学部生活1年分を電車で過ごした学生の「長距離通学の条件」

学部生生活は4年間。一方、私の片道通学時間は3時間。往復で6時間というのは1日の1/4。ということは、学部生として学校で過ごす日の1/4は電車の中で、それが4年分だと1年。そんな私が、「[新入生の皆様へ] メールの書き方に関するお願い」に続いてお届けする、新入生に向けたムダ情報です。

先に追記しておきます。SFC Clipの皆さんの方が、数段高いクオリティの新入生向けポストをしていますので、ぜひご覧下さい。

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスに合格なさったみなさま、改めておめでとうございます。そして入学を決めたみなさま、ようこそ遠藤村へ。申し遅れました、学校の住所と名字が一緒、遠藤忍です。かれこれ私も入学からはや5年が経ち、今や結局政策・メディア修士の学生としてキャンパスにお世話になり続けております。合格なさって入学される皆様が、第一志望であってもそうでないとしても、充実したキャンパスでの生活を送られることを心から期待するとともに、我々は皆さんを全力で歓迎します。ほら、学部長もその様子です

さて、こんなつぶやきがありました。ご本人には知らせていませんが、私はRTされてきたものを見たわけで、それで反応せざるを得ないわけです。なので、つい出来心でこんなのを書いております。ちなみに、地元の知り合いで今年東京大学を受験した人がいるのですが、合格したら下宿するとか言っているからたわけたことを言うんじゃないと、カッとなってこういうのを書いています。 続きを読む

小出国際雪合戦は何が面白いか

今年も参加してきました、小出国際雪合戦大会。今年で4回目の参加となり、社会人雪合戦クラブチーム・チーム冬将軍は34人バスツアーで6チーム出場、うち3チームが決勝リーグ出場(世界ベスト64)となり、また私が監督をした「春ちゃん対湘南台冬将軍」はベスト16を勝ち取りました。

なんで何度も行くかって、楽しいから行くに決まってるんですが、なぜ楽しいのかがポイントですね。それを箇条書きでお伝えします。

そもそも編

  • もうすでに24回も行われていて俺と同い年だ
  • 魚沼市は今年災害対策基本法が適用されるほどの豪雪地帯なのに、その雪をイベント資源にしちゃった
  • 国際雪合戦の名を冠しているが、北海道の昭和新山雪合戦と本気で張り合っている
  • しかし、国際の名前の由来は、隣街の南魚沼市にある国際大学から拝借した
  • イベントを運営しているのが小出商工会青年部という若い人たちだ
  • 参加者は内外から189チームが出場し、軽く1000名が参加している
  • 国際雪合戦行進曲という公式テーマソングが存在する

ルール編

  • 公式ルールは国際ルールであり、英語版も存在する
  • 基本的にはドッジボールと同じで身体に雪玉が当たった回数で残気が減っていく
  • 女性は5ポイントで男性は3ポイントなのだが、1チーム5人の構成を全員女性にして相手チームに一人でも男性が含まれていたら何もしなくても勝ちになる
  • 戦国時代を模して、大将と足軽4人で構成されるが、大将はかんじきと山がさとこしきを携えなければいけないから動きにくい
  • 絶大な権限を持つ国際A級審判は半分が商工会青年部でもう半分が小出高校野球部員だ
  • その審判は、試合特性上、フィールドにいる10人の選手よりも多く、1コートに11人存在する
  • それ以外にも審判長が存在するのだが、国際公式ルール上、審判長へのワイロが認められている
  • その文言は「なお、審判長への贈り物はこれを歓迎する」である
  • 雪玉に異物を混ぜることはルール上禁止だが、それはジュネーブ協約違反だから、らしい
  • 国際公式ルールにおいて、女性に対してムキになることが非推奨となっている
  • また、国際公式ルールにおいて、コスプレでの出場が認められている

前日編

  • 前日には、前夜交流祭という飲み会が企画されている
  • 魚沼のお米のおにぎりや山菜の煮物・天ぷら、酒粕でつけた漬け物などが格安で食べ放題
  • しかも地元の日本酒も飲み放題である
  • 出し物は基本的に参加チームのPRタイムで終わる
  • が、第24回大会においては、平均年齢55歳のYKG48が登場した
  • 彼女たちは、小出商工会議所婦人部の面々である
  • それなりに歳が行っている人々がAKBのダンスを踊るので、リズムが把握できないから、リーダーがホイッスルを吹いて方向転換を指示していた
  • 毎年必ず、会津坂下町水合戦の面々が乳製品と馬肉製品を持ってPRに来る
  • 毎年必ず、清瀬市役所愚連隊という色物軍団がやってきてクラッカーをならす
  • その清瀬市役所愚連隊は暴走族っぽい格好だが、その総帥は市役所の係長らしい
  • その他にも、栃木から来たレモン牛乳がAKBを踊り、九州から来た下半身タイツの男たちがKARAを踊り、湘南台から来たチーム冬将軍がキャラものコスプレで踊ったりする
  • ともかくよく訳がわからないイベントだが、みんな酒を飲んでいるのでとにかく盛り上がっている
  • 出し物の最後に「あんさ&おっさ」というフォークデュオが、かならず3曲歌って帰る
  • その「あんさ」の方は、地元の有力者で、市民会館の館長である
  • 2曲目に、国際雪合戦行進曲が歌われると、会場の全員が肩を組んでトレインをする
  • その国際雪合戦行進曲のサビは「投げて×3、よけて×3、投げて×3、ぶつけろー!」
  • そのあとに、「平和地球人、みんな集まれ、国際雪合戦」と、突如スケールが大きくなる
  • 前夜交流祭が終わると、近くのスキー場でスキーカーニバルが行われる
  • そのイベントでは、たいまつの灯りがゲレンデを降下し、餅が空から振ってきて、イカが火あぶりにあって宙を舞う
  • NPO魚沼交流ネットワークの交流会も開催され、商店街にあるフリースペース「つなごて」が酒盛りになる
  • NPOの人々がともかくすごくアツい

当日編

  • 小出郷文化会館の小ホールが控え室になっていて雪のせいで床がびしょぬれだ
  • 9時の開会式開始と同時に整列した全チームが入場行進をする
  • その入場行進で国際雪合戦行進曲が生歌で歌われる
  • 前夜交流祭に参加した人は盛り上がるが、前日を経験していない人はみんな引いている
  • 今年は豪雪のためにみんなが入場しきらないから、2回連続で歌われた
  • 商工会長が開会宣言をするが、それが英語で行われる
  • 24th Koide World Changpionship Snowball Fight will be open right now. It’s time to begin the fight!
  • 試合が始まると、強豪チームは肩を使って豪速球を投げまくる
  • 子どもの部も半分は野球少年団が出場するから球が速い
  • 予選リーグは3チーム総当たりで行われるが、その組み合わせは作為的でもある
  • たとえば、清瀬市役所愚連隊と栃木から来たレモン牛乳が対戦したりする
  • その色物試合のとき、清瀬市役所愚連隊のメンバーが「俺は変態だ〜」と言いながら、AKBっぽい格好をしているレモン牛乳一同のスカートをめくろうとしていた
  • 清瀬市役所愚連隊はかつて、試合中に煙幕を投げて、雪玉以外のものを投げたため失格となっている
  • 雪合戦と並行して、コスプレコンテストが行われる
  • 今年は、PR大使コンテストと称したクイズ・大喜利・パフォーマンス大会が行われた
  • そのPR大使コンテストで優勝したのは、レモン牛乳の女性と九州から来た下半身タイツの男性だった
  • その二人は前夜祭でやったパフォーマンスを再現した
  • 毎年強豪と言われるチームはだいたい野球経験者で構成される
  • 今年は新潟アルビレックス野球チームというプロ野球選手が出場していた
  • で、彼らが決勝戦まで出場していた
  • で、彼らは準優勝だった
  • 会場には屋台が並んで、おいしい肉とかうどんとかけんちん汁とかが食べられる
  • 出場者にはおにぎりとけんちん汁の昼食が出る
  • さらに出場チームには、オリジナルタオルやえのき茸が入ったお土産が渡される
  • また当日には、FMXチームがやってきて、雪でつくられた坂をモトクロスバイクが走り、宙を舞う

湘南台冬将軍編

  • 社会人雪合戦クラブ・チーム冬将軍が結成されており、enshinoも参画している
  • もともとはイルミネーション湘南台の慰安旅行として参加していたのを、門戸を広げてバスで行っている
  • 今年は34名でチームを編成している
  • 5人チームを6チーム編成して出場したが、全てのチームに監督が存在している
  • その監督をまとめる総監督が存在している
  • 情報戦を展開するために、監督団が全員トランシーバーをつけている
  • 自陣や敵陣のポイント数を把握するためのiPhoneアプリが存在する
  • それをつくるCTOが存在する
  • 6チーム中1チームはコスプレ要員であり、コスプレ担当監督も存在する
  • コスプレチームには、専属の振り付け師が存在する
  • 参加する大半の人が初対面のため、バス内でチームビルディングレクが行われる
  • 出発の2週間前に、決起集会と称した飲み会を開催し、その席で現地雪合戦実行委員会とSkype中継を行った

その他、面白いこと盛りだくさんの大会に、今年も参加できてよかったと思うわけです。

アイスブレイクアイディア集:2

あと2時間後にはこのカプセルホテルを出ます。

昨年の、湘南台冬将軍向けに作成した、アイスブレイクアイディア集:1が、実はこのブログの検索キーワードランディング率が一番高いページなので、調子に乗って第二段。今年用意するものは、基本的にはその場の雰囲気で当たり外れが大きいものだと予測されます。あと、去年紹介し忘れたタイトルのものもあるので備忘録的に。

【なんとなくテンションをおかしくさせるアイスブレイク】

コール&レスポンス
『雪合戦は、テンションを高めることが大切です』

「乗ってるか〜い?」「いえ〜い!」というコール&レスポンスを繰り返しながら、発声練習かつバス内のメンバーを強制的に変なテンションにさせる、というもの。どんなことがあってもレスポンスは返さなければいけない。熟語やことわざにしてみる、など。

「国際?」「雪合戦!」
「湘南台?」「冬将軍!」
「キャッチアンド?」「リリース!」
「ヒットアンド?」「アウェイ!」
「ガンガン?」「行こうぜ!」
「命?」「大事に!」
「仏の顔も?」「3度まで!」
「犬も歩けば?」「棒に当たる!」
「立て板に?」「水!」
「焼け石に?」「水!」
「今飲みたいものは?」「水!」
「JR?」「東日本!」←ここらへんは地域差が出るかも
「ポケモン?」「ゲットだぜ!」
「ニンテンドー?」「64!」←これは危険か

雪やこんこん
『雪合戦は、その場の状況に適応する俊敏さが大切です』

あの名曲「雪やこんこん」をみんなで歌うが、あらかじめ2群に分けて、それぞれを司会の右手・左手に配分する。司会が右手を挙げている時と左手を挙げている時で歌う人が変わる、という仕組み。
テンポを速めたり、手を上げる場所を切り替えたりしながら、参加者の混乱を誘う。

幸せなら手を叩こう
『雪合戦は、アドリブによるエンターティナーになることが大切です』

ご存知「幸せなら手を叩こう」をアレンジ。最初は、手→足…といくが、途中からがおかしなことになる。

幸せなら…
・手を叩こう
・足ならそう
・肩まわそう
・隣の人にウインクしよう
・隣の人とあいさつしよう
・ハイタッチ
・爆笑しよう
・涙そうそう
・前からウェーブしよう
・最初からおさらいしよう
・手を叩こう

【お互いを知り合うゲーム】

共通点を探せ
『雪合戦は、とにかく球数とスピード感が大切です』

単純ながら、限られた時間内に共通点をできるだけ多く探すゲーム。2人用。4人でも可能。
とにかく多く共通点を探せればそれでよし。以上。

たぶん私が一番
『雪合戦は、自分に自信を持つことが大切です』

グループの中で、だれが一番○○かを、自己判断で挙げてもらう。琴線に触れる話題は避けた上で、客観的に分かるものを利用する。例えば

・誕生月
・身長(背が高い)
・若い
・遠くから来ている
・早起きした

答えがパピプペポ
『雪合戦は、たとえ聞こえなくても周囲の監督団の言っていることを読み取ることが大切です』

イエス・ノー5の応用。イエス・ノー5は「はい」か「いいえ」のみだが、このゲームでは質問者は何を質問しても良い。しかし、答える側は一律で、答えを「パピプペポ」で言わねばならない。質問者はそれをちゃんとした言葉に置き換えて相手に確認をとる。

【チームの意思疎通を図るゲーム】

みんなで短歌
『雪合戦は、チーム内で空気を読み合うことが大切です』

5・7・5・7・7で、出されたお題に対する短歌をつくる。バス内5列なら、列ごとに各句を割り当てる。

お題例
「バレンタイン」
「雪合戦の試合前」
「ポケモン」
「インフルエンザに注意」

勝利の雄叫び、敗北の嗚咽
『雪合戦は、勝利したチームは雄叫びをあげ、負けたチームは嗚咽を出すことが大切です』

試合における勝敗へのリアクションの練習。
まずは横1列に、何の前触れもなく自分で考えたポーズを決めて雄叫びを挙げてもらう。当然バラバラ。
なので、20秒だけ無言で話し合える時間を設定する。そしてまたポーズと雄叫びを挙げる。声はバラバラ。
なので、最後に5秒だけ声の確認をして、最後にもう一度チームで調整する。

バス内で実施すると、前後ろのチームのポーズが見れないので、練習中に披露してもらうことにする。


さぁ、寝るか。明日が僕の本番だ。

ぼくらがかざるまち

なんか2年前のこの時期に、以下のような記事を書いていたらしく、掘り出してきたので掲示してみることにする。

こんばんは。
遠藤ことイルミネーション湘南台2008実行委員のしのびーです。

(中略)

でも、点灯はスタート。その日から湘南台の街を彩るイルミネーションが灯る、その第1日目です。
無事スタートを切って、湘南台の街を、きれいに飾るお手伝いができれば、と思っています。

ところで皆さんは、まちづくりにとって重要なキーパーソンって、誰だと思いますか?
街をつっていくのは、そこに住み、そこで商売をし、あるいはそこで学ぶ人々です。
その人たちが、日常生活を送る場所が街であり、日常生活を送る街をよりよくすることがまちづくりです。
その意味では、まちづくりにおいて重要なキーパーソンは、地域住民や商店の人々である、
と多くの人々はいうと思います。

あえて私は違った視点で考えています。
私が思う、まちづくりのキーパーソンは、「子どもたち」です。

「何を言う、実際に街のことを考えていろいろな行動を起こしているのは大人たちだぞ」と、
これを見ている人、とくに湘南台にかかわりのある方々はお叱りになるかもしれません。
それは否定しません。事実、湘南台では、たくさんの大人たちが、
自分のことのように湘南台のことを思い、さまざまな形で湘南台をよくする活動をしているのです。

私は何も、そういった活動が重要ではない、といっているわけではありません。
でも、子どもや若者は、街を活き活きとさせる力を持っていて、
そういった力がまちづくりにとって非常に重要である、といいたいのです。

私はもともと教育に興味を持っており、研究で中学生とよく交流を持ちます。
また、昨年度のイルミの企画や湘南台の友情キャンプへの参加を通じて小学生たちともかかわりを持ってきました。
それらの経験から思うことは、なにより子どもたちと接していると自分が元気をもらえるのです。
感情の表現が素直で、豊かで、何に値しても興味を持つ姿勢。
正直彼らの元気さは尋常ではなく、ついていくことができなくなるときもあります。
しかしながら、彼らのその素直さと接していると、自分の悩みなどを忘れるときがあります。

そしてある程度年齢が上がってくるにつれて、しだいに彼らは自分の住む街のことを考え出します。
湘南台の小学生や中学生も、自分の住む湘南台をよく見ています。
僕たち大学生でも気づかないような視点から、自分の住む街を見つめ、
どこがよいところか、どこを改善できるか、ということを真剣に考える力を持っています。

おそらくどんな大人も、子どもたちの真剣な姿・素直な笑顔を見ると、
下手なことはできないと思うし、自然と背筋が伸びる思いをすることがあると思います。
それは実は防犯の役目になるといえるのではないでしょうか。
何より、子どもたちと接することで得られる元気は、街全体に活力をくれると思うのです。

イルミネーション湘南台にいて、私は子どもたちが、そして子どもたちを通して大人たちが、
自分の住む街のことを真剣に考えることをしてほしい、と願っています。
子どもたちにとっては、もしかすれば湘南台は今後去っていく街かもしれない。
けれど、今自分が住んでいる街は魅力あふれる街であるということに気がついてほしい。
大人たちにとって、湘南台はただ自分の日々を過ごすだけの街なのかもしれない。
けれど、そこに将来住むであろう子どもたちに、いい魅力を残すことに力を注いでほしい。
だからこそ私は、イルミネーション湘南台の活動を、広く子どもたちに知ってもらい、
またイルミネーション湘南台の活動として、子どもたちと接する機会を多く持っているのかもしれません。

子どもたち目線の湘南台は、非常に魅力にあふれています。
それは日々私たちでも気づくことのできない魅力です。
まだ「街の魅力」に気づけないような子どもたちも、クリスマスの絵を描いてひとつの魅力を作り出してくれています。
現在、湘南台駅の地下に、幼稚園児の描いた「クリスマスデコレーション」が、
そして小学生の描いた「僕らの好きなこんな街」が掲示してあります。
そして、駅地下にお目見えした巨大ツリーには、子どもたちの願いが書かれたオーナメントが取り付けてあります。
彼らのつくったものから、湘南台の子どもたちが、どのような目線で何を感じているのかを見てください。
そして、11月30日日曜日の点灯式では、子どもたちが手作り楽器でてづくりの音楽会を開いてくれます。

イルミネーション湘南台が、街にイルミネーションをともし、それにあわせて子どもたちとイベントをつくりあげる。
それが、彼らにとっての、湘南台の魅力のひとつとなることを願っています。
そして、わたしたちのイベントに参加することで、

自分もまちづくりに参加している;街をかざっている

ということを意識してくれたら、僕はそれだけですごく幸せになるんだと思います。

自分が民間就職を考える、かなり切実な理由

All全国教育フェスタというイベントに参画させてもらっています。まぁ、一般的就活生のみなさんからすれば、この11/26・27という、経団連倫理規定によって先延ばしになった就職活動一斉開始の数日前にいったい何たることをしているのだ、と思われるかもしれませんが、誘われちゃったんだもん、舟に乗っかったらやるっきゃない。そういうものです。このイベント、教育をテーマにしているのですが、特に教職コミュニティの形成が大きな目的になっています。私にとってはうってつけでしょうね。大学の教職コミュニティにも属さず、また関東の教職コミュニティの存在も知らなかった私ですからいい機会です。

さて、巷には多くの人が、私はマスター修了後に教員になると思っている方がたくさんいると思いますが、それは半分正解で半分間違っています。正確に言えば、マスター修了後、民間企業を経て、公立学校の教員になろうと【思っている】んです。これは私の中では志に近いものではありますが、十分可変性の高いことです。そしてこのビジョンは、教職を本気で目指す方々からしても、民間企業を本気で目指す方々からしても、「何あまったれたこと言ってんじゃボケェ」と思われるかもしれません。そりゃそうです。自認しております。

ただ、このキャリアのあり方は、必要だと思っています。まず、私にとって教育は、専門とする分野というよりも切り口であり、それを通して社会を見てくることを個々5年ほどやってきたという自認があり、それは社会において還元させることができ、もっといえば民間企業における営利活動において何らかの利益を生むだけの視座になっているという自負があります。考え方のスキームとしての教育という視点は、武器として持っておいて損はないと思っています。また、社会経験のある教員を見ていると、かなり面白い考え方をしている人たちが多く、そういう教員として教育の世界に関わっていくことにあこがれを抱いているからこそ、民間企業で力を試し・力を蓄えることは僕にとっては必要なステップなのです。ここで大事なのは、「将来教員になりたいので、その自己研鑽のために御社で働かせてください、お願いします!」ではなく「御社の事業において私が持っている視座を御社にとっての価値に変換することが可能だと思っています」というスタンスでいる、ということです。まぁこれも所詮、戯れ言であることは重々承知しています。社会の厳しさなど、知らない男です。

でもね。

そりゃ、志をかなえるならば、さっさと学校教員になりますわ。魅力的な学校教員になろうとするならば、最初から学校教員になっても、自分の信念と熱さを曲げない自信はありますわ。それでも、どうしても現実的に考えて、そうもいかない事情がある。それは、公立学校の生涯賃金に照らして、私が(いや、私の親が)かけてきた教育投資のバランスがあわない、ということです。

もっと単刀直入に言います。奨学金が大変なのですよ。

学生支援機構奨学金を学部時代から借り、大学院生になってからその額を増やしました。そうすると、学部時代の借りた金額と大学院時代の借りた金額は実はちょうど同じくらいになってしまいます。これによって、学部時代のほぼ倍の返還額が私には発生してしまうわけです。かつて学生支援機構が日本育英会であった時代には、教育公務員になることでその変換を免除されましたが、いまやそんな制度は消えてなくなり、どのような職種についても、まして仕事がなくても支払いをせねばなりません。

借りたものは返す、それは当たり前のことですし頑張って返したいと思います。なおかつ、それが後輩たちの奨学金の原資になることを考えれば止めるわけにはいきません。ならば、せっかく、日本のなかでもそれなりに優秀とされる人々が集まる大学で学ばせてもらっただけのある種のステータスを活かして、お金を稼げる職に就き、そしてしっかりと奨学金を返していく、これがまずは社会貢献の第一歩じゃないか、なんて考えるわけです。

何より、借金を抱えている、という事実が自分にとって怖いわけで、実際すでにして300万円の負債がかさんでおり、その倍ですから修了とともに600万円の負債を抱えることになるわけです。これは本当に怖いことで(いやなかにはそんなものすぐに返せるという人もいるかもしれませんが)、仕事がある状況ではない現在に、つまり定額の収入が見込めるわけではない現段階でこれだけの借金を抱えることの将来への不安感といったらたまったもんじゃありません。だから、働かせていただけるところならどこでもお世話になります、というスタンスになってしまうほどに定職に就きたい、あわゆくば斜陽でない産業の中で20年返済予定の半分で返済が済んでしまうくらいの稼ぎが必要になってくるわけです。

こういうことは大事だと思って書きました。きっと面接の時とかにはこんな話できやしないでしょう。でも、ここまで切実に考えてしまうほどに、学費と奨学金というものは重くのしかかります。

貸与奨学金は、未来の自分への投資だと捉えることができますが、その未来において、経済的に安定しかつ裕福でいられることを予測して自分に投資をするわけです。このときの予測の源泉は、はっきり言って大学のステータスと、その大学を出た卒業生たちの就職状況から予測する収入感覚です。この先攻投資に見合うだけの自分のキャリアを描くことができるか、という、ある種のビビりを感じながら、自分のキャリアと向き合わなければならない季節が、いよいよ幕を開けるわけです。こういう想いで就職を考える学生は、何も私だけではないはず。せめても、後に続く学生に、学生時分にこういうような不安感を味わう状況をつくり出さないことも、いわゆる「将来したいこと」の一つに入るんじゃないかと思うほどです。

蹴りから始まるコミュニケーション

コミュニケーションのあり方っていろいろだと思う。

言語コミュニケーション教育を理念と実践のうえで研究をしていくのが私のSFCで追い続けているテーマであるが、言語コミュニケーションだけがすべてではない。ただ、コミュニケーションを専門としておきながら、言語コミュニケーションと非言語コミュニケーションの比率を忘れていた。そうだ、講義ノートを見返せば、7:93だった。

僕の持論は、義務教育の英語という教科の枠組みの中で、いかなる言語の使用においても基盤になる「普遍的コミュニケーション能力」を育む必要があり、その「普遍的コミュニケーション能力」とは、他者とかかわり合いを持とうとする態度、コミュニケーションに対する楽しさや難しさの認識、そしてその難しさを乗り越えてできるだけコンフリクトを起こさないための最低限度のワザだと思う。もちろん、性格が内気だったり人見知りだったりする人もいるけれど、そうした人でも一定レベルをクリアできるだけのワザがあってもいいはずだ。それを身につけてこそ、英語という教科枠組みが存在しうる価値だ、と。それが僕の研究です。

んでも、コミュニケーションのあり方っていろいろだと思う。

何が言いたかったのかというとですね、先日こんなことがあったわけです。10/8のことでした。

双葉町の子どもと遊ぼう #smiles_futaba だん。今日は、小学校高学年女子からメガネさんと呼ばれ続けながら、彼女たちのケリとパンチを受けまくるサンドバック状態。おかげで体が痛い。

もはやですね。今日、子どもたちと遊んでサンドバッグ状態に蹴られまくったことはですね、就職活動とか勉強会とかよりも僕にとって重要なことだったと思うのですよ。蹴られまくった末に「ストレス発散させてくれてありがとう」と一礼した少女は忘れられぬ。また行く。 #smiles_futaba

福島県双葉町は、福島第一原発を有する町。そこから避難してきた方々がいらっしゃるのが、旧騎西高校。そこでの子どもと遊ぶ活動・3度目の訪問です。その日、運動会などが実施されたり、いろんなプログラムが実施されていて、子どもがそもそも少ない避難所から更に子どもが少なくなっていました。それでも、女の子4人ほどがやってきて遊んでくれました。

しかしねぇ、その子ら”凶暴”なんだわ(笑)。あ、あくまで冗談として言っているのですよ。やっぱり、見知らぬ大人がたくさんいて、しかも男の人と接触するのもなかなか無いとなると、小学校高学年だったその子たちは、男の人に対して多少たりとも乱暴な言動をしてしまうのかなぁ、なんて思うわけですが。

とにかく、その子どもらが僕を蹴ってくる。どんどん蹴ってくる。痛い。膝をいためてめっちゃくちゃ痛がった演技をしたりして笑いながらキレるそぶりを見せると、なんだかそれが面白かったみたいでした。「男の子も蹴っ飛ばしてるよ」「そりゃ男子がかわいそうじゃないか」「いいんだもん」そんな会話から少しずつ打ち解けてきた感じでもあった遊びの活動。途中から、携帯ゲームを取り出して大人に対して挑戦してきたり、パソコンに熱中したり、などしていました。

物静かな女の子が一人。その子がどうやら折り紙が上手いらしく、「ねぇねぇ折り紙の折り方教えてくれよ」と言って、小鳥の折り方を教わったあたりから、物静かな女の子は実は物静かじゃなかったということが分かりはじめました。しかも、次に折りはじめた折り紙は途中で失敗し、「あ、折り方間違えちゃった、あれ?」みたいな感じになっていたわけで。その辺から、むしろその物静かな女の子も僕のことを蹴っ飛ばしてくる一味になりました。

他のメンバーの方が、ハロウィン仕様の折り紙工作を用意してきてくれました。画用紙のバッグに、パンプキンとこうもりの折り紙を貼る、というもの。僕もそれに参加し、パンプキンとコウモリを折りました。それを、最初に僕の膝を蹴った女の子が全部パクっていき、自分のものにして貼付けていきました。「え、俺のでいいの?」みたいな感じでしたが、快くもらってくれました。

僕はその日、メガネと呼ばれながら、ひたすら女の子たちのキックをうけまくりました。これ、普通なら度が過ぎるから、とブチギレるところですが、その日の僕は、その攻撃を上手くかわしながら、キックを受けまくりました。キックをよけながら、「ストレスたまってるんだねぇ」「子どももなかなか大変だよね、分かるよその気持ち」などとチャチャを入れつつ戯れていると、キックしながら女の子は爆笑し、そしてキックは更にエスカレートします。でもそれは、僕が本気で憎まれている状況では決して起きないことだなぁ、と後から振り返ると思います。その証拠に、キックをしながらいろんな話をしました。クラスの男子の話、学級担任があまり好きではないこと。僕は教員になりたい、という話をすると、じゃぁメガネが先生になってよ、と言われながらやっぱりキックを受ける。

もうすぐ店じまいの時、「今度いつ来るの?」という質問と「ストレス発散させてくれてどうもありがとう」という一礼。この時、僕はこういうのもアリなんだな、と思いました。避難した子どもはストレスを溜めているから思いっきり遊んだり乱暴になったりする、とよく言われますが、いや避難している子どもだろうが普通にその辺にいる子どもだろうが、少し年が若めの大人に攻撃しかけてくるのは普通だろう、と思います。別に僕は、色眼鏡をかけて見ていたから受け入れたのではありません。ただ、自分なりのスタンスで、子どもと接していただけです。もちろん、蹴っ飛ばされるのは痛いしいやだから、怒ることはできました。でも、それで萎縮させて関係を破綻させることを僕はおそれる。だから、通常の人と人との関係の中で、僕は彼女たちのキックを甘んじて受け、それに対して、彼女たちの力が抜けるような突っ込みを入れていった、ということなだけです。それが結果的に、メガネさんとして構ってもらえることにつながったのが僕にとってはすごく安心できる結果でした。

ことばだけがコミュニケーションじゃない。怒ったり褒めたりすること以外にも、信頼関係を気付く方法はいくらでもある。まさかキックでコミュニケーションが紡ぎだされるとは思わなかったけれど、それもまた一つの接し方だと思います。

iPhone4Sを買ったので、Apple製品購入歴を振り返ってみた

スティーブ・ジョブズ氏は、もはや私にとっては教祖のような存在でした。だから、iPhone4Sが登場した後、しばらくTwitterのTLから離れていた私は、彼が死んだということさえも分からず、「R.I.P Steve Jobs」の意味すら全く把握していませんでした。まだ彼は若いと思っていたし、聞くところによれば4Sの発表の時に彼はソファに座ってバナナジュースを飲んでいたそうじゃないですか。でも、考えてみれば、ガンの手術を2度もやって、確かに年齢的にもまだまだだけれど、健康不安が会ったことを考えれば、相当無理していたのかな、と思います。

彼の製品をはじめて手にしたのは中学2年生。その時に買った白iBook12inchは、PowerPC G3 800MHz/30GB HDDながら、大学入学1年目まで持ちこたえてくれました。きっかけの一つは、素人が出てきてMacの魅力をとうとうと語るCM。もう一つは、職場体験で訪れた地元のISPで働くWebデザイナーさんが使っていたMacを見たからでした。Macを一度手にしてしまうと、その前に使っていた某デスクトップに比して驚くほど愛着を持ってしまいました。それから、Appleの虜です。iPodも、初代iPodをiBookと同時に手にしました。大学1年目後半で買い替えた2台目MacBookは、コーヒーを被り、1mの高さから落下してもなお、壊れること無く弟に引き継がれ、とうとう醤油を被っておシャカになりました。3台目MacBookとは、短いおつきあいだったものの、卒論という修羅場を共に歩んだ戦友です。それも今はLionを積んで弟・妹が使っています。ちなみに、弟はiPod nanoとiPod touchを所有し、妹もiPod nanoで音楽を聴きます。

どうしても離れられないMac。今年になってだいぶApple製品を買い込んでしまいました。まず、MacBookAirは、どうしても軽さの観点で必要と思い購入。現在のお供です。それから、研究に使うということでiPad2を購入。まだ研究用途での使用はしていませんが、かなりの便利さと手軽さなので、これは使い物になると思っています。ここまでで、すでに15万円近くは今年の間にApple製品に費やしているのですが、ついに今日、iPhone 4Sを一括購入で機種変しました。32GB Whiteなので、5万円程度。iPad2にはポイントを付与しなかったビックカメラですが、今回はお決まりの5%ポイント還元をちゃっかりいただくことができました。

一括で購入するのにも訳がありまして、単にポイントマターではなく、むしろ月々の支払いをおさえたいというのが正直なところです。前任のiPhone 3GS 32GB Whiteは、SoftBankのiPhone for everybodyキャンペーンより前に購入してしまったため、安いときで月々480円負担で買えたはずが、私はタイミングをミスってしまい、980円を実質割賦負担していたのです。これでは、月々の支払いが1万円になり、非常に苦しい。だから、次に買うときは割賦ではなく一括にしてしまおう、と思いました。今後は、月あたま多くても6000円程度で済むでしょう。

Appleの製品は、やはりなじむ。愛着を持ってしまう。周囲の人々が、iPhoneのガラス面に大きなビヒを入れてとんでもないことになっているのを横目に、私は2年間、非常に本体を大切に扱ってきました。2台目MacBookは、前述の通りコーヒーや落下や醤油を経験してきましたが、それでも新しく買い替えるという選択肢は極力とらずに修理で我慢しました。もっといえば、1台目iBookを5年間も使い続けたのは軌跡に近いと言えるでしょう。そこまでして自分が使い続けてきたのも、Appleの製品が、ハードもソフトも非常にシンプルで分かりやすく、そしてキレイだったことが原因でしょう。それをつくり出してきたのはジョブズ氏だ、とは私は言いません。むしろ、ジョブズ氏の考え方を共有したAppleのエンジニアたちが作り上げたものだと思います。しかしやはり、最終決定の段階にかならずジョブズ氏の存在があったこと、そして自社の製品を高らかに自信を持ってジョブズ氏が発表してきたこと、それがまさしくAppleの真骨頂であったように思います。彼のスタンス・スピリット・ポリシーは、少なくともここ10年で「i○○」を打ち出して以降、きっと社員に共有化されているに違いありません。でも、きっと彼の存在が無いAppleは、すこし違ったものに見えてくるんだろうなぁ、と思ってしまう自分がいます。

そんなことを思いながら、サクサク動いてくれるiPhone4Sにほれぼれしています。予約しておいてよかった。思ったより早く手に入りました。

最後に写真を一枚。すでにTwitterやFacebookで共有していますがコチラでも。行きつけの古河のカフェ「Ocha-Nova」のマスターはMacユーザーで、私はしょっちゅうそのカフェでMacを広げてWifiを拝借して作業をしています。ジョブズ氏逝去の訃報の翌日、そのカフェに行くと、マスターが聞いてきました。「iPhone4SってLionじゃないと使えないんですかね?」僕がMacユーザーであることを知っているマスターは、以前店のMacのメールの調子がおかしいということで僕に見るように頼んできたことがあります。そのため、店のMacのバージョンも知っていたのですが、多分Lionを搭載できるスペックではなく。でも、そもそもiPhone4S、iCloudを使わない分にはLionは不要なので、「多分大丈夫だと思いますよ」と回答。そして、いつも頼むフレーバーカフェラテをいつも通り注文すると、すてきなラテ・アートを描いてくださいました。信者の僕としては、とてもうれしい絵であったと共に、思いを馳せるときはいつもこれを見ようかな、と思うアートに感動を覚えました。マスター、iPhone4S手に入りましたよ。

因果関係についての思い出

A→B

社会科学の研究において、Aが起きればBが起きるというモデルを特定し、それに併せた実験や観察を行うことは重要になる。KKVといわれる社会科学の教科書においては、「観察可能な含意」とやらが社会科学に置いては重要になるらしい。Aが起きればBはいつでも起きる、そういう知見はさまざまなことに応用できるだろうし、そもそもAならばBというパターンの発見は面白い。

そして、このA→Bのパターン発見は、くだらないものになればなるほど面白い。

最近の私の持論は、長距離通学が所以で発見したもの。「宇都宮線直通の湘南新宿ラインに新宿駅から乗った時に、鳩サブレの袋を持ったおばちゃんがいたら、その人は池袋駅で降りる」という仮説。これは、私の経験した数少ない事例においてはほとんど成功している。ついさっき、「おばちゃん」ではなく「二人の男性の若者」でこの状況に遭遇したが、これは成功しなかった。ちなみに今、赤羽を過ぎ大宮駅に向かっているが、未だに降りていない。

そういえば、と思い出してみると、実は小学校時代から、くだらない仮説を立ててはそれを論考していた。小学校3年生の頃の先生は、かならず児童に作文を書かせる宿題を出していた。かならずコメントを付して添削していたからすごい。ちなみにその先生は僕が小学校四年生の時に妊娠して担任を離れたが、その時に生まれた双子は今中学1年生だ。感慨深い。話がそれた。どんな因果関係を論考していたかというと、こんなのだ。

筑波山はダイダラボッチが座ったために男体山と女体山ができたが、出来上がった2つの山の頂上の高さが異なるのはなぜか。
なぜ東京駅より新宿駅の方が乗降客数が多いのか。

今考えれば、その論考は稚拙であっても、そもそもそんなことを論考していた自分がびっくりである。その頃から、小難しいことを考えるのが好きだったのかもしれない。また、前者の論題を見れば分かるが、僕は案外小さい頃から奇想天外なアイディアを持っていたのかもしれない。だいたい、筑波山にダイダラボッチが座ったなんてことは神話上の話なのに、それを作文の題材にしてしまうのだから自分でもビビる。

もうすこし、筑波山論考の話をしよう。今でも覚えている。小学校三年生の遠足は筑波山の山登りである。筑波山は西側に位置する男体山(標高871m)と東側に位置する女体山(標高877m)から形成されているが、こうなったのはだいだらぼっちが筑波山に腰を下ろしたからだというのを行きのバスの中で聞いた。ではなんで標高が異なるのだろうかと考えたわけだ。作文の冒頭では、もし腰を下ろしたときに中心で腰を下ろしたら絶対に標高は男体山と女体山で同じになるはずだと考えた。しかしそうではないとすると、考えられることは一つ、だいだらぼっちは山の中心に腰を下ろしたわけではない、ということだ。ではなぜ山の中心ではなく少しずらして腰を下ろしたか、それは「中央に座るとケツの穴が痛いから」だ。我ながら稚拙だ。

しかし、そのクオリティは別としても、こんなことを考えていた時期があったことに驚きだし、件の「湘南新宿ラインで鳩サブレの袋…」を現在でも仮説検証するあたり、僕自身は変わっていないのかな、なんて思ったりした。そんなわけで、もうすぐ久喜だが、若者たちはまだ降りない。

Strength Finderをやってみた

ストレングスファインダーをご存知だろうか。って言っても、僕も今年に入るまでは知らなかった。ギャラップと言う会社だか機関だかしらんが、そこがうん百万人の人々にオープンクエスチョンのインタビューをしていったところ、良い成果を上げている人には特定のパターンがあることが分かったらしい。そして、34の「強み」の分類を作り上げた。そのギャラップによれば、人間は弱みを補強することではなく強みを伸ばすことによって成長し成果を上げていくと言う。34の「強み」の分類のなかで、自分はどの強みを持っているのかを知ることで、どこを伸ばせばいいのかが分かる、ということだ。

このストレングス・ファインダー、どこで知ったかと言うと、教職員熟議Saitamaの先生方がみんなやっていたわけで、第2回のときにkuniさんというクラス・ファシリテーターをお呼びした際の食事の席で知ったのだ。ストレングス・ファインダーに限らず、たとえばドラッガーの『マネジメント』や、センゲの『学習する組織』(←両方とも読んだことないけれど)は、どちらかというと教育畑ではなく経営畑の叡智のような気がする。しかし、先日出向いた「教室『学び合い』フォーラム」の夜の談義などで分かったこととしては、実はそういった企業体の組織論は、人づくりの観点で教育文脈にそぐうというのだ。なるほどだから先生方もやってるのね、と思ったわけで。

世は就職活動戦線厳しいと言われ続けて早4年…明日は我が身ながら一寸先は闇。自分の適性は何なのだろうか。仕事をする、自分に合う会社を探す、自分が働きたい会社に自分を合わせる、そんな時期になるのだろうか。どうして、「食っていく、そのための仕事」という【単純なはず】の構図のために苦心をせねばならないか、それはジョブハンティングが複雑だからなんでしょうが、そんな文句は言っていられないので、自分の適性を分析していかなければいけないんだろうな。ストレングス・ファインダーはその指標になると思ったので、やってみた。

結果から言おう。私の強みの優位5つは以下だ。

『コミュニケーション』『最上志向』『親密性』『戦略性』『ポジティブ』

まずはやり方から。どうすればストレングス・ファインダーが使えるか、というと、まずは本を買う。『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす』という本である。これを買って、まずは最初の3章を読んで、「強み」を伸ばすとはどう言うことか、才能とはどう言うものかの概念を知ったところで、本のカバーの裏面に記載されているIDを使ってStrength Finder SurveyをWebで受ける。

このサーベイ、1回に現れる選択肢は2つ。仮にAとBとしたとき、この2つの選択肢は一見すると対極にあるように見えるものと対極ではないように見えるものがある。回答者は20秒以内にAまたはBから当てはまるものを判断せねばならない。実際は、どちらでもない、どっちかといえばA(またはB)という選択肢もあるので5段階のスケールになっているが、しかしスケールとは言えないようにも思える。そんな訳で180くらいの質問にすべて答えきると、5つの優位な「強み」が現れるのだ。

そして僕の5つの強みが出た。その説明を書いておこう。

【コミュニケーション】
あなたは説明すること、描写すること、進行役を務めること、人前で話すこと、書くことが好きです。これにはあなたのコミュニケーションという資質がよく現れています。アイデアはアイデアに過ぎません。事実は、その時々に起こったことに過ぎません。あなたは、それに命を吹き込み、活力を与え、刺激的で生き生きとしたものにしなければならないと感じます。そこであなたは、「単なる事実」を「物語」に転換させて、それを上手に語ります。単なる「アイデア」を取り上げ、イメージと具体例と比喩を使って生き生きとさせます。あなたは、たいていの人は集中力が続く時間がとても短いと思っています。彼らは情報の洪水に見舞われていますが、情報はほとんど頭に残っていません。あなたはあなたが伝えたい情報を――それがアイデアであろうと、事実であろうと、製品の特性や特徴、何かの発見、あるいは教訓であろうと――人々の心に残したいと考えます。あなたは彼らの関心を自分に向けさせ、捉えて放さないようにしたいと思っています。あなたが、最適な言い方を探そうとするのはこのためです。あなたが、ドラマチックな言葉や力強い言葉の組み合わせを使おうとするのは、このためです。人々があなたの話を聴きたがるのはこのためです。あなたの言葉で描かれたイメージは彼らの興味をそそり、彼らの見方を刺激して行動へと啓発するのです。

【最上志向】
優秀であること、平均ではなく。これがあなたの基準です。平均以下の何かを平均より少し上に引き上げるには大変な努力を要し、あなたはそこに全く意味を見出しません。平均以上の何かを最高のものに高めるのも、同じように多大な努力を必要としますが、はるかに胸躍ります。自分自身のものか他の人のものかに関わらず、強みはあなたを魅了します。真珠を追い求めるダイバーのように、あなたは強みを示す明らかな徴候を探し求めます。生まれついての優秀さ、飲み込みの速さ、一気に上達した技能――これらがわずかでも見えることは、強みがあるかもしれないことを示す手がかりになります。そして一旦強みを発見すると、あなたはそれを伸ばし、磨きをかけ、優秀さへ高めずにはいられません。あなたは真珠を光り輝くまで磨くのです。このように、この自然に長所を見分ける力は、他の人から人を区別していると見られるかもしれません。あなたはあなたの強みを高く評価してくれる人たちと一緒に過ごすことを選びます。同じように、自分の強みを発見しそれを伸ばしてきたと思われる人たちに惹かれます。あなたは、あなたを型にはめて、弱点を克服させようとする人々を避ける傾向があります。あなたは自分の弱みを嘆きながら人生を送りたくありません。それよりも、持って生まれた天賦の才能を最大限に利用したいと考えます。その方が楽しく、実りも多いのです。そして意外なことに、その方がもっと大変なのです。

【親密性】
親密性という資質は、あなたの人間関係に対する姿勢を説明します。 簡単に言えば、親密性という資質によって、あなたは既に知っている人々とより深い関係を結ぶ方向に引き寄せられます。あなたは必ずしも未知の人たちと出会うことを避けているわけではありません――事実、知らない人と友人になるスリルを楽しむような他の資質を、あなたは持っているかもしれないのです――しかし、あなたは親しい友人のそばにいてこそ、大きな喜びと力を得るのです。あなたは親密であることに心地よさを感じます。一旦最初の関係ができあがると、あなたは積極的にその関係をさらに深めようとします。あなたは彼らの感情、目標、不安、夢を深く理解したいと思っています。そして、彼らにもあなたを深く理解してもらいたいと願っています。あなたは、このような親密さがある程度の危険性を含んでいることを知っています――あなたは利用されるかもしれないのです――しかし、あなたはその危険性を解かった上で受け入れます。あなたにとって人間関係は、それが本物である時のみ価値を持ちます。そして、それが本物であるかどうかを知る唯一の方法は、相手に身を委ねることです。互いの気持ちを共有すればする程、お互いの危険性も大きくなります。お互いの危険性が大きくなればなる程、自分たちの意思が本物であることを、よりはっきりと証明できるのです。これらが真の友情を築き上げるための一つひとつのステップであり、あなたはそのステップを喜んで進んで行きます。

【戦略性】
戦略性という資質によって、あなたはいろいろなものが乱雑にある中から、最終の目的に合った最善の道筋を発見することができます。これは学習できるスキルではありません。これは特異な考え方であり、物事に対する特殊な見方です。他の人には単に複雑さとしか見えない時でも、あなたにはこの資質によってパターンが見えます。これらを意識して、あなたはあらゆる選択肢のシナリオの最後まで想像し、常に「こうなったらどうなる? では、こうなったらどうなる?」と自問します。このような繰り返しによって、先を読むことができるのです。そして、あなたは起こる可能性のある障害の危険性を正確に予測することができます。それぞれの道筋の先にある状況が解かることで、あなたは道筋を選び始めます。行き止まりの道をあなたは切り捨てます。まともに抵抗を受ける道を排除します。混乱に巻き込まれる道を捨て去ります。そして、選ばれた道――すなわちあなたの戦略――にたどり着くまで、あなたは選択と切り捨てを繰り返します。そしてこの戦略を武器として先へ進みます。これが、あなたの戦略性という資質の役割です:問いかけ、選抜し、行動するのです。

【ポジティブ】
あなたは人をよく誉め、すぐに微笑みかけ、どんな状況においても常にポジティブな面を探します。あなたのことを陽気と言う人もいます。あなたのように楽天的になりたいと思う人もいます。しかし、いずれにしても、人々はあなたの周りにいたいと思います。あなたの熱意は人に伝染するので、あなたの近くにいると彼らには世界がより良いもののように見えてくるのです。あなたの活力と楽天性がないと、人は、自分の毎日は同じ事の繰り返しばかりで単調であるとか、最悪の場合、プレッシャーを重く感じてしまいます。あなたは、彼らの気持ちを明るくする方法を必ず見つけます。あなたはどんなプロジェクトにも情熱を吹き込みます。あなたはどんな進歩も祝福します。あなたはどんなことでも、よりエキサイティングで、より生き生きとしたものにする方法をたくさん考え出します。一部の懐疑的な人たちは、あなたの活発さを否定するかもしれませんが、あなたはめったにそれに引きずられることはありません。あなたの積極性がそれを許さないのです。あなたは、生きていることは素晴らしいという信念、仕事は楽しいものにできるという信念、どのような障害があろうと人は決してユーモアの精神を失ってはならないという信念から、どうしても逃れられないのです。

5つの資質のタイトルを見るだけでは、「嘘つけぇ、んなわけねぇだろうが」と思ったが、案外説明の文章を見ている限りはそうなのかもしれないな、と思った。問題は、この強み・資質を知った上で、それを活かせるようなフィールド、働き方をどうやって見つけていくか、だと思う。実は今日もとある企業の人事の方と会って、まだ自分の世界・世界観が狭いんだろうなってことを感じた。まだ、現在の自分が立脚しているものを、もっと明確にできるはずだ。

それを見つける夏にせねばならない。

「授業レポート・アーカイブ」をつくり出す件。

思いのほかしばらく重い腰を持ち上げずにやってこなかったことをここに実現させてみようという気になってしまった。それは何かと言うと、学部生時代の自分の学びの軌跡をアーカイブにすることだ。案外これは単純な話で、これまでに書いたレポートをPDFにすればいいだけの話だ。

そんなわけで、引用文献がきちんと明記されている(であろう)ものについて、とりあえずまずアップロードだけしてしまった。誤字脱字訂正もしていないのでいささかマズいけれど、もはやそれはそれで後から修正するとして、今はアップロードしてしまおう。当然、誤字脱字訂正や掲載取りやめ希望は随時受け付けてます。

レポートは、ある授業を受けて、その中身を咀嚼した上で作成した、その時の思考の足跡だといえる。私自身、まだ学会発表をしたり、論文投稿をしたりするほどの研究者ではないけれど、デザイナーさんたちでいうポートフォリオ(っつうんだっけ?)みたいに、書いた物をアップロードしておくことぐらいは、私の人となりを知ってもらう上で決して無意味ではないだろう。当然、大学院に入ってからというもの、自分の学問的バックグランドの薄さ、というか単なる知識不足にはたはた悲しみを覚えるが、あえて恥なんか感じずに、おおっぴらにしてしまおうと思う。

そんなわけで、カテゴリ「Papers」を、レポートや書き物のアーカイブとして利用し、時系列順や分野別、キーワードやタグで各レポートを整理できるようにしていきたいが、そんな暇があるならやることは別にあるので、まずはアップした物をひたすら載っけてみることにした。それが以下。

なお、これらすべての執筆物についての著作権は、Creative Commonsに従い、「表示−継承」として扱う。つまり、執筆されたものの改変は、その改変されたものが同じように外部に公開される場合にのみ許可される。当然、鍵括弧付き引用はいとわない。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この作品は クリエイティブ・コモンズ 表示 – 継承 2.1 日本 ライセンスの下に提供されています。

そんなわけで、後輩の皆様が、このレポート群を参考にしてくださることを心より願うとともに、時おり自分も見返して赤面するのだろうなぁと思ってみたりする。