だれかとともにすごすということ(シークレット・ライター#01 – 作品10)

たとえばそれは、ごはんを一緒につくって食べるということ。

「ねーねー、〇〇たべたい」なんて一言を「えー」と言いながらも受け止めて、そこから、どうやってなにを作ろうかをひとしきり考える。冷蔵庫には何があったっけ。足りないものは、歩いてコンビニまで行くか、チャリでスーパーまで行くか、どうやって調達しようか。頭のなかをぐるぐると駆け巡っていく「ああしよう」「こうしよう」たちが、ついに一つのレシピに辿りつく。わたしは料理をし始めると自分の世界に入ってしまいがちで、だからあたまのなかに浮かんだ手順を進めようとすると全てを自分で取り組もうとしてしまう。そこに「ねぇ、いっしょにつくろうよ」と言ってくれるおねだりの主。あーしてこーして、というのをおねだりの主に伝えながら、出来上がった共同作業のお昼ごはん。破れが補修されたソファに座ってからの「いただきます」、一口目がそれぞれの口に運ばれた刹那、おねだり主から「めっちゃおいしい、最高じゃん」という言葉と満面の笑顔があふれる。それが、うれしい。

たとえばそれは、コーヒーを淹れるということ。

コーヒーがコンセプトのネイバーズ東十条には、それぞれのこだわりをもって暮らしている人が多い。コーヒーにもそれぞれこだわりが現れていて、エスプレッソマシンを使う人、サイフォンで淹れる人、フレンチプレスが好きな人、それぞれのスタイルで楽しんでいる。もちろん多くはドリップなんだけど、だからなのか、だれかがペーパーフィルターを買ってストックしてくれているのが、ありがたい。豆へのこだわりもひとそれぞれで、たとえばわたしは浅煎りが好きなんだけど、深煎りのずしんとした味がいいって人もいる。なかには豆の焙煎だってしちゃう人もいる。東十条には、ひとつぶ珈琲やマヤ珈琲焙煎所、神谷珈琲店といった豆を売るお店もあって、いろんな楽しみ方ができる。一人でじっくりコーヒーを淹れる時間は、コーヒーを飲むことと同じくらい、リラックスした時間になる。だけど、平日の昼下がり、ラウンジで仕事をしている人がいると、誰かが「コーヒーちょうだい」とおねだりしたり、はたまた「コーヒー飲む人?」とめぐんでくれたり、そういったコミュニケーションのきっかけが生まれる。コーヒー好きどうしの「ねぇ、それどこの豆?」「へぇ、そういう淹れ方するんだ」という会話もよく生まれている。コーヒー好きが退去をするときは、エスプレッソマシンの使い方講座が行われる。あなたとわたしの間にコーヒーがあるだけで、今日の一日を心地よく過ごすことができそうだ。

たとえばそれは、他愛もない会話をするということ。

よるごはんを食べて、ラウンジに座っていると、ひとり、またひとりと集まって、長机に座っていく。首から上は、楽しい顔もあれば、疲れた顔もあって、それぞれの一日をそれぞれなりに生きてきたんだなということがよくわかる。「今日、何してたの?」という質問から始まることもあれば、「ねぇ聞いてよ」という声かけから始まることもある。みんな、具体的な何かはなくとも、何かを誰かに話したくて、誰かの何かを聞きたくて、それで集まってくる。日々のラウンジの会話そのものに、どれだけの「意味」があるかなんて、実はあんまり関係なくて、「話したい」と「聞きたい」の間にことばをおいて、その温もりを感じられさえすればいい。「めっちゃウケる」って笑ったり、「それはないわー」と怒ったり、「それはしんどいね」って悲しんだり。いや、そんなに感情が上がったり下がったりしなくたって、なんの変哲もない日常の、他愛もない会話を共有できる人がいるだけで、それでいいと思う。

たとえばそれは、夜の散歩に出かけるということ

たしかにネイバーズ東十条に住んでいると、それぞれの趣味を集めたら、その幅はとても広いものとなって、週末ごとにいろんな「おでかけ」が生じる。ごはん行こう、カフェ行こう、イベント行こう、展示会行こう、映画行こう、ライブ行こう、フェス行こう、スノボ行こう、キャンプ行こう。そうした、東十条を飛び出すおでかけは、非日常の楽しさの中で、わたしたちのつながりをもっと深くしてくれるし、思い出に深く刻まれる。だけど、そんな「トクベツ」を味わわなくても、「ちょっと行こうよ」といって、玄関を出て少し歩くだけでも、十分楽しいって思えることが多い。夜の外の雰囲気って、不思議な引力を持っていて、夏なら涼しさ・冬なら寒さを感じながら、少し暗い中を話しながら歩いていくと、しぜんとじっくり話せる気がする。コンビニに行くたった数分の距離だって、なんかワクワクしてしまう感じがある。いちばんいいのは、サミットのある通りのマンションの中庭。あそこ、夜になるとすごくいい照明が灯って、めっちゃ雰囲気いいんだよね。遊具の網みたいなところに座って、酔い覚ましをしながら話していると、すごく落ち着いた話ができる。そんな時間が好きだったりする。


だれかとともにすごすということは、特別なことなんかじゃなくて、むしろ日常の方にこそそんなシーンがたくさんつまっていて、日常の中にある温もりを感じることが、うれしさをわかちあえることが、だれかとともにすごすということの良さなんだと思う。

そういう暮らしができることの幸せ。狭い自室にとどまらないシェアの日々が、わたしは好きなんだ。


この作品は、遠藤が住まうソーシャルアパートメント「ネイバーズ東十条」において開催した文化祭「Higashi-Jujo Neigbors’ Culture Day 2023」内で開催した文章展示企画である「シークレット・ライター」に寄稿した作品です。

「シークレット・ライター」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.52)

無題(シークレット・ライター#01 – 作品06)

「ねぇ」

「なに?」

「最近さ、ラウンジも雰囲気変わったくない?」

「それなー」

「新しい人も増えたじゃん」

「やっぱさ、だいたいみんな更新のタイミングで、出ようかなってなるよね」

「オープニング組もほとんど出ちゃったし、やっぱ雰囲気変わるよね」

「なんか最初は、夜帰ってきて、2階が盛り上がってる音、ちょっとビビってたんよね。なんか、うちすごいとこ来ちゃったんかな、みたいな」

「わかる。ぜったい楽しいんだろうけど、なんだろ、気後れしちゃう感じっていうか、勇気いるよね」

「入ったころはさ、けっこうみんな夜ラウンジで飲んでて、しかも遅くまで。ほんとみんな元気だなって思ってて、みんな起きているから自分も起きてないといけないのかなとか思ってたかも」

「えー、それは考えすぎでしょ、寝たくなったら寝ればいいじゃんって思うけど。あ、でも、なんか楽しんでるところに入っていくのはちょっとしんどいかも」

「そっか、でもけっこうみんなウェルカムじゃない? なんか、思ったよりみんな優しいっていうか」

「いや、意地が悪い人はこんなとこ住めないでしょw」

「たしかにw でもたしかに、うちらが入った頃から、雰囲気変わったなーってのはあるよね」

「でしょ。だって夜も遅くまで飲んでいる人たち、減ったもん。前は平日だって2時くらいまで起きてた人いたけど、最近は平日だと12時すぎたらシーンってしてない?」

「いやいや、遅くまで飲んでる人はいるよ。でもだいたいおんなじ顔ぶれな気はする」

「でもさ、なんていうか、群れてはないよね。よくこの組み合わせ見るよなーとかはあるけど、でも特定の人とだけ一緒にいるとかなくて、みんなけっこうお互いに話したりご飯食べたりしてるじゃん」

「下、降りてくる人は、基本みんな話すの好きなんだよ。だからシェアハウス住むんじゃんね。寂しがり屋かガチの陽キャ。うちらはどっちかっつーと」

「寂しがり屋?w」

「絶対そうw でも別に苦手な人とかいないじゃん。みんな優しいし。だから群れないんじゃん?」

「じっくり話すとみんなめっちゃおもしろいんよね。おもしろいっていうか、興味深いっていうか。夜だとあんまり仕事の話とかなりにくいけど、昼にワーキングとかラウンジで仕事してると、真面目な一面とか見れるからそれもいいなーってなるよね」

「わかる。マッチングアプリがどうこうとかばっかり話してる人もさ、ちゃんと仕事とかキャリアとかの話聞くと、めっちゃ考えてて参考になったりすることあるよね」

「そうそう、だから新しい人たちも、もっと話したらいろいろ堀り甲斐ある気するんよね。だから、なんかさ、もっとみんな気軽にラウンジ降りてこられたらいいんだけどさ」

「いやーみんなはむずいって。別に関わりたいって思ってない人もいるだろうし」

「それはそうなんだけど、でも関わりたいって思っててもチャンス逃した人もいるくない?」

「あー、たしかに。長く住んでくると居心地よくなって、よく顔合わせる人と喋っちゃって、別に群れてるつもりないけど、グループできちゃうと入りにくく感じるんかな」

「だから言ったんじゃん、『楽しんでるところに入るのちょっとしんどい』って」

「長く居る人たちのほうが、新しい人が入りやすいような雰囲気つくるのが大事なんじゃね?」

「あとは、イベントとかごはん会とか、きっかけがあればだいぶありがたいんだろうねー」

「キャンプとかフェスとか行くのもそういうのがきっかけだもんね。うちは誘われるばっかだけど」

「おんなじー。誘ってもらうのはすごくありがたいよね。でもうち、逆に誘うの苦手なんだよね」

「あんま気にしないでいいんじゃん? 誰か誘ってみんなでどこか行きたかったら、ごはんのときに『〇〇行きたいんだけど』ってしれっと話してみたりすればいいし。みんなフッ軽だから、けっこう乗ってくれること多いしさ」

「でも、1対1とか、みんなどうしてんだろ。なにがきっかけでそうなったりするんだろうね。みんなネイバーズの中でってガッついてる感じもしないじゃん」

「それ、自分で言う?w」

「ほら、うちらは、あれじゃん、類は友を呼ぶ、みたいな?w」


この作品は、遠藤が住まうソーシャルアパートメント「ネイバーズ東十条」において開催した文化祭「Higashi-Jujo Neigbors’ Culture Day 2023」内で開催した文章展示企画である「シークレット・ライター」に寄稿した作品です。

「シークレット・ライター」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.52)

「大人の文化祭」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.51)

2022年6月に、こんな記事を書いている。

ソーシャルアパートメントに暮らしています。2(ネイバーズ東十条の暮らし)

それから1年半くらいが経った。

あんだけ「ソーシャルアパートメント、なじむのしんどい」と言っていた自分が、「大人の文化祭」なる企画を主導してしまうところまできたのが自分でもびっくりだ。

“Share Our Culture!” をコンセプトにしたイベント・Higashi-Jujo Neigbors’ Culture Day 2023を、11月23日(木・祝)に開催し、現住人はもちろん元住人や住人の友人を含む50人を動員し、有意義かつ楽しい時間を過ごすことができた。実質的に「実行委員長」になった自分が、何を考えて企画を組んでいったか、記録に残しておきたいと思う。

続きを読む

「いま、それぞれの居場所から2023」 – 遠藤忍とフレンドたちによるZoomトークイベント

2023年6月21日(水)〜23日(金)の3夜連続で、私・遠藤忍とフレンドたちによるトークイベント「いま、それぞれの居場所から2023」を、3年ぶりに開催します。

申し込みフォームはこちら

2020年6月、32歳を迎えるタイミングで、「いま、それぞれの居場所から」というトークイベントを開催しました。自分の誕生日をちやほやしてほしい、という承認欲求を拗らせて開催したイベントでしたが、かなり豊かな時間を過ごすに至りました。

「いま、それぞれの居場所から」を終えて、これからを見つめる

それから3年、当時は公立中学校の講師だった私が、今はまた別の仕事に就き、そこからちょうど1年経ちました。変わりゆくことと、変わらないこととを、それぞれの居場所から見つめ直す機会をそろそろ持ちたいと思い、再度企画することにしました。

承認欲求を拗らせ続けた私による、ちやほやされたいが故の俺得イベント。けれど「公共財、えんしの」としての自負のもと、乗っかってくれた仲間たちといっしょに、「いまここ」を見つめて、考えを深める時間を過ごしたいと思っています。

そもそも「お前誰だよ」と思った方はこちら

全体のコンセプトや、各セッションのテーマと登壇者情報は、長くなるので以下に記載しますが、ぜひじっくり読んでいただいて、参加をいただきたいです。 続きを読む

2023年は「マイメンター」を一緒に取り組むパートナー教員を探したいと思う

2022年がもうすぐ終わるので、振り返り記事を書こうと思ったものの、さらっと書けそうなライトなネタには乏しく、2022年の大きな変化であった「障害者雇用担当」としての仕事に関する振り返りを書くには腰が重いように感じている。でも、このタイミングにつけこんで、何か文字化しておきたいという衝動に駆られたこともあり、先んじて2023年の目標を一つ掲げておこうという気になった。

2023年は、教員時代の最後の1年に取り組んだキャリア教育実践「マイメンター」を、学校現場に本気で導入したいと思う現場の先生を探したいと思う。

2023年の3月までにパートナーが見つかれば、もちろん2023年度中に実装できる。ただ、そんなにすぐにことが動くとも思えないので、遅くとも2024年度に実装できるようにしたい。そんな見通しで動いていこうと思っている。これに限らず、2023年も教育現場に関わりを持てるようなアクションを、どこかの団体に属するでもなく、フリーランス的に取れたら、と思っている。 続きを読む

最近の「ゆるやかな生きづらさ」について:②交流会での初対面が苦手

「生きづらい」ということばが、さまざまなところで聞こえてくる世の中になった。それまでの世の中では顕在化しにくかった、あるいは、表出させづらかったさまざまな「生きづらい」を、世に放っても受け止めてもらえるようになったのかもしれない。あるいはそもそも、世の中に発するための方法が多くの人の手に渡ってきた、とも言えるかもしれない。

しかし、依然として「生きづらい」というのは、大きなもの・深いものと捉えられるように思えていて、そしてその「生きづらさ」に対してさまざまなラベリングがされるようになってきたが故に、そのラベリングにハマらないものは、かえって「生きづらい」というには及ばないようにも思える。きわめて個人的な、うっすらと感じる「生きづらさ」を発することが、かえって申し訳ない、と思うほどに。

しかし、いかにそれが、うっすらと感じる「ゆるやかな生きづらさ」であったとしても、自分にそうした感覚があることには違いなく、その「ゆるやかな生きづらさ」を、どうにかやりくりしながら、それでもなんとか生きている。共感してほしい、というよりも、自分はただ、そうした「ゆるやかな生きづらさ」を、受け止められる存在でありたいと思うが故に、ただここに、吐き出しておきたい。

そんなシリーズ。2本目は「交流会での初対面が苦手」という、「ゆるやかな生きづらさ」について。 続きを読む

新しい風が吹く、古くからの場所で – #宮古島大人の修学旅行 2022 のレポート

宮古島に、友と新しい出会いとを訪ねてきた。

人生で3回目になる宮古島の訪問、以前と今回のいずれも 三浦孝文 さんと 安部孝之 さんの呼びかけによる交流会への参加が主な目的だった。今までと違い、今回は「人事」という文脈から少し離れたビジネスパーソンたちによる集まりだったが、ただ離島に行って「ウェイ」となるのではなく、宮古島で何かのチャレンジに向かっている人との出会いを通じて、参加者たちが「関係人口」になっていくような仕掛けが用意されていた。私の過去の学びは、以下の記事からも読んでもらえる。

#人事ごった煮 宮古島交流会レポート: 「ソトのこと・ナカのこと」

宮古島での「 #人事ごった煮 」交流会の振り返り

そして、参加者の文脈を少し広げた今回、そのタイトルは「宮古島大人の修学旅行2022」となった。修学旅行は、その記憶に残るのは仲間と共に楽しく過ごした時間であるのが常なもので、「修学」の要素は案外記憶から遠のきやすい。しかし私は、生真面目さが故だろうか、「修学」の要素から何かを得たいと感じることが多い。さて、今回私は、何を感じたんだろうか。また帰りの飛行機の中で、考えを巡らせてみようと思う。 続きを読む

目分量の日常 – ここのところの料理習慣をめぐるいろいろ

物書きをしたい衝動に駆られ、テーマを募集したところ、いくつかのトピックが寄せられた。その中に「生きてきて一番美味しかった食事の時間」というトピックがあった。そこから発想を広げ、料理のことを書こうと思い立った。そこで思い浮かんだのが「目分量の日常」というタイトル。このタイトルと、冒頭のトピックだけを構想に携えて、どこに着地するかわからないエッセーを書き出してみたいと思う。 続きを読む

最近の「ゆるやかな生きづらさ」について:①酒が飲めなくなった

「生きづらい」ということばが、さまざまなところで聞こえてくる世の中になった。それまでの世の中では顕在化しにくかった、あるいは、表出させづらかったさまざまな「生きづらい」を、世に放っても受け止めてもらえるようになったのかもしれない。あるいはそもそも、世の中に発するための方法が多くの人の手に渡ってきた、とも言えるかもしれない。

しかし、依然として「生きづらい」というのは、大きなもの・深いものと捉えられるように思えていて、そしてその「生きづらさ」に対してさまざまなラベリングがされるようになってきたが故に、そのラベリングにハマらないものは、かえって「生きづらい」というには及ばないようにも思える。きわめて個人的な、うっすらと感じる「生きづらさ」を発することが、かえって申し訳ない、と思うほどに。

しかし、いかにそれが、うっすらと感じる「ゆるやかな生きづらさ」であったとしても、自分にそうした感覚があることには違いなく、その「ゆるやかな生きづらさ」を、どうにかやりくりしながら、それでもなんとか生きている。共感してほしい、というよりも、自分はただ、そうした「ゆるやかな生きづらさ」を、受け止められる存在でありたいと思うが故に、ただここに、吐き出しておきたい。

そんなシリーズ。1本目は「酒が飲めなくなった」という、「ゆるやかな生きづらさ」。 続きを読む