謹告:2013年4月以降の進路について、および就職活動に関するお知らせ

お世話になっている皆様方、

まず、本来であればこの手のお知らせは、個別にご報告させていただくのが筋であるところ、このような形でのご報告になります非礼をお許しください。個別にご連絡を差し上げるべき方は、特にこの就職活動を通じてたくさん出会わせていただきましたが、そういった皆様方に、タイムラグなくご報告ができる形として、ブログに掲載させていただいております。また、このブログが、私にとっての対外的メディアであることも、ここでのご報告とする理由でもあります。ご承知置き下さい。

前置きが長くなりましたが、皆様にご報告です。

2011年9月ごろより実質的に行って参りました2013年4月入社の就職活動ですが、2012年3月9日に採用内々定のご連絡をいただき、その後熟慮した結果、同23日に承諾のご連絡を差し上げ、28日に承諾書を提出し、結果2013年4月から、株式会社マクロミルのビジネス職として就職することが内定いたしました。この場をお借りして、就職活動においてお世話になりました皆様や、日頃ご心配をおかけしている皆様へ、深く感謝申し上げたいと思います。


ご報告は以上で終わりです。ですが以下、読み物として、書きたいことを書き連ねます。あくまで自分用の備忘録ですから、お時間のある方のみお読みください。
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ハタチを終える、ということについて

“ 個人的な要望としては、自分が21歳になるのはもう少し先でもよかったんじゃないかと思う(そんなこと言っても仕方ないけれど)。20歳というのは言いやすかったし、若さの象徴的なブランドになるから、たった1年で終わってしまうのはちょっともったいない。 生涯に1度だけ、1年分の年齢を飛ばせる法律があればいいのに、と僕は思う。たとえば20歳を2年間やったあと、22歳になるのだ。選べるとしたら、皆さんは何歳を選びますか? でも時間は平等に過ぎていくし、大抵の場合、締め切り前というのはバタバタしているものだ。自分の誕生日をある種の「締め切り」だと思ってしまう僕は、もしかしたらちょっと可哀想な人間かもしれない。あれこれをやりたい、こういう自分になりたいとノートに書き殴って、引き出しにしまわれて、忘れられた頃にめくり返すんだ。その繰り返し。もう少し自由に年をとれたらいいのに。

上記は、もっちブログからの引用である(「優しさが、人の心を刻む」)。彼の紡ぎだす言葉のセンスにはいつも脱帽する。

誕生日ポストは僕の場合、「何事もなく過ぎ行く21歳の夜」みたいな思考をしたことがある。僕は誕生日になると、特にここ数年は、家族の存在を思い出すことが多い。そんなときくらいしかないのが正直なところであるが、それは誕生日みたいな日が人生の節目だからかもしれない。人生の節目の思考といえば、かつて「【超長文】成人を迎えた自分を後で振り返るための備忘録」みたいのも書いた。成人式で高熱を出しながら考えたことだったっけ。

考えてみると、誕生日や成人式や、入学や入社は多くの人にとって迎えるものなんだろう。しかし、卒業や退社を例外として、だいたい人間の節目は、迎えるものとして捉えられつつ、終わりについて考えることはそうそうないだろう。まぁ、卒業と入学は接点があるものだから、卒業に際して終わりを意識し、入学とともに始まりを意識するのだろうが、誕生日とか成人式とかは、それまでの年齢を過ごした1年間の終わりとか、それまで過ごしてきた未成年としての終わりとか、そういうのを意識することはあまりないだろう。強いて言えば、終わりに迫り思うのは、もっちが言うような「やり残した!」という焦りなのかもしれない。

かつてやけに大人びていた僕は、しきりに大人と同等の権利を持つことを欲していました。特に参政権、被選挙権ね。それが今、そうした大人の権利を持ち、そのかわり子どもという立場を捨てた。子どもの頃の僕は「よかったじゃん、これで選挙にも行けるよ、酒も飲めるよ」なーんて言うのかもしれませんが、実際はなんだか悲しいもんですね。子どもだったからこそ言えたこと、認めてきてもらえたこと、これからはそんなもの無い。さて自分はこれからどうやって成人した遠藤忍を確立していけばいいんでしょうか。

【超長文】成人を迎えた自分を後で振り返るための備忘録」では、そんなことを言っていた。でも、最後の一文、成人した遠藤忍をどう確立していけばいいかは、まだ見えていないし、いや就活をしていると余計に見えなくなるんだと思うが。結局、ハタチはある種のブランド(もっちの言う通り)であり、真に大人の仲間入りかと言われれば、それを迎えるにはなかなか時間が必要なのかもしれない。つまり、ハタチに隠された可能性は無限大だけど、それはハタチの想像力が無限大なのであって、「おとなになったらできること」はハタチを迎えていきなりできるわけじゃない、むしろハタチから先の年齢でできるようになっていくのかもな、なんて。

僕は今年の6月で、年男で厄年の年齢になるのだが、その年齢の最後の最後になって、ようやく「会社人」となることでいわゆる「社会人」になる。まぁ、社会との関わりをもっている時点で人間はみな社会人だと思うけど。でも、一般的なイメージで社会人=大人と捉えると、ハタチ=大人=社会人となるわけだが、はて私はこの3年ほどを社会人として過ごせただろうか、なんて思う。

今度また別に書うけれど、今僕は、お金をもらって仕事をするということにおいて、その一歩目をどう歩もうか、そして将来の自分のやりたいことは何なのかということを定めることにおいて迷いがある。その意味で、将来の可能性に対する妄想は、まだハタチの頃の方ができていたのかもしれない。

  1. 想いを言葉にすること
  2. ずっと学び続けること
  3. 外の世界とつながること
  4. 心地よい緊張をすること
  5. 親友を大切にすること
  6. 仲間と創りあげること
  7. だれかを幸せにすること
  8. 笑顔でいつづけること
  9. いつまでも続けること
  10. 感謝をすること

去年ハタチを迎えたある人に自分が贈った10のメッセージをここに示そう。これらは、自分にとってできていることなのだろうか。自分に当てはめて、それらができていないからこそ、他者にそれを求めたのかもしれないな、なんて思えば、それはおこがましいとも思うわけで。3つ歳が上だからといって、たったそれだけの年齢差そんなことが悟れるわけはないわけれど、今更ながらこれらの言葉の大切さを感じるわけで。

ハタチというブランドは、1年間しか有効ではない。今宵、それを終える大切な人が、そのブランドを失って、これから大人としての本当の進化を遂げようとしている時にあって、自分もそれに負けているわけにはいかない、と。その一方で、ハタチという特別さのなかで得たことというのは、忘れないでほしい、と。そういう自分は、ハタチの終わりをブログには残していなかった。

あの1年間に、自分はどんな期待と想いを抱いていたのか、少し忘れかけている。年を重ねることは忘れること、だなんて誰かが言っていたような。しかし、せめて特別な歳のことを後々に忘れないように、何が起こったのかを振り返るお手伝いができればな、なんて。

過去に執着するわけではないけど、過去があるから今があるということを重視する私にとって、迎えることよりも終えることを重視する機会があってもいいんじゃないか、なんて思ったりする。

学部生活1年分を電車で過ごした学生の「長距離通学の条件」

学部生生活は4年間。一方、私の片道通学時間は3時間。往復で6時間というのは1日の1/4。ということは、学部生として学校で過ごす日の1/4は電車の中で、それが4年分だと1年。そんな私が、「[新入生の皆様へ] メールの書き方に関するお願い」に続いてお届けする、新入生に向けたムダ情報です。

先に追記しておきます。SFC Clipの皆さんの方が、数段高いクオリティの新入生向けポストをしていますので、ぜひご覧下さい。

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスに合格なさったみなさま、改めておめでとうございます。そして入学を決めたみなさま、ようこそ遠藤村へ。申し遅れました、学校の住所と名字が一緒、遠藤忍です。かれこれ私も入学からはや5年が経ち、今や結局政策・メディア修士の学生としてキャンパスにお世話になり続けております。合格なさって入学される皆様が、第一志望であってもそうでないとしても、充実したキャンパスでの生活を送られることを心から期待するとともに、我々は皆さんを全力で歓迎します。ほら、学部長もその様子です

さて、こんなつぶやきがありました。ご本人には知らせていませんが、私はRTされてきたものを見たわけで、それで反応せざるを得ないわけです。なので、つい出来心でこんなのを書いております。ちなみに、地元の知り合いで今年東京大学を受験した人がいるのですが、合格したら下宿するとか言っているからたわけたことを言うんじゃないと、カッとなってこういうのを書いています。 続きを読む

ぼくらがかざるまち

なんか2年前のこの時期に、以下のような記事を書いていたらしく、掘り出してきたので掲示してみることにする。

こんばんは。
遠藤ことイルミネーション湘南台2008実行委員のしのびーです。

(中略)

でも、点灯はスタート。その日から湘南台の街を彩るイルミネーションが灯る、その第1日目です。
無事スタートを切って、湘南台の街を、きれいに飾るお手伝いができれば、と思っています。

ところで皆さんは、まちづくりにとって重要なキーパーソンって、誰だと思いますか?
街をつっていくのは、そこに住み、そこで商売をし、あるいはそこで学ぶ人々です。
その人たちが、日常生活を送る場所が街であり、日常生活を送る街をよりよくすることがまちづくりです。
その意味では、まちづくりにおいて重要なキーパーソンは、地域住民や商店の人々である、
と多くの人々はいうと思います。

あえて私は違った視点で考えています。
私が思う、まちづくりのキーパーソンは、「子どもたち」です。

「何を言う、実際に街のことを考えていろいろな行動を起こしているのは大人たちだぞ」と、
これを見ている人、とくに湘南台にかかわりのある方々はお叱りになるかもしれません。
それは否定しません。事実、湘南台では、たくさんの大人たちが、
自分のことのように湘南台のことを思い、さまざまな形で湘南台をよくする活動をしているのです。

私は何も、そういった活動が重要ではない、といっているわけではありません。
でも、子どもや若者は、街を活き活きとさせる力を持っていて、
そういった力がまちづくりにとって非常に重要である、といいたいのです。

私はもともと教育に興味を持っており、研究で中学生とよく交流を持ちます。
また、昨年度のイルミの企画や湘南台の友情キャンプへの参加を通じて小学生たちともかかわりを持ってきました。
それらの経験から思うことは、なにより子どもたちと接していると自分が元気をもらえるのです。
感情の表現が素直で、豊かで、何に値しても興味を持つ姿勢。
正直彼らの元気さは尋常ではなく、ついていくことができなくなるときもあります。
しかしながら、彼らのその素直さと接していると、自分の悩みなどを忘れるときがあります。

そしてある程度年齢が上がってくるにつれて、しだいに彼らは自分の住む街のことを考え出します。
湘南台の小学生や中学生も、自分の住む湘南台をよく見ています。
僕たち大学生でも気づかないような視点から、自分の住む街を見つめ、
どこがよいところか、どこを改善できるか、ということを真剣に考える力を持っています。

おそらくどんな大人も、子どもたちの真剣な姿・素直な笑顔を見ると、
下手なことはできないと思うし、自然と背筋が伸びる思いをすることがあると思います。
それは実は防犯の役目になるといえるのではないでしょうか。
何より、子どもたちと接することで得られる元気は、街全体に活力をくれると思うのです。

イルミネーション湘南台にいて、私は子どもたちが、そして子どもたちを通して大人たちが、
自分の住む街のことを真剣に考えることをしてほしい、と願っています。
子どもたちにとっては、もしかすれば湘南台は今後去っていく街かもしれない。
けれど、今自分が住んでいる街は魅力あふれる街であるということに気がついてほしい。
大人たちにとって、湘南台はただ自分の日々を過ごすだけの街なのかもしれない。
けれど、そこに将来住むであろう子どもたちに、いい魅力を残すことに力を注いでほしい。
だからこそ私は、イルミネーション湘南台の活動を、広く子どもたちに知ってもらい、
またイルミネーション湘南台の活動として、子どもたちと接する機会を多く持っているのかもしれません。

子どもたち目線の湘南台は、非常に魅力にあふれています。
それは日々私たちでも気づくことのできない魅力です。
まだ「街の魅力」に気づけないような子どもたちも、クリスマスの絵を描いてひとつの魅力を作り出してくれています。
現在、湘南台駅の地下に、幼稚園児の描いた「クリスマスデコレーション」が、
そして小学生の描いた「僕らの好きなこんな街」が掲示してあります。
そして、駅地下にお目見えした巨大ツリーには、子どもたちの願いが書かれたオーナメントが取り付けてあります。
彼らのつくったものから、湘南台の子どもたちが、どのような目線で何を感じているのかを見てください。
そして、11月30日日曜日の点灯式では、子どもたちが手作り楽器でてづくりの音楽会を開いてくれます。

イルミネーション湘南台が、街にイルミネーションをともし、それにあわせて子どもたちとイベントをつくりあげる。
それが、彼らにとっての、湘南台の魅力のひとつとなることを願っています。
そして、わたしたちのイベントに参加することで、

自分もまちづくりに参加している;街をかざっている

ということを意識してくれたら、僕はそれだけですごく幸せになるんだと思います。

自分が民間就職を考える、かなり切実な理由

All全国教育フェスタというイベントに参画させてもらっています。まぁ、一般的就活生のみなさんからすれば、この11/26・27という、経団連倫理規定によって先延ばしになった就職活動一斉開始の数日前にいったい何たることをしているのだ、と思われるかもしれませんが、誘われちゃったんだもん、舟に乗っかったらやるっきゃない。そういうものです。このイベント、教育をテーマにしているのですが、特に教職コミュニティの形成が大きな目的になっています。私にとってはうってつけでしょうね。大学の教職コミュニティにも属さず、また関東の教職コミュニティの存在も知らなかった私ですからいい機会です。

さて、巷には多くの人が、私はマスター修了後に教員になると思っている方がたくさんいると思いますが、それは半分正解で半分間違っています。正確に言えば、マスター修了後、民間企業を経て、公立学校の教員になろうと【思っている】んです。これは私の中では志に近いものではありますが、十分可変性の高いことです。そしてこのビジョンは、教職を本気で目指す方々からしても、民間企業を本気で目指す方々からしても、「何あまったれたこと言ってんじゃボケェ」と思われるかもしれません。そりゃそうです。自認しております。

ただ、このキャリアのあり方は、必要だと思っています。まず、私にとって教育は、専門とする分野というよりも切り口であり、それを通して社会を見てくることを個々5年ほどやってきたという自認があり、それは社会において還元させることができ、もっといえば民間企業における営利活動において何らかの利益を生むだけの視座になっているという自負があります。考え方のスキームとしての教育という視点は、武器として持っておいて損はないと思っています。また、社会経験のある教員を見ていると、かなり面白い考え方をしている人たちが多く、そういう教員として教育の世界に関わっていくことにあこがれを抱いているからこそ、民間企業で力を試し・力を蓄えることは僕にとっては必要なステップなのです。ここで大事なのは、「将来教員になりたいので、その自己研鑽のために御社で働かせてください、お願いします!」ではなく「御社の事業において私が持っている視座を御社にとっての価値に変換することが可能だと思っています」というスタンスでいる、ということです。まぁこれも所詮、戯れ言であることは重々承知しています。社会の厳しさなど、知らない男です。

でもね。

そりゃ、志をかなえるならば、さっさと学校教員になりますわ。魅力的な学校教員になろうとするならば、最初から学校教員になっても、自分の信念と熱さを曲げない自信はありますわ。それでも、どうしても現実的に考えて、そうもいかない事情がある。それは、公立学校の生涯賃金に照らして、私が(いや、私の親が)かけてきた教育投資のバランスがあわない、ということです。

もっと単刀直入に言います。奨学金が大変なのですよ。

学生支援機構奨学金を学部時代から借り、大学院生になってからその額を増やしました。そうすると、学部時代の借りた金額と大学院時代の借りた金額は実はちょうど同じくらいになってしまいます。これによって、学部時代のほぼ倍の返還額が私には発生してしまうわけです。かつて学生支援機構が日本育英会であった時代には、教育公務員になることでその変換を免除されましたが、いまやそんな制度は消えてなくなり、どのような職種についても、まして仕事がなくても支払いをせねばなりません。

借りたものは返す、それは当たり前のことですし頑張って返したいと思います。なおかつ、それが後輩たちの奨学金の原資になることを考えれば止めるわけにはいきません。ならば、せっかく、日本のなかでもそれなりに優秀とされる人々が集まる大学で学ばせてもらっただけのある種のステータスを活かして、お金を稼げる職に就き、そしてしっかりと奨学金を返していく、これがまずは社会貢献の第一歩じゃないか、なんて考えるわけです。

何より、借金を抱えている、という事実が自分にとって怖いわけで、実際すでにして300万円の負債がかさんでおり、その倍ですから修了とともに600万円の負債を抱えることになるわけです。これは本当に怖いことで(いやなかにはそんなものすぐに返せるという人もいるかもしれませんが)、仕事がある状況ではない現在に、つまり定額の収入が見込めるわけではない現段階でこれだけの借金を抱えることの将来への不安感といったらたまったもんじゃありません。だから、働かせていただけるところならどこでもお世話になります、というスタンスになってしまうほどに定職に就きたい、あわゆくば斜陽でない産業の中で20年返済予定の半分で返済が済んでしまうくらいの稼ぎが必要になってくるわけです。

こういうことは大事だと思って書きました。きっと面接の時とかにはこんな話できやしないでしょう。でも、ここまで切実に考えてしまうほどに、学費と奨学金というものは重くのしかかります。

貸与奨学金は、未来の自分への投資だと捉えることができますが、その未来において、経済的に安定しかつ裕福でいられることを予測して自分に投資をするわけです。このときの予測の源泉は、はっきり言って大学のステータスと、その大学を出た卒業生たちの就職状況から予測する収入感覚です。この先攻投資に見合うだけの自分のキャリアを描くことができるか、という、ある種のビビりを感じながら、自分のキャリアと向き合わなければならない季節が、いよいよ幕を開けるわけです。こういう想いで就職を考える学生は、何も私だけではないはず。せめても、後に続く学生に、学生時分にこういうような不安感を味わう状況をつくり出さないことも、いわゆる「将来したいこと」の一つに入るんじゃないかと思うほどです。

蹴りから始まるコミュニケーション

コミュニケーションのあり方っていろいろだと思う。

言語コミュニケーション教育を理念と実践のうえで研究をしていくのが私のSFCで追い続けているテーマであるが、言語コミュニケーションだけがすべてではない。ただ、コミュニケーションを専門としておきながら、言語コミュニケーションと非言語コミュニケーションの比率を忘れていた。そうだ、講義ノートを見返せば、7:93だった。

僕の持論は、義務教育の英語という教科の枠組みの中で、いかなる言語の使用においても基盤になる「普遍的コミュニケーション能力」を育む必要があり、その「普遍的コミュニケーション能力」とは、他者とかかわり合いを持とうとする態度、コミュニケーションに対する楽しさや難しさの認識、そしてその難しさを乗り越えてできるだけコンフリクトを起こさないための最低限度のワザだと思う。もちろん、性格が内気だったり人見知りだったりする人もいるけれど、そうした人でも一定レベルをクリアできるだけのワザがあってもいいはずだ。それを身につけてこそ、英語という教科枠組みが存在しうる価値だ、と。それが僕の研究です。

んでも、コミュニケーションのあり方っていろいろだと思う。

何が言いたかったのかというとですね、先日こんなことがあったわけです。10/8のことでした。

双葉町の子どもと遊ぼう #smiles_futaba だん。今日は、小学校高学年女子からメガネさんと呼ばれ続けながら、彼女たちのケリとパンチを受けまくるサンドバック状態。おかげで体が痛い。

もはやですね。今日、子どもたちと遊んでサンドバッグ状態に蹴られまくったことはですね、就職活動とか勉強会とかよりも僕にとって重要なことだったと思うのですよ。蹴られまくった末に「ストレス発散させてくれてありがとう」と一礼した少女は忘れられぬ。また行く。 #smiles_futaba

福島県双葉町は、福島第一原発を有する町。そこから避難してきた方々がいらっしゃるのが、旧騎西高校。そこでの子どもと遊ぶ活動・3度目の訪問です。その日、運動会などが実施されたり、いろんなプログラムが実施されていて、子どもがそもそも少ない避難所から更に子どもが少なくなっていました。それでも、女の子4人ほどがやってきて遊んでくれました。

しかしねぇ、その子ら”凶暴”なんだわ(笑)。あ、あくまで冗談として言っているのですよ。やっぱり、見知らぬ大人がたくさんいて、しかも男の人と接触するのもなかなか無いとなると、小学校高学年だったその子たちは、男の人に対して多少たりとも乱暴な言動をしてしまうのかなぁ、なんて思うわけですが。

とにかく、その子どもらが僕を蹴ってくる。どんどん蹴ってくる。痛い。膝をいためてめっちゃくちゃ痛がった演技をしたりして笑いながらキレるそぶりを見せると、なんだかそれが面白かったみたいでした。「男の子も蹴っ飛ばしてるよ」「そりゃ男子がかわいそうじゃないか」「いいんだもん」そんな会話から少しずつ打ち解けてきた感じでもあった遊びの活動。途中から、携帯ゲームを取り出して大人に対して挑戦してきたり、パソコンに熱中したり、などしていました。

物静かな女の子が一人。その子がどうやら折り紙が上手いらしく、「ねぇねぇ折り紙の折り方教えてくれよ」と言って、小鳥の折り方を教わったあたりから、物静かな女の子は実は物静かじゃなかったということが分かりはじめました。しかも、次に折りはじめた折り紙は途中で失敗し、「あ、折り方間違えちゃった、あれ?」みたいな感じになっていたわけで。その辺から、むしろその物静かな女の子も僕のことを蹴っ飛ばしてくる一味になりました。

他のメンバーの方が、ハロウィン仕様の折り紙工作を用意してきてくれました。画用紙のバッグに、パンプキンとこうもりの折り紙を貼る、というもの。僕もそれに参加し、パンプキンとコウモリを折りました。それを、最初に僕の膝を蹴った女の子が全部パクっていき、自分のものにして貼付けていきました。「え、俺のでいいの?」みたいな感じでしたが、快くもらってくれました。

僕はその日、メガネと呼ばれながら、ひたすら女の子たちのキックをうけまくりました。これ、普通なら度が過ぎるから、とブチギレるところですが、その日の僕は、その攻撃を上手くかわしながら、キックを受けまくりました。キックをよけながら、「ストレスたまってるんだねぇ」「子どももなかなか大変だよね、分かるよその気持ち」などとチャチャを入れつつ戯れていると、キックしながら女の子は爆笑し、そしてキックは更にエスカレートします。でもそれは、僕が本気で憎まれている状況では決して起きないことだなぁ、と後から振り返ると思います。その証拠に、キックをしながらいろんな話をしました。クラスの男子の話、学級担任があまり好きではないこと。僕は教員になりたい、という話をすると、じゃぁメガネが先生になってよ、と言われながらやっぱりキックを受ける。

もうすぐ店じまいの時、「今度いつ来るの?」という質問と「ストレス発散させてくれてどうもありがとう」という一礼。この時、僕はこういうのもアリなんだな、と思いました。避難した子どもはストレスを溜めているから思いっきり遊んだり乱暴になったりする、とよく言われますが、いや避難している子どもだろうが普通にその辺にいる子どもだろうが、少し年が若めの大人に攻撃しかけてくるのは普通だろう、と思います。別に僕は、色眼鏡をかけて見ていたから受け入れたのではありません。ただ、自分なりのスタンスで、子どもと接していただけです。もちろん、蹴っ飛ばされるのは痛いしいやだから、怒ることはできました。でも、それで萎縮させて関係を破綻させることを僕はおそれる。だから、通常の人と人との関係の中で、僕は彼女たちのキックを甘んじて受け、それに対して、彼女たちの力が抜けるような突っ込みを入れていった、ということなだけです。それが結果的に、メガネさんとして構ってもらえることにつながったのが僕にとってはすごく安心できる結果でした。

ことばだけがコミュニケーションじゃない。怒ったり褒めたりすること以外にも、信頼関係を気付く方法はいくらでもある。まさかキックでコミュニケーションが紡ぎだされるとは思わなかったけれど、それもまた一つの接し方だと思います。

iPhone4Sを買ったので、Apple製品購入歴を振り返ってみた

スティーブ・ジョブズ氏は、もはや私にとっては教祖のような存在でした。だから、iPhone4Sが登場した後、しばらくTwitterのTLから離れていた私は、彼が死んだということさえも分からず、「R.I.P Steve Jobs」の意味すら全く把握していませんでした。まだ彼は若いと思っていたし、聞くところによれば4Sの発表の時に彼はソファに座ってバナナジュースを飲んでいたそうじゃないですか。でも、考えてみれば、ガンの手術を2度もやって、確かに年齢的にもまだまだだけれど、健康不安が会ったことを考えれば、相当無理していたのかな、と思います。

彼の製品をはじめて手にしたのは中学2年生。その時に買った白iBook12inchは、PowerPC G3 800MHz/30GB HDDながら、大学入学1年目まで持ちこたえてくれました。きっかけの一つは、素人が出てきてMacの魅力をとうとうと語るCM。もう一つは、職場体験で訪れた地元のISPで働くWebデザイナーさんが使っていたMacを見たからでした。Macを一度手にしてしまうと、その前に使っていた某デスクトップに比して驚くほど愛着を持ってしまいました。それから、Appleの虜です。iPodも、初代iPodをiBookと同時に手にしました。大学1年目後半で買い替えた2台目MacBookは、コーヒーを被り、1mの高さから落下してもなお、壊れること無く弟に引き継がれ、とうとう醤油を被っておシャカになりました。3台目MacBookとは、短いおつきあいだったものの、卒論という修羅場を共に歩んだ戦友です。それも今はLionを積んで弟・妹が使っています。ちなみに、弟はiPod nanoとiPod touchを所有し、妹もiPod nanoで音楽を聴きます。

どうしても離れられないMac。今年になってだいぶApple製品を買い込んでしまいました。まず、MacBookAirは、どうしても軽さの観点で必要と思い購入。現在のお供です。それから、研究に使うということでiPad2を購入。まだ研究用途での使用はしていませんが、かなりの便利さと手軽さなので、これは使い物になると思っています。ここまでで、すでに15万円近くは今年の間にApple製品に費やしているのですが、ついに今日、iPhone 4Sを一括購入で機種変しました。32GB Whiteなので、5万円程度。iPad2にはポイントを付与しなかったビックカメラですが、今回はお決まりの5%ポイント還元をちゃっかりいただくことができました。

一括で購入するのにも訳がありまして、単にポイントマターではなく、むしろ月々の支払いをおさえたいというのが正直なところです。前任のiPhone 3GS 32GB Whiteは、SoftBankのiPhone for everybodyキャンペーンより前に購入してしまったため、安いときで月々480円負担で買えたはずが、私はタイミングをミスってしまい、980円を実質割賦負担していたのです。これでは、月々の支払いが1万円になり、非常に苦しい。だから、次に買うときは割賦ではなく一括にしてしまおう、と思いました。今後は、月あたま多くても6000円程度で済むでしょう。

Appleの製品は、やはりなじむ。愛着を持ってしまう。周囲の人々が、iPhoneのガラス面に大きなビヒを入れてとんでもないことになっているのを横目に、私は2年間、非常に本体を大切に扱ってきました。2台目MacBookは、前述の通りコーヒーや落下や醤油を経験してきましたが、それでも新しく買い替えるという選択肢は極力とらずに修理で我慢しました。もっといえば、1台目iBookを5年間も使い続けたのは軌跡に近いと言えるでしょう。そこまでして自分が使い続けてきたのも、Appleの製品が、ハードもソフトも非常にシンプルで分かりやすく、そしてキレイだったことが原因でしょう。それをつくり出してきたのはジョブズ氏だ、とは私は言いません。むしろ、ジョブズ氏の考え方を共有したAppleのエンジニアたちが作り上げたものだと思います。しかしやはり、最終決定の段階にかならずジョブズ氏の存在があったこと、そして自社の製品を高らかに自信を持ってジョブズ氏が発表してきたこと、それがまさしくAppleの真骨頂であったように思います。彼のスタンス・スピリット・ポリシーは、少なくともここ10年で「i○○」を打ち出して以降、きっと社員に共有化されているに違いありません。でも、きっと彼の存在が無いAppleは、すこし違ったものに見えてくるんだろうなぁ、と思ってしまう自分がいます。

そんなことを思いながら、サクサク動いてくれるiPhone4Sにほれぼれしています。予約しておいてよかった。思ったより早く手に入りました。

最後に写真を一枚。すでにTwitterやFacebookで共有していますがコチラでも。行きつけの古河のカフェ「Ocha-Nova」のマスターはMacユーザーで、私はしょっちゅうそのカフェでMacを広げてWifiを拝借して作業をしています。ジョブズ氏逝去の訃報の翌日、そのカフェに行くと、マスターが聞いてきました。「iPhone4SってLionじゃないと使えないんですかね?」僕がMacユーザーであることを知っているマスターは、以前店のMacのメールの調子がおかしいということで僕に見るように頼んできたことがあります。そのため、店のMacのバージョンも知っていたのですが、多分Lionを搭載できるスペックではなく。でも、そもそもiPhone4S、iCloudを使わない分にはLionは不要なので、「多分大丈夫だと思いますよ」と回答。そして、いつも頼むフレーバーカフェラテをいつも通り注文すると、すてきなラテ・アートを描いてくださいました。信者の僕としては、とてもうれしい絵であったと共に、思いを馳せるときはいつもこれを見ようかな、と思うアートに感動を覚えました。マスター、iPhone4S手に入りましたよ。

因果関係についての思い出

A→B

社会科学の研究において、Aが起きればBが起きるというモデルを特定し、それに併せた実験や観察を行うことは重要になる。KKVといわれる社会科学の教科書においては、「観察可能な含意」とやらが社会科学に置いては重要になるらしい。Aが起きればBはいつでも起きる、そういう知見はさまざまなことに応用できるだろうし、そもそもAならばBというパターンの発見は面白い。

そして、このA→Bのパターン発見は、くだらないものになればなるほど面白い。

最近の私の持論は、長距離通学が所以で発見したもの。「宇都宮線直通の湘南新宿ラインに新宿駅から乗った時に、鳩サブレの袋を持ったおばちゃんがいたら、その人は池袋駅で降りる」という仮説。これは、私の経験した数少ない事例においてはほとんど成功している。ついさっき、「おばちゃん」ではなく「二人の男性の若者」でこの状況に遭遇したが、これは成功しなかった。ちなみに今、赤羽を過ぎ大宮駅に向かっているが、未だに降りていない。

そういえば、と思い出してみると、実は小学校時代から、くだらない仮説を立ててはそれを論考していた。小学校3年生の頃の先生は、かならず児童に作文を書かせる宿題を出していた。かならずコメントを付して添削していたからすごい。ちなみにその先生は僕が小学校四年生の時に妊娠して担任を離れたが、その時に生まれた双子は今中学1年生だ。感慨深い。話がそれた。どんな因果関係を論考していたかというと、こんなのだ。

筑波山はダイダラボッチが座ったために男体山と女体山ができたが、出来上がった2つの山の頂上の高さが異なるのはなぜか。
なぜ東京駅より新宿駅の方が乗降客数が多いのか。

今考えれば、その論考は稚拙であっても、そもそもそんなことを論考していた自分がびっくりである。その頃から、小難しいことを考えるのが好きだったのかもしれない。また、前者の論題を見れば分かるが、僕は案外小さい頃から奇想天外なアイディアを持っていたのかもしれない。だいたい、筑波山にダイダラボッチが座ったなんてことは神話上の話なのに、それを作文の題材にしてしまうのだから自分でもビビる。

もうすこし、筑波山論考の話をしよう。今でも覚えている。小学校三年生の遠足は筑波山の山登りである。筑波山は西側に位置する男体山(標高871m)と東側に位置する女体山(標高877m)から形成されているが、こうなったのはだいだらぼっちが筑波山に腰を下ろしたからだというのを行きのバスの中で聞いた。ではなんで標高が異なるのだろうかと考えたわけだ。作文の冒頭では、もし腰を下ろしたときに中心で腰を下ろしたら絶対に標高は男体山と女体山で同じになるはずだと考えた。しかしそうではないとすると、考えられることは一つ、だいだらぼっちは山の中心に腰を下ろしたわけではない、ということだ。ではなぜ山の中心ではなく少しずらして腰を下ろしたか、それは「中央に座るとケツの穴が痛いから」だ。我ながら稚拙だ。

しかし、そのクオリティは別としても、こんなことを考えていた時期があったことに驚きだし、件の「湘南新宿ラインで鳩サブレの袋…」を現在でも仮説検証するあたり、僕自身は変わっていないのかな、なんて思ったりした。そんなわけで、もうすぐ久喜だが、若者たちはまだ降りない。

Strength Finderをやってみた

ストレングスファインダーをご存知だろうか。って言っても、僕も今年に入るまでは知らなかった。ギャラップと言う会社だか機関だかしらんが、そこがうん百万人の人々にオープンクエスチョンのインタビューをしていったところ、良い成果を上げている人には特定のパターンがあることが分かったらしい。そして、34の「強み」の分類を作り上げた。そのギャラップによれば、人間は弱みを補強することではなく強みを伸ばすことによって成長し成果を上げていくと言う。34の「強み」の分類のなかで、自分はどの強みを持っているのかを知ることで、どこを伸ばせばいいのかが分かる、ということだ。

このストレングス・ファインダー、どこで知ったかと言うと、教職員熟議Saitamaの先生方がみんなやっていたわけで、第2回のときにkuniさんというクラス・ファシリテーターをお呼びした際の食事の席で知ったのだ。ストレングス・ファインダーに限らず、たとえばドラッガーの『マネジメント』や、センゲの『学習する組織』(←両方とも読んだことないけれど)は、どちらかというと教育畑ではなく経営畑の叡智のような気がする。しかし、先日出向いた「教室『学び合い』フォーラム」の夜の談義などで分かったこととしては、実はそういった企業体の組織論は、人づくりの観点で教育文脈にそぐうというのだ。なるほどだから先生方もやってるのね、と思ったわけで。

世は就職活動戦線厳しいと言われ続けて早4年…明日は我が身ながら一寸先は闇。自分の適性は何なのだろうか。仕事をする、自分に合う会社を探す、自分が働きたい会社に自分を合わせる、そんな時期になるのだろうか。どうして、「食っていく、そのための仕事」という【単純なはず】の構図のために苦心をせねばならないか、それはジョブハンティングが複雑だからなんでしょうが、そんな文句は言っていられないので、自分の適性を分析していかなければいけないんだろうな。ストレングス・ファインダーはその指標になると思ったので、やってみた。

結果から言おう。私の強みの優位5つは以下だ。

『コミュニケーション』『最上志向』『親密性』『戦略性』『ポジティブ』

まずはやり方から。どうすればストレングス・ファインダーが使えるか、というと、まずは本を買う。『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす』という本である。これを買って、まずは最初の3章を読んで、「強み」を伸ばすとはどう言うことか、才能とはどう言うものかの概念を知ったところで、本のカバーの裏面に記載されているIDを使ってStrength Finder SurveyをWebで受ける。

このサーベイ、1回に現れる選択肢は2つ。仮にAとBとしたとき、この2つの選択肢は一見すると対極にあるように見えるものと対極ではないように見えるものがある。回答者は20秒以内にAまたはBから当てはまるものを判断せねばならない。実際は、どちらでもない、どっちかといえばA(またはB)という選択肢もあるので5段階のスケールになっているが、しかしスケールとは言えないようにも思える。そんな訳で180くらいの質問にすべて答えきると、5つの優位な「強み」が現れるのだ。

そして僕の5つの強みが出た。その説明を書いておこう。

【コミュニケーション】
あなたは説明すること、描写すること、進行役を務めること、人前で話すこと、書くことが好きです。これにはあなたのコミュニケーションという資質がよく現れています。アイデアはアイデアに過ぎません。事実は、その時々に起こったことに過ぎません。あなたは、それに命を吹き込み、活力を与え、刺激的で生き生きとしたものにしなければならないと感じます。そこであなたは、「単なる事実」を「物語」に転換させて、それを上手に語ります。単なる「アイデア」を取り上げ、イメージと具体例と比喩を使って生き生きとさせます。あなたは、たいていの人は集中力が続く時間がとても短いと思っています。彼らは情報の洪水に見舞われていますが、情報はほとんど頭に残っていません。あなたはあなたが伝えたい情報を――それがアイデアであろうと、事実であろうと、製品の特性や特徴、何かの発見、あるいは教訓であろうと――人々の心に残したいと考えます。あなたは彼らの関心を自分に向けさせ、捉えて放さないようにしたいと思っています。あなたが、最適な言い方を探そうとするのはこのためです。あなたが、ドラマチックな言葉や力強い言葉の組み合わせを使おうとするのは、このためです。人々があなたの話を聴きたがるのはこのためです。あなたの言葉で描かれたイメージは彼らの興味をそそり、彼らの見方を刺激して行動へと啓発するのです。

【最上志向】
優秀であること、平均ではなく。これがあなたの基準です。平均以下の何かを平均より少し上に引き上げるには大変な努力を要し、あなたはそこに全く意味を見出しません。平均以上の何かを最高のものに高めるのも、同じように多大な努力を必要としますが、はるかに胸躍ります。自分自身のものか他の人のものかに関わらず、強みはあなたを魅了します。真珠を追い求めるダイバーのように、あなたは強みを示す明らかな徴候を探し求めます。生まれついての優秀さ、飲み込みの速さ、一気に上達した技能――これらがわずかでも見えることは、強みがあるかもしれないことを示す手がかりになります。そして一旦強みを発見すると、あなたはそれを伸ばし、磨きをかけ、優秀さへ高めずにはいられません。あなたは真珠を光り輝くまで磨くのです。このように、この自然に長所を見分ける力は、他の人から人を区別していると見られるかもしれません。あなたはあなたの強みを高く評価してくれる人たちと一緒に過ごすことを選びます。同じように、自分の強みを発見しそれを伸ばしてきたと思われる人たちに惹かれます。あなたは、あなたを型にはめて、弱点を克服させようとする人々を避ける傾向があります。あなたは自分の弱みを嘆きながら人生を送りたくありません。それよりも、持って生まれた天賦の才能を最大限に利用したいと考えます。その方が楽しく、実りも多いのです。そして意外なことに、その方がもっと大変なのです。

【親密性】
親密性という資質は、あなたの人間関係に対する姿勢を説明します。 簡単に言えば、親密性という資質によって、あなたは既に知っている人々とより深い関係を結ぶ方向に引き寄せられます。あなたは必ずしも未知の人たちと出会うことを避けているわけではありません――事実、知らない人と友人になるスリルを楽しむような他の資質を、あなたは持っているかもしれないのです――しかし、あなたは親しい友人のそばにいてこそ、大きな喜びと力を得るのです。あなたは親密であることに心地よさを感じます。一旦最初の関係ができあがると、あなたは積極的にその関係をさらに深めようとします。あなたは彼らの感情、目標、不安、夢を深く理解したいと思っています。そして、彼らにもあなたを深く理解してもらいたいと願っています。あなたは、このような親密さがある程度の危険性を含んでいることを知っています――あなたは利用されるかもしれないのです――しかし、あなたはその危険性を解かった上で受け入れます。あなたにとって人間関係は、それが本物である時のみ価値を持ちます。そして、それが本物であるかどうかを知る唯一の方法は、相手に身を委ねることです。互いの気持ちを共有すればする程、お互いの危険性も大きくなります。お互いの危険性が大きくなればなる程、自分たちの意思が本物であることを、よりはっきりと証明できるのです。これらが真の友情を築き上げるための一つひとつのステップであり、あなたはそのステップを喜んで進んで行きます。

【戦略性】
戦略性という資質によって、あなたはいろいろなものが乱雑にある中から、最終の目的に合った最善の道筋を発見することができます。これは学習できるスキルではありません。これは特異な考え方であり、物事に対する特殊な見方です。他の人には単に複雑さとしか見えない時でも、あなたにはこの資質によってパターンが見えます。これらを意識して、あなたはあらゆる選択肢のシナリオの最後まで想像し、常に「こうなったらどうなる? では、こうなったらどうなる?」と自問します。このような繰り返しによって、先を読むことができるのです。そして、あなたは起こる可能性のある障害の危険性を正確に予測することができます。それぞれの道筋の先にある状況が解かることで、あなたは道筋を選び始めます。行き止まりの道をあなたは切り捨てます。まともに抵抗を受ける道を排除します。混乱に巻き込まれる道を捨て去ります。そして、選ばれた道――すなわちあなたの戦略――にたどり着くまで、あなたは選択と切り捨てを繰り返します。そしてこの戦略を武器として先へ進みます。これが、あなたの戦略性という資質の役割です:問いかけ、選抜し、行動するのです。

【ポジティブ】
あなたは人をよく誉め、すぐに微笑みかけ、どんな状況においても常にポジティブな面を探します。あなたのことを陽気と言う人もいます。あなたのように楽天的になりたいと思う人もいます。しかし、いずれにしても、人々はあなたの周りにいたいと思います。あなたの熱意は人に伝染するので、あなたの近くにいると彼らには世界がより良いもののように見えてくるのです。あなたの活力と楽天性がないと、人は、自分の毎日は同じ事の繰り返しばかりで単調であるとか、最悪の場合、プレッシャーを重く感じてしまいます。あなたは、彼らの気持ちを明るくする方法を必ず見つけます。あなたはどんなプロジェクトにも情熱を吹き込みます。あなたはどんな進歩も祝福します。あなたはどんなことでも、よりエキサイティングで、より生き生きとしたものにする方法をたくさん考え出します。一部の懐疑的な人たちは、あなたの活発さを否定するかもしれませんが、あなたはめったにそれに引きずられることはありません。あなたの積極性がそれを許さないのです。あなたは、生きていることは素晴らしいという信念、仕事は楽しいものにできるという信念、どのような障害があろうと人は決してユーモアの精神を失ってはならないという信念から、どうしても逃れられないのです。

5つの資質のタイトルを見るだけでは、「嘘つけぇ、んなわけねぇだろうが」と思ったが、案外説明の文章を見ている限りはそうなのかもしれないな、と思った。問題は、この強み・資質を知った上で、それを活かせるようなフィールド、働き方をどうやって見つけていくか、だと思う。実は今日もとある企業の人事の方と会って、まだ自分の世界・世界観が狭いんだろうなってことを感じた。まだ、現在の自分が立脚しているものを、もっと明確にできるはずだ。

それを見つける夏にせねばならない。

[新入生の皆様へ] メールの書き方に関するお願い

慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス 学部新入生のみなさま、 −*1

はじめまして。突然メールを差し上げ、大変失礼致します。
慶應義塾大学 大学院 政策・メディア研究科 修士課程
1年生の遠藤忍と申します。 −*2

改めまして、新入生の皆様、ご入学おめでとうございます。
先日の総合政策・環境情報学の創造の補講に出席させていただいた折、
皆様の活発な発言と、熱心な聞く態度には心を打たれました。
ぜひ、皆様にとってのSFC生活が実り多いものになることを、
同じ新入生として期待しております。 −*3

ところで今回は、老婆心ながら、新入生の皆様に、
メールのひな形を提示したいと思い、このようにお送りさせていただきます。 −*4

−−−−−−−−−−−− −*5

私は、これまで、大学にて教員のサポート役(SA)をさせていただく機会が多く、
多くの学生の方から先生方へのメールをお預かりすることがありました。
特に、新入生を迎える時期には、件名や宛名、本文のないメールが見受けられ、
どのように返答をすれば良いかに思案することが多いのが現状です。
そうしたメールを受信するたびに、サポートさせていただいている先生が
溜息を漏らす姿を何度も見ております。

私自身、学内・学外とのメールのやり取りが多く、SFC5年目となる今では、
型にはまったメールの書き方が私自身の普通(あるいは常識)になっていますが、
多くの新入生の皆様は、携帯メールのほうがより親しみが大きく、
PCによるフォーマルなメールのやり取りに慣れていないのではないでしょうか。

そうしたやり取りは、例えばサークル活動やグループワークの実践の中で
真似をして身につけていくものだと考えております。
それでも、テンプレートになるものが見られなければ意味がないので、
おせっかいであることを重々承知の上、こうしてお送りさせていただきました。

−−−−−−−−−−−−

私が考える、メールを送る際のポイントとしては、 −*6

・メールは会話ではないからまとまった内容を送る
・件名でメールの内容が把握できるようにする
・送り手がどこの誰であるか、送る相手が誰なのかを明確にする
・相手が未知の人や目上の人に対しては失礼のないようにする

ということがあります。また、コツとして、

・メールの件名に、[タグ] をつけてあげる(例えば授業名など)
・メール本文の最初と最後で、内容の要約や相手への要求を示す
・返信の要、不要を明確に相手に伝える
・最後に署名欄をつける

などがあると思います。

−−−−−−−−−−

以上、長くなりましたが、私が考えるメールの書き方について、
僭越ながら述べさせていただきました。
もちろん、この他にもたくさんの先輩方がノウハウをお持ちと思いますので、
これをご覧の上級生の方々には、ぜひご教示いただければ幸いです。

何よりご理解いただきたいのは、新入生の皆様が今後、
例えば授業の問合せや課題提出などでメールを送る際に、
相手に失礼の無いように、そして相手に分かりやすいメールを
送っていただきたいということです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 −*7
風邪がはやっております。どうぞ、ご自愛ください。 −*8

遠藤 忍 −*9
http://enshino.biz/

※追伸
私のメールは基本的に長い文章となり、これは常に改善せねば
と思っております。
どうぞ、皆様はできるだけ簡潔な文面をお書きください。

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