【ダラダラ書いた】社会人になって感じた5つの「想定外」について

またちょっと、ダラダラと文章を書いてみる気が起きてきた。それだけでも進歩かもしれない、と思う。

社会人になって1年が過ぎた。正確にいえば、会社員になって1年が過ぎた。思った以上にあっという間だった。というか、気づいたらもう1年経っていて、実感というものはまるで皆無だった。こんなもんなんだろうか、こんなもんなんだろうな。

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2014年の3.11 14:46は,丸亀製麺でうどんをすすっていた。

東日本大震災で失われた多くの命に対して,哀悼の意を捧げると共に,
東日本大震災により多くの困難を未だに抱えている人々が,いち早く復興を果たすことを,心から祈念します。

さて。
明日も仕事だというのにこの時間になって考え事をはじめてしまったのはよくないことは分かっている。
最近,やたらとブログを書かなくなり,きちんと振り返る,気持ちのログを残すという行為をしていなかったせいか,ここのところ「いままでとちがう」自分が見えてきて,悩むところも多い。そんななか,久々に筆を執ろうという気持ちになったことだけでも進歩だと思うから,書きたいことを書いておきたい。

今年の3.11の14:46は,黙祷をするどころかうどんをすすっていた。
本当に申し訳ないと思うけれど,結局そんなところだった。
自分自身でも後から気づいてショックだった。

忘れないわけない,あの揺れのなか,教室設営をしていた自分は,積み重ねていた机の下敷きになってもおかしくない状況だったし,階段を降りるのもやっとだった。
忘れられるはずがない,駅に行ったら電車が止まって,バイト先には到底帰れなくて,学校に戻ったら戻ったでイベント参加している高校生たちが帰宅困難になっていた。俺は残留慣れしているからよかったが,同じく来たく困難になった大学生の多くは,高校生たちをサポートするスタッフに変わった。

程度は緩いことなど百も承知で言えば,俺だって被災した。
当事者が3.11のことを忘れるはずがない。
逆に言えば,台風被害とか,豪雪被害とか,1.17とか,申し訳ないけれど自分の経験の範疇じゃないから,大手を振って「ピンと来る」とは言えない。

何かしなきゃという焦燥感をエネルギーにして走り切ったそこからの2ヶ月。
prayforjapan.jpの多言語翻訳はきっと役に立つ,そう信じてたくさんの人の協力を得て,それでも現地で思い知ったのは,それよりも生活の確保と金の必要性だった。その一方で,非被災地だからこそ受けたショックを癒すことにつながる可能性も見いだせた。直接的な被害を受けていないとはいえ,あれだけのインパクトの出来事だったわけだ,ショックを抱えた人もまた,被災者だったと思う。

プロジェクト結を通じて石巻を訪れ,現地に必要なことを知った一方で,何もできない感覚にも襲われた。ITの領域で力を発揮出来ると思ったけれど,やっぱり現地にいかなければ意味がなかったし,それに東京からのサポートで露呈したのは自分の仕事のできなさだったりした。それは会社に入ってから拍車がかかるばかりだった。

アカデミーキャンプでは福島の子どもたちと接しているが,正直言えば子どもたちのことを「被災者」だなんて感じたことはこれっぽっちもない。かわいそうな子どもたちなんて考えたことは当然にしてない。建前上は「これからの福島を担う子どもたちに機会を与える」ことが目的だけど,結局内心では奴らとふれあうことが僕の心の癒しだったりするし,趣味だったりする。

繰り返すが,忘れられないはずがないんだけど,それは俺自身が割に当事者っぽい立ち位置にいたから,あるいは自分もアクターの一人だと認識していたからかもしれない。それでも今振り返ってみて,あのときはただガムシャラで,正直何のために動いていたのかはよく覚えていない。

そして日々に忙殺されるあまり,3.11の14:46は丸亀製麺でうどんをすすっていたわけだ。

3.11の14:46は,それはショックなことが起きた時間であることには変わりない。
毎年その時間が近づくにつれて,あのとき起きたことを思い出し,思いを馳せる。
そんなための時間として3.11の14:46というその「とき」を大切にするのは大切だ。

それはそれで大切だとしても,もっと大切なことがあるんだろう,と言って自己擁護をしたい。
大切なことは,明日に向けて何ができるかを「常に」考え,実際に行動することじゃないか,と思う。

あえてぶっちゃけると,祈りよりも想いよりも必要なのは,自分の身の安全と,大切なヒト・モノの存在と,そしてカネだ。明日に向けて,復興に向けて歩んでいくためには,「勇気」だけでは十分ではない。本当に忘れてはいけないのはこっちの方だと思う。prayforjapan.jpは,(特に非被災地の)人々の想いを,印税の寄付という形でカネと行動に替えることができ,しかも想いの共有によって(特に非被災地の)人々の不安を拭うことができた,本当に希有なプロジェクトだったと思う。あのプロジェクトをやったからこそ余計に,本当に「忘れない」で欲しいのは,次に進むための実質的な体力なんだと考えるようになった。だからこそ,震災詐欺だとあのプロジェクトを叩く人々は,きっと何もアクションを起こせないのだろうと悲しい気持ちになる。

しかし,それでも自分でも残念だが,3.11の14:46は丸亀製麺でうどんをすすっていた。
ここに現れる罪悪感はなんなのだろうか。その時間に鎮魂の祈りを捧げられなかったことに対する罪悪感。

大変申し訳ないが,被災地で被災した人々の状況と気持ちを,僕はきちんと自分ごととして理解ができていない。それは一つ,二人称で,あるいは一人称で現地の人々を捉えられていないからじゃないか,と思う。3年経った今でも活動を続ける人々は,もうすでに現地で一緒に活動を続ける人や,活動を受ける人々を,二人称どころか一人称で捉えているんだろうと思う。そこに「支援」という概念すらないかもしれない。そこまで没入している人々を近くで見ているからこそ,彼らが「3.11の14:46」に大きな想いを混めているのを見ると,自分の中途半端さが恥ずかしくなって,そして罪悪感を覚えるのかもしれない。

まだ,「それでも自分でも残念だ」と言えているだけでも,腐り切った訳じゃないと言い聞かせたい。
3年は一つの区切りと捉えられることが多い。もしこれで,これ以降5年・10年という「節目」に限らず毎年のようにやってくる3.11の14:46周辺に何も感じず,またそれに対して罪悪感すら感じなくなったとしたら,もうそれは完全に忘れている状況だろう。そうであってはいけない。

嬉しいことに,今僕が没入する活動を通じて,僕が親しみを込めて「ヤツら」と呼ぶ小中高生たちは,次に進むために自分たちで何ができるかを考え始めようとしている。「ヤツら」と一緒に,この先どう進んでいくかを考えるのが楽しみだ。

寝落ちをして,書き上げるまでに2日かかってしまった。

また明日がやってくる。

いや,来ないかもしれない。

そのために,悔いのない日々を送らなきゃいけないんだよなぁ。

民の自立:さみしいから「共」に資するんだ

久々の更新は、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス「福沢諭吉と現代1」の最終課題としてついさっき提出したものです。ちょっと、読んでほしいなぁって思って、そして自分の思考の足跡のためにも、ブログに貼ることにしました。今学期は、修士論文で死にそうになったため、SFCの修士科目をはからずもドロップアウトしてしまいました(反省しています)。しかし、この講義だけは、6年間を慶應の湘南藤沢キャンパスで過ごしたことの集大成として捉えたかったので、何度か欠席しましたが大切にしていました。

もうほんとに、SFCを卒業しなきゃいけないんですよね。


「民の自立とは、一方ではさみしいんじゃないだろうか」

最終講義で私が提示したことである。しかし、そうしたさみしさをみじんも感じられないほどに、私が講義を聴いたゲストスピーカーの方々は、それぞれに輝きを持ちながら自立を語っていた。スルガ銀行の岡野社長は自立とは頼らないことだとおっしゃった一方で、「おたがいさま」を提示していた。自立とは、ただ「誰にも頼らずに一本立ちすること」なのだろうか。この解釈を誤ると、全てを独りで背負い込むことにつながってしまうかもしれない。
独立自尊、自我作故、そうした福沢諭吉の残した概念は、単に独りであれやこれやとすることを指している訳ではないだろう。現に福沢諭吉は、慶應義塾の学びの中核概念に半学半教を位置づけている。一歩先をいくものが教え、まだ未熟のものが学ぶ。しかしここには「独りであれやこれや」ということが現れていない。とすると、福沢諭吉の示した「民の自立」とは、個々人が独りでも生きていけるようになる生き方の問題だけではないのかもしれない。

リビング・ワールドの西村さんの回は、サンフランシスコの街並の写真が導入部であった。ここで示された、公・共・私の領域の区別が、「民の自立」とはどのようなものかを捉える手がかりになると考えている。彼の話の多くの部分は、相手を・自分をどんな存在として見ているか、ということがらに軸をおいていたように思う。人とのかかわりあいにおいて重要なのは、自分が相手をどんな存在として見ているかであろう。それはとりもなおさず、自分が自分をどんな存在として見ているかにつながってくる。
社会とは人間の集合体であり、むしろそれ以上の意味合いを持っているものであるが、しかしその空間は明らかに「私」ではなく、相互行為によって調整だったり協力だったりを繰り返す必要がある場所である。時には衝突もするが、それすらどうにか折り合いを付けなければいけない。それこそが「共」の空間であり、だからこそ余計に、接する人間という存在をどう見るかということが必要になってくるだろう。

自立は、自分自身で立つということである。それには、立てるだけの能力を有しているかどうか、自分自身で分かる必要があるし、自分自身で立つ勇気の裏にある自信は、そうした能力を自覚しているからこそ出てくるものなのかもしれない。時にドット・ジェイピーの佐藤さんは、大学生時代に「自分が何をしたいか分からない」ことから社長のかばん持ちに飛び込んだ。それが現在の彼の活動に至るまでにおいて、それらの活動のミッションは後づけで、実際は周囲からの求めによって動いてきたと彼は語った。その彼が「立てるだけの能力を有しているかどうか」を自覚していたのかどうかは賛否が分かれるだろう。それでも言えることは、彼は周囲の人々のニーズに応じて自分が動くという能力を有していたし、「なにがしたいか分からない」ということを自分で理解していたということである。

「私」の自立とは、おそらく自分自身を理解することなのだろうと考える。その一方で、自立している人はどこか「共」に資する姿勢を見せているように感じる。「じぶんごと」に手一杯になるだけではまだ自立しているとはいえず、「じぶんごと」に余裕が生まれ、その部分を「共」に還元していくところに、「民の自立」の本質があるのではないだろうか。
岡野社長が「頼らない」とした相手は「公」であろう。「民」の対概念もまた「公」である。しかし、「民」は「私」を指しているのではなく、むしろ「共」を指しているように思える。玉井先生が諭吉と現代2の席で示した「新しい公共」の説明は、公に担いきれなくなった部分を民が担っていくことで歳出をそもそも押えようとする動き、というものだったと記憶している。この考え方に基づけば、「共」が「公」に頼らずに社会を動かすことが「民の自立」と呼べる状態なのかもしれない。この点で、岡野社長の示した「頼らない」ことと「おたがいさま」は相反しないということが分かる。というよりも、「頼らない」と「おたがいさま」は次元が違うことが分かる。

一身独立して一家独立、一家独立して一国独立。学問のすゝめで福沢が示した学問の意義は「立身出世」の4文字に集約されるだろうが、それは「私」空間における話ではないと思えてくる。福沢が目指したのは、学問を通じて「共」に資することのできる人財の輩出だったのかもしれない。ただ、そうした「共」に資する人財となるためには、単に「独自に」なるのでは意味がない。むしろ「さみしい」と感じるくらいに他者との関わりを持ち、そうした他者に資することを求めるところにこそ、「民の自立」の担い手が生まれるのだろう。

さみしいからこそ「共」の空間に資する。そこに自立を見いだした、6年間の締めくくりであった。

子ども国会の想い出

この文章、本当は9月のアタマに書くつもりで、最初は9月1日の社会言語科学会の道中でキーボードをたたいていましたが、いつの間にか10月になってしまいました。とにかくそのときも今も、感じることは、夏が早く過ぎた、ということです。

この夏は、僕にとっては学生最後の夏休み。多くの学生は海外に行くとか、遊びまくるとか、そういう過ごし方をするのでしょうが、僕の場合はちょっと違っていました。特に7末〜9月には、私にとって想い入れの深い出来事がいくつか起こりました。そのことをまとめたいと思います。最初は、忘れもしない12年前の再来について、つまり、参議院主催・子ども国会にOBとして招待を受けたことをお伝えします。

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気がついたら、もう少しで23歳が終わる

そしてもうすぐ、年男になります。

22歳の終わりごろに、311という経験をしてから、23歳になってからの1年はプロジェクト結とprayforjapan.jpと就職活動を中心に回っていたように記憶しています。大学院生の1年目として、新しいステージに立った1年間だったと思います。

これらの、プロジェクトと就職活動の同時並行は、自分にとって様々な気づきを与えることになりました。自分がどういう行動をするのか、どういう傾向があるのか、そういうことを自分なりに理解しながら、一方で理想と現実のギャップに押しつぶされそうになっていることも多々ありました。

毎年毎年、歳は取ります。
ですが、毎年毎年成長しているかどうかを実感することはなかなかできません。

後から振り返った時に、この23歳の1年間が自分にとって大きな意味を持つ1年間だったことは気づくことになるんだと思います。しかし、23歳の終わりの日のこの時間が、あまりにもいつも通りに過ぎていくもんだから、はて今年1年なにがあったかなぁと感慨にも浸れません。

世間的にはいい大人の一員なはずです。ただ、大学に6年もいるもんで、まだまだ自分は若い(しかも子どもとして若い)と勘違いをしています。年齢的に社会人であってもよい自分は、しかし大人とは何かがまだまだ分かっていないな、というのが正直なところです。それは、プロジェクトに関わるということと、就職活動をすることと、その両方によって強く感じることができました。

ところで、23歳の1年間は、交友関係がひろがった1年間だったとも言えるかもしれません。311以後の日本のキーワードが絆だったように、これほどまで人間がなんらかの「絆」で結ばれているということを思い知るようになりました。思わぬところで人と人とのつながりの狭さを感じることも多くありました。それは、自分から外に出るということを積極的にやっていったことの裏返しなのかもしれません。

毎年のことですが、誕生日は自分が生を受けたことに感謝すると同時に、前年の誕生日から今年の誕生日までにお世話になった人に対して感謝の念を再認識する(と同時にその感謝の表現をちゃんと行動で示していない自分に対してガン萎えする)日だと思っていて、自分については決して祝われるような日ではないと思います。私は祝われるほどの人間ではありません。むしろ、たくさんの人がいるから生きている(あるいは生かされている)ことをこちらから感謝したいと思います。その感謝を示すべき人は、今年になってかなり増えました。

23歳の1年間、本当にたくさんの人にお世話になりました。
ありがとうございました。

父が病に倒れ、祖母は目の病にかかり、母は仕事に忙しく、弟はアルバイトをやめざるを得ない時期があり、妹はなんと総合体育大会地区予選前に指を骨折し、そして私は精神のバイオリズムを崩すことも多々ありました。私の家庭は波乱に満ちていますが、しかし喜ばしいことに、みんな図太く生きています。

残念ながら、来る24歳は厄年本番です。解釈のしようですが、平成24年は半分過ぎましたから厄年の苦行はあと半年とも言えますが、とはいえ何が起こるか分かりません。それでもとにかく図太く生きること、これだけは守っていきたいと思います。

24歳の遠藤忍も、どうぞよろしくおねがいします。

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拝啓、選挙に関係する皆様。 #One_voice #学生100人ブログ

私は、インターネットを使用した選挙活動に賛成します。
んなわけで、「One Voice Campaignについて思うことを学生100人で書く」という活動に賛同してこれを書いております。
私は、このプロジェクトに賛同しています。

しかし、思うところもいくつかあります。

どうすればインターネットを使った選挙活動を推進できるか。
それを考えた結果、乗り越えるべき問題は、以下の三つにあると思いました。

公職選挙法の問題
政治家がインターネットを活用しきれていない
インターネットが真に民主的じゃない

これを、それぞれのアクターに向けた手紙として書いてみました。
ちょっと、読んでみてください。

それから、「One Voice Campaignについて思うことを学生100人で書く」というオンラインイベントへの参加を希望する方はぜひ、私までご連絡ください。また、OneVoiceについての詳細は以下を見てください。

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学生ガイドというお仕事

はじめにご理解いただきたいこと

まず、この記事を書くこと自体、相当なリスクがあることを私は認識していると宣言しておきます。その上で、この記事は、遠藤忍という一個人の見解であり、慶應義塾が組織としてもつ見解とは全く関係がないことをお伝えしておきます。くどいかもしれませんが、ここに書いてあることは全て遠藤忍の認識ですので、慶應義塾が公式に考えている見解であると勘違いをされても、当方はおろか慶應義塾でさえも一切の責任は負いません。

と、ここまでの注意書きを書かねばならぬほど、学生ガイドという職責をやらせていただくことには責任が伴うというのが事実です。大学の進路選択は、人生の選択において大きなウエイトを占めるものの一つですから、その情報を与える機会に携わる者は、本当にシビアなリスクヘッジが求められます。

それでもなお、私がSFCの「学生ガイド」を皆さんにお勧めするのは、自分自身が学生ガイドという職責に対して、かなりの誇りと自信をもっているからです。それはつまり、慶應SFCというキャンパスに対して、その建物もカリキュラムもそこにいる人も、すべてひっくるめて、誇りと自信と愛を持っていることと同じことです。自分が誇りを持って生活をしているこの場所の魅力を、その場所を代表して伝える、ということの達成感と快感は非常に大きな自信を与えてくれます。

学生ガイドって何をするか

一言でいえば「オープンキャンパスのスタッフ」です。

オープンキャンパスは、主に高校生に対して、このキャンパスはどういった場所なのか、ということをお示しする機会です。当然、やってくる高校生や受験生は、このキャンパスの学部を受験候補に入れている人々ですから、大学での学びや大学生活に関する情報だけでなく、入試にまつわる情報も提供しています。

入試にまつわる情報は、学生には絶対に触れられない領域です。個人的体験でさえ、話していいライン/悪いラインがあるくらいなのです。では学生はどこの領域で活躍するかというと、大学生という立場から、大学の学びや生活に関する情報を提供する部分です。そのためにSFCの学生ガイドに与えられているツールが4つあります。

  • キャンパスツアー
  • コミュニケーションコーナー
  • θ館ホールでの学生企画
  • 学生ガイド作成パンフレット

巷のよくありがちなオープンキャンパスの学生スタッフは、事務方がお膳立てしたオープンキャンパスのプランにそって、単なるスタッフとして働くというパターンが多いと思います。しかしSFCでは伝統的に、事務の担当部署の皆さんにオブザーブしてもらいながら、上記4つのツールを自分たちで企画・プランニングしていきます。そして当日は、組まれたシフトに則り、また公式スタッフとしての規範に則りつつも、自主的な動きが期待されます。

愛して止まないキャンパスツアー

そんな中、私は長らく「キャンパスツアー」に対して心血を注いできました。自慢になってしまいますが、現在では新規学生ガイドへの「模擬ツアー」の実施を任せていただくなど、同じ学生ガイドからも、また事務方からも、教員からも、遠藤のツアーがSFCで一番だ、と認識されています。それほど思い入れが深く、また自信も強く、それでいて責任も重く感じています。

キャンパスツアーは、単に建物を回るだけではいけないと思っています。いかに熱心に、取り組むか。いかにキャンパスの情報を建物の紹介に織り込むか。いかにキャンパスを楽しい場所だと思ってもらえるか。そして、もっとも重要なこととして、いかに来てくてた受験生がキャンパスで学ぶ姿を自分で(あるいは親御さんが)イメージできるか。そのためにも、面白く、印象に残りやすく、魅力あふれるキャンパスツアーをつくりあげることに自信をもっています。

ここまで熱を注ぐのは、それが楽しいからという理由が一番です。しかし、そのきっかけは、自分にとっての高校時代最初で最後だったオープンキャンパスであるSFCのオープンキャンパスでのキャンパスツアーにありました。

「ここに入学して、このキャンパスツアーがやりたい」

実はSFCの現地に赴いて感じたことは、ここで学びたい、ということ以上に、キャンパスツアーをしたい、ということでした。建物に感動したとか、カリキュラムに感動したとか、人に感動したとかではなく、キャンパスツアーがやりたかった。そうした想いが確かに6年前に生じていました、というかむしろ自分がツアーをしているイメージがわいていました。そして念願の入学、学生ガイドへの応募、オープンキャンパス当日になり、そこから私のジャングルクルーズ的キャンパスツアーが始まったわけです。

学生ガイドをやってよかった10のこと

それで本題なのですが、このポストをしているのは学生ガイドを現在募集しているわけで、その締め切りがなんと明日というわけで、書いております。そうするからには、お勧めできるポイントを挙げてみようと思っております。

  1. キャンパスのことがとても好きになる
    これは当然のことですね。キャンパスが好きでなければできる仕事ではありませんし、そうでなくてもやっているうちに好きになります。でも、好きになるということは、魅力だけでなく、デメリット部分も知っておく、ということです。他大学や他学部とSFCとを比較する視座がついて、何がよくて何がダメなのかに客観的になれます。だからこそ、好きになれるのです。
  2. SFCの制度や仕組みがよく理解できるようになる
    SFCの履修をはじめとする制度、サークルの存在などがよく分かります。ほぼ全ての選択を自分でしていくSFCでは、制度をちゃんと理解して自分の選択に責任を持たなければいけませんが、時おりそれができなくなるときがあります。それで大変なことになっている学生をたくさん見るたびに、SFCの制度をよく理解しておくことの大切さを痛感します。SFCで損をせずに生きていくうえでは、必要な知識を得られるでしょう。
  3. キャンパスのうんちくをたくさん知るようになる
    20年前にできたSFCには、たくさんの想いがつまっています。また、20年分の想いやできごとも詰まっています。それらをうんちくとして知っておくと、SFCに対する想いが広がるでしょう。自分がどんな想いがつまったキャンパスで過ごしているか、ということを知ることができます。なにより、うんちくをしっていると知識をひけらかすことができて優越感に浸れます。
  4. 自主的に動くやりがいを得られる
    学事のみなさんとの相談をしながら、学生が自主的に企画を組んでいくのがSFCのオープンキャンパスの特徴です。話に聞く限り、そうした工夫は他の慶應のキャンパスでは見られないそうです。キャンパスツアーに関する工夫は私が責任を持って嗜好を凝らしています。そんなことができるのは、学生スタッフが自主的に動くことができるからで、その分のやりがいを大きく感じます。
  5. 臨機応変な対応ができるようになる
    イベントには突発的に対応せねばならないことがたくさんあります。たとえば熱中症をはじめとする急病人対応や、残念ながら発生してしまう不審者対応。そうでなくても、来場者に突然質問を受けることもあります。そうした突発的なことへの対応は、臨機応変さを身につけるのに格好のチャンスです。また、学生ガイドにはBLS講習が必修となっているため、ちゃんとした知識をつけることができます。
  6. プレゼンテーション能力があがる
    学生ガイドはかならずそのシフトにキャンパスツアーを入れられます。つまり、キャンパスツアーの30分弱、喋り続けることを求められます。そのための練習会・トレーニングもなんども組まれます。もうこれで、否が応でも30分間人に喋り続けることができるようになります。
  7. 恥を捨てられる
    私が行っているキャンパスツアーが模範になってしまったせいで、かなり色々喋るツアーとなってしまいました。それがカルチャーとして定着すると、冗談も言わなければならなくなってしまいます。また、練習会は平日のキャンパスで行いますから、他の学生も見ています。知り合いにも会うかもしれませんが、恥ずかしいとは言わせません。プレゼンテーション能力が上がるということは、つまり恥を捨てることにもつながります。
  8. 受験生と接することでフレッシュな気持ちになれる
    目を輝かせた高校生たち。子どもの進路に真剣になる親御さんたち。そういうみなさんにきちんとした情報を伝えることが学生ガイドの使命になります。そうした皆さんと接することで、特に目を輝かせた高校生たちの希望に満ちあふれた顔つきと「こんなことを勉強したいんです!」という熱い想いに接することで、こちらのモチベーションも上がってきます。
  9. 学事の皆さんがどんなことを常に気にしているかが分かる
    学事の皆さんとお仕事をすると、慶應義塾が公式に行うということにおいて、何がよくて何がダメなのかが分かるようになります。得てして大学生は、大学当局の対応について、杓子定規だとかなんだとか思ったりするものです。時にはキレることもあるでしょう。しかしそのうらにはちゃんと意図がある。その意図を汲み取れるようになるだけで、オープンキャンパス以外のシーンで学事窓口に関わる時にも気持ちよく接することができます。
  10. ちゃんと給与が出る
    何より。これはボランティアじゃない。オープンキャンパス当日は大学公式のアルバイトとして、慶應義塾からの給与明細を受け取れます。

こんなメリットを享受できる学生ガイド。
みなさんも応募してみてはどうでしょうか。

追伸:もしも気が向けば、enshinoチョイス・キャンパスツアーのネタベスト10でも書きますね。またあとで。

prayforjapan.jp多言語翻訳プロジェクト終結に関する経緯のご説明

皆様、

prayforjapan.jpの多言語翻訳プロジェクトについて、まとめ人をして参りました私、遠藤より、みなさまにプロジェクトを終結させる決定を行いましたことをご報告します。本年4月25日までに、総仕上げとしての翻訳を行った後、本プロジェクトは一旦終了とさせていただきます。その経緯説明という形で、長文の記事をアップしました。お時間のある方のみ、ご覧下さい。

なお、プロジェクト終結までの実作業については、Facebookのprayforjapan.jpページにおいて詳しくご説明しております。こちらは、遠藤の個人的な回想と反省に満ちた【言い訳】ですので、その点ご留意下さい。

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謹告:2013年4月以降の進路について、および就職活動に関するお知らせ

お世話になっている皆様方、

まず、本来であればこの手のお知らせは、個別にご報告させていただくのが筋であるところ、このような形でのご報告になります非礼をお許しください。個別にご連絡を差し上げるべき方は、特にこの就職活動を通じてたくさん出会わせていただきましたが、そういった皆様方に、タイムラグなくご報告ができる形として、ブログに掲載させていただいております。また、このブログが、私にとっての対外的メディアであることも、ここでのご報告とする理由でもあります。ご承知置き下さい。

前置きが長くなりましたが、皆様にご報告です。

2011年9月ごろより実質的に行って参りました2013年4月入社の就職活動ですが、2012年3月9日に採用内々定のご連絡をいただき、その後熟慮した結果、同23日に承諾のご連絡を差し上げ、28日に承諾書を提出し、結果2013年4月から、株式会社マクロミルのビジネス職として就職することが内定いたしました。この場をお借りして、就職活動においてお世話になりました皆様や、日頃ご心配をおかけしている皆様へ、深く感謝申し上げたいと思います。


ご報告は以上で終わりです。ですが以下、読み物として、書きたいことを書き連ねます。あくまで自分用の備忘録ですから、お時間のある方のみお読みください。
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ハタチを終える、ということについて

“ 個人的な要望としては、自分が21歳になるのはもう少し先でもよかったんじゃないかと思う(そんなこと言っても仕方ないけれど)。20歳というのは言いやすかったし、若さの象徴的なブランドになるから、たった1年で終わってしまうのはちょっともったいない。 生涯に1度だけ、1年分の年齢を飛ばせる法律があればいいのに、と僕は思う。たとえば20歳を2年間やったあと、22歳になるのだ。選べるとしたら、皆さんは何歳を選びますか? でも時間は平等に過ぎていくし、大抵の場合、締め切り前というのはバタバタしているものだ。自分の誕生日をある種の「締め切り」だと思ってしまう僕は、もしかしたらちょっと可哀想な人間かもしれない。あれこれをやりたい、こういう自分になりたいとノートに書き殴って、引き出しにしまわれて、忘れられた頃にめくり返すんだ。その繰り返し。もう少し自由に年をとれたらいいのに。

上記は、もっちブログからの引用である(「優しさが、人の心を刻む」)。彼の紡ぎだす言葉のセンスにはいつも脱帽する。

誕生日ポストは僕の場合、「何事もなく過ぎ行く21歳の夜」みたいな思考をしたことがある。僕は誕生日になると、特にここ数年は、家族の存在を思い出すことが多い。そんなときくらいしかないのが正直なところであるが、それは誕生日みたいな日が人生の節目だからかもしれない。人生の節目の思考といえば、かつて「【超長文】成人を迎えた自分を後で振り返るための備忘録」みたいのも書いた。成人式で高熱を出しながら考えたことだったっけ。

考えてみると、誕生日や成人式や、入学や入社は多くの人にとって迎えるものなんだろう。しかし、卒業や退社を例外として、だいたい人間の節目は、迎えるものとして捉えられつつ、終わりについて考えることはそうそうないだろう。まぁ、卒業と入学は接点があるものだから、卒業に際して終わりを意識し、入学とともに始まりを意識するのだろうが、誕生日とか成人式とかは、それまでの年齢を過ごした1年間の終わりとか、それまで過ごしてきた未成年としての終わりとか、そういうのを意識することはあまりないだろう。強いて言えば、終わりに迫り思うのは、もっちが言うような「やり残した!」という焦りなのかもしれない。

かつてやけに大人びていた僕は、しきりに大人と同等の権利を持つことを欲していました。特に参政権、被選挙権ね。それが今、そうした大人の権利を持ち、そのかわり子どもという立場を捨てた。子どもの頃の僕は「よかったじゃん、これで選挙にも行けるよ、酒も飲めるよ」なーんて言うのかもしれませんが、実際はなんだか悲しいもんですね。子どもだったからこそ言えたこと、認めてきてもらえたこと、これからはそんなもの無い。さて自分はこれからどうやって成人した遠藤忍を確立していけばいいんでしょうか。

【超長文】成人を迎えた自分を後で振り返るための備忘録」では、そんなことを言っていた。でも、最後の一文、成人した遠藤忍をどう確立していけばいいかは、まだ見えていないし、いや就活をしていると余計に見えなくなるんだと思うが。結局、ハタチはある種のブランド(もっちの言う通り)であり、真に大人の仲間入りかと言われれば、それを迎えるにはなかなか時間が必要なのかもしれない。つまり、ハタチに隠された可能性は無限大だけど、それはハタチの想像力が無限大なのであって、「おとなになったらできること」はハタチを迎えていきなりできるわけじゃない、むしろハタチから先の年齢でできるようになっていくのかもな、なんて。

僕は今年の6月で、年男で厄年の年齢になるのだが、その年齢の最後の最後になって、ようやく「会社人」となることでいわゆる「社会人」になる。まぁ、社会との関わりをもっている時点で人間はみな社会人だと思うけど。でも、一般的なイメージで社会人=大人と捉えると、ハタチ=大人=社会人となるわけだが、はて私はこの3年ほどを社会人として過ごせただろうか、なんて思う。

今度また別に書うけれど、今僕は、お金をもらって仕事をするということにおいて、その一歩目をどう歩もうか、そして将来の自分のやりたいことは何なのかということを定めることにおいて迷いがある。その意味で、将来の可能性に対する妄想は、まだハタチの頃の方ができていたのかもしれない。

  1. 想いを言葉にすること
  2. ずっと学び続けること
  3. 外の世界とつながること
  4. 心地よい緊張をすること
  5. 親友を大切にすること
  6. 仲間と創りあげること
  7. だれかを幸せにすること
  8. 笑顔でいつづけること
  9. いつまでも続けること
  10. 感謝をすること

去年ハタチを迎えたある人に自分が贈った10のメッセージをここに示そう。これらは、自分にとってできていることなのだろうか。自分に当てはめて、それらができていないからこそ、他者にそれを求めたのかもしれないな、なんて思えば、それはおこがましいとも思うわけで。3つ歳が上だからといって、たったそれだけの年齢差そんなことが悟れるわけはないわけれど、今更ながらこれらの言葉の大切さを感じるわけで。

ハタチというブランドは、1年間しか有効ではない。今宵、それを終える大切な人が、そのブランドを失って、これから大人としての本当の進化を遂げようとしている時にあって、自分もそれに負けているわけにはいかない、と。その一方で、ハタチという特別さのなかで得たことというのは、忘れないでほしい、と。そういう自分は、ハタチの終わりをブログには残していなかった。

あの1年間に、自分はどんな期待と想いを抱いていたのか、少し忘れかけている。年を重ねることは忘れること、だなんて誰かが言っていたような。しかし、せめて特別な歳のことを後々に忘れないように、何が起こったのかを振り返るお手伝いができればな、なんて。

過去に執着するわけではないけど、過去があるから今があるということを重視する私にとって、迎えることよりも終えることを重視する機会があってもいいんじゃないか、なんて思ったりする。