コミュニケーションをなんだと思っているんだ (シークレット・ライター #03 – 作品12)

この作品は、遠藤が住まうソーシャルアパートメント「ネイバーズ東十条」において開催した文章展示企画である「シークレット・ライター」の第3回に寄稿した作品です。
なお、作中において槍玉に挙げられている「あいつ」は筆者・遠藤自身であり、特定の他者に向けられたものではありません。

テーブルに座ってごはんを食べているとき、ぼそっと愚痴っぽくつぶやいたら、突然スイッチを入れてきて、根掘り葉掘り聞いてきやがる。いちおう「スイッチ入っちゃっていい?」とは聞いてくるけど、でもそもそも、こんな話、みんながいるところでするものでもないだろう。

しかも、けっこう質問がするどい。というか、あんまり考えたことのないことを聞いてくる。すぐに答えられるわけないじゃないか、そんなもん。それに、誰が聞いているかもわからないところで、本音で答えられるとでも思っているんだろうか。本音なんて、なかなか出せないよ。

たしかに、悩みはあるし、そしてそれを話すこと・吐き出すことができるのは、この家に住んでいて「ありがたい」と感じる。いろんな生き方をしている人がいて、それぞれに価値観が違っていて、だからアドバイスをもらえると、考えの幅が広がる感じがする。

でもそれって、すぐにできるってもんでもないじゃん。どっかに出かけたり、飲みに行ったり、一緒にごはんつくったりして、それで少しずつ相手のことを知れるから、話したいって思えるんじゃないか。あいつ、いつもただテーブルにいるだけじゃん。みんなで飲んでても、あんまり絡んでこないし。

百歩譲って、話を聞いてもらえるのはありがたいし、考えたことがない質問をしてくれるのは、考えを整理するのに役には立っていると思う。でも、別に今そんなテンションで揺さぶられても困るし。それになんか、「スイッチが入った」状態で、なんかズケズケと入り込まれてくる感じがするんだけど。

いや、たぶん本人としては、自分のためを思って聞いてくれているんじゃないかとは思う。なんとなくそれは伝わるんだけど、それ、実際「あなたが知りたいことを聞いているだけなんじゃない?」なんて思ってしまう。いま答えていることって、自分が「ほんとうに話したいこと」なのか、自信はない。

いちおう、アドバイスを言いたそうだから、「どうしたらいいっすかね」と聞いてみると、逆に質問で返される。こっちが聞いてんだ、これ以上聞いてくんな。「思ったこと言っていい?」と聞かれたから「どうぞ」って促したら、めっちゃ長く語ってきた。長いよ、そんなに長いやつ、求めてないって。

そしたら流れで「俺の場合はさ」とか言って本人の話をし始めた。これ、こっちに対するアドバイスをしているんじゃないの? これもしかして、実のところ本人の話を聞いてほしいだけなんじゃないか?人の話を聞くふりをして、人に話を聞いてもらおうとするのは、あんまり気持ちがいいもんじゃない。

あいつは、コミュニケーションをなんだと思っているんだ。

そういえばこの前、ラウンジでおしゃべりしてたときも、なんかずっと同じ話題で話し続けている感じがあったな。気軽な会話でそんなにずっと同じ話題しゃべらんて。そうかと思えば、全然会話にも入ってこれない時もあるし。なんだろ、無理して話題についてこようとしてるというか。

あと別の時も、なんかしゃべってて、ずっとなんか頑張って質問されている感じがした時があったな。気を遣われているっていうか、なんとかして会話続けようとしているっていうか。そんな頑張らんでもいいのに。空気読もうとしてるけど、空気読めてないっていうか。バランス悪いんか。

もっと自然に振る舞えばいいのに。無理して話そうとしなくたって、別にこっちがそのモードだったらこっちから話するし、そのモードじゃなかったら静かにしているのを大事にしてほしいし。それにさ、聞いてほしいんだったら、素直にそう言えばいいじゃん、こっちに問いかけてその状況にしなくても。

ここにいると、みんなやさしくてあったかくて、だから寂しく感じなくて済んでるんだけど、だからといって、みんなと仲良くできるわけじゃない。合う人もいれば合わない人もいて、だからコミュニケーションの濃さも、グラデーションになるはずでしょ。別にそれでいいじゃん。

なんかあいつは、よく言えば、みんなとフラットに接しようとしているんだけど、裏を返せば、みんなと仲良くなろうとしていて、みんなから好かれようとしていて。でも、それ無理じゃん、って。平等に均一に、同じ濃さで関わるって、そりゃ無理だよ。コミュニケーションをなんだと思ってるんだ。

別に、みんなで盛り上がらなきゃいけないわけじゃない。別に、みんなと仲良くしなきゃいけないわけじゃない。無理してそんなことして疲れるくらいなら、やらなきゃいい。好きなように居ればいいだけのことなのに、それをこじらせて「うまく溶け込めてない」なんて思われても、知ったこっちゃない。

そういえば、あれだ、「みんしる*」だってそうだ。たぶん本人は、自分のことを聞いてもらうのが好きだから、人を選ばずに語るってのは得意なんだと思う。でも、みんなそれが得意じゃないし、みんなが自己開示をぽんぽんできると思ったら大間違いだ。自己開示は、人と場所を選ぶもんだろ。
*みんしる=物件内で行われるトークイベント、住人が自分自身のことを形式フリーで語ることができるイベントを月イチで開催している。

無理やり引き出されることをしなくたって、自分なりのやり方で、自分なりの心地よさで、この場所に溶け込んでいけるんだ。あいつだって、そうすればいいだけなんだけど、でもこっちの心地よさも尊重してほしい。ペースに合わせる、までしなくても、合わせようと様子を見てくれればそれでいい。

自分のことを基点にするのがコミュニケーションなのか? 相手ありきなんじゃないのか?

あいつは、コミュニケーションをなんだと思っているんだ。


「シークレット・ライター」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.52)

 

Beyond language (シークレット・ライター #03 – 作品27)

この作品は、遠藤が住まうソーシャルアパートメント「ネイバーズ東十条」において開催した文章展示企画である「シークレット・ライター」の第3回に寄稿した作品です。

Over twenty-five articles from sixteen writers living in this social apartment reflect how diverse our share mates see their lives and communication here.  However, the language itself is still homogeneous, Japanese.

Japanese, which is one of the most difficult languages to acquire, is very beautiful to express the writers’ inner feelings and thoughts because of its diversity of vocabulary, ambiguity by absence of the subject, and variability of sentence structure.  And because of these, the articles under this exhibition called “Secret Writer” are striking readers’ hearts.  But, the experience of being moved by each article is limited only for fluent Japanese readers.

Here, I feel unconscious-exclusiveness.  Yes, even I, both the writer of this article and the organizer of the exhibition, excluded other languages users unconsciously.


There are several reasons why I organize the exhibition.  One is that there are many residents here who like to write essays or even work as professional writers, and I wanted to read their essays which reflect their feelings and thoughts through the social apartment lives.  Each writer has to hide their name from each article under the regulation of the exhibition, and this makes readers think who to write, and therefore communication among the residents occurs.

On the other, and moreover, I wanted to express myself through essays, not by verbal communication.  This is because I, who some residents recognize as talkative, feel lonely or being a minority in the community here, and this kind of my negative perspective for being a part of this community wouldn’t be appeared through the daily communication even I don’t hesitate hiding.  Because I can hide the name as a writer, I can express what I want to express more freely.

Surprisingly to me, not only me but also other writers put their inner feelings into the essays with their own way of the expressions.  Readers, and they are our residents in other words, encountered different aspects of writers which couldn’t be appeared in the daily conversation on the 2nd floor.  This is what both writers and readers enjoyed the exhibition the most.  But, we cannot share this delighted “re-discovery” of the residents here with non-native readers of Japanese.


I was so lucky that myself in childhood was both talkative and interested in acquiring English, now I can enjoy talking with residents from other countries even they cannot speak Japanese fluently.  One thing to add here, residents from other countries put so much hard work into learning Japanese and their fluency get tremendously better day by day.  I even appreciate, as one person fostered in Japan, their relentless effort for acquiring Japanese language and basic interests for the culture and habit in Japan.

Because of that, I feel a disappointment to myself that I couldn’t put the consideration for non Japanese users even though I hope to create a world where all people share the ideas of inclusion.  I always state that knowing and giving respect to each other are the basic keys to create a better future of inclusion beyond each difference.  The life in this social apartment is the right place for the actual practice, I suppose.


I cannot truly understand, and should not predict what the non Japanese users here feel or think.  But I imagine that living in a different country where one’s native language is limited to use makes one’s heart feel alone or being a minority.  But I strongly believe that we, as residents here, can melt such feelings by sharing a precious time in the same community.  Language itself is a one of the tools, but sometimes verbal communication doesn’t need the fluency of the language.  The interest and desire for knowing each other can go beyond language.  But on the other hand, we need to understand that languages themselves become the barrier for the desire to understand others.

The old proverb says “When in Rome, do as the Romans do”, but this couldn’t be a reason that native Japanese users here don’t put consideration to the non Japanese users here.  Or, even the distinction between Japanese users and non Japanese users is not appropriate for the mutual understanding as people under the shared community here.  I want to make the opportunity for participation into this community open for everyone.  And to enable this, I don’t want to make the opportunity closed into the Japanese language.

This is why I wrote this essay, with my regrets for less consideration for international members here.


I want to see each of you as individuals who have different interesting life-stories, many aspects of the life, and shared interests among the life in the social apartment.  We can be life-long “share mates” even though we spend a short time together.  At that time. our friendship can be beyond language, I believe.

So I promise you. I won’t make the language itself a barrier to our communication.  I won’t let you alone.



「シークレット・ライター」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.52)

「言語化」を言語化する:相手の言語化を促すための 「いっしょにみとおす」問いかけ

比較的言語化が遅い人への接し方が不得意なんだけど、なんかコツを掴みたい

という悩みが、知人からもたらされた。思わず私は

出るまで待ってあげてくれ

とレスをしてしまった。

これが思いのほか自分の思考をぶん回してしまったので、他に書くべきことがある最中だが、結局記事にしてしまった。

「言語化が遅い人への接し方が不得意」には、おそらく2つの課題が含まれていて、それは

  • 相手からの言葉による返答が遅い(ので俊敏性を上げたい)
  • 返答が遅い人の対応がもどかしい(ので適切な接し方が知りたい)

ということだと思う。

で、ここでポイントだと思うのは、相手の言語化力をどう伸ばすか、ということと同時に、自分の接し方の部分をどう最適化できるか、という双方をセットで行うことの大事さだ。

当方、障害者雇用を担当している。また、教員だった経験もある。なにより、長らく続けてきたブログのおかげで、時折「言語化おばけ」と言われることもある。聞く側の私の言語化力の高さに比して、話す相手のそれとに非対称性があるようなケースも、多く経験がある。そして、私も、もどかしさを感じることがあった。

ではどうしてきたか。ここいらで少し棚卸しをしてみようと思う。

続きを読む

「夢があるから、がんばれる」 – ひさびさにとある広告に出会った話

 

この投稿をInstagramで見る

 

遠藤 忍(@enshino)がシェアした投稿

千代田線、日比谷駅。小田急の車両の直通電車に乗っていた私は、扉を見て思わず、降りるつもりだった電車にまた乗った。扉に貼られた、鶴巻温泉病院の広告が、胸を打ったからだ。

この記事は、Instagramへの投稿を転載したものです。

続きを読む

土曜の昼下がり、東十条の洋食店で – やさしさとあたたかみについて

この投稿をInstagramで見る

遠藤 忍(@enshino)がシェアした投稿

「ハンバーグ食べるか?」「オムレツ食べるか?」

土曜の昼下がり、店主から発される、チャキチャキとした、しかし優しさに満ちた問いかけに、店内はみなこう思っただろう。

「お子様ランチ、あるんだ・・・」

この記事は、Instagramへの投稿を転載したものです。

続きを読む

障害当事者が、仕事を通じた社会貢献を実感できる未来のために(インタビューしていただく06)

遠藤さんとは、チームビルディングの手法を学ぶ講座で知り合いました。その後、Facebook上で、人事から教師へ、教師から障害者雇用へと、様々な経験をされている姿をお見掛けして、「面白い活動をしている方だなぁ」とずっと思っていました。それで、お声がけして私の関わるコミュニティに講師としてきていただいたり、また一瞬ClubHouseが流行った際にお話しさせていただいたりと、3-4年に1度だけかかわりがある不思議な関係が続いています。今回も「インタビュー」という新しい形での接点が生まれたことをうれしく思っています。

今回は、そんな遠藤さんが取り組まれている障害者雇用に対する課題意識と、その背景となるご自身の過去について聞きました。「障害当事者と働くことでたじろぐのは、障害者自身ではなく健常者です」と語る遠藤さんの感じる怒りとは――。

この記事は、このブログ enshino.biz の所有者である遠藤忍が、自らの「とっちらかった思考を整理してもらいたい」と知人に呼びかけたことに端を発する企画『インタビューしていただく』の一環で書かれたものです。

著者紹介

編集・執筆:竹林秋人
2021年『嫌われる勇気』の著者として知られる古賀史健氏のbatons writing collegeを受講、以降インタビューを中心にライティングを行う。また、会社員として、素材メーカーで医療機器領域の戦略策定・新事業開発に従事。

続きを読む

走り続けるenshinoは何にぶつかり、何を見出すのか (インタビューしていただく04)

遠藤さんとAngelaとの出会いは宮古島。2020年に実施された人事ごった煮会を通じてオンラインで知り合いました。その後もなぜかオンラインか宮古島でしか会わずに4年…という不思議なご縁の中、今回はキャリアについて言語化したい遠藤さんのリクエストにお応えして、遠藤さんについて語らせてもらいます。

他人からみたら順風満帆にキャリアを歩まれているように見える遠藤さん。そんな彼でも心の中に感じている”見えない壁”のようなものは何なのか。ほんの少しだけ紐解かせてもらいました。

この記事は、このブログ enshino.biz の所有者である遠藤忍が、自らの「とっちらかった思考を整理してもらいたい」と知人に呼びかけたことに端を発する企画『インタビューしていただく』の一環で書かれたものです。

著者紹介

安立 沙耶佳(Angela)
新卒で大手人材系企業に入社し、セールス、新規事業の渉外・企画担当に従事。2016年より福岡市に本社を置く株式会社ヌーラボの人事に転身。採用や採用広報、制度設計担当を経て、2022年10月よりPR担当に着任。社内外両面に向けた広報活動に従事。
認定ワークショップデザイナー / PRSJ認定PRプランナー

続きを読む

障害者雇用「から」考える。ジョブの最適化と社員活躍の未来〜人事・えんしのさんの視点から〜(インタビューしていただく01)

えんしのさんと私(以下げんさん)の出会いは、2022年11月。沖縄県・宮古島にあるRuGu Glamping Resortを経営する安部孝之さんや、人事界隈のイベントやコミュニティを運営されてきた三浦孝文さんの呼びかけで、大人の修学旅行に参加したことがキッカケでした。

宮古空港に着いた私を、皆が集まる会場まで車で迎えに来てくれたえんしのさん。事前やりとり(@facebookのイベントページ)でなんとなく顔と名前は知っていたものの、会うのは初めて。

会ったことがない人との待ち合わせって緊張するな〜と思いながら駐車場を歩いていると、車から降りて、手を振ってくれている人の影が。

開口一番、「オンラインだけじゃ、顔が分からなくて大変だったでしょう!」と言うえんしのさんに、この人はきっと、細やかな気遣いができる人なんだろうと、お人柄の良さを感じたものです。

その後、皆で夕食を囲んだ際、当時、工場人事や障害者雇用に関する課題に取り組んでいた私の話を真剣に聞いてくれ、喋る、喋る、喋る。その熱意に驚いたものでした。

今日は、そんなえんしのさんが、日々精力的に取り組まれている障害者雇用支援について、話を伺いました。少しでも興味を持たれた方は、ぜひ、ご清覧くださいませ。

この記事は、このブログ enshino.biz の所有者である遠藤忍が、自らの「とっちらかった思考を整理してもらいたい」と知人に呼びかけたことに端を発する企画『インタビューしていただく』の一環で書かれたものです。

著者紹介

宮元 ひかる(げんさん)
青森県出身。静岡で暮らしながら、福岡と東京の会社で広報・人事として働く。本名は宮元だが、宮本によく間違えられるので、ミライフ・キャリア・デザイン(4期生)で”げんさん”というあだ名を作ってみた。最近は、本名で呼ばれる機会が少ないので、ひかるさんと呼ばれるとちょっと嬉しい。

続きを読む

初任者へおすすめの一冊2024 – 吉藤オリィ『ミライの武器 – 「夢中になれる」を見つける授業』

まだ少し寒いが、春は確実に近づいてくる。曜日感覚が薄れているが、もう3月になってしまった。

年度の切り替わり。日々奮闘する教職員たちにとっては、おわりとはじまりが背中合わせとなる時期。そしてもうすぐ、教育現場には「初任者」がやってくる。

毎年この時期になると、私は、一般社団法人かたりすと・サイト “カタリスト for edu” の企画「初任者へおすすめの一冊」を楽しみにしていた。それは読み手としてもだが、書き手として、という方が強く、お陰様で3年連続執筆、うち、Web掲載の1本目を2年連続で務めさせていただいた。

なんなら勝手にもう一冊紹介したこともあった。

しかし、2024年は、この企画をお休みにする、という知らせが届いた。2023年の時点で紹介する本は決めていたのに・・・

ええい、なら勝手に紹介するまでだ。

すでに教職を離れて2年、そんな私が何を言うか、と思われたとしても、初任者として学校現場に向かう尊い人々に、未来をつくる仕事に向かう人々に、その想いを託したい。

続きを読む

業務報告書作成のコツ

業務報告書作成のコツは?

そんなLINEが、ある日曜の朝に来た。まだベッドに横たわっていた僕は、こう返した。

すでに頭のなかにあるんだけど、書くのがめんどいので後でやる。一日ちょうだい。

そしてそのままにしてしまい、結局コツを伝えないままでいた。ようやく、その「コツ」とやらを書き出すことができたので、ここでシェアしたい。

続きを読む