教育の語る当事者として

ここ最近、やはり私のテーマは教育であるのだな、という自覚がものすごく強まっています。それも、参加する活動に現れているのかもしれません。
それと最近、教育という言葉のおこがましさを感じます。どちらかといえは、学ぶ、という方がしっくり来ます。学校は年長者が年少者に教える場所ではなく、学びをつくる場であって、教師は伴走者かつ仕掛け人、生徒こそ学ぶ主体なのだ、と。

教育の問題を語ることは、誰でもできます。なぜなら、自分にその経験が有るから。みな、義務教育課程は最低限修了していて、その課程での出来事を経験則として語ることは誰にでもできます。
それはそれで十分必要な視点です。しかし昨今の教育議論は、自分が教育の当時者性を失いつつある人が、さも熱く持論を展開することによって盛り上がりを見せる気がするのです。

ちがうでしょ、と。教育の問題は、テレビのなかで起きてるんじゃない。問題が起きているとすれば、それは現場で起きているんだ、と。しかも、果たして世の中に言われている問題とやらは本当に問題なのでしょうか。教師はそんなにダメなのか、近頃の若者や子どもがそんなに悪いのか。

教育を語る資格を持つのは、やはり当事者です。学びの場である学校に身を起きながら、そこで仕掛けづくりに奔走する教員と、現在進行系で学んでいる子どもたち(なかには、旧来の学校に適応出来ずに、新しいかたちの学校で過ごす教員と子どももいます)こそ、本当に教育を語る資格があるのだと思います。
だから僕は、現場に向き合っていない人、現場志向でない人の教育論議にはものすごく抵抗感を感じます。教育研究も、教育行政も、日々学びの場で繰り広げられる個々の営みを無視して行われるものじゃない。

だから僕は、教育に関連する活動に数多く従事するなかで、子どもたちと接することを志向したり、現場主義的な活動や研究を好んだりするのです。

今、「キッカケ生まれる、ナナメの関係」NPOカタリバの企画に参加するため電車にゆられています。高校生と話をして、彼らが何かキッカケを掴めれば、そのなかで僕も何かを学べれば。あくまで対等ちょっと上、発達の最近接領域として、現場の生徒たちをみて来たいと思います。

今度の6/25には、過去2回実施してきた#ANYONe_ELSEをまた実施します。正直、過去二回は教育談義に終止して、活動や研究の共有、という現場志向的な繋がりの形成がかなわなかった。今後は、よりそういったかたちを目指したいです。

来月には、大学をテーマとして、学生主導の熟議が行われます。文科省は、ネット上で教育従事者による熟議カケアイという政策創造エンジンを展開していますが、登録しているもののイマイチ気が乗らない。それは単にインターフェースの問題で、直接語り合う場づくりが必要なのでしょう。是非スタッフとして、当事者性の高い場の形成ができれば、と思います。名前だけ偉い方々から高尚な話を聞いても、それらに当事者性がかけたら、そんなん誰でも出来る議論だ、と腹を立てるでしょうから。

インタラクティブ・フォーラムという取り組みの事例研究も、準備が進んでいます。

今年の夏もあいかわらず、小学生と大学生と高校生と地域の大人とキャンプにでかけます。

明日、大学院試験ですが、私が目指すのは、ステキな教育従事者でして、大学院では、そのステキな教育従事者になるための専門性と当事者性を身につけたいと思っています。
僕には、どんな教育のかたち、学びのかたちが創れるのか。まだまだ精進が必要みたいです。

【長編】音楽のエッセー

明日は秋祭演奏です。
その告知は後でしますが、その前に。

演奏本番前はここのところ、物思いに耽ることが多くあります。
正直言うと、秋祭の実感がないままソーセージを焼いたりしていたのですが、
気がつけば明日は、活動上非常に重要で、またある程度集客見込みのあるステージに立つ訳です。

ここ最近指揮者のいう、常に見られている、ということを改めて思い返しました。
そう、ステージに乗るということは「entertain」するということですね。
これは、人を楽しませる、という動詞でして、これをする人がentertainerなのですが、
つまり明日は、自分が楽しむのではなく、人に楽しんでもらう演奏をすべきな訳です。

見られている意識=見ている人を楽しませようとする意気込み

パフォーマーでありエンターテイナーである我々演奏家は、
そのことを意識せねばならんのですね。
明日はがんばろう。

、、、という、このような境地に達したのもごく最近な訳であります。
PCをあさっていたら、AO入試の「自由スペース欄」(A42枚分)に直接印刷をした、
音楽に関するエッセーを発見して読み返しました。
だいぶ、そのとき考えていたことからはズレていないけれど、
でも考えるベクトルが少し先に伸びたような気がしました。

なので、今回はその、時系列順に出来事を並べて感想を付け加えただけの、
全く持って流れるような文章となってしまった、
あのAO入試で苦し紛れに書いた「音楽のエッセー」を掲載してみたいと思います。

—設問—
下のスペース(A4用紙2枚分)を自由に使ってあなた自身を表現して下さい―――――

—本文は以下—
音楽のエッセー

 このAO入試に向けての書類をまとめていく過程で、一度自分の生い立ちを振り返ってみた事があります。そして、遠藤忍がのっかっている人生という椅子には3つの脚がついている事が分りました。3本脚の椅子はどんな場所でも一番安定する椅子です。脚の数が増えればバランスの取り方が難しくなり、脚の数が減れば必ず倒れる。つまり、その3つの脚は遠藤忍が最低限安定するために重要な脚なのです。その3つの脚とは、政治、英語、そして音楽。政治は目標、英語は特技、音楽は趣味なわけですね。
 で、このAO入試の書類では主に、特技の英語を材料に目標の政治を語ってみました。かなり堅い文章になった事は間違いありません。でも、それだけでは椅子が崩れます。趣味の音楽も書かなければ、遠藤忍は椅子から落ちますね。それは嫌です。落ちたくありません。前置きが長くなりました。本文も長いですが。要は音楽の事をエッセーにして、この部分を含めた書類全体を通して、私遠藤忍の全体像を伺い知っていただきたいのです。

 私にとっての音楽との出会いは演歌に触れての事でした。幼い頃のカラオケの十八番は演歌。童謡ではなく、演歌。小学生になり、もちろんテレビではJ-Popを耳にするものの、音楽志向はどちらかと言えば古い志向でした。それがあるときターニングポイントを迎えます。洋楽との出会いです。小6の時の担任の影響でビートルズの「1」というCDを買いました。これが人生初のCD。クオリティの高いビートルズの曲は一発で私の頭に入ってきました。いまでも収録曲はほとんど口ずさめます。

 本格的にパフォーマーとして音楽を楽しみ始めたのは中学校から。吹奏楽部のテューバ奏者としての生活がスタートです。本当はサックス志望でしたが、テューバを吹くうちにいつしか低音の魅力にはまってしまっていました。コンクールや定期演奏会など、とにかく演奏する事が好きでした。仲間と楽しく演奏できる事に喜びを感じました。聴く音楽のジャンルは、中2でiPodを手にして以来一気に幅広くなりました。クラシックやJ-Pop、洋楽など、気になるCDがあればすぐにレンタルしてたくさん聴くようになりました。
 中学校当時の私の心で、音楽というものが深い意味を持ったイベントがあります。校内合唱コンクール。3年連続して指揮者としてクラスを引っ張っていきました。特に2年の時は、あれだけ合唱に対して消極的だったクラスが、練習するたびに徐々に一つになっていき、本番の時はものすごい一体感を味わい、皆で音楽することへの達成感と感動を味わいました。音楽で仲間の大切さを深く知るという経験はそれまで味わった事がありませんでした。

 高校に入ってから、音楽が私に与える意味はさらに変化していきました。1年生の10月にアコースティックギターを手にします。地元の友人が駅でストリートミュージシャンをしていて、彼らの演奏を見ているうちに自分も・・・と思うようになりました。自分がギターを演奏するようになって、ストリート出身のアーティストの曲を聴くようになります。高校に入って、いろいろな環境の変化や人間関係などに悩み、へこんでいる日々が多くなりました。そんな辛さを晴らしてくれたのが、友人のストリートライブでした。決して上手とは言えないけれど、アコギのサウンドと彼らの歌声を生で聞くことで心が癒されました。自宅に戻って自分もギターを手にして演奏することでさらに心を落ち着かせていました。日頃聞く音楽はいつしか、自分自身を癒すために聞いていました。歌詞の内容をじっくりと味わい、時に涙を流す事もありました。
 吹奏楽部員としての生活は高校に入っても続きました。最後の1年間の充実ぶりはものすごいものでした。金管8重奏のメンバーとしてアンサンブルコンテストに臨みましたが、最初のうちはなかなか思うようにいきませんでした。女子7人、男子1人のなかでの人間関係は、最初はしんどかった。けれど日を重ねるごとにどんどん仲間としての意識が芽生えました。2ヶ月くらい、ずっと8人で練習する日々が続きました。練習は辛かった、けれど熱い2ヶ月間でした。本番、大きな一体感を感じ、心から仲間と演奏できることの楽しさを感じました。結果は銅賞でしたが、その8人でまとまってやって来たことは、大きな想い出の一つです。
 部員一丸となって準備し練習に励んだ最後の春の定期演奏会。最高学年の一体感はこの頃から高まりました。予想を遥かに越えるお客様に来ていただき、感動していただきました。演奏者自身も、大きな達成感に打ちひしがれていました。
 いよいよ最後の夏のコンクールに向け練習がスタートします。しかし、我がテューバパートは他のパートよりも遅れをとりました。というか、私が下手だった訳です。合奏中やセクション練習中に音が合わなくて何度も怒られてはへこんでいました。毎日ものすごく辛かった。そんなときに大切な事に気づかせてくれたのがストリートをやっている友人たちでした。ものすごく楽しそうにストリートライブをする彼らを見て、「そうだ、音楽は楽しむものなんだ」と、気づいたのです。そしてふと、一緒に2年半部活を続けて来た仲間のことを考えた時、「もっと一緒に演奏したい、一緒に楽しみたい」と考えるようになりました。次の日、突如コンクール曲を吹くことが楽しくなったのです。気持ちを切り替えてから、パート内での音も合うようになりました。日々の練習は依然きつかったけれど、楽しくなりました。夏合宿では朝から晩まで練習漬けでした。それでも50人のメンバーとの一体感はさらに高まっていきました。本番、最高潮のテンションの中、ステージの上では大いなる一体感を感じました。仲間と一緒に同じ時間を共に出来る、それが何より嬉しかった。地区大会から県大会への出場が決まった瞬間、久々に涙が出ました。県大会では結果振るわなかったものの、仲間たちとここまでやり遂げられたという幸せを大いに感じることが出来ました。

 吹奏楽部を引退して、音楽について振り返ってみました。そこには必ず人がいました。私と一緒に音楽をした人がいました。私を慰める音楽を奏でてくれた人がいました。私が音楽を通して得たのは、音楽そのものよりも人でした。人が書いた詩に心動かされ、人が奏でた音に癒され、人とともに演奏することで感動を共有できた。音楽を一つの手段として人とのつながりを意識できたことで、自分にとっての音楽は大きな意味を持つようになりました。音楽を通して出会った人々に、心を豊かにしてもらいました。そのことが、僕にとって誇るべき音楽の成果です。
 「趣味の音楽」と冒頭で書きましたが、こうして振り返れば音楽は趣味の範囲で収まるものではないような気がします。ともすれば椅子の3つの脚のなかで遠藤忍の人間性を形作る最も重要な脚は音楽ではないかと思います。音楽を心から愛しています。これからも愛していきます。音楽に触れることで出会う人たちと、一緒に心を豊かにしていきたいと切に願っています。

(PC推奨)寝付けない夜の小説

その夜、僕は寝付けなかった。
その理由は分からないけど、なんとなしに寂しかったのは間違いないかもしれない。

夕方から上司に勧められた酒を飲み、いやそれほど多くはないが多動し始め、ついにうめき声を上げながら横になった。
ひー。ひぇー。
意識はある。申し訳ございません、と口が動く。ありがとうございます、と僕の声が聞こえる。

カラオケに行くらしいが諦めた。歌う欲求はいつでもあるのに。だが早く家に帰らないと荷造りができないし、そもそもこの酔いはそんなに早く引きそうもなかった。千葉県が好きな男の車に福島県の男と乗り、車の窓を開け首を出す。気持ちがいい。意外と意識ははっきりしているもんだ。それなのに・・・・・・。情けない。

家に帰ってひたすらソファで落ち着こうとする。だめだ、引かない。首に巻いた濡れタオルは酔い醒ましどころか首を締めつけ苦しくさせる。とりあえず口が粘っこい。麦茶を飲んでも胃の中のアルコール分が中和される気配がみられない。
テレビでは松山がでている。そう思うと中井がでている。全くもって内容は気にしていない。ただその日が日曜であることは、出演者から予想がついた。

電話をかける。はっきりした意識の割にぐらぐらする体を落ち着かせるためには、それくらいしか方法がなかったのかもしれない。別に用事なんてない。「ただ声が聞きたかっただけ」なんてコブクロの歌詞にしか出てこないような言葉が口をついて出てきた。盲目のマジックにかかるとこんな気分になるのか、と思いつつ、何気ない会話が成立していた。

青山テルマがシダックスでChoo Choo Trainを歌っている頃になってようやく、風呂に入る決心が付く。母親の洗濯仕事はまだ終わっていない。ちょっとたって湯船につくと、ホッとするような感情は何一つわき上がってこなかった。
プロのつけたワックスも、僕の髪の毛には勝てないらしく、ただべっとりと髪の毛についているだけ。シャンプー→シャンプー→石鹸→シャンプーという順に髪を洗う。全く環境への配慮がなされていない。こんだけやってそんなに実利がないのなら、別に髪の毛など気にする必要もないだろうが、それでもいじりたくなる。だって男の子だもん。

風呂から上がってパソコンをつける。2ヶ月ほったらかしにした研究会HPの体裁だけ完成させて、あとはSAに放り投げてしまった。でもデザインには自信がある。ブログというものも、やりようによっては日記意外の用途にも使える。
なにを着るか、本当に迷う。荷物は多くしたくない。とりあえず、本番は情熱的になろうと思ってタンクトップの色を赤にした。母親に、スラックスのボタンの縫いつけを頼むが、糸を通すのは僕の役目だ。とりあえず諸々用意はできた。充電の不足はないかしら。急いでカメラと携帯に飯を食わせる。満腹になったらこき使ってやろうと思った。

なんとなしに感じる寂しさはまだ癒えない。母親も寝た。パソコンとテレビがうなりを上げているなかで、まだ若干残る酔いと、そして小さくて無意味な寂しさと格闘せねばならない。mixiのトップページを何度も更新する。足跡ページを何度も更新する。コメントを付けた日記記事を何度も訪れる。そのうち、友人が僕の長編日記にコメントを付けた。まるで地平線のずっと先まで広がる広野のような、広い心でもって彼は僕にメッセージを投げかける。まったく、泣かせるような真似をしやがって。ふと、その友人に対する尊敬と心配が自分の中に存在していることに気づく。とりあえず、僕は背中で語れる人間にならねばならないらしい。

周囲から粕と呼ばれる人がインターネット世界から話しかける。あなたは粕ではない、と言ったら、謙遜しつつ伝説を残したことがあると言い出した。ほんの少しであるが、考えていることや境遇が似ている気がするがそれは定かではない。はっきりしたことは、僕が歌うか歌わないかということは、今日判明する、ということ。
さっき電話した人がインターネット世界から話しかける。至極まじめな話からチョコレートのような甘い話まで多岐にわたって、そのターンテイクは覚えていない。ただ、どちらも舞い上がっていたことには変わりなく、時間のたつのは早かった。とりあえず、相手には「楽しみ!」が多いようだ。よいことじゃないか。その「楽しみ!」が誰かと時間を共有できる楽しみであることに、おおかた間違いはなさそうである。

腹が減る。胃腸がひよっているからあたたかいものを食べよう。そして、夕方に茹でておいたキャベツを鍋にぶち込んでコンソメスープを作った。コンソメが2個だけだったので味が薄い。こしょうをかけすぎたら今度は辛い。仕方がないので辛いまま飲んだ。猫舌男には熱くてたまらない。熱いのは、画面越しに繰り返されるインターネット世界での会話も同様だったのかもしれない。
食べ終わりのタイミングで、夢の世界に行く宣言をしたのが、午前3:30。まぁ3時間寝れば何とかなる、という根拠のない不健康習慣をたてに、とりあえず布団に入った。

・・・・・・しかし、まったく眠気が起きない。

脳内iPodで演奏曲を再生して指を追うけど、逆に目が覚める。座布団をふたつに折って抱き枕にしても、抱く相手が人間じゃないから当然落ち着くわけがない。夢? んなもん見れるわけがない。目を閉じても開けても暗闇の中、意識はさらにはっきりしていく。
傍らにいてほしいと想う人が傍らにいてくれたときのことを考える。それでも眠れない。むしろまた寂しさを覚える。よく訳が分からん。飲んで酔って疲れて温かくなって床についたのに、寝れる要素がたくさんあっても寝れない。僕は不眠症ではないはずなのに。

仕方がない、布団ではなくソファで寝よう、と思ったときには、すでに杉崎美香の午前4時の名ゼリフはとっくに終わっている時間だった。それどころか、時刻は世間的には「おはよう日本」だったから驚く。いくらも眠れないじゃないか、これじゃ寝不足になる。と思いながら横になるけどやっぱり眠れない。
外が明るい。みのもんたも出てきた。えい、しょうがないから海辺のカフカを読むことにする。そうしたら物語は佳境に入った。2つの章を読んで、残りは後回しにしようと思った。もう細部は覚えていないけど、大枠で言うと、もうとにかく繋がりそうな感じが冷や冷やする。

日本全国の朝に向かってズームインする時間になって、もう諦めることにした。電車は7:30だけど、それより1本早い湘南新宿ラインで行こう。炊飯器が蒸気を上げる。飯ができたようだから、TKGにしようと思い立った。卵の量が多すぎて、全部かけると茶漬けのようになったため、あわてて米を足す。いつもの朝食よりも量の多い朝食になった。
ワックスを買ったからつけてみる。案の定うまく行かない。プロがやっても、ワックスの整髪力より僕の髪の毛質の方が勝つのだから、素人の僕がやっても歯が立たない。いいか、前髪を流してトップと後ろは毛束を作ろう。それでも毛束はできない。慣れないことはするべきではないのだろうか。

やることはたくさんあるから、文房具としてのパソコンは必需品である。けれど重い。家を出る2分前になって、おいていく決心をした。でもそれで良かったのだろうか。結局は通学時間を無駄にするだけになる。でも寝るからいいか、とも思った。
ところがだ。全く電車内で眠気がおそってこない。両隣の女性は首をうなだれていて、特に右側の女性は僕にもたれ掛かってくる。申し訳ないが物理的に重い。僕はカフカを手に取るがそれも集中できず、とりあえず携帯に向かって文筆を始めた。

そうして、寝付けないまま、まもなく池袋、というアナウンスが聞こえる。まったく、自分はなにをしていたのだろうか。そして、この寝付けない夜を通しておそってきた寂しさはなんなのだろうか。むしろこれは寂しさだったのだろうか。
予定では10時前に学校に着く。楽器吹くか。

【長編】覚悟の問題

拙ブログのテーマは人生のアーカイブ。その時々に思っていることを記して、後々見返したときにあのときはあんなことを考えていたのか、ということを振り返るための場所です。ですから、明るいことも暗いことも、まじめなこともバカなことも書きます。今回も、そんなつもりで書きますから、読み飛ばしてもかまいません。

さて、話は我が楽団のことです。
愛しの指揮者軍団のうちの一人が、こんなことを漏らしておりました。

「俺、こんな状態でディズニー吹きたくない」

『世界のリーダー』という記事をみれば分かりますが、実は3日後に東京ディズニーランド・シアターオーリンズにて、我が楽団がステージ演奏をするわけです。3年越しのディズニー演奏ということで、張り切っています。

でも、張り切れていないという事実もあるわけです。
「俺、こんな状態でディズニー吹きたくない」
この言葉を聞いて、ハッとしました。また、録画の時のことが思い出されます。一奏者としての天命は、そして覚悟は。

今回私は、僭越ながらステージMCを共同で務めさせていただきます。キャンパスガイドはまるでジャングルクルーズのごとく、がモットーの私だけに、今回のMCは相当の晴れ舞台かつ栄誉であると思います。人の前で言葉を発するという事にかけてはプロ意識を持っていますから、そのつもりでおります。

って、そんなことはどうでもよく、翻って演奏はどうなのだ、という話です。正直言って、我々の演奏は徐々にではあれ格段にレベルを上げています。OLCの招待を、受けるべくして受けた、というのは団員なら誰もが認めるのではないでしょうか。それだけに今回は、ただ自分たちの自己満足のために演奏するのではないという事を肝に銘じるべきなのです。私たちは、その日「キャスト」になるのです。ゲストに夢と希望を与える、役者になるのです。

役者は、大げさ、というのが私のイメージです。MCを例に取れば、自分を、普段人としゃべるときとは違うモードに切り替え、声量、速度、語尾強調、抑揚を、これでもか、というほどまで大げさにやらないと伝わりません。それは高校時代にさんざんスピーチで鍛えたのでいささか自身はあります。

では、チュービストの自分は、音量、強調、抑揚をこれでもかと大げさにやって、楽譜(=MCでいう原稿)を完璧に再現して、音を届ける・伝えるということがでできるか、としたら、いまの自分にそれはできていません。昨日神奈川フィル定演に行って、チューバがよく見える席に行って改めて思いました、まだ自分は真の演奏者じゃない。結局は自分の満足する演奏でとどまっている。だから
「俺、こんな状態でディズニー吹きたくない」
に、ハッとしたのです。仮にそれが自分に向けられた言葉でないとしても。

いかんせん、人間は過度の自信を持ちすぎると傲慢になってしまいます。私にはその嫌いが相当強くあるようで、それがチュービストとして・キャストとしての覚悟を意図的に薄めているようです。幸いにして、周囲からは私の演奏を認めていただいているように思います。高校時代以上に「うまい」と褒められ、それはもう身に余るほどです。でも、勘違いをしていたのは、だからといって練習しなくていいということではないにもかかわらずそうしていたことです。それって誰の目にみてもマズいですよね。

9年目にして未だよくトチるし落ちるし、空気を読んだ音づくりができないし、早いパッセージでは指が絡まる。そうした技術面での問題点を、練習でカバーすることに対しておろそかさが出る。何より反省なのは、「いやぁ右半分覚えてませーん、えへへ」と公然とふざけた口調で発言する。そこには、各人の覚悟に対する想像力が欠如していることを、後になって気づきます。想像力を欠くことは、さながら罪にも思えるのです。

合宿中に垣間見た、団員のひたむきな姿には頭が上がりません。ここ最近印象に残るのは1年生の熱心ぶりと指揮者の覚悟と決意です。それがすべてではありませんが、ただ彼らは自分に足らぬ部分を自分で埋めようと必死です。その必死さが、すなわち覚悟の問題なのです。団の運営の核にいる者として、また団の演奏を下支えする楽器を担当するものとして、そうした必死さを裏切ってはいけないと思います。

「おまえは、話をすぐに覚悟とか責任とかいうアタマの問題に帰着させているけど、音楽は楽しむものだろ。」
とお考えの方、私は十二分に演奏を楽しんでいます。ただ楽しむだけが音楽ではないという事を自分に言い聞かせねばなりません。みんなで上るステージを盛り上げるのはみんなだし、また盛り上がるのもみんなです。みんなで楽しむという覚悟もまた、重要になってきますね。

もしこれを、我が愛しの団員のみなさまがお読みだとしたら、今一度、今回の演奏に向けた覚悟を考えてみてもらえないでしょうか。まだ残された時間のある中で、最高のパフォーマンスを届けるには、なにができるか。僕は僕なりにその答えを演奏で出せるように、あの録音音源を聞きながら、ひたすら指を動かす練習をしようと思います。

ディズニー演奏まで、あと3日。

ネコのおもひで

まりえし
なおゆき
じゅんちゃん
ぬこ
えくすたしー
ねこ

どうやらこれらの名前は同一のネコのことを指しているようです。
部室棟のネコ。

ぼくは、そのネコを「なおゆき」と呼んでいました。
SFC公式サイトでネコの話が出ていたとき、梅垣先生の研究会の人がネコを保護して、
なおゆきと名付けていた、というエピソードが掲載されていて、
それから、とりあえず「なおゆき」と名付けました。

Dolceにも足を運んでいました。
部室に入ってきて、追い出すのに必至でしたが、
私とともに副部長をやっているMくんは、すくっと抱き上げて、
いつもなら出さないような高い声でネコを外に出してあげました。

実は僕、あまり動物が得意ではありません。
部室にネコが入ってきた時も、僕に飛びかかりそうになって、
男らしくなくビビってました。
ふとしたときにしっぽでも踏んじゃうんじゃないかって、ひやひやです。

でも、朝方や夕方に足を運ぶと、
なんだか優雅に歩いている姿を見かける訳です。
おまえはいいな、
なんて声をかけたり。

どんなに忙しい時でも、そいつがちょこんと座っていると、
目線をあわせて会話を試みました。
だいたいは、あくびとともに目をそらされました。

そんな経験をしたのは、僕だけではないはず。
ただでさえ忙しくて精神的に追いやられる人が多いであろうSFCで、
ネコの存在は確実に癒しだったはず。

…七夕祭の日に、死んだそうです。交通事故で。

マイケルが死んだ時のように、本当に死んだのかどうか、信じられません。

彼が好きな食べ物って何だったんだろう。
屍に捧げて、ありがとうとでも声をかけてこようかな。

本番でこそ果たすべき本来の役割

ご無沙汰してます。ここ最近、いろいろと綻びがあって精神的安定が見られませんでした。収束に向かっています。

で、今日は本番でした。
本番が複数回あることは幸せですね。でもそのかわり、妙な緊張感があります。
もしお蔵入りになったとしても次の本番タイムがあるわけですが、むしろ1かいきりの本番の方が、潔さがあると思います。

正直、音声さんとしてのenshinoは、本当にGJなんだと思います。
恵まれた環境を最大限活かして、力量を持っている我が団体の最高のパフォーマンスをできる限りよい形で記録したい。
ディズニーリゾート・ミュージックフェスティバルプログラムという舞台に立てるなら、それに向けてできることは尽くしたい。
それが音声さんとしての役割だと思っていました。
事実、多地点録音は驚くほどの奏功ぶりです。各地点から聞こえる音はショボいとしか言いようがないのですが、それを総合したとき、自分の耳を疑うほどの音ができあがっていました。
正直言います。演奏の聞こえは、間違いなく成功です。

でも僕は音声さんである前に副部長でした。
聴かせる・魅せる音楽作品を集団でつくりあげるのが吹奏楽。その集団にあって、名ばかりでも「まとめ役」である自分には、音声さん以上に担わなければいけない役割があったはず。
「一緒にがんばろうね」というコミュニケーションを果たせたかといえば、全くできていなかった。
気持ちを鼓舞すること。気持ちをつなげること。
それが自分の役割だと気づいていながらできない自分が今日の反省。

そして僕は、副部長である前に一人の演奏者です。
一人の演奏者として尽くせる手を、僕は果たしていません。本分を果たさなかったのですね。
ちゃんと音づくりに参加すること、合奏に集中すること、音楽に没頭すること、冷静に楽譜に忠実に演奏すること。
きりがないほどの反省点、音声さんとして自分のエゴで動いていたことが悔やまれます。特に指揮者M氏には本当に頭が上がりません。僕の全部のパフォーマンスが、まだまだ出し切れていないようです。

みんながんばってます。
あまり練習に来られなかった人も、毎回のように参加している人も、そんな垣根なくがんばっています。
あぐらをかいている場合じゃないなと思いました。

別団体の長にいわれました。
しのぶは物事に本気になったことがあるか、と。
明日示せる本気は、楽器で示したいと思います。

明らかに、Dolceでの「しのぶちゃん」とは違う自分が、これをDolcerに向けて書いているのも不自然でしょうか。
とにかくいま、今日関わってくれた人すべてに感謝しながら、明日は本当の意味でできることをやろう、と思っているところです。

まさに、帰りの夕食で誰かが口に出した、Nobles Oblige。
明日呑む酒の味も、これ次第で変わるに違いないでしょう。

enshinoProjectってなんだ

現在三田キャンパスでぬくぬくしております。
今日は教職課程センター実施の社会科実力テストでして、これに落っこちると教育実習にいけません。
…受かる気がしねぇ

それでなんとなくネットサーフィンしていたんですが、
私の知り合いで、自分のプロジェクトをWebでしっかり紹介している人がいて、
なんだか焦りを感じる訳でして。

でさぁ、enshinoProjectって実際なんなのかって話ですよ。
具体的になにかProjectをやっているのかと問われますが、
半分正解で半分不正解と言うか。

あのね、Projectという単語を聞いて皆さんは何を思い浮かべますかね。
おそらくSFC生だったら、
1.ある達成目標に向かって一人ないし複数人で起こす行動・作業またはその計画
という意味におけるProjectを思い浮かべるでしょう。
これはもちろん、enshinoProjectにおけるProjectに含意されています。

だけど、本当はそれだけじゃない。

あの、プロジェクターってあるじゃないですか、プレゼンで使うあのアッチッチになるやつですよ。
あれって、「投影機」ですよね。何らかの映像を目の前のスクリーンに投影して、
それを複数人で見ることによって共有する。
あれって、projecterですから、projectする物・人が原義ですよね、
そしてproは前という接頭辞であることを考え、
さらにCDプレーヤーなどの取り出しボタンがeject(e-ject)であることを考えれば
-jectには何かが出てくるという意味があるんだと思います。

で、ここまでの内容を整理すると、enshinoProjectにおけるProjectとは、
2.自分自身の抱いている思いや考えを前に出す・表出する行為
3.表出した・投影させた思いや考えを自分自身で客観的に評価する行為
4.表出させた思いや考えを他人と共有し、フィードバックを得るプロセス
という意味を含む物なのです。

はい、これで分かりましたか?
なぜmixi日記やブログのタイトルがenshinoProjectなのか。
2〜4の意味に照らし合わせれば、思ったことや考えたことをさらけ出すブログのタイトルとしては、
Projectというコトバがふさわしいということを。

でもね、本当は1の意味におけるProjectについてもっと書いていきたいんですが、
なんだかやる気が起きなくてね、ページデザインする時間がなくてね。ほんと。

ん?
なんでこんなことを書いている暇があるかって?
あのですね、これから受ける実力テストの対策でバイト先から借りてきた社会科のテキストが、
過去問に照らしてレベルが低くて萎えたのですよ。

飯食おう。

八ヶ岳で学んだ技まとめ

レクリエーションはまだまだ素人のenshinoです。

昨年、藤沢市は湘南台青少年育成協力会という地域団体の代表さんに誘われ、
藤沢市所有の八ヶ岳野外研修施設にキャンプに行った訳です。
キャンプファイヤーする訳ですよ、レクする訳ですよ。
もともと人前で喋ってレクとか仕切るのは好きだったので、いろいろやりましたら、
そこに居た補助員さん「かっつん」に目をつけられました。

「君、素人じゃないな。」

そんな縁から、八ヶ岳レクリエーション協会会長のかっつん主催の元、
野外研修施設の野外体験活動指導補助員研修に行ってまいりました。
長ったらしい名前ですがようはバイトで、
今年5、6月にこの研修施設にやってくる藤沢市の小中学生のキャンプのお手伝いをします。
お金は、交通費と宿泊実費はかかりましたが、
なによりスキルが身に付いたことと、おもしろい人達にあえたことが最高でした。

かっつん、やぎさん、ホセ、みゆきさん、
ホルヘ、ひろちん、ひろちんの奥さん、かえでちゃん、おざわさん、
マッチ、あじめ、ベジさん、あぐり、トシ、じんじん、ロン、
いどちゃん、ゆきちゃん、ベンゾー、上田組のみんな、(多分これで全員か)
ほんとうにお世話になりました。

あと、フランスに行くよーくんも、お疲れさんでした。誕生日おめでとう。

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【超長文】成人を迎えた自分を後で振り返るための備忘録

ハタチという節目は、僕にとってあまり大きな意味を持ち得なかったハズなんです。これと言って生活が変わるわけでない。よっぽど、卒業やら入学やらの節目の方が大切で、正直僕が大学入りたてに犯罪犯しちゃったとしても顔出し名前だしOKなんて考えるくらいです。だって、権利と義務が同時発生するだけで、その権利と義務の行使の機会なんて全うに生きてりゃそうそう現れねぇだろ。っつうのがこれまでの考えです。

けど、成人式をやってみて、そいつは違うんだなって思ったんですね。
その権利と義務の発生とやらは、実は相当の重みを持っていたという事ですね。これまでは、法の下で保護されていた立場。子どもという名の下に仕方ないと許された立場。そこから、自己の責任で動かなければ、つまり自分で全て処理しなきゃならない立場になったわけです。そんなこと、18歳の遠藤忍なら法律の文章を読んで理解し出来たはずです。ただ、なってみないと重みはわからないわけです。

見知らぬ人とかお偉いさんとか恩師たちとか、家族からまでも「おめでとう」と言われる。いったい何がおめでたいんだか。でも少し考えてみれば、それは大人への仲間入りとか、独り立ちのゴーサインとか、期待の現れとか、そんな意味なんですかね。成人式典はものの30分で終わりましたが、主催者側にしてみれば、あの式を挙行する本当の意味は、子どもからの決別と大人としての権利・義務の自覚を促すこと、早く言えば、ちゃんと税金納めろよ、というメッセージなのかもしれないですね。まぁ成人者の目的はそんなことでないことはみなさんご存じでしょうが。

かつてやけに大人びていた僕は、しきりに大人と同等の権利を持つことを欲していました。特に参政権、被選挙権ね。それが今、そうした大人の権利を持ち、そのかわり子どもという立場を捨てた。子どもの頃の僕は「よかったじゃん、これで選挙にも行けるよ、酒も飲めるよ」なーんて言うのかもしれませんが、実際はなんだか悲しいもんですね。子どもだったからこそ言えたこと、認めてきてもらえたこと、これからはそんなもの無い。さて自分はこれからどうやって成人した遠藤忍を確立していけばいいんでしょうか。

そういえば、子どもの頃から大人びていた、いやサラリーマンキャラ、ちがうおやじキャラだった僕ですが、その発端は家族(むしろ祖母)の影響だったにしろキャラを確立したのは僕自身でした。そんなこともあり、また髪もたいそういじらず、太りもせず痩せもせず、ただめがねがつけ加わっただけで忍は忍のままで忍として生活してきたら、数年ぶりに再会した多感な時期・中学生時代をともに過ごした仲間の全てから「おまえは変わらない」と言われました。そりゃそうでしょう。おやじキャラは自分で自覚してたんだし、今はそのキャラに年齢の方が近づいてるんですから。でもねぇ。中身はだいぶ変わってると思いますよ。親友の一人は、「何となく変かは感じる」と言ってくれますし。

それでも「変わらない」と言われることは、みんなにも自分にも安心感を与えるんじゃないかって勝手に考えています。5年ぶりに会う同級生は、ファッション・髪型・顔つき・体型だいぶ変化があります。それにそれぞれ当時とは明らかに異なるフィールドで人生を生きている。それでも、口癖に残るなつかしさ、動きに残るなつかしさ、口をついて出る話題、面影、そういう変わらない部分を見つけると、ホッとするんですよね。学年の仲間たちと会って、いい刺激といい安心感を得た気がします。本音を言えば、もっと静かな環境で、一人ひとりの今の進路とか、そんなまじめな話したかったけどKYだわな。

考えると、ハタチってのが特別な意味を持つのがよくわかる気がする。人生20年生きたんだから、そろそろ保護される立場じゃなくなっても生きていけるだろう、体の成長も成熟したし、知識や精神もしかり。そういう理屈でハタチっつうのが一つ。もう一つは、学校教育制度との兼ね合いですね。つまり、義務教育でみんなが同じレールを歩むのが15歳まで。中学校を卒業すると、自分の関心・学力・生活水準などのいろんなレベル・身の丈に合わせた選択肢を取っていく。そうして生活する中で、5年という区切りのいい年をきっかけに、一緒にレールを歩んできた仲
間たちと再会する。互いに懐かしさを共有して、今の近況を話し合って、元気をもらって。そういうことができるからハタチっていう節目に意味があるんですな。そりゃハシャいじゃうわ。式中にプラスチック製バットを振り回したり、開式の言葉を述べる僕に向かって「忍〜」と叫んだり、会場外で酒盛りしてゲロ吐いたり。わかるよ、そうしたくなる気持ち。うれしいもんね。

びっくりするようですが、僕はもう日本人の平均寿命の約1/4を生き抜いてしまいました。そのうち最初の5年間はろくに言葉も交わせなかったわけで、次の5年間は世の中がなんたるかなんて知りもせずに遊びふけってたわけで、その次の5年間でやっと社会を知り、他人とのつきあいを知り、未来を真剣に考えた。その後の5年は素早くすぎて今に至るわけです。怖えぇ。そんな平均寿命の1/4を、家族は暖かく心配してくれてたんですが、口の利けない5年間は何も示せず、遊びふけった5年は当たり前だと感じ、広い世界を知った5年は反発し、そして最近の5年は自分中心になった僕。今ハタチになって、僕は恥を覚えました。何を今更、なんて言い放つ技が身につきました。格好悪いですね。

私を産み落とした母はもうこの世には居らず、私を育てたのは祖母と父と父の再婚相手である今の母です。一緒に暮らす弟と妹とは血のつながりはありません。ま、そんなこといっさい関係はありませんが。ただ、産み落とした母はよくぞ俺を生んだと思い、その命を受けた祖母はよくぞ手塩にかけたと思い、悲しみを背負った父はよくぞ大きく育てたと思い、本来なら他人だった今の母はよくぞ自由に世話をしたと思います。この人たちの存在がなかったら、という問いかけを忘れたとき、僕は高慢にならざるを得ない。これは非常に自己中心的である自分への、自分からの警鐘です。

結局何が言いたかったんだって??
ハタチって節目も意味があるんだなって事がわかったって事ですよ。

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古都が気付かせてくれたこと

北陸回り京都の旅から帰ってすぐに、吹奏楽サークルの合宿に行ってしまったため、旅行中の感動をじっくり振り返ることを忘れていました。

今回の旅でも、またたくさんの写真を撮りました。
前回の只見線・会津のほうは、どちらかというと自然物を取ることが多かったのですが、今回はやはり、金沢・京都が大きな目的地だったので、人工の建築物を撮ることが多かったように思います。

特に、京都の社寺の山門やらお堂やらの写真は、もうタイトルが付けられないってくらい何度も被写体にしていました。
特に、東寺と仁和寺の五重塔の数がかなり多く、仕方がないので何枚か削っていいものを残す始末でした。旅行中は、なんでそんなに五重塔が好きなんだろうと、首を傾げるくらいでした。

京都で回った社寺は、朝の清水、東西本願寺、東寺、二条城、北野天満宮、龍安寺、仁和寺、平安神宮。特に「うつくしい!」と感動したのは、清水・東寺・仁和寺でした。それから、金沢でやはり美しさを感じたのは兼六園でした。
「美しさポイント」は何だったかと言えば、木々の緑と古い建築物がマッチしていたということ。それを感じることができたときに、自然と手にカメラを持っていたのです。

普段見ることができるはずの木々の緑でも、普段とは違った場所に来るとより美しく感じる。これは、この間の只見線の車内で、周囲に自然を感じながら想ったことです。そして、同じことを今回の社寺巡りでも考えた。しかし、明らかに違うことがあります。
それは、今回目にした『緑』は自然のものではなく、人工のものである、ということ。
東寺の庭に感動し、仁和寺の庭に感動し。それらの感動はすべて、庭と建物から感じる美が発端だった訳ですが、それらは全て人工物なんですね。只見線の旅の時は、田んぼは人工物だったし、おそらく山の一部は林業の木々が生えていたでしょうが、大半は自然の緑やら空やらに感動を・美を感じていた訳ですが、ほんとうの「自然」に負けない美しさが京都の社寺や兼六園にはあったのです。

そう考えれば、昔の日本人の美的センスというのはどれだけ高いものだったのだろうか、という思いに耽ってしまいます。庭と建物のデザインがぴったり調和して、そこに美意識を感じさせる点、日本の古い建築を担っていた人々は本当にすごいと思います。
そして、そうした建物の美的センスは、緑色を伴わなくとも、祇園や清水周辺の町家に綺麗に残っていて、それもまたすごいと思うんです。

そもそも日本古来の建築様式はびっくりするもので、良くこんなものを建てることができたな、と舌を巻くようなものが多い。造りが精巧で、木だけで作られているにもかかわらず保ちがいい。どうしてこんな建築物を建てられたのか、それを創造するだけでもゾクゾクします。
それに加えて、美のセンスを追求したデザインをもってくるあたり、日本ってすげぇなって思います。

きっと僕には、まだまだ知らない日本がある。いや、知らなきゃならない日本がある。
それは、日本が育んできた文化。外国語教育、とりわけ英語教育を研究しようとしている自分だからこそ、知らなきゃならないのは世界のことであり、またそれ以上に日本人アイデンティティーの各となりうる日本文化なのだろうと思います。