あるインドネシア人の話

インドネシアに海外研修に行く、というツイートをみて、不安がるそのツイート主にリプライを飛ばした。140文字×2だと伝えきれない話なので、個々に再掲しようと思う。

結論は、インドネシア人は日本人に好意的なはずだから、安心しな、ということ。

あれは、3年ほど前の夏のことであった。mixiでもマイミクである某O氏と古河のドン某W氏の弾き語りを見ていた時のことである。夏なので涼しいさなか、彼らの音楽を聴いていると、なんだか不思議な人がやってきた。楽しそうな顔をしながら演奏を聴いている人がいる。しかし、日本人顔じゃない。言ってみれば、名倉潤ばりの彫りの深さ、焼け具合である。

すると、彼ら2人が、河島英五の「酒と泪と男と女」を弾き始めた。さすが、2人でやるからハモると素晴らしい。ところが気になったのは演奏の方ではなく、その不思議な人の方だった。

突如、「えいご〜! えいご〜!」と言い始めたのである。そして彼ら2人のもとに近づいてもっと楽しそうな表情を浮かべたのである。僕は思った。

「ちょっとまてよ、この曲は日本語だろ」同じことは、W氏もO氏も思っていた突っ込みであった。

しかしどう考えてもこの人の挙動はおかしい、というか日本人ではないのではないかと思い始めた。その矢先、ついに彼が2人に話しかけ始めたのである。「えいご〜! えいご〜!」と相変わらず。そのうち、英語で話しかけ始めた。

お、英語だ。と、英語が喋りたい盛りの僕は彼とのコミュニケーションを試みる。聞くと彼は、ビジネスで来日していて、その日は友達に会うために来ていたそうだ。出身はジャワ島らしい。そのうちに、セブ島出身の友達がやってきた。しばらく話してみた。

なぜ「えいご〜えいご〜」と言っていたか。というか、インドネシア人はなぜ河島英五の「酒と泪と男と女」を知っていたか。聞くと、実は彼のおばあさんが日本人だったか日本にゆかりがあったかで、幼少期によく日本の曲を聴いていたらしい。その曲が、河島英五の「酒と泪と男と女」だったらしい。なんともステキな話じゃないか。それを思い出して、テンションがあがったらしい。

言っておくが彼は一切酒を飲んでいない。なのにハイテンションなのである。セブ島出身の友達も止められないほどテンションが高い。ピョンピョン飛び跳ねている。すごく飛び跳ねている。驚くほどテンションが高い。よほど喜んだのだろうか。

ストリートパフォーマンスにはおひねりがつきものだが、W氏とO氏はそれを別に求めている訳ではない。しかも2人は演奏中だった。そんなとき、そのインドネシア人がおひねりを差し出してきた相手は僕であった。しかも財布から差し出したのは福沢諭吉さんであった。びっくりした。正直な私はそれをW氏とO氏に差し出し、山分けした訳だが。

財布もそうだが、心も温まるエピソードだった。一度インドネシアに行ってみたくなった。

鼻水

鼻水がとまらない。

風邪を引いたのだと思う。昨日はバイト先のOBの皆様を交えた新年会だったのだけれども、途中で種々の電話がかかってきて、2次会会場のカラオケの外で長電話をしているうちに鼻水がとまらなくなった。

鼻水は、その状況によって色が違うが、いまは無色透明の水っぱなである。こうなると、風邪の初期症状だけれど、この時期が実は一番キツい。なぜかって、止まらないからだ。まだ、黄色くて粘度が高い方がまだマシだと思う。

風邪を引いた場合の僕の民間療法はいくつかあるが、先ほど自分で「鼻セレブmini」と「カコナール2」を買ってきた。だいたいは、カコナール2で治してしまう。たった今、母親の買い物ついでにオレンジジュース1000mlを2本買ってきてもらうように頼んだ。きっと今日中に全て消費しきると思う。

しかしまた、こんな時期に風邪を引いてしまうのは、やたらと外が寒いからに違いない。皆様も、ご自愛ください。

謹賀新年2011:今年の目標は…

みなさま、あけましておめでとうございます。本年も、旧年に引き続き、何卒よろしくお願いいたします。

いつぶりの日記になりますでしょうか、本当に久々に、何事もなくキーボードを叩いている1月1日、もう2011年の初日も終わりを迎えております。

旧年は、あまり何事も起きなかったかなぁ、という印象の1年間でしたが、いろいろなところで活躍の場を与えていただいた年でした。

特に、司会業やMCという立場で、人前で話すという部分において皆様の信頼と貴重な経験をいただいた1年間でした。今後は、めざせ「湘南台のフリーアナウンサー」という辺りでやっていこうか、と自信がつくような日々でしたね。例えば、地域イベント(アニソンカラオケ大会、学生団体ステージ統括、キャンドルナイト)や、吹奏楽サークル(ディズニーシー、定期演奏会)などです。

それから、熟議という政策ムーブメントに出会い、ノリでつくってしまったreal-jukugi.orgを案外褒められたことは、誇りでした。技術者ではありませんが、「ちょっとギークな政策屋さん」「パソコンの上手な学校の先生」なんてのもいいんじゃないかと思いました。

それから、大きな経験としての教育実習は、学部生生活の集大成としてはいいものになったと思います。決して楽しいものではありませんでしたが、学校現場を肌で体感した3週間は大きな成果を得たものでした。肝心の教員免許は、私の欲しい科目のコンプリートまではまだしばらくかかりそうです。

さて、本年は私にとって、一つ勝負の年になるかと思います。

なぜなら、学部生という殻を捨てて、いよいよ自律が求められる大学院生になるからです。大学院はきっと大変なものになると思いますが、せっかくいただいたチャンスを無駄にしないよう、今後よりいっそう精進しようと思います。

それから、このブログも、いつまでも放置しているのはやめようと思いますので、1日1ポスト、何か必ず書いていこうと思います。そのまえに、卒論を書かなければいけないのですが、一つの小さな目標として日記を付けることを心がけなければいけないな、と思います。

それでは、今年1年も皆様よろしくお願いします。

仮説とリサーチクエスチョンをやたらとたててみる [方法論探究HW3]

今更ながら課題をやる。

先日、所属する研究会の中間発表を行ったが、それがえらくひどいもんであったことは否めない。このブログにそのスライドを載せたいのは確かだが、参考文献一覧をまだ貼っていないので掲載できない。

しかし、そのスライドを作る過程の中で、問題意識と仮説とリサーチクエスチョンを見直す機会が出来た。一度、それをまとめておきたいと思う。個別の作業仮説はすでに思いついていて、しかもそれらに対してどのデータを用いるかについても明確だったが、問題は問題意識の設定をどこにおけばいいか、ということであった。電車の中、鴨池のほとり、研究室の中、考えてもなかなか浮かぶものではなかったが、スライドをつくりながらそれなりに形になった。まとめておこう。

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オーソリティとエッジのビブリオ [方法論探究HW2]

方法論探究で研究のペースメイキングをしていく件。今回のお題は、オーソリティとエッジの先行研究を読むというものです。ご担当本人も、ワークロードとしては今回が一番しんどい、と。たしかにそうですよね。
しかし、幸いにして私は、第二言語習得研究の分野についてのオーソリティとエッジは何となく見当がついています。よかったな、と思っておりました。そうは言っても、第二言語習得研究のどの分野に重きを置くかによっても、オーソリティとエッジが異なってきます。
今回の記事は、順次追記をしていきますが、ともかく、頭に思い浮かんでいるオーソリティとエッジをあげつらっていこうと思います。ちなみに全部敬称略。すいません。
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頭の整理をしてみる(Draft Writing & Mind Map) [方法論探求HW1]

最近、またあまりにもBlogを書くことがなくなってきた。いよいよTwitterログだらけになってしまい、こりゃマズいと思いながら、ブログデザインと記事カテゴリの再構成を画策中である。これも、やるやる詐欺になるだろうが。。。

なんかしなきゃな、もうすぐ卒業だし。
そもそも、enshino.bizは、自分自身をアーカイブするために維持しているサイトで、本当は学部卒業までに、これまでの自分のプロジェクトや学校でのレポートを掲載していくことをやってみたいと思っている。当然、自分の研究は掲載したい。
そうか、ブログに研究ノートと研究記録を書いていけばいいのか。

そんなことを、方法論探究の課題に取り組みながら、その提出をするためにどの媒体を遣おうか迷ったあげく、思いついた。なので、自分の研究記録をここに掲載していくことにしてみた。

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス2010年度秋学期「方法論探究」は、自身の研究のペースメイキングのために履修した授業である。その最初の課題は、リサーチデザインのためのアイディア整理、ドラフトライティングとマインドマップである。 続きを読む

ガンガン熟議しようぜー

熟議による新しい政策形成。

というと、堅苦しいですから、言い換えると「文句がある奴はとりあえず語りに来い。斜に構えた奴とか、不満のある奴とかとくに。」
ってことです。

教育に興味のある人、大学が楽しくてたまらない人、大学がつまらない人、大学のことを知りたい人、集合。

ちなみに何度も言う通り、Webサイト(一応仮サイト)のデザインをいじったり、パックマンロゴを作成したのは僕。褒めて。

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リアル熟議「大学は、もういらない!?
〜私たちと大学はいかにあるべきか〜」
公式Web:http://real-jukugi.org/
======================

文部科学副大臣・鈴木寛氏が参加決定!あなたも「リアル熟議」に参加しませんか?

私たちは新しい政策形成の場である、「リアル熟議」を
慶應義塾大学日吉キャンパスにて、7月24日に開催いたします。

「私たちと大学はいかにあるべきか」をテーマに、
高校生、大学生、社会人、研究者、有識者、政治家などの大学に関わる
多様な立場・価値観・考えを持つ人たちが意見をぶつけあって、
議論し共に解決策を考える場を提供します。

「熟議」のプロセスによって、政治家や官僚だけが持っているとされていた専門知だけでなく、
問題の当事者が持っている経験知を付け加え、さらに自分の問題として捉えなおすことで、
4時間という短い時間で、より本質に迫る政策形成の実現を目指します!

リアルに会って話した私たちの言葉が「私たちと大学の問題」に解決策をもたらすかもしれない。
その可能性に溢れた「リアル熟議」・・・・・・是非、ふるってご参加ください!

【開催概要】
日時:
7月24日(土)13:00−17:00(開場:12:30)

会場:
慶應義塾大学日吉キャンパス 来往舎 シンポジウムスペース
※日吉駅(東急東横線、東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンライン)下車 徒歩1分

テーマ:
これからの大学?私たちと大学はいかにあるべきか。
? 大学入試制度のあり方に関して
?新卒主義のキャリア形成のあり方に関して
?社会人入学?学びなおすための大学のあり方に関して
?留学や大学の国際化のあり方に関して

ゲスト:
鈴木寛文部科学副大臣・参議院議員
金子郁容慶應義塾大学政策・メディア研究科教授、SFC研究所所長
※ 当日、ゲストも参加者のみなさんと一緒に議論します!

当日の流れ:
13:00 開会
13:10 全体の流れの説明・資料説明
13:30 グループ毎に分かれて熟議(前半)
14:30 休憩
14:45 グループ毎に分かれて熟議(後半)
16:00 グループ毎に発表
16:30 総括
17:00 閉会

主催:リアル熟議を実施する学生の会
共催:文部科学省、NPO法人カタリバ、慶應義塾大学金子研究会

参加申し込み:
以下、URLの参加フォーマットから必要項目を入力して下さい。
http://real-jukugi.org/apply/

教育を当事者性で考える

教育に関して、現場の当事者の議論こそ地に足の着いた教育論だ、という考えを最近持っている。だから教職課程に居るどころか、いまやミッションをかなえる職業ビジョンとして教員を目指すほどだ。

だけど、教員としての当事者性だけが全てではない。もっとも、学生や生徒児童も当事者なんだよな。。。

と、思いながら、私が属する高等教育のあり方について、考えなきゃいけないことが多いんだよな、とふと思っていたおり、友人から誘いを受けた。

「リアル熟議、やろう」

熟議とは、新しい政策形成の形として、文部科学省が主導して行われているものである。現在、熟議カケアイと称したWebサイト上で、教育の当事者たちが、教育に関する政策課題について議論している。

おれ「でもさ、Webって限界あるんだよね。僕も登録したけど、使ってないもの」
友人「じゃぁ、自分らでやるか」

となって、リアル熟議プロジェクトが動き出した。

僕にできることといえば、そうだな、Web広報かな、となって、仮サイトをつくったら思いのほかうまく出来上がって、熟議カケアイをはじめとする新しい公共を主導するSFCの某教授もびっくりしていたほどだった。軽く自慢できる作品だ。そして、多方面への告知により、100名定員で募集をかけて2週間以内で50人は集まった。びっくりした。

そんなリアル熟議「大学は、もういらない?」の告知は以下。

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リアル熟議「大学は、もういらない!?
〜私たちと大学はいかにあるべきか〜」
公式Web:http://real-jukugi.org/
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文部科学副大臣・鈴木寛氏が参加決定!あなたも「リアル熟議」に参加しませんか?

私たちは新しい政策形成の場である、「リアル熟議」を
慶應義塾大学日吉キャンパスにて、7月24日に開催いたします。

「私たちと大学はいかにあるべきか」をテーマに、
高校生、大学生、社会人、研究者、有識者、政治家などの大学に関わる
多様な立場・価値観・考えを持つ人たちが意見をぶつけあって、
議論し共に解決策を考える場を提供します。

「熟議」のプロセスによって、政治家や官僚だけが持っているとされていた専門知だけでなく、
問題の当事者が持っている経験知を付け加え、さらに自分の問題として捉えなおすことで、
4時間という短い時間で、より本質に迫る政策形成の実現を目指します!

リアルに会って話した私たちの言葉が「私たちと大学の問題」に解決策をもたらすかもしれない。
その可能性に溢れた「リアル熟議」・・・・・・是非、ふるってご参加ください!

【開催概要】
日時:
7月24日(土)13:00−17:00(開場:12:30)

会場:
慶應義塾大学日吉キャンパス 来往舎 シンポジウムスペース
※日吉駅(東急東横線、東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンライン)下車 徒歩1分

テーマ:
これからの大学?私たちと大学はいかにあるべきか。
? 大学入試制度のあり方に関して
?新卒主義のキャリア形成のあり方に関して
?社会人入学?学びなおすための大学のあり方に関して
?留学や大学の国際化のあり方に関して

ゲスト:
鈴木寛文部科学副大臣・参議院議員
金子郁容慶應義塾大学政策・メディア研究科教授、SFC研究所所長
※ 当日、ゲストも参加者のみなさんと一緒に議論します!

当日の流れ:
13:00 開会
13:10 全体の流れの説明・資料説明
13:30 グループ毎に分かれて熟議(前半)
14:30 休憩
14:45 グループ毎に分かれて熟議(後半)
16:00 グループ毎に発表
16:30 総括
17:00 閉会

主催:リアル熟議を実施する学生の会
共催:慶應義塾大学金子郁容研究会、文部科学省(予定)、NPO法人カタリバ

参加申し込み:
以下、URLの参加フォーマットから必要項目を入力して下さい。
http://real-jukugi.org/apply/
※先着100名

応募多数の場合は、参加者を抽選する場合もございます。あらかじめご了承ください。

まぁ、来てくださいな。

何事もなく過ぎ行く21歳の夜

来週頭にある、Music Nightというイベントで、僭越ながらMCをさせていただくこととなり、そのリハーサルをやっていた。その後、英語インタラクティブ・フォーラムの研究のために、アンケートを印刷して封筒に封入していった。気付けば21:30で、いつもの月曜日と変わらぬ帰宅時間となった。日付を超えれても、家にはいない。

また、自分が生まれた日の0:00を、自宅外で過ごすことになる。20・21・22と、もう3度目だ。昨日、吹奏楽サークルのオーディション応募用の映像撮影を終えたが、それでも帰りが日付を超えるのは、いつもの通りの生活がいたについている証拠だ。

そういえば、そのサークルの同学年者から、コップと肩叩きをもらった。院生になる僕への誕生日プレゼントだった。コップには、油性ペンでの寄せ書き。本当にありがたい。

私には悪いくせがある。人の誕生日を覚えないことだ。だから、どうしても贈り物を送れない。代わりにいつも、贈り物をもらう方の立場が多い。非常に恐縮する。その点で、mixiは便利で、友人の誕生日が近いことを知らせてくれるのだが。ともかく、私は誕生日に対して、至極受身であることが多く、為手側になることは稀である。

同じことは、誕生日に家で過ごすことなく、親家族に育ててもらった感謝を言わないあたりにも通じる。結局自分は、世界の中心は自分であり、自分のために自分を生きているにすぎない、自己中心主義の塊みたいなもんなのだ。他人と丁寧につきあうことを忘れてしまっているようでもある。感情線が孤を描いていても、結局思いやれていないのは、21歳になっても相変わらずで、それで本当に迷惑をかけたことがあった。

21歳の夏、僕は、自分のことさえ顧みていればよい立場から脱却しなければならない責任を得た。しかしながら相変わらずなままで、相手を振り回したり悩ませたり怒らせたりしていた。それは、ことの段落で特に予期している相手以外にも同じことを言えるのだが、とくにその相手に対しては悔やまれるほどである。一方で、その相手の存在が故に、将来の人生のことを、余計に考えるようになった。自分は何をして稼ぎ、どのような家庭で過ごし、どう人生を設計して行くのか。それは単に、他者を顧みなければならない責任が起きたからではない。21歳という年齢が故でもある。

21歳は、人生のターニングポイントである。同じ21歳世代では、すでに社会にでている人が半分以上、そして僕の周囲では、大半が職探しに奔走し、21歳の夏から秋、冬、そして春と、多くの友人が、直近の未来の人生ステージの場所を探すために、はるか遠くまでに渡る人生の設計図づくりに頭を悩ませていた。そのムーブメントは、例外なく僕にもやってきて、僕は遠い未来に渡る自分のミッションとそのためのツールである職業の見通しを考えた。

結果、僕は一切の私企業・公的団体に対して、金銭を対価に仕事をするためのエントリーシートを提出することはなかった。出した答えは、大学院に進んでまだ学ぶことだった。しかし、その決定が早からず遅からず、そのせいで、周りが忙しく奔走する時期に、本当に何もしなかった。本当に、何も。そのせいか否か、21歳の後半は、後ろめたさと不安の連続だった。院生候補にもかかわらず、ろくに研究成果をあげる訳でもなく、勉強に勤しむ訳でもなく、何もしなかった。周りが奔走しているのに、自分はこれでいいのか。周りが奔走しているのなら、その分の働きをすべきなのに、何もしていないのはいいのか。そして、バカみたいに高い学費も、後ろめたさを助長する。そして、今年度になって、4年にもなって、かつてない無気力さを得た。かつての自分からすれば、腐敗が進んだ。

だからだろうか、21歳は、それまでに比べて少しは落ち着きを見せたものの、以前としていろいろなことに取り組んだと思う。吹奏楽サークルでは副代表だったし、地域活性化活動では企画担当もした。某SFCの未来をつくるプロジェクトでは、年が開けて、名ばかりながら代表代行を拝命した。とりあえず忙しくすることで、どうにか自分を保とうとする癖は、未だに治っていない。本当はもう少し失敗に学んで、集中力を持つことをしなければならないのに、好奇心を持つあたりはまだ子どもなのだ。

でも、もう子どもでないのだ。若くはないのだ。大学では、もう褒めてくれる先輩的な立場はいない。それどころか、後輩ばかりである。徐々に、「あなた若いのにしっかりしてるわね」と言われる年齢から離れだしている。僕が動機付を保ってきた要因である、年長者からの褒め言葉を、だんだんと失いつつある。でもなお、若さとか子ども性とかのなかで、大人に対してアクションを起こして行きたいという欲望は果たされていないらしい。だから、歳を取ることの現実を受け入れたくない。年齢は重なるけれど、僕は僕のまま。高校生だった自分、中学生だった自分、小学生だった自分から、今の自分を比べても、中身は変わっていない。レッテルが変わっただけだ。でも、あの頃憧れていた先輩たちとかお兄さんお姉さん世代とかと、同じ世代にたっているかといえば、まったく成れていない自分がいる。本当に僕は大人の階段にいるのだろうか。

みんなは、21歳の僕を、変わったというのだろうか。久々に会う人ならそう言うだろうが、でも級友なら変わらないと言うだろう。とかく、日々生活をともにする親は、変わらないままに、変化していてもその変化に無意識的だろう。考えてみれば、弟は中3、妹は中2、奴らはまだ僕のなかでは小学生だったのに、ふと気づいた時、年齢の高まりを感じたことがある。そんなことが、親や祖母にはあるのだろうか。そして、21まで育ってきた僕に、何を思うのだろうか。

死んだ母は、21の僕がこうなっていたことを、予測していただろうか。こうなったことを、喜ぶだろうか。そもそも産み親が亡くなっていることに対しては、実は無自覚だから、感謝のかの字も、悲しみのかの字もないのが正直な所なのだ。なんと薄情なのだろう。でも、いまふと考えた。22年前の今日のこの時間、天国の母親は、人生初めての陣痛に苦しみながら、東京・豊島区の病院にいたんだ。性への興味段階である思春期をある程度超えて、様々なことが実感として理解出来るようになったいま、22年前の母親の陣痛が、どのようなものだったかを考えると、妙にリアルである。

もうすぐ、誕生日当日だ。

もういい年齢だから、いままでみたいに、人から祝ってもらえたりプレゼントをもらえることに喜ぶだけの、気楽な一時を過ごすのはやめよう。

みんな、誕生日になると、周りの人に感謝しているという言葉を書き連ねる。当然のことだし素晴らしいことだけど、感謝をどう表し、それをどう還元すればいいか僕には完璧な答えがない。そりゃ、僕のこの人生と人格の形成過程では、たくさんの人と経験との出会いがあった訳だから、感謝は絶えないが、そうした所で還元するすべを知らない。それは、僕の周りの人が誕生日の時に全員におめでとうということであろうか、違うだろう。僕は、そうして考えながら、行動を取ることを放棄して、結局自分に収束して行くことになると思う。

でも、それだって重要だ。腹を痛めて産んだ結果としての存在であることをリアルに認識できるようになったからこそ、いままでに起きた事を思い出しながら、腹を痛めつけてまで生まれてきた意義があったのかを考えるのは必要なプロセスだと思う。そして、今後の生きる意義とは、生きるミッションとは何かを考えるのはもっと重要だ。

進路のターニングポイントにあって、生まれるということをリアルに感じながら、同時に子どもらしく、これから先の人生のミッションを考えながら、少しだけ他者に丁寧に感謝する。

これって、21歳最後の夜であっても、何事もない、いつもと変わらぬ夜にする、いつもの思考なのだろうと思う。やはり今夜は、何事もなくすぎていく、いつもの夜だ。