謹告:2013年4月以降の進路について、および就職活動に関するお知らせ

お世話になっている皆様方、

まず、本来であればこの手のお知らせは、個別にご報告させていただくのが筋であるところ、このような形でのご報告になります非礼をお許しください。個別にご連絡を差し上げるべき方は、特にこの就職活動を通じてたくさん出会わせていただきましたが、そういった皆様方に、タイムラグなくご報告ができる形として、ブログに掲載させていただいております。また、このブログが、私にとっての対外的メディアであることも、ここでのご報告とする理由でもあります。ご承知置き下さい。

前置きが長くなりましたが、皆様にご報告です。

2011年9月ごろより実質的に行って参りました2013年4月入社の就職活動ですが、2012年3月9日に採用内々定のご連絡をいただき、その後熟慮した結果、同23日に承諾のご連絡を差し上げ、28日に承諾書を提出し、結果2013年4月から、株式会社マクロミルのビジネス職として就職することが内定いたしました。この場をお借りして、就職活動においてお世話になりました皆様や、日頃ご心配をおかけしている皆様へ、深く感謝申し上げたいと思います。


ご報告は以上で終わりです。ですが以下、読み物として、書きたいことを書き連ねます。あくまで自分用の備忘録ですから、お時間のある方のみお読みください。
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検証:教職課程がいかに大変かを自分の身に降り掛かったことを使って説明する

まず、3/28以降の、私のやさぐれツイートのおかげで、各方面にご心配をおかけしたことをお詫びします。

昨年度は開講されていて、本年度も当然開講されるとにらんで昨年履修しなかった科目が、なんと開講されていないことに気付き、発狂してツイートしまくった、ということです。その科目が、私の認識では教員免許取得に関わる重大な科目だっただけに、突如開講されなくなったことに憤慨して発狂していました。しかし、冷静になり、トレードオフの対策を考えつつ、そして今日、教職課程センターに確認したところ、以下のことが判明しました(それが本件の結論です)。

  1. 複数の教科の教員免許を、卒業・修了時に「主免許」として一括申請できる
  2. 開講されなくて発狂した件の科目は、「主免許」として申請する場合には必須になる科目ではない
  3. したがって、本人の頑張り次第で、英語の免許と(すでに単位取得済みの)社会の免許は降りる
  4. ちなみに、開講されなくて発狂した件の科目が開講されなかった理由は、文科省の査察で指摘を受けた結果である

それではお詫びの気持ちも込めつつ、順序だてて本件を整理し、状況をご説明したいと思います。

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ハタチを終える、ということについて

“ 個人的な要望としては、自分が21歳になるのはもう少し先でもよかったんじゃないかと思う(そんなこと言っても仕方ないけれど)。20歳というのは言いやすかったし、若さの象徴的なブランドになるから、たった1年で終わってしまうのはちょっともったいない。 生涯に1度だけ、1年分の年齢を飛ばせる法律があればいいのに、と僕は思う。たとえば20歳を2年間やったあと、22歳になるのだ。選べるとしたら、皆さんは何歳を選びますか? でも時間は平等に過ぎていくし、大抵の場合、締め切り前というのはバタバタしているものだ。自分の誕生日をある種の「締め切り」だと思ってしまう僕は、もしかしたらちょっと可哀想な人間かもしれない。あれこれをやりたい、こういう自分になりたいとノートに書き殴って、引き出しにしまわれて、忘れられた頃にめくり返すんだ。その繰り返し。もう少し自由に年をとれたらいいのに。

上記は、もっちブログからの引用である(「優しさが、人の心を刻む」)。彼の紡ぎだす言葉のセンスにはいつも脱帽する。

誕生日ポストは僕の場合、「何事もなく過ぎ行く21歳の夜」みたいな思考をしたことがある。僕は誕生日になると、特にここ数年は、家族の存在を思い出すことが多い。そんなときくらいしかないのが正直なところであるが、それは誕生日みたいな日が人生の節目だからかもしれない。人生の節目の思考といえば、かつて「【超長文】成人を迎えた自分を後で振り返るための備忘録」みたいのも書いた。成人式で高熱を出しながら考えたことだったっけ。

考えてみると、誕生日や成人式や、入学や入社は多くの人にとって迎えるものなんだろう。しかし、卒業や退社を例外として、だいたい人間の節目は、迎えるものとして捉えられつつ、終わりについて考えることはそうそうないだろう。まぁ、卒業と入学は接点があるものだから、卒業に際して終わりを意識し、入学とともに始まりを意識するのだろうが、誕生日とか成人式とかは、それまでの年齢を過ごした1年間の終わりとか、それまで過ごしてきた未成年としての終わりとか、そういうのを意識することはあまりないだろう。強いて言えば、終わりに迫り思うのは、もっちが言うような「やり残した!」という焦りなのかもしれない。

かつてやけに大人びていた僕は、しきりに大人と同等の権利を持つことを欲していました。特に参政権、被選挙権ね。それが今、そうした大人の権利を持ち、そのかわり子どもという立場を捨てた。子どもの頃の僕は「よかったじゃん、これで選挙にも行けるよ、酒も飲めるよ」なーんて言うのかもしれませんが、実際はなんだか悲しいもんですね。子どもだったからこそ言えたこと、認めてきてもらえたこと、これからはそんなもの無い。さて自分はこれからどうやって成人した遠藤忍を確立していけばいいんでしょうか。

【超長文】成人を迎えた自分を後で振り返るための備忘録」では、そんなことを言っていた。でも、最後の一文、成人した遠藤忍をどう確立していけばいいかは、まだ見えていないし、いや就活をしていると余計に見えなくなるんだと思うが。結局、ハタチはある種のブランド(もっちの言う通り)であり、真に大人の仲間入りかと言われれば、それを迎えるにはなかなか時間が必要なのかもしれない。つまり、ハタチに隠された可能性は無限大だけど、それはハタチの想像力が無限大なのであって、「おとなになったらできること」はハタチを迎えていきなりできるわけじゃない、むしろハタチから先の年齢でできるようになっていくのかもな、なんて。

僕は今年の6月で、年男で厄年の年齢になるのだが、その年齢の最後の最後になって、ようやく「会社人」となることでいわゆる「社会人」になる。まぁ、社会との関わりをもっている時点で人間はみな社会人だと思うけど。でも、一般的なイメージで社会人=大人と捉えると、ハタチ=大人=社会人となるわけだが、はて私はこの3年ほどを社会人として過ごせただろうか、なんて思う。

今度また別に書うけれど、今僕は、お金をもらって仕事をするということにおいて、その一歩目をどう歩もうか、そして将来の自分のやりたいことは何なのかということを定めることにおいて迷いがある。その意味で、将来の可能性に対する妄想は、まだハタチの頃の方ができていたのかもしれない。

  1. 想いを言葉にすること
  2. ずっと学び続けること
  3. 外の世界とつながること
  4. 心地よい緊張をすること
  5. 親友を大切にすること
  6. 仲間と創りあげること
  7. だれかを幸せにすること
  8. 笑顔でいつづけること
  9. いつまでも続けること
  10. 感謝をすること

去年ハタチを迎えたある人に自分が贈った10のメッセージをここに示そう。これらは、自分にとってできていることなのだろうか。自分に当てはめて、それらができていないからこそ、他者にそれを求めたのかもしれないな、なんて思えば、それはおこがましいとも思うわけで。3つ歳が上だからといって、たったそれだけの年齢差そんなことが悟れるわけはないわけれど、今更ながらこれらの言葉の大切さを感じるわけで。

ハタチというブランドは、1年間しか有効ではない。今宵、それを終える大切な人が、そのブランドを失って、これから大人としての本当の進化を遂げようとしている時にあって、自分もそれに負けているわけにはいかない、と。その一方で、ハタチという特別さのなかで得たことというのは、忘れないでほしい、と。そういう自分は、ハタチの終わりをブログには残していなかった。

あの1年間に、自分はどんな期待と想いを抱いていたのか、少し忘れかけている。年を重ねることは忘れること、だなんて誰かが言っていたような。しかし、せめて特別な歳のことを後々に忘れないように、何が起こったのかを振り返るお手伝いができればな、なんて。

過去に執着するわけではないけど、過去があるから今があるということを重視する私にとって、迎えることよりも終えることを重視する機会があってもいいんじゃないか、なんて思ったりする。

学部生活1年分を電車で過ごした学生の「長距離通学の条件」

学部生生活は4年間。一方、私の片道通学時間は3時間。往復で6時間というのは1日の1/4。ということは、学部生として学校で過ごす日の1/4は電車の中で、それが4年分だと1年。そんな私が、「[新入生の皆様へ] メールの書き方に関するお願い」に続いてお届けする、新入生に向けたムダ情報です。

先に追記しておきます。SFC Clipの皆さんの方が、数段高いクオリティの新入生向けポストをしていますので、ぜひご覧下さい。

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスに合格なさったみなさま、改めておめでとうございます。そして入学を決めたみなさま、ようこそ遠藤村へ。申し遅れました、学校の住所と名字が一緒、遠藤忍です。かれこれ私も入学からはや5年が経ち、今や結局政策・メディア修士の学生としてキャンパスにお世話になり続けております。合格なさって入学される皆様が、第一志望であってもそうでないとしても、充実したキャンパスでの生活を送られることを心から期待するとともに、我々は皆さんを全力で歓迎します。ほら、学部長もその様子です

さて、こんなつぶやきがありました。ご本人には知らせていませんが、私はRTされてきたものを見たわけで、それで反応せざるを得ないわけです。なので、つい出来心でこんなのを書いております。ちなみに、地元の知り合いで今年東京大学を受験した人がいるのですが、合格したら下宿するとか言っているからたわけたことを言うんじゃないと、カッとなってこういうのを書いています。 続きを読む

小出国際雪合戦は何が面白いか

今年も参加してきました、小出国際雪合戦大会。今年で4回目の参加となり、社会人雪合戦クラブチーム・チーム冬将軍は34人バスツアーで6チーム出場、うち3チームが決勝リーグ出場(世界ベスト64)となり、また私が監督をした「春ちゃん対湘南台冬将軍」はベスト16を勝ち取りました。

なんで何度も行くかって、楽しいから行くに決まってるんですが、なぜ楽しいのかがポイントですね。それを箇条書きでお伝えします。

そもそも編

  • もうすでに24回も行われていて俺と同い年だ
  • 魚沼市は今年災害対策基本法が適用されるほどの豪雪地帯なのに、その雪をイベント資源にしちゃった
  • 国際雪合戦の名を冠しているが、北海道の昭和新山雪合戦と本気で張り合っている
  • しかし、国際の名前の由来は、隣街の南魚沼市にある国際大学から拝借した
  • イベントを運営しているのが小出商工会青年部という若い人たちだ
  • 参加者は内外から189チームが出場し、軽く1000名が参加している
  • 国際雪合戦行進曲という公式テーマソングが存在する

ルール編

  • 公式ルールは国際ルールであり、英語版も存在する
  • 基本的にはドッジボールと同じで身体に雪玉が当たった回数で残気が減っていく
  • 女性は5ポイントで男性は3ポイントなのだが、1チーム5人の構成を全員女性にして相手チームに一人でも男性が含まれていたら何もしなくても勝ちになる
  • 戦国時代を模して、大将と足軽4人で構成されるが、大将はかんじきと山がさとこしきを携えなければいけないから動きにくい
  • 絶大な権限を持つ国際A級審判は半分が商工会青年部でもう半分が小出高校野球部員だ
  • その審判は、試合特性上、フィールドにいる10人の選手よりも多く、1コートに11人存在する
  • それ以外にも審判長が存在するのだが、国際公式ルール上、審判長へのワイロが認められている
  • その文言は「なお、審判長への贈り物はこれを歓迎する」である
  • 雪玉に異物を混ぜることはルール上禁止だが、それはジュネーブ協約違反だから、らしい
  • 国際公式ルールにおいて、女性に対してムキになることが非推奨となっている
  • また、国際公式ルールにおいて、コスプレでの出場が認められている

前日編

  • 前日には、前夜交流祭という飲み会が企画されている
  • 魚沼のお米のおにぎりや山菜の煮物・天ぷら、酒粕でつけた漬け物などが格安で食べ放題
  • しかも地元の日本酒も飲み放題である
  • 出し物は基本的に参加チームのPRタイムで終わる
  • が、第24回大会においては、平均年齢55歳のYKG48が登場した
  • 彼女たちは、小出商工会議所婦人部の面々である
  • それなりに歳が行っている人々がAKBのダンスを踊るので、リズムが把握できないから、リーダーがホイッスルを吹いて方向転換を指示していた
  • 毎年必ず、会津坂下町水合戦の面々が乳製品と馬肉製品を持ってPRに来る
  • 毎年必ず、清瀬市役所愚連隊という色物軍団がやってきてクラッカーをならす
  • その清瀬市役所愚連隊は暴走族っぽい格好だが、その総帥は市役所の係長らしい
  • その他にも、栃木から来たレモン牛乳がAKBを踊り、九州から来た下半身タイツの男たちがKARAを踊り、湘南台から来たチーム冬将軍がキャラものコスプレで踊ったりする
  • ともかくよく訳がわからないイベントだが、みんな酒を飲んでいるのでとにかく盛り上がっている
  • 出し物の最後に「あんさ&おっさ」というフォークデュオが、かならず3曲歌って帰る
  • その「あんさ」の方は、地元の有力者で、市民会館の館長である
  • 2曲目に、国際雪合戦行進曲が歌われると、会場の全員が肩を組んでトレインをする
  • その国際雪合戦行進曲のサビは「投げて×3、よけて×3、投げて×3、ぶつけろー!」
  • そのあとに、「平和地球人、みんな集まれ、国際雪合戦」と、突如スケールが大きくなる
  • 前夜交流祭が終わると、近くのスキー場でスキーカーニバルが行われる
  • そのイベントでは、たいまつの灯りがゲレンデを降下し、餅が空から振ってきて、イカが火あぶりにあって宙を舞う
  • NPO魚沼交流ネットワークの交流会も開催され、商店街にあるフリースペース「つなごて」が酒盛りになる
  • NPOの人々がともかくすごくアツい

当日編

  • 小出郷文化会館の小ホールが控え室になっていて雪のせいで床がびしょぬれだ
  • 9時の開会式開始と同時に整列した全チームが入場行進をする
  • その入場行進で国際雪合戦行進曲が生歌で歌われる
  • 前夜交流祭に参加した人は盛り上がるが、前日を経験していない人はみんな引いている
  • 今年は豪雪のためにみんなが入場しきらないから、2回連続で歌われた
  • 商工会長が開会宣言をするが、それが英語で行われる
  • 24th Koide World Changpionship Snowball Fight will be open right now. It’s time to begin the fight!
  • 試合が始まると、強豪チームは肩を使って豪速球を投げまくる
  • 子どもの部も半分は野球少年団が出場するから球が速い
  • 予選リーグは3チーム総当たりで行われるが、その組み合わせは作為的でもある
  • たとえば、清瀬市役所愚連隊と栃木から来たレモン牛乳が対戦したりする
  • その色物試合のとき、清瀬市役所愚連隊のメンバーが「俺は変態だ〜」と言いながら、AKBっぽい格好をしているレモン牛乳一同のスカートをめくろうとしていた
  • 清瀬市役所愚連隊はかつて、試合中に煙幕を投げて、雪玉以外のものを投げたため失格となっている
  • 雪合戦と並行して、コスプレコンテストが行われる
  • 今年は、PR大使コンテストと称したクイズ・大喜利・パフォーマンス大会が行われた
  • そのPR大使コンテストで優勝したのは、レモン牛乳の女性と九州から来た下半身タイツの男性だった
  • その二人は前夜祭でやったパフォーマンスを再現した
  • 毎年強豪と言われるチームはだいたい野球経験者で構成される
  • 今年は新潟アルビレックス野球チームというプロ野球選手が出場していた
  • で、彼らが決勝戦まで出場していた
  • で、彼らは準優勝だった
  • 会場には屋台が並んで、おいしい肉とかうどんとかけんちん汁とかが食べられる
  • 出場者にはおにぎりとけんちん汁の昼食が出る
  • さらに出場チームには、オリジナルタオルやえのき茸が入ったお土産が渡される
  • また当日には、FMXチームがやってきて、雪でつくられた坂をモトクロスバイクが走り、宙を舞う

湘南台冬将軍編

  • 社会人雪合戦クラブ・チーム冬将軍が結成されており、enshinoも参画している
  • もともとはイルミネーション湘南台の慰安旅行として参加していたのを、門戸を広げてバスで行っている
  • 今年は34名でチームを編成している
  • 5人チームを6チーム編成して出場したが、全てのチームに監督が存在している
  • その監督をまとめる総監督が存在している
  • 情報戦を展開するために、監督団が全員トランシーバーをつけている
  • 自陣や敵陣のポイント数を把握するためのiPhoneアプリが存在する
  • それをつくるCTOが存在する
  • 6チーム中1チームはコスプレ要員であり、コスプレ担当監督も存在する
  • コスプレチームには、専属の振り付け師が存在する
  • 参加する大半の人が初対面のため、バス内でチームビルディングレクが行われる
  • 出発の2週間前に、決起集会と称した飲み会を開催し、その席で現地雪合戦実行委員会とSkype中継を行った

その他、面白いこと盛りだくさんの大会に、今年も参加できてよかったと思うわけです。

アイスブレイクアイディア集:2

あと2時間後にはこのカプセルホテルを出ます。

昨年の、湘南台冬将軍向けに作成した、アイスブレイクアイディア集:1が、実はこのブログの検索キーワードランディング率が一番高いページなので、調子に乗って第二段。今年用意するものは、基本的にはその場の雰囲気で当たり外れが大きいものだと予測されます。あと、去年紹介し忘れたタイトルのものもあるので備忘録的に。

【なんとなくテンションをおかしくさせるアイスブレイク】

コール&レスポンス
『雪合戦は、テンションを高めることが大切です』

「乗ってるか〜い?」「いえ〜い!」というコール&レスポンスを繰り返しながら、発声練習かつバス内のメンバーを強制的に変なテンションにさせる、というもの。どんなことがあってもレスポンスは返さなければいけない。熟語やことわざにしてみる、など。

「国際?」「雪合戦!」
「湘南台?」「冬将軍!」
「キャッチアンド?」「リリース!」
「ヒットアンド?」「アウェイ!」
「ガンガン?」「行こうぜ!」
「命?」「大事に!」
「仏の顔も?」「3度まで!」
「犬も歩けば?」「棒に当たる!」
「立て板に?」「水!」
「焼け石に?」「水!」
「今飲みたいものは?」「水!」
「JR?」「東日本!」←ここらへんは地域差が出るかも
「ポケモン?」「ゲットだぜ!」
「ニンテンドー?」「64!」←これは危険か

雪やこんこん
『雪合戦は、その場の状況に適応する俊敏さが大切です』

あの名曲「雪やこんこん」をみんなで歌うが、あらかじめ2群に分けて、それぞれを司会の右手・左手に配分する。司会が右手を挙げている時と左手を挙げている時で歌う人が変わる、という仕組み。
テンポを速めたり、手を上げる場所を切り替えたりしながら、参加者の混乱を誘う。

幸せなら手を叩こう
『雪合戦は、アドリブによるエンターティナーになることが大切です』

ご存知「幸せなら手を叩こう」をアレンジ。最初は、手→足…といくが、途中からがおかしなことになる。

幸せなら…
・手を叩こう
・足ならそう
・肩まわそう
・隣の人にウインクしよう
・隣の人とあいさつしよう
・ハイタッチ
・爆笑しよう
・涙そうそう
・前からウェーブしよう
・最初からおさらいしよう
・手を叩こう

【お互いを知り合うゲーム】

共通点を探せ
『雪合戦は、とにかく球数とスピード感が大切です』

単純ながら、限られた時間内に共通点をできるだけ多く探すゲーム。2人用。4人でも可能。
とにかく多く共通点を探せればそれでよし。以上。

たぶん私が一番
『雪合戦は、自分に自信を持つことが大切です』

グループの中で、だれが一番○○かを、自己判断で挙げてもらう。琴線に触れる話題は避けた上で、客観的に分かるものを利用する。例えば

・誕生月
・身長(背が高い)
・若い
・遠くから来ている
・早起きした

答えがパピプペポ
『雪合戦は、たとえ聞こえなくても周囲の監督団の言っていることを読み取ることが大切です』

イエス・ノー5の応用。イエス・ノー5は「はい」か「いいえ」のみだが、このゲームでは質問者は何を質問しても良い。しかし、答える側は一律で、答えを「パピプペポ」で言わねばならない。質問者はそれをちゃんとした言葉に置き換えて相手に確認をとる。

【チームの意思疎通を図るゲーム】

みんなで短歌
『雪合戦は、チーム内で空気を読み合うことが大切です』

5・7・5・7・7で、出されたお題に対する短歌をつくる。バス内5列なら、列ごとに各句を割り当てる。

お題例
「バレンタイン」
「雪合戦の試合前」
「ポケモン」
「インフルエンザに注意」

勝利の雄叫び、敗北の嗚咽
『雪合戦は、勝利したチームは雄叫びをあげ、負けたチームは嗚咽を出すことが大切です』

試合における勝敗へのリアクションの練習。
まずは横1列に、何の前触れもなく自分で考えたポーズを決めて雄叫びを挙げてもらう。当然バラバラ。
なので、20秒だけ無言で話し合える時間を設定する。そしてまたポーズと雄叫びを挙げる。声はバラバラ。
なので、最後に5秒だけ声の確認をして、最後にもう一度チームで調整する。

バス内で実施すると、前後ろのチームのポーズが見れないので、練習中に披露してもらうことにする。


さぁ、寝るか。明日が僕の本番だ。

ぼくらがかざるまち

なんか2年前のこの時期に、以下のような記事を書いていたらしく、掘り出してきたので掲示してみることにする。

こんばんは。
遠藤ことイルミネーション湘南台2008実行委員のしのびーです。

(中略)

でも、点灯はスタート。その日から湘南台の街を彩るイルミネーションが灯る、その第1日目です。
無事スタートを切って、湘南台の街を、きれいに飾るお手伝いができれば、と思っています。

ところで皆さんは、まちづくりにとって重要なキーパーソンって、誰だと思いますか?
街をつっていくのは、そこに住み、そこで商売をし、あるいはそこで学ぶ人々です。
その人たちが、日常生活を送る場所が街であり、日常生活を送る街をよりよくすることがまちづくりです。
その意味では、まちづくりにおいて重要なキーパーソンは、地域住民や商店の人々である、
と多くの人々はいうと思います。

あえて私は違った視点で考えています。
私が思う、まちづくりのキーパーソンは、「子どもたち」です。

「何を言う、実際に街のことを考えていろいろな行動を起こしているのは大人たちだぞ」と、
これを見ている人、とくに湘南台にかかわりのある方々はお叱りになるかもしれません。
それは否定しません。事実、湘南台では、たくさんの大人たちが、
自分のことのように湘南台のことを思い、さまざまな形で湘南台をよくする活動をしているのです。

私は何も、そういった活動が重要ではない、といっているわけではありません。
でも、子どもや若者は、街を活き活きとさせる力を持っていて、
そういった力がまちづくりにとって非常に重要である、といいたいのです。

私はもともと教育に興味を持っており、研究で中学生とよく交流を持ちます。
また、昨年度のイルミの企画や湘南台の友情キャンプへの参加を通じて小学生たちともかかわりを持ってきました。
それらの経験から思うことは、なにより子どもたちと接していると自分が元気をもらえるのです。
感情の表現が素直で、豊かで、何に値しても興味を持つ姿勢。
正直彼らの元気さは尋常ではなく、ついていくことができなくなるときもあります。
しかしながら、彼らのその素直さと接していると、自分の悩みなどを忘れるときがあります。

そしてある程度年齢が上がってくるにつれて、しだいに彼らは自分の住む街のことを考え出します。
湘南台の小学生や中学生も、自分の住む湘南台をよく見ています。
僕たち大学生でも気づかないような視点から、自分の住む街を見つめ、
どこがよいところか、どこを改善できるか、ということを真剣に考える力を持っています。

おそらくどんな大人も、子どもたちの真剣な姿・素直な笑顔を見ると、
下手なことはできないと思うし、自然と背筋が伸びる思いをすることがあると思います。
それは実は防犯の役目になるといえるのではないでしょうか。
何より、子どもたちと接することで得られる元気は、街全体に活力をくれると思うのです。

イルミネーション湘南台にいて、私は子どもたちが、そして子どもたちを通して大人たちが、
自分の住む街のことを真剣に考えることをしてほしい、と願っています。
子どもたちにとっては、もしかすれば湘南台は今後去っていく街かもしれない。
けれど、今自分が住んでいる街は魅力あふれる街であるということに気がついてほしい。
大人たちにとって、湘南台はただ自分の日々を過ごすだけの街なのかもしれない。
けれど、そこに将来住むであろう子どもたちに、いい魅力を残すことに力を注いでほしい。
だからこそ私は、イルミネーション湘南台の活動を、広く子どもたちに知ってもらい、
またイルミネーション湘南台の活動として、子どもたちと接する機会を多く持っているのかもしれません。

子どもたち目線の湘南台は、非常に魅力にあふれています。
それは日々私たちでも気づくことのできない魅力です。
まだ「街の魅力」に気づけないような子どもたちも、クリスマスの絵を描いてひとつの魅力を作り出してくれています。
現在、湘南台駅の地下に、幼稚園児の描いた「クリスマスデコレーション」が、
そして小学生の描いた「僕らの好きなこんな街」が掲示してあります。
そして、駅地下にお目見えした巨大ツリーには、子どもたちの願いが書かれたオーナメントが取り付けてあります。
彼らのつくったものから、湘南台の子どもたちが、どのような目線で何を感じているのかを見てください。
そして、11月30日日曜日の点灯式では、子どもたちが手作り楽器でてづくりの音楽会を開いてくれます。

イルミネーション湘南台が、街にイルミネーションをともし、それにあわせて子どもたちとイベントをつくりあげる。
それが、彼らにとっての、湘南台の魅力のひとつとなることを願っています。
そして、わたしたちのイベントに参加することで、

自分もまちづくりに参加している;街をかざっている

ということを意識してくれたら、僕はそれだけですごく幸せになるんだと思います。

自分が民間就職を考える、かなり切実な理由

All全国教育フェスタというイベントに参画させてもらっています。まぁ、一般的就活生のみなさんからすれば、この11/26・27という、経団連倫理規定によって先延ばしになった就職活動一斉開始の数日前にいったい何たることをしているのだ、と思われるかもしれませんが、誘われちゃったんだもん、舟に乗っかったらやるっきゃない。そういうものです。このイベント、教育をテーマにしているのですが、特に教職コミュニティの形成が大きな目的になっています。私にとってはうってつけでしょうね。大学の教職コミュニティにも属さず、また関東の教職コミュニティの存在も知らなかった私ですからいい機会です。

さて、巷には多くの人が、私はマスター修了後に教員になると思っている方がたくさんいると思いますが、それは半分正解で半分間違っています。正確に言えば、マスター修了後、民間企業を経て、公立学校の教員になろうと【思っている】んです。これは私の中では志に近いものではありますが、十分可変性の高いことです。そしてこのビジョンは、教職を本気で目指す方々からしても、民間企業を本気で目指す方々からしても、「何あまったれたこと言ってんじゃボケェ」と思われるかもしれません。そりゃそうです。自認しております。

ただ、このキャリアのあり方は、必要だと思っています。まず、私にとって教育は、専門とする分野というよりも切り口であり、それを通して社会を見てくることを個々5年ほどやってきたという自認があり、それは社会において還元させることができ、もっといえば民間企業における営利活動において何らかの利益を生むだけの視座になっているという自負があります。考え方のスキームとしての教育という視点は、武器として持っておいて損はないと思っています。また、社会経験のある教員を見ていると、かなり面白い考え方をしている人たちが多く、そういう教員として教育の世界に関わっていくことにあこがれを抱いているからこそ、民間企業で力を試し・力を蓄えることは僕にとっては必要なステップなのです。ここで大事なのは、「将来教員になりたいので、その自己研鑽のために御社で働かせてください、お願いします!」ではなく「御社の事業において私が持っている視座を御社にとっての価値に変換することが可能だと思っています」というスタンスでいる、ということです。まぁこれも所詮、戯れ言であることは重々承知しています。社会の厳しさなど、知らない男です。

でもね。

そりゃ、志をかなえるならば、さっさと学校教員になりますわ。魅力的な学校教員になろうとするならば、最初から学校教員になっても、自分の信念と熱さを曲げない自信はありますわ。それでも、どうしても現実的に考えて、そうもいかない事情がある。それは、公立学校の生涯賃金に照らして、私が(いや、私の親が)かけてきた教育投資のバランスがあわない、ということです。

もっと単刀直入に言います。奨学金が大変なのですよ。

学生支援機構奨学金を学部時代から借り、大学院生になってからその額を増やしました。そうすると、学部時代の借りた金額と大学院時代の借りた金額は実はちょうど同じくらいになってしまいます。これによって、学部時代のほぼ倍の返還額が私には発生してしまうわけです。かつて学生支援機構が日本育英会であった時代には、教育公務員になることでその変換を免除されましたが、いまやそんな制度は消えてなくなり、どのような職種についても、まして仕事がなくても支払いをせねばなりません。

借りたものは返す、それは当たり前のことですし頑張って返したいと思います。なおかつ、それが後輩たちの奨学金の原資になることを考えれば止めるわけにはいきません。ならば、せっかく、日本のなかでもそれなりに優秀とされる人々が集まる大学で学ばせてもらっただけのある種のステータスを活かして、お金を稼げる職に就き、そしてしっかりと奨学金を返していく、これがまずは社会貢献の第一歩じゃないか、なんて考えるわけです。

何より、借金を抱えている、という事実が自分にとって怖いわけで、実際すでにして300万円の負債がかさんでおり、その倍ですから修了とともに600万円の負債を抱えることになるわけです。これは本当に怖いことで(いやなかにはそんなものすぐに返せるという人もいるかもしれませんが)、仕事がある状況ではない現在に、つまり定額の収入が見込めるわけではない現段階でこれだけの借金を抱えることの将来への不安感といったらたまったもんじゃありません。だから、働かせていただけるところならどこでもお世話になります、というスタンスになってしまうほどに定職に就きたい、あわゆくば斜陽でない産業の中で20年返済予定の半分で返済が済んでしまうくらいの稼ぎが必要になってくるわけです。

こういうことは大事だと思って書きました。きっと面接の時とかにはこんな話できやしないでしょう。でも、ここまで切実に考えてしまうほどに、学費と奨学金というものは重くのしかかります。

貸与奨学金は、未来の自分への投資だと捉えることができますが、その未来において、経済的に安定しかつ裕福でいられることを予測して自分に投資をするわけです。このときの予測の源泉は、はっきり言って大学のステータスと、その大学を出た卒業生たちの就職状況から予測する収入感覚です。この先攻投資に見合うだけの自分のキャリアを描くことができるか、という、ある種のビビりを感じながら、自分のキャリアと向き合わなければならない季節が、いよいよ幕を開けるわけです。こういう想いで就職を考える学生は、何も私だけではないはず。せめても、後に続く学生に、学生時分にこういうような不安感を味わう状況をつくり出さないことも、いわゆる「将来したいこと」の一つに入るんじゃないかと思うほどです。

蹴りから始まるコミュニケーション

コミュニケーションのあり方っていろいろだと思う。

言語コミュニケーション教育を理念と実践のうえで研究をしていくのが私のSFCで追い続けているテーマであるが、言語コミュニケーションだけがすべてではない。ただ、コミュニケーションを専門としておきながら、言語コミュニケーションと非言語コミュニケーションの比率を忘れていた。そうだ、講義ノートを見返せば、7:93だった。

僕の持論は、義務教育の英語という教科の枠組みの中で、いかなる言語の使用においても基盤になる「普遍的コミュニケーション能力」を育む必要があり、その「普遍的コミュニケーション能力」とは、他者とかかわり合いを持とうとする態度、コミュニケーションに対する楽しさや難しさの認識、そしてその難しさを乗り越えてできるだけコンフリクトを起こさないための最低限度のワザだと思う。もちろん、性格が内気だったり人見知りだったりする人もいるけれど、そうした人でも一定レベルをクリアできるだけのワザがあってもいいはずだ。それを身につけてこそ、英語という教科枠組みが存在しうる価値だ、と。それが僕の研究です。

んでも、コミュニケーションのあり方っていろいろだと思う。

何が言いたかったのかというとですね、先日こんなことがあったわけです。10/8のことでした。

双葉町の子どもと遊ぼう #smiles_futaba だん。今日は、小学校高学年女子からメガネさんと呼ばれ続けながら、彼女たちのケリとパンチを受けまくるサンドバック状態。おかげで体が痛い。

もはやですね。今日、子どもたちと遊んでサンドバッグ状態に蹴られまくったことはですね、就職活動とか勉強会とかよりも僕にとって重要なことだったと思うのですよ。蹴られまくった末に「ストレス発散させてくれてありがとう」と一礼した少女は忘れられぬ。また行く。 #smiles_futaba

福島県双葉町は、福島第一原発を有する町。そこから避難してきた方々がいらっしゃるのが、旧騎西高校。そこでの子どもと遊ぶ活動・3度目の訪問です。その日、運動会などが実施されたり、いろんなプログラムが実施されていて、子どもがそもそも少ない避難所から更に子どもが少なくなっていました。それでも、女の子4人ほどがやってきて遊んでくれました。

しかしねぇ、その子ら”凶暴”なんだわ(笑)。あ、あくまで冗談として言っているのですよ。やっぱり、見知らぬ大人がたくさんいて、しかも男の人と接触するのもなかなか無いとなると、小学校高学年だったその子たちは、男の人に対して多少たりとも乱暴な言動をしてしまうのかなぁ、なんて思うわけですが。

とにかく、その子どもらが僕を蹴ってくる。どんどん蹴ってくる。痛い。膝をいためてめっちゃくちゃ痛がった演技をしたりして笑いながらキレるそぶりを見せると、なんだかそれが面白かったみたいでした。「男の子も蹴っ飛ばしてるよ」「そりゃ男子がかわいそうじゃないか」「いいんだもん」そんな会話から少しずつ打ち解けてきた感じでもあった遊びの活動。途中から、携帯ゲームを取り出して大人に対して挑戦してきたり、パソコンに熱中したり、などしていました。

物静かな女の子が一人。その子がどうやら折り紙が上手いらしく、「ねぇねぇ折り紙の折り方教えてくれよ」と言って、小鳥の折り方を教わったあたりから、物静かな女の子は実は物静かじゃなかったということが分かりはじめました。しかも、次に折りはじめた折り紙は途中で失敗し、「あ、折り方間違えちゃった、あれ?」みたいな感じになっていたわけで。その辺から、むしろその物静かな女の子も僕のことを蹴っ飛ばしてくる一味になりました。

他のメンバーの方が、ハロウィン仕様の折り紙工作を用意してきてくれました。画用紙のバッグに、パンプキンとこうもりの折り紙を貼る、というもの。僕もそれに参加し、パンプキンとコウモリを折りました。それを、最初に僕の膝を蹴った女の子が全部パクっていき、自分のものにして貼付けていきました。「え、俺のでいいの?」みたいな感じでしたが、快くもらってくれました。

僕はその日、メガネと呼ばれながら、ひたすら女の子たちのキックをうけまくりました。これ、普通なら度が過ぎるから、とブチギレるところですが、その日の僕は、その攻撃を上手くかわしながら、キックを受けまくりました。キックをよけながら、「ストレスたまってるんだねぇ」「子どももなかなか大変だよね、分かるよその気持ち」などとチャチャを入れつつ戯れていると、キックしながら女の子は爆笑し、そしてキックは更にエスカレートします。でもそれは、僕が本気で憎まれている状況では決して起きないことだなぁ、と後から振り返ると思います。その証拠に、キックをしながらいろんな話をしました。クラスの男子の話、学級担任があまり好きではないこと。僕は教員になりたい、という話をすると、じゃぁメガネが先生になってよ、と言われながらやっぱりキックを受ける。

もうすぐ店じまいの時、「今度いつ来るの?」という質問と「ストレス発散させてくれてどうもありがとう」という一礼。この時、僕はこういうのもアリなんだな、と思いました。避難した子どもはストレスを溜めているから思いっきり遊んだり乱暴になったりする、とよく言われますが、いや避難している子どもだろうが普通にその辺にいる子どもだろうが、少し年が若めの大人に攻撃しかけてくるのは普通だろう、と思います。別に僕は、色眼鏡をかけて見ていたから受け入れたのではありません。ただ、自分なりのスタンスで、子どもと接していただけです。もちろん、蹴っ飛ばされるのは痛いしいやだから、怒ることはできました。でも、それで萎縮させて関係を破綻させることを僕はおそれる。だから、通常の人と人との関係の中で、僕は彼女たちのキックを甘んじて受け、それに対して、彼女たちの力が抜けるような突っ込みを入れていった、ということなだけです。それが結果的に、メガネさんとして構ってもらえることにつながったのが僕にとってはすごく安心できる結果でした。

ことばだけがコミュニケーションじゃない。怒ったり褒めたりすること以外にも、信頼関係を気付く方法はいくらでもある。まさかキックでコミュニケーションが紡ぎだされるとは思わなかったけれど、それもまた一つの接し方だと思います。

iPhone4Sを買ったので、Apple製品購入歴を振り返ってみた

スティーブ・ジョブズ氏は、もはや私にとっては教祖のような存在でした。だから、iPhone4Sが登場した後、しばらくTwitterのTLから離れていた私は、彼が死んだということさえも分からず、「R.I.P Steve Jobs」の意味すら全く把握していませんでした。まだ彼は若いと思っていたし、聞くところによれば4Sの発表の時に彼はソファに座ってバナナジュースを飲んでいたそうじゃないですか。でも、考えてみれば、ガンの手術を2度もやって、確かに年齢的にもまだまだだけれど、健康不安が会ったことを考えれば、相当無理していたのかな、と思います。

彼の製品をはじめて手にしたのは中学2年生。その時に買った白iBook12inchは、PowerPC G3 800MHz/30GB HDDながら、大学入学1年目まで持ちこたえてくれました。きっかけの一つは、素人が出てきてMacの魅力をとうとうと語るCM。もう一つは、職場体験で訪れた地元のISPで働くWebデザイナーさんが使っていたMacを見たからでした。Macを一度手にしてしまうと、その前に使っていた某デスクトップに比して驚くほど愛着を持ってしまいました。それから、Appleの虜です。iPodも、初代iPodをiBookと同時に手にしました。大学1年目後半で買い替えた2台目MacBookは、コーヒーを被り、1mの高さから落下してもなお、壊れること無く弟に引き継がれ、とうとう醤油を被っておシャカになりました。3台目MacBookとは、短いおつきあいだったものの、卒論という修羅場を共に歩んだ戦友です。それも今はLionを積んで弟・妹が使っています。ちなみに、弟はiPod nanoとiPod touchを所有し、妹もiPod nanoで音楽を聴きます。

どうしても離れられないMac。今年になってだいぶApple製品を買い込んでしまいました。まず、MacBookAirは、どうしても軽さの観点で必要と思い購入。現在のお供です。それから、研究に使うということでiPad2を購入。まだ研究用途での使用はしていませんが、かなりの便利さと手軽さなので、これは使い物になると思っています。ここまでで、すでに15万円近くは今年の間にApple製品に費やしているのですが、ついに今日、iPhone 4Sを一括購入で機種変しました。32GB Whiteなので、5万円程度。iPad2にはポイントを付与しなかったビックカメラですが、今回はお決まりの5%ポイント還元をちゃっかりいただくことができました。

一括で購入するのにも訳がありまして、単にポイントマターではなく、むしろ月々の支払いをおさえたいというのが正直なところです。前任のiPhone 3GS 32GB Whiteは、SoftBankのiPhone for everybodyキャンペーンより前に購入してしまったため、安いときで月々480円負担で買えたはずが、私はタイミングをミスってしまい、980円を実質割賦負担していたのです。これでは、月々の支払いが1万円になり、非常に苦しい。だから、次に買うときは割賦ではなく一括にしてしまおう、と思いました。今後は、月あたま多くても6000円程度で済むでしょう。

Appleの製品は、やはりなじむ。愛着を持ってしまう。周囲の人々が、iPhoneのガラス面に大きなビヒを入れてとんでもないことになっているのを横目に、私は2年間、非常に本体を大切に扱ってきました。2台目MacBookは、前述の通りコーヒーや落下や醤油を経験してきましたが、それでも新しく買い替えるという選択肢は極力とらずに修理で我慢しました。もっといえば、1台目iBookを5年間も使い続けたのは軌跡に近いと言えるでしょう。そこまでして自分が使い続けてきたのも、Appleの製品が、ハードもソフトも非常にシンプルで分かりやすく、そしてキレイだったことが原因でしょう。それをつくり出してきたのはジョブズ氏だ、とは私は言いません。むしろ、ジョブズ氏の考え方を共有したAppleのエンジニアたちが作り上げたものだと思います。しかしやはり、最終決定の段階にかならずジョブズ氏の存在があったこと、そして自社の製品を高らかに自信を持ってジョブズ氏が発表してきたこと、それがまさしくAppleの真骨頂であったように思います。彼のスタンス・スピリット・ポリシーは、少なくともここ10年で「i○○」を打ち出して以降、きっと社員に共有化されているに違いありません。でも、きっと彼の存在が無いAppleは、すこし違ったものに見えてくるんだろうなぁ、と思ってしまう自分がいます。

そんなことを思いながら、サクサク動いてくれるiPhone4Sにほれぼれしています。予約しておいてよかった。思ったより早く手に入りました。

最後に写真を一枚。すでにTwitterやFacebookで共有していますがコチラでも。行きつけの古河のカフェ「Ocha-Nova」のマスターはMacユーザーで、私はしょっちゅうそのカフェでMacを広げてWifiを拝借して作業をしています。ジョブズ氏逝去の訃報の翌日、そのカフェに行くと、マスターが聞いてきました。「iPhone4SってLionじゃないと使えないんですかね?」僕がMacユーザーであることを知っているマスターは、以前店のMacのメールの調子がおかしいということで僕に見るように頼んできたことがあります。そのため、店のMacのバージョンも知っていたのですが、多分Lionを搭載できるスペックではなく。でも、そもそもiPhone4S、iCloudを使わない分にはLionは不要なので、「多分大丈夫だと思いますよ」と回答。そして、いつも頼むフレーバーカフェラテをいつも通り注文すると、すてきなラテ・アートを描いてくださいました。信者の僕としては、とてもうれしい絵であったと共に、思いを馳せるときはいつもこれを見ようかな、と思うアートに感動を覚えました。マスター、iPhone4S手に入りましたよ。