00:プロローグ

 今僕は、9:20に発車した新幹線の中にいる。たった今品川に着いたところだ。窓側の座席からその気色を楽しんでいる。
 これから僕(と母)は大阪へ向かう。朝日ニッケ英文エッセーコンテストのオーストラリア研修の結団式に参加するためだ。そして明日、僕はオーストラリアに向かう。
 ジェネジャンで出会った奥山さん。4月に亡くなってからもう4ヶ月くらいたつんだなぁ。その奥山さんとの出会いをしたためた冬休みの英作文の宿題。それがあろう事か一次審査を通ってしまった。そして3月末、僕は二次面接を受けにいった。日本毛織本社、大阪までの小旅行。午前中は英語による楽しい面接、午後は明石康氏を始めとする大物から突っ込まれる厳しい面接。大阪の滞在時間より移動時間が長かった。友達もバラバラのところから3人も出来た。翌日には携帯に結果連絡が。合格。うれしさの絶頂を迎えた。

 そして、諸々の準備を終え、今僕は大阪に向かっている。今思うと、多くの人に支えがあってこそこのたびに参加できる。本当に感謝している。
 多くの人の期待を背負い、明日からの旅を楽しみたい。

国会55日間延長 議決

…6/18読売新聞朝刊より…
「紙芝居対決などの低レベルな会議だから日程がのびるんだろうが。」
19日までの日程だった今国会が8/13まで延びた。
与党の賛成多数で決定。
野党は川崎衆院議院運営委員長の解任決議案を提出するなどして時間稼ぎをしようとした。
さらに、野党議員の発言で、自民党議員が酒気帯び状態で議場に入ったと突っかかった。
仮にその議員が酒を飲んでいたのなら、なんてレベルの低い議員だ、品位を欠く。
と同時に、そんなことにしか突っかかれない(訳ではないのだが)野党もレベルが低いかと。

何を持ってレベルが高いかと言えはしないが、なんだかもっと濃密な議論があってもいいと思う。
紙芝居作ってる暇あったらもっと議論を重ねろよ。

ブログで「民主」や「64」ダメ

…6/17読売新聞朝刊より…
「何のためのITツールなんだよ!?国家検閲なんて信じられん。」
マイクロソフトが中国始めたブログのサービスで政府が敏感になるような単語の書き込みを禁止しているらしい。
マイクロソフトだけではなく、ほかの大手ポータルサイトも自主規制しているらしい。

ブログって自分の意見を自由に、かつ責任もって発言できるツールだと思う。
それでも中国だから自由な発言はタブーなのか?
民主主義はそんなに都合が悪いのかなぁ。

夫とけんか 列車止める タイ人逮捕

…6/16付け読売新聞朝刊茨城版より…
「たった一人のわがままで茨城人に迷惑をかけるのは止めてください」
15日朝、土浦署に「踏切に車が止まり、列車を停止させたようだ」と通報。
車を止めていたのはタイ人の主婦。
「夫とけんかした、死んでもいい」などと言っていたそうだ。
そのせいで、常磐線が3本遅れたと言う。

朝のラッシュに、全く持って迷惑な話だ。
運転手だって目がいいんだから、緊急停車するに違いない。
踏切じゃ死ねやしないと思うよ。

地上デジタルTVアンケ アナログ2011年終了 74%「わからない」

…6/15読売新聞朝刊より…
「ばんばんCM流せるTV局が告知不足とは、頭が悪いね。」
ある調査によれば、地上波デジタル放送を約8割の人間が知っていたという結果が出た。
しかし、アナログ放送の終了時期を知らなかった人は同じくらい居た訳だ。
正確に答えられた人は1割にも満たない。
約4000人を対象にしたこの調査では、地上波デジタルの受信機を持っているかどうかも聞いた。
普及率は約8%らしい。
そりゃそうだ、チューナーだけってのも気が引ける。

実は最近自宅に液晶テレビがついた。
BSデジタルの画面はものすごくきれいだ、地上はアナログは画面が荒い。
データ放送も面白い。
しかし、地上波デジタルは受信できない。
早く見たいっつうの。

官庁ITシステム運用費 950億円削減可能

…6/14付読売新聞朝刊より…
「コスト削減のためのITシステムに過剰なコストをかけてどーする?!」

第三者機関の調査に寄る結果だそうだ。
社会保険庁のオンラインシステムはなんと520億円もの削減が可能だという。
財務省の関税などのシステムに至っては実績よりも多くの投資がなされた、つまり無意味な投資をし続けたわけだ。
これが企業ならばとっくに削減していたろうに。まったく行政は効率が悪すぎる。
950億円も削減できれば少しは国の借金の足しになるだろうに。

行政はいったい誰の金で動いているのか、よく考えてもらいたい。

国立大や文科省 セクハラ懲戒30人

…6/11付朝日新聞より…
「おまえらそれでも教育者か!?あ、その前に一人の人間だったか。」

この人数は過去最高らしい。今までの記録の二倍に匹敵する。
その中で免職処分は9人だけ。どうせならみんなやめさせろと言いたい。
相手が大学生であろうと、教育者は見本を見せる人間じゃなきゃ。
インテリ・エリートならもっと理性を持ててもいいだろうが。

コールセンターに無言電話を4000回

…6/10付読売新聞朝刊より…

「よっぽど暇な奴がいるもんだなぁ。もっと別のことはできないんかい。」

39歳の介護福祉士が逮捕されたらしい。ストレスが溜まっていたらしく、若い女性の声が聞きたかったらしい。
それにしても約半年で4000回はやりすぎ。携帯から掛けたらしいが、電話代は大丈夫だったのだろうか。

受け入れるという勇気

少し関係のない話になるでしょうが、書かせてください。

現代文の授業で、中島敦の『山月記』をやりました。
最近、その主人公の李徴と自分を照らし合わせるようになってきました。
本文に載っている李徴の性格がなんか自分に似ているような気がしてくるのです。
だからでしょうか、複数の文章が頭から離れなくなっています。

さて、人間には受け入れたくない事実という物があるはずです。
最愛の人をなくしたときは、その事実を受け入れることができない、いや受け入れたくなくなると思うのです。
事実と理想には大きな差があります。その差が大きければ大きいほど、人は受け入れることを拒みたくなるのではないでしょうか。
事実は嘘をつきません。曲がることはないはずです。まして自分の都合のいいように曲がることはないと思うのです。

山月記に「理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きていくのが、我々生きもののさだめだ。」(山月記より引用)という一節があります。
主人公の李徴はある日突然発狂しそのうちに虎になってしまいます。李徴はその理由など知る訳がありません。
いったいなぜだ?と考えてみても分からない。分からないなら受け入れるしかない。
彼の運命感に非常に共感できました。

事実は自分のいいようには曲がらない。
曲がらないから、事実が自分の理想や夢と反対の方向に向いたとき、とりうる選択肢は一つしかないのです。
受け入れるしかないのです。ではなぜ受け入れられないのだろうか。
僕の経験を持ってすれば、答えはこうなります。

「自分で描いてきた夢や理想はそう簡単には捨てられない」
想い出の品をなかなか捨てられないように、自分が作り出した思い入れのある物はなかなか破り捨てることはできないのです。
想い出はいい物ですが、いつまでもすがりついていてはいけません。
夢・理想を持つことはすばらしいことです。しかしそれが「どうにもならなくなったとき・あきらめるしか方法がない」というときは素直にあきらめるべきなのです。

「あきらめってネガティブなことだろ?enshinoが言う、勇気はもっとポジティブな物じゃないのか?」
書いている途中にそう思えてきました。しかし、あきらめることにも勇気は必要なのではないでしょうか。
夢破れ、現実を見、それを受け入れる。悪く言えば「あきらめた」となります。
しかしこれは新しいスタートになるのではないでしょうか。新しいことを始めることって勇気が必要なんですよね。
でも時に古い物が新たなスタートを阻むときがある。その古い物って、実は自分が作り上げてきた物だったりする。
自分がつくってきた物を手放すのは嫌なことです。しかし要をなさなくなった古い物を捨て新しい物をつくり始めるのも勇気ではないでしょうか。

奥山さんが他界されてから1か月経ちます。
実はまだそれを受け入れることはできません、まだ元気で奥多摩へツーリングしているような気がして。
遺族の方は忙しさが終わり、ようやく「死」を受け入れられる頃だと思います。
仮にもご遺族が、「貴宏の分まで生きたい」と思えるようになったとき。
それが新しいスタート、勇気の誕生でしょう。

また文が乱れてしまって申し訳ありません。
自分自身ちょっとした受け入れがたい事実を抱えてしまいました。そこで思いついた記事だったので。
しかしそれもちょっとしたこと。時間が勇気を少しずつ与えてくれ、何も思わなくなると思います。

環境を守る

実は、今日はもう一つネタがありまして。
個人的に、あるクラスメイトに感動を覚えたというか、感心したと言うか。

地歴公民。社会の科目ですね。
僕は現在公民では「現代社会」という教科を学習しています。
しょっぱなから環境学習です。

レポートをつくり発表せよ。ここ5時間くらいの生徒へのミッション。
それぞれが調べるテーマは決まっており、僕は「砂漠化」を調べることに。
一応レポートは完成し、今日は同じテーマを調べた物同士発表し合い、班の代表が次の時間にプレゼンをするためのまとめの時間でした。
結局僕のレポートに肉付けする形でまとめることになったのですが。

クラスメイトのS君。
いつもみんなからいじられていますが、「いじらせておけばいいんだよ」的な態度を常に取る強い男。
おまけに勉強はよくでき、志望校もハイレベル。
今日は、そんな彼の意外な一面を見ることができました。
班員の発表に耳を傾け、それを仕切り、僕がとったメモと僕のレポート見て自らまとめをつくり始めたのです。
「この資料使えそうだね。」「この部分いいね。」と、活発に取り組んでいました。
「レポート作りの授業なんか受験に役立たない、かったるい」と言うのかと思いましたが、彼の環境学習への真剣な態度に胸うたれました。

彼のレポートを見ました。
彼は、電子辞書の百科事典の項目のみで2枚のレポート用紙を埋めました。
彼の意見の方が多く書かれていた印象が強かったのですが、彼の言っていることは的確でした。

砂漠化は、主にアフリカ・アジア、さらに南欧、アメリカ大陸全般、オーストラリアで進行し、年間で九州と同じくらいの土地が砂漠化しています。
砂漠化の原因は気候的要因と人為的要因とがあり、前者は他の地球環境問題・特に地球温暖化と密接に関わっており、後者は過開墾、過放牧、過度な森林伐採等、文明の発達による人間の仕業である訳です。
圧倒的に後者が原因で砂漠化する地域が多く、またその地域のほとんどが本来であれば植物に適する場所であるのです。
過度の熱帯雨林の伐採により、雨が降るにもかかわらず砂漠化する地域さえあると言います。
彼は言います。「原因をつくってきたのは先進国の人間たちである。」
確かに、環境を度外視した農業・森林伐採で得た資源は先進国に回ってくるのです。
「先進国の人間が資源を節約し、環境に配慮することが必要だ」と言った感じのことをレポートで訴える彼。

本題はここから。
「でも、今まで豊かな生活を送ってきた先進国の人間にいきなり節約しろと言ってもつらい。」
確かにそうですよね。今の生活に慣れちゃったから、節約をしてそれ以下の生活水準になることは大きな負担ですよね。
僕は、そこに勇気の必要性を感じました。
「どんなに対策を講じても追いつかないと思う。砂漠化で緑が減って地球温暖化のせいで海面があがり、生物は滅亡する。」
彼は、未来への展望をこう書いています。
悲しいかな、これも合っていると思うのです。
このままでは地球が危ない。という意識があるにせよ、大きな勇気がないと対策がとれない気がします。
でもやはり、「自分を少しくらい犠牲にするくらいで環境が良くなるなら」という気持ちを少しでも持てば、かわってくる部分はあるはずです。
それが勇気ではないでしょうか。

じゃ今の俺には何ができるのか。
身の回りを見渡して考えてみれば、紙資源を無駄に使う俺、水を無駄に使う俺、電気製品がなければ生きていけない俺。
節約どころはいっぱいあるはずなんですよね。
必要最低限に押さえる。まずはここからでも始めないと。
僕の場合、いつもそう思って行動に現れません。まずは、意志を持つ勇気からつくっていく必要がある様です。

考えたり思っているだけでは何事も解決しない、解決への糸口は行動しかない。
行動することの勇気を考えさせられるまでに発展してしまいました。
それほど、今日の彼の姿は、かっこ良かった。