2つの会合から学んだことをまとめてみる

2月2日にはいろんなことがありまして、たとえばその前の日までだったレポートの提出期限を逃してしまい、先生に平謝りしたり、修士論文発表を二日連続で見て怖いなぁなんて思ったりしていました。その日はかなり忙しく、実は抱えている二つのプロジェクトに関するMTGがあったため、新宿に・大宮に、移動していった感じでした。どんなプロジェクトだったか、リリースはもう少し待ってくださいね。で、その二つの会合でいろんなことを学んだので書いておきます。 Continue reading

Share on Facebook

卒業論文:普遍的なコミュニケーション能力と学校外国語教育 ~茨城県・英語インタラクティブフォーラムの調査・分析~

ここは卒論を避難させておくポストです。

2011-1-19提出の卒業論文は、それが最終バージョンにはなりませんので、卒論関係のファイルは,ここに随時アップロードされます。なお,今後の執筆予定としては,以下の通りです。(というか,宣言しておくので,誰か監視をお願いします)

今後の研究予定

  • 2月1日:方法論探究最終課題提出(ver.2.0予定)
    • ↑これできずに終わりますごめんなしあああ
  • 3月上旬:研究協力者向け研究報告書完成
  • そのうち:製本

提出バージョン

Ver.β1.2 : enshino_GThesisβ1.3 (1.2→1.3:データ分析最終課題を受けて、記述統計量と分散分析表を更新し、考察も一部追加)

Ver.β1.2 : enshino_GThesisβ1.2 (1.1→1.2:ヘッダのタイトルが間違っていたので訂正)

Ver.β1.1 : enshino_GThesisβ1.1

Ver.β1.0 : enshino_GThesisβ1.0

Ver.0.8 : enshino_GThesis.0.8

Ver.0.7 : enshino_GThesis.0.7

卒論概要(要旨ではない)

本研究は,茨城県教育委員会他が主催する,英語インタラクティブフォーラムの中学校の部における取り組みを事例として扱い,その特徴について検討を行うことを通じて,「コミュニケーション能力の育成」を志向する学校外国語教育のあり方を検討するものである。
英語インタラクティブフォーラムは,茨城県の中高生を対象とした取り組みである。中学生の部においては,「学年別の3〜4人のグループで,与えられた課題に基づいて……英語による自由な話合いを行う」形式のフォーラムが行われている。
I.E.F.の実施目的には「英語を使って双方向性を重視したコミュニケーション能力を高め[る]」とある。また,フォーラムの評価項目には 「表現力,通じやすさ,自然さ,正確さ」「豊かで適切な内容」「協調性のある親しみやすい態度」が挙げられている。以上の点から,英語の知識と共に,コ ミュニケーション能力やコミュニケーションに対する態度が注目されていることが分かる。(以上,引用は 茨城県教育庁, 2010a)
筆者は,I.E.F.を,筆者が主張する「普遍的コミュニケーション能力」を育成するための外国語教育の事例ととらえている。本研究では、その 「普遍的コミュニケーション能力」の構成要素とI.E.F.との関係性について検討し、その上でI.E.F.がコミュニケーション能力の育成においてどの ような効果を生むかについて調査する。

Share on Facebook

SFC-LTに出たよ、という話

ご無沙汰しております。enshinoです。1日1日記という新年の目標は、1ヶ月そうそうにして崩れかかりましたが、それは卒論を仕上げることに躍起になっていたからなので、言い訳がましいですが、それは致し方ないことだとして処理してください。

それはそうと、ながらくenshinoProjectを標榜してきた我がサイトも、名前を衣替えしましたが、そのことは後日。

今日は、卒論締切前に参加したSFC-LTについて。LTとは、Lightning Talk、雷のごとく、いろんな人が入れ替わり立ち替わり、電光石火の早さで自分の「いま」を話していく企画で、海外の学会では多く行われているそうです。それをSFCでやるっつんんだから、出ないわけは無いでしょ。

Continue reading

Share on Facebook

志をたてよう。そして一歩前進する話

もう5年前だが,この時期に松下政経塾主催の立志論文コンテスト決戦大会に出場した。それから4年後の去年の決戦大会に呼んでいただき,それ以降OB会の幹事役を引き受けている。といっても,そこまで幹事らしい幹事ではないし,OB会組織もそこまで立派なものではないけれども。

さて,今年は今年の出場者のみなさんをOB会MLに迎え入れるために,また松下政経塾を訪れ,決戦大会を傍聴してきた。

いやぁ,年々,皆言うことがしっかりしてきたなぁ,と思うわけだ。今年の最優秀賞の高校生は新聞記者が夢だそうで。他にも,高齢者の英知を集めた図書館をつくりたい,スマートシティの可能性を経済学を通じて追求したい,デジタルネイティブ育成を通じて貧困をなくしたい,川のコンサルタントになってエコな環境をつくりたい,国際的な機関に所属してフィールドに出て行きたい,そういった志を,みなしっかり訴えていた。

いやぁ,5年前の僕は政治家だっていっていたのに,今は,ねぇ。どうなんだか,と思う。でも,一つ思ったことがある。それは,何になるかではなく,何をするか,何を成し遂げるか,なのじゃないかと。それこそが志なのではないか,と。何になりたいか,どの職業に就きたいか,という「キャリア」はあくまでも手段に過ぎない訳である。その点で,自分が教育に対して大きな興味を抱いていることは当時高校2年生だった自分と変化していない。ただ,その手段が変わっただけである。一本筋を通した志はもちろん必要だと思う。でも一方で,何がしたいかってのは変わっていくとも思う。その矛盾を解きほぐす答えが,何となく思いついた。それが,なにになりたいかは手段でしかない,という解釈である。

そんなことより,松下政経塾談義を一つ。

僕の好きな言葉は何だろう。そう思うことがある。小学生の頃,「人生葉脈」と言っていた。どんな生き方だってあるじゃん,ということだった。しかし,歳を重ねるうちに,なんだか気恥ずかしくなってきたのだ。

昨年夏に松下政経塾を訪れて,あることを思い出した。それは5年前の,私が出場した論文コンテストの本番前。松下政経塾の講堂のトイレに入った。その時,男性用小便器のところに「一歩前進」と書いてあった。当然意味は,一歩前に出て,液体がはねないようにしろ,ということだが,緊張に喘いでいた自分にとって,勇気が出る一言だった。

それ以降,SFCに入学して以降はほぼ毎年松下政経塾を訪れているが,その「一歩前進」を見るたびに,なにか初心に返るのである。なにせトイレだ。もっとも心が安心する瞬間に見る「一歩前進」は,心にしみいってくる。

はぁ。卒業論文もヤバい感じになってきている。だけれども,一歩前進しないといけないよなぁ。頑張ろう。

Share on Facebook

物欲の固まり

昨日は日記の執筆をサボってしまった。そして今日ようやく、卒論が第2章まで進んだ。明日の朝までの目標としては、3章が仕上がることである。いずれにしろ明日はすべてデータ分析にしてしまう。
ところで、欲しいものが多いと困る。お金がないのに欲しいものだけはたくさんあって、それらを買いたいなぁという妄想を膨らませ始めると、とたんにアマゾンを開いてしまって止まらなくなる。
いま欲しいものは以下。

  • デジカメ(サイバーショットの10倍ズームのやつか、いっそ一眼レフ)
  • Mac用のビデオキャプチャ(熟議の中継用に買っておきたい)
  • スキーウェア(スキー行くし、雪合戦行くし)
  • 「リュックの中身」(最近手に入れたお気に入りのリュックに仕切りがないので)
  • MacBookAir(あれがあったらライフスタイルが変わるだろうと思う)
  • SonyのReader(電子書籍憧れる)

そんなさなか、2010年の3月に、地面に落ちてお釈迦になったはずが、Apple
Storeで修理見積もりを出して修理不可能と診断されて帰ってきた途端に復活していたMacBookのWiFi機能が壊れてしまい、弟妹からクレームが来た。たぶん、内蔵のAirMacが壊れたんだと思う。そこで、こんなのを買ってしのいだ。
http://amzn.to/fb4255
LogitechのUSB型WiFiアダプタなのだが、これにした瞬間にネットに繋がらないトラブルが直った。こんなに早く直るなんて思わなかった。なにしろ父親の頭の中には、あたらしいパソコンを買う決断まであった様なのである。
だったら、俺があたらしいMacBookAir買うわな。

Share on Facebook

布団で寝る

今日は大したことがあった日ではなかったが、睡眠が長かった。そのせいで、何も手についていなかった。だから大したことがなかった。それは、自分の卒業を危うくすることはよく分かっているのだけれど、どうも。。。ね。

なんで睡眠が長かったかと言えば、久々に布団で寝たからだ。最近は、ソファで寝る生活ばかりで、布団で寝ていない。しかし、布団で寝ても長く寝すぎる癖は、ソファでも別に改善される訳ではない。

ようは、いつでも眠たいのが私の性格ってわけだ。寝ても寝たりない。今でも眠いけれど、寝たら負けだ。

Share on Facebook

弟の受験日に湯島天神に行った話、それから受験問題の感動

今日は、私の弟が某県の私立高校の入試を受験した。

そんなさなか、私は湯島天神にようやく初詣。

タイミングが至極悪い。

おみくじをひいた。中吉であった。覚えているのは、出産「安し」。その短さが故。

関わりのある中学生に、合格鉛筆を買い、そして自分が代理で引いたおみくじを8つ持ち帰った(当然お金は納めました)。そのうち鉛筆一本とおみくじ一つは、帰宅してまだ起きている弟に渡した。弟のおみくじが小吉だった。どうしよう。。。

うれしいことがあった。

弟に、今日の問題ので気を聞いていた時のことである。英語は40問で構成されており、そのうち32問はできたという弟。少しして、「今日の英語の問題、感動したんだよ。かっこ良かったんだぜ」と言った。確かに、いい文章だった。感動できる文章だった。

ネタバレかもしれないが、ざっくりいうと、指の動かないピアニストが、生涯最後と心に決めたピアノコンサートを控えていたとき、ある子どもがピアノを弾いていた。彼の演奏に魅了され、本番前に一緒に連弾していたところ、少年はピアニストの指が動かないことに気付く。ピアニストは事情を説明するが、少年は「大丈夫。僕があなたの指になるよ」と一言。そしてピアニストと少年(彼はピアニストのコンサートを聴きにきていた)は一緒にステージにのぼる。すると、演奏するうちに、動かなかったはずのピアニストの指が動くようになった。演奏が終わって「私はこのコンサートを最後にピアノを演奏するのを辞めようと思っていた。けれど、この少年の不思議な力で、指が動くようになった。これからも【ピアノを演奏し続ける」と。

受験は、集中力と戦いである。いくら私立併願校とはいえ、緊張位するだろう。それでも僕は、関わりを持つ中学生には「問題を読みながら、その問題のこっけいさや面白さを感じたり、感動したりする余裕が必要だ」と述べてきた。弟は、事実、問題文の内容に感動したことをそれを僕に伝えられるだけ、余裕を持って問題文に接することができた訳である。そのことが、妙にうれしかった。

「大丈夫。僕があなたの指になるよ」は、設問中の選択肢であった。彼の感動ポイントはそこだったらしい。この選択肢こそ、この問題文の肝であるし、それが答えられるほどに、弟は英語を読解するだけの力があったことが、兄としてうれしい驚きだった。

さ、俺も頑張るか。

Share on Facebook

あるインドネシア人の話

インドネシアに海外研修に行く、というツイートをみて、不安がるそのツイート主にリプライを飛ばした。140文字×2だと伝えきれない話なので、個々に再掲しようと思う。

結論は、インドネシア人は日本人に好意的なはずだから、安心しな、ということ。

あれは、3年ほど前の夏のことであった。mixiでもマイミクである某O氏と古河のドン某W氏の弾き語りを見ていた時のことである。夏なので涼しいさなか、彼らの音楽を聴いていると、なんだか不思議な人がやってきた。楽しそうな顔をしながら演奏を聴いている人がいる。しかし、日本人顔じゃない。言ってみれば、名倉潤ばりの彫りの深さ、焼け具合である。

すると、彼ら2人が、河島英五の「酒と泪と男と女」を弾き始めた。さすが、2人でやるからハモると素晴らしい。ところが気になったのは演奏の方ではなく、その不思議な人の方だった。

突如、「えいご〜! えいご〜!」と言い始めたのである。そして彼ら2人のもとに近づいてもっと楽しそうな表情を浮かべたのである。僕は思った。

「ちょっとまてよ、この曲は日本語だろ」同じことは、W氏もO氏も思っていた突っ込みであった。

しかしどう考えてもこの人の挙動はおかしい、というか日本人ではないのではないかと思い始めた。その矢先、ついに彼が2人に話しかけ始めたのである。「えいご〜! えいご〜!」と相変わらず。そのうち、英語で話しかけ始めた。

お、英語だ。と、英語が喋りたい盛りの僕は彼とのコミュニケーションを試みる。聞くと彼は、ビジネスで来日していて、その日は友達に会うために来ていたそうだ。出身はジャワ島らしい。そのうちに、セブ島出身の友達がやってきた。しばらく話してみた。

なぜ「えいご〜えいご〜」と言っていたか。というか、インドネシア人はなぜ河島英五の「酒と泪と男と女」を知っていたか。聞くと、実は彼のおばあさんが日本人だったか日本にゆかりがあったかで、幼少期によく日本の曲を聴いていたらしい。その曲が、河島英五の「酒と泪と男と女」だったらしい。なんともステキな話じゃないか。それを思い出して、テンションがあがったらしい。

言っておくが彼は一切酒を飲んでいない。なのにハイテンションなのである。セブ島出身の友達も止められないほどテンションが高い。ピョンピョン飛び跳ねている。すごく飛び跳ねている。驚くほどテンションが高い。よほど喜んだのだろうか。

ストリートパフォーマンスにはおひねりがつきものだが、W氏とO氏はそれを別に求めている訳ではない。しかも2人は演奏中だった。そんなとき、そのインドネシア人がおひねりを差し出してきた相手は僕であった。しかも財布から差し出したのは福沢諭吉さんであった。びっくりした。正直な私はそれをW氏とO氏に差し出し、山分けした訳だが。

財布もそうだが、心も温まるエピソードだった。一度インドネシアに行ってみたくなった。

Share on Facebook

鼻水

鼻水がとまらない。

風邪を引いたのだと思う。昨日はバイト先のOBの皆様を交えた新年会だったのだけれども、途中で種々の電話がかかってきて、2次会会場のカラオケの外で長電話をしているうちに鼻水がとまらなくなった。

鼻水は、その状況によって色が違うが、いまは無色透明の水っぱなである。こうなると、風邪の初期症状だけれど、この時期が実は一番キツい。なぜかって、止まらないからだ。まだ、黄色くて粘度が高い方がまだマシだと思う。

風邪を引いた場合の僕の民間療法はいくつかあるが、先ほど自分で「鼻セレブmini」と「カコナール2」を買ってきた。だいたいは、カコナール2で治してしまう。たった今、母親の買い物ついでにオレンジジュース1000mlを2本買ってきてもらうように頼んだ。きっと今日中に全て消費しきると思う。

しかしまた、こんな時期に風邪を引いてしまうのは、やたらと外が寒いからに違いない。皆様も、ご自愛ください。

Share on Facebook

謹賀新年2011:今年の目標は…

みなさま、あけましておめでとうございます。本年も、旧年に引き続き、何卒よろしくお願いいたします。

いつぶりの日記になりますでしょうか、本当に久々に、何事もなくキーボードを叩いている1月1日、もう2011年の初日も終わりを迎えております。

旧年は、あまり何事も起きなかったかなぁ、という印象の1年間でしたが、いろいろなところで活躍の場を与えていただいた年でした。

特に、司会業やMCという立場で、人前で話すという部分において皆様の信頼と貴重な経験をいただいた1年間でした。今後は、めざせ「湘南台のフリーアナウンサー」という辺りでやっていこうか、と自信がつくような日々でしたね。例えば、地域イベント(アニソンカラオケ大会、学生団体ステージ統括、キャンドルナイト)や、吹奏楽サークル(ディズニーシー、定期演奏会)などです。

それから、熟議という政策ムーブメントに出会い、ノリでつくってしまったreal-jukugi.orgを案外褒められたことは、誇りでした。技術者ではありませんが、「ちょっとギークな政策屋さん」「パソコンの上手な学校の先生」なんてのもいいんじゃないかと思いました。

それから、大きな経験としての教育実習は、学部生生活の集大成としてはいいものになったと思います。決して楽しいものではありませんでしたが、学校現場を肌で体感した3週間は大きな成果を得たものでした。肝心の教員免許は、私の欲しい科目のコンプリートまではまだしばらくかかりそうです。

さて、本年は私にとって、一つ勝負の年になるかと思います。

なぜなら、学部生という殻を捨てて、いよいよ自律が求められる大学院生になるからです。大学院はきっと大変なものになると思いますが、せっかくいただいたチャンスを無駄にしないよう、今後よりいっそう精進しようと思います。

それから、このブログも、いつまでも放置しているのはやめようと思いますので、1日1ポスト、何か必ず書いていこうと思います。そのまえに、卒論を書かなければいけないのですが、一つの小さな目標として日記を付けることを心がけなければいけないな、と思います。

それでは、今年1年も皆様よろしくお願いします。

Share on Facebook

仮説とリサーチクエスチョンをやたらとたててみる [方法論探究HW3]

今更ながら課題をやる。

先日、所属する研究会の中間発表を行ったが、それがえらくひどいもんであったことは否めない。このブログにそのスライドを載せたいのは確かだが、参考文献一覧をまだ貼っていないので掲載できない。

しかし、そのスライドを作る過程の中で、問題意識と仮説とリサーチクエスチョンを見直す機会が出来た。一度、それをまとめておきたいと思う。個別の作業仮説はすでに思いついていて、しかもそれらに対してどのデータを用いるかについても明確だったが、問題は問題意識の設定をどこにおけばいいか、ということであった。電車の中、鴨池のほとり、研究室の中、考えてもなかなか浮かぶものではなかったが、スライドをつくりながらそれなりに形になった。まとめておこう。

Continue reading

Share on Facebook

オーソリティとエッジのビブリオ [方法論探究HW2]

方法論探究で研究のペースメイキングをしていく件。今回のお題は、オーソリティとエッジの先行研究を読むというものです。ご担当本人も、ワークロードとしては今回が一番しんどい、と。たしかにそうですよね。
しかし、幸いにして私は、第二言語習得研究の分野についてのオーソリティとエッジは何となく見当がついています。よかったな、と思っておりました。そうは言っても、第二言語習得研究のどの分野に重きを置くかによっても、オーソリティとエッジが異なってきます。
今回の記事は、順次追記をしていきますが、ともかく、頭に思い浮かんでいるオーソリティとエッジをあげつらっていこうと思います。ちなみに全部敬称略。すいません。
Continue reading

Share on Facebook

頭の整理をしてみる(Draft Writing & Mind Map) [方法論探求HW1]

最近、またあまりにもBlogを書くことがなくなってきた。いよいよTwitterログだらけになってしまい、こりゃマズいと思いながら、ブログデザインと記事カテゴリの再構成を画策中である。これも、やるやる詐欺になるだろうが。。。

なんかしなきゃな、もうすぐ卒業だし。
そもそも、enshino.bizは、自分自身をアーカイブするために維持しているサイトで、本当は学部卒業までに、これまでの自分のプロジェクトや学校でのレポートを掲載していくことをやってみたいと思っている。当然、自分の研究は掲載したい。
そうか、ブログに研究ノートと研究記録を書いていけばいいのか。

そんなことを、方法論探究の課題に取り組みながら、その提出をするためにどの媒体を遣おうか迷ったあげく、思いついた。なので、自分の研究記録をここに掲載していくことにしてみた。

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス2010年度秋学期「方法論探究」は、自身の研究のペースメイキングのために履修した授業である。その最初の課題は、リサーチデザインのためのアイディア整理、ドラフトライティングとマインドマップである。 Continue reading

Share on Facebook

ガンガン熟議しようぜー

熟議による新しい政策形成。

というと、堅苦しいですから、言い換えると「文句がある奴はとりあえず語りに来い。斜に構えた奴とか、不満のある奴とかとくに。」
ってことです。

教育に興味のある人、大学が楽しくてたまらない人、大学がつまらない人、大学のことを知りたい人、集合。

ちなみに何度も言う通り、Webサイト(一応仮サイト)のデザインをいじったり、パックマンロゴを作成したのは僕。褒めて。

=====================
リアル熟議「大学は、もういらない!?
〜私たちと大学はいかにあるべきか〜」
公式Web:http://real-jukugi.org/
======================

文部科学副大臣・鈴木寛氏が参加決定!あなたも「リアル熟議」に参加しませんか?

私たちは新しい政策形成の場である、「リアル熟議」を
慶應義塾大学日吉キャンパスにて、7月24日に開催いたします。

「私たちと大学はいかにあるべきか」をテーマに、
高校生、大学生、社会人、研究者、有識者、政治家などの大学に関わる
多様な立場・価値観・考えを持つ人たちが意見をぶつけあって、
議論し共に解決策を考える場を提供します。

「熟議」のプロセスによって、政治家や官僚だけが持っているとされていた専門知だけでなく、
問題の当事者が持っている経験知を付け加え、さらに自分の問題として捉えなおすことで、
4時間という短い時間で、より本質に迫る政策形成の実現を目指します!

リアルに会って話した私たちの言葉が「私たちと大学の問題」に解決策をもたらすかもしれない。
その可能性に溢れた「リアル熟議」・・・・・・是非、ふるってご参加ください!

【開催概要】
日時:
7月24日(土)13:00−17:00(開場:12:30)

会場:
慶應義塾大学日吉キャンパス 来往舎 シンポジウムスペース
※日吉駅(東急東横線、東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンライン)下車 徒歩1分

テーマ:
これからの大学?私たちと大学はいかにあるべきか。
? 大学入試制度のあり方に関して
?新卒主義のキャリア形成のあり方に関して
?社会人入学?学びなおすための大学のあり方に関して
?留学や大学の国際化のあり方に関して

ゲスト:
鈴木寛文部科学副大臣・参議院議員
金子郁容慶應義塾大学政策・メディア研究科教授、SFC研究所所長
※ 当日、ゲストも参加者のみなさんと一緒に議論します!

当日の流れ:
13:00 開会
13:10 全体の流れの説明・資料説明
13:30 グループ毎に分かれて熟議(前半)
14:30 休憩
14:45 グループ毎に分かれて熟議(後半)
16:00 グループ毎に発表
16:30 総括
17:00 閉会

主催:リアル熟議を実施する学生の会
共催:文部科学省、NPO法人カタリバ、慶應義塾大学金子研究会

参加申し込み:
以下、URLの参加フォーマットから必要項目を入力して下さい。

http://real-jukugi.org/apply/

Share on Facebook

教育を当事者性で考える

教育に関して、現場の当事者の議論こそ地に足の着いた教育論だ、という考えを最近持っている。だから教職課程に居るどころか、いまやミッションをかなえる職業ビジョンとして教員を目指すほどだ。

だけど、教員としての当事者性だけが全てではない。もっとも、学生や生徒児童も当事者なんだよな。。。

と、思いながら、私が属する高等教育のあり方について、考えなきゃいけないことが多いんだよな、とふと思っていたおり、友人から誘いを受けた。

「リアル熟議、やろう」

熟議とは、新しい政策形成の形として、文部科学省が主導して行われているものである。現在、熟議カケアイと称したWebサイト上で、教育の当事者たちが、教育に関する政策課題について議論している。

おれ「でもさ、Webって限界あるんだよね。僕も登録したけど、使ってないもの」
友人「じゃぁ、自分らでやるか」

となって、リアル熟議プロジェクトが動き出した。

僕にできることといえば、そうだな、Web広報かな、となって、仮サイトをつくったら思いのほかうまく出来上がって、熟議カケアイをはじめとする新しい公共を主導するSFCの某教授もびっくりしていたほどだった。軽く自慢できる作品だ。そして、多方面への告知により、100名定員で募集をかけて2週間以内で50人は集まった。びっくりした。

そんなリアル熟議「大学は、もういらない?」の告知は以下。

=====================
リアル熟議「大学は、もういらない!?
〜私たちと大学はいかにあるべきか〜」
公式Web:http://real-jukugi.org/
======================

文部科学副大臣・鈴木寛氏が参加決定!あなたも「リアル熟議」に参加しませんか?

私たちは新しい政策形成の場である、「リアル熟議」を
慶應義塾大学日吉キャンパスにて、7月24日に開催いたします。

「私たちと大学はいかにあるべきか」をテーマに、
高校生、大学生、社会人、研究者、有識者、政治家などの大学に関わる
多様な立場・価値観・考えを持つ人たちが意見をぶつけあって、
議論し共に解決策を考える場を提供します。

「熟議」のプロセスによって、政治家や官僚だけが持っているとされていた専門知だけでなく、
問題の当事者が持っている経験知を付け加え、さらに自分の問題として捉えなおすことで、
4時間という短い時間で、より本質に迫る政策形成の実現を目指します!

リアルに会って話した私たちの言葉が「私たちと大学の問題」に解決策をもたらすかもしれない。
その可能性に溢れた「リアル熟議」・・・・・・是非、ふるってご参加ください!

【開催概要】
日時:
7月24日(土)13:00−17:00(開場:12:30)

会場:
慶應義塾大学日吉キャンパス 来往舎 シンポジウムスペース
※日吉駅(東急東横線、東急目黒線、横浜市営地下鉄グリーンライン)下車 徒歩1分

テーマ:
これからの大学?私たちと大学はいかにあるべきか。
? 大学入試制度のあり方に関して
?新卒主義のキャリア形成のあり方に関して
?社会人入学?学びなおすための大学のあり方に関して
?留学や大学の国際化のあり方に関して

ゲスト:
鈴木寛文部科学副大臣・参議院議員
金子郁容慶應義塾大学政策・メディア研究科教授、SFC研究所所長
※ 当日、ゲストも参加者のみなさんと一緒に議論します!

当日の流れ:
13:00 開会
13:10 全体の流れの説明・資料説明
13:30 グループ毎に分かれて熟議(前半)
14:30 休憩
14:45 グループ毎に分かれて熟議(後半)
16:00 グループ毎に発表
16:30 総括
17:00 閉会

主催:リアル熟議を実施する学生の会
共催:慶應義塾大学金子郁容研究会、文部科学省(予定)、NPO法人カタリバ

参加申し込み:
以下、URLの参加フォーマットから必要項目を入力して下さい。

http://real-jukugi.org/apply/

※先着100名

応募多数の場合は、参加者を抽選する場合もございます。あらかじめご了承ください。

まぁ、来てくださいな。

Share on Facebook

何事もなく過ぎ行く21歳の夜

来週頭にある、Music Nightというイベントで、僭越ながらMCをさせていただくこととなり、そのリハーサルをやっていた。その後、英語インタラクティブ・フォーラムの研究のために、アンケートを印刷して封筒に封入していった。気付けば21:30で、いつもの月曜日と変わらぬ帰宅時間となった。日付を超えれても、家にはいない。

また、自分が生まれた日の0:00を、自宅外で過ごすことになる。20・21・22と、もう3度目だ。昨日、吹奏楽サークルのオーディション応募用の映像撮影を終えたが、それでも帰りが日付を超えるのは、いつもの通りの生活がいたについている証拠だ。

そういえば、そのサークルの同学年者から、コップと肩叩きをもらった。院生になる僕への誕生日プレゼントだった。コップには、油性ペンでの寄せ書き。本当にありがたい。

私には悪いくせがある。人の誕生日を覚えないことだ。だから、どうしても贈り物を送れない。代わりにいつも、贈り物をもらう方の立場が多い。非常に恐縮する。その点で、mixiは便利で、友人の誕生日が近いことを知らせてくれるのだが。ともかく、私は誕生日に対して、至極受身であることが多く、為手側になることは稀である。

同じことは、誕生日に家で過ごすことなく、親家族に育ててもらった感謝を言わないあたりにも通じる。結局自分は、世界の中心は自分であり、自分のために自分を生きているにすぎない、自己中心主義の塊みたいなもんなのだ。他人と丁寧につきあうことを忘れてしまっているようでもある。感情線が孤を描いていても、結局思いやれていないのは、21歳になっても相変わらずで、それで本当に迷惑をかけたことがあった。

21歳の夏、僕は、自分のことさえ顧みていればよい立場から脱却しなければならない責任を得た。しかしながら相変わらずなままで、相手を振り回したり悩ませたり怒らせたりしていた。それは、ことの段落で特に予期している相手以外にも同じことを言えるのだが、とくにその相手に対しては悔やまれるほどである。一方で、その相手の存在が故に、将来の人生のことを、余計に考えるようになった。自分は何をして稼ぎ、どのような家庭で過ごし、どう人生を設計して行くのか。それは単に、他者を顧みなければならない責任が起きたからではない。21歳という年齢が故でもある。

21歳は、人生のターニングポイントである。同じ21歳世代では、すでに社会にでている人が半分以上、そして僕の周囲では、大半が職探しに奔走し、21歳の夏から秋、冬、そして春と、多くの友人が、直近の未来の人生ステージの場所を探すために、はるか遠くまでに渡る人生の設計図づくりに頭を悩ませていた。そのムーブメントは、例外なく僕にもやってきて、僕は遠い未来に渡る自分のミッションとそのためのツールである職業の見通しを考えた。

結果、僕は一切の私企業・公的団体に対して、金銭を対価に仕事をするためのエントリーシートを提出することはなかった。出した答えは、大学院に進んでまだ学ぶことだった。しかし、その決定が早からず遅からず、そのせいで、周りが忙しく奔走する時期に、本当に何もしなかった。本当に、何も。そのせいか否か、21歳の後半は、後ろめたさと不安の連続だった。院生候補にもかかわらず、ろくに研究成果をあげる訳でもなく、勉強に勤しむ訳でもなく、何もしなかった。周りが奔走しているのに、自分はこれでいいのか。周りが奔走しているのなら、その分の働きをすべきなのに、何もしていないのはいいのか。そして、バカみたいに高い学費も、後ろめたさを助長する。そして、今年度になって、4年にもなって、かつてない無気力さを得た。かつての自分からすれば、腐敗が進んだ。

だからだろうか、21歳は、それまでに比べて少しは落ち着きを見せたものの、以前としていろいろなことに取り組んだと思う。吹奏楽サークルでは副代表だったし、地域活性化活動では企画担当もした。某SFCの未来をつくるプロジェクトでは、年が開けて、名ばかりながら代表代行を拝命した。とりあえず忙しくすることで、どうにか自分を保とうとする癖は、未だに治っていない。本当はもう少し失敗に学んで、集中力を持つことをしなければならないのに、好奇心を持つあたりはまだ子どもなのだ。

でも、もう子どもでないのだ。若くはないのだ。大学では、もう褒めてくれる先輩的な立場はいない。それどころか、後輩ばかりである。徐々に、「あなた若いのにしっかりしてるわね」と言われる年齢から離れだしている。僕が動機付を保ってきた要因である、年長者からの褒め言葉を、だんだんと失いつつある。でもなお、若さとか子ども性とかのなかで、大人に対してアクションを起こして行きたいという欲望は果たされていないらしい。だから、歳を取ることの現実を受け入れたくない。年齢は重なるけれど、僕は僕のまま。高校生だった自分、中学生だった自分、小学生だった自分から、今の自分を比べても、中身は変わっていない。レッテルが変わっただけだ。でも、あの頃憧れていた先輩たちとかお兄さんお姉さん世代とかと、同じ世代にたっているかといえば、まったく成れていない自分がいる。本当に僕は大人の階段にいるのだろうか。

みんなは、21歳の僕を、変わったというのだろうか。久々に会う人ならそう言うだろうが、でも級友なら変わらないと言うだろう。とかく、日々生活をともにする親は、変わらないままに、変化していてもその変化に無意識的だろう。考えてみれば、弟は中3、妹は中2、奴らはまだ僕のなかでは小学生だったのに、ふと気づいた時、年齢の高まりを感じたことがある。そんなことが、親や祖母にはあるのだろうか。そして、21まで育ってきた僕に、何を思うのだろうか。

死んだ母は、21の僕がこうなっていたことを、予測していただろうか。こうなったことを、喜ぶだろうか。そもそも産み親が亡くなっていることに対しては、実は無自覚だから、感謝のかの字も、悲しみのかの字もないのが正直な所なのだ。なんと薄情なのだろう。でも、いまふと考えた。22年前の今日のこの時間、天国の母親は、人生初めての陣痛に苦しみながら、東京・豊島区の病院にいたんだ。性への興味段階である思春期をある程度超えて、様々なことが実感として理解出来るようになったいま、22年前の母親の陣痛が、どのようなものだったかを考えると、妙にリアルである。

もうすぐ、誕生日当日だ。

もういい年齢だから、いままでみたいに、人から祝ってもらえたりプレゼントをもらえることに喜ぶだけの、気楽な一時を過ごすのはやめよう。

みんな、誕生日になると、周りの人に感謝しているという言葉を書き連ねる。当然のことだし素晴らしいことだけど、感謝をどう表し、それをどう還元すればいいか僕には完璧な答えがない。そりゃ、僕のこの人生と人格の形成過程では、たくさんの人と経験との出会いがあった訳だから、感謝は絶えないが、そうした所で還元するすべを知らない。それは、僕の周りの人が誕生日の時に全員におめでとうということであろうか、違うだろう。僕は、そうして考えながら、行動を取ることを放棄して、結局自分に収束して行くことになると思う。

でも、それだって重要だ。腹を痛めて産んだ結果としての存在であることをリアルに認識できるようになったからこそ、いままでに起きた事を思い出しながら、腹を痛めつけてまで生まれてきた意義があったのかを考えるのは必要なプロセスだと思う。そして、今後の生きる意義とは、生きるミッションとは何かを考えるのはもっと重要だ。

進路のターニングポイントにあって、生まれるということをリアルに感じながら、同時に子どもらしく、これから先の人生のミッションを考えながら、少しだけ他者に丁寧に感謝する。

これって、21歳最後の夜であっても、何事もない、いつもと変わらぬ夜にする、いつもの思考なのだろうと思う。やはり今夜は、何事もなくすぎていく、いつもの夜だ。

Share on Facebook

教育の語る当事者として

ここ最近、やはり私のテーマは教育であるのだな、という自覚がものすごく強まっています。それも、参加する活動に現れているのかもしれません。
それと最近、教育という言葉のおこがましさを感じます。どちらかといえは、学ぶ、という方がしっくり来ます。学校は年長者が年少者に教える場所ではなく、学びをつくる場であって、教師は伴走者かつ仕掛け人、生徒こそ学ぶ主体なのだ、と。

教育の問題を語ることは、誰でもできます。なぜなら、自分にその経験が有るから。みな、義務教育課程は最低限修了していて、その課程での出来事を経験則として語ることは誰にでもできます。
それはそれで十分必要な視点です。しかし昨今の教育議論は、自分が教育の当時者性を失いつつある人が、さも熱く持論を展開することによって盛り上がりを見せる気がするのです。

ちがうでしょ、と。教育の問題は、テレビのなかで起きてるんじゃない。問題が起きているとすれば、それは現場で起きているんだ、と。しかも、果たして世の中に言われている問題とやらは本当に問題なのでしょうか。教師はそんなにダメなのか、近頃の若者や子どもがそんなに悪いのか。

教育を語る資格を持つのは、やはり当事者です。学びの場である学校に身を起きながら、そこで仕掛けづくりに奔走する教員と、現在進行系で学んでいる子どもたち(なかには、旧来の学校に適応出来ずに、新しいかたちの学校で過ごす教員と子どももいます)こそ、本当に教育を語る資格があるのだと思います。
だから僕は、現場に向き合っていない人、現場志向でない人の教育論議にはものすごく抵抗感を感じます。教育研究も、教育行政も、日々学びの場で繰り広げられる個々の営みを無視して行われるものじゃない。

だから僕は、教育に関連する活動に数多く従事するなかで、子どもたちと接することを志向したり、現場主義的な活動や研究を好んだりするのです。

今、「キッカケ生まれる、ナナメの関係」NPOカタリバの企画に参加するため電車にゆられています。高校生と話をして、彼らが何かキッカケを掴めれば、そのなかで僕も何かを学べれば。あくまで対等ちょっと上、発達の最近接領域として、現場の生徒たちをみて来たいと思います。

今度の6/25には、過去2回実施してきた#ANYONe_ELSEをまた実施します。正直、過去二回は教育談義に終止して、活動や研究の共有、という現場志向的な繋がりの形成がかなわなかった。今後は、よりそういったかたちを目指したいです。

来月には、大学をテーマとして、学生主導の熟議が行われます。文科省は、ネット上で教育従事者による熟議カケアイという政策創造エンジンを展開していますが、登録しているもののイマイチ気が乗らない。それは単にインターフェースの問題で、直接語り合う場づくりが必要なのでしょう。是非スタッフとして、当事者性の高い場の形成ができれば、と思います。名前だけ偉い方々から高尚な話を聞いても、それらに当事者性がかけたら、そんなん誰でも出来る議論だ、と腹を立てるでしょうから。

インタラクティブ・フォーラムという取り組みの事例研究も、準備が進んでいます。

今年の夏もあいかわらず、小学生と大学生と高校生と地域の大人とキャンプにでかけます。

明日、大学院試験ですが、私が目指すのは、ステキな教育従事者でして、大学院では、そのステキな教育従事者になるための専門性と当事者性を身につけたいと思っています。
僕には、どんな教育のかたち、学びのかたちが創れるのか。まだまだ精進が必要みたいです。

Share on Facebook

大学院入試研究計画書

少しくらい、ブログをツイッターだけにしないで、しかももっと活用していかなきゃな、と思う次第であります。

で、少し前から考えていたのが、「前に出す、共に動く、振り返る、後に残す」がこのブログのテーマであるProjectの意味する所ですので、せっかくだから自分のProjectとなるものをアーカイブ化するとともに、それを広く前に出してみようと思います。

そう、僕の書いてきたアカデミックペーパーの全てを、「前に出す、後に残す」のです。そのカテゴリが、『Papers』。

第一弾は、先般の大学院政策・メディア研究科入試の出願に際して添付した、研究計画書です。

ファイル:20100525_GAO-ResearchPlan

タイトルは「茨城県・英語インタラクティブフォーラムの評価分析 〜学校英語教育のあり方と、教育施策の分析手法の検討〜」。私が中学2年生と3年生の時に参加した英会話コンテスト「英語インタラクティブフォーラム」を事例研究の題材として扱います。その上で、この研究が目指すのは、日本の学校英語教育でなぜ英語を学ぶ必要があるのか、その意味の付与です。

私は常々、「日本人は日本に暮らす限り英語を必要としない。だから、英語という言語の言語知識を習得する必要は無い。英語学習の目的は、英語の言語知識ではなく、広く一般的な言語使用の方略、平たく言えば、どんな言語でも通用するコミュニケーション方略を身につけることだ」という主張をしています。ただ、その主張を主張でとどめず、説得力を持たせるために、この研究に取り組みます。

具体的な手法は、英語インタラクティブフォーラムの参加者と、その指導者を対象としたアンケート調査により、生徒の意欲態度の変化や、教師の指導実践の実態を明らかにするとともに、談話分析を用いて参加者の英会話の特性を調べます。

ここにアップロードすることをもって、院試にご協力いただいた皆さんへの、出願のご報告と代えさせていただきます。

Continue reading

Share on Facebook

GWに何をしたか。2

忘れてました、GWリビュー。その2。

5/2:寝てばかり2

この日も寝てばかり。12時に起きた訳ですが、起きてからも何もしませんでした。と、いうか何をしたかもはや覚えていません。

5/3:BBQ

バーベキューしました。バイト先の仲間と、その先輩達と、埼玉県宮代町の「はらっパーク」という会場でのバーベキューです。朝7時半から古河を出発して行きましたが、8時半前には到着。本当に原っぱしか無い公園でした。

肉を買い出しに近くのスーパーに行って、野菜を眺めていると、近所のおばちゃんが話しかけてきました。「今日は野菜高いよ」日本も捨てたもんじゃないかもしれません、見ず知らずの男に話しかけるなんて。

久々にお会いした先輩方はお元気でした。購入したたくさんのお肉はおいしかったです。お酒もおいしかったです。ただ、炎天下の中で酒と肉を食べ過ぎ、消化不良を起こして気分が悪くなりました。しばらく寝てました。しばらく寝た後にクイズ企画をしました。楽しかったです。

その後、一度家に帰ってから、某先輩のお宅にお邪魔して、おいしいドイツワインをいただきながら、頭をフルに働かせて議論に議論を続けました。

そういえば、先輩方にお礼メールを送り忘れたままでした。送ろう送ろうと思いつつ機を逸するのは私の悪い癖。

5/4:モダンクラシック

熱狂の日6年目。今年も、東京国際フォーラムに行きました。ショパンの宇宙です。
熱狂の日音楽祭とは、ラ・フォル・ジュルネと申しまして、クラシックのフェスです。東京国際フォーラムの全てのホール会場がクラシックのコンサートでジャックされます。しかも3日間です。

12時から聞いたホールAの東京都交響楽団。都響だからか、チケットの売れ行きが良くなかったのですが、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲のソリスト・郷古さんが、なんと高校2年生。柳楽優弥似の、大人の男と少年の狭間にいるかっこよさの中で演奏される、若さとエロさの混じった名演でした。

15時頃からは、ネオ屋台村前のミュージックキオスクという野外演奏ステージ前に陣取って、本当はチケットをおさえて聞きたかった「モーショントリオ」のアコーディオン三重奏を聴きました。ショパンの楽曲をアコーディオン編曲演奏。手拍子が起こるほどの大盛り上がりに、30分間のステージながら相当興奮してしまいました。アンコールには「ゲーム音」を演奏。レベルアップの音や、ファイヤーボールを出す音、爆発音などが、アコーディオンから巧みに出ていて、それはまた熱狂しますわ。

20時からは、ゼスポール・ポルスキという民族楽器演奏集団。なんとそこで、昨年夏の介護等体験を一緒に行った慶応の先輩に遭遇。不思議な縁を感じながら、演奏を聴いていると、また民族音楽のリズム性に本当に躍動感を覚えました。マズルカなど、やはり躍りの音楽だから、心の響くのですね。それからそれから、初めてホーミーを聞きました。本当に、低音と高音が同時に聞こえて驚き。

とりあえず、あまり行数が埋まらなかったのですが、今回の熱狂の日は本当に良かった。一般発売までチケット発売に気がつかず、たまたま買った2公演(以前は6つも7つも、でした)が本当に当たりでした。

5/5:これから何かをしたいと思う

松下政経塾立志論文コンテストに出場したのは、初回大会の2006年。その後、2010年大会で5回目を迎えた大会にて、過去の論文コンテスト出場者が集合しました。enshinoは、その出場経験者のネットワークMLの管理者に。

そのメンバーから、「夏頃に、松下政経塾出身の方々にお会いできるような機会がほしい!」という提案があり、一時MLで議論となりました。ここは、一度作戦会議を開こう、ということになって、作戦会議を行いました。まぁ、ここでは多くは語りませんが、松下政経塾にたいして、私たちのネットワークについて今後定期的にアクションを起こせるようなネットワーク運営をするためのご提案をいくつか思いついた訳です。私含め3人の会議でしたが、有意義でした。

その後、突如暇になって、新宿で物書きをしていたら、サークルの後輩が渋谷で暇している情報をついったーで察知し、新宿に呼び寄せ話をしました。まぁ、そんなかんじ。

そんなこんなで過ぎて行った、GWは、例年に比べて普通だったような気がします。おわり。

Share on Facebook