感を得た気がします。本音を言えば、もっと静かな環境で、一人ひとりの今の進路とか、そんなまじめな話したかったけどKYだわな。

考えると、ハタチってのが特別な意味を持つのがよくわかる気がする。人生20年生きたんだから、そろそろ保護される立場じゃなくなっても生きていけるだろう、体の成長も成熟したし、知識や精神もしかり。そういう理屈でハタチっつうのが一つ。もう一つは、学校教育制度との兼ね合いですね。つまり、義務教育でみんなが同じレールを歩むのが15歳まで。中学校を卒業すると、自分の関心・学力・生活水準などのいろんなレベル・身の丈に合わせた選択肢を取っていく。そうして生活する中で、5年という区切りのいい年をきっかけに、一緒にレールを歩んできた仲
間たちと再会する。互いに懐かしさを共有して、今の近況を話し合って、元気をもらって。そういうことができるからハタチっていう節目に意味があるんですな。そりゃハシャいじゃうわ。式中にプラスチック製バットを振り回したり、開式の言葉を述べる僕に向かって「忍〜」と叫んだり、会場外で酒盛りしてゲロ吐いたり。わかるよ、そうしたくなる気持ち。うれしいもんね。

びっくりするようですが、僕はもう日本人の平均寿命の約1/4を生き抜いてしまいました。そのうち最初の5年間はろくに言葉も交わせなかったわけで、次の5年間は世の中がなんたるかなんて知りもせずに遊びふけってたわけで、その次の5年間でやっと社会を知り、他人とのつきあいを知り、未来を真剣に考えた。その後の5年は素早くすぎて今に至るわけです。怖えぇ。そんな平均寿命の1/4を、家族は暖かく心配してくれてたんですが、口の利けない5年間は何も示せず、遊びふけった5年は当たり前だと感じ、広い世界を知った5年は反発し、そして最近の5年は自分中心になった僕。今ハタチになって、僕は恥を覚えました。何を今更、なんて言い放つ技が身につきました。格好悪いですね。

私を産み落とした母はもうこの世には居らず、私を育てたのは祖母と父と父の再婚相手である今の母です。一緒に暮らす弟と妹とは血のつながりはありません。ま、そんなこといっさい関係はありませんが。ただ、産み落とした母はよくぞ俺を生んだと思い、その命を受けた祖母はよくぞ手塩にかけたと思い、悲しみを背負った父はよくぞ大きく育てたと思い、本来なら他人だった今の母はよくぞ自由に世話をしたと思います。この人たちの存在がなかったら、という問いかけを忘れたとき、僕は高慢にならざるを得ない。これは非常に自己中心的である自分への、自分からの警鐘です。

結局何が言いたかったんだって??
ハタチって節目も意味があるんだなって事がわかったって事ですよ。

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古都が気付かせてくれたこと

北陸回り京都の旅から帰ってすぐに、吹奏楽サークルの合宿に行ってしまったため、旅行中の感動をじっくり振り返ることを忘れていました。

今回の旅でも、またたくさんの写真を撮りました。
前回の只見線・会津のほうは、どちらかというと自然物を取ることが多かったのですが、今回はやはり、金沢・京都が大きな目的地だったので、人工の建築物を撮ることが多かったように思います。

特に、京都の社寺の山門やらお堂やらの写真は、もうタイトルが付けられないってくらい何度も被写体にしていました。
特に、東寺と仁和寺の五重塔の数がかなり多く、仕方がないので何枚か削っていいものを残す始末でした。旅行中は、なんでそんなに五重塔が好きなんだろうと、首を傾げるくらいでした。

京都で回った社寺は、朝の清水、東西本願寺、東寺、二条城、北野天満宮、龍安寺、仁和寺、平安神宮。特に「うつくしい!」と感動したのは、清水・東寺・仁和寺でした。それから、金沢でやはり美しさを感じたのは兼六園でした。
「美しさポイント」は何だったかと言えば、木々の緑と古い建築物がマッチしていたということ。それを感じることができたときに、自然と手にカメラを持っていたのです。

普段見ることができるはずの木々の緑でも、普段とは違った場所に来るとより美しく感じる。これは、この間の只見線の車内で、周囲に自然を感じながら想ったことです。そして、同じことを今回の社寺巡りでも考えた。しかし、明らかに違うことがあります。
それは、今回目にした『緑』は自然のものではなく、人工のものである、ということ。
東寺の庭に感動し、仁和寺の庭に感動し。それらの感動はすべて、庭と建物から感じる美が発端だった訳ですが、それらは全て人工物なんですね。只見線の旅の時は、田んぼは人工物だったし、おそらく山の一部は林業の木々が生えていたでしょうが、大半は自然の緑やら空やらに感動を・美を感じていた訳ですが、ほんとうの「自然」に負けない美しさが京都の社寺や兼六園にはあったのです。

そう考えれば、昔の日本人の美的センスというのはどれだけ高いものだったのだろうか、という思いに耽ってしまいます。庭と建物のデザインがぴったり調和して、そこに美意識を感じさせる点、日本の古い建築を担っていた人々は本当にすごいと思います。
そして、そうした建物の美的センスは、緑色を伴わなくとも、祇園や清水周辺の町家に綺麗に残っていて、それもまたすごいと思うんです。

そもそも日本古来の建築様式はびっくりするもので、良くこんなものを建てることができたな、と舌を巻くようなものが多い。造りが精巧で、木だけで作られているにもかかわらず保ちがいい。どうしてこんな建築物を建てられたのか、それを創造するだけでもゾクゾクします。
それに加えて、美のセンスを追求したデザインをもってくるあたり、日本ってすげぇなって思います。

きっと僕には、まだまだ知らない日本がある。いや、知らなきゃならない日本がある。
それは、日本が育んできた文化。外国語教育、とりわけ英語教育を研究しようとしている自分だからこそ、知らなきゃならないのは世界のことであり、またそれ以上に日本人アイデンティティーの各となりうる日本文化なのだろうと思います。

【長編】オトナの僕、こどものオレ

 先週、思いつきで只見線&会津の旅をしてきましたが、またもや出発します。本日の深夜に発車する夜行の快速で、日本海周り古都の旅です。

 「一人旅って寂しくないか?」という人がいます。
 もちろん、いろんな人と旅をすることは楽しいです。合宿とか、友達との旅行とか、修学旅行とかも。観光地でバカやって、変な写真とって、車ん中で変な話しして、夜に酒飲んでベロベロになって、ゲロゲロして心配かけて、朝がくるまで語り合って、温泉で裸の付き合いして。。。そんなことは大好きなんですね。
 でも、そうした旅にはない魅力が一人旅にはあるのですな。僕の中での一人旅の魅力は2つあるのです。

 一つは、誰も自分が知っている人がいない土地で自分一人になって何かを考えるということ。
 もう一つは、自分が知らない場所のいろんな美しいもの・きれいなものをみて価値観を広げるということ。

 mixiで写真をご覧になった方は分かると思いますが、僕が撮影したほとんどの写真は、風景ですよね。できるだけ、きれいな風景を撮ろうと思いました。デジカメでしたが、少し撮り方にもこだわって、アスペクトを16:9にするなど、味を出してみました。
 ちなみにきれいめな写真はこちら→http://picasaweb.google.com/enshino.biz/GsHVBD
 実際に只見線沿いは非常にきれいな緑にあふれていました。どんだけ寒気を感じようと、ずっと窓から顔を出して、何も考えずに緑色と空の色を見ていました。むしろ、それだけで十分でした。只見線の只見の近辺は、本当に山と川と空しかないので、普段は目にしない風景でした。会津の夜は本当に星がきれいで、これも普段は目にしない風景でした。

 でもぶっちゃけ、それ以外に映っているのは田んぼですよね。田んぼなんて、いつも通る宇都宮線沿いやら小田急江の島線沿いやらで見られるじゃないですか。
 だけど僕にとって、それがすごく美しかった。
 いつも見ているはずの田んぼが、別の土地に行ったらすごく美しく見えたんです。
 会津盆地はずっと風の強い場所でした。そのおかげで、田んぼにも風が吹き付け、稲がまるで生きているかのように揺れているんです。BGMなんてかかっていない、車も電車もあまり通ってないから音は風の音しか聞こえない。まったくもって寂しい場所です。だからこそ、稲が生きているように揺れるという現象がものすごく活き活きと、美しく感じられた。。

 それだけじゃない。只見線沿いの景色は確かにきれいでした。活き活きした青・緑・白でした。だけど、活き活きしていたのは、線路から離れた川や山だけじゃないんですね。
 線路のすぐわきに初秋を感じさせるすすきなど、背丈のある植物が生えていたんですね。窓から手を出せばすぐに届く場所にあります。それらが、電車がとおる旅に線路の外側にペコンと倒れるんです。単に、電車が通るときの風で倒れるだけなんですが。
 でもそれが僕にとっては、なんだかお辞儀してるように見えて、なんだか命を持っているように思えてきたんです。僕が乗る電車が通るたびにお辞儀するから、線路の外側に倒れるのに自分のほうにお辞儀しているような感じに思えて微笑ましかった。

 こういう、景色に心が奪われたり、いつも見ているはずの情景に思いを馳せたり、それは自分が子どものときには絶対なかったことだと思います。
 只見線は、ローカル線でも人気路線なので、多くの鉄ちゃんがいました。私も小さな頃から鉄ちゃんみたいなものですから、ローカル線に乗りたくて旅に出たんですが、今じゃ珍しいディーゼル車だったり、タブレット閉塞よりも景色に感動していました。
 振り返れば昔は、外観がかっこ良くてめちゃくちゃ早い新幹線こそ最強、将来は車掌さんや通勤路線の運転手になりたい、なんて言ってて、電車に乗るのは乗ることそのものが目的。そんな子どもの頃。旅行に行く前日は、何にワクワクするかって電車に乗ることに心躍らせていました。
 でも今は、そもそもローカル線なんて、さびれた・あまりかっこ良くない列車にゆっくり揺られて、車窓を見続けることが何よりもうれしいと感じるようになった。
 
 それだけでも、自分は大人になったと感じるようになりました。
 成長する中で、価値観が確実に変わって行ったということを認識しました。

 電車の先頭を眺めるのも、運転台を見るのではなく、正面から見える車窓と続いて行く線路に思いを馳せるため。
 ホームに立つのも、電車の写真を撮るためではなく、自分がその場所にやって来たという証を残すため。
 線路の横に広がる景色、線路の先に広がる見知らぬ街。そうしたものになぜかノスタルジーを感じるなんてことは、ハタチになった今の自分でなければできないことでしょう。

 只見線の車内で、ひたすら車掌さんのように、半自動のドアを開け閉めしては車内アナウンスをする少年がいました。最初は若干ウザいと感じながら、でもよくよく考えれば幼い頃の自分もそんな奴だったんです。
 そんな少年の姿を見て、自分はいつの間にか純粋に電車を好きになるという部分よりも、もっと先にある何かを感じるようになったんだと思いました。成長するって、そういうことなんだなと感じた訳です。
 
 でも、ワクワクしていたことには変わりない。電車に乗っていたことは変わりない。旅をするってなにか心がワクワクするじゃないですか。どんなものを見れるだろ、どんなものに出会えるだろう、それは、子どもだろうと大人だろうと変わりないものなんじゃないかなってことも感じたんです。
 あと4時間ぐらいしたら夜行は出発します。
 すごくワクワクします。
 感じるもの・価値観は大人になっても、旅立つワクワクは変わりない。
 そういう意味で、僕はもう大人だし、だけどオレはまだ子どもなんですね。
 
 それが、「ただ只見線に揺られて」で独り考えたことです。
 では、青春18きっぷ夏の陣その2に行ってきます。たくさんの、きれいなものに出会ってきます。

自分の年齢と見た目に関する一考察

遠藤は、

・バイト先の塾では冗談抜きに23に見られる

・八ヶ岳キャンプの子供たちに21くらいに見られる

・美容室で「もう就活終わった?」と聞かれる

にもかかわらず、

・本日の吹奏楽コンクール埼玉県大会に居合わせた同輩デ○ィさんとひ○さんに「しのぶー変わらないね」と言われる

・さらに前述の会場に居合わせた後輩あ○かさんにも「先輩変わらないですね」と言われる

・少し前、父親行きつけのスナックで父と一緒に飲んだら、そこのママに「しのぶくんまだ高校生じゃなかったの?」と言われる。

・高校時代が懐かしいというと「先輩はまだ学ランでいけますよ」と言われる

のです。

ここから考えられるのは、決して遠藤自身が「実は若くも見られる」と言うわけではないと言うことです。
つまり、最初に明示したように、遠藤は老けてみられるのでしょう。そして、それは以前から変わったことではないということでしょう。だから「変わらない」と言われ、高校時代から若干老け気味だった姿を覚えていた後輩が「学ランでもまだいける」と言ったのでしょう。

ではなぜ遠藤は老けて見えるのでしょう。むしろ、しばらく前から相変わらず年相応に見られない理由は何でしょう、と問うたほうが妥当です。

その原因の考察は、、、
ひとまず私がやるのはやめておいて、みなさんに任せます。

ただ一つ、主張を残すとすれば、
今日の吹奏楽コンクールで、また懐かしさに駆られてしまう遠藤の心は、けっこう若いままなんじゃないかと信じたい。
と言うことです。

追伸:不動岡高校吹奏楽部、銀賞おめでとう。


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10代で迎える最後の生まれた日に

一つ年を取ってもう5日経ちましたね。経ちましたよ。
いつまでもお祭り騒ぎしてる場合じゃないし、そんな年でもない。
でも、限りある、たった365日の、残りの10代。充実させねば。

土曜日の模擬国会の後は、打ち上げでした。一つ大きな仕事を成し終えた後のメンバーの連帯感は凄いものがあり、そりゃもう盛り上がりでした。担当教員のすばらしいノリのもとに、ガバガバ・バクバクの連続。
僕も調子に乗ってガンガンいきました。休息を入れず、どんどん気持ちよくなって、テンション上がって、そろそろ休止だなって思ったとき、胃の中は空っぽになりました。
空にすると突然すっきりするわけで、そんで席に戻ると、突然中央の先生の隣に座らされました。
サプライズです。花束にケーキ。一度つぶれた身には何が起こっているのか判別できませんでしたが、聞こえてくる歌は確かに俺を祝ってくれている歌。そして自分が、今日とっても幸せ者である事に気付いたのでした。
ケーキは非常においしかったです。けど、ついさっき胃の中を空っぽにしてしまったので結構辛かったです。プレゼントにブックマークを貰いました。委員長、意外とセンスよかった事にびっくりです。GGさんから花束をぱっと受け取ったときのGGさんの笑顔が忘れられません。
みなさんに書いていただいたバースデーカードを読み返すと、「あ、模擬国会やってよかったな」って思いました。素晴らしい人々に巡り会えた、そしてそんな人々に祝ってもらえた自分は、とても幸せ者で、その幸せを還元しなきゃならないんだな、って。

日曜日はイルミ食事会でした。Oさん宅で、湘南台に新しく出来たピザ屋のピザを囲みながらの懇親会。どうもと一問一答をパクった自己紹介企画で盛り上がり、かなりおいしい時間を過ごしました。3年生のAさんMさんコンビが、イルミらしくパワポで企画を出してくれました。
スクリーンにはワードパズル。十字に並んだ漢字の中央の虫食いに入る字は「忍」、忍と言えば俺、つーわけでここでも誕生日を祝っていただきました。ケーキをいただきました。グレープフルーツのタルトが絶品!白桃が無かったから代用したとは言え、あの酸味はすんばらしすぎる!ガトーショコラも非常においしかったです。本当に感謝ですよ。

ここ5年くらいでここまで祝ってもらった誕生日は無いんじゃないか的な感じがしています。だって、当日は電車が運休して踏んだり蹴ったりだったわけですよ。だから余計に。
こうして祝ってもらえた幸せを、僕は還元しなきゃならないわけで。それはまた誰か他の人の誕生日に何かをするということはもちろんです。
だけどもう360日程度で10代は終わるんです。思い返せば10代は濃かった。小学校高学年、中学校、高校、これらの経験は非常に大きく、思い出は忘れられません。そんな思いを、10代のうちに経験してほしい。10代最後の年だからこそ、その総括として10代の経験の素晴らしさを伝え、経験する手助けをしていきたい、って思いました。

今年1年も頑張ります。どうぞよろしくお願いします。