宿題がぁ

宿題が多い。
多くて困る。

僕は勉強の効率が人一倍悪いので、どうにもならないんです。

百人一首を50首覚える必要があるんですが、
現在のところは50首をノートにまとめただけ。
追試の可能性も大です。

数学について、うちの学校は冊子を用意してくれる学校なのです。
その名も「ツンドラ数学」
氷のように解けにくい。とか。ふざけろ。
外語は半分だけでいいのですが、半分だけに4日かかりました。

英語は多い。
単語集、文法分野、そして洋書からテストがでるのです。
マークシートなのですが、その勉強ができてはいない。
ついでに、リーディングと文法の予習。
無理。

家庭科もあります。
家庭での問題を解決する実践活動をしろとのこと。
僕は、廃油石けんをつくりました。成功したかは一ヶ月後に判明。

こんなことしてる暇があったら勉強しろって?
はい、やります。

きょうもブログは無駄な日記に終わる。
そういえば、点が悪くて落ち込んだテストに関してですが、
クラス順位は10位以内。
匿名希望の今を生きる人はさらに上なはず。

Re:コメント

ジェネジャン関連以降のコメントにお答えしたく。

>のらしごとさん
少なくともいろいろ考えてくださるのらしごとさんは別です。
さて来年の修学旅行は沖縄のようです。
もちろん戦争に関する体験をしたいとは思っています。見知を広げるため。
やはり悔いのない人生を送りたいと、みんなに忘れられないような人生を送りたいと思います。
PS.あなたは誰でしょね?

>島の人さん
おしかりありがとうございます。
広い視野が必要だといつも言ってるくせにまだまだなあまちゃんです。
社会のことなど何も分かっちゃいません。
それでも僕は自分の意志は貫き通します。
周りがそのような判断を下したとしても自分は彼らを批判はしません。
僕が家族なら、自衛隊撤退を訴えると思うから。家族の死はあきらめられませんから。
もっと現実を見ることは必要であるとは分かっています。
勝手ですが、叱咤激励のほどよろしくお願いいたします。

>匿名希望様
改め今を生きる人へ。
あの俳句には一つ考えるべきところがあります。
山 というのは掛詞として重要ですが、よく考えれば山村に田んぼはありませんね。
農村と改めるべきだと思うのですが、あれは平地ではありませんからねぇ、どうしましょうか。
この会話が分かるのは約10名ほどだけですから、他のみなさんは、残念でした。

>け〜ちゃん様
奥山さんのとこから来られたとは、ご苦労様です。そしてありがとうございます。
ご期待に添えるようにやっていきますので、末永くごひいきに。
ちなみに加須の名物はうどんですから。
ぜひいらっしゃってみてください。田舎ですが高速も通ってるし、いい街ですよ。

これからも多くのコメント、お待ちしております。

勇気の日とはなにか

お年寄りに電車の座席を譲れますか?相当な勇気が必要ではないでしょうか。すべての人がその勇気をだせるわけではありませんね。

この勇気の日が発案された2000年は、西鉄バスジャック事件をはじめとする少年犯罪が多発した年です。また、いじめが絶えない年でもありました。その年に参議院で開催された「2000年子ども国会」において、犯罪や、いじめ、自殺をなくす手段として提案されたのがこのアイディア。

誰かがやめようと声をかける勇気をもてば、いじめも止まるのでは?
悩みを抱えているときに、その悩みを打ち明ける勇気があれば、自殺に至ることもないのでは?
このような勇気を持つことができれば、日本はもっと明るくなるのではないのでしょうか。
でも、そのような勇気をいきなりだせなんて言われても無理で、少なくとも訓練が必要でしょう。
お年寄りに席を譲ることにも大きな勇気が必要(僕のこと)なこの時代に、何か勇気をだす機会を持つ必要がある。その勇気をだす機会を持つための日、そして、勇気のあり方を考えるのが勇気の日。

というわけで、まとまってませんが、これが勇気の日のコンセプト。このブログを運営していく中で、当然この考えに賛否両論がでるのは分かっています。一番期待しているのは、このアイディアが、多くの人によって考えられ、このブログを通じて、多くの人に認められるものになり、実現することです。

勇気の日実現のために、多くのみなさんのご協力をお願いします。

はじめの一歩

あれから5年、一度たりとも忘れはしなかった。
何度もやる気をなくしたけれど、やっと作り上げることができた。

このサイトを管理するenshinoといいます。政治家になりたいという野心を持つ高校生です。ついに僕は、自分のつくりたかったサイトをブログによって立ち上げることができました。

僕がこのサイトで訴えたいことはただ一つ。「勇気を持て」ということ。
5年前の夏、僕が2000年子ども国会議員として参議院に乗り込んだとき、これを訴えた子ども議員がいました。彼女は、「少年犯罪をなくしたい。その為にはみんなが勇気を持つことが必要だ」と言って、本会議において「勇気の日」の制定を提案しました。
それ以来、「勇気の日」を実現させようとする動きに加わりました。ここで言う勇気とは、「様々な状況の中で、良い行いをするためのエネルギー」と思ってください。

そして今日、僕は新たな形で動き出すことにしました。ブログの特徴を生かして、自分の意見を発信し、それに対して賛成反対の意見、感動、おしかりのコメントをいただき、その過程を経て、多くの人に勇気を持ってもらおうというのが、このブログの目的です。

このブログを立ち上げるにあたり、「勇気の日」の産みの親である共愛学園中学・高校新聞委員会のみなさん、毎日中学生新聞のみなさん、その他、勇気の日に関わるすべての人に感謝したいと思います。

多くの人が勇気を持てるように、少しでも自分が成長できるように。そんなブログを創り上げていきたい。自分と、みなさんと。

謹賀新年

あけましておめでとうございます。今年もご迷惑をおかけすると思いますがよろしくお願いします。

このブログをご覧の皆様はほとんど僕の知り合いで、ネットで引っかかった人などいないと思いますから、こう書かせていただきました。

年が明けても、自分のものの書き方は変わらず。でも、この一年、なんとかブログを維持しようとすれば、少しは文章能力も上がるかと考えています。

これから友達と初詣です。おみくじで何がでるかはお楽しみ。

ついに今年も終わるか。

ついに今年が終わってしまいますね。
友達との深夜の初詣の打ち合わせも済ませ、後は第九と紅白とボビ−とジルベスターを見るだけ。

今年はいろんなことがありました。
春に、推薦で高校入学を果たし、文化祭ではロミオ役で劇をやり、ジュリエット役の男とキス。
夏には外語合宿、部活合宿と10日以上家を空け、11月の校内スピーチコンテストでは第二位を獲得。
その間に3度もジェネジャンに出演。

これだけのことを経験することができるなんて、僕はなんて幸せ者なのでしょうか。

一方、世の中に目を向ければ、オリンピックをはじめ、日本人が大変活躍し、明るい話題をもたらしてくれたかと思えば、
イラク戦争は終結とも言えず、凶悪事件は後を絶たず、また、台風,地震の災害が絶えない、まさに「災」の年でした。

来年はどんな年になるか。なんて分かりませんが、とにかく来年も更に飛躍したいと思います。
今年一年お世話になった方すべてに、感謝。

自粛

スマトラ島沖地震が大きな被害を及ぼしているのはみなさんも知っての通り。本日のニュースでは、7万7千人もの人が亡くなったと報じています。テレビの速報ニュースでは、スリランカで新たに7人のの日本人死者がでたとのこと。
しかし僕にとってこの事態は海の向こうでのこととしかとれず、日本人死者が出たこと、そして、信じられないほど多くの人が犠牲になったことは、大変ショックであるものの、そこで気持ちが終わってしまいます。できることといえば、ドラえもん募金をするぐらいでしょうか。

今年は災害続きの一年でしたね。台風、地震、未だに苦しい避難生活を送っている方が大勢います。

さて、今日、紀宮様と黒田さんの結婚会見がありました。高松宮妃殿下がお亡くなりになられたこともあり延期となりました。その自粛に至った理由のうちの一つに、中越地震がありました。
そういえば、紅白で、ド派手衣装を着ることができないと、小林幸子さんが言ってました。結局着るのかどうか忘れてしまいましたが、僕はその考えには賛成とは言えません。このような災害が起きた時こそ、その被災者を励ますことが必要であると考えます。被災者の中には、毎年小林さんの衣装を楽しみにしている人も多いとか。紀宮様の結婚発表も、被災者を喜ばしたのではないかと考えます。

勝手にこんなこと言ってしまいました。ご両人のみならず、日本人全員が心を大きく痛めたのは確かですから。先日の命に関係する書き込みにおいて、僕自身の盲目的な事実の捉え方に関して、知り合いの方からコメントにておしかりを受けました。この書き込みもそんなものになってしまいました。

とにかく、今年一年間で災害に遭われ命を落とされたすべての人の冥福を祈る次第です。また、負傷者の方の回復、被災地の復興が一日も早く行われることを願います。

ジェネジャンを受けて

さて生と死ということを考えなかればいけませんね。

殺人と自殺に関して僕が思うことは、やはりコミュニケーションが必要であるなということ。しっかりとした人間関係を築くことが殺人や自殺を食い止めるのではないのでしょうか?放送でもペトロさんが、編集者に救われたといっていましたが、やはりそのような人のつながりというのは絶対に必要です。

殺人を犯した人に、殺すのはいけないって言っても、自殺したい人に、死ぬのはよくないって言っても、結局は聞き入れることができないそうです。なぜ殺しちゃいけないの?なぜ死んじゃいけないの?命がこれほどまで軽んじられるのはなぜなのでしょう。
人が死ぬということがどういうことだか解っていない子どもが多いそうです。小学校低学年の子どもたちの中には、人間は生き返れると思っている子どももいると聞き、僕はびっくりしました。要因はあげればきりがありません。

ただ一ついえること。
僕の先輩がメールで話してくださいました。「何事も経験が必要だよな」「人が死ぬ」というシーンを目の当たりにしていないのは問題があります。死をリアルなものとして感じられないのです。
現代の殺人は、憎しみが原因というわけでもなく、現代の自殺は、極度の鬱状態に陥るというわけでもない。というところから考えれば、やはり、人が死ぬことは重いこととは思えていないのでは?
つけ加えといっては何ですが、誕生することの重みを感じることも必要だと思うのです。

教育が必要だ。いつも僕は思います。それこそ、人間として生きるための教育こそ最重要なのです。その教育現場は、家庭。子どもにとって、一番身近な生活環境です。ここでのコミュニケーションの取り方こそ、殺人,自殺減少の第一歩ではないでしょうか。

さてジェネジャンででてきたテーマをたどって考えていくと、次の話は、死への責任。放送では、イラクで拘束された安田氏がでてきましたね。僕は彼を尊敬することができます。拘束された人に対して巻き起こった自己責任論。ただこれは僕は間違っていると思うのです。
彼らは自分の命がなくなるのを覚悟してまで、真実を伝えよう、現地の人を救おうと行動を起こしたのですよ。自己責任論を展開するあなた、あなたにはこんな決断できますか?彼らは、命がなくなる危険性があり、その始末は自分でするという覚悟の上で、現地に行っているわけで、無計画に行くわけなどありません。
宇梶さんがおっしゃっていました。「現地で苦しい思いをしている子どもにとっては、誰だか知らないおばちゃんに助けられたらそれはうれしいよ」と。

ここからは、誰かのために自分の命を犠牲にできますかというテーマに移りますが、現地に行った人たちは、「できる」と答えるのでしょうね。
僕にはできないと思います。そりゃ、とっても愛している人が危険な目にあって、僕が救わなければならなければいけないならば、悩んだ末決断するでしょう。しかし僕は見ず知らずの人に命を捧げられません。
でも命を捧げる以外にも、何か救いの手を差し伸べることができるはずです。人間は、それを考える脳みそを持っているのですよ。

中越地震の被災者の映像が放送されましたが、現地の方はやっぱり強いですよね。分かったことは、やっぱり人は生きたいんですよね。その生きたいと思うエネルギーってのは、大きいものだと感じました。

スマトラ島をはじめとする島を大きな津波が襲っています。現在までに2万人以上が命を失いました。でも、僕は少なくとも当事者ではなく、リアルにその出来事を感じられません。
言い訳のようですが、仕方のないことではないかと思います。ただそれではさみしいですよね。日本人にも行方不明者がいます。生きていてほしいと願うしかありません。

番組の最後に登場した奥山さんの本を読みました。奥山さんのサイトの日記を集めたものなのですが、はっきり言って、感動はできません。ただ、リアルです。
本人曰く、感動できるものは書くつもりはないようです。でもそのリアルさがすごく印象に残り、また、その中で生きてやろうとする奥山さんの姿勢、病床でもアクティブにする奥山さんの姿がかっこ良く思えたのです。

命は長さではなく、質である。最終的に奥山さんの言いたかったことはこういうことではないでしょうか。
ゴールを定めれば、そこまで頑張ることができる。ゴールの設定がだらけてしまえば、過程もだらける。
僕は、自殺したい人に言いたい。「命を絶つなら、後悔しないような生き方をしてからにしなさい」と。

ある程度死ぬことを覚悟することは必要です。死というものをリアルにとらえて、その上で、「自分は生きたい。そしてみんなに生きてほしい。」と思うことが、生きる上で必要ではないでしょうか。

命。
終わってしまったら、リセットも、再挑戦もできません。その中で自分は、後悔のない、自分にとって高品質な命を過ごしたい。

「人は死ぬんだ。」
「でも、生きたい。」
「そして、生きてほしい。」

ジェネジャンを受けての、僕の思いです。

ジェネジャンの反省

昨日放送されたジェネジャンをご覧いただいたかた、ありがとうございました。

結構期待していただいたと思います。僕自身が、「今回は以前より喋ってきた」といいましたが、喋っても質が悪かった。量より質なんですね。番組の特性上、やはり、タレントの方が発言が多いのです。自分の意見が出なかったのがつらい。

さて放送を見て思ったのは、「俺は落ち着きがない」。いつもふのかわさんが映るときに一緒に映りましたが、いつでも動きっぱなし。奥山さんの話のときも動いてばかりだったのです。馬鹿な俺。

相当凝縮されています。あの放送は。本当なら全編放送してほしいくらいです。

僕はジェネジャンにでるということには二つの利点があると思います。まず、自分が道徳的学習をすることができる。そして、僕がでるよと告知して、見た人が、そのテーマについて考えてくれる。どちらかといえば、後者の期待度が大きいのですが、あえばギャラの話か、芸能人の話で、そっちへ話が向かない。もっと自分の意見を持ってください。

僕が喋ったのに放送されなかったのも含め、明日の記事として、ブログります。

第九兼東京物色

ブログりたいときにブログろうと思いますので、今日は三連チャンブログり。

今日は東京都交響楽団の第九演奏会。年末となると、第九が各地で演奏され、僕も毎年聞いています。そもそも年末に第九、というのは日本特有のものなのです。年末に今年一年間を考え直すにはいい機会。除夜の鐘のようなものです。

今回は、六本木アークヒルズのサントリーホールで2時開演。まずその前に、学問の神様,湯島天神へ、その後、銀座の山野楽器へ。そしてアークヒルズ入り。そこで初めてSUBWAYサンドウィッチを食しました。

サントリーホールの特徴は、コンサートホールだけあって、舞台の後ろにも座席がある。というか、座席が舞台を囲んでいます。僕は、ホワイエ(=ロビー)から見て左側の舞台の脇にいました。この席の利点は、自分がオケに参加している気分に浸れる点。演奏前はもうわくわくです。
東京都交響楽団(以下、都響)の演奏会は、なんと大半の座席は、学生は半額。なので楽に席が買えます。その他にも、都響には女性が多いと言うことが、今まで生で見たオケは違う点でしょうか。

さて演奏が始まりました。
第一部は「ハムレット」のハイライト。何とも不思議な曲といいましょうか、眠気のせいか記憶が飛んでおります。でも、どことなく乗れる曲だったような気がします。
そしてお楽しみの第九の開始です。好きな曲は眠気が吹っ飛びますね。(爆)座席の場所が場所なので、ホルンの音がよーく聞こえました。自分から見て、一番手前の楽器群は打楽器なので、当然弦楽器の音は薄れてきます。特に管楽器が入るところは、弦楽器の音が消えます。とはいえ、第九においてホルンはおいしい所だらけ。つまり、聞き所はホルンに多い。

ここからは、楽章ごとに第九を語らせてください。
第一楽章は、何か、衝撃を与える曲です。問題提起とでも言いましょうか。
ホルンと弦楽器の不協和音で小さく始まり、徐々に大きくなり、冒頭の衝撃へつなげます。その冒頭の衝撃とやらの旋律が、繰り返し繰り返し演奏される。交響曲の基本ですね。
第二楽章は、二つの部分に分けられます。
一つ目は、八分音符3つがひとかたまりで、相当早く演奏されます。一楽章の冒頭の衝撃のリズムが、そのままに楽章のド頭に来るのです。ここで活躍するのがティンパニ。まるで雷のごとくドカーンとたたかれるその音も、曲をきびきびとさせます。二つ目の部分では、またホルンが活躍します。拍子の取り方が難しいメロディーをソロで演奏します。
第三楽章は、今までの二曲と打って変わってゆっくりと、柔らかく演奏されます。一年間あったことを思い出すにはこの楽章が最適。またもホルン。周りに全く音がない中で、2小節間、まさにソロを演奏します。弦楽器の美しい音が気分を高めてくれます。
そして第四楽章。いきなり大音量で管楽器がハイスピードで演奏。その後、チェロと、コントラバスがメロディーを吹き始めます。今までの楽章のメロディーがでてくるのですが、低音弦楽器がそのメロディーを「これは違う」と振り払います。
そして、最終的に自ら低弦が歓喜の歌のメロディーを演奏。徐々に高音に移り、そして全員合奏となります。トランペットの高音が気持ちいい。
そしてついにバリトンのソロで歓喜の歌が始まります。そして合唱が加わっていく。途中マーチの部分がでてくると、今度はテノールソロです。そしてあの有名な全合唱の歓喜のテーマが演奏。もう涙が出そうでした。その後、厳かな合唱が入ったかと思えば、テンポがあがり、合唱のソプラノがなんと10秒以上ののばし。そして最後のフィナーレに向かって徐々に大きくなっていくわけです。

語るといっては、十分語れていません。もうホント感動しました。CDより生です、生。

その後、渋谷のハンズ、有楽町のビックに寄って帰ったわけです。

ひとり行動は好きですが、今年は寂しさを感じました。
来年には彼女をつくって、一緒に感動を共有したいですね。(爆)