2013年の6月に、こんな記事を書いている。
それから9年が経った。
もうお気づきかと思うが、3年間の教員生活を過ごした福岡を離れ、東京に居を移している。そしてまた、ソーシャルアパートメント暮らしを始めた。
入居から2ヶ月が経った。まだまだ慣れきれていないが、近況報告も兼ねて、暮らし向きを書き出してみようと思う。
続きを読む2013年の6月に、こんな記事を書いている。
それから9年が経った。
もうお気づきかと思うが、3年間の教員生活を過ごした福岡を離れ、東京に居を移している。そしてまた、ソーシャルアパートメント暮らしを始めた。
入居から2ヶ月が経った。まだまだ慣れきれていないが、近況報告も兼ねて、暮らし向きを書き出してみようと思う。
続きを読む昨年のこの時期、古くからの友人である、軽井沢風越学園の木村彰宏先生(私はあっきーと呼んでいる)にお誘いをいただき、2020年に読んだ本の中でも感銘を受けた、宇田川元一先生の『他者と働く』を、学校現場に飛び込む初任者へのおすすめの一冊として紹介しました。
そして今年も、この企画に参加させていただくことになり、選者の一人に選ばれた喜びから、早々におすすめ本記事を書いてしまった結果、シリーズのvol.1の座をいただくことになりました。
ところが実は、掲載した 山崎聡一郎『こども六法の使い方』とは別に、もう一冊のおすすめ本を用意しており、企画チームの一員であるたかのまさこさんにどちらがいいかを選んでいただくことにしました。結果、『こども六法の使い方』をカタリスト for edu の媒体に掲載してもらうこととし、もう一冊は enshino.biz で紹介することとしました。それでは、以下よりおすすめ記事をご覧ください。
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実家に来ている。
明日、都内で用事があるので、月火の有休を取った。土曜に、生徒会の役員たちと、他校の生徒たちと交流するオンラインイベントに参加し、それを終えて北九州空港から羽田に飛んできた。スターフライヤーはPax Japonica Grooveの搭乗ミュージックを聴くために乗るようなものである。そんな時間を過ごして辿り着いた、我が地元である茨城県古河市、その駅から徒歩5分にある我が実家は、えらく寒かった。
実家のある古河には、長いこと足繁く通っているカフェがある。Ocha-Novaという名前のそのカフェは、私のインスタグラムをご覧の方には「かわいいラテアートのカフェ」として認識いただいていることと思う。実家に来たら必ずと言っていいほど寄りたいと思う店でありながら、訪問はじつに夏ぶりになった。10月・11月と、数回にわたって古河に来ているのだが、だいたい日→月と宿泊して、月夜便で福岡に戻る行程だったので、月曜定休のこの店には足を運ぶことができなかった。
このカフェで、たくさんの記事が生まれてきた。久々に訪れた、大好きな空間で、かわいいラテアートが施されたフレーバーカフェラテと、甘いフレンチトーストを口に運びながら、ここのところできていなかった、モヤモヤと考えていることをただつらつらと文章に書き起こすことをしてみようと思う。 続きを読む
14歳の栞という作品を観てきた。
https://www.youtube.com/watch?v=xW0lmC13Jbo
まず思うのは、この作品を新学期前に観ることができて、よかったと思った。
ある中学校の、ある年度の「2年6組」35人の3学期に密着したドキュメンタリー。その密着は、学級内に留まらず、部活や球技大会、家庭や習い事、さらには休日や放課後のプライベートの時間まで。誰かを切り取ってフォーカスするでもなく、視点を教師や親といった誰かに寄せるでもなく、作品自体が、35人それぞれを、一人ひとり見つめている。
いてもたってもいられず、感想を書くためにPCを開けてしまった。これは、Twitterに残すよりも、ブログに「ログ」として残しておきたい。
※ヘッダ画像は、チラシを写メってインスタにアップした画像です。
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2月23日に、全国高校生マイプロジェクトアワードの九州サミットに、発表会場のファシリテーターとして参加した。そのことは、「前編・場づくり担当のあたまのなか」でも書いていて、自分にとって久々に心から楽しいと思えると同時に周囲からもお誉めにあずかったファシリテーションのポイントを書いた。ちなみにその後、『博報堂流 対話型授業のつくり方』(大木浩士, 2020)を読んだが、面白いほどに近い考え方で場づくりをしていたことが分かった。
ところで、僕自身は「プロジェクト」にものすごい強い思い入れがあることもあって、当日の午前中のブロック別プレゼンの場づくりにおいては「くやしさ」を一つのテーマにした。けれどプロジェクトを進める上では、「くやしさ」以外にもさまざまな感情がうずまくことが多い。そうした感情は、葛藤や悩みや引け目として訪れることもしばしばある。そしてこの日の午後、僕はそうした感情を持っていた、ある生徒と出会う。
ギリギリのラインで、ストーリーの一端を記述するので、もしかするとこの記事は今後お蔵入りするかもしれない。けれどこの話は、僕を揺さぶり、僕を「おせっかい」に駆り立てる、そんな話だ。前編をお読みいただいた上で読んでもらえれば、様相がありありと浮かんでくると思うので、前編と合わせてどうぞ。 続きを読む
今年も、宮古島に行ってきました。というのを大々的に言うのが憚られる時期に差し掛かってきましたね。もちろん、感染対策は十分に講じながら過ごしたのは言うまでもありません。
昨年は1泊2日でしたが、今回は2泊3日することができ、少し余裕を持った過ごし方をすることができました。昨年に引き続き、折りたたみ自転車を持ち込んで島内を走り、昨年は伊良部大橋を、そして今年は来間大橋と池間大橋を渡ることができました。癒される場所なのに、自分の体を酷使するというのは、なんとも変態的だなと自分でも思いますし、さらに言えば、ライドは前回の宮古島以来の1年ぶりだったので、劇的な体力低下を感じました。
さて今、帰りの飛行機の中です。今回の来島も「 #人事ごった煮 」というコミュニティの交流会への参加がその理由です。そこで感じたことを書き連ねることで、ここのところしばらくサボっていた文筆の感覚を取り戻したいと思います。
生徒会役員の顧問教師をしている。
どうやら普通なら数名で担当する、それこそ各学年に1名ずつ担当者がいるようなのだが、勤務校は1人1分掌制なので、担当者は私だけである。昨年の12月に、ピンチヒッターとして参加した修学旅行のUSJの入り口で言い渡されたのがすべての始まりで、昨年度の担当者が早期退職をすることになったことに伴い、2020年1月から引継ぎ期間を持ちながら、2020年1月に代替わりした令和2年度の役員たちの顧問をしている。校長に「なんで私なんですか」と聞いたら、「その方があなたの引き出しを活かせると思って」とのことだった。
実際ここまで、確かに自分の引き出しを出せている感覚はある。
大学と大学院で研究をし、マーケティングリサーチ企業でマーケティングとデータ分析を経験し、人事として採用・研修・制度設計を担当し、教育団体でプロボノとして動き、ワークショップデザイナーとして学びと実践をしてきた人生であった。それを通して学んできたのは「わたしとは違うあなたと、一緒にうまいことやって、だれかに役立つことをする」というスタンスと、それを達成するための技術だった。特にその技術とは、相手と対話する、相手の納得と協力を引き出す、相手と事を成すために越えるべき課題を紡ぐ、といったことがらのために、考えを整理すること=フレームを用いることだと思う。
つい先日、1学期の生徒会活動の大舞台でもあった生徒総会が終わったのだが、あらためてここまでの活動で私が生徒に提示してきた「考え方」や「フレーム」を紹介していきたい。きっと誰かの役に立つことを願いつつ。 続きを読む
<このイベントは終了しました>
Zoomに課金をして、持て余したらいかんと思い、「イベントやったら需要あるかな」と投稿したら、思いの外いい反応だったので、調子に乗って登壇者を募ったら、なんと9人も申し出てくれたので、誕生日直前の土日に2時間×3セッションのイベントを企画しました。
承認欲求を拗らせ続けた私による、ちやほやされたいが故の俺得イベント。けれど「公共財、えんしの」としての自負のもと、乗っかってくれた仲間たちといっしょに、「いまここ」を見つめて、考えを深める時間を過ごしたいと思っています。
全体のコンセプトや、各セッションのテーマと登壇者情報は、長くなるので以下に記載しますが、ぜひじっくり読んでいただいて、参加をいただきたいです。 続きを読む
Facebookに
https://www.facebook.com/enshino/posts/3271001679599152
という投稿をしたら、いいねのみならず、割とコメントもいただけたので調子にのりまして、イベントの開催を企画しました。日時は、私の誕生日の直前でもある6/20または6/21です。
昨年の8月に実施した、Teach For Japanのオフィスを借りたイベントと、人事ごった煮の枠を間借りしたイベントをしてみて、私が喋るだけでなく、私をハブにして他の人と一緒に話すというのをやると、案外面白いなぁと思ったので、そのスタイルでイベントを実施します。なので、一緒に喋ってくれる人を募集します。
どうぞ、よろしくお願いします。 続きを読む
ワニが死んだ。
「100日後に死ぬワニ」
100日目 pic.twitter.com/r0Idn9I7mR— きくちゆうき (@yuukikikuchi) March 20, 2020
とっても優しいワニだった。でも、ちょっとした勘違いやすれ違いで、気を揉んだり不安になったり違う自分になろうとしたりした。けれども、そのままの彼であることを周りも認めたし、彼もありのままに振る舞いながら、未来に希望を持っていた。
でも、そのワニが死んだ。
わかっていたこの結末を、しかし儚さをもって見つつ、生きることの尊さを感じる。しかしながら一方で、僕には時折「あぁ、死にてぇ」という感覚を持つことがあって、いつかはそのことについて書きのこそうと思っていたけれど、それが今な気がした。
職業柄、憚られることは分かっている。けれども多分、こう感じている人は、きっといるんだろうと思いながら。