ぼくたちの元日など、お構いなしに
2023年を見送ってすぐ、珍しく元日から開いていた地元のカフェに向かう道すがら、けたたましく唸りをあげるスマホ。その刹那、ゆったりとしたゆらぎが、アスファルトの上で感じられた。
1月1日、16:10。マグニチュード7.6の地震が能登半島を襲い、最大震度7を記録する大きな揺れが、多くの建物を倒し、数々の道路を遮断し、有名な市場を焼き払い、津波と土砂崩れを引き起こした。
カフェに着いて、お気に入りのフレーバーカフェラテ(ストロベリー・ホット)とフレンチトーストを頼んですぐ、NHK+を起動してニュースで情報を見る。「たまたまうちの常連でPCに強い人たちが揃っている」と曰う店主。ラテアートを描きつつも、「どうなってる?」と私に聞いてくる。
NHKはひたすら、能登半島沖の映像を流しながら、女性アナウンサーが繰り返し叫ぶ音声を届けた。
「今すぐ逃げること。テレビを消して、いや消さなくていいです、いますぐあなたが逃げてください」
3.11の津波警報をおおごととして捉えられなかった人々がいた反省から、強い口調で警戒を呼びかける報道姿勢を「かくあるべし」と思いつつ、他のテレビ局も災害情報に徹し続け、結局、正月の風物詩である格付けチェックも東西ドリームネタ合戦も、埼玉県政財界人チャリティ歌謡祭も、放映がされなかった。ただ唯一、テレビ東京だけが「充電させてくれませんか」を放映した、精神衛生上それは救いだった。
多くの人が、能登に帰省をしていたはずだ。ジョージア国の大使も石川に観光に向かう道程だった。
みんなにとって、等しく・穏やかに訪れたはずの元日を、そんなことなどお構いなしに天災が襲う。
「人間の都合など知らん」と言わんばかりの自然の威力。ぼくたちは、災害に、無力だ。
ぼくたちは、自分と「おとなり」の命を守れるか
1月3日、同居人たちとの会話のなかで「防災備蓄を買った」という話になった。私はこれといって備蓄はしていないが、ふるさと納税返礼品のパックライスと湖池屋のポテトチップスがあり、また無印良品の「バウム」を大量購入していて、そして炭酸水が大量にある。ちなみに、冷凍食品は、無力だ。
備蓄まではいい発想だとして、さてあなたは、この家のリスクと、逃げ場所を、知っているだろうか。
大規模災害が発生した際の、東十条一体の「避難場所」=火災から逃げる開けた場所として指定されているのは、URの王子五丁目団地。ジャパンミートの手前側の、あの団地だ。一方、建物が住めなくなった時の避難所に指定されているのは、この家の近くの東十条小学校だ。
しかし、王子五丁目団地も東十条小学校も、そしてこの家も、ハザードマップによると、荒川が氾濫すると0.5m〜3mで、沈む。また地盤については、建物倒壊危険度も火災危険度も5段階中で3。東京都内の「丁目」の区切りのうち、危険性が高い方から並べて上から1/4以内に位置する、東十条2丁目。もちろん耐震工事はされているが、しかし輪島のあのビルの倒壊を見ると、我々も安全とは言い難い。
いざということが起きた時、ネイバーズ=おとなりどうしは、助け合うことができるだろうか。
その前に、自分の命を確保することはできるだろうか。そもそも、あなたは、逃げられるのか。
ベランダに物を置くことを禁じられているのも、「オリロー」を使った避難をする通路になるからだ。3階をのぞいて、奇数階は外側2部屋、偶数階は中央2部屋に、避難はしごが設置されている。ということは、奇数階は中央2部屋の上から、偶数階は外側2部屋の上から、人が降りてくる。その避難を妨げず、先に降りた人が後から降りる人を助けることができるだろうか。
オール電化のこの家は、電気がないとお湯すら沸かせられない。キャンプ好きな住人が多いのは幸いなことだが、104人すべての住人が身を寄せるには、いつもは広く感じる2階も、手狭がすぎる。
「いつか」がいつか、わからない災害。知識と覚悟に乏しいままでは、ぼくたちは、災害に、無力だ。
何かしたくても、何もできないぼくたち
過去の災害対応の蓄積から、地震発生後72時間は「緊急期」として、現地の自助で対応するのが通説とされている。その後、現地の状況が見えてきて、外からの支援を受け入れられるようになってきて、徐々に物資や人的支援が始まっていく。それまでの間、被災地外にいるぼくたちは、報道機関の情報に触れ続けることになる。
苦しんでいる人たちがいるのに、苦しんでいない、ぼくたち。
そんな状況下で大事になるのは、被災地の無事を祈りつつ、ぼくたちの心身を健やかに保ち、いつも通りの生活を営むことなんだ。
Yahoo!募金が、いち早く募金の受付を開始した。多くの人が「いまできることを」といって、募金をし始めた。一方で、募金先に迷うという声も多く聞かれた。ぜひ知っておいて欲しいのは、「義援金」は最終的に被災各県に集約されて被災状況に応じて被災者本人の手に渡るものということ。その一方で、現地への支援に入るNPOやNGOの活動を「活動支援金」として支える方法もあるということ。支援金は即効性があるが、義援金は直接支援になる。
ぼくたちの祈りを、どう届けるか、よく考えて欲しい。なおのこと、物資そのものの個人送付ほど、いまこのタイミングで迷惑この上ないことはないのだ。
北陸の冬は寒く、三連休には雪が降るらしい。思った以上に建物の倒壊も火災の焼け跡も凄まじい。
生活を何とか営める「復旧期」を超え、「復興期」に至るまでには、思ったより時間がかかるだろう。
今を苦しんでいる人の安寧を祈り、支援の気持ちを向けること以外に、ぼくたちは、災害に、無力だ。
この作品は、遠藤が住まうソーシャルアパートメント「ネイバーズ東十条」において開催した文章展示企画である「シークレット・ライター」の第2回(テーマ:わたしの「ゆく年・くる年」)に寄稿した作品です。
「シークレット・ライター」のつくりかた(ソーシャルアパートメントに暮らしています。2.52)